Naonシャッフル 第5夜

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【叫べ!スクリーミング・ガールズ大特集(ウソ)】

ROCKHURRAH WROTE:

SNAKEPIPEと二人で2006年に始めたウチのブログだが、二人で共通のシリーズ記事を執筆(大げさ)してるものと、それぞれ一人だけが担当のシリーズ記事に分かれている。
しかしROCKHURRAHが担当してるものはシリーズのタイトルが違うだけで、見事にいつも同じパターンでブログを書いてるのは間違いない。10年以上も続けたブログで記事数も記事の文字数もかなり多いのに、ROCKHURRAHの進化は完全に止まったまま、よくネタが尽きないなと自分でも感心するよ。
まあ進化して新しいものにどんどん目を向けてたら、こんな80年代満載のブログなんかやってないだろうね。時が止まったようなブログだからこその価値も少しはあるんじゃなかろうか?

さて、今回はそこまで久しぶりでもないけど、このシリーズ企画を書いてみよう。
ROCKHURRAHの数ある記事の中で女性ロッカーにだけ着目したシリーズね。

世の中にガールズ・バンドは数多くあるにも関わらず案外記事数が少ないのは、記事に出来るくらいの個性を持ったバンドや歌姫は既に違うシリーズ記事に登場済みだから、というのもある。
似たようなバンドをひとまとめに書こうと思っても、どれもそんなに個性に違いがなくて、本当に「似たようなバンド」としか書きようがないので書いてる途中でイヤになった、というネガティブな理由で中断したボツ原稿もある。
まあ企画を思いついた時にそこまで多く書けそうにない、と見抜いておけば良かったんだがね。

今回は特に名案が思いつかなかったので、その場しのぎで「ロッキン・ガールズ」特集としてみよう。
六筋=シックスパック、腹筋がきれいに割れて鍛え抜かれたガールズの特集・・・ではなくてRockin’ね。
ロッキンという言葉自体、ROCKHURRAHが思うニュアンスと一般的な解釈がすでに大きく違うとは思うけど、要するに「何とかビリー系」のガールズ・バンドを集めてみたよ。

1950年代がロカビリーの最盛期、そして70年代の終わり頃からネオ・ロカビリーと呼ばれる音楽が流行ったが、単なるリバイバルだけじゃなくてパンクやニュー・ウェイブ、ガレージ、ウェスタンなど様々な音楽と結びついて発展していった。単なる50年代の焼き直しだったバンドも多数だけど、ROCKHURRAHの好みはもう少しウソっぽいもの。
ウソっぽいと言えば、ロカビリーをもっとグロくして異常性を加えたサイコビリーなんてのも80年代には生まれた。ロカビリーやパンク、ハードコアが根底にあるものの、ネオ・ロカビリーよりもさらに柔軟に、どんな音楽とも結びつくしたたかなバカ音楽だった。

ロカビリーやサイコビリー自体が誰でも知ってるとは言えない音楽だけど、ごくたまにそういうファッションが一部で流行ったりもする。サイコビリーの方は特に近年ではハロウィーンのイベントでもてはやされてるゾンビ・メイクのルーツでもあるから、また突然流行りだしてもおかしくはないかもね。
ちなみにネオ・ロカビリーとサイコビリーの違いが言葉ではイマイチわからないという人のために左の画像も用意したよ。
ん?男の画像じゃロッキン・ガールズとは関係ないか?
女性の場合はネオ・ロカビリーとサイコビリーの違いが非常にわかりにくいし、こっちが考えてるほどには厳密な違いなんかないんだろうけど。
メイクがより病的だったり服装が典型的ロカビリーじゃなかったり、かなりいいかげんな見方ではあるけど、ROCKHURRAHはライブでサイコ・ガールを見かけた時はその辺が判断基準になってたよ。

こういうビリー系については前に二回は特集したから(これコレ)、あまり知らなくて、もし本気で興味ある人がいたらそっちも読んでみてね。

そのネオ・ロカビリーやサイコビリーが盛んだった80年代半ばくらいは正直言って女性バンドは非常に少なかった。
この手の音楽は能天気っぽくしてても演奏力がちゃんとないと成り立たない部分が多いし、その要とも言えるウッドベースは重くて巨大で、これを自在に操る女性はなかなか登場しなかったからだと思える。日本じゃ住宅事情もあって練習する場所もあまりないよね。

近年はその手のバンドは昔よりは多くなったとは思うけど、そういうわけもあって、今回の企画ではROCKHURRAHがいつもうわ言のように言ってる「70〜80年代のパンクやニュー・ウェイブ限定で」という主旨とは反する(もっと後の)時代のバンドが多くなりそうだけど、まあ仕方ないと思って許してね。

前置きがえらく長くなってしまったが、そろそろ始めてみるか。

まずはロッキン・ガールズのパイオニアとしてこれを筆頭に挙げないわけにはいくまい。
それがこのShillelagh Sisters。
う、読めん・・・と一瞬別のシリーズ記事の方で書きたくなってしまったが、日本では複数のカタカナ表記があるので、どれが正しいかはよくわからなかったよ。

Shillelagh(シレイリー、シレイラ)とはアイルランドの伝統的な棍棒や杖だとの事だけど、日本ではほとんど知る必要のない単語だと思われるな。ゴルフのドライバー(1番ウッド)を一本の木で作ったような形状をしていて、アイルランドというよりは漫画とかで仙人のじいさんが持ってるあの杖を想像してもらえればイメージしやすいかな。この棍棒で敵を殴り倒すのかな?
また、兵器マニア以外には全く必要ない知識だが、MGM51という対戦車ミサイルがシレイラと呼ばれていたらしい。

このバンドを誰が最初にカタカナ表記したかは知らないが、大抵の日本語サイトではシレラ・シスターズと書かれていて、レコード屋のページでもそう紹介されているのでその表記でいいのかな?
個人的には彼女たちの髪型がシレイラ(棍棒)みたいなのでシレイラ・シスターズの方がしっくりくるんだが。

このバンドは80年代のネオ・ロカビリー界で大人気だったポールキャッツのギタリスト、ボズ・ブーラーの彼女(後に奥さん)だったリンダー・ハルピンによるバンド。中国人でもないのにハルピンとはこれいかに?いや、中国人でも滅多にいないはず。彼女はこのバンドでウッドベースを弾いていた。
ヴォーカルはそのリンダーではなく、なかなかキリッとした顔立ちの美人だと思ったが、後にバナナラマに加入するジャッキー・オサリバンのデビュー当時の姿がこのバンドなんだよね。ネオ・ロカ出身のアイドルというのも珍しい経歴。この頃はポールキャッツのベーシストと付き合っていたというから、このシレラ・シスターズはまさにポールキャッツが全面協力したガールズ・バンドだと言える。見てきたわけじゃないから知らんが、一緒にライブとかやってないのかね?

1984年にレコード・デビューして2枚のシングルを残しただけであっという間にいなくなってしまったが、見た目といい演奏といい、さすがのカッコ良さがあり、伝説となったバンドだった。
ROCKHURRAHがこのバンドを知った頃はすでにレコードが入手困難で高価だったが、その当時は欲しいレコードランキングの上位にあったなあ。意を決してわざわざ横浜(当時、横浜にネオロカ専門店があった)まで買いに行ったが、やっぱり高くて断念した悔しい思い出がある。その時はそのまま帰るのも癪だったのでスクリーミン・サイレンズ(これまた女性のカウパンク・バンド)のシングルを買ったな。ん?思い出話はどうでもいい?

この曲は60年代に大ヒットしたフランク・シナトラの娘、ナンシー・シナトラの代表曲で邦題は「にくい貴方」のカヴァー。数々のカヴァーが存在しているが、その中でも一番好きなのがこのシレラ・シスターズ版のもの。80年代前半はちゃんと演奏したロカビリーのガールズ・バンドが非常に少なかった(皆無?)はずなので、まさに先駆者と言える。

その後、ガールズ・ロカビリー&サイコビリー・バンドの系譜を書こうと思ったが、80年代前半のシレラ・シスターズ以降はこの手のバンドが見当たらないんだよな。
男のバンドの中で女一人だけヴォーカルというスタイルはあっても、少なくとも80%以上は女性のバンドというのはやっぱり難しい。前述したようにちゃんと楽器が弾けてプロとしてやっていけるような人材が少なかったんだろうね。それ以前にこの手の音楽を好む女子が世の中に少なすぎってのが一番の原因なんだろうな。ファッションやメイクだけじゃなくて他のことも頑張れ女子。
90年代半ばくらいに登場したデンマークのホラーポップスというバンドが女性ウッドベース奏者で有名だが、これも男の中に混ざってるだけなんで「Naonシャッフル」というくくりでは紹介出来ないな。
そう、今回はメンバーの大半が女性というバンドを特集しようと思ってるので、ただの女性ヴォーカルのバンドは全て不採用なのだ。

それで、これ以降はたぶん全部2000年以降のバンドばかり登場する。
バンド名や音楽がわかっても公式サイトさえないようなバンドばかりで、情報がとても少なくて難儀したよ。ファッションやメイク、写真をSNSにアップだけじゃなくてちゃんとサイト作りも頑張れ女子。

で、このバンド、The Deadutantesも情報がとても少ないひとつね。
うーん、これまた何と読むのか不明だな。デッデュタンテス?
フランス語で社交界にデビューした若い娘の事をデビュタントというらしいが、それをもじってつけたバンド名なのかな?死者デビューした若い娘?
©2003年の公式サイトがあったんだけどUnder Constructionだとの事で、トップページだけは作ったものの面倒だったりケンカしてイヤになったり逮捕されたり、様々な理由(全部想像)でやめたんだろうかね?ROCKHURRAHに言ってくれればサイトくらい軽く作ってやるのにね(安い)。

さて、このDeadutantes(読めん)、YouTubeに動画はいくつかあるんだけど、それを見る限り女性だけの4人組。
どうやらサンフランシスコのバンドで少なくとも2003年には結成されていたはずだが、その後どういう活動してたのかはよくわからなかった。
ちゃんとウッドベースも入ってて昔ながらの80年代サイコビリーをそのまんま2000年代に再現してるみたいな演奏スタイル。
このビデオはサイコというよりもガレージ風で、ヴォーカルが聴こえにくいけど、雰囲気はバッチリだね。SNAKEPIPEがこの手の踊り大得意なんだよね。

珍しく2曲も紹介してしまおう。
こっちはさっきの「80年代サイコビリーをそのまんま2000年代に再現」という発言を覆すようだが、もう少しキャッチーな近代サイコビリーという感じ。Mad Masatoとかを思い出してしまった。
ヴォーカルが何故に裸足?と思ったが途中の痙攣パフォーマンスも面白いね。お色気を売り物にしてるのか何なのかはわからないが、サイコやるんだったらこれくらいはしないとね。ギターが途中で間違えるのもご愛嬌。

メンバーがみんな、なかなかの美人なのに人気なかったのか、CD一枚くらいしか出してないみたいだね。もっと売り方を工夫すればこのルックスだったら有名になれたのにね。そもそも読めんバンド名じゃ日本で売る事も難しいか。

ロカビリーはアメリカ生まれの音楽でサイコビリーの元祖とも言われるクランプスもアメリカなんだが、サイコビリーの初期に活躍したのは断然ヨーロッパのバンドが多いという歴史がある。
イギリスよりも伝統が少ないお国柄だから、よりいっそう保守的になってしまうのかな?
サイコビリーなんてピュアなロカビリーの人間から見れば唾棄すべきインチキ音楽って事になるんだろうか。
おっとまたニセ文化論みたいになりそうだから止めておこう。

90年代に福岡に住んでる頃、顔見知りの古着屋の店員と偶然に電車で一緒になったんだが、その人は全身バリバリの50’sロカビリー娘だった。その時はROCKHURRAHもサイコビリーやネオロカを一番聴いてた頃だったんだけど、やっぱり全然話が合わなかった覚えがあるよ。
ROCKHURRAHはちゃんとしたロカビリーに敬意は払いつつも、ついお下劣なサイコビリーの方に興味が行きがちだったからね。80年代にポジティブ・パンクにのめり込んだ時も同じような心情だったよ。
傍目には同じ類いに見えても両者の間には深くて暗い川がある(野坂昭如)というわけだ。

そんなアメリカから登場したのがこのThee Merry Widowsというバンド。
「メリー・ウィドウ」というオペレッタがあるのでそこから付けたバンド名だとは思うが、なぜそこから引用するのか意味不明。
ちなみにオペラ=大劇場で貴族が鑑賞するもの、オペレッタ=より庶民的な小劇場でのコメディという分類されてるんだって。知らなかったよ。
Theeというのは「汝」というような意味の古語らしいが、80年代からビリー・チャイルディッシュがやってたミルクシェイクス、マイティ・シーザーズ、ヘッドコーツが全てTheeで始まるという歴史がありまして、その後なぜかガレージ系のバンドに大人気となってしまった。日本のミッシェルガン・エレファントとかもTheeが付いてるね。
昔、下北沢のレコード屋で働いていた頃、ミルクシェイクスはMじゃなくてT(Theeだから)の棚に入れてたのを思い出す。

さて、このバンドはレーベルの謳い文句によると世界初の女性のみのサイコビリー・バンドという事になってるけど、本当に元祖なのかどうかはよくわからない。まさに最古のサイコビリー。
2002年くらいからやってるらしいが、それで最古とは。80年代90年代は何やってたの?サイコ女子。

見ての通り他のメンバーは割とまともなのにヴォーカルがすごいデブの全身刺青女、ギターもややデブのメガネ女というインパクトだけが先行して、音楽の方は見た目に比べるとありきたりな印象がある。
デブだけの魅力じゃ心もとないのか、他のライブ映像では太めのストリップ嬢とかも導入してたけど、そこだけで観客を沸かせてどうする?と思ったよ。
デブを売り物(?)にしたバンドと言えばロメオ・ヴォイド、バッド・マナーズ、ペル・ユビュ、Blubbery Hellbelliesなど各界に著名なのがいたが、みんなそれだけじゃない個性を持っていたから名前が残ってるもんね。

ビデオの曲はサイコビリー好きなら誰でも知ってるディメンテッド・アー・ゴー!の「Holy Hack Jack」のカヴァー。マッド・シンとかも好きみたいなので、心底サイコビリーが好きなのはわかるけどね。

お次はオーストラリアのロカ&サイコビリー歌姫、Brigitte Handley。うん、これなら何とか読めるぞ。
ブリジット・ハンドリーは2000年頃にネオ・ロカビリー界でも名高いロカッツのギタリスト、ダニー・ハーヴェイとの共作で有名になったようだが、なぜかCDが日本でしか出てなかったのが謎。
日本でだけ大人気ってわけでもなさそうなんだが。

ここまでの経歴だったら到底Naonシャッフルで語る事もなかったんだが、この後でダーク・シャドウズという女性だけのバンドとなったので取り挙げてみた(偉そう)。
こちらのバンドの方は純粋にサイコビリーというわけではなくてベースもエレキ・ベースだけど、ダークな曲調のルーツやパンチのある歌い方はやはりサイコビリーを感じる。この手のジャンルにしては毒がないのが玉に瑕だけどね。
曲はROCKHURRAHとSNAKEPIPEがかつて最もライブに通った日本のバンド、ROBINのどれかの曲に似てるように感じたが、2000年に出たシングルではもうこの曲を歌っていた。こっちの方が古いのか。ダーク・シャドウズでも昔の曲をレパートリーにしてるというわけだね。

このブリジット・ハンドリー、腕に覚えがあるのかわからないがギターを弾きまくりのライブ映像が多いね。しかも愛用してるギターがROCKHURRAHのと同じモデルのダン・エレクトロのもの。今回のビデオではピックアップが3つ付いた56-U3というのを使ってるが 、全く同型のを(ピックアップ2つのもの)持った写真もある。
通称ダンエレといういかにもチープっぽいギターなんだけど結構個性的な音色なんだよね。
別の形のギターはジミー・ペイジをはじめ数多くのギタリストに愛用されたけど、このレスポール風のはレトロな色合いがかわいいので女性受けしそう。
同じギターを使ってるだけで個人的には高得点だよ。ROCKHURRAHに高得点つけられても本人は嬉しくなかろうけど。

最後はブラジルから参戦、サイコビリーのガールズ・バンドと来ればこれを思い浮かべる人も多いだろう、2009年にデビューしたAs Diabatzだ。アズ・ディアバッツでいいのかな?
ブラジルは意外とサイコビリーが盛んで大規模なフェスティバルがあったりもした国。上に書いたROBINもブラジルのステージに立った事もあったね。

見ての通り三人組のガールズ・バンドなんだが、ウッドベースとドラムは完全にサイコ・ガールの典型。これを見てると「今は西暦何年?」と思えるくらいに80年代サイコを踏襲したルックスと音楽。
ちなみに典型的なサイコ・ガールには男と同じルックスのと、女性特有のセクシー・サイコ・ガールという形態があり、こっちは男系の方ね。

真ん中のヴォーカルは小柄だからグレッチのフルアコ(ギター)が大きく見えすぎてあまり似合ってはいないが、演奏も曲も昔の、あまり迫力ないサイコビリーを知ってる人にはかなりグッとくるんじゃなかろうか?
ミクスチャーされ過ぎててサイコなのか何なのかさえもわからない近年のサイコビリー業界に比べると、女性だけのバンドの方がずっと原典に忠実でシンプルだな。
プロモもコウモリが飛んだり、あくまでも古臭い。 サビの時にみんなでちょっと前かがみの姿勢になるのが昔のスケバン風(ケンカの前の構えみたいな)でいいね。プロモーション・ビデオの撮影が恥ずかしかったのか、ちょっとぎこちないところが初々しい。

余談がとても多くなってしまい、大した事は書いてない気がするけど、今日はこんなところだね。
日本でも90年代にFloozy Drippy’sとか、ちゃんとしたロッキン・ガールズ・バンドがいたんだけど、動いてる映像がなかったので今回は割愛したよ。

ロカビリーやサイコビリーっぽいメイクや服装、髪型などは面白いと注目される事があっても、肝心の音楽の方はあまり興味を持たれないジャンル。それを広めたいなどとも思わないけど、たまたま思いついたので書いてみたよ。

それではまた、ヂス レヴィード(エスペラント語で「さようなら」)。

Naonシャッフル 第4夜

【エフェクトかけ過ぎの鬱陶しいプロモ映像をROCKHURRAHが作成】

ROCKHURRAH WROTE:

3年以上更新してなかったシリーズ企画「Naonシャッフル」を実に久々に書いてみよう。前回の「第3夜」にも

何とこの「Naonシャッフル」のシリーズも一年も書いてなかった事に気付いてしまった。

などと書いていたな。トホホ。

シリーズ名だけでは何なのかさっぱりわからんだろうが、簡単に言えばロックをやってる女性特集(ウチの場合は70年代から80年代のパンクやニュー・ウェイブに限定する)というような記事を思いつきで書いたのが始まり。

今どき現実にナオンなんて言葉使ってる人がいるのかどうかは不明だけど、XTC初期の名曲をパクってつけたシリーズ名だけはなかなか良し(笑)。
読みなおしてみると第1夜はニュー・ウェイブ初期に隆盛を誇ったスティッフ・レーベルの二人の歌姫特集。
第2夜は70年代リヴァプールからパンク、ニュー・ウェイブ初期にたくさんの遺産を遺したデフ・スクール&ビッグ・イン・ジャパンの歌姫特集。
第3夜はポジティブ・パンク、ゴシック方面で活躍した歌姫特集。
うんうん、さすがにROCKHURRAHらしい独自のセレクトで今どき誰も言及してないようなバンドにばかり焦点を当ててる。この微妙なバランス感がいいね(自画自賛)。

さて、今夜は何を特集してみっか?などと考えたが実は記事がアップされるのがおそらく朝か昼間。 全然ライブ的ムードも何もないんだけどね。
考えてみれば大好きだったROBINが解散して以来、ほとんどライブにも出かけてないし、19時過ぎて外にいることがないというアットホームな生活をしてるな(笑)。
かつて京都にいた頃は深夜4時に帰宅という仕事をしてたのになあ。

今回はROCKHURRAHには珍しく日本のパンク、ニュー・ウェイブ初期を飾った歌姫特集にしてみよう。

日本のパンクとかニュー・ウェイブの歴史について語るつもりは毛頭ないが、そもそも日本パンクの先駆けと称される「東京ロッカーズ」周辺のバンドが盛んだった頃のROCKHURRAHはまだ地元、北九州の住人だった。とても見てきたようには書けまっせん。
かなりヒネた自信過剰少年だったのでどうせ「俺の方がずっとパンクやけん(小倉弁)」などといきがってたに違いないよ。

日本の場合はストレートでストロングなパンクよりも、鬱屈したノイズやアヴァンギャルド、そしてテクノ系の方がずっと早く発達したという印象を持つ。今じゃなくて一番最初の時代ね。
英米からのパンクの伝来が遅れた分、リアルタイムで訪れたニュー・ウェイブと時期的に一緒になってしまった、と推察してみたが実際はどうなんだろう。
あるいは日本の住宅事情で、大声を出して歌うのも大音量で楽器をかき鳴らすのも、狭いスタジオ内くらいしか自由に練習出来ないというのも、バンドにとっては不利だったかも。ノイズやテクノだったら部屋で一人で作れるようなタイプもなくはないからね。

ROCKHURRAHもパンクのレコードを本格的に集める前の時代にペル・ユビュとかスロッビング・グリッスルとかディス・ヒートとか聴いてたし、その辺に影響を受けて短波ラジオから謎の国の放送を多重録音して、音のコラージュとか作ってたもんな。
兄が8トラックのミキサーを持ってたのに使い方がわからなくて、自分ではダブルデッキによるローファイな重ね録り(音質が非常に悪くなる)とかやってたのが懐かしい。リズムマシーンなんて持ってなかったからカシオのワンキーボード使ってバッキングの音にしてね。
何年後かにドイツのトリオがこの楽器を使ってヒットした時も「こっちの方が早かったのになあ」などと思って舌打ちしたよ。
え?個人的な思い出話なんてどうでもいい?

話を無理やり戻す(しかも上の前フリとは全然関係ない)が、割とインターナショナルな経歴の元祖ニュー・ウェイブ女性シンガーだったのがこのPhewだった。
ソロになる前はAunt Sallyというバンドをやってたな。
「ロックマガジン」の阿木譲が設立した伝説のヴァニティ・レコードよりリリースされたのが1979年の事。オリジナル盤は500枚しか出てなくて、今だったら名前検索してスチャ(マウスクリックする音)で曲を聴く事が出来るが、この当時は知ってる人も少なかったし、レコード所有者も周りにはいなかったな。
84年くらいに確か再発して、これでやっと音源を手に入れた人も多かったことだろう。

メンバーのうち3人が女性という編成、まあ多数決でガールズ・バンドと言っても差し支えなかろう。
斜めにかぶったベレー帽がトレードマークで、そういう写真が音楽雑誌の広告に載ってたから、ROCKHURRAHはどうせ美大生か何かのアート気取りシンガーだと勝手に思っていた。ベレー帽=絵描きさん=美大生という単純回路による連想なんだけど、そもそもこの発想が古いか?
事情通じゃないからPhew個人の事については何も知らないけど、音楽は聴いたというだけの通りすがりに過ぎない。

同時代には世界各国で女性によるニュー・ウェイブ・バンドもぼちぼち出てはいたが、ブレない、媚びない姿勢でひとりよがりの四畳半インディーズとは一味違ったものを作っていたのが見事。
曲によっては「暗い70年代・暗い日本」といった雰囲気も引きずっているが、この曲「すべて売り物」などはまるで和製リチャード・ヘル&ヴォイドイスみたいで文句なくカッコイイ。途中の何だかわからん「がなり声」みたいな部分も外人はよくやるが、この時代の日本のバンドでは珍しい気がする。
「日本語でこういうことやったら恥ずかしいんじゃないか」と思う以前に、原初の衝動で突き進んでいたんだろうな。
病的と言うよりは病気のような歌「フランクに」もすごい歌詞。

物を拾えば吐き気がするし
廊下を歩けば立ちくらみ
鏡を見ると耳鳴りするし
静かになるとノイローゼ気味
地下鉄乗ると気が遠くなる
紅茶を運ぶと不整脈

Aunt Sallyは当時では知る人ぞ知るようなバンドだったが、その後Phewはソロになり、これまた伝説のPASSレコードから坂本龍一との共作を発表したり、ドイツの偉大なプロデューサー、コニー・プランク+CANのメンバーという豪華アーティストがバックを務めるアルバムを出したり、大物との共演が目立つアーティストとなる。
エクスペリメンタル・ミュージック+日本の暗い歌といった路線で、この後の女性ヴォーカリストの多くに影響を与えたに違いない。

インターナショナルな経歴というと忘れちゃならないのがこのIkue Moriだろう。
イギリスでパンク・ロックが盛んになったのが1977年だが、アメリカのニューヨークではその頃はすでにパンク以降の音楽が沸き起こっていて、 音楽も人種もるつぼのような状態。などと見てきたように書いてみた。

ストレートなパンクやロックと前衛的で実験性に富んだ音楽が同じようなシーンでごっちゃになってて、ニューヨーク・パンクに対してNo Waveなどと呼ばれていたな。
そういった一派の音楽をひとまとめにして「No New York」というコンピレーション・アルバムがブライアン・イーノによって編纂されたのが1978年の事。
ジェームス・チャンス&コントーションズ、MARS、リディア・ランチがやっていたティーンエイジ・ジーザス&ザ・ジャークス、そしてDNAという4バンドによるオムニバスなんだけど、これが当時の一般的なロックとはかけ離れたノイジーでヒステリックな実験音楽の見本市みたいなシロモノ。

DNAは実験的でグチャグチャな奏法を会得したメガネ・ギタリスト、アート・リンゼイによるバンドだ。コードだのリフだのギター・ソロだのという従来のロック的ギターとは無縁の、何だかよくわからない「かき鳴らし」みたいな音が特徴。
アート・リンゼイに限らずこの系列のバンドはみんなそういう感じなんだけど、誰が最初に始めたんだろうね。
そのDNAのドラムが日本人でしかも女性というのに驚いたけど、Ikue Moriは渡米していきなりドラムも素人のままアート・リンゼイにスカウトされて、すぐにレコード・デビューも出来てしまったという稀な例だろう。舞台がアンダーグラウンドな世界であっても、これは快挙だったに違いない。それ以前に海外で活躍した日本のアーティストなんて個人的にはCANのダモ鈴木くらいしか思い浮かばないからね。

人と違う事をやって、それが誰かに認められてチャンスが舞い込んで来る。
パンクの時代は誰でもそう考えたし、実際に楽器を手に取って何かすればどこかの世界に居場所が見つかるような気がしてた。
ROCKHURRAHにとっては理想的な生き方なんだけど、残念ながら自分ではそういう生き方をしなくて、今頃になって後悔してるよ。何であの頃に世に出るような事が出来なかったんだろうなあ、と。もっと行動力があれば人生も変わってたかも知れないね。
え?それ以前に才能がなかった?

Ikue Moriはその後もアメリカに居続けてジョン・ゾーンやフレッド・フリス、ロバート・クイン、キム・ゴードンなどなど数多くの著名なミュージシャンと共演して、自分のソロ活動も続けているが、上の映像は一番若気の至りで輝いていた頃、DNAのライブより選んでみた。トンガッてるね(死語)。
一般的な音楽好きの人からすれば頭おかしい人にしか見えないアート・リンゼイのパフォーマンス、ベースはペル・ユビュの初期メンバーだったティム・ライトか?。その後ろで部族のタイコのような音をクールに叩いてるのがIkue Moriの勇姿。よくこの二人に合わせていられるよ。

割とシリアスなのが続いたから色物系もひとつ選んでみるか。
こちらもインターナショナルなフランク・チキンズ。
1970年代最後の首相だった大平総理の姪だという東大卒のインテリ、ホーキ・カズコを中心にロンドンで結成。今で言うところのDAIGOみたいな経歴か?
1983年に「We Are Ninja」という曲で突如人気となり、日本に輸入という形で紹介されたのがフランク・チキンズだ。
外人でも知ってるスシ、フジヤマ、ゲイシャ、ニンジャなどをモチーフにして海外で大人気、と書けば今の時代だったら「ありきたり」のひとことで済ませられるだろうが、それを体当たりで本気でやって日本をデフォルメした例がこれ以前には(強いて言えばYMOが先駆者なんだろうけど)たぶんなかったんじゃない?

やらない人間はバカらしいとかあまり面白くないとか、何とでも言えるが、海外でちゃんと受けた日本のパフォーマーだった事実は間違いない。
前のイクエ・モリにしろこのホーキ・カズコにしろ、とにかく深く考えずにまず海外に行って、そこから成り行きでバンドを始めただけ、という気軽さが逆に良かったのかも。

「フジヤマ・ママ」はロカビリーの女王、ワンダ・ジャクソンの曲。
ROCKHURRAHの世代ではパール・ハーバーがカヴァーしていてクラッシュの来日公演で一緒に歌っていたのが有名かな。
フランク・チキンズはこれをいかにも80年代風にやってるが、なぜか最後の方が「小原庄助さん、何で身上つぶした、朝寝朝酒朝湯が大好きで」という「会津磐梯山」の民謡になっているという妙なミクスチャー路線。外人には意味不明だろうが今どきは日本人でも知らない人が多い歌だろうな。
他にも木更津が誇る童謡「証城寺の狸囃子」や千葉のチンピラを歌った曲などもあり、和洋折衷の極みだね。

さて、今回のラストはこれまたインターナショナルな活躍をしていたThe 5.6.7.8’sだ。ある程度の年齢の人ならば思い出すに違いない「イカ天」出身のガールズ・ガレージ・ロックンロール・バンドだ。
60年代からある音楽のジャンルなのでガレージについて書いていたらキリがないし、特に詳しいわけじゃないが、ギャンギャンに歪ませたファズ・ギターとかトレモロの効いたギュンギュンな音とか、そういうので奏でる古風なロックンロールというのがひとつのスタイルだろう。
え?その擬音じゃわからない?

今どきはそんな練習あまりしないと思えるが、大昔はロックギターの基本と言ったらブルースかロックンロールか、要するにこの手のスリー・コードを延々と弾き続けてそこに自分なりのソロを展開してゆくという手法でROCKHURRAHはギターに慣れていったよ。

この手の音楽は歌なしのインストも多いし、ただ演奏だけしてても観客がつまらんから・・・という理由かどうかは全然わからないが、なぜかガールズ進出率が非常に高いジャンルなんだよね。絵的にという意味ね。現実にいるかどうかは全く不明だが、豹柄の原始人ガールみたいな衣装のこわもてお姉さんが3ピースでやってるバンドとかがガールズ・ガレージ・バンドの一般的なイメージだと思われる。ん?偏見ありすぎ?

The 5.6.7.8’sはそこまでキワモノではなくて割と正統派でオースドックス、演奏も見た目も健全な印象がある。彼女たちがイカ天以外で最も良く知られているのはクエンティン・タランティーノの映画「キル・ビル」での演奏シーンだろう。90年代には既に海外でもツアーをしていたバンドだったが、タランティーノが知ったのはたぶん偶然だったらしいので、これは降って湧いたかのようなチャンスだったんだろう。音楽を使われるだけじゃなくて演奏シーンの出演だからね。
世間が知らないところで「チッ、あたいの方が」と舌打ちしたガールズ・ガレージ・バンドも数多く存在してるに違いないよ。

書き始めた時は「インターナショナルな活躍をした」などという括りは全然考えてなかったけど、二人目のイクエ・モリを書いた時点でなぜかそういう方向に傾いてしまったの図。相変わらず竜頭蛇尾で構成力のない文章だな。
また出直してきます。
それではDo videnia(スロバキア語でさようなら)

Naonシャッフル 第3夜

【本文には書ききれなかったゴシック娘(当時)たち】
ROCKHURRAH WROTE:

何とこの「Naonシャッフル」のシリーズも一年も書いてなかった事に気付いてしまった。企画考えるのに力を使い果たして、その後はどうでも良くなるのがお家芸というわけか? しかも「飽き」が書いてる途中で訪れて後半がだんだんぞんざいになってゆくのもROCKHURRAHの得意技。いかに勢いだけで書いてるかって事だね。

そんなわけで久々に「 Naonシャッフル」の記事でも書いてみるか。
世の中にユニークな音楽をやっている(あるいはやっていた)女性アーティストはたくさん存在していたが、そういう究極を目指す記事ではなくて、単にたまたま思いついたものを連ねてゆくだけというのがこのシリーズのスタイルだ。だからむしろ一般的には何の変哲もないバンドやあまり取り柄のないバンドも混じっているだろうけど、そっちの方が後世に残った音楽よりも知る機会も思い出す機会も少ないのは確か。
そう考えるとちょっとは80年代ニュー・ウェイブの歴史学(そんな学問あるのか?)に貢献してるに違いないし、誰かが少しでもこの記事に興味を持ってくれればそれでいいのだ。

今日の括りは何だかわからんが、翳りのある曲調を得意とするバンド達について。なぜだかパンク、ニュー・ウェイブの時代と言えば明るくてキャピキャピ(たぶん完璧なる死語)女のバンドよりもこういう暗めの路線の方が目立っていたし個人的に記憶に残っているものが多い。気のせいかな?

この手の音楽を世間的にはポジティブ・パンクとかゴシックとかダーク・サイケとか呼んでいた時代があった。これについては格別詳しい事も書いてはいないが拙作記事「時に忘れられた人々【04】Positive Punk」に少し書いたか?

元祖とも言えるスージー&ザ・バンシーズは1978年頃のデビュー直後からすでにダークに沈み込む曲調でそういう音楽のルーツと言えるが、ポジティブ・パンクが栄えたのは大体1982年くらいから1985年くらいの期間だった。まだそういう名称は付けられてなくても、潜在的には1979年くらいから同じ傾向のバンドは存在していた。
すぐに新しい流行りが生まれてあっという間に廃れてゆく80年代ニュー・ウェイブの中では6年という月日はかなりの長期間であり、いかにイギリスの若者がこの手の音楽を支持していたかという証でもある。表でエレポップ(テクノ・ポップ)とかニュー・ロマンティックとかファンカ・ラティーナとか流行ってた裏側ではこういう音楽が脈々と受け継がれてきたわけだ。
この時代のイギリスに行ったわけでもないROCKHURRAHだが、日本で細々と陰鬱な音楽を買い漁っていた情景を思い出しながら書いてみよう。

Skeletal Family

イギリス北部、ヨークシャー出身のスケルタル・ファミリーは1982年にデビューしたバンドだ。バンド名はデヴィッド・ボウイの異様な名曲「永遠に周り続ける骸骨家族の歌」が由来との事。
ヨークシャーと聞いてROCKHURRAHが即座に思い出すのはビル・ネルソンのバンド、ビー・バップ・デラックスだが、単に同郷なだけで全然関係ない話。書く必要性は全くなかったな。
どうやら鉱山とか工業とかで栄えた土地らしいが、だだっ広い野原が広がってるという勝手な印象がある。プロモの背景もそんな感じだし。
アン・マリー・ハーストという女性ヴォーカルをメインに成り立っていたバンドだが、この人以外の男メンバーは地味で特徴があまりないなあ。紅一点のアン・マリーは赤い髪をちょいとモヒカン風にした、ケバいと言えばそうだが、もっとすごいのがウヨウヨいたこの時代としては割と普通で際立った個性はないかも。やってる音楽はスージー&ザ・バンシーズ直系の暗くて直線的、割と雑な楽曲が多いけど同時代のネオ・サイケとかよりは攻撃的で、やはりポジパンの部類に入るんだろう。
このビデオで注目すべきはやはりアン・マリーのヴォーカル、というよりは「困ったような、泣いたような、でも笑ったような」表情。日本の能とか狂言の世界ではこういう微妙な表現が重要な要素らしいが、まさか遠く離れた英国で相通じるものを見つけるとは。
もしかしたらスッピンは単なるタレ目なだけかも知れないが、この表情だけは素晴らしい個性だと思うよ。曲もWah!のピート・ワイリーのようなギターで(というか「Seven Minutes To Midnight」のパクリのように聴こえる)なかなか良し。

Ghost Dance

ポジパンもこの時代の音楽も疎いという人が見れば「上のバンドと全然区別つかないよ」という意見が出そうだが、ROCKHURRAHにもあまり区別はついておらぬから心配せずとも良い(笑)。
ゴースト・ダンスは上のスケルタル・ファミリーのアン・マリーが元シスターズ・オブ・マーシーのゲイリー・マークスと共に始めたバンドで、1985年にデビューした。この時期が微妙で、すでに意外と長く続いたポジパンもダーク・サイケも終わろうかという頃。 だからなのか知らないが、このゴースト・ダンスよりもポジパン真っ只中だったスケルタル・ファミリーの方が個人的な好みには合ってる。
こちらの方が成功したようで楽曲もさすがシスターズ・オブ・マーシーのオリジナル・メンバーがやってるだけあってスケールがでかい、音楽的な完成度も高いんだろうけどね。ネタ切れというわけでもなかろうが、ヤードバーズやスージー・クアトロ、ロキシー・ミュージックなどのカヴァー曲も目立つ。
問題のアン・マリーはスケルタル・ファミリー時代と比べて特別な変化もなく、ずっと同じスタイルのまんまだね。演奏が変わっただけじゃ揺らぎもしないという強い個性のわけでもないのに、相変わらず何とも言えない表情(切ないけど笑ってるようにも見える)のヴォーカル。ファンにとってはそこがたまらん魅力なのかも知れないけど「大丈夫?」と思ってしまうよ。

Brigandage

続いては初期パンクの頃から活動をしていたらしいブリガンデージ。日本での知名度はたぶんほとんどないように思えるし、ROCKHURRAHもこのバンドについて知ってる事は少ないけど、とにかくカッコイイし書いてる人も滅多にいないから、アムンゼン(南極に最初にたどり着いた人)状態で書かせて頂こう。
このバンドについて知ったのはポジパン全盛期の頃出ていた「The Whip」というコンピレーション・アルバムに収録されていたから。ブリガンデージは曲も見た目もパンクでポジパン専門のバンドよりは明らかに線も太くアグレッシブな音楽なんだが、ちょうど聴いてた時はポジパン寄りの音楽だった。「The Whip」はセックスギャング・チルドレンやマーク・アーモンドが中心となったポジパンの名盤コンピレーションと言われていた。たぶん結構入手困難だったように記憶する。
ブリガンデージはNMEやFACEなどイギリスの音楽系雑誌とかでポジパン特集やってる時に顔は見かけたもんだが、レコードがバンドの全盛期に出なかったもんだから実際のその音楽についてはあまり知られていなかったというパターンね。
その後、ブリガンデージを探してやっとレコードを入手したんだが、ジャケットがガッカリ仕様だったのだけは覚えてる。先に書いた雑誌に載ってた顔立ちではなく、ちょっとぽっちゃりした顔のぼんやり写真だったから。曲は良くて名盤だと思うんだけど、これをジャケット買いする人間はそうそういないだろうなあ。雑誌で見たのはたぶん初期の頃だと思うけど、かなり派手なヴィジュアルとおしゃれなパンク・ガールといった雰囲気がこのレコード・ジャケットにはなくて「写真で見た時は美人だったけど会ってみたら大した事なかった」という騙された感の漂うものだったなあ。曲はいいんだけど。
なぜかレコードではなくカセットテープでリリースされたような粗悪な音のものまで持ってたけど、その頃にはもうポジパン聴いてなかったんじゃなかろうか?あまり記憶に残ってないんだよな。
このバンドはミッシェル・ブリガンデージという女性が中心になって70年代後半から活動していたらしいが、何と9回もメンバー・チェンジしていて最後の方はいつ頃なのかよくわからん。
ライブ映像見てもらえればわかるけど演奏も歌い方もふてぶてしくて声が良く出てる。かなり場馴れしたバンドだという事がわかるね。特に映像2曲目の「Horsey Horsey」が大好きな曲だ。ライブは違うけどスタジオ盤ではちょっとアコースティックな感じで哀愁ある中東風のフレーズが印象的な名曲だった。この時は普通の金髪だが、最初の頃はモヒカンでもっと過激だった印象がある。
しかし最近のものと違って革パンの股上が異常に深いハイウェスト仕様。80年代は確かにこうだったよねぇ。
この手のバンドを幾多も持ってて(今どきそんな人いるのか?)「もっとパンチのあるヤツが聴きたいよね」などと思ってる人がいたらオススメ出来るので、もし見つけたらROCKHURRAHの言葉を信じて買ってみてね。

Baroque Bordello

続いてはは1981年から活動していたらしいフランスのバンド、バロック・ボールデロだ。
ROCKHURRAHがネオ・サイケとかポジティブ・パンクを聴いていた時代にフランスではオルケストル・ルージュとかレ・プロヴィソワールとか素晴らしいバンドがいて、勝手に「フランス、すごい」と思い、フランス物のニュー・ウェイブばかりを探していた時期があった。このバンドはその頃にタイトル忘れたがフランスのバンドによるカヴァー・ヴァージョンばかりを集めたコンピレーションで知ったもの。このアルバムでピンク・フロイドの初期の名曲「See Emily Play」をカヴァーしていたのが印象的で、ずっと気になっていた。
この時代、フランスにはインヴィタシオン・オゥ・スーサイド(自殺への招待)という暗黒なレコード・レーベルがあって、クリスチャン・デスとか前述のレ・プレヴィソワールとかジャド・ウィオとかなかなかレベルの高い音楽をリリースしていた。が、このバロック・ボールデロはそういう系列とは違っていてガレージ・レーベルというところを中心に活動していた模様。先に書いたカヴァー曲ばかりのコンピレーションもこのレーベルだったように思ったが、バロック・ボールデロのレコードも確か1枚持ってたかな?
正直言って参考文献はフランス語だし時代は古いし、この現代に調べようと思ってもなかなか難しい。昔はネットとかもなかったから。よりいっそう情報を仕入れるのに苦労したもんだ。
つまりこのバンドについてはワガママそうでちょっと怖い見た目の女性ヴォーカルという以外はよくわかってないという事だ。
歌っている動画も見当たらなかったのでどういうバンドなのか不明だろうが、この曲はデビュー曲で元キュアーのローレンス・トルハーストがプロデュースしたそうだ。どこかで聴いたような歌声とメロディで、興味ない人から見れば違いもよくわからんだろうな。顔はワガママそうだが声はそうでもないから、根はいい子に違いない。

Malaria

4つしか書いてないけどあまり違いもないし早くも飽きてきたので、この5つ目で一旦終わるつもりだ。

最後に書くのはポジティブ・パンクとかのジャンルではあまり語られる事がないであろう、ドイツのバンド、マラリアについて。
英語力が極めて低いROCKHURRAHなのでドイツ語力はなおさら、あるはずもない。だからメンバーの名前を見てもどうカタカナ表記していいかわからず途方に暮れてしまう事もしばしば。ノイエ・ドイッチェ・ヴェレの事をなかなか書かない理由のひとつでもあるね。このバンドも「読めん!」と唸ってしまう名前のメンバーばかりで構成されている。
マラリアはドイツのニュー・ウェイブが始まったくらいから活動していたマニアDというバンドを母体とした、全員女性のバンドだ。
このマニアDはニュー・ウェイブ初期のガールズ・バンドと言えば誰もが連想するようなド派手なファッションや髪型で、元ニュー・ウェイブ少女だった(現在の年齢は秘密)方々は写真を見ただけで「懐かしいわぁ」と涙するくらいに80年代そのもののルックスだった。マラリアになってからはカラフルさがなくなり、当時はカラス族などと呼ばれたような漆黒のファッションだった。コム・デ・ギャルソンやニコル、コムサ・デ・モードにY’sなどなど、今はどうか全然知らないが、80年代初期にはみんな真っ黒だったな。とにかく全員がモデル並みのルックスでヴィジュアル的にはドイツでもトップクラス。
おっと、音楽について全く書いてなかったよ。
ノイエ・ドイッチェ・ヴェレとはドイツのニュー・ウェイブの事だが、そのいくつかの有名バンドに関わっていた人材を擁していたのがマラリアだ。何だか具体性がない発言で申し訳ないが、書くと長くなってしまうし横道にそれてしまうのがわかりきってるからテキトーにしか書かないのだ(断言)。
このバンドは本来はDAFのようなエレクトロニクスによる単調なビートにドイツ語の巻き舌ヴォーカルがかぶさってゆくというパターンが多いのかな。たまたま今回紹介したPVの方が上に書いたようなバンドと相通じるだけで、本当は違った感じなので誤解しないように。
ポジパンとかそういう範疇には入らないんだろうけど、ただ暗い曲調を得意としていて、ビデオとかは結構ゴシックな雰囲気を漂わせてるね。

大して面白くもなく興味深い記事でもない割に長々と書いてしまって失礼つかまつった。
この手のバンドを書く時に必ず誰もが言及するだろう4AD系列のコクトー・ツインズとかデッド・カン・ダンスとか見事にすっ飛ばしてるところがROCKHURRAHの王道嫌いを物語っているかも。

最近ブログをあまり書いてないけど、この手の過去ニュー・ウェイブ記事を書かせればまだまだその辺のオタクよりは深遠だね。ではまたこのサイトで会いまちょう。

Naonシャッフル 第2夜

【ROCKHURRAH作の大失敗動画。左右別音声で何だかわけわからんぞ】

ROCKHURRAH WROTE:

大げさに封印する理由なんて何もなかったんだが、何となく難しそうと思って書く事をためらっていた「ロックする女性」特集。
しかし前回このシリーズ企画を書き始めてしまったわけで、企画倒れにならないように少しは続きを書かなければ。
焦点を当てるのは毎回何となくROCKHURRAHが選んだ70〜80年代のロッキン女性たちで、選ぶ基準も対バン相手も好き勝手にしてみたい。
テーマ決めすぎて縛られてしまうパターンが最近多いから、そうなるとたかがブログでも疲れてしまうんだよね。だから少しでも書きにくいと思ったミュージシャンは好きでも書かないつもり。誰でも知ってるメジャー系は難しいかな。 という前置き(言い訳)で第2夜に突入してみよう。

Bette Bright & Jayne Casey

さて、今回はかつて大得意だった80年代リヴァプールの話にしてみよう。
リヴァプールと言ってもビートルズとかじゃないから、勘違いしないようにね。今は大得意とは言えないくらい忘れてるから、記事の内容も鵜呑みにしない方が良かろう(←偉そう)。

1980年代半ばくらいまでに有名バンドを数多く輩出したリヴァプールだが、その元祖的存在が70年代後半のデフ・スクールとビッグ・イン・ジャパンの二つのバンドだ。ベット・ブライトもジェーン・ケーシーもそこの歌姫だったわけだが、一般的にはあまり知られてないに違いない。だからそれを敢えてROCKHURRAHが書いてみましょうというのが今回の趣向。

デフ・スクールは英国のアマチュア・バンド・コンテストみたいなもので優勝してプロになったという経歴を持つリヴァプールのバンドだ。
日本で言えばイカ天出身バンドみたいなものか?
1976年から78年までに3枚のアルバムをリリースしたけど、日本では同時代にはほとんど知名度はなかったかな。

ちょうど英国ではパンク、ニュー・ウェイブが始まった時代なんだが、デフ・スクールはそういう音楽とは少し違う方向性にあったから、時代の波に埋もれてしまった感がある。
その音楽は10CCやロキシー・ミュージック、あるいはキンクスっぽい部分もあるしグラム・ロックのようでもあり、後のニュー・ウェイブにつながる部分もある。ステージやメンバーのイメージを見る限りは「架空のB級ハリウッド・スターによるゴージャスなミュージカル・ショー」といった風情で大人のエンターティンメント満載、まさに極上のモダーン・ミュージックだ。
ただし当時不況の国イギリス、アメリカのショウビズ世界のほど豪華絢爛というわけではなく、どちらかというとキャバレーのドサ回りバンドっぽいという説もあるが。
主要メンバーが8人もいる大所帯バンドであり、後にメンバーもそこそこ成功している。海外ではよくこのバンドの事をRock Legendなどと評しているが、そこまで大げさではないにしろ、マニアを唸らせるだけの人材がよく一堂に会したなあ、と思う。
後に最も出世したのは80年代を代表する有名プロデューサーになったクライブ・ランガーだが、他にもオリジナル・ミラーズのスティーブ・アレン(エンリコ・キャデラックJr.としてデフ・スクールのメイン・ヴォーカリストだった)、プラネッツのスティーブ・リンゼイなど、優れたミュージシャンがこのデフ・スクール出身だ。

そしてやっと核心にたどり着いたよ。今回取り上げたいベット・ブライトはデフ・スクールの紅一点、3人のヴォーカリストのうちの1人だったわけだ。
わざわざくどい説明しなくても話の流れで誰でもわかるか。
50〜60年代の映画を気取った楽曲が多く、彼らの1stアルバム・ジャケットもまるでラブ・ロマンス映画の1シーンのようだった。
エンリコ・キャデラックJr.が主役だとしたらベット・ブライトはヒロイン役といったところか。
絶世の美女というわけではなく、デフ・スクールの画像を調べてみても単なるケバいお姉さん、ヘタしたらおばちゃんっぽくもあるけど、見るたびに違った雰囲気の化粧と衣装で同一人物には見えないかも。
自分の創りあげたイメージをたびたび覆す、と言えば70年代のデヴィッド・ボウイがまさにそうだったわけで、このブライト嬢もそういう路線を目指していたのだろうか?考えてみれば女優も毎回違う役だもんな。

そんなデフ・スクールの70年代当時の動いてる貴重な映像がこれだ。
他の映像は1988年に再結成、同窓会ライブをした時のものか、ごく最近のものばかり。おっさんとおばちゃんになってしまった彼らをあまり見たくないからね。ヒット曲「Taxi」と1stの1曲目であり、個人的に大好きな「What A Way To End It All」の映像はまさに彼らの全盛期のもので、ファンならば大満足間違いなし。
ただしクラーク・ゲーブルみたいなエンリコ・キャデラックがメインでベット・ブライトはこの曲ではコーラス程度であまり写ってないのが残念。しかし塩沢ときのようなド派手なサングラスでインパクトは強いな。
ちなみにデフ・スクールのもう一人の主人公、クライブ・ランガー(ギタリスト)はほとんど写ってないというありさま。ファンならばガッカリ間違いなし。

こちらはベット・ブライトがメイン・ヴォーカルを務める「All Queued Up」、3rdアルバム「English Boys / Working Girls」に収録されている曲だ。
このラスト・アルバムは1stで顕著だった10cc風のヴァラエティ豊かな曲よりはストレートなロックの曲が多く、この曲もその路線。
この後のニュー・ウェイブ時代の女性ロッカーに多大な影響を与えたひとつのスタイルだね。

デフ・スクール解散後、彼女はソロとなり、ベット・ブライト&イルミネーションズを名乗るが、60年代ガールズ・ポップ路線に磨きをかけて、これまた好きな人にはたまらない魅力だろう。
クライブ・ランガー&ボクシズ、ビッグ・イン・ジャパンのイアン・ブロウディ、同郷のヨッツのヘンリー・プリーストマン、元セックス・ピストルズのグレン・マトロック、リッチ・キッズやスキッズ、ヴィサージのラスティ・イーガンなどバック・メンバーも超豪華。
マッドネスのリー・トンプソンもゲストで参加していたな。
マッドネスの「ワン・ステップ・ビヨンド」をプロデュースして大ヒットさせたのもクライブ・ランガーだったから、この関係で知り合ったのかどうかわからないが、私生活でもマッドネスのサッグスと結婚している。
ブライト嬢はピストルズの有名映画「グレイト・ロックンロール・スウィンドル」にも出演しているな。

イルミネーションズの動いてる映像が意外となかったのでこれで我慢するか。
この曲は60年代にReparata And The Delrons(読めん)がヒットさせた曲のカヴァーでエキゾチックな名曲。
バングルスの「エジプシャン」とか思い出すよね。ベット・ブライトはこの他にも数多くカヴァー・ヴァージョンの傑作を残していて、プリンスの「When You Were Mine」やパースエイダーズの「Some Guys Have All The Luck」なども素晴らしい。
後にシンディ・ローパーやロッド・スチュアートがこれらの曲をカヴァーしたが、その元祖と言っても良いくらい。
関係ないがジャケットの衣装もすごいな。ボディコン(死語)の元祖でもあるのか。

デフ・スクール関係は詳しく書けばそれだけでブログ数回分になってしまうのでハードだけど、かなり端折ってしまったな。ディープなファンから怒られるだろうけど、まあこれで許して。

その伝説的なバンド、デフ・スクールよりも少し遅れた1977年にリヴァプールではもう一つの伝説が生まれた。
知ってる人は少ないけど、その筋では超有名バンドと言えるビッグ・イン・ジャパンだ。
日本でビッグ=本国では無名という皮肉な表現だけど、世の中に溢れてる黄色猿は大嫌いだから腹も立たない。
今は便利な時代になってYou Tubeとかでもほぼ全曲彼らの曲を知る事が出来るけど、ニュー・ウェイブ系の入手困難レコードとしても有名な伝説のバンドだ。

このバンドはデフ・スクールよりももっと有名人を輩出していて、ライトニング・シーズを大ヒットさせたイアン・ブロウディ(プロデュース業でもヒット作多い)をはじめ、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドで一世を風靡したホリー・ジョンソンなどもここの出身だ。
その辺の事は大して詳しく載ってないけどウチの販売ページも見てつかあさい。

ビートルズを有名にしたキャバーン・クラブの隣に位置していたというライブ・ハウス、エリックス。
ここを拠点として80’sリヴァプールのバンドがメジャーになっていったんだが、ビッグ・イン・ジャパンもエリックスの名物バンドだった。
デフ・スクールがメジャー・レーベルで3枚もアルバムを残してるのとは逆で、ビッグ・イン・ジャパンはわずかにインディーズから2枚のシングルしか出してなく、知る人ぞ知るバンドという状態だったな。
後に有名になった人が多数在籍していたから伝説と言われてるけど、単に曲だけ聴いたら500円くらいで売っててもおかしくないレコードだろう。
ROCKHURRAHは渋谷のZESTで清水の舞台から飛び降りる思いで6000円くらいしたシングルを買ったものだが、それも今は昔の話。

ジャンルとしてはパンクなんだが、有名ミュージシャン多数・・・の割には非常にチープな演奏でそのB級感覚が魅力と言えるのか。
スージー&バンシーズの曲調とRAWレーベルの絶叫女性ヴォーカル・バンド、シック・シングスあたりを思わせるジェーン・ケーシーの歌声、そして当時のパンク界でもかなりの美女だと思えるのにスキンヘッズ(していた時期もある)で異常なメイク、という派手なスタイルが素晴らしい。
ぶっちゃけた話、同じような感じだったらエラ顔のスージーよりは美人のジェーンの方がいいという男性ファンも多かった事だろう。
このバンドでは優れたミュージシャンであるイアン・ブロウディもビル・ドラモンドもホリー・ジョンソンもたぶん主役ではなく、ジェーン・ケーシーのインパクトあるスタイルに対する評価がほとんどだったという気がする。

ほぼ唯一と言える超貴重映像がこれだ。

この曲は4曲入り2ndシングル「From Y To Z And Never Again」に収録されているが、映像はライブ風景(あるいはプロモ)でも音はかぶせているだけだろう。バンシーズとかシック・シングスとかに似てると書いててこの曲だと全然イメージが違ってくるけど、唯一の動く映像だから仕方ない。
ちなみにこの曲の甲高い声はジェーンではなく(聴けばわかるか、当たり前)、楽器担当の3人がお遊びで作った宅録の模様。
まあしかし映像があっただけでも奇跡的にすごいね。
世はまさにパンク時代真っ只中、という事を全然感じさせないヘナチョコ・メガネ・ギタリストのイアン・ブロウディと生きたバービー(というかマネキン人形みたい)のようなジェーン、そしてこれだけのメンツが同一画面で動いてるのはリヴァプール・マニアとしては感慨深い。
右側二人は何もせず遊んでるだけにしか見えないがギャラ貰えるのか?

ビッグ・イン・ジャパンは短命に終わったバンドだったがその後、ジェーンはピンク・ミリタリーというバンドを始める。
この時はもうパンクではなく、スージー・スーが目指した方向と同じダークな路線となっている。
ダーク・サイケ、ゴシックなどと呼ばれた音楽と似たようなもの。ビッグ・イン・ジャパンの「Taxi」や「Nothing Special」の延長線上なんだけどね。
あのメイクと声だからこれは非常に良く似合っていて、囁くような歌の「I Cry」などは大好きだった。ただし見た目の割には地味な音楽だったから人気なかったのかね、ここでも動く映像は残っておりません。

そしてエレクトロニクスを中心とした音楽に転身していったため、バンド名もピンク・ミリタリーからピンク・インダストリーに改名。
軍隊から工業かあ。どちらも好きな分野だから安易でも許そう。
リヴァプール・シーンで昔からいくつかのバンドで活動していた(ピート・バーンズやホリー・ジョンソンとも旧知の仲)アンブローズ・レイノルズがジェーンのバックを務めている。

ピンク・インダストリーは動いてるプロモもあるんだけど、この曲が好きなので動いてないこちらの方を選んでみた。
エレクトロニクスによる演奏の男女ユニットと言うとユーリズミックスあたりを連想するが、ジェーンの歌声はもっと気怠くて、まるで女版ルー・リードといったゆるさ加減が、好きな人にはたまらない魅力だろう。

+ + + + + + + + + 

以上、80年代リヴァプールを牽引してきたシンボル的女性二人に焦点を当ててみたけど、どうだったかな。
牽引というほど大活躍してないけど、そこはご愛嬌。

何とデフ・スクールは2011年に来日しているそうだし、ピンク・ミリタリーも今年になって活動再開していたらしい。あの時代だからこそ輝いていたんじゃないかと個人的には思うし、やっぱりROCKHURRAH RECORDSとしては80年代をそのまんま現在進行形で切り取ってゆくような姿勢でいたい。

尚、今回は扉の動画が直前まで出来上がらなくて苦戦して、時間切れとなったので「失敗作」のままアップしたけど、許してね。ちゃんと時間ある時にリベンジしてみます。