誰がCOVERやねん7

【コックニー・レベルのカヴァーをリミックス(?)してみた】
ROCKHURRAH WROTE:

ROCKHURRAHにとって2017年、最初のブログ記事になるので、今年もよろしくお願いします。
毎年のように新年には新しいシリーズ記事を始めるけど、もう増えすぎて書いてる本人にもどれがどの企画だったかわからなくなってしまうから、今年は特になしということで従来通り書き進めてゆくよ。

で、久しぶりの更新となるこのシリーズを書いてみようか。
タイトルの由来がわかりにくいので不評だが、内容は単純、カヴァー曲特集に過ぎないのだ。
企画自体はどこにでもありそうなものだが、ウチのブログの場合、ほとんどが70年代パンクと80年代ニュー・ウェイブに関する曲ばかりを選んで聴かせるという姿勢だけが今の時代には珍しいかも。
いいかげんに書いてはいても、この時代の「ある視点」部門の情報については(たぶん)抜きん出てると自負してるので、それだけでウチのサイトも殿堂入り出来るね。

さて、このシリーズ記事を最後に書いたのが2015年の夏だったな。
あの夏と言えば個人的にはエアコン内部に指を突っ込んでひどい怪我をしたのが思い出される。パックリ割れた爪もいつの間にか完治してどこを怪我したのかわからないほどになったが、ひと夏の思い出が骨折寸前の痛みだけなのが情けない。

2016年の年末から今年の正月にかけては、今度は左手の人差し指だけなぜかものすごい洗剤かぶれ(?)になってしまい、やけどの跡みたいに醜い指先。おそらく主婦湿疹みたいなもんだろうが、たかが洗剤の恐ろしさが身に沁みたよ。しかしなぜか左手指先の災難が多いなあ。
ペル・ゆび」などとつまらんダジャレしか出てこないほど不調。

またしても今回の記事とは全く関係ない話に脱線してしまったのでもうさっさと始めることにしよう。
ちなみに単にカヴァー曲を羅列してダラダラ書いておけばいいものを、例えば「あまり数多くのカヴァー曲が存在しないバンドのカヴァーを敢えて選ぶ」とか「カヴァー曲の方が原曲よりも古かった(ウソ)」とか難題に挑みすぎて自滅するパターンが多かった。だから今回もテーマは特になし、自分にとって書きやすいものだけを選ぶ方針にするよ。

マンチェスターを代表する70年代パンク・バンド、バズコックスのたぶん7枚目のシングルがこの曲「Ever Fallen in Love」だ。
ウチのブログでも何度も登場してるからまたまた書くのも面倒なんだが、バズコックスはハワード・ディヴォートというやや不気味な顔立ちと奇妙な髪型、イヤラシく個性的な声のヴォーカリストと、地味な顔立ちでカリスマ性に乏しいがパンク界屈指のメロディ・メーカーであるピート・シェリーの二人を中心にマンチェスターで結成されたパンク・バンドだった。
パンクの超名盤と名高い4曲入りシングル「Spiral Scratch」でデビューして注目されたが、ハワード・ディヴォートはシングルのみですぐに脱退。残ったメンバーがピート・シェリーを中心に築き上げたのがポップで素晴らしいメロディの作品群というわけだ。

パンク・ロックの発生後、それまでアルバムのセールス主体だった時代からシングル盤主体の時代になっていったという見方がある。
これがその当時の真実だったのかは当事者じゃないからハッキリはわからないが、気になるバンドはまずシングルで買ってみて、気に入ったらアルバムを買うというのはまあ当たり前の心理だ。特にロンドン・パンクの時代の若者はみんな貧乏、なけなしの金でシングル盤を買うというのは確かにリアルなものだったろう。アルバム出るまで待ってたらすでに流行遅れというのもあっただろうな。しかもシングル1枚出したっきり消えてしまったパンク・バンドも結構いたから、パンク=シングルというのは時代の流れだったんだろうね。
ん?また文化論っぽくなってしまったが、確かにROCKHURRAHも7インチ・シングルをイヤになるほど集めていたよ。あの中くらいの大きさがいいんだよね。

バズコックスの場合はアルバムももちろん売れたんだろうが、このシングル主体の波に乗って、素晴らしいシングル曲を連発したという印象がある。実際にどれくらいヒットしたとかそういうデータは抜きにしても、少なくとも10枚目くらいのシングルまではパンク好きなら誰でも知ってるような有名な曲ばかりだ。パンクの荒々しい一面はこのバンドにはあまりなく、とにかくポップで覚えやすく、一緒に歌いやすいメロディと単純明快な演奏が際立っていたからね。

前にも何度も書いたが、セックス・ピストルズやクラッシュ、ダムドのように見た目がカッコイイ、ファッションを真似したいという部分がバズコックスには見事に欠落していて、こういう平凡な見た目でスマッシュ・ヒットを連発していた点がすごい。まさに見た目じゃないよハートだよ、聴衆の耳も肥えてたってことだね。
ROCKHURRAHは80年代に渋谷のクアトロでライブを観たんだけど、その時も観客は観るというより聴きに来てるといった感じだったのを思い出す。もはやメンバー全員おっさんになってしまってたけどね。
ビデオのピート・シェリーもパンク・バンドのTV出演とは思えないオフィス・カジュアルみたいな服装で歯がゆいほどスター性に乏しいなあ。このストライプ・シャツが気に入ってるようで「Promises」のプロモでも同じの着てるよ。

そのバズコックスの名曲をカヴァーしたのがこちら、ファイン・ヤング・カニバルズの1986年の作品。

イギリスで1979年くらいから流行ったのがネオ・スカのムーブメントだった。
オリジナルのスカはジャマイカで発生した音楽だったが、それを取り入れてパンクやニュー・ウェイブのフィルターをかけたような音楽がこの時代に誕生した。白人もジャマイカンも仲良く同じバンドをやっていて、そのネオ・スカはレーベルの名前を取って2トーン・スカと呼ばれた。ROCKHURRAHごときが言わなくても誰でも知ってるよね。
スペシャルズ、マッドネス、セレクターの御三家を中心に、ザ・ビート、バッド・マナーズ、ボディ・スナッチャーズなどなど、とにかくブームと言っていいほど流行ったもんだ。音楽だけでなく2トーン系ファッションなるものも生まれて、細身のスーツにポークパイ・ハット、粋でオシャレなスカのファッションはスカを知らないような人にまで受け入れられた。
メンズ・ビギやムッシュ・ニコル、アーストン・ボラージュなど、当時のデザイナーズ・ブランドでも白黒の市松模様が大流行していたもんな。
ROCKHURRAHも市松模様のシャツを着てなぜか秋吉台(山口にある鍾乳洞&カルスト台地)でバヤリース飲んでるという恥ずかしい写真も残ってるよ(笑)。要はこんな地方都市でも流行ってたと言いたかっただけ。

そのネオ・スカのムーブメントの中で、最初のうちだけ2トーン・レーベルから出して、その後は別のレーベルに行ったのがザ・ビート(イングリッシュ・ビート)だった。まあレーベルが違うだけでやってる事はネオ・スカには違いないけど、ザ・ビートも名曲を数多く残してるグレイトな(ROCKHURRAHに似合わぬ言い回し)バンドだね。「Jeanette」などは個人的に今でも愛聴してるよ。

ザ・ビートの解散後、二人の白人メンバーが結成したのがファイン・ヤング・カニバルズ、この二人につり目のちょっと不気味な黒人ヴォーカリストを加えた三人編成だった。
彼らはこのつり目の男、日本だったら絶対ヤンキーだと思われるローランド・ギフトの見た目からは想像出来ないファルセット(裏声みたいな高音)のヴォーカルを武器に、スカよりももっと万人受けするポップな曲を次々とヒットチャートに送り込んで人気バンドになっていった。1989年には2曲も全米1位に輝いてるからスカ時代よりも遥かにビッグネームになっていたわけだ。

このバズコックスのカヴァーはその大ヒットよりも前の時代、1986年のもの。
パンクやニュー・ウェイブの時代は敢えて異種の音楽を自分なりにカヴァーするという試みが多かったが、これもその一種なんだろうね。
「Great Rock’n’Roll Swindle」の中でピストルズの曲をシャンソン風とかファンク/ディスコ調でカヴァーするとかそういう先駆者がすでにいるから格別に驚きもしないけど、知ってる曲と同じタイトルだとどうしても一度は聴いてみたくなるのがファン心理というもの。
原曲を超えたカヴァーというのは滅多に存在しないから不毛な試みではあるんだろうけど、やってみたくなるミュージシャンの心理もよくわかる。あとは聴いてみて聴衆が決めればいいよ。
何じゃこのいいかげんなくせに偉そうな発言は?

パンクやニュー・ウェイブの発生に直接的な影響を与えたバンドとしてあまり名前が挙がらないが、ROCKHURRAHとしてはこのバンド、スティーブ・ハーリィ&コックニー・レベルの事をとても重要視している。
この記事でもROCKHURRAHのルーツとも言える一人、スティーブ・ハーリィ愛は語られてるが、またまた同じような事を違う記事で書いてしまう。まあ趣味の範囲が非常に狭いんだろうな。
そこでも書いたようにコックニー・レベルはグラム・ロックの時代にデビューして、他のバンドがあまりやらないような路線に活路を見出した一風変わり者のロック・バンドだ。
ボブ・ディランやその時代のフォークソングのような字余りの歌をコックニー訛りの強烈な歌声に乗せて、しかし演奏はクラシカルな要素や大道芸、ジンタのようだったり、ブリティッシュ・ロックの中でも奇妙な部類に入る音楽だった。
3rdアルバムで確執のあったメンバーを一新して演奏は随分健全でポップな感じになったが、ハーリィのヴォーカルは一貫して破壊的で危うい均衡を保ったまま、王道のような曲をやってたのがすごい。彼らのライブを聴けばわかるように歌の崩し方、破綻の仕方が絶妙なんだよね。

そのコックニー・レベル最大のヒット曲がある程度の年代のイギリス人だったら誰でも知ってるこの曲、1975年の全英1位に輝いた「Make Me Smile」だ。邦題は「やさしくスマイル」などとラブソング風なタイトルになっているが、実は解雇した元メンバーを呪った曲というギャップが激しい名曲。
スティーブ・ハーリィのTV出演映像は割と残ってるが、ガム噛んでたりレコードと全然違うアレンジでファンをビックリさせたり、不敵なのかリラックスしすぎなのかよくわからんものが多くて見逃せない。
今回のは裸にファーのジャケットというよく見るヴァージョンだが、この歌声と表情はいつ見ても素晴らしい表現力だと思う。好きなバンドだから何を書いても褒め言葉ばかりになってしまうが、まあそれは誰にでもある事だから許してね。
最近も過去の栄光で老体ライブをやってるようだが、この70年代のコックニー・レベルを生で観たかったなあ。

とにかくコックニー・レベルの代名詞と言える代表曲だから、カヴァーの数もそれなりに存在している。カヴァーしてる方のバンドにどうでもいいようなのも多数だが、同時代にはスージー・クアトロ、80年代にはデュラン・デュランやウェディング・プレゼントがやったものなどは割と有名かな。そんな中で今回選んだのがこのイレイジャーの2003年作のヴァージョンだ。

80年代のエレクトロニクス・ポップやシンセポップ、テクノ・ポップと呼ばれた音楽を聴いた人だったら誰でも知ってるデペッシュ・モード、その初期メンバーで81年に早くも脱退したのがヴィンス・クラークだった。まあデビュー当時は全員かわいい系の好青年揃いだったけど、ヴィンス・クラークだけはやや不気味な見た目だったからな。え?関係ない?

その後太めの女性低音ヴォーカリスト、アリソン・モイエ(80年代的にはモエットと読んでたな)と二人でヤズーを結成して、デペッシュ・モードを凌ぐ人気を得たのだが、人気絶頂の頃は前髪だけフサフサの坊主、モヒカンの一種みたいな髪型しててますます奇怪な感じだった。ファンには申し訳ないが表情や顔が不吉に見えて仕方ないんだよね。
そのヤズーも短い期間で解散、今度は元アンダートーンズの高音ヴォーカリストだったフィアガル・シャーキーを仲間にしてアセンブリーを始めるが、これまた短い活動期間でやめてしまう。
飽きっぽいのかな?しかも低音が好きなのか高音が好きなのかよくわからん男だな。

その後やっと、ずっと活動を続けられる相方を見つけ、1985年からアンディ・ベルと共にイレイジャーとして落ち着いている。
男二人の怪しい関係を想像するグループはこの時代から数多く存在していて、ソフト・セル、D.A.F、ペットショップ・ボーイズ、アソシエイツ、ワム!、ティアーズ・フォー・フィアーズ、Jad Wioなどなど・・・。本当は二人組でないけどジャケットなどの写真では二人だけというのも含めてすぐに思い出せないものも多数いるに違いない。中には三人組というツワモノのゲイ・トリオ、ブロンスキー・ビートなんてのもいたなあ。
このイレイジャーもその系譜にある二人組で、ゲイとしては相当に長く続いてる国民的なユニットだが、それだけ支持してるピープルも多いって事だろうね。ヴィンス・クラークの頭もすっかりハゲてしまい時の移り変わりを感じる。

さて、割と絶え間なく作品を出し続けていたイレイジャーのカヴァー曲ばかりを集めたアルバムにこの曲も収録されている。70〜80年代に限定と書いておきながら2003年なんだが、まあ80年代っぽいままずっとやってるからこれでもいいよね。
これまでどうでもいいアレンジのおざなりなカヴァーが多い「Make Me Smile」だったが、これは中でもちゃんと丁寧にカヴァーした感じがしてプロモも陽気でいいね。あぐらで空中散歩、ROCKHURRAHもこんな能力が欲しいよ。

今回はひとつのバンドについて結構長く書いてしまったので少ないけどこれだけで終わる事にしよう。
簡単にひとことコメントとかでやってゆけばいいんだろうが、その辺が不器用というかサービス精神が旺盛というか、常に「はじめて当ブログを読む人に」「音楽があまり詳しくなくても読めるように」という親切な内容を心がけてしまう。優しいんだろうか(←自分で言うか)。

ではまた、アンニョンヒカセヨ(韓国語でさようなら)。

誰がCOVERやねん6

【今回は陽気 VS 陰気で対極なバンド特集】

ROCKHURRAH WROTE:

この「誰がCOVERやねん」という企画はただのカヴァー・ヴァージョン特集ではなくて、1970年代から80年代のパンクやニュー・ウェイブにまつわるカヴァー曲だけを独自のセレクトで紹介(というほど詳しくは書いてないが)してゆくというもの。
元歌、またはやっているアーティストのどちらかに興味ない場合はいかに優れたカヴァーでも書かない方針なので、ROCKHURRAHの偏った好みだけで展開してゆく。
今まで書いた傾向はメジャーで誰でも知ってる曲よりも、知る人ぞ知る音楽に焦点を当てているのが特徴かな?ヘタしたら元歌のバンドもカヴァーやってるバンドもどちらも一般的でなかったりするから、読む人を限定する特集なのは間違いないな。もっとマニアックな人は世の中にゴマンといるだろうけど、読んで少しでもウチの路線を理解していただけたらありがたいな。

前回まではまずカヴァー曲を提示しておいて、それの元歌はこれなんだよという配置の仕方だったけど、今回からは先にオリジナル、次にカヴァー曲という構成でゆきたい。いや、誰も気付いてなかったと思うし別に大差ないのはわかってるけど。

テッズ=テディボーイは50年代のロンドンで流行した不良のスタイルで丈の長いテッズ・ジャケットに細身のパンツ、ラバーソールの厚底靴、そしてリーゼントの髪型などが特色だった。
アメリカ発祥のロカビリーとも似たようなものだが、ダボッとしたズートパンツに開襟シャツが主流だったロカビリーに対して、テッズの方はもう少しスリムな印象があるな。
生き様としてもファッションとしてもピシっとスジが通った魅力に溢れてて、個人的には大好きな部類。
人によっては大嫌いな部類かも知れないが、それはどんなムーブメントでも一緒。
セックス・ピストルズのマネージャーだったマルコム・マクラーレンも元々はテッズ畑の出身だった、という事からもわかる通り、ファッションの世界でも札付き、じゃなかったお墨付きの不良カルチャーだったわけだ。
その後も多くのデザイナーを魅了してテッズっぽいデザインの服はある程度の周期でリバイバルしているな。
ロッカーズはテッズのようなシティボーイ(死語)じゃなくてトライアンフなどのバイクに乗ってかっ飛ばす集団ね。
革の上下キメキメで魅了はされるけど、バイクに乗ってなければやはり決まらない。
趣味とライフスタイルの全てがそうじゃないと真似出来ない点でテッズよりも難しいと思える。

テンポール・テューダーは1970年代のパンクの頃に活動していたバンドでパンクとテッズ、ロッカーズ風味を融合させて、そこにスコットランド民謡風の勇壮なメロディをうまくミックスさせた個性的なスタイルを作り上げた。
元々はパンクやモッズとテッズ、ロッカーズは敵同士なんだけど、まあ固い事言わずに仲良くしましょうや。
モロにテッズ要素満載なわけではなく、メンバーの髪型やルックス、そして音楽性に垣間見えてるところが「時代に合ってた」ということになるんだろうな。
彼らのもう一つの特色は中世の鎧甲冑の騎士や海賊、三銃士などなど、華麗に時代がかった衣装をジャケット写真に使用してプロモーションもそういう装束で行っているコスプレ・バンドだったこと。
別にこの格好で演奏するわけじゃないが、同時代に大ヒットしたアダム&ジ・アンツの海賊ファッションなどと比べると知名度が低い。もっと注目されても良かったのではないかと思うよ。

俳優、コメディアンとしても活動していたエドワード・テューダーポールはセックス・ピストルズの映画「グレート・ロックンロール・スウィンドル」の中で映画館の受付役(掃除人?)として出演、映画のサントラでも何曲か入っていて注目はされたものの、アルバム・デビューが遅くてパンクも過ぎ去った頃になってしまったのがやや不遇だったかな。
アレックス・コックスの「ストレート・トゥ・ヘル」でもジョー・ストラマーやポーグスと共演。
「そうそうたる人々と共演したで賞」を与えたくなってしまう逸材なのに日本ではあまり知名度がないなあ。

この曲「Swords Of A Thousand Men」はそんなテンポール・テューダーの魅力が満載のヒット曲で、PVもROCKHURRAHが書いた通り派手な身振りの騎士姿。
前にウチのこの記事でも書いた名曲「Wunderbar」と共にみんなで大合唱出来る壮大で陽気な曲だね。
テューダーポールのこれでもか、という派手なオーバーアクションもすごいけどギターのモミアゲ男の「濃さ」も負けてないね。男気ムンムン。

そんなテンポール・テューダーの名曲をカヴァーしたのがこれ、ミッドナイターズというバンドだ。
1980年代後半のサイコビリー系バンドでかなりマイナーな存在だとは思えるが、なぜかこのレコード・ジャケットも覚えてるしカセットテープ(古っ!・・・)にも「Easy Money」とか録音して聴いてたような記憶があるが、バンドの印象はすっかり記憶にない。
サイコビリーの中でも特にアクの強いバンドばかりを好んで聴いていたから、この手の軽快な演奏は敬遠していたかも。
元々テッズっぽい要素もあるテンポール・テューダーの曲をネオロカ、あるいはサイコビリーでカヴァーというのはある意味当たり前の発想なので、飛躍がないのは書いてる本人にも痛いほどわかってるよ。まあ見逃してやってね。
しかし、ミッドナイターズというバンドが他にもあるようで、しかもそっちの方が遥かに立派なようで、この見栄えのしないトリオは検索でもほとんど出てこない。
バンド名つける時に「同じバンド名だ」とか気付かなかったものかねえ?
出だしからしてすでに間違っとるよ。

ROCKHURRAHの書くブログ記事では何度も登場していて「またかよ」と言われそうなジャンルが1980年代初頭に流行ったポジティブ・パンク、略してポジパンというムーブメントだ。
ウチでも大昔に記事でまとめたこともありましたなあ。
ウィキペディアでゴシックについて調べてたら、ゴシック趣味の音楽についてウチの書いてる事と同じような事が書かれてたからビックリ。こんな一文を真似て書くほど落ちぶれてないROCKHURRAHだが、ウチの駄文を真似るほど落ちぶれた人間もいるとも思えない。
うーむ、偶然にも列記してるバンド名まで一致した、などという奇跡な解釈でよろしいのかな?

ポジパンの大まかな定義とかは上のリンクを参照すれば、割とうまいこと書いてると自画自賛出来る力作(ブログ記事が)。
いやあ、ROCKHURRAHのブログ、タメになるなあ。

そのムーブメントの一番最後に登場した大物がこのシスターズ・オブ・マーシーだ。
ジョイ・ディヴィジョンやバウハウスによって確立した「何かわからんけど暗くて重苦しいロック」という不明瞭なジャンルを踏襲したバンド達が幾多も存在したが、そのトドメとも言える重苦しいヴォーカルが衝撃的だった。
この重低音ヴォーカリストのアンドリュー・エルドリッチを中心に80年代初頭に英国、リーズで結成。
ポジパンが一番旬の時代だったのが1982年くらいだから、その時にはすでに存在していたはずなんだが、当時は細々とシングル出してたけど日本ではまだ無名だった。

シスターズは多くのポジパンのバンドがやってたような白塗り化粧とかホラー映画風のメイクとは無縁のルックスで、長髪にレイバンの大きなサングラス、丈の長い黒っぽいコートにつばの広い帽子というような格好だったから、通常の意味でのポジパンっぽいところはなく、そういうシーンの中では浮上して来なかったんだろうかな?
ただしゴシックという幅広い意味では見事に一致してて、ゆえに「ゴスの帝王」などと呼ばれていた。
音楽も見た目も雰囲気も真似したくなる要素に溢れてて、フォロワーも多かったな。

本人はゴシックなどという言葉が大嫌いと明言していて、ポジパンやゴシックなどというムーブメントとは距離を置いていたらしいが、近い方向性なのは間違いない。
ドクター・アバランシェと名付けられたドラム・マシーンによる無機質なビートに繊細なギター・サウンド、そしてくぐもった低い声が特徴的な音楽はジョイ・ディヴィジョン=イアン・カーティスと共に「押し殺した声のヴォーカリスト」2大巨匠だと言える。

彼らは自身のレーベル、マーシフル・リリースより出したシングルをインディ・チャートに数多くランクインさせて、1985年にアルバム・デビューした。
「マーシーの合言葉」という意味不明の邦題で日本でもリリースされたが売れたんだろうか?

すでに大半のポジパンのバンドは過ぎ去っており、そういう路線での生き残りは難しかったが、一般的には売れなくても伝説のすごいバンドとしての地位は揺るぎないものだったろう。
しかしかなり偏屈な男として名高いエルドリッチは他のメンバーとうまくいってなく、メジャー・デビューした後にあっさり解散。次のバンドを巡ってイヤな泥沼のような争いを起こしたが、この辺はROCKHURRAHの嫌いなところなので省略。
彼一人さえいればそれがシスターズ・オブ・マーシーという考えのワンマン社長、「派遣は覇権を争うなよ」というのが言い分らしい。

その後も別のメンバーでやってたりはするけどROCKHURRAHが個人的に好きだったのはアルバム当時のシスターズまで。
ポジパン最後のスターだっただけにそのカッコイイ姿が見られるライブ映像も比較的残っている。
この曲「No Time To Cry」は一番最後くらいのリリースで(1985年までの)暗くてもダンサブル、重苦しくても躍動感に溢れてるという名曲。見た目も格好良くて憧れるな。
個人的にエルドリッチの真似して髪を伸ばして黒ずくめだった時代もあったなあ。
今はまた時代が廻って案外遠からずの風貌になってしまったROCKHURRAHだよ。

そんな時代の寵児だったシスターズだからカヴァー・ヴァージョンも多数存在してるだろうと思ったが、当たるのはヘンなバンドばかり。
彼らの良さをひとつも理解してない醜い見世物バンドとか、要するにゴシックの表面だけをなぞって間違えてしまった類いの奴らとか。
実はここまで書いてきて取り上げようと思ってたバンドがそれだったわけで、急遽取り止めにした次第だ。
シスターズ部分に熱を入れて書いたからもう書き直し出来ない、困ったニャーなどと思いながら何とか勘違いではなさそうなのを見つけて来たのがこれ。
特別に気に入ったわけでもないし映像もなくてつまらんが、ないよりマシというレベル。
実は全然知らなくてどうやらフランスのレーベルから出している最近のバンドらしいが、なぜか「特攻花」とか「神風」とか不穏なタイトルのレコード出してるな。
他の曲の曲調も聴いてみたが、まさに80年代、具体的にはエコー&ザ・バニーメンとかウェステッド・ユースとかの正統派ネオ・サイケっぽく感じた。
90年代くらいにもシューゲイザー=靴を見つめる人=うつ向きかげんに観客と目を合わせない内向的バンドというのが多数出たが、その延長線にも見えるな。
タイトルもそうだが日本語のサンプリングみたいなのも入ってて、こちらが聴くとちょっと気恥ずかしい気分もする。

ポスト・パンクみたいな事を今の時代に再現しようと思うとこういう風になってしまうね、というような見本市。
いくら自分が盛り上がってても周りの空気は違うという現実に突き当たる。

ROCKHURRAHは若い世代で今やってるサイトを始めたわけではなくて、ちゃんと熱かったあの時代を知ってるからSNAKEPIPEと二人でも80年代のままで続けてゆけるけど、このバンドはどうだろう?
時代は巡ってくるからまた80年代みたいになるといいんだろうけど、それは本当の80年代ではない。
この辺のギャップに彼らもウチも悩みそう。

今回も意外と長くなってしまったからたった2つのカヴァーのみ、しかもオリジナルに思い入れがあってもカヴァー曲には特に何も感じないというのが続いてしまったね。
また今度別な方角から探ってみよう。

誰がCOVERやねん外伝

【音楽同様にごちゃまぜ感満載、マノ・ネグラのジャケット達】

ROCKHURRAH WROTE:

今まで同じシリーズ記事を立て続けに書いた事なかったんだが、今回は珍しく連続でこのシリーズを書いてみよう。
こないだは「あまりカヴァー・ヴァージョンが存在しない曲(またはアーティスト)」のカヴァーという難しいテーマに挑戦したけど、今回もその延長線となる。
カヴァー・ヴァージョンの曲をテキトーなコメントで紹介するだけという企画自体が安易なので、それくらいの努力はしてみよう。

前にもちょっとだけ書いたがウチでSNAKEPIPEと二人、毎週末に楽しみに観ていたのが海外TVドラマ「ブレイキング・バッド」だった。
アメリカではすでに2013年に放送終了してて、知ってる人から見れば「何を今さら」なドラマなんだが、ウチの場合は去年の後半から毎週末にだけDVDで楽しんでいた。

肺がんにかかってしまった高校の科学教師が、死ぬ前に家族に財産を残すために、教え子と二人でメタンフェタミンという覚せい剤を作り、麻薬の世界でのし上がってゆく、というのがごく簡単なあらすじだ。

科学のプロなもんだから大変に品質の高いメタンフェタミンを作る事が出来て、ブランド化された「ブルーメス」を巡っての複雑なドラマが展開する。
この設定が実にうまく生かされてて観ている者もどんどん深みにハマってゆく。
多くの人がこのドラマに魅せられて色んなところで感想とか書いてるから、SNAKEPIPEもブログ記事は書きにくいと言っていたな。結構な長さのあるドラマだけに本気で感想書いてたらすごく長文になってしまうしね。
感想文が苦手なROCKHURRAHも書けないけど、このドラマの最初の方のエンディング・テーマで2つの懐かしいものを見つけたので、今回はそれについて書きたかっただけ。

この曲の原曲はフランスで1990年代初期に大活躍したマノ・ネグラのもの。
人から勧められて見始めたドラマでいきなり自分の好きだったバンドの曲(カヴァーだが)がかかったのでビックリしてしまったよ。
マノ・ネグラはスペインからの移民、マヌー・チャオを中心にフランスで結成された多民族構成のバンドだ。

19世紀末にスペインのアンダルシア地方でLa Mano Negra(黒い手)というアナーキストの秘密結社があったそうだが、それがこのバンド名の由来となっているのだろうか。
黒手組というのはスペインに限らずセルビアにもあったそうだし、日本にも長州黒手組などというのも存在したらしい。
そう言えば江戸川乱歩の初期作品にも「黒手組」というのがあったな。
マヌーの両親が当時のスペインの独裁者、フランコから逃れるためにフランスに渡ったらしいが、脱出出来ずに捕まったり処刑されたりというやり切れない内容の映画をウチでは結構観ているな。
「ブラック・ブレッド」とか「デビルズ・バックボーン」「パンズ・ラビリンス」などもその手の印象的だった映画だ。いや、今回の話とは関係ないけど、あまりその手の事を語る機会がなかったからついでに書いてみただけ。

マノ・ネグラはパンク、ラテン、ロカビリー、スカ、レゲエ、ヒップホップ、フレンチ、ラスティックなど様々な要素を詰め込んだ音楽に英語、スペイン語、フランス語にアラビア語の歌が飛び交うという大変にエネルギッシュな音楽で元気に満ち溢れた世界。
元々が路上ライブの出身だけに、とにかく勢いとパワーに溢れたライブ・パフォーマンスは伝説となっている。

この曲はマノ・ネグラの1991年の3rdアルバム「King Of Bongo」に収録されているが、上に書いたような「エネルギッシュな音楽で元気に満ち溢れた世界」とは少し違う哀愁の曲。
イギー・ポップにおける「The Passenger」みたいなもんだろうか。
彼らの雑多なおもちゃ箱のようなアルバムには必ず郷愁あふれる曲なんかも収録されていて、見た目の力強さだけじゃない懐の深さも感じるんだよね。
しかし、サッカー好きなのはわかるけどマヌーのこのファッション・センスはひどすぎる。
とてもプロモに出る格好じゃないね。

そして「ブレイキング・バッド」の中で使われていたこの曲をカヴァーしたのがミック・ハーヴェイ、個人的には実に久しぶりにこの名前を発見してビックリしたわけだ。

1970年代末期にオーストラリアで活動していたボーイズ・ネクスト・ドアというバンドがあった。
このバンドは後で再評価されたもののリアルタイムではあまり知られてなかった。
しかし5人のメンバーがそのままバースデイ・パーティと改名、音楽性も大きく変えて、その後イギリスの4ADやMUTEレーベルで活躍して有名になった。

今ではどういうジャンル分けされてるかは知らないが、当時はジャンク系、カオス系というように呼ばれていたなあ。
原始的なズンドコしたドラムに地を這うようなベースライン、そしてヒステリックな歪んだギターにアグレッシブな部族の咆哮のようなヴォーカルが絡む、という重厚で計算出来ない展開の音楽が一部のファンの間でもてはやされた。
1980年代初期、世に言うポスト・パンクの時代、バースデイ・パーティはその中でも最重要のバンドのひとつだったのだ。

このバンドの中心人物はニック・ケイヴ(後のバッド・シーズ)なんだが、ボーイズ・ネクスト・ドアからバッド・シーズまで30年くらいもニック・ケイヴに付き合った盟友がこのミック・ハーヴェイだった。
ギター、ベース、ドラム、キーボード、ヴォーカルまでをこなすマルチ・ミュージシャンである彼は、どのバンドをやってた時でも音楽的な要(かなめ)だったに違いない。
がしかし、バースデイ・パーティの時は堕天使のような退廃的美形ギタリスト 、ローランド・ハワードがいたし、バッド・シーズにはノイバウテンのフロントマンだったド派手な半分人間、ブリクサがいたし、そもそも主人公のニック・ケイブが大変にワイルドな野蛮人のような風貌で、こういう中にいたミック・ハーヴェイにはこれといった外見上の特徴がない。
技術の割には「人を惹きつける華がない」タイプのアーティストだったんだよね。
その不遇なところも含めてROCKHURRAHは評価するよ。
バッド・シーズが渋谷のクアトロで公演した時も大迫力のカッコ良さだったしね。
ニック・ケイヴとブリクサとキッド・コンゴ・パワーズが。ん?ミック・ハーヴェイは・・・?

まあとにかく、時代によって少しずつ変わったりまた戻ってきたりしたROCKHURRAHの音楽遍歴が、偶然観たこのドラマによって不思議な邂逅をした瞬間がこの曲「Out Of Time Man」だった。
単にそれが言いたいだけで、ここまで長く書いてしまったよ。うーん、説明ヘタだなあ。

マノ・ネグラはそういう雑多な音楽性と民族性を飲み込んだバンドだったので、カヴァーするにしてもどうしてもラテン系への理解と情熱が必要。
色々と調べてみたが出てくるのはやっぱり似たような系統、編成のバンドが多かった。
たまたま見つけたメキシコのGallo Rojoというバンドもついでに載っけてみよう。

原曲は1988年発表、マノ・ネグラの1stアルバム「Patchanka」 に収録された曲だ。
この曲のヒットにより注目されてフランスのヴァージン・レーベルと契約したらしい。
ROCKHURRAHも最初に買ったのがこのアルバムだったな。
元々マヌー・チャオはホットパンツという恥ずかしい名前のロカビリー・バンドの出身で「Mala Vida」もそのバンドのレパートリーだったが、マノ・ネグラでも同じ曲をやってるわけだね。

大昔のサイレント映画のようなコミカルなPVだが、ちゃんと本人たちが演じてて役者も出来るんじゃない?というくらい完成度が高い映像。音楽以外の才能もなかなかのものだな。

で、それをカヴァーしたGallo Rojoなるバンド、あまり日本で知られてないメキシコ製のバンドだから実は書いてるROCKHURRAHも何もわかってない状態なのだ。
このビデオ見てもカッコ良さもパワーも全然ない素人っぽいバンドなんだが、アコーディオンやラッパが入ったちょっとテックスメックス+スカといった雰囲気なのかな?
他の曲のPVではピエロ風のメイクしたりドクロの被り物したり、やっぱり南米のテイストが出ていて、この辺がちょっと面白いと思っただけ。
メキシコのバンドと言えば勝手に背中から指先にまで彫られた全身刺青男たちによるコワモテ集団を想像してしまうが、このバンドにはそういう点が皆無で弱そうなところが持ち味だと見た。

軽く書くつもりだったのに今回はたった2つのカヴァーだけで時間切れとなってしまったよ。 だから正規のシリーズ記事とは別に外伝という扱いにしてみた。
次もまたシリーズは違ってもやってるパターンはみな同じという記事を書いてゆくのでうんざりしながら待っててね。

誰がCOVERやねん5

【今回も80年代ネタ満載の独自路線で頑張るっちゃ(小倉弁)】

ROCKHURRAH WROTE:

ROCKHURRAHが最も得意とする音楽ジャンルは70年代のパンク・ロックとそこから発展していった70〜80年代のニュー・ウェイブなんだが、その辺を元ネタとするカヴァー曲ばかりを特集したのがこのシリーズ企画だ。

今回の趣向としてはあまり数多くのカヴァー曲が存在しないバンドのカヴァーを敢えて選ぶ、という難題に取り組んでみよう。

しかしカヴァーがあまり存在しない理由とは一体何だろう?

  • 原曲があまりにも素晴らしすぎて、または個性的過ぎてカヴァーしても自分の無力さに気づくだけというパターン。俺って才能ないのかなあ?
  • 元ネタのバンドがマイナー過ぎてカヴァーだと大きく明記しない限り誰も気づかないパターン。明記しなかった時に限って気づくヤツ続出で盗作呼ばわりされる。
  • 原曲が駄作で、なんかこれをカヴァーした自分が情けなくなってしまうパターン。あぁ恥ずかしい。

大きく分ければこんなもんか。もっとある?ROCKHURRAHはあまり理屈っぽくないと自分では思ってるのでこれ以上は考えられないのだ。

そういう被カヴァー率の低そうなのを、その場限りの思いつきで少し選んでみたので早速進めてみようか。

原曲は当ブログでもしつこいほどに何度も出ているビー・バップ・デラックスの1stアルバム「美しき生贄」に収録されている曲。
1974年から1978年までの間に6枚のアルバムを出した英国のバンドで初期はグラム・ロック寄りの音作りをしていたが、ビル・ネルソンのSF趣味をふんだんに盛り込んだ凝った楽曲で本国ではまあまあの人気だった。そのうちギターだけではなくシンセサイザーを多用して未来派ロックなどとも呼ばれたが、後の時代のニュー・ウェイブ、特にエレクトロニクス・ポップに多大な影響を与えたバンドだ。
あまり大した事は書いてないが当ブログのこの記事で特集してるからそっちも参照してみてね。

この曲は「空間の聖地」などと邦題がついてるようだが、個人的には「ロケット大聖堂」でいいじゃないか?と思うよ。
関係ないがイメージとしては「聖マッスル」と並ぶ伝説のカルト漫画「地上最強の男 竜(風忍)」に出てきた仏塔みたいなヤツ。
何とビー・バップ・デラックスの中で唯一、ビル・ネルソンがヴォーカルを取ってない(作詞作曲も別のメンバー)という珍しい曲でもあるな。

そんな曲をカヴァーしたのが全然接点がなさそうに見えるこの人、元ストレイ・キャッツのブライアン・セッツァーだ。
今の時代に誰でも知ってるとは言えないかも、という人物だがビル・ネルソンよりはよほどメジャーだろうな。
1980年代初期に流行ったネオ・ロカビリーという音楽ジャンルの中心的存在がストレイ・キャッツだった。ポールキャッツやロカッツ、レストレス、デイブ・フィリップスなどなど、ネオロカと呼ばれたバンド達は見た目も音楽もキメキメ(死語か?)でROCKHURRAHもかつてはネオロカなリーゼントしてたなあ。
ストレイ・キャッツはあまりにも王道過ぎて、聴くのも買うのも気恥ずかしかったからごく初期しか知らないけれど、ブライアン・セッツァーのギターはさすがにキレが違うな。
そしてこのライブ映像はもう随分歳取った恰幅の良い姿。
芸術的なリーゼントにタレ目、威勢のいいやんちゃ小僧だったあの時代を知ってるだけに少し悲しいよ。

セッツァー本人も「歌詞はひどいがギターは素晴らしい」というような発言しているようだったが確かにひどい歌詞。「俺のロケット大聖堂は宇宙を目指してるぜ」だってよ(笑)。ビル・ネルソンの作詞じゃなくて逆に安堵したよ。
原曲の方でもビル・ネルソンのギターは縦横無尽にはじけまくってて個人的には素晴らしいと思う。後にはギターはアンサンブルの一部となって、突出したギター・ソロが目立たなくなるバンドだが、この初期はまだ個人プレイで突っ走っていたなあ。

ビー・バップ・デラックスの曲はこれ以上再構築するのが難しいくらいに完成されたものが多いからか、これをちゃんとしたカヴァーでやったプロのバンドが少ないのかもね。

スキッズもウチのブログ「時に忘れられた人々【01】」で特集していたが、ROCKHURRAHに多大な影響を与えてくれたバンドだ。いや、別に自分で音楽作ってるわけじゃないから影響も何もないんだけどね。

スコットランド出身の彼らはロンドン・パンクの真っ只中、1977年にデビューした。
勇壮なスコットランド民謡を大胆にパンクとミックスさせてバグパイプのようなギター奏法と応援団風の体育会コーラスで仕上げた、というありそうでなかった正攻法ストロング・スタイル、壮大な音楽を得意としていた。
これを武器にスキッズは人気バンドとなってゆくが、バンドとして一番ピークの頃にバグパイプ奏法のギタリスト、スチュアート・アダムソンが脱退して自身のバンド、ビッグ・カントリーでまさかの大ヒットを飛ばす。
残った老け顔のリーダー、リチャード・ジョブソンはますます老成して、たかが20代前半にして渋いトラッドにのめり込んだ音楽を完成させてしまった。彼らの最後のアルバムはもうパンクもロックもなくて「土と伝統と共に生きる」というような内容が異色だったな。
その後ずっと老成して若年寄のまんまかと思いきや、1984年にはスキッズ×マガジンの残党とアーモリィ・ショウというバンドを組んでニュー・ウェイブの世界に舞い戻ってきた。上記の老成した境地が1981年の事だからわずか3年くらいの自然主義だったというわけか?

この曲は代表曲「Into The Valley」と並ぶスキッズ初期のヒット曲で陰影のある曲調が印象的な名曲。スキッズのアルバムは必ず威勢の良い曲とこういうマイナーコードの曲がバランス良く収められていて、サビの盛り上げどころが非常にうまいバンドだったな。
時代的にパンクの括りで語られる事が多かったけど、後のパワーポップにも充分通じるところがあったな。全盛期のライブを見たかったよ。

U2とグリーンデイが一緒にやってるカヴァーが有名なんだが王道過ぎて面白くない。
で、ROCKHURRAHが選んだのがドイツのVon Thronstahlというバンドがカヴァーしたもの。うーん、読めん。
何度も何度も書いてるように80年代のノイエ・ドイッチェ・ヴェレ(ドイツ産ニュー・ウェイブ)とかは好き好んで買っていたが、このバンドが出たのが2000年代前半あたりと言うから、さすがにもう世代が違うね。どうやらインダストリアル要素とフォークがミックスされたダークな感じのバンドらしいが、見ても聴いても「これだこれ!」というような高揚感は全然なくて、ああなんか最近のバンドっぽいね、くらいしか感想が湧かないんだよな。
ただPVの雰囲気はいかにもドイツ。この国でやっていいんかい?というようなナチ風の衣装はかつてのライバッハあたりを思わせるね。
いわゆる「ちょいナチ」系?ん、そんな言葉はないのか?
写真の写り方も往年のインダストリアル・バンドっぽくて方向性はわかるんだけど、生まれた時代が悪かったと思って諦めて下さい。

70年代パンクがじきにニュー・ウェイブと呼ばれる音楽に進化していった頃に異彩を放っていたバンドがワイヤーだ。

「ロックでなければ何でもいい」などというカッコイイ名セリフが語り継がれているが、ROCKHURRAHはこういう言葉に変な理屈はつけたくない。
その時代に言う普通のロックとはパンクロック誕生以前の古い世代のロックの事で間違いないだろう。そしてワイヤーは確かに既存のロックからの影響を感じさせない音楽を作り出したバンドだと思える。

後にDOMEあるいはギルバート&ルイス名義でアヴァンギャルドな音響工作に走る2人と、サイケデリックだが奇妙にポップという独特の世界を紡ぎ出すコリン・ニューマン(+ロバート・ゴートゥベッド)と完全に2つに分かれてしまうんだが、この4人による個性のぶつかり合いが様々な音楽を生み出す。
まだこの頃にはジャンルとして確立されてなかったニュー・ウェイブの音楽ジャンルのいくつか、その元祖的な事をすでにワイヤーは1977年にやってしまっていた。要するに実験性に富んだ曲作りをしてたってワケね。
そういう先進性を持っていたものの、演奏力はあまりなかったために曲はシンプルでスカスカ、このイビツな感覚こそが真骨頂でもある。
アートの世界で言うならこれはダダイスムと言うべきかな。

ちなみに4人組のバンドで真っ二つに分かれてしまって片方は実験的、片方はポップ路線と言うとどうしてもそれより前の時代の10ccとかぶってしまうが、その辺は「ロックでなければ何でもいい」などと言ったバンドと対比する自体が間違ってるのか。

関係ないがROCKHURRAHは小倉(福岡県)の図書館の視聴覚室で何度もワイヤーの「ピンク・フラッグ」をリクエストして聴いてた思い出がある。買えばいいのになぜか図書館で聴いてたなあ。

この曲は「The 15th」と並んでワイヤーの中でも最もポップで聴きやすいのでカヴァー曲も多少存在しているな。上に書いた「ピンク・フラッグ」ではなくて2ndアルバム「消えた椅子」に収録されている。

さて、これをカヴァーしたのは在英日本人のハーフ娘がヴォーカルという変わり種、ラッシュというバンドだ。
カタカナで書くと写真左(RUSH)と間違いそうだが右の方(LUSH)ね。ヴォーカルのミキは真っ赤な髪の毛で日本人としては微妙な顔つきだが、母親が「プロテクター電光石火(70年代の海外TVドラマ)」に出てた日本人女優という微妙な人物なので、きっと遺伝なんだろうな。男女二人ずつという構成のこのバンドは1980年代末から90年代初頭にかけて英国4ADレーベルで活躍した。
4ADと言えば初期はバウハウスやコクトー・ツインズ、バースデイ・パーティにデッド・カン・ダンスなどなど、80年代ニュー・ウェイブの中でも特に暗黒な香りのするバンドの宝庫だったレーベルだ。前述したワイヤーのコリン・ニューマンもギルバート&ルイスもここからレコードを出してたな。
そういう初期の大物たちがひしめいてた最盛期の4ADからすでに10年近く経ったわけで、 ラッシュが登場した頃の音楽シーンは時代を引っ張ってゆくほどの大きな流れがなかった。彼女たちの音楽はポップな時もあるし暗い時もある、というどっちつかずの印象。正直あまり多くは知らないが、まあ90年代的って事なんだろうね。←安易な表現。
このバンド、ワイヤーの事がよほど気に入ってるみたいで彼らのデビュー曲「マネキン」もカヴァーしている。

さて、今回も何だかよくわからんものばかりをチョイスしてしまったが、カヴァー曲はまだまだ尽きない。これからも安易な選曲でたびたびこのシリーズ企画を続けてゆくからね。

ではまた来週。