ふたりのイエスタデイ chapter24 /LAUGHIN’ NOSE

20240211 top
【ラフィンのシンボル、ニコちゃんマークは永遠ね!】

SNAKEPIPE WROTE:

今回はSNAKEPIPEの青春時代を振り返るカテゴリー、「ふたりのイエスタデイ」にしてみよう。
ご登場いただくのは、日本のパンクバンド、ラフィンノーズ
ヴォーカルのチャーミー、ベースのポンを中心に現在でも精力的にライブを開催している。
活動歴は40年以上とは驚きだよね。
これからもずっと続けてもらいたいよ!

一番最初にラフィンノーズのライブを観たのがいつなのか、はっきり覚えていないけれど、ギターがナオキでドラムがマルだった時代だったことは間違いない。
左に載せた画像は、当時無料配布されたソノシート・レコードで、かつて複数枚所持していたからね。
今では手に入らない物だったのに処分してしまったことが悔やまれるよ。
1985年の新宿アルタにも行ったことを思い出した。(笑)
一体何年前になるんだろう。

有頂天やウイラード、SODOM、リップクリームにキャ→という女性バンドなどのライブを観て興奮していた少女だったSNAKEPIPE。
客同士でぶつかり合うため、ライブの翌日には体のどこかに痣ができていた。
それをまるで勲章のように誇らしく感じていたことが懐かしいよ。

ラフィンノーズは、ポップで明るく、ノリが良いパンクなんだよね。
シンボルマークであるニコちゃんの効果もあると思うけど、親しみやすく一緒に歌って盛り上がることができるライブは格別だったよ。

「Paradise」も大好きな曲!
印象的なイントロが流れると会場は熱気に包まれる。
「Oh,You’re Paradise」は一緒に歌ってしまうね。(笑)
どんどんSNAKEPIPEがノッてきてしまった。
もう1曲歌ってしまおう。

「I Can’t trust A Woman」も盛り上がる曲。
チャーミーのハーモニカが良いのよ!(笑)
「アーイアーイアイ」と拳を突き上げながら歌おう。
当時観たかどうか覚えてないけれど、「Broken Generation」のプロモーションビデオがあることに気付いたよ。
メジャー・デビューした曲だからだね。
Youtubeってありがたいわあ。(笑)

先にも書いたようにSNAKEPIPEにとってのラフィンノーズは、チャーミー、ポン、ナオキとマルの4人なんだよね。
この時代の動画が観られて嬉しいよ!

ラフィンノーズの不幸な出来事を知ったのはニュースだった。
日比谷公会堂での事故が報道された頃には、当時のディスコ「ツバキハウス」のロンドンナイトに熱中していたSNAKEPIPEだったので、ライブから足が遠のいていた。
もしかしたら自分も同じ事故に遭遇したかもしれないと想像して怖くなったことを覚えている。

それからパンク好きの友人ができて、ライブに誘われるようになった。
ラフィンノーズが活動を続けていることを知ったのも、その友人のおかげ。
T君としておこう。
SNAKEPIPE同様、T君も千葉県民。(笑)
千葉駅からほど近い「千葉LOOK」というライブハウスで、ラフィンのライブを観る。
一体何年、いや何十年ぶりだろう?
目の前にいるチャーミーやポンは、少女だったSNAKEPIPEが熱狂した頃と変わらない姿を見せてくれた。
大感激したSNAKEPIPEは、それから再びラフィンノーズのライブに足を運ぶ。

2004年、不幸な事故から17年の時を経て、ラフィンノーズが日比谷公会堂でライブを行った。
T君はじめ、T君のお兄さんやら友人やらと連れ立って、一緒に参戦したSNAKEPIPE。
「ライブのために仕事を辞めてきた」
なんてお客さんもいたほどラフィンノーズが日比谷公会堂に帰ってきた、というのは大きな出来事だったんだよね。
感動的なライブだったよ!

日比谷公会堂の翌年からはROCKHURRAHもライブに参戦するようになる。
千葉の仲間達と一緒にライブ参戦して、そのあとの飲み会が楽しかったなあ。

ラフィンノーズのライブでは、必ず一番最後に演奏する曲がある。
名曲「Get The Groly」だ!
2006年10月の「テーマソング・ベスト3」にも書いているように、「ついつい拳を振り上げてしまう元気になれる曲」なんだよね。
ハードコア・バージョンはCD「LONDON NITE 02」に収録されているよ!
さあ、みなさんもご一緒に!
「ゲッ、ゲッ、ゲッザグローリー!」(笑)

ふたりのイエスタデイ chapter23 /Nina Hagen

20231008 03
【ニナ・ハーゲン・バンドの1stアルバム】

SNAKEPIPE  WROTE:

NHKで放送された「映像の世紀バタフライエフェクト」という番組を録画したまま、ずっと観ていなかったROCKHURRAH RECORDS。
数々のエピソードの連鎖が織り成す歴史的な瞬間を紹介するドキュメンタリー番組なんだよね。
「ベルリンの壁崩壊 宰相メルケルの誕生」を先日やっと鑑賞したよ。
メルケルとは、2005年から2021年までの16年間という長きに渡りドイツの首相だった女性のこと。
ドイツ史上初の女性首相であり、51歳での就任は最年少だったという。
そのメルケルにスポットを当てた番組だったんだよね。
番組の解説を引用させていただこう。

冷戦下の東ドイツ。
抑圧された社会で生きる3人の女性がいた。
見えない将来に絶望していた物理学者のアンゲラ・メルケル。
体制への批判を歌にこめた歌手ニナ・ハーゲン。
デモで自由を訴えた学生のカトリン・ハッテンハウワー。
1989年、政府報道官のひとつの失言から始まったベルリンの壁崩壊は、巨大な嵐を巻き起こし3人の女性の運命を変えていく。
宰相メルケル誕生に秘められた、絶望の中から希望をつかんだ女性たちの物語。

全く予期していなかったニナ・ハーゲンの登場にびっくり!
ニナ・ハーゲンといえば、2009年6月の「個性派女流アーティスト大集合!」や2010年7月の「実物観たよ!80年代ライブ特集」などで書いてきたように、ニナ・ハーゲンの1985年のライブに行っているSNAKEPIPE。
ひゃ〜、今から約40年も前のこととは!(笑)
これまでにも書いてるけど、記憶に残っているのはブラック・ライトに浮かび上がったニナの唇と、レオタードの股間についてたハート(?)みたいな飾りだけ。
それでも貴重なライブ体験をしたことになるんだろうね。
当時、愛聴していたレコードが、トップに載せたアルバムだよ!

YouTubeでアルバム1曲目の「TV-Glotzer (White Punks On Dope)」をかけていると、「それはTubesのカヴァーだね」とROCKHURRAHが言う。
ROCKHURRAHは、ニナ・ハーゲンはほとんど聴いたことがないらしい。
ニナ・ハーゲンの曲だと思っていたのに、元ネタがあったのね!
Tubesってどんなバンドなんだろう?

ジャンルでいうとグラム・ロックになるのかな?
かなり「きわどい」衣装を着け、ロンドンブーツよりも高いヒールを履いて、イメージは「ロッキー・ホラー・ショー」だよね。(笑)
どちらも1975年の作品だから、流行だったのかも?
ニナ・ハーゲン版は1978年に発売されていて、オリジナルを意識しながらもニナ流に歌い上げられていて好きな曲なんだよね!

NHKの番組に話を戻そう。
ニナ・ハーゲンは東ドイツ出身で、1974年に出した「カラーフィルムを忘れたのね(Du hast Den Farbfilm Vergessen)」という曲が大ヒットしたらしい。
19歳だったニナ・ハーゲンが歌うのは「一緒に旅行した彼氏がカラーフィルムを忘れ、記念写真が全て白黒になってしまったことに怒る女性」の気持ち。
ダブル・ミーニングとして「単調で灰色の社会主義東ドイツへの批判」があったという。
サンハウスの「レモンティ」みたいだよね!

女優を目指していたというニナ・ハーゲン、ちょっと演技も入れて可愛らしいね!
発売から約30年経った2003年の調査で、東ドイツの40%の人が歌うことができる曲と判明したとか。
メルケル首相が退任式典で選んだ曲としても有名になったらしい。
「この曲は青春時代のハイライトだった」とコメントしたんだとか。
ドギツイ化粧を施したニナ・ハーゲンのイメージとは違い、国民的な人気がある歌手だったとはね!
NHKの番組で知ることになったことにも驚いちゃうよ。

ニナ・ハーゲンは現在も活動中で、今年のクリスマスにも新曲を発表するらしい。
化粧やド派手なイメージもそのままで嬉しくなるよ。
元気に活動を続けて欲しいね!

ここでお知らせ!
2週間ほど、ROCKHURRAH RECORDS事務所移転に伴い、ブログの更新をお休みする予定だよ。
楽しみにしていてくれる皆様、しばしお待ちください。
移転後にまたお会いしましょう!

俺たちリノベーション組

【こんな風に壁を塗りたくってみたいよ】

ROCKHURRAH WROTE:

ROCKHURRAHとSNAKEPIPEが今現在、最も熱意を持って取り組んでいるのは、築40年を超える古い空き家に移り住むための準備、主に改装に関わることなのだった。

元々賃貸暮らしだったこともあり、改装だとか壁を塗り替えるとかが不可能なのが当たり前。
自分好みの内装の部屋に住むなんて考えたこともなかった2人だが、古い家の片付けが進むにつれて改装が現実的に必要となってきたというわけ。

今までやったこともなかったリフォーム業者の見積もりや工事の具体的な打ち合わせなど、金額がかさばりそうな相談がとても苦手な2人だけど、何とかその辺も乗り越えて工事待ちの日々だよ。
普通のご家庭ではそんなに苦労もしない部分だろうが、ウチの場合は特殊な事情があって、人の何倍もの労力が必要だった。
工事する部分は業者に任せるとして、部屋の壁や天井や床は出来るだけ自分たちでやってゆこうと2人で決意して(大げさ)、いわゆるDIY精神で拙い内装を全力でやっている現状なのだ。

ネックとなったのは今住んでる家じゃないわけだから、DIYに必要な荷物を注文して受け取る時には毎回現地に行かなければならないということ。
住んでるところから比較的遠いし、最近のネット注文は(特に大型商品だからか)到着日や時間の指定が細かくできない場合もあって、届きそうな日にそこで待ち構えていないと受け取れないのが困るよ。
配送業者としても重いものを2回も運ぶの大変だろうから、間違いなく在宅の時に運んで欲しいものなのにね。

そんな前置きでわかる通り、今回はウチが最も興味を持ってるリノベーション、またはリフォームに関係した曲を集めてみたよ。

などと言ってもROCKHURRAHの知ってる70〜80年代のパンクやニュー・ウェイブで、部屋を改装した内容の歌なんかとてもなさそうなので、改装するそれぞれの場所がタイトルに含まれた曲を探してきただけ。
相変わらずインスタントな内容の記事になること間違いなしだな。

ウチがやりたいのは改修工事でも改築でもなくて、単に部屋の模様替えみたいなもの。
大げさにリノベーションなどとタイトルにつけたのが恥ずかしくなるくらいのことしかできないDIY初心者だし、色んなことで思ったより出費が多くてね。
内装ごときにかけるお金がないそうだ、などとつまらんダジャレしか出てこないよ。

で、SNAKEPIPEと家族会議(2回目の大げさ)を行った結果、ウチの内装の方針はインダストリアルな雰囲気を基調としながらも、なぜかちょっとだけモロッカン・スタイルを取り入れようという滅多にない、しかもあまり相性の良くなさそうな組み合わせに決まったよ。
色とか柄とかあまり具体的には書かないが、インダストリアルな内装は元々からの2人の好みだったので満場一致(大げさ、3回目)で決定。
そこにプラスしたモロッコや中東趣味というのは、単にTVの旅番組とかで知って気に入っただけという安易さ。
このアンバランスな組み合わせで、デザインとかインテリアやってる人からは悪趣味と言われそうだけど、要は住んでる人の自己満足の世界だからね。


天井は思い切って賃貸では出来ないペンキで塗りたくってみた。
昔、倉庫の床にペンキでラインを引くというような作業はあったけど、その時は一斗缶に入った塗料と希釈用のシンナーだか何だかを混ぜて液体を作ったな。
やったことないから人がやってるのを見よう見まねで混ぜてみたが、何だか粘り気がなくなりすぎて、塗った後でいつまでも乾かなかったのを覚えてる。
その教訓を活かして今回はお手軽な水性ペンキにしたよ。
壁や床なら何とかなるが、脚立に乗って天井となると姿勢がきつい。
しかも周りは養生したものの、下にボタ漏れペンキが落ちてきて、DIY初心者どころか三流以下の汚しっぷり。
もみあげがペンキで色変わってるのに気づかずに電車で帰ってきた日もあったな。
とりあえず天井は思った通りにペイント出来て満足だよ。

そんな天井への熱意を込めてこの曲をBGMとしよう。
ブラマンジェが1982年に発表した名曲「Living On The Ceiling」だ。
Ceilingはいわゆるシーリングのことね、え?説明しなくてもわかる?
シーリングライトって言葉はあるけど天井のことはあまり英語で言わないな。

ブラマンジェは1979年に結成して80年代前半に活躍したイギリスの2人組ユニット。
この時代はなぜか男2人組という怪しい関係っぽいバンドが数多く存在してて、ソフト・セルにDAF、アソシエイツ、スーサイドにペット・ショップ・ボーイズなどなど、バンドとしては厳密に2人組じゃないのかも知れないけど、ジャケットに主要メンバー2人だけというのが流行っててしのぎを削っていたな。
ブラマンジェもその一端と言える2人組だった。
ライブやレコーディングでは人の力も借りるけど、ちょっとした電子楽器とヴォーカルさえいれば、この時代のニュー・ウェイブ・バンドとして成り立つというのが(当時の)テクノロジーの進歩だったね。

「天井に住む」とはこれいかに?と思えるタイトルだが無機質な演奏と中東やアラブな雰囲気が「インダストリアル×モロッコ風」というウチのコンセプトとピッタリ一致してるね。
実際にはモロッコじゃなくてカイロなんだろうけど細かいことは気にしない。
タイトルや歌詞とビデオの関連性がイマイチわからないが、単にエジプトに行きたかっただけじゃないの?

前にSNAKEPIPEが「ふたりのイエスタデイ chapter09 / Blancmange」でも書いた通り、この曲はシンプル・マインズの「I Travel」をちょっと思わせるしヴォーカルも似た感じ。
シンプル・マインズが大ヒット曲を出して国民的バンドになったのに対し、ニュー・ウェイブという狭い範囲のみで終わったブラマンジェの方が個人的には潔いと思えるよ。
上にいくつか書いた2人組バンドに比べると見た目が微妙でカリスマ性に乏しいけど、そういう「ほどほどなB級感覚」がまたウチらしいな。

実はこの曲じゃなくて彼らがゴミを壊したりペンキをぶちまけるようなビデオの曲があって、話の流れとしてはそっちの方が良かったんだろうけど、今回はタイトルにこだわったからこっちにしたよ。
え?そっちも見たい?

うん、まさにこれに近いことをROCKHURRAHとSNAKEPIPEはやってたわけよ。
ペンキ塗ったりする前はウチが使いそうもない古い家具やモロモロのものを何回にも分けて粗大ごみに出したり。
一度に出せるのが9点までなのでそれ以降はまた予約して別の日にゴミ出しに来たり、そりゃもう結構な苦労だったよ。
前日の夜には出せなくて当日の朝に集積所まで出しに行かないといけないし、住んでるわけじゃないから朝4時に起きてゴミのために現地に行ったりね。
粗大ごみにするかどうか微妙な大きさのものはノコギリで切ったり解体したり、リフォーム以前の段階でクタクタになってしまったというのが最近の2人の日常なのだ。

ビデオの方はペンキがかかったり破片が飛んできたり、結構危険だと思うけど体を張った演技が見事だゴロ(ユン坊)。


天井ふた部屋でペンキも減ってきたし、壁の方はおとなしく壁紙でも貼ろうかということで、これまた初心者である壁紙貼りに挑戦した。
SNAKEPIPEの友人がとっても簡単と言ってたから決めたんだが、結果として言うならこれはあまりROCKHURRAHには向かない苦手な作業となってしまった。

無地だと面白みがないと思って柄物糊付き壁紙というのにしたんだが「破れに強い」などと書いてあるくせに端を持つと壁紙の重みであっという間にビリっと破れてしまう。
ミミなしタイプならまっすぐに合わせればいいんだが、ミミ付きと言われるものが多くて、これだと壁紙の端をちょっと重ねて、柄の合った付近をカッターで切り落とすというワザが必要になってくる。
糊が乾く前なら貼り直しも出来るそうだけど、途中まで1人でやってたもんだから柄は合わないわ、貼り直しで剥がしたらすぐにまた破れるわで、結構苦労したもんだ。
糊が乾く前にやったのがいけなかったのかカッターで切ろうとするとすぐにズルっとなって切りづらい。
だからと言って乾いたら貼り直しできないし、貼ってる途中で電話かかってきて、話してる間に床に落ちてしまうし、一体どうせよと言うのだ?

そしてまた貼ろうとしてる壁面が無駄に複雑な形をしてて、柄合わせのために随分考えたり上下逆さまで失敗したり、貼ってる時間よりも何とか目立たないように修復してる時間の方がかかったという三流なありさま。
糊だらけになりながら悪戦苦闘したが、かさかさに乾いた糊を腕につけたまま(日焼けで破れた皮みたいになって汚い)電車で帰った日もあったな。

どちらかというと器用な方だと思ってただけにこのグダグダさが腑に落ちないな。

そんな壁紙への恨みを込めてこの曲を選んでみた。
1980年に出たエコー&ザ・バニーメンの1stアルバムに収録されていた「The Pictures On My Wall」だ。
1979年にシングルとしてリリースされたデビュー曲なんだが、シングルの時はまだドラムがいなくてリズムマシンと弾き語りみたいなスタイルだったな。
このアルバム・ヴァージョンの方よりも個人的には最初の簡素な方が好きって人も多かろう。

英国リヴァプールでジュリアン・コープ(後のティアドロップ・エクスプローズ)、ピート・ワイリー(後のWah!)と共に音楽活動をスタートさせたイアン・マカラック(日本で色々読み方あるけど80年代はみんなマカラックって言ってたよ)だが、デビュー当初は残りの変幻自在な2人に比べると地味で一本調子な感じがしてたね。
だが結果として、ブレない音楽性でネオ・サイケと呼ばれる音楽の王道に君臨して、日本でも高い知名度があったのがこのエコー&ザ・バニーメンだ。

エコーという会社だか製品名だかのリズムマシンを使ってたからこのバンド名になったと言われていて、ROCKHURRAHもそう信じていたが、実はコルグのMini Popsという機種を使ってたようで、この辺の人の言うことは全く信用出来ないなと思いました。
そう言えば関係ないがオランダにミニー・ポップスというポップス性のかけらもないようなバンドがいたな。
今度はオランダ特集でもやるかな。

さて、このバンドはジョイ・ディヴィジョンの成功に続く大型新人という扱いだったが、この曲の頃はたぶんプロモーション・ビデオがなかったような気がしていたよ。
たぶんオフィシャルな映像じゃないと思うんだけど曲の雰囲気に合ってるようなのでこれでいいか。
波止場でギターという小林旭みたいな映像にファンならば痺れること間違いなし。


この家の床は元々からのカーペットが敷き詰められてて、家具の重みでくっきりと凹んでしまってるし、ウチはカーペットが嫌いなので全部取り替える予定だ。
順序としてこれが正しいのかは不明だが、ROCKHURRAHたちは天井→壁→床という計画にしている。

ペンキが落ちてきたり壁紙の糊がついたりを想定したので、捨てるカーペットは汚し放題で養生もしなかったから、この点は気兼ねなく出来て良かったよ。

過去に住んできた家は大体フローリングだったがパソコンの椅子が置いてある下はダメージがひどく、賃貸なので明け渡す時にいつも嫌な顔をされていた。
多少は学習したので今はタイヤ付き椅子の下だけラグマットを敷いたりしてフローリングを保護しているよ。
リノリウムみたいな床というのも子供の頃からの憧れだったが、滑りやすいということで断念。
フロアタイルみたいなのも探してはみたが、カーペットがどうやらフェルトグリッパー工法というので貼られているようで、釘が出た木の枠が周辺に貼られてて、カーペットの下側にはフェルトが敷き詰められている。
剥がすのはそんなに大変じゃないが、フロアタイルだとカーペットがあった位置よりも床が少し低くなってしまうのが微妙なところ。
もう少し簡単なヤツでウッドカーペットとかクッションフロアとかもあるけど、早いとこ考えて敷かないといけないな。
この辺はまだ実際にやる前の段階なので、天井や壁の時みたいに苦労話も書けない状態だよ。
どうせまた予想と違って苦労するんだろうな。

そんな苦難の予感を込めてこの歌を聴こう。
1980年にマガジンが出した3rdアルバムに収録、シングルにもなった「A Song From Under The Floorboards」だよ。
「床下からの歌」と聞くとホラーな感じがするが、決してそういう歌ではないようだ。

バズコックスの初代ヴォーカリストだったハワード・ディヴォート(シングル1枚のみで脱退)が作った5人組のバンドがマガジン、などと同じようなことを何度書いただろうか?
いつもいつも同じ趣味と嗜好で何十年もパンクやニュー・ウェイブと向き合ってきたROCKHURRAHだから、同じバンドのことばかりブログで語るのも仕方ない。
誰でもそうだろうけどこのジャンルなら何でも好きってわけじゃなくて、やっぱり今現在でも好きな80年代バンドなんてひと握りしかないもんね。

上のエコー&ザ・バニーメンがリヴァプールなのに対して、マンチェスターのパンクやニュー・ウェイブを語る時に絶対に外せないのがバズコックスにマガジン、そしてジョイ・ディヴィジョンなどの伝説級バンドだろう。
どんな歌い方してても滅多に聴き間違えないくらいにとっても印象的な、纏わりつくような歌声と、陰影のある曲調に不気味とも言えるヴィジュアル、要するに妖しさの魅力に溢れたバンドとして君臨してたのがマガジンだった。

ジョン・レッキーにコリン・サーストンなど、ニュー・ウェイブを語る上で欠かせない名プロデューサーによる1st、2ndも傑作アルバムだったが、この3rdアルバムはジョイ・ディヴィジョンを手掛けたマーティン・ハネットによるプロデュースの力もあってたぶん売れたんじゃなかろうか。
などといいかげんに書いたのが不安になって調べてみたら1stアルバムよりも順位がひとつ上がっててUKチャートで28位になってた。さすがマーティン・ハネットの手腕だというべきか?
前の2作よりは明るい曲調が多くなっててハワード・ディヴォートの粘着質な歌声ファンには物足りなかったかな。


今まで実家以外で庭付きの家に住んだことはなかったが、今度は小さい庭がある。
元々は華道をやってたような人の家だったが庭もちょっと和風な感じだったよ。
でもガーデニングの趣味がなく盆栽も嗜まないROCKHURRAHであるし、何年も手入れしてなかったから荒れ放題になってて、枝が伸びて困ってるなどと隣人に言われるので、手入れというよりは徐々に庭をすっきりさせようかと思ってる。センテンス長いな
雑草で荒れ果てた庭は蚊や蟻、毛虫などがいて、特に蚊に刺されるとアレルギーのようになってしまうROCKHURRAHにとっては悩みの種なのだ。
思い切ってチェーンソーなど買って雑草を刈り取ってみたが、しばらくするとまたまた生えてくる。
頭にきて雑草を執拗にチェーンソーで刈ってたら「悪魔のいけにえ」みたいになって怪しさ満点

発想を変えて文字通り根絶やしにする強力な薬品を撒いてみたが、これは確かに効果あった。
がしかし、ひと月もすると草ぼうぼうになってしまってる。
ものすごい生命力だよな。

近未来SFの映画などで瓦礫と化した街とか出てくるけど、実際はそんなになっても雑草だらけになるんじゃなかろうか?と思ってしまうよ。
雑草も生き延びないようなところに人間だけが生き残るはずがない、あのヴィジュアルはウソだね。

庭がなくてもやる気ありゃ出来るんだろうが、そのうちちょっとしたハーブとかでも育てられればいいかもね。
スーパーでいつもいつもは売ってなかったりするのでモヒート用のペパーミントとか、ちょっと買うにはもったいないくらいの食用ハーブがあれば料理の幅も広がって助かるね。

そんな悩み多き庭について歌ったとは思えないが、キュアーの1982年の4thアルバム「Pornography」よりシングルになった曲「Hanging Garden」で締めくくろう。
日本でも「首吊りの庭」というタイトルで83年にリリースされたな。

この時期のキュアーの演奏はいわゆるネオサイケやポジパンと言われるもので、ROCKHURRAHとしては好みなんだが、もう少しはマニアックに音楽を買い集めてゆきたいという見栄で実はあまりレコードを所持してなかったバンドだった。
つまり漫画でロバ夫などと描かれたり、どちらかと言えば暗めの女子ウケするバンドという印象だったから、あまり食指が動かなかったわけだ。
この日本盤シングルはその辺のレコード屋で手に入ったから珍しく持ってる1枚だったな。

聴いた時は演奏も歌もか細いし、あまり好みのバンドとは言えなかった。
だが、ROCKHURRAHも年齢を重ねて変な見栄もなくなったからか、いつどこで聴いてもちゃんとロバート・スミスだとわかるという点では個性のあるヴォーカリストだったんだなと、ちゃんと評価出来るようになってる。
太っても歳とっても時代が変わっても基本的なスタイルが変わらない生き方もいいね


以上、予想通りではあったけどリノベーションとはあまり関係ない内容の歌ばかりになってしまったな。

まだまだこれから塗ったり切ったり貼ったりの予定だらけで、家の大半をイメージチェンジするのだけでも本当に大変だと心から思うよ。まだ住んでないから通うのだけでも大変だからね。
それでも、よりよい環境を目指して何とか頑張ろう。
本業でもこれだけ頑張れれば良かったのだろうがその気は、ない。

ではまた、ビッサラーマ(ベルベル語:モロッコ公用語で「さようなら」)

80年代世界一周 諾威編

【厳しい自然の中で培われた斯干的那維魂(読めん)】

ROCKHURRAH WROTE:

実に久しぶりとなるROCKHURRAHによるブログ記事だよ。

長い歴史を持つ当ブログであるが、ROCKHURRAH WEBLOGという割にはSNAKEPIPEが大半の記事を書いてて、ROCKHURRAHとしては「実に久しぶり」とか「最後に書いたのがいつだったか覚えてない」としか書きようがないくらいの怠慢ぶり。 SNAKEPIPE WEBLOGとタイトル変えた方が良くないか?
最近はあまり文章書いてないせいもあるけど、気の利いた言葉のひとつも出てこないのが自分でもイヤになるよ。

さて、そんなROCKHURRAHが今日書こうとしてるのがこれまた久しぶり「80年代世界一周」というシリーズ記事だ。
主に70〜80年代のパンクやニュー・ウェイブについてしか語らないROCKHURRAHが、イギリスやアメリカなどのメジャーな国以外の80年代音楽を探してきて語る、といった単純な企画だ。

あまりニュー・ウェイブ先進国ではないと思われた国に意外な逸材がいたりして、その辺が好きな人には興味深いかもと思って始めてみたんだが・・・。
ROCKHURRAHがレコードを必死に集めてた時代と違い、あらゆる国のあらゆる年代の情報を得るのが難しくない時代になってるから、こんな記事自体が意味なしかも知れないね。
別にニュー・ウェイブ音楽の権威になりたいわけでないから、それはそれ、これはこれ(意味不明)。

今回取り上げるのが「諾威」とあるが、うーむ、世界情勢に疎いROCKHURRAHなので見覚えない国名だぞよ。
そもそも国名を漢字、当て字で日常的に扱ってる人はクイズ王か挑戦者くらいのもので、知らなくても特に問題はなかろう。
諾威と書いてノルウェーと読むそうな。
ノル要素もウェー要素も微塵も感じないところがすごいな、誰がこの当て字考えたの?

ノルウェーは誰でも知ってるようにスウェーデン、デンマークと共に北欧のスカンジナビア三国のひとつだが、文化面で言うならメジャーなスウェーデンに比べるとイマイチ知られてないような気がするよ。
詳細に調べたわけじゃないから、個人的な印象ね。
ちなみに一番上のスライドショーの下の小さな文字で斯干的那維と書いてるのはスカンジナビアの当て字だそうだ、ひゃー、ますます読めん。

「80年代世界一周」の題材となるバンドが割といっぱい出てきそうなスウェーデンを飛ばして、敢えてノルウェーにしてみたのは本当にイマイチなのか気になったからというわけだ。
では80年代ノルウェーのニュー・ウェイブはどんなだったのか、書いてみよう。

ノルウェーというと誰でもすぐに連想するのはサーモンやオイルサーディンなどの海産物かな。
アラスカやチリ産のサーモンもあるけど、最も知名度が高いのがノルウェー産なんだろう。
子供の頃は「釣りキチ三平」のキングサーモン編で舞台はカナダだったから、その辺が有名な産地だと思ってたけど、輸入して食べてるのは釣った天然ものではなく養殖ものだから事情が違うんだろうな。
ROCKHURRAHもSNAKEPIPEも特に好き嫌いはないんだが、サーモンの刺し身や寿司を好んで食べることはなかった。
理由はよくわからないんだが、昔食べてうまくなかったとか何かあったからだろうね。
しかしある時、手巻き寿司のネタでとてもうまいサーモンを食べてからは積極的に食べるようになったよ。
オチはない。
ノルウェーについて何か書きたかったからどうでもいいことを書いてみたが、意味なしの数行だったな。

80年代的に言うとあまり知られてないノルウェーのバンドの中で、最も知名度が高いのがこのa-Haで間違いないだろうな。
知名度云々よりも音楽とかに特に興味なくても、この当時に青春期だった人ならば彼らの「Take On Me」はどこかで一度は聴いたことがあるだろうというくらいの、1985年の大ヒット曲だよね。
ノルウェーで活動してたわけではなくイギリスに渡ってから大成功を収めたから、故郷に錦を飾った(最近あまり言わない表現だな)ノルウェー人バンドというわけだ。

パンクでニュー・ウェイブだったROCKHURRAHは、この手のメジャー売れ線には特に興味がなかったから素通りしたバンドなんだが、ノルウェーと言うより単に北欧のどこかのバンドという認識くらいしかなかったよ。

1982年の結成以来、メンバーが変わることなく不動の仲良し3人組で、いまだに活動しているというのもビックリだ。
デビュー曲「Take On Me」はデッサンがアニメーションして実写と混ざるという、当時としては斬新なビデオが話題を呼び大ヒットしたが、実はこれより前のあまりヒットしなかったヴァージョンというのも存在しているようだ。

大ヒットしたものよりアッサリしていて簡素だけどこっちのヴァージョンの方が個人的には好ましい。
最初に売れなかったものが別のアレンジやプロデュースでヒットするというところはBムービーの「Nowhere Girl」を思い出すが、そっちの方を知らない人の方が多いか?

「Take On Me」があまりにも有名だからこの時だけの一発屋だろうと思ってたが、それなりにヒットで食いつないでいたようで、上の方のビデオも大メジャー映画「007 リビング・デイライツ」のテーマ曲だったな。
実はROCKHURRAHもSNAKEPIPEも007シリーズは1作目からダニエル・クレイグが最後を飾った「ノー・タイム・トゥ・ダイ」まで(どのタイトル言われても内容がパッと思い出せるほどのファンじゃないけど)ほぼ全作観ている。
「リビング・デイライツ」は歴代ボンドの中でも一番印象が薄いティモシー・ダルトンによるもので、前のロジャー・ムーアの陽気なボンドの方が良かったよとか言いながらも、もしかしたらジェームズ・ボンドの本来の雰囲気を最も出していたのかも。
ウチでは満場一致で(2人しかいないけど)やっぱり一番はショーン・コネリーだけどね。

a-Haのテーマ曲は「Take On Me」よりは骨太でいかにも80年代ヒット曲のオーラに溢れる野心作だが、007のタイトルバックをそのまんま当てはめたようなビデオもいいね。
知名度の高いa-Haを冒頭に持ってきたが、個人的に何も思い入れがないからぞんざいな文章になってしまったし、ノリも悪いな。
やっぱりROCKHURRAHはこういうメジャーどころには疎いと痛感したよ。

ノルウェーと言えばROCKHURRAHとSNAKEPIPEにとって、ここ数年で真っ先に連想するのはアメリカのPGAツアーで活躍する若手プロ・ゴルファー、ビクトル・ホブランドだ。
ノルウェーにいても世界的ゴルファーにはなれないからアメリカに進出し、アマチュア・ランキングのトップだった逸材。
TVによく映る(つまり上位で活躍してる)割にはイマイチ優勝が少なかったが、「メモリアルトーナメント」という大きい大会で優勝して勢いに乗っている選手だ。
写真の通り見た目はいつでもヘラヘラ笑ってる印象で、失礼だが首都オセロ出身とは思えないくらいに洗練されてない純朴な青年っぽい。
うーむ、関係ない話なのはわかっていても、他にノルウェーで連想するものも少ないからちょっと書いてみただけ。

気を取り直して次に紹介するのはこれ、1980年にオスロで結成した3人組、De Pressだ。
ポーランド出身のメンバーが中心となっているため、純粋にノルウェーのバンドとは言えないのかも知れないが、ポーランドっぽいとかノルウェーっぽいとかの区別もつかないROCKHURRAHなので特に問題はない。
1980年のデビュー以来、2010年代くらいまでコンスタントに活動していた長寿バンドらしいが、日本語で彼らのことを書いた文章が悲しいほどないので、バンドの詳細とかはわかってない状況だよ。
ヴォーカルとベースのアンドレイ・ネッブというのが中心となってて、この人がポーランド人というくらいしかわかってない。

前に波蘭土編でも書いた通り、この時代のポーランドは独立派の反共産主義労働組合「連帯」と社会主義政権の間で激しく対立していて、戒厳令がしかれたために民衆の生活が破綻していた頃だと思える。
アンドレイ・ネッブ氏やその家族はそれを逃れてノルウェーにやってきたのか、もっと前から来てたのかは知らないが、誰でもそんな状況の母国は嫌になるだろうな。

そういう怒りを込めてなのかは知らないがビデオの冒頭では旧ソ連を象徴する、鎌を研ぐような危なっかしいパフォーマンスを見せてくれる。それを投げ捨てたというような意味なのだろうか?
もっとカッコ良く投げ捨てるとかの編集が出来ないものかね。この洗練されてないところが彼らの真骨頂。
ビデオの曲「Bo jo cie kochom(あなたを愛してる)」は1981年に発表した1stアルバムに収録されている曲より。

このネッブ氏、ミュージシャンというより労働者のような風貌なんだが、歌はやっぱりロシア民謡とかそっちの方の(おそらくポーランド民謡?)雰囲気、それとパンクっぽさがミックスされた粗野な感じが独特の魅力なんだろうな。
妙にきれいなコーラスが当時の英米のパンクにはない要素で、この辺は北欧メタルとかの雰囲気なのかな。
そういうヴォーカルとは対象的に英米パンクの影響をモロに受けたようなギタリストは、1981年にはまだなかったスカコアっぽい激しいカッティング(イギリスのフライズが1977年には既に開発していた手法)で当時のノルウェーでは先進的だったと思われる。

このDe Press、90年代くらいになると山岳地帯やフィヨルド、牧羊地帯などの自然をモチーフとした素朴なレコード・ジャケットが多くなり、パッとレコード屋で見ただけではニュー・ウェイブ系のレコードにはとても見えないが、音の方はちゃんとポスト・パンクなのでその辺のギャップもユニークな個性だね。

上記のDe Pressのアンドレイ・ネッブは他にもバンド活動をやっていて、それがこのHoly Toyだ。
これまたポーランド人がフロントマンなのでノルウェーの純国産バンドとは言えないかも知れないが、De Pressと活動時期がかぶってて、1982年から90年くらいに掛け持ちでやってた模様。
こっちの方はいわゆるエクスペリメンタル系と言えばいいかな。
今の目で見るとそこまで実験的とも思えないが、80年代前半のノルウェーだと思えば充分に画期的な試みなんだろうな。

ビデオは1982年に出た1stアルバム「Warszawa」や83年のシングルにも収録されていた曲より。
このアルバムはよくレコード屋で見かけていたことを思い出す。
ジョイ・ディヴィジョンの前のバンドがワルシャワだったので1回間違えたというだけの話なんだが、紛らわしいタイトルだのバンド名だのはこの時代からよくあること。
ライブ・ワイヤーというバンドのレコードをワイヤーのライブだと勘違いして手に取ったりもしたなあ。

「Down in Japan」というタイトル通り、日本の映像がメインとなって、そこに浮かび上がるアンドレイ・ネッブの顔と抑揚ない歌という構成で、プロモーション・ビデオがある自体が謎。売る気はあったんだろうな。
ちなみに今はミュージック・ビデオとかMVとか言ってるけど、80年代的にはプロモーション・ビデオ、プロモと言ってたのでウチでは80年代方式を貫くよ。

DAFの「Der Mussolini」が元気なくなったようなこの歌に比べれば、情感たっぷりのDe Pressの方がまだ好みだな。

何年か前の冬に寒がりのROCKHURRAHが買ったのがUBER(UBR)というメーカーのダウン・コートだった。
ウーバーイーツと意味合いは同じなんだけど、ドイツ語で「上質」を表すブランド名がついてるとのこと。
がしかしこれはドイツではなくノルウェーの高級アウターだそうで、日本よりずっと寒いと思われる北欧の冬を乗り切るための数々のテクノロジーを盛り込んだ機能性アウター、そして服なのになぜかインダストリアル・デザイナーがデザインしたというのが気に入って買ってみたよ。
見た目はダウンとは思えないくらいにタイトでスマート、暖かさも申し分ない。
しかし買ったサイズが悪かった。
デブと言われたことは一度もないパッと見は痩せぎすのROCKHURRAHでも、タイト過ぎて前を閉めたら身動き取りづらいという残念な買い物だったよ。

さて、上に書いたHoly Toyにも参加していたBjørn Sorknes(読めん) がそれ以前に在籍していたのがこのFra Lippo Lippiだ。
フラ・リッポ・リッピ、早口で言いにくい珍妙なバンド名だが、ルネッサンス期の有名な画家(ボッティチェリの師匠)の名前からそのまんま拝借したバンド名だな。
日本盤でレコードも出てたしa-Haの次くらいに知名度が高いノルウェーのバンドかもね。

前述のBjørn Sorknesはバンドの創設メンバーの1人だが、彼がいた初期は「ノルウェーのジョイ・ディヴィジョン」と呼ばれるほどジョイ・ディヴィジョン風味をそのまんま拝借したクリソツ・バンドだった。
さすがにこのまんまじゃ永遠にフォロワーでしかない、と思ったのか音楽性を変えてゆき、そのBjørn氏もバンドを去った後にいくつかのスマッシュヒットを放ち、一気にメジャーっぽく変身していった。
日本盤が出て知ってる人が多くなった頃とデビュー当時では全く音楽性が違うのでビックリしますわ。

ビデオはメジャー路線も板についてきた1986年のヒット曲「Shouldn’t Have To be Like That 」だ。
涼し気なメロディーと大仰ではない等身大のポップス、というような図式はイギリスのスミスとかギターポップのいくつかのバンドにも呼応するが、そういう取り入れ方もうまいバンドなんだろうな。
しかしビデオの方は実写がデッサンで塗られていったり、a-Haの「Take On Me」をさりげなくパクったような出来。
うーん、やっぱり拝借するのが上手なバンドとしか言われないだろうな。

オーロラ見たいとかフィヨルド見たいとかの観光でノルウェーは人気だと思うが、最近では格安航空券とかもあるし、大昔ほどの決死の覚悟で地の涯に飛ぶ、という感覚はないんだろうな。
物価がすごく高いらしいので行ってから苦労するかも知れないが。

亡くなった伯母が旅行大好きで、海外や国内の旅行行った写真だけで何千枚あるか?というくらいの記録を残してるんだが、今とは違って高かったからなのかあまり興味なかったのかはわからないが、北欧には行ってないようだ。
ゴビ砂漠とかまで行ってるのに。
ROCKHURRAHもどうせ欧州に行くならスペインかイタリアかイギリスか、どっちにしろウチの場合は通常の観光というよりはアートな場所の方がよほど楽しめるから、絶景やグルメよりはそっちを優先させるだろうな。
人によって魅力の場所は違うからね。

オスロに次ぐ第2の都市として有名な港町ベルゲン出身なのがこのAlle Tiders Dusterというバンドだ。
1980年から84年という短い期間しか活動してないし、知名度は相当に低いと思うけど、写真を見てわかる通りに化粧や仮装をしたアングラ劇団風のなかなか派手なバンドだったようだ。
80年代前半のオスロとかベルゲンがどれくらいの都会だったのかは知らないが、こういうちゃんとしたニュー・ウェイブ、ポスト・パンクのシーンがあったのにちょっとビックリする。
そりゃ日本よりイギリス近いし、ハンザ同盟やヴァイキングで貿易栄えてたから(時代が違う)音楽の輸出入も盛んだったのかな。

このバンドは81年から82年にアルバム1枚とシングル2枚を地元のレーベル、アポロン・レコーズから出しているが、無論日本のアポロン音楽工業(アイドルやゲーム音楽のカセットとか出してたけど)とは関係ない。

動いてる映像もあったんだが曲がパッとしなかったので、この曲を選んだよ。
聴いてすぐにヒカシューとかプラスチックス、タコの「な・い・し・ょのエンペラーマジック」あたりを連想してしまうが、ヨーロッパでもこの系統の音楽は探せば色々あるから、その辺の影響を受けたんだろう。
本人たちはPILやアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンとかの影響下にあると言ってたが、そういう傾向よりはむしろこっちのチープでキッチュ(最近あまり言わないな)な路線の方が合ってるような気がする。
ヴォーカルが男女3人もいるバンドなので雰囲気も色々、これいいわ(デヴィ夫人)。

Alle Tiders Dusterは地元ベルゲンを舞台に、子どもたちを主人公にした「Carl Gustav, gjengen og parkeringsbandittene(カール・グスタフと仲間たち)」というコメディ映画にそのまんまバンドとして出演している。
1982年のノルウェー映画で日本で公開もDVD化もされてなさそうだが、この時代に流行した子供が主役のちょっとした冒険ものみたいな雰囲気が楽しそう。

「他のウェブサイトでの再生は、動画の所有者によって無効にされています」とあり動画の再生が出来なかったのが残念だが、YouTubeで観るだけなら出来るようだ。
冒頭の2:30くらいからちょっとだけなんだが、見た目も音楽も英米のニュー・ウェイブと比べてひけを取ってないという気概があるね。
せっかくアングラ劇団風なんだから演技もしてほしかったな。

北欧というとヘヴィメタルというイメージが強いけど、メタルに全く興味がないROCKHURRAHでも知ってるくらいにビッグネームは80年代で言うとスウェーデン産が多く、ブラックメタルという悪魔崇拝のジャンルが隆盛を極め、ノルウェーのバンドが有名になってきたのは1990年代以降になってからだという。
しかしノルウェーのバンドのメンバーが別のバンド・メンバーを殺害したり、教会へ放火したり、過激さが度を越し過ぎて大事件となったりで、いくら何でもこりゃやり過ぎだろ、と思ってしまうよ。
冬が寒く雪深いところだから激しいメタルで大騒ぎ、くらいならまだ良かったのにシャレにならんぞよ。

さて、知ったバンドも少ないし大して書けないだろうと予測していた諾威編だが、意外と長く書いてしまった。
最後のバンドは首都オスロで1982年に結成したバンド、前述のブラックメタルとは何の関係もないGarden Of Delight、これで終わりにしよう。

ビデオを見ればわかる通り、派手な女性を4人も含む5人組で本場イギリスにもいない本格派のポジティブ・パンク、ゴシックのバンドだった。死体役だけが男なのかな?
女性メンバーが多いこの手のバンドというとドイツのX-mal Deutschlandが同じような編成だが、ヴォーカルや演奏のスタイルはたぶん多くの影響を受けてるような気がする。
とは言ってもほぼ同時代のバンドでしかもゴシックなシーンもなさそうなノルウェーだと考えれば、Garden Of Delightはかなりポイント高いと思えるよ。
ヴィジュアル的にも良いのでもう少し頑張って音楽活動に勤しんでいれば、伝説のバンドにもなれたのに惜しい。
1984年にシングル2枚と87年にアルバム1枚出しただけで終わっていて、しかもアルバムの方は全くゴシック要素もないようなジャケットで、間違って買う人も稀だったに違いない。

この手の先駆者で絶対的女王と言えばスージー&ザ・バンシーズで、同じようなジャンルの女性ヴォーカルというと大半がスージーっぽい。
演奏がちょっと違うだけでバンシーズなのか別のバンドなのか違いがわかりにくい、などという苦情が寄せられてもいるが(ウソ)、Garden Of Delightはまあ見栄えの良さで数あるポジパン・バンドの中でも高得点をつけられると思うよ。
イギリスに渡れば良かったのにね。

以上、ノルウェーや80年代ノルウェー産ニュー・ウェイブの良さを全く伝えることは出来なかったようだが、これに懲りずにまた色々な国を探してゆきたいと思うよ。
それではまた、ハ デ ブラ!(ノルウェー語で「さようなら」)