80年代世界一周 諾威編

【厳しい自然の中で培われた斯干的那維魂(読めん)】

ROCKHURRAH WROTE:

実に久しぶりとなるROCKHURRAHによるブログ記事だよ。

長い歴史を持つ当ブログであるが、ROCKHURRAH WEBLOGという割にはSNAKEPIPEが大半の記事を書いてて、ROCKHURRAHとしては「実に久しぶり」とか「最後に書いたのがいつだったか覚えてない」としか書きようがないくらいの怠慢ぶり。 SNAKEPIPE WEBLOGとタイトル変えた方が良くないか?
最近はあまり文章書いてないせいもあるけど、気の利いた言葉のひとつも出てこないのが自分でもイヤになるよ。

さて、そんなROCKHURRAHが今日書こうとしてるのがこれまた久しぶり「80年代世界一周」というシリーズ記事だ。
主に70〜80年代のパンクやニュー・ウェイブについてしか語らないROCKHURRAHが、イギリスやアメリカなどのメジャーな国以外の80年代音楽を探してきて語る、といった単純な企画だ。

あまりニュー・ウェイブ先進国ではないと思われた国に意外な逸材がいたりして、その辺が好きな人には興味深いかもと思って始めてみたんだが・・・。
ROCKHURRAHがレコードを必死に集めてた時代と違い、あらゆる国のあらゆる年代の情報を得るのが難しくない時代になってるから、こんな記事自体が意味なしかも知れないね。
別にニュー・ウェイブ音楽の権威になりたいわけでないから、それはそれ、これはこれ(意味不明)。

今回取り上げるのが「諾威」とあるが、うーむ、世界情勢に疎いROCKHURRAHなので見覚えない国名だぞよ。
そもそも国名を漢字、当て字で日常的に扱ってる人はクイズ王か挑戦者くらいのもので、知らなくても特に問題はなかろう。
諾威と書いてノルウェーと読むそうな。
ノル要素もウェー要素も微塵も感じないところがすごいな、誰がこの当て字考えたの?

ノルウェーは誰でも知ってるようにスウェーデン、デンマークと共に北欧のスカンジナビア三国のひとつだが、文化面で言うならメジャーなスウェーデンに比べるとイマイチ知られてないような気がするよ。
詳細に調べたわけじゃないから、個人的な印象ね。
ちなみに一番上のスライドショーの下の小さな文字で斯干的那維と書いてるのはスカンジナビアの当て字だそうだ、ひゃー、ますます読めん。

「80年代世界一周」の題材となるバンドが割といっぱい出てきそうなスウェーデンを飛ばして、敢えてノルウェーにしてみたのは本当にイマイチなのか気になったからというわけだ。
では80年代ノルウェーのニュー・ウェイブはどんなだったのか、書いてみよう。

ノルウェーというと誰でもすぐに連想するのはサーモンやオイルサーディンなどの海産物かな。
アラスカやチリ産のサーモンもあるけど、最も知名度が高いのがノルウェー産なんだろう。
子供の頃は「釣りキチ三平」のキングサーモン編で舞台はカナダだったから、その辺が有名な産地だと思ってたけど、輸入して食べてるのは釣った天然ものではなく養殖ものだから事情が違うんだろうな。
ROCKHURRAHもSNAKEPIPEも特に好き嫌いはないんだが、サーモンの刺し身や寿司を好んで食べることはなかった。
理由はよくわからないんだが、昔食べてうまくなかったとか何かあったからだろうね。
しかしある時、手巻き寿司のネタでとてもうまいサーモンを食べてからは積極的に食べるようになったよ。
オチはない。
ノルウェーについて何か書きたかったからどうでもいいことを書いてみたが、意味なしの数行だったな。

80年代的に言うとあまり知られてないノルウェーのバンドの中で、最も知名度が高いのがこのa-Haで間違いないだろうな。
知名度云々よりも音楽とかに特に興味なくても、この当時に青春期だった人ならば彼らの「Take On Me」はどこかで一度は聴いたことがあるだろうというくらいの、1985年の大ヒット曲だよね。
ノルウェーで活動してたわけではなくイギリスに渡ってから大成功を収めたから、故郷に錦を飾った(最近あまり言わない表現だな)ノルウェー人バンドというわけだ。

パンクでニュー・ウェイブだったROCKHURRAHは、この手のメジャー売れ線には特に興味がなかったから素通りしたバンドなんだが、ノルウェーと言うより単に北欧のどこかのバンドという認識くらいしかなかったよ。

1982年の結成以来、メンバーが変わることなく不動の仲良し3人組で、いまだに活動しているというのもビックリだ。
デビュー曲「Take On Me」はデッサンがアニメーションして実写と混ざるという、当時としては斬新なビデオが話題を呼び大ヒットしたが、実はこれより前のあまりヒットしなかったヴァージョンというのも存在しているようだ。

大ヒットしたものよりアッサリしていて簡素だけどこっちのヴァージョンの方が個人的には好ましい。
最初に売れなかったものが別のアレンジやプロデュースでヒットするというところはBムービーの「Nowhere Girl」を思い出すが、そっちの方を知らない人の方が多いか?

「Take On Me」があまりにも有名だからこの時だけの一発屋だろうと思ってたが、それなりにヒットで食いつないでいたようで、上の方のビデオも大メジャー映画「007 リビング・デイライツ」のテーマ曲だったな。
実はROCKHURRAHもSNAKEPIPEも007シリーズは1作目からダニエル・クレイグが最後を飾った「ノー・タイム・トゥ・ダイ」まで(どのタイトル言われても内容がパッと思い出せるほどのファンじゃないけど)ほぼ全作観ている。
「リビング・デイライツ」は歴代ボンドの中でも一番印象が薄いティモシー・ダルトンによるもので、前のロジャー・ムーアの陽気なボンドの方が良かったよとか言いながらも、もしかしたらジェームズ・ボンドの本来の雰囲気を最も出していたのかも。
ウチでは満場一致で(2人しかいないけど)やっぱり一番はショーン・コネリーだけどね。

a-Haのテーマ曲は「Take On Me」よりは骨太でいかにも80年代ヒット曲のオーラに溢れる野心作だが、007のタイトルバックをそのまんま当てはめたようなビデオもいいね。
知名度の高いa-Haを冒頭に持ってきたが、個人的に何も思い入れがないからぞんざいな文章になってしまったし、ノリも悪いな。
やっぱりROCKHURRAHはこういうメジャーどころには疎いと痛感したよ。

ノルウェーと言えばROCKHURRAHとSNAKEPIPEにとって、ここ数年で真っ先に連想するのはアメリカのPGAツアーで活躍する若手プロ・ゴルファー、ビクトル・ホブランドだ。
ノルウェーにいても世界的ゴルファーにはなれないからアメリカに進出し、アマチュア・ランキングのトップだった逸材。
TVによく映る(つまり上位で活躍してる)割にはイマイチ優勝が少なかったが、「メモリアルトーナメント」という大きい大会で優勝して勢いに乗っている選手だ。
写真の通り見た目はいつでもヘラヘラ笑ってる印象で、失礼だが首都オセロ出身とは思えないくらいに洗練されてない純朴な青年っぽい。
うーむ、関係ない話なのはわかっていても、他にノルウェーで連想するものも少ないからちょっと書いてみただけ。

気を取り直して次に紹介するのはこれ、1980年にオスロで結成した3人組、De Pressだ。
ポーランド出身のメンバーが中心となっているため、純粋にノルウェーのバンドとは言えないのかも知れないが、ポーランドっぽいとかノルウェーっぽいとかの区別もつかないROCKHURRAHなので特に問題はない。
1980年のデビュー以来、2010年代くらいまでコンスタントに活動していた長寿バンドらしいが、日本語で彼らのことを書いた文章が悲しいほどないので、バンドの詳細とかはわかってない状況だよ。
ヴォーカルとベースのアンドレイ・ネッブというのが中心となってて、この人がポーランド人というくらいしかわかってない。

前に波蘭土編でも書いた通り、この時代のポーランドは独立派の反共産主義労働組合「連帯」と社会主義政権の間で激しく対立していて、戒厳令がしかれたために民衆の生活が破綻していた頃だと思える。
アンドレイ・ネッブ氏やその家族はそれを逃れてノルウェーにやってきたのか、もっと前から来てたのかは知らないが、誰でもそんな状況の母国は嫌になるだろうな。

そういう怒りを込めてなのかは知らないがビデオの冒頭では旧ソ連を象徴する、鎌を研ぐような危なっかしいパフォーマンスを見せてくれる。それを投げ捨てたというような意味なのだろうか?
もっとカッコ良く投げ捨てるとかの編集が出来ないものかね。この洗練されてないところが彼らの真骨頂。
ビデオの曲「Bo jo cie kochom(あなたを愛してる)」は1981年に発表した1stアルバムに収録されている曲より。

このネッブ氏、ミュージシャンというより労働者のような風貌なんだが、歌はやっぱりロシア民謡とかそっちの方の(おそらくポーランド民謡?)雰囲気、それとパンクっぽさがミックスされた粗野な感じが独特の魅力なんだろうな。
妙にきれいなコーラスが当時の英米のパンクにはない要素で、この辺は北欧メタルとかの雰囲気なのかな。
そういうヴォーカルとは対象的に英米パンクの影響をモロに受けたようなギタリストは、1981年にはまだなかったスカコアっぽい激しいカッティング(イギリスのフライズが1977年には既に開発していた手法)で当時のノルウェーでは先進的だったと思われる。

このDe Press、90年代くらいになると山岳地帯やフィヨルド、牧羊地帯などの自然をモチーフとした素朴なレコード・ジャケットが多くなり、パッとレコード屋で見ただけではニュー・ウェイブ系のレコードにはとても見えないが、音の方はちゃんとポスト・パンクなのでその辺のギャップもユニークな個性だね。

上記のDe Pressのアンドレイ・ネッブは他にもバンド活動をやっていて、それがこのHoly Toyだ。
これまたポーランド人がフロントマンなのでノルウェーの純国産バンドとは言えないかも知れないが、De Pressと活動時期がかぶってて、1982年から90年くらいに掛け持ちでやってた模様。
こっちの方はいわゆるエクスペリメンタル系と言えばいいかな。
今の目で見るとそこまで実験的とも思えないが、80年代前半のノルウェーだと思えば充分に画期的な試みなんだろうな。

ビデオは1982年に出た1stアルバム「Warszawa」や83年のシングルにも収録されていた曲より。
このアルバムはよくレコード屋で見かけていたことを思い出す。
ジョイ・ディヴィジョンの前のバンドがワルシャワだったので1回間違えたというだけの話なんだが、紛らわしいタイトルだのバンド名だのはこの時代からよくあること。
ライブ・ワイヤーというバンドのレコードをワイヤーのライブだと勘違いして手に取ったりもしたなあ。

「Down in Japan」というタイトル通り、日本の映像がメインとなって、そこに浮かび上がるアンドレイ・ネッブの顔と抑揚ない歌という構成で、プロモーション・ビデオがある自体が謎。売る気はあったんだろうな。
ちなみに今はミュージック・ビデオとかMVとか言ってるけど、80年代的にはプロモーション・ビデオ、プロモと言ってたのでウチでは80年代方式を貫くよ。

DAFの「Der Mussolini」が元気なくなったようなこの歌に比べれば、情感たっぷりのDe Pressの方がまだ好みだな。

何年か前の冬に寒がりのROCKHURRAHが買ったのがUBER(UBR)というメーカーのダウン・コートだった。
ウーバーイーツと意味合いは同じなんだけど、ドイツ語で「上質」を表すブランド名がついてるとのこと。
がしかしこれはドイツではなくノルウェーの高級アウターだそうで、日本よりずっと寒いと思われる北欧の冬を乗り切るための数々のテクノロジーを盛り込んだ機能性アウター、そして服なのになぜかインダストリアル・デザイナーがデザインしたというのが気に入って買ってみたよ。
見た目はダウンとは思えないくらいにタイトでスマート、暖かさも申し分ない。
しかし買ったサイズが悪かった。
デブと言われたことは一度もないパッと見は痩せぎすのROCKHURRAHでも、タイト過ぎて前を閉めたら身動き取りづらいという残念な買い物だったよ。

さて、上に書いたHoly Toyにも参加していたBjørn Sorknes(読めん) がそれ以前に在籍していたのがこのFra Lippo Lippiだ。
フラ・リッポ・リッピ、早口で言いにくい珍妙なバンド名だが、ルネッサンス期の有名な画家(ボッティチェリの師匠)の名前からそのまんま拝借したバンド名だな。
日本盤でレコードも出てたしa-Haの次くらいに知名度が高いノルウェーのバンドかもね。

前述のBjørn Sorknesはバンドの創設メンバーの1人だが、彼がいた初期は「ノルウェーのジョイ・ディヴィジョン」と呼ばれるほどジョイ・ディヴィジョン風味をそのまんま拝借したクリソツ・バンドだった。
さすがにこのまんまじゃ永遠にフォロワーでしかない、と思ったのか音楽性を変えてゆき、そのBjørn氏もバンドを去った後にいくつかのスマッシュヒットを放ち、一気にメジャーっぽく変身していった。
日本盤が出て知ってる人が多くなった頃とデビュー当時では全く音楽性が違うのでビックリしますわ。

ビデオはメジャー路線も板についてきた1986年のヒット曲「Shouldn’t Have To be Like That 」だ。
涼し気なメロディーと大仰ではない等身大のポップス、というような図式はイギリスのスミスとかギターポップのいくつかのバンドにも呼応するが、そういう取り入れ方もうまいバンドなんだろうな。
しかしビデオの方は実写がデッサンで塗られていったり、a-Haの「Take On Me」をさりげなくパクったような出来。
うーん、やっぱり拝借するのが上手なバンドとしか言われないだろうな。

オーロラ見たいとかフィヨルド見たいとかの観光でノルウェーは人気だと思うが、最近では格安航空券とかもあるし、大昔ほどの決死の覚悟で地の涯に飛ぶ、という感覚はないんだろうな。
物価がすごく高いらしいので行ってから苦労するかも知れないが。

亡くなった伯母が旅行大好きで、海外や国内の旅行行った写真だけで何千枚あるか?というくらいの記録を残してるんだが、今とは違って高かったからなのかあまり興味なかったのかはわからないが、北欧には行ってないようだ。
ゴビ砂漠とかまで行ってるのに。
ROCKHURRAHもどうせ欧州に行くならスペインかイタリアかイギリスか、どっちにしろウチの場合は通常の観光というよりはアートな場所の方がよほど楽しめるから、絶景やグルメよりはそっちを優先させるだろうな。
人によって魅力の場所は違うからね。

オスロに次ぐ第2の都市として有名な港町ベルゲン出身なのがこのAlle Tiders Dusterというバンドだ。
1980年から84年という短い期間しか活動してないし、知名度は相当に低いと思うけど、写真を見てわかる通りに化粧や仮装をしたアングラ劇団風のなかなか派手なバンドだったようだ。
80年代前半のオスロとかベルゲンがどれくらいの都会だったのかは知らないが、こういうちゃんとしたニュー・ウェイブ、ポスト・パンクのシーンがあったのにちょっとビックリする。
そりゃ日本よりイギリス近いし、ハンザ同盟やヴァイキングで貿易栄えてたから(時代が違う)音楽の輸出入も盛んだったのかな。

このバンドは81年から82年にアルバム1枚とシングル2枚を地元のレーベル、アポロン・レコーズから出しているが、無論日本のアポロン音楽工業(アイドルやゲーム音楽のカセットとか出してたけど)とは関係ない。

動いてる映像もあったんだが曲がパッとしなかったので、この曲を選んだよ。
聴いてすぐにヒカシューとかプラスチックス、タコの「な・い・し・ょのエンペラーマジック」あたりを連想してしまうが、ヨーロッパでもこの系統の音楽は探せば色々あるから、その辺の影響を受けたんだろう。
本人たちはPILやアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンとかの影響下にあると言ってたが、そういう傾向よりはむしろこっちのチープでキッチュ(最近あまり言わないな)な路線の方が合ってるような気がする。
ヴォーカルが男女3人もいるバンドなので雰囲気も色々、これいいわ(デヴィ夫人)。

Alle Tiders Dusterは地元ベルゲンを舞台に、子どもたちを主人公にした「Carl Gustav, gjengen og parkeringsbandittene(カール・グスタフと仲間たち)」というコメディ映画にそのまんまバンドとして出演している。
1982年のノルウェー映画で日本で公開もDVD化もされてなさそうだが、この時代に流行した子供が主役のちょっとした冒険ものみたいな雰囲気が楽しそう。

「他のウェブサイトでの再生は、動画の所有者によって無効にされています」とあり動画の再生が出来なかったのが残念だが、YouTubeで観るだけなら出来るようだ。
冒頭の2:30くらいからちょっとだけなんだが、見た目も音楽も英米のニュー・ウェイブと比べてひけを取ってないという気概があるね。
せっかくアングラ劇団風なんだから演技もしてほしかったな。

北欧というとヘヴィメタルというイメージが強いけど、メタルに全く興味がないROCKHURRAHでも知ってるくらいにビッグネームは80年代で言うとスウェーデン産が多く、ブラックメタルという悪魔崇拝のジャンルが隆盛を極め、ノルウェーのバンドが有名になってきたのは1990年代以降になってからだという。
しかしノルウェーのバンドのメンバーが別のバンド・メンバーを殺害したり、教会へ放火したり、過激さが度を越し過ぎて大事件となったりで、いくら何でもこりゃやり過ぎだろ、と思ってしまうよ。
冬が寒く雪深いところだから激しいメタルで大騒ぎ、くらいならまだ良かったのにシャレにならんぞよ。

さて、知ったバンドも少ないし大して書けないだろうと予測していた諾威編だが、意外と長く書いてしまった。
最後のバンドは首都オスロで1982年に結成したバンド、前述のブラックメタルとは何の関係もないGarden Of Delight、これで終わりにしよう。

ビデオを見ればわかる通り、派手な女性を4人も含む5人組で本場イギリスにもいない本格派のポジティブ・パンク、ゴシックのバンドだった。死体役だけが男なのかな?
女性メンバーが多いこの手のバンドというとドイツのX-mal Deutschlandが同じような編成だが、ヴォーカルや演奏のスタイルはたぶん多くの影響を受けてるような気がする。
とは言ってもほぼ同時代のバンドでしかもゴシックなシーンもなさそうなノルウェーだと考えれば、Garden Of Delightはかなりポイント高いと思えるよ。
ヴィジュアル的にも良いのでもう少し頑張って音楽活動に勤しんでいれば、伝説のバンドにもなれたのに惜しい。
1984年にシングル2枚と87年にアルバム1枚出しただけで終わっていて、しかもアルバムの方は全くゴシック要素もないようなジャケットで、間違って買う人も稀だったに違いない。

この手の先駆者で絶対的女王と言えばスージー&ザ・バンシーズで、同じようなジャンルの女性ヴォーカルというと大半がスージーっぽい。
演奏がちょっと違うだけでバンシーズなのか別のバンドなのか違いがわかりにくい、などという苦情が寄せられてもいるが(ウソ)、Garden Of Delightはまあ見栄えの良さで数あるポジパン・バンドの中でも高得点をつけられると思うよ。
イギリスに渡れば良かったのにね。

以上、ノルウェーや80年代ノルウェー産ニュー・ウェイブの良さを全く伝えることは出来なかったようだが、これに懲りずにまた色々な国を探してゆきたいと思うよ。
それではまた、ハ デ ブラ!(ノルウェー語で「さようなら」)

80年代世界一周 羅甸亞米利加編

【羅甸亞米利加もいよいよ大詰め。今回はその他の地域に焦点を当ててみたよ】

ROCKHURRAH WROTE:

ROCKHURRAHが書く2022年最初のブログ記事・・・などという書き出しで始めようと思ってたが、何と去年はわずか3回しかブログを書いてなかった事に気づいた。

他の事をやっててものすごく多忙だったというわけでもなくて、こりゃサボりすぎだよ、と反省。
今年はもう少し書けるように頑張らないとね。

ROCKHURRAHが企画したシリーズ記事は、どれもこれも忘れ去られたのばかりなんだけど、久々に書こうと選んだのが「80年代世界一周」というタイトルで書いていたもの。
久々だからまたしつこく説明するならば、パンクやニュー・ウェイブが盛んだったイギリスやアメリカなどのロック主要国以外の80年代バンドはどういう状況だったのか、個人的な好き嫌いのみで書いてみようという企画だった。

最後に書いたのが2020年の11月だから、1年以上も続きを書いてなかった事になるよ。

で、最後の方で書いてたのがブラジルとアルゼンチン。
南米だけで大まかに1回で書こうと思ってたのに、意外とバンドの層が厚くて個別の記事としたんだったな。

今回はその続きという事でその他の南米各国の80年代ニュー・ウェイブについて考察してみよう。
タイトルに書いた羅甸亞米利加というのはラテン・アメリカの事で、スペイン語やポルトガル語を主に公用語とする(要するにその辺が植民地としてた)南米あたりの国というわけ。
ラテンもアメリカももっとわかりやすい当て字があったはずだけど、どうしても一般的に普及してなさそうなのを選んでしまうのがROCKHURRAHの性(さが)なんだな。

南米編も3回目、ブラジルとアルゼンチンという大国をすでに書いてるが、その次に挙げるべきメジャーな国と言えばどこかな?
と考えた結果、次はどう考えても不便そうな縦長すぎる大国、チリにしてみよう。
漢字で書くと割と普通な智利という当て字だそうだが、人名でもありそう。

遠く離れた日本では「南米と言えばどこの国?」と聞かれてもパッと国名が思いつかない人もいるだろうし、ROCKHURRAHもこの国の事をロクに知りもしない。
SNAKEPIPEが大好きな映画監督のアレハンドロ・ホドロフスキーの出身地だとか、好きな人も多いチリ・ワインとか、有名アウトドア・メーカー名にも使われたパタゴニアが南の方にあるとか、書いてて情けなくなるほどの貧困なイメージしかないよ。
異常なまでに縦長の領土を地図上で見ると、この国を旅するのは暑かったり寒かったり砂漠だったり大変な思いをしそうだな、と想像するよ。日本も十分に縦長だとは思うが。

大変遅ればせながら、だけど・・・いつの間にかようやく品薄状態じゃなくなったので、前々から欲しかった任天堂Switchを購入した。買うチャンスはあったんだろうが、手に入らない時に高い値段で買うのもなあ、という庶民的な理由で旬の時期は断念していたのだ。
早速遊んでいるのが「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」なんだが、行こうと思ってる場所の気候に合わせて毎回装備チェンジしないといけない。
前は草切ってたら貯まってたお金もシビアになったし、朝昼夜に加えて雨の日、雷雨の日などという細かいところが変にリアルになったので、ウチでは賛否両論になりながらも夢中で各地を駆け回ってる日々だよ。
上に書いた「暑かったり寒かったり砂漠だったり大変な思いをしそうだな」という一文の間に「耐暑効果のある服はゲルドのこれで防寒の時はリト族のこっち」などとゼルダ関連の情報が頭をよぎった、というだけの話なんだけどね。

そんなチリを逞しく生きた80年代バンドがこれ、Los Prisionerosだ。
英語で言えばPrisoners、囚人という意味だと思うけど、スペイン語ではプリシオネイロとなるのか。やっぱり語感がいいねスペイン語、喋れはしないが大好きな言語だよ。
大都市サンティアゴ出身の彼らは1979年結成で84年くらいにレコード・デビューしたというから、チリでちゃんと英米のパンクやニュー・ウェイブに比べて「そこまで遅れてない」と感じさせる数少ないバンドのひとつだろう。
南米のバンドはパンクとか言ってても70〜80年代のリアルタイムでは自由な音楽活動すら出来ないような情勢の国(クーデター多発地域という印象がある)もあったろうからね。
チリもご多分に漏れず70年代に軍事クーデターがあって、その後の人々の暮らしがどうだったかROCKHURRAHは知らないが、Los Prisionerosの音楽はそういう暗い時代背景を笑い飛ばしてしまうような一見陽気なラテン・ミクスチャーな音楽をやっていて、したたかな生命力を感じるよ。

「Maldito Sudaca」は1987年に出たシングル曲でアルバム「 La Cultura De La Basura(ゴミの文化的利用法)」にも収録されている勢いのある曲。
スダカというのは支配層のスペインが南米人のことを侮蔑した言い方で呼ぶような言い回しで、Maldito Sudacaとなるとここでは書かないが大変バカにしたような汚い言い方になると思うよ。
まあどこの国にもよその民族をバカにしたり自虐的だったり、そういう言葉はあるけどね。
ちなみにこれ以降も勝手に日本語訳した邦題やバンド名を書いてゆくが、全て公式ではないんで誰も参考にしないように。

ビートルズを足蹴にする挑戦的なビデオも、いかにも南米的なチンピラの役どころにピッタリな三人組の表情がいいね。
金を貸したら絶対に返ってきそうにない面構えだな。
曲は同時期かちょっと後くらいに大人気だったフランスの多国籍バンド、マノ・ネグラや亜爾然丁編でも書いたソダ・ステレオのような雰囲気のエネルギッシュなパンク+ラテン・ミックスなもの。この国で人気だったのもよくわかるよ。

チリと言えばこれも名前の出てくるバンド、Emociones Clandestinas。
日本語に訳すと「秘密の感情」だそうで、変な邦題がついた大ヒット海外ドラマとかでありそうだね。
チリの中央、ビオビオ州出身のこのバンドは1987年に1枚アルバムを出しただけのようだが、チリのパンク・バンドとしてはパイオニア的存在らしい。

87年と言えばイギリスではニュー・ウェイブのようなロック的なものがネタ切れで沈静化、簡単に言えば下火になってきた時代で、マンチェスターあたりではロック的ドラムではなくダンスっぽいビートと融合したスタイルがブームになった頃かな。
後の時代のバンドはしばらくこういう路線が主流となって現在のロックにも受け継がれてる、そういう境目の音楽が登場し始めたのがこの時代だと言える。
ジョイ・ディヴィジョンあたりは79年当時にそういうリズムでやってたような気がするから、87年元祖説はイマイチ信憑性がないけどな。
アメリカではこの頃はカレッジ・チャートの「頭でっかち、聴けば普通」という音楽も相変わらず量産されてたけど、グランジやオルタナ系などと呼ばれるバンド達が来たるべき90年代に流行る、その夜明け前といった感じ。
ROCKHURRAHの個人的な感覚で言えば、80年代最初の頃の次はどんな新しい音楽が来るか?といった期待感が完全に薄れてきたような時代だったよ。

そういう世界的な音楽情勢を踏まえてこのEmociones Clandestinasを聴くと、1987年に女絶叫ヴォーカルのシンプルな曲をやってる古臭さは否めないね。
スペインのAlaska Y Los Pegamoidesあたりの雰囲気はあるものの、向こうの方がずっとヴィジュアルもキャラクターも際立ってたから小粒にもほどがあるよ。
Carmen Gloria Narváezという女性ヴォーカルのようだが、たぶんこのバンドのメイン・ヴォーカルではなく、彼女のいない男4人組の方がむしろ知られてるようだ。
いきなり主演女優がいなくなって今後の展開は大丈夫なのかね「秘密の感情」?え、違う?

次はメキシコの、と書こうとして南米地図を見たらメキシコは南米じゃなかったのをこの歳まで知らなかったよ。
が、英語じゃないしアメリカの一部と見なす人もいないし、大体南米の仲間と言って差し支えないかな。え、ダメ?

この国のニュー・ウェイブ事情を調べたら80年代には実にチープなものばかり出てきて逆にビックリした。
いかにもごつい男たちの入れ墨パンクとかありそうな雰囲気なのに、よりによって探したのがこの軽薄そうなバンド、Sizeだ。

メキシコ初のパンク・バンドとして1979年にデビューしたと言うから、他の南米パンクよりはだいぶ早くから活動してたことになるがあまりレコードも出せずに、リアルタイムでは本国以外ではほとんど知られてない存在だった模様。
ビデオの曲「Go-Go Girl」は日本盤の出ている「音の宇宙模型」というノイズやアヴァンギャルド系多数収録のコンピレーションに、なぜか収録されてるのがとっても不思議だよ。

ヴォーカルの見た目はサイコビリー風なのに曲は甘い50’s調で、演奏は80年代初期のテクノポップ(シンセをたくさん使ったエレポップではなく、ちょっとだけ使用なのがポイント)という感じの、まとまってないちぐはぐさに満ち溢れたこのバンド。
イギリスやアメリカでは全く通用しなさそうなところが逆に唯一の個性と言えるのかもね。

これまたメキシコのSyntoma(症状) というバンド。
日本の80年代アイドルを彷彿とさせる女性ヴォーカルと冴えない男たちという3人組で、上のSizeと同じように初期テクノポップをやってるんだけど、その初々しさ、拙さがツボにはまる人もいるだろう。
一般的に考えるメキシコっぽさは皆無だね。
これは日本に輸入されてたら意外と大人気バンドになれたかも、と思うよ。
ヤング・マーブル・ジャイアンツのテクノ版という感じかな。

ヴォーカルの子がキーボードの演奏までして合間にマイクを握り歌うという、失敗しやすいスタイルのこの曲「Subliminal 」は1983年の作で、それを考えるとアイドル風衣装も初期テクノポップも決して古臭くもなく、メキシコは他の南米諸国のバンドとかよりはずっと英米の影響(ついでに日本も)を受けやすかったんだろうな。

またまたメキシコのバンド。
エドガー・アラン・ポーの詩にも出てくる由緒ある名前、ウラルメ嬢を中心としたCasino Shanghaiだ。
南米ではないメキシコから3つもバンドを持ってくる段階で今回の羅甸亞米利加編でかなり苦戦してる事がわかるだろう。
その通り、生粋の南米ではあまり目ぼしいバンドがなかったんだよ。

バンド名も世界で通用しそうだし、例えばZEレコーズ(フランスとアメリカを二股にかけた80年代ニュー・ウェイブのレーベルがあった)でリジー・メルシエ・デクルーやクリスティーナあたりに続いていれば割といい線いってたのではないかと思うくらいのレベルだよ。
メキシコ国外に進出しなかったから、やってる音楽はメジャーっぽくても知名度は低いのが残念。

ウラルメ嬢は写真ではコケティッシュ美女っぽいがビデオではちょっと微妙な感じがするね。
メイクや衣装のせいで大人びた、というよりは年増に見えてしまう。
全体的にちょっと陰影のある曲調と歌い方に雰囲気があって、目指す方向性はよくわかるけど、売り出し方がちょっと下手だったなあと思ってしまうよ。

次はブラジルとアルゼンチンに挟まれた小国ウルグアイ。
国名は知っててもこの国に関する知識がまるでないし、失礼ながらどんな国なのか全く想像出来なかったが、実は南米では最も高い水準の暮らしっぷりが出来るプチブル(最近聞かない言葉だな)国家だという。
今調べて知った付け焼き刃の知識だが、国民の3人に1人は銃を所持してるデンジャラスな国らしいな。
首都はモンテビデオという何だかよくわからんがカッコいい地名で羨ましい。

関係ないが日本でもルーマニア・モンテビデオという意味不明の名前がついたバンドが90年代くらいに活躍してて、その頃、夜型の生活をしてたROCKHURRAHはTVが終わる深夜か明け方になぜかそのバンドのビデオが流れてたのを思い出したよ。
1曲も知らないバンドなのにそのバンド名だけを記憶してるという事はやはり名前のインパクトが強かったんだろうか。

国が豊かだと音楽や芸術に関する需要も高まるのかは全くわからないが、意外なことに今回の南米その他の国の中では最も英米にひけを取らないバンドが見つかったよ。
Los Estomagos (胃)というケッタイなバンド名のこの4人組は1983年頃から活動してたというから、ウルグアイのニュー・ウェイブではパイオニア的な存在だったんだろうな。

「Frio oscuro(寒い闇)」というこの曲は南米のバンドとしてはたぶん珍しい、ジョイ・ディヴィジョンやキリング・ジョークあたりを思わせる重低音ダークな曲調で、当時の英国から強い影響を受けた事を感じさせる。日本と似た温暖な気候だとウルグアイの旅ガイドには書いてあったけど、そういうのに関係なく心の寒さを歌いたくなる時もあるんだろう。
うーん、おざなりで他人事のコメントだったな。

さて、次は南米では最も北部に位置するベネズエラから。
これまた何のイメージも湧いてこない国で困ってしまうが、石油産出国として80年代前半くらいまでは割と裕福な国だったとのこと。
しかし原油の下落や政策の失敗で一気に落ち込んでしまい、ROCKHURRAHのような素人が南米に抱く漠然とした悪いイメージ通りの国になってしまったらしい。政情不安定とか貧困とか治安が悪いとかの負のイメージね。

そんな世界最悪の治安の悪さとまで言われるベネズエラで、したたかに生き残ってきたガールズ・バンドがこれ、Psh-Pshだ。
意味は、うーむ、わからぬ。プシュプシュでいいのかいな?
80年代初頭から活動してたようだがリアルタイムではレコードも出してなく、割と最近になって発掘音源みたいなのが出たに過ぎない幻のバンドみたいなもんだな。
写真で見ると割とケバい(最近言わない言葉だね)女3人組で、やっぱり治安の悪いところで活動するからにはこれくらいじゃないとナメられてしまうよね。

こんなバンドだから当然動画もなかったけど、ビデオは1983年の「Juego de computadora(コンピュータ・ゲーム)」。
音楽は割と暗めのシンプルなパンクで、声を荒げる事もなく淡々と歌い上げるクールな印象。
世界で通用するレベルとは思わないけど、南米という感じは全くしないな。

最後もベネズエラ。
首都カラカスで1981年に結成されたがレコード・デビューに苦労したタイプのようで、実際の活動は80年代後半というこのバンド、Sentimiento Muerto(死んだ感じ)だ。詩的な解釈が全く出来ないGoogle翻訳、ひどいな。

見た目だけは世界に通用しそうなレベルの男5人組で、ラテン系ニュー・ウェイブの中では売れ線狙いの正統派だと感じるよ。今回は売る気がなさそうなバンドが多かったからね。
パッと見た感じではラブ&ロケッツ(バウハウスからピーター・マーフィーを除いた3人組バンド)のハート・マークのモノマネか?というような似たトレードマークを売り物にしていたり、ヴィジュアル戦略にも長けたバンドのようだ。
南米ではバレるまい、と思っていたのかな。

「El Payaso(ピエロ)」は1989年発表の「Sin Sombra No Hay Luz(影なし光なし)」というアルバムに収録のもの。
曲の方はチョッパー・ベースが全編リズミカルに鳴り響くもので、達者に音楽慣れした実力のバンドだと感じる。
明らかにベネズエラ、あるいは南米諸国というよりはヨーロッパ進出を狙ったくらいの意気込みを感じるが、大成したという話も全く聞かないから、これまたメジャー路線政策に失敗したのかね。

以上、今回は駆け足でラテン・アメリカの80年代を紹介して失敗したかも知れないが、この企画自体は個人的にも興味あるから、また機会があったらまとめてみたいと思ってるよ。
一番欲しいのは時間だね。毎年、初詣の時は「時間に余裕が出来ますように」と祈願しているよ。

ではまた、Jajoechapeve(ジャジョエシャペベ)
※グアラニー語(南アメリカ先住民の言語)で「さようなら」

80年代世界一周 亜爾然丁編

【予想外に豊富だった80年代亜爾然丁ロッカーの面々】

ROCKHURRAH WROTE:

以前に南米の80年代パンク、ニューウェイブ特集をしようと思ったら、予想外に層が厚かったからブラジルのみしか出来なかった。
それで今度は残りの南米について書いてみようか。
南米の音楽事情について全然詳しいわけでもなく、人から見たら何で書きたいのかがわからないというくらいのシロモノになるのは間違いないが、大体いつも割といいかげんに書いてるブログなので細かい事は気にしないで。

一口に南米と言っても相当な国がひしめいてて、地理や歴史に詳しくない人は国名を全部言えないのではないかと思う。
ROCKUHURRAHもスリナムとかガイアナなどはこれまでの人生で一度も話題にした事ない国名だったよ。
ブラジル以外の南米主要国はほとんどがスペイン語圏だから、国によって音楽のニュアンスが大きく変わる事はないような気がするな。
どうせその国の80年代がどうだったか?なんて知りもしないから、テキトーな順番で矢継ぎ早に書いてゆこう。

まず今回はブラジル以外の南米の国では一番メジャーそうな国、領土も南米二位という大国アルゼンチンから。
漢字で書くとタイトルのように亜爾然丁となる。爾がルで丁がチンなんだね。

この国に対するROCKUHURRAHのイメージは貧困で(どの国でもそうなんだが)アルゼンチン・タンゴとかガウチョとかフォークランド紛争(古い)とか、その辺の月並みなものしか思い浮かばないよ。
去年観に行った「永遠に僕のもの」や結構ヒットした「人生スイッチ」もアルゼンチン映画だったな。
その両方のプロデューサーだったペドロ・アルモドバル監督作品の常連、セシリア・ロスもアルゼンチン人だし、スペインとアルゼンチンは結構密接に関係してるという印象を勝手に持ってるよ。
ブエノスアイレスは南米のパリと呼ばれてるそうだし、旅番組とかで見てもたぶん好きな感じの国だと思った。
この国の80年代がどうだったかなんて知らないが、前回特集したブラジルと同じく、意外とパンク、ニューウェイブも発達してたのかな。

アルゼンチンのパンクとして真っ先に名前が挙がる大御所がこのLos Violadoresだ。スペイン語で「違反者」を意味するバンド名だがカタカナ表記したサイトが見つけられず、イマイチ読み方がわかってない。
そのまま読んでヴィオラドレスなどと書いて検索したら舞踏会か結婚式で着るようなすごいドレスが出てきたからきっと違うんだろうな。

1981年にブエノスアイレスで結成した4人組で最初の頃は割とガラの悪い見た目だったが、人気が出た頃にはニューヨーク・ドールズとハノイ・ロックスとダムドが合わさったようなルックスになっていた模様。ヴォーカルのPil Trafaは確かに南米を感じさせないルックスでロックスターになるのもよくわかるよ。
途中で何度か活動休止期間もあったようだが、1983年から現在までコンスタントにレコードも出していて、本国ではたぶん最も成功したパンク・バンドなんだろう。

ビデオの曲は1985年に出た2ndアルバムに収録でシングルにもなった代表曲「Uno Dos Ultraviolento」。
勝手に直訳すれば「ワン、ツー、超暴力」で何だかよくわからないタイトルだが、 血気盛んなラテン民族には大好評だったに違いない。
ベートーベンの「歓喜の歌」をイントロに使ったポップでパンクな曲調は日本で言えばラフィンノーズの「聖者が街にやってくる」とか思い出してしまったが、ちょうど同じ年の曲なんだよね。
曲の構成とかサビのハモリとか妙にラフィンノーズっぽいノリを感じるけど、こっちの方が軽いな。
どっちも影響を受けたものは違うかも知れないけど、日本もアルゼンチンも発想は同じようなものだと確認出来て良かった良かった。

ビデオでは「時計じかけのオレンジ」を模したヴォーカリスト、この辺もパンクの世界では世界共通に影響を受けてるというのがわかるね。こりゃ確かに「ワン、ツー、超暴力」だわ。

似てると言えばもう一つ思い出していいかな。
ギタリストはこの手のバンドには珍しくギブソン・エクスプローラー(コピーモデルかも知れないが)という珍妙な形のギターを持ってて、高校の時に先輩から借りて持ち帰ったのを思い出したよ。
当時は誰が使ってたか思い出せないが(おそらくフュージョン系)B.C. リッチとかアレンビックとかあまり伝統なさそうなギターが流行ってたから、色んなギターを弾いてみたいという欲求が強かったんだろう。
何行も書いたくせに、見た目の割には弾きにくくはないという感想くらいしかない。
大体同じようなフォルムのギブソンのファイヤーバードはヴィンテージ感があってカッコいいのに、この違いは何だろう?

アルゼンチンと言えば忘れちゃならない、80年代で最も知られたバンドがこのSoda Stereoだろう。
Sodaは単体ではソーダなんだろうがなぜかこのバンドはソダ・ステレオと呼ばれているそだ。
いや、スペイン語でもソーダでいいだろうに、などとどうでもいい感想をまず持ってしまうが、1982年に結成された3人組。
1984年に出た1stアルバムは驚くほどたくさん南米各国で再発を含めリリースされまくってるが、南米以外ではアメリカで随分後になって出たくらい。どうやら南米だけで大人気のバンドらしい。
などと無責任に書いたがラテンアメリカで初めて100万枚を超えたバンドらしく、全世界(大半は南米だと思うが)で700万枚も売れたレジェンド級の活躍をしたらしい。ここまで書いて気付いたが訂正するくらいなら書き直せば良かった。

そのアルゼンチンの伝説、Soda Stereoは1982年にブエノスアイレスで結成、1997年に解散するまでコンスタントにレコードを出して大成功を収めたという。1枚のレコードにつき30〜50くらいの各国盤がリリースされてるようなので、それはものすごい人気だったんだろう。
パンク的な要素はあまりないけどロックとラテン、レゲエ、スカなどが実にうまくミックスされていて、この辺はずっと後の時代のマノ・ネグラあたりに通じる痛快なノリの良さ、勢いを感じる。

ビデオはアルバム・デビューより前の1983年の映像だが「Te Hacen Falta Vitaminas」(自動翻訳による勝手な邦題「あなたはビタミンが必要です」)はデビュー曲で1stアルバムにも収録されている、ヤンチャで元気のいい様子が伝わる名曲。
個人的にニュー・ウェイブに関しては後進国だと思っていた認識が大きな間違いだと反省したよ。

しかしヴォーカルのグスタボ・セラティは2010年(バンド解散後)にライブ後、脳卒中で4年間も昏睡状態となり2014年に55歳で死去している。
うーん、大成功したロックスターの死としてはやりきれないが、前回のブラジル編で書いた、国民的スターだったヘナート・フッソも30代だったな。
大スターであろうとなかろうと、何か自覚症状があった時は深酒とかのせいにせずに早めの検診を、としか言いようがないよ。

有名なバンドが続いた後で一気に情けなくなってしまうが、このTrixy y Los Maniáticosも1981年に結成したアルゼンチン・パンクの先駆者のようだ。はっきりは読めん、だがトリクシー&ロス・マニアティコスでいいのかな。
後にソロとなったトリクシー嬢(おばちゃんっぽいが)は最初に書いたLos Violadoresのバッキング・ヴォーカルなどもやってたみたいだから、その辺の縁でアルゼンチンのパンク・シーンが出てきたのかな。
何しろレコードのような音源も出してなくてずっと後にカセットが出たのみ、主要な曲はトリクシーのソロ曲とかぶってるし、とにかく情報がなさ過ぎて困ってしまうようなバンドだ。

なのにYouTubeにはTV出演の映像とか残ってるし何曲も聴けたりする。一体どうなってるんだ?
映像は悪いし上の2つのバンドと比べると明らかにクオリティは低いが、ラテンでも立派にロックンロールしてるぞという堂々とした姿勢が心を打つ(大げさ)。

レコード・リリースさえないインディーズ中のインディーズ・バンドが晴れてTV出演したという貴重な映像には違いない。
「ウチらはライブ・バンドやけんスタジオ盤なんか出さんっちゃ(なぜか突然方言)」などと言ったのかどうか、これこそがパンクの生き方なのかどうかは知らんが、そういうバンドを見つけるのこそが80年代世界一周の目指すところだよ。

長身でこの髪型やルックスは「フジヤマママ」で知られる女性ロッカー、パール・ハーバー(一時期クラッシュのポール・シムノンの奥さんだった)をちょっと思い出す。その辺を意識してるのかな?

で、また情報が少ないバンドその2、Alerta Rojaもアルゼンチンの最も初期パンク・バンド、Los Psicópatasが名前を変えたという3人組だ。
Los Psicópatasは1979年の結成で、その後Estado de Sitioと改名した後、三度目の正直でレコード・デビューした時にはAlerta Rojaになったらしい。全部読めん。日本語に訳すと「非常警報」というバンド名でいかにもだな。
一番上に書いたLos Violadoresよりも早い1982年にシングルを出し、83年と86年にアルバムも出してるようだがたぶん相当入手困難、忘れた頃の2013年にやっとこれまでの活動全曲入りのCDが出た。

そんな零細バンドなのになぜかちゃんとした映像が残ってて、これまた不思議の国アルゼンチン。
ビデオは1983年に出た1stアルバム収録の曲「Atrincherado(塹壕)」だ。
曲はLos Violadoresなどと比べるとラウドで荒々しく暗い雰囲気、あまり南米っぽくは感じないね。
このバンド、荒削りなパンクの1stも独特なダークさを展開した2ndもすごく良いので、中古盤屋でその全曲入りCD見つけたらぜひ買って欲しいくらいだよ。
ヴォーカルがちょっと垢抜けない(という言葉の方が垢抜けないが)しギターはベイ・シティ・ローラーズみたいなチェック・マフラーだし、見た目はともかく曲作りは相当のレベル、おそるべしアルゼンチン。

どこかの空き地みたいなところでビデオカメラさえあればタダで撮れるだろうけど、後ろの建物の壁に「BERLIN PUNX」と書いてあるように見えるからさらに意味不明。わざわざベルリンに撮りに行ったのか、ベルリンのパンクがアルゼンチンで落書きしたのか、どうでもいい事ばかり気になるよ。

割とストレートなノリのある音楽を好むのかは知らないが、アルゼンチンではイギリスの80年代のような暗い傾向のものはあまり見つからなかった。知識もないし探し方が悪かっただけかも知れないけどね。
ちょっといいなと思うと静止画だけのビデオで退屈だから不採用というのが多かったよ。
そんな中で無理矢理見つけたのがこれ、Los Pillosというバンド。

Pillosという言葉をGoogle翻訳してみたらラスカルズになって意味不明、日本語に翻訳してラスカルズって何だよ?
律儀に辞書で調べてみたらずる賢い奴、悪党、悪人、不良、ちんぴらなどなど、ラスカルズという語感でこんなの(写真)を思い浮かべてたのにガッカリだよ。
さて、そんなゴロツキどもは1984年にブエノスアイレスで結成、アルバム1枚だけ出して88年にはもう解散した短命のバンドだ。

長髪長身でダブルのライダース着て仁王立ち、という姿はラモーンズを意識してるのかはわからないけど、情感こめて歌う姿がちょっと気持ち悪い男。やってるのは全然違うタイプの内向的な線の細い音楽で、バンド名とのギャップを感じるよな。
しゃがんでて後に立つギタリストの、曲調に合ってるのか合ってないのかわからんグニャグニャしたフレーズだけが耳に残る。これだけが聴かせたかったかのようなプレイ。この全体的なアンバランス加減が理解されなかったんだろうかね。

見た目だけは欧米に負けてないぞ、というルックス重視だったのがVirusというバンド。
現在の状況を考えるとシャレにならないバンド名だが、80年代とかには何も考えず気軽に色んな名称にも使ってた言葉で、Discogsという音楽データベース・サイトで検索するとVirus (29)などと出てきて、ジャンルを問わず多くのバンドがVirusを名乗っていた事がわかる。このバンド名で29番目に登録されたというわけね。29どころかたぶんもっといっぱいあるに違いない。
韓国の女子ゴルファーで同姓同名が6人もいて、イ・ジョンウン6とか5とかいたのを思い出してしまったよ。

Virusは結成も1979年と早く、アルゼンチンのパンク・バンドが結成後にレコード・デビューするまで随分手間取ってるのを尻目に、1981年には早々とメジャーレーベルから1stアルバムを出してるやり手バンドでもある。
まあやってる音楽が違っててこちらは大衆受けのするポップなバンドで、TV出演映像とかもたくさん残ってるから比較のしようもないけどね。
この曲は1981年に出た初期のシングル「Wadu-Wadu」でたぶん大ヒットした代表曲。
ライブはたぶん86年くらいの映像かな(推測)。
ラテン歌謡をロックバンドがやるとこういう風になるんだろうな。ドラムやギターはもう少し違った傾向のものをやりたいのに無理してこういう路線にさせられてるように感じてしまうよ。全体的にはニュー・ウェイブというよりはもっと耳障りの良い、ROCKHURRAH的にはどうでもいい類いのシロモノ。
ヴォーカルが長髪美青年みたいなルックスでティーンの人気をさらってたのだろうと勝手に推測する。
別の時代の映像はポジパンみたいな化粧してる姿もあったので余計に見た目と音楽性のギャップがすごい。

このVirusの快進撃は続いて、デビューから1987年までは毎年アルバムが出ていたんだが、88年にヴォーカルのフェデリコ・モウラがエイズで死去、その後は弟が後を継いでヴォーカルとなったという。
まるで「タッチ」の逆みたいな感じだが、デヴィッド・ボウイの前座なども務めた事があるというからアルゼンチンではSoda Stereoと双璧をなすバンドだったんだろう。
Soda Stereoの場合は解散後だったけど、メインのヴォーカリストがいなくなった後に残されたバンドの継続というのもかなり難しい問題だろうね。
これから忘年会シーズン、年末年始を控えてるのでバンドのヴォーカリストの方は特に健康に気をつけてご自愛を。

ではまた、テゥパナンチス カマ(ケチュア語で「さようなら」) 

80年代世界一周 伯刺西爾編

【頑張れ伯刺西爾、負けるな伯刺西爾】

ROCKHURRAH WROTE:

暦の上ではやっと秋になったけど、まだまだイヤな暑さが続くね。
毎年暑さが激烈になってきてる気がするのはROCKHURRAHだけなのかな?
今まで暑くても食欲が落ちたりする事がなかったけど、今年はとにかくまず水分、ほとんど夏バテと言える状態が続いた。

ちなみに年齢と共に頭髪が柔らかく細くなったROCKHURRAHだがヒゲは相変わらず硬く、しかもあらゆる方向に伸びてるので整えてもあまりきれいにならないという厄介な顔つき。このためマスクをしてると繊維を突き破って少し出てきたりでみっともないし、汗をかくと口の周りが人一倍湿気に覆われて、大いに不快となる。
好んでマスクをつけてるとしか思えないような人もいるだろうが、こんなものつけたまま夏の屋外に出るとは苦痛極まりない。

どうでもいい前置きは短く切り上げて本題に入ろう。
今週は久々に書くシリーズ「80年代世界一周」にしてみよう。

洋楽と言えばイギリスやアメリカの音楽が真っ先に入ってくる日本だけど、それ以外のあまり紹介されないような国に焦点を当ててみようというのが趣旨の企画ね。
そしてROCKHURRAH RECORDSの最大の特徴と言えば1970年代~80年代のパンクやニュー・ウェイブばかりを執拗に語るという時代錯誤も甚だしい音楽ネタばかり。
現代の世界中の音楽はどこにいても配信出来るし知る事は出来る。
しかし、ネットもコンピューターも未発達の80年代バンドについては情報も少なくて探すのも大変だけど、少しでもその国の音楽事情がわかればという興味があって始めた企画だ。
そこまではナイスなアイデアだったんだけど・・・・。
20代の頃に世界を放浪してたような実績もまるでないROCKHURRAHが書いてるわけで、信憑性も全くないし、ウソをまことのように伝える筆力もないしで、何だかとても中途半端な記事になるのがやる前からわかってるというシロモノ。

さて、今週はどこの国に焦点を当てようか迷ったんだが、意外な事に比較的動画が多かったここに決めたよ。

タイトルにもある通り、今週は伯刺西爾編にしてみよう。
個人的に今はじめて使った漢字を含む四文字だが、これでブラジルと読むらしい。
誰もが知ってるかどうか不明だが、日本とは昔からとっても仲良しの国であり、南米の中では最も馴染みの深い国だと思う。
サンバにボサノヴァなど有名な南米音楽のメッカでもあるけど、ROCKHURRAHが言うようなパンクやニュー・ウェイブに結びつくようなものが果たして見つかるのか?

ではそろそろ始めるか。

ブラジルはおろか海外渡航歴がほとんどないROCKHURRAHだから、思い入れも思い出も全くない状態でこれから書き進めなきゃいけない。
知りもしない国についてのそんな特集をハナからやらなければいいと思う人もいるだろうが、そういう事を気にしてたらウチのブログは一歩も前に進まないに違いないよ。
だからこれからは無知と偏見に満ち溢れた内容になるだろう(断言)。

ブラジルと聞いて人がイメージするものは色々だろうが、ROCKHURRAHの場合は小学生くらいの時にはじめてこの国を認識した。

本を読んでるような印象が全く無かった父親だったが、なぜか本棚に極真空手の始祖、大山倍達の自伝やアントニオ猪木の自伝などがあって、父親が不在の時に読んだものだった。
とても厳しくて怖い存在の父親であまり親子交流の思い出もないけれど、プロレスが大好きで全日本、新日本、国際プロレスなどの試合はTVでよく観てたのを思い出す。アントニオ猪木の本はそれで持ってたんだろうな。
ROCKHURRAHが子供の頃はプロレスや空手、柔道、ボクシングなどの格闘技漫画が大流行していて、いわゆるスポ根漫画全盛期。個人的にもその時代の大半の作品は読んでるはず。
だから実在のレスラーの嘘か誠かわからないような逸話も漫画で知ったようなものだった。
大型バスを歯で引っ張ったとかそういう類いの話ね。
梶原一騎原作のものはかなり話に尾ひれをつける大げさなものが多かったから、いくら子供でもあまり信憑性があるとは思わなかったけどね。
個人的にはジャイアント馬場の「こんなので本当にKO出来るのかよ」とツッコみたくなるウソっぽい必殺技が好きで、全日本プロレス派だったROCKHURRAH。北九州に興行に来た時には会場にも行き、ブッチャーにタッチしようとして出来なくて、レフェリーのジョー樋口をわずかに触る事が出来ただけ。そう言えば黒い魔神ボボ・ブラジルなんてのもいたなあ。ブラジル人じゃなかったけど。
猪木や新日本プロレスにはそこまでシンパシーを感じてなかったんだが、自伝を読むとさすが、一代であそこまで登りつめるだけの事はあると感心したものだ。

ブラジルと言えばコーヒー、その広大なコーヒー園の労働力としてアフリカの奴隷が使われていたわけだが、それが奴隷制度廃止により、労働力を各国からの移民に求めるようになる。これが19世紀の終わり頃の話ね。
日本からも大量の移民がブラジルに移り住んで日系人が誕生するわけだが、猪木もその(第何次だかわからない)移民のうちの一家族だったという話。アントニオなどとついてるが日系人ではない、なんてのはみんな知ってるよね。
その猪木は少年時代から重いコーヒー豆の袋を担がされる労働に従事して、あの体格と筋肉を形成したわけだ。
強くなったのは偶然ではなくちゃんとした理由があるんだね。

などというどうでもいい回想は言うまでもなくこれから書く事には全くの無関係で伏線も何もない。省略したら大して書く事がなくなる場合にROCKHURRAHがよく使う手法だね。

さて、最初に登場するのはブラジルの本格的パンク・バンド、Os Replicantesだ。
南米で唯一、ポルトガル語を公用語とするブラジルではO(男性)やA(女性)などの定冠詞をつける場合があり、Osというのはその複数形だね。男性形だからオス、ではなくてオーエスと読むらしい。Replicantesは読んでの通り「ブレードランナー」に出てきたレプリカントの事ね。

軍事政権が長く続いたブラジルでは1970年代の一番大事な時代に、ロック的な土壌があまり大っぴらに発達する事が出来なかったという歴史がある。「80年代世界一周」で前に書いたポーランドとかと同じようなもんだね。
別にロックが禁止されてたわけじゃないみたいだが、反体制的なものが弾圧されるのはどこの国でも一緒。
ロックではどうしてもそういう表現が多くなるのは当たり前だから、こういう不遇の時代を乗り越えてみんなやってきたわけだ。
だからと言って検閲されそうにないような、花や緑や何のほころびもない青春などをテーマに歌っても若者の共感を得られるはずはないからなあ。
「おお牧場はみどり」などはコード進行も初期パンクと同じようなテイストだから、そういうカヴァーを考えた輩がいてもおかしくはないが、その歌詞じゃやっぱり人を感動させられないってものだ、ホイ。

そういう背景があって、軍事政権が終わった1985年くらいからやっと本格的にロック、あるいはパンクで自由に表現する事が可能になったというわけだ。他の自由な国に比べるとだいぶ遅れて感じるのはこの辺がポイントだね。

Os Replicantesは1983年に結成してから今でも活動してるらしい古株。
ブラジルでも南部の港町ポルト・アレグレの出身で、この町がどんなもんかは知らないが、訳せば「陽気な港町」の通り、おそらく活気のある威勢のいい若者が多く育ったに違いない。
パンクやロックの発達は遅れたが元からサンバやボサノヴァ、ショーロなどの複雑で独自な音楽はあったブラジルは、当然ながら達者な演奏者が多く、いわゆるストレートなパンクは意外と少ないと個人的には思ったよ。このバンドのような典型的なパンクは逆に新鮮だ。
ビデオもいかにも悪ふざけしたような若気の至りで頭悪そうだが、見た目も音楽も元気なこういうノリはいくつになっても好きだよ。

リオ・デ・ジャネイロやサンパウロといった南米の大都市に比べて忘れがちなのが首都、ブラジリアだろう。
前にSNAKEPIPEが書いた「オスカー・ニーマイヤー展とここはだれの場所?鑑賞」で登場したブラジルを代表する建築家、オスカー・ニーマイヤーとルシオ・コスタがやりたい放題に作った人工的未来都市、こんな企画がまかり通って本当に出来てしまったウソのような首都だと言う。何もなかった土地に翼を広げた鳥のようなかたちの町並みが広がり、未来的なデザインの建物が配置されている世界遺産だ。
やっぱりブラジルというのは国のお偉方だろうが何だろうが、何かを実現する行動力というか熱い情熱に漲ってる民族性なんだろうね。
実際には内陸部で交通が不便だとか他の都市に遠い(リオやサンパウロから車で16時間くらい)とか、生活するには色々不評だとは思うけど、SFっぽい未来的な都市に住みたければブラジリアが一番だね。
ウチの場合は未来都市への憧れがあっても、やっぱり近くにスーパー三軒くらいあって欲しいし、そのうち一軒は角上魚類であって欲しいし、薬屋もサンドラッグかトモズが近くにあって欲しい・・・などなど実生活での変なこだわりがあるからなあ。

そんなブラジリア出身で80年代ブラジルを代表するバンドだったのがLegião Urbanaだ。ポルトガル語を直訳すれば「都市軍団」となって意味不明だが、我がROCKHURRAH RECORDSのBinary Army(現在絶版中、ROCKHURRAH RECORDSのブランド)も二進法軍団だから仲間みたいなもんか。
相変わらずROCKHURRAHには「読めん!」というバンド名だから検索してみたら、レジァオン・ウルバーナと読むらしい。
ブラジルのパンクやニュー・ウェイブについての知識もないから見てきたようには書けないが、この国の最も有名で影響力のあるニュー・ウェイブ・バンドだったようだ。
ヴォーカルが電車男(TV版)、もしくは河野防衛大臣みたいなメガネ男で大人気バンドのフロントマンとは思えないが、これで国民の心をガッチリ掴んだというのが驚き。何とこのヴォーカリスト、ヘナート・フッソの伝記映画まであるという。

これがそのトレイラーだがドキュメンタリーではなく演じてるのは別人の俳優。当たり前か。
90年代に30代半ばで死亡したヘナート・フッソ、ジミヘンやジム・モリソン、イアン・カーティスなどと同じように神格化されているのかな?
トレイラーの中でスティッフ・リトル・フィンガーズの曲に合わせて歌っているシーンがあるが、本当にその通りパンクのなかったブラジルでパンクの啓蒙活動をして人気となったようだ。
その時のバンドがAborto Elétrico(アボルト・エレトリコ=電気妊娠中絶)というパンク・バンドだったが紆余曲折を経て1984年くらいにLegião Urbanaとして再出発する。この当時のブラジルではまだ珍しかったジョイ・ディヴィジョンやU2、スミスなどの影響を受けた音楽だと言われているが、確かに陽気そうなブラジルの中でそういう音楽性というのは滅多になさそうだね。

上の(トレイラーではない方)ビデオ「Que país é esse?」は1987年のヒット曲でジョイ・ディヴィジョンもスミスも感じなかったけど確かにU2には似てる壮大な曲。U2ならこの曲を5分以上の大作にするところを3分以内にまとめたのがさすが。
え?評価する視点がおかしい?

ブラジルに限らずスペイン、ポルトガルや南米のラテン民族は強い女性が多いという印象があるね。
Netflixで大人気のスペイン・ドラマ「ペーパーハウス」でもトーキョー、ナイロビ、ラケル警部、とにかく爽快に強い女性が出てくるし、言葉の語感だけでも大声でハキハキした受け答えが強い意志を持った人に見えてしまう。

サンパウロで1982年に結成されたAs Mercenáriasもまた、強い女性を感じさせるバンドだ。
またまたROCKHURRAHには「読めん!」だが、アス・メルセナリアスと呼ぶそうだ。 
Os Replicantesの時に書いた通り、Aが女性の定冠詞でその複数形だからアスというわけか。Assではないんだな。直訳すれば「傭兵」というバンド名だが、上の都市軍団と同じく、ここでも何かと戦ってるらしいな。

ニュー・ウェイブ世代の女性バンドと言えばスリッツ、レインコーツ、モデッツ、マニアD、マラリア、クリネックスなどが即座に思い出されるが、初期ニュー・ウェイブ時代はどれもやっぱりトンガッた(今どきたぶん言わない表現だな)女という印象が強い。
普通の女の子やかわいい、優しげな女性ヴォーカルがニュー・ウェイブの中で独り立ち出来るのはネオアコやギターポップなど、もう少し後の時代になってからだからね。
アス・メルセナリアスもそういう初期ニュー・ウェイブの女性バンドを踏襲するスタイルだが、「ブラジルのスリッツ」と言われるのがよくわかる音楽性。ただスリッツのほどに広がりはなく、割と単調なビートに引っ掻くようなギターや力強い歌声が絡む、力技でグイグイ押してゆくバンドという印象だ。さすが傭兵。
フリーキーな部分はあってもパンク的な要素の方が強いからROCKHURRAHとしてはスリッツよりむしろ好みだよ。

しかしこれまで出てきたどのバンドも「長く続いた軍事政権」の終焉間近である80年代前半に出てきたもの。
デビューはしたもののレコードをリリース出来ないから、ようやく出せたのが80年代後半になってから、もしくはずっと後になって発掘音源みたいな感じで再評価されたり、バンドの勢いを保ったままというのは難しいだろうにね。
映像で見るのはそういう規制がなくなって、堰を切ったように自由に表現出来る場を得た時期なのだろうか。実際に見てきたわけじゃないから、この辺の事情がはっきりわからないのがもどかしいな。

元々ロック的な土壌があまりなかったブラジルでパンクやニュー・ウェイブが意外なほど浸透してたのも驚きだけど、こういう電子楽器を使ったエレポップまであったのにビックリ・・・というのもお国柄に対する偏見なんだろうね。
サッカーでもカーニバルでもパッと思いつくのは陽気でお祭り好きなイメージだから、チマチマとシーケンサー打ち込んでるようなブラジル人をあまり想像出来ない。
ただ、先にも書いたように近未来的な人工都市を現実に作ってしまうような国でもあり、現在ではIT大国になっているという話もあり、侮るなかれ(自分に向けた言葉)。

そんなブラジルで上に書いたようなパンク/ニュー・ウェイブのバンドより先に人気となっていたのがこのAzul 29というバンドらしい。パンクに限らず反体制的なロックバンドに規制がかかってた80年代前半のブラジルで、あまり反体制っぽく見えない単なるポップスやエレクトロニクスを使ったこういうグループなら問題なく音楽活動が出来たというわけなのかな?
その辺は不明だけど、80年代前半にこのバンドはヒットして人気があったという。
「読めん!」バンド名が多いブラジルだけどこれは簡単に読めたよ、アズールはポルトガルやスペインで青のことだね。フランス語ではアジュールと言うらしい。
彼らの1984年のヒット曲が「Video Game」というから、おそらく当たり障りのない歌詞に違いない。

ものすごいマニアではないからあまり大っぴらには言わなかったが、子供の頃からゲームが大好きで、TVゲーム黎明期の頃からのキャリアを持つROCKHURRAHだった。その趣味(?)が高じてゲーム屋の取締役にまでなった経歴を持つ。
結構好みと適性があって、あの時代誰もがやってたインベーダーは相当練習してもイマイチ、代わりに得意だったのが風船割りとブロック崩しだったな。大ヒットしたパックマンも苦手で代わりにディグダグが得意。時代は大幅に飛ぶが「ストリートファイターII」よりも「鉄拳」といったように微妙な好みが激しくて、どのゲームも得意とは言い切れない。まあ万能な人はいないからみんなこんなもんか。
「ゼルダの伝説」や「モンスターハンター」なども根性で最後まで勝ち進んだ経験があり、その分析能力と機動力を生かしてより一層のスキルアップをを目指したいと考えております(履歴書)。

さて、そんなデジタル世代を84年に高らかに歌い上げたAzul 29のヒット曲が「Video Game」。
「スター・トレック」か「宇宙家族ロビンソン」のような服装は明らかに「ブラジルのクラフトワーク」を狙ったものと考えるが、なぜか音楽やってる人には到底見えないようなおっさんメンバーもチラホラ。細かい事を気にしないおおらかな国民性だから、これでもいいのだ。

書き始める前からわかってた事だがブラジルについて個人的な思い出などまるでないという事。これが敗因となって今回のブログも意味もないところで苦戦してしまったよ。
何とかごましてここまで書いてきたが、もういいかブラジル、さらばブラジル(無責任)。

最後は1982年にサンパウロで結成された大所帯バンド、Titãsだ。
レジァオン・ウルバーナと同じくブラジルを代表するバンドのひとつらしいが、これでチタンスと読むそうだ。
ギリシャ神話の巨人タイタンがポルトガル語ではチタンスになるようだが、この綴りを見ても「ン」は一体どこから?と思ってしまうのはROCKHURRAHだけか?そう言えばサンパウロもSão Pauloで「ン」の部分が見えないが、これがポルトガル語ってヤツなのか。

メンバーが8人くらいいるそうでヴォーカルも3人くらい、とても賑やかそうなのが取り柄のこのバンド。
長く続いてるバンドなので音楽性も時代によってもさまざま。
この辺の雑多さで思い浮かぶのはフランスのマノ・ネグラだけど、彼らほどの強力なバイタリティは感じない。ただラテン系ニュー・ウェイブの個性をうまく世の中に伝えた功績は大きいと思うよ。

1986年に出た3rdアルバム「Cabeça Dinossauro 」は不気味な坊主の鉛筆画みたいなジャケットで、とてもこんな曲が入ってるとは思えないけど、シングルにもなった「Aa Uu」はそこに収録。
最初はアッアとかウウッとかしか言わないのでちょっとバカっぽいけど、ちゃんと歌詞はあるようで良かった。
服の色がどんどん変わってゆくだけのシンプルなビデオだけど、いかにも80年代ミュージック・ビデオといった雰囲気でなかなか効果的に仕上がっているね。

以上、80年代ブラジルのパンクやニュー・ウェイブはこれくらいしかないわけじゃなく、意外とたくさんのバンドがいるし、音楽性もこちらが想像したよりもずっと高い表現力を持っていたりする。
そしてビデオを色々見る限りでは、軍事政権による表現の規制うんぬん、なんてまるでなかったかのように感じてしまうよ。

本当はブラジルに限定せずに南米全部でひとつに纏めようと思ったんだが、他の南米もまだまだいそうだから、それはまた別の機会に書いてみよう。

それではまた、ジャジョエシャペヴェ(南米先住民言語グアラニー語で「さようなら」)