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【マンネリだけど完治祈願でPainに関するビデオを作ってみたよ】

ROCKHURRAH WROTE:

半月ほど前にちょっと無理をしてしまい、急に腰を痛めてしまった。
その手の代表的な痛みというと誰もが思うのがぎっくり腰か椎間板ヘルニア、たぶんそれに近いものなのかな?
実はこの歳まで腰痛に悩まされた経験が一度もないのでよくわからないが、ぎっくり腰だろうがヘルニアだろうが、もっと激痛で動けなくなるという話をよく聞く。そこまでじゃないので毎日ちゃんと歩いて働いてはいるんだが、本当はもっと安静にしてないと治りにくいのは確かなんだろう。
ゆるい服装で家にいる時は日常の動作は問題なく出来るのに、靴を履いてバッグを持って歩くとだんだん痛みが出てくる。上半身と下半身がそこで分離したみたいな、かなりイヤなタイプの痛みなので早く完治したいものだよ。

というわけで最近ROCKHURRAHはこればっかり書いてるという噂の「俺たち◯◯シリーズ」、今回のテーマは自分にとって今一番密接な「痛み=pain」としてみよう。

割とポピュラーな英語で誰でも知ってるだろうし一部の薬の名前やペインクリニックという医院の名前で使われたりする。 が、日本人がこれをわざわざ英語で使う機会はあまりないと思える単語だな。
ペイン自体は体の痛みだけでなく精神的な痛みにも使える便利な単語らしいので、これが含まれる曲名も割と多く存在してるに違いない。さっそく探してみよう。

毎回ブログを書くのにどれだけ時間がかかってるんだ、と言われてしまうけど今回は無理な姿勢を長時間続けたくないという意向もあって、とにかく手っ取り早く書くというのをモットーにした。
だから動画を探す時間も短縮して「音と静止画のみの動いてない動画」みたいなのも採用したよ。
本当はなるべく動いてるようなのでやりたいんだけど、プロモ・ビデオもライブ映像もないようなマイナーどころから見つけて来てるので、仕方ないね。

最初に登場してもらったのは日本ではあまり知名度ないと思うが、プリンセス・タイニーミートの1986年の名曲「 Angels in Pain」だ。

歌詞の意味がまるでわかってないのにタイトルについてとやかく言うのも意味なしだが「痛みの天使」とはこれいかに?苦痛の中に光明を見出すというよくあるアレか?
そういう系列に疎いROCKHURRAHにはよくわからんがドーパミンとかエンドルフィンとかセロトニンとか、人の体の中で抑制したりバランスを取ったりするその能力はすごいなあと思いました。
大人とは思えないとても幼稚な感想で申し訳ない。
確かに電車とかで揺れるととたんに痛む背中・腰なんだが、気の持ちようでちょっとしたはずみに痛みが緩和する事がある。継続的な痛みで急に症状が良くなるはずがないので、これは脳内の何かが作用して暗示をかけてるんだなと思ったよ。これこそが痛みの天使というわけか。え?全然違う?

アイルランドのダブリンでパンクからニュー・ウェイブを通過した近所の悪ガキどもが兄弟とか従兄弟とかも巻き込んでバンドみたいなものを始めた。
1970年代後半から80年代にかけてはどこの都市でもそういうのがたくさんいたのは間違いないが、ひとつのバンドをやるにはメンバーが多すぎたのか(推測)だいぶ違う方向性で2つのバンドが同時期に生まれた。それがU2とヴァージン・プルーンズだった。
この2つのバンドはメンバー間で血縁関係があったり親交が深かったり、まさに兄弟バンドと言えるかも知れない。U2のボノとヴァージン・プルーンズのグッギ、ギャヴィン・フライデーは若い頃に同じ悪ガキ集団にいたというからね。
などと見てきたような書き方してるがもちろん見てもいないしインタビューしたわけでもない。

ROCKHURRAHは大成功したU2についてはあまり興味なかったけど、ヴァージン・プルーンズは大好きでよく聴いていたものだ。
女装した不気味なヴォーカル二人のデュエット。そして何とも言えない禍々しさに溢れたドギツイ音楽、当時熱狂して集めていたポジティブ・パンクというジャンルの中でもトップクラスの異端派変態的バンドだった。
彼らの独創的な音楽やパフォーマンスはROCKHURRAHのヘタな説明よりは映像観てもらった方が手っ取り早いだろう(いいかげん)。こんな感じね。

ん?もしかしてこの映像は前にも使ったか?しかも今回のペインとは特に関係ないよ。

そのヴァージン・プルーンズの初期メンバーでごく短い間在籍していたのがビンティ(Haa-Lacka Binttii)、プルーンズ脱退後に始めたのがこのプリンセス・タイニーミートというわけだ。

英国インディーズ・レーベルの最大手ラフ・トレードからセンセーショナルなデビューをした(ジャケットが国によっては発禁レベル?)にも関わらず、結局ちゃんとしたアルバムが出ずに短命に終わってしまったバンドだったな。 

歌い方にヴァージン・プルーンズからの影響が強く感じられるが電子楽器(言い方古い?)を多用してちょっとダンサブル、異端だけどなぜかポップという路線が個人的には好み。
グッギやギャヴィンという異常性が確立されたすごいキャラクターと比べると深みがないように感じてしまうが、愛すべき不肖の弟分という雰囲気が漂っていてプルーンズのファンからも支持されていたようだ。実際はどっちが年上かは全然知らないけどね。

さて、次のペイン団はこれ、カメレオンズの「Pleasure And Pain」だ。

「喜びと痛み」と聞くとSM的なものを連想してしまうが、英語さっぱりのROCKHURRAHは相変わらず歌詞とかは全く抜きにして話を進める。メンバーの見た目などから判断してそういう要素はたぶんないと思うよ。
キリスト教の国々で耐え忍ぶものと言えば試練などと言われたりするが、現代だろうが原始時代だろうが試練なんてものはどこにでも存在してる。物理的に乗り越えられないようなものに直面した時は内部に助けを求める・・・などと延々と書くつもりはまるでないけど、個人的にROCKHURRAHの今の痛みの状態じゃとても「喜び」などとは結びつかないよなあ。

1980年代初頭のニュー・ウェイブを語る時に必ず出てくるのがネオ・サイケデリックという音楽だが、60年代のサイケデリックとはだいぶ違ったニュアンスも感じられる。
一番多かったパターンと言えば、暗くてメランコリックな曲調と黒っぽい服装、うつむき加減の内向的な歌が特徴というバンド達。それらと同時代に本気の60年代型サイケ野郎がごっちゃに活動していたので、軽く一括りには出来ないジャンルではあるけど。

ジョイ・ディヴィジョンあたりをこの手の音楽の元祖として、その影響下にあるバンドが続々生まれたのもこの時代。そういう幾多のフォロワー的バンドを詳細に語るだけでも一冊の本が出来そうなくらいなんだが、ROCKHURRAHにはもちろんそんなウンチクもないのでネオ・サイケデリックに関しては当ブログでちょこっと書いたくらい。
それらとは少し違う路線で時代を乗り越えたバンドも多く存在してるけど代表的なのはエコー&ザ・バニーメンやサウンド、そしてこのカメレオンズとかになるのかな。え?後ろの2つは知らない?

カメレオンズはエコー&ザ・バニーメンと同じタイプの正統派ネオ・サイケのバンドで80年代前半に活躍した。本当のサイケデリックを知ってる世代には上記の「暗くてメランコリックな曲調と・・・」という雰囲気に属するのが正統派だと評されるのに違和感を覚える人も多くいた事だろう。
後の時代にはあまり「ネオ・サイケ」という言葉も使わずダーク・ウェイブなどと言われたりするジャンルだけど、その方が特徴を言い表してるのかもね。

カメレオンズと言えば・・・。
若き日のROCKHURRAHが上京してまだ住むところも決まってない頃、カメレオンズの「As High as You Can Go」という12インチ・シングルを買って、自分のステレオさえ持ってないのに友人の家でひっそり聴いていたのを思い出す。
家もなく仕事もなくただ音楽への情熱だけで、なーんの用意もないまま東京に出てきてしまった考えのない若き日のROCKHURRAHだが、その時も今も基本はほとんど変わってないのに自分でも驚いてしまう。
六畳一間くらいの部屋にこっそり居候してたから昼間でもコソコソしてたんだよね。
「ひっそり」というのはそういう意味。
出かける時は大家に会わないように静かに速足で部屋を飛び出したものだった。忍者みたいだね。
仕事を探し住む場所を探し、ここを出て行こうとしてたのにうまくゆかなくて、もがいていたな。
詳細はこの記事で書いたけど、友人には本当に迷惑かけたよ。

「Pleasure And Pain」はこのシングルに収録の曲でタイトルからすれば全然違った意味の曲なんだろうが、ROCKHURRAHにとっては「自分=真っ昼間に何してるかわからない怪しい人」この肩身の狭い思いこそがある意味のペインだったな。この頃はどこにも居場所を見つけられずさまよってたからね。

初期のエコー&ザ・バニーメンやティアドロップ・エクスプローズなどと似たような雰囲気のバンドで彼らよりもずっと長く活動しているカメレオンズ。ルックス的なスター性があまりないからか日本での知名度は低かったけど、地味で堅実ないい曲を数多く残していて80年代ネオ・サイケが好きだった人にはおなじみのバンドだと言える。
メンバーが描いたちょっと不気味なイラストのジャケットでも有名。

そう言えば元ビッグ・イン・ジャパンのメンバーだったビル・ドラモンドとデヴィッド・バルフによるプロデュース・チームで、初期Zooレーベル(リヴァプールの伝説的レーベル)のプロデュース活動をしていたのもカメレオンズという名前だったな。 このカメレオンズとは関係ないけどつい思い出してしまった。

カメレオンズの事を書いててさらに思い出したのがこれ。
またまた「俺たち〜」と書いてるのに女性アーティストになってしまったが、ピンク・インダストリーの1983年作「Enjoy The Pain」にしてみよう。個人的にはある意味ペイン団の女ボス的存在。

いやいや「痛みを楽しめ」などと言われても全くその気にはなれないこの鈍痛。これまでの他のタイトル見てても妙にネガティブじゃないものが続いてるな。多くの人が痛みの中に何か活路を見出したいんだろうか?
これまで骨折も大きな病気も怪我もなかったROCKHURRAHだが、それでも何度かは痛くて苦しい体験はしている。一ヶ月も続いた痛みはあっただろうか?と記憶をたぐってみても思い出せないって事は、そこまでひどいものはなかったんだろうね。痛みを語れるほどの人間じゃないな。

ウチのブログでも何度も書いてるけど(例えばこれ)、リヴァプールのニュー・ウェイブの歴史で最もルーツとなったパイオニア的存在がデフ・スクールとビッグ・イン・ジャパンの2つのバンドだった。
これを本気で書き始めるとえらい文章量になってしまうから敢えて詳しく書けないという事も何度も書いたな。

ビッグ・イン・ジャパンはリヴァプールのニュー・ウェイブ初期を支えたインディーズ・レーベル、Zooレーベルとも深く関わっている重要バンドだった。
パンクの時代、1977年くらいにデビューしたこのバンド、活動はごく短期間でシングル2枚しか出してないが、メンバーのほとんどが後に名を残した伝説のスーパー・グループなのだ。
時間短縮のためにメンバーの名前を出すだけにとどめるが、

  • ビル・ドラモンド(Zooレーベル経営者、後のKLF)
  • デヴィッド・バルフ(Foodレーベル経営者、ティアドロップ・エクスプローズなど多くのバンド参加)
  • イアン・ブロウディ(後のライトニング・シーズ、キングバード名義でプロデュース多数)
  • ジェーン・ケーシー(後のピンク・ミリタリー、ピンク・インダストリー)
  • ホリー・ジョンソン(後のフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド)
  • バッジー(後のスージー&ザ・バンシーズなど) 

大げさな書き方した割には冷静に見るとあまり誰でも知ってるような人材は出てないけど、80年代ニュー・ウェイブに詳しい人ならばすごいメンツだったとわかってくれるだろうか。

その中で今回主役となるのはジェーン・ケーシー嬢。などと当時のままの記憶で書いてるがすでに現在は60歳くらいにはなってる計算。うーむ、時が止まってるのはROCKHURRAHの頭の中だけなのか。
ビッグ・イン・ジャパンの派手なイメージを担っていたのがスキンヘッドで不気味なメイクをしたジェーン・ケーシーとまだこの頃はパンク野郎だったホリー・ジョンソンの二人だった。

このバンドは短命に終わり、メンバーはそれぞれ次の活動を始めるがジェーン・ケーシーは1979年くらいにはすでにピンク・ミリタリーを結成していたな。
アーティストとしての主義なのか何なのかわからないが、この頃はそのヴィジュアルを前面に出すことがあまりなくなって、断片的な画像でしかこのバンドを知る事が出来ないのが残念。もちろん動いてる映像も皆無。
スージー&ザ・バンシーズの暗い曲をさらに地味にしたような音楽をやってて、本当にこの人、見た目の割にはずいぶん控えめな印象なんだよな。

たぶんピンク・ミリタリーはあまり売れなかったバンドだと思うけど、エレクトロニクスな要素を強くしたピンク・インダストリーとして再起を図った(?)のが1981年。
こちらはピンク・ミリタリーよりは少しは売れたのかな?
それにしてもレコード・ジャケットも割とぞんざいで、音楽は相変わらず地味でキャッチーさがない曲が多い。リズムの使い方などは現代でも通じるものがあるだけに実に惜しい。
この美貌とファッション・センスを活かせばもっとスターになれたかも、などと思ってしまうが、それを売り物にせず音楽活動をしていたのは立派だ。

ビデオも少しだけ残っててこの「Enjoy The Pain」はオフィシャルなプロモなのか何なのか不明だけど、実写映像と絵画の効果がこの時代には結構斬新なもの。ちょっとデヴィッド・リンチの作品っぽいなと素人目には思ったけど、SNAKEPIPEはどう見るだろうか?

ペイン団の最後はこれでいいかな。
クロックDVAの1981年の曲「Piano Pain」だ。

うーん、これまでタイトルについてどうでもいいコメントをしてきたが「ピアノの痛み」なんぞ知ったこっちゃない。
実家にエレクトーンなどというどうでもいい楽器が置いてあったがこれを取り入れたプロのミュージシャンは滅多にいないと思える(この辺ははっきり知らないけど)。
鍵盤と言えばアコーディオンもなぜかあったけど、部屋で奏でるには意外と音が大きすぎて、結局家族の誰も使いこなせてなかった気がする。
中学生くらいになるとキース・エマーソンやリック・ウェイクマンなどの影響を受けて、家にピアノのあるのが羨ましかったが、そういう友人を持った事もなかった。
結局、ピアノよりは自力で購入出来るギターを持ったけど、ロクに練習もしなかったので演奏力もないままだよ。

英国ヨークシャー州シェフィールドと言えばパンク、ニュー・ウェイブの時代にキャバレー・ヴォルテールやヒューマン・リーグが登場した事で知られているけど、クロックDVAもこの辺の出身だ。
中心人物アディ・ニュートンはヒューマン・リーグと名乗る前のザ・フューチャーというバンドにも在籍していたけどデビュー前に脱退している。「ズーランダー」のムガトゥ(フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドがメジャー・デビューする前に脱退したという設定)みたいだね。
この後釜として入ったのが不気味な髪型で後世に名を残すフィル・オーキーだったという。

そのアディ・ニュートンによるクロックDVAもヒューマン・リーグと同時期にデビューした。ROCKHURRAHがまだレコード漁りを始めた頃からいるので名前は何十年も前から知ってるが意味不明のバンド名だな、とずっと思っていたよ。DVAはロシア語で「2」を表すらしいが、それがわかってもやっぱり意味不明。セクション25とかTV21とか同じ頃にそういう系統のバンド名が登場したけど流行っていたのかね?

音楽性はヒューマン・リーグとは大違いで、重苦しいリズムにアヴァンギャルドなサックスが飛び交い、低音の呪文のようなヴォーカルがかぶさってゆくというもの。相変わらず表現が陳腐だな。
まだニュー・ウェイブが登場して細分化されてないような混沌の時代に生まれた刺激的な音、こういうバンドがあったからこそ後の実験的な音楽が発展していったんじゃなかろうか。

体調や時間の関係もあったからちょっと短いけどこの辺でやめておくね。
腰は一回痛めると持病のようになって再発しやすいらしい。安静に療養出来るような境遇じゃないからなかなか治らないけど、早く自由に歩き回れるくらいには回復したいものだ。

それではまた、スローンラート(アイルランド語で「さようなら」)。

【恒例のValleyにちなんだビデオ。時間不足でいいかげん】

ROCKHURRAH WROTE:

タイトルに同じ単語が含まれた曲を集めて、いいかげんなコメントしてゆくだけのお手軽企画がこの「俺たち○○シリーズ」だ。
ただし時代は1970年代から80年代、パンクとニュー・ウェイブからほとんど選曲するというのがROCKHURRAH RECORDSの流儀なのだ。今、この時代にこの手の音楽に興味ある人がどれくらいいるのかは全然わかってないが、読む人をかなり選ぶブログなのは間違いない。

さて、どんな単語でもいいんだけど、今回はたまたま思いついたのでValleyという単語がつく曲を選んでみたよ。
谷とか谷間を意味する言葉なのは大抵の人が知ってるとは思うが、これをカタカナ英語で言ったり書いたりする機会はあまりないはず。
日本のカタカナ表記が曖昧なのかバレー、ヴァリー、ヴァレー、ヴァレイなどといくつもの表記がされてて、一体どれが最もポピュラーなのかよくわからないよ。 
バレーなどと書くとバレーボールのバレーと間違いそうだが、あれはVolley、つまりサッカーのボレー・シュートと同じ綴りでさらにややこしい。じゃあ何でボレーボールにしなかったんだ?と思ってしまうよ。
というわけでかなりあやふやなこの言葉、ROCKHURRAHは迷った末にヴァリーを採用したが、大多数の人にとってはどうでもいいよね。

谷間と言えばROCKHURRAHが思い出すのが子供の頃に大好きだった望月三起也の漫画「ワイルド7」。
この中のエピソードに「谷間のユリは鐘に散る」というのがあって、他の鮮烈な長編(註:「ワイルド7」はコミックス1冊だけで終わるエピソードもあれば数冊に渡って繰り広げられる長編エピソードもあった)に比べると印象は薄いんだけど、タイトルだけは即座に思い出したよ。
世の中の悪党をやっつけるために悪党、犯罪人の中から選抜した白バイ部隊というのがワイルド7の設定なんだけど、読者の度肝を抜くド派手なアクションとストーリー展開に夢中になった少年(今はおっさん)も多かった事だろう。まだタランティーノもロバート・ロドリゲスも登場してなかった時代、70年代初頭の日本にこんな派手なアクション漫画があったのは全世界に誇れる事だと思うよ。
メンバー全ての描写が細かくて本当に生き生きしてたからね。

などと関係ない回想にひたってしまったが、これはもう本気で全く関係ないので書いた本人もビックリ。 

ヴァリー部として真っ先に挙げたいのがスキッズのヒット曲「Into The Valley」だ。
彼らの最も有名な曲であり70年代パンクでValleyと言えばこれが決定版というほどの知名度。
タイトルをGoogle翻訳してみると「イントゥザバレー」だって、うーむ。そりゃ訳になってないぞよ。
次にエキサイト翻訳で直訳してみると「谷に」だとさ。それ以上の意味はないんだろうけどなんかそっけないぞ。

このブログでも何度も書いてるけど、スキッズは70年代後半にデビューしたスコットランドのパンク・バンドだ。こんな記事でも特集したね。
中心となるのはヴォーカルのリチャード・ジョブソンとギターのスチュワート・アダムソンで残りのメンバーはパートタイムみたいな感じだったな。後にヴィサージでスティーブ・ストレンジの相方になるラスティ・イーガン(元リッチ・キッズ)や元ウェイン・カウンティ&エレクトリック・チェアーズのJJジョンソンなどもパートで働いていたね。

パンクとは書いたが初期のスキッズにいわゆるロンドン・パンクっぽさは特になく、スコットランド民謡のバグパイプみたいなギターとリチャード・ジョブソンの野太いヴォーカル、応援団風の男っぽいコーラスが一体となったところに独自性があったな。
それからパワー・ポップのような路線にもなったし、ニュー・ウェイブ世代の正統派ブリティッシュ・ロックみたいな方向に落ち着くかと思いきや、この辺でスチュワート・アダムソンが脱退。
自身のバンド、ビッグ・カントリーを結成しスキッズの路線をことごとく継承、そしてスキッズ以上の大人気バンドになってしまった。大半の曲をアダムソンが書いてたのでスキッズ路線を継承して当たり前なんだけどね。
音楽的な要だったアダムソンが抜けて、最後の方のスキッズはよりトラッド色を全面に打ち出した予想外の方向に進んで行くが、これはあまりポップでもなくロックっぽさも大幅に減少というマニアックな世界。当然元からのスキッズ・ファンに受け入れられず、売れるはずもなく、ここで解散という事になる。
実はROCKHURRAHはこの時代のスキッズを高く評価してるんだけどね。

「Into The Valley」はそんな末期のスキッズなど想像も出来なかった1979年、彼らにとっては初期のシングル。
本国イギリスでヒットしたから日本でもリリースされた数少ないパンク・シングルの一枚だな。
この邦題、というかカタカナ・タイトルが「イントゥ・ザ・ヴァリー」、ROCKHURRAHがタイトルにヴァリーを採用したのはここからなんだよ。「俺たちバレー部」じゃ当たり前過ぎる全然違う話を想像してしまうからね。

誰でも知る大物パンク・バンド以外は義理で一枚出して、売れなかったらそれ以外のシングルは出さないというのが日本のレコード会社のやり方なんだろうかね?
結局、売れなかったのかスキッズのシングルは日本ではたぶんこの一枚のみ。
アルバムの方も1st「恐怖のダンス」と3rd「アブソルート・ゲーム」のみが出て、どう考えても売れそうじゃなかった4th「Joy」はともかく、売れそうだった2nd「Days In Europa」も出さなかったのは何で?と思ってしまうよ。当時、ヴァージン・レーベルを出してたのはビクターだったかな。

さて、これはライブ映像ではあるけど音声の方はスタジオ録音そのまんま、いわゆるプロモーション・ビデオになるのかな?このビデオの頃はまだ19歳くらいだったリチャード・ジョブソンのスポーツマンらしい激しいアクションが大げさ過ぎるけど、今でもノリノリになれる大名曲。みんなで拳を振り上げて「アホイ、アホイ!(船乗りが他の船に呼びかける「おーい」というような意味の言葉)」と怒鳴れば気分はもう1979年だね。

お次のヴァリー部はこれ、ジェネレーションXの1979年作「Valley Of The Dolls」だ。
同年に出た彼らの2ndアルバム「人形の谷」のタイトル曲でもありシングルにもなったけど、このアルバムには「King Rocker」という強烈なヒット曲があり、その陰に隠れてあまり知名度はない曲。
イチイチ翻訳する必要はなさそうだけどGoogle翻訳してみると、ちゃんと「人形の谷」になってたよ。

「Valley Of The Dolls」という原題を検索すると出てくるのはジャクリーヌ・スーザンのベストセラー小説「人形の谷間」とそれを映画化した「哀愁の花びら」だが、60年代にチャールズ・マンソン・ファミリーの一員によって惨殺されたシャロン・テートが出演していた映画として一部で有名。
ジェネレーションXの曲はタイトルが一緒なだけでおそらく何も関係なさそうだけど。

ジェネレーションXは上のスキッズなどと同じく、ロンドン・パンクの第二世代くらいにデビューしたバンドだが、レコード・デビューがやや遅かっただけでパンク初期から有名人だったのが後にソロとして大ヒットするビリー・アイドルだった。元チェルシーだしね。
後にド派手な見た目と音楽でセンセーショナルな話題を振りまいたジグ・ジグ・スパトニックを結成するトニー・ジェイムス、少年っぽさが残るアイドル系ギタリスト、ボブ・アンドリュースなど、ルックスの良さもあってさらに曲も良い。
ジェネレーションXは他のパンク・バンドと比べるとバラード的大作志向があり、いわゆるチンピラなだけのバンドよりはずっと構成力も演奏力もあり、つまりはこの時代に売れる要素が詰まったバンドだったと思うんだけど、予想ほどには大ヒット曲もなかったのが残念。
パンク直後のニュー・ウェイブ世代にうまく乗り換えする事もなく、割と短命に終わってしまったという印象があるけど、最初の二枚のアルバムは聴きまくったものだ。

「人形の谷」は特にROCKHURRAHの地元、北九州の図書館の視聴覚室で何度もリクエストして聴いてた覚えがある。ここのお姉さんがパンク好きだったからよく通ってたんだよね。
こんなに聴いてたくせになぜか自分では持ってなくて、東京に出た数年後にひっそり買ったんだった。
この頃はまだ知らない新しいバンドを仕入れるのにほとんどの金を使うという方向性だったからなあ。

ビリー・アイドルの歌声も聴けばすぐにわかる特徴のあるもので、顔立ちのインパクトも際立ってるな。

今回集めたヴァリー部はパンク系が多いけど、次はコープス・グラインダーズの「Valley Of Fear」にしてみよう。しつこくGoogle翻訳してみたら「恐怖の谷」となってた。シャーロック・ホームズのシリーズに同名タイトルがあるが、このジャケット写真見てたらあまり関係はなさそう。

元はニューヨーク・ドールズ(の母体となるバンド)のギタリストだったというリック・リヴェッツがドールズ脱退した後に作ったのがこのコープス・グラインダーズだ。ちなみにリヴェッツが辞めた代わりにドールズに入ったのがシルヴェイン・シルヴェインだった。
コープス・グラインダーズの初期にはドールズのアーサー・”キラー”・ケインもいたというからまさにドールズ直系。
そっくりな名前の日本のバンドがいるので間違えられやすいが、別にマネしたわけではなくてたぶん「人間ミンチ」という70年代のB級ホラー映画の原題がCorpse Grinders、どちらのバンドもここから取ったんじゃないかな? 

ニューヨーク・ドールズと言えばあらゆるバッド・テイストが集まって奇跡的にもその筋の主流となってしまったバンドとして名高いが、ニューヨーク・パンクを語る上では外せない最低で最高のロックンロール・バンドだね。

で、このコープス・グラインダーズの方はベースとギターにそのDNAが流れていたわけで1stシングルは確かにラウドでB級テイストに満ち溢れた乱暴なパンク路線、ホラー映画っぽいメイクもドールズ時代にはなかった新要素なので、これは好きだった。
しかし”キラー”・ケインがいなくなった後の本作、1984年に出た唯一のオリジナル・アルバム「Valley Of Fear」ではリズム・マシーンにシンセサイザーまで取り入れた迫力ない異端のロックンロールが展開してゆく。このチープさウソっぽさも魅力なんだけど、ニューヨーク・ドールズ直系を想像してた人にはあまり受けなかったかもね。
見た目からするとポジティブ・パンクやサイコビリーのバンドみたいでもあるが、それともちょっと違う独自のアングラ感があるので、ROCKHURRAHはその点を評価しているよ。

時間があまりないので手早くいってみよう。
お次のヴァリー部はこれ、ROCKHURRAHの大好きなスクリーミング・デッドの「Valley Of The Dead」。1982年のデビュー・シングルだな。
またまた翻訳してみると「死の谷」、え?いちいち翻訳しなくてもわかる?

「死の谷」と聞いても特に何も思い出さなかったが、橘外男の「死の蔭(チャブロ・マチュロ)探検記」というのを急に思い出した。少年時代は戦前戦後くらいの探偵小説が大好きで教養文庫の小栗虫太郎、夢野久作、久生十蘭、香山滋、橘外男などを片っ端から読み漁っていた。夢野久作だけは米倉斉加年が扉絵を書いてた角川文庫版の方が好きだったけど、他の作家はこの教養文庫のシリーズが最も手軽で探すのに苦労しなかったから愛読してたものだ。
橘外男は全然興味ないタイプの著作も多かったけど、刑務所に入ってたなどかなりの無頼漢で独特の魅力があった作家だ。
小倉(福岡県北九州市)のナガリ書店や福家書店、宋文堂などなど、今はあるのかどうかさえ知らないけど、当時よく行ってた本屋が懐かしい。ROCKHURRAHが少年の頃の小倉には輸入レコード屋がほとんどなかったから、本屋に行けばROCKHURRAHがすぐに見つかるというくらいに長時間をこの辺で過ごしたものだ。
これまた全然関係ない話だったか。時間ないなら先を急げよ、と本人に突っ込まれてしまうありさま。

スクリーミング・デッドはいわゆるポジティブ・パンクと呼ばれた音楽で「永遠の中堅」とROCKHURRAHが常に思ってたバンドだ。初期はレコード出す金もなかった(?)ようでカセットを自主制作販売してたみたいだが、結局シングルのみでアルバムも出さずに解散してしまったところが中堅以下。
ちょっと鼻にかかったチンピラ声でパンクっぽいのから日本のGSみたいな曲調までを歌い上げるところが個人的には好みだった。 彼らのディスコグラフィを調べてみると、当時はほぼ全シングルを所有していた事が判明した。それくらい気に入ってたんだろう。
ポジティブ・パンク、ゴシックという音楽のような重苦しさはあまりなく、単にホラー要素があるパンクというだけで、音楽的な印象は違うが上のコープス・グラインダーズとかと同じような立ち位置なのかも。そう言えばジャケットの構図も似てるしね。 

動かない動画が続いたので飽きてきたろうから、お次は動きのあるこれを選曲してみよう。
ソニック・ユースとリディア・ランチによる「Death Valley 69 」だ。ヴァリー部としてはこれを見過ごすわけにはいかないからな。
もはや翻訳する必要性はないけど律儀にやってみたら「デスバレー69」、そりゃそうだ。
車のボンネットで目玉焼きが出来ると評判のデスヴァレーはアメリカ人だったら誰でも知ってるところなのかな?ROCKHURRAHもSNAKEPIPEも地理には疎く、日本に住んでても阿寒湖と屈斜路湖の区別さえつかないけどね。
パット見のタイトルはカッコイイけど、デスヴァレーは国立公園だから日本で言えば「十和田八幡平(国立公園)78」などとタイトルつけるのと同じノリかね? 

ソニック・ユースは1980年代初頭から活動していたニューヨークのバンドでロック界随一の巨人(推測)のサーストン・ムーアとキム・ゴードンの夫妻がバンドの中心だった。
独特のギターによるノイズとパンクやサイケデリックがごちゃ混ぜになったような音楽は90年代以降ではよくあるオルタナティブってヤツだけど、彼らが始めた頃はまだアングラなものだったな。
それよりちょっと前の時代、ニューヨークで流行ってたノー・ウェイブという動きがあったけど、ソニック・ユースのはそこまでヒステリックではない感じ。最初はどちらかというとイギリスのオルタナティブ系と呼ばれた音楽寄りだったと記憶するよ。 個人的にはこの初期の頃の方が好きだった。 
こないだ観てきてSNAKEPIPEが記事を書いてくれたマイク・ケリーやゲルハルト・リヒターなどレコード・ジャケットにもこだわったバンドだね。 

この曲は1985年の「Bad Moon Rising」に収録されてシングルにもなった大作。
この頃はまだ大人気になる前のインディーズ・バンドだったにも関わらず映画風のプロモーション・ビデオが作られている。
ゲストの金切り声ヴォーカリストがノー・ウェイブ界の裏女王、リディア・ランチという組み合わせ。
ビデオはカルト宗教っぽい感じがしてかなり不穏な雰囲気の危ないもの。銃社会アメリカだから、この映像はシャレにならんぞ、というリアルさがあるな。 

何だか明るくない系統のものが続いたから最後はあまり毒のなさそうなのにしてみよう。
Allez Allez、綴りは難しくないのにこういうのが一番読めん・・・とずっと思ってたバンドだがディスク・ユニオンによるとアレ・アレというらしい。ではそれでいってみよう。
アレ・アレの「Valley Of The Kings」だ。
「どんだけ英語が苦手なんだよ」と言われそうだが例によって翻訳してみると予想通り「王の谷」。

NHKスペシャルとかで去年くらいやってたピラミッド特集や王家の谷、などと聞くとついつい興味を持ってしまうが、SNAKEPIPEもそういう知的好奇心が豊富なタイプで良かった。
二人の見た目からはすごく意外だけど歴史モノも好きで、王家の谷とはまるで関係ないが「英雄たちの選択」とかも毎回観てるからね。

アレ・アレはリアルタイムでレコード屋ではよく見かけたジャケットだったが、レゲエかアフリカンのような印象があったから、その辺が苦手なROCKHURRAHは素通りしていたよ。
実はアフリカともジャマイカとも関係なさそうなベルギーのバンドで黒人も一人しかいない、それでもアフロとかファンク、ダブという夏向けの曲調でたぶん人気もあったらしい。本格派ではなくてあくまでニュー・ウェイブの一種だったらニセモノ音楽が大好きなROCKHURRAHでも理解できるだろう。
という事でずっと食わず嫌いだったこのバンドのビデオを観てみたら、これがなかなかいいでないの。
バックのメンバーは何だかわからないがバカっぽい派手な動きをしているしヴォーカルの紅一点はこの衣装と姿だったらクールじゃないか?と思わせておきながら結構微妙な表情だし、決して暑苦しくならない感じがいかにもニュー・ウェイブ世代。

今回はかなり遅くなってしまってSNAKEPIPEにも迷惑かけてしまったよ。
次からは下準備して取り掛かるからね。

それではまた、パアラム(タガログ語で「さようなら」)。

【何だかわからんけどハッピーそうなビデオを作ってみた】

ROCKHURRAH WROTE:

今年の元旦ブログはROCKHURRAHが書いたけど、本当はその次の記事も担当するつもりでいた。
が、色々と個人的にやりたい事があったので、先週はSNAKEPIPEに代わってもらって一週間遅れになってしまったよ。

2018年の1月も半ばになってまだまだ正月気分真っ只中の人はそんなにいないとは思うけど、一応年始を祝うつもりで選んだのがこの「ハッピー」というテーマだ。
うーん、見た目といい性格といいハッピー向けじゃないと自覚しているROCKHURRAHだから、あまりメデタイ事は書けないとは思うが他に目ぼしいテーマもないし、何とか書いてみよう。

最近では年賀状さえ書かない人が増えてるに違いないのは世間の事情に疎いROCKHURRAHでもわかるが、子供の頃は最もポピュラーな「A Happy New Year」を迷いもなく書いてたに違いない。
近年は正月らしい事もほとんどしないし「正月、何がめでたい」と佐藤愛子風に思ってしまう我が家なのだった。
SNAKEPIPEと二人では人並みに祝うけどね。

ウチのブログの「ROCKHURRAH POSTCARD」というシリーズ記事は過去にROCKHURRAH RECORDSが作った年賀状や暑中見舞いがアーカイブされてるんだが、2010年からは年賀状らしいHappy New Yearの文言も一切なくなり、2011年からは英語でさえなくなったという経緯がある。一体何考えて何が言いたいのかさっぱりわからん年賀状だろうな。
SNAKEPIPEが書いてる「ビザール・ポストカード選手権」というシリーズ記事に「貰った人が困惑するようなポストカード」という記述があるけど、ウチの年賀状こそまさにそれだね。

さて、相変わらずどうでもいい前置きだったけどいきなり本題に入れないタイプだから仕方ない。
では今回のお題、ハッピー隊に出てきてもらいましょう。
あ、ちなみに初めて当ブログの記事を読む人には到底わかってもらえないから説明するけど、このシリーズ記事は単に同じキーワードが曲名についたものを選んで、無理やりひとまとめの仲間にしてしまった記事を書こうという主旨のお手軽企画。 他の企画と違い広範囲から選べるというROCKHURRAH側のメリットがあるだけなんだけど。

1980年代前半のハッピー隊で筆頭に出てくる曲は個人的にこれかな。
70年代パンクの雄、ダムドのデタラメ男、キャプテン・センシブルが80年代にソロとして発表した奇跡の大ヒット曲がこの「Happy Talk」だ。
パンク・ファンなら知っての通りダムドはセックス・ピストルズ、クラッシュと並び有名過ぎるパンク・バンドだが、全英チャートに入るようなヒット曲は「エロイーズ(全英3位)」くらいのもので、有名なあの曲やこの曲も通常のメジャー・チャートとは無縁の世界。
キャプテン・センシブルはドラキュラ・メイクのヴォーカリスト、デイヴ・ヴァニアンと対比を成すコミカルで陽気そうなキャラクターが際立った名物男で最初はベーシスト、それからギタリストになった。丸いサングラスとベレー帽をトレードマークにしていて、モヘア(パンク初期の重要アイテムとしてモヘアのセーターというのが流行っていた)を通り越した着ぐるみのようなモコモコのステージ衣装でギター弾いたり、派手さという点ではパンク界随一の目立ちぶりだったな。そのキャプテンがソロとなり、いきなり全英No.1に輝いたのがこの曲だったのでファンはみんなビックリというのが1982年の話。
「パンクもやり尽くしたしそろそろ大ヒットでも出してみっか」と軽い冗談のノリで作ったようにファンには見えるこの曲、元々はブロードウェイ・ミュージカル、後に映画にもなった「南太平洋」の有名な挿入曲だった。
過去にも色んなカヴァー曲が存在しているが、それをなぜパンク界のやんちゃ男がカヴァー?というインパクトでミスマッチ感はすごいけどね。
メチャメチャでもなくパンク風でもなく、ちゃんとしたゴージャス(?)なアレンジになっているのはさすが。マリ・ウィルソンなどを手掛けたNew Musikのトニー・マンスフィールドの手腕も光る名作ですな。

キャプテンがオウムに歌いかけるばっかりのプロモーション・ビデオもあったけど今回はTV出演の模様を選んでみた。横でギター持ってコーラスしてるのが往年のギター・ポップ・ファンならば唸るガールズ・トリオ、ドリー・ミクスチャーの勇姿だ。キャプテン・センシブルが見初めて(?)コーラス隊に抜擢、その中の一人が後に嫁さんだか恋人だかになったという話だね。ドリー・ミクスチャー単体としては80年代にちょっとだけレコード出してはいたものの、 こういうヒット番組の出演は不可能なくらいのマイナーな存在。キャプテン・センシブルと一緒に活動したからこその晴れ姿だと考えると複雑な気持ちだろうね。家族や親戚、友達はちゃんと録画してくれたかな?

まあとにかく曲調といい楽しげな様子といい、ハッピー度満点の出来。

続いてのハッピー隊もパンクから選んでみた。
これまた有名なバズコックスの「Everybody’s Happy Nowadays」だ。
セックス・ピストルズがマンチェスターで初めてライブを行った時に観客はわずか数十人だったという話だが、そこに集まった人間が後のマンチェスターの音楽シーンを引っ張ってゆき、パンクからニュー・ウェイブの時期にマンチェスターは音楽の産地に発展してゆく。
ジョイ・ディヴィジョンで有名なファクトリー・レーベルを設立したトニー・ウィルソンなどもその数十人の一人だったとの事だが、バズコックスのメンバーもセックス・ピストルズやパンクの衝撃によってバンド結成したというような話を聞いた事がある。まあ自分で観てきたわけじゃないから全ては人の話、誰と誰がその場にいたかなんてはっきりわかったもんじゃないが。
そういうわけでマンチェスターのパンク・ロックの中で最も著名だったのがバズコックス。
田舎町ではないと思うがまだパンクが生まれてなかったマンチェスターにパンク啓蒙運動を起こした功績は大きい。
最初はジョニー・ロットンの歌い方をいやらしく粘着質にしたようなトカゲ目のハワード・ディヴォートがヴォーカリストで、パンク界では有名過ぎる4曲入りシングル「Spiral Scratch」を発表。
ピストルズやクラッシュなどバズコックス以前のパンク・バンドはみんなメジャー・レーベルと契約してレコードを出してるが、バズコックスは自身のニュー・ホルモンズという英国初のインディーズ・レーベルからシングルを出した事でも有名。これこそインディーズの元祖だね。
個人的にはこの時代のバズコックスが最良でROCKHURRAHも苦労してオリジナル盤の「Spiral Scratch」を所有していた大ファンだったが、ハワード・ディヴォートは早々にこのバンドを脱退して次のマガジンを結成。これまたパンクからニュー・ウェイブに移り変わる時代の最も重要なバンドだと思ってるけど、その重要なヴォーカリストが抜けた後にはギタリストだったピート・シェリーがヴォーカル兼任でバズコックスは続いてゆく。

世間的にはむしろここからが快進撃で1979年くらいまでに立て続けにシングルをリリース。
もちろんアルバムもリリースしてるんだがバズコックスの場合は「パンク・ロック=シングルの時代」という認識を裏付けるようにシングル曲がとにかくどれも有名だね。パンク/ニュー・ウェイブ中心で聴いてきた人の多くがバズコックスの曲を聴いて即座にわかるくらいに知名度抜群。
ハワード・ディヴォートのいた頃こそが本当のパンクだったとは思いつつも、その後のバズコックスはポップで親しみのある楽曲をパンク的疾走感で包み込む、そのバランス感覚とセンスで突出していたバンドとして確固たる地位を築いた。彼らに影響を受けたバンドも実に数多く存在しているだろう。

で、この「Everybody’s Happy Nowadays」は彼らのキャリアではもう中盤以降の79年に発表されたシングル。10枚目くらいか?
個人的な思い出を語るならばこのシングルはROCKHURRAHが北九州から東京に出てきた一番最初に買ったレコードだった。まだ住むところもなく友人の家に居候してた頃(この記事参照)、当時は恵比寿にあったパテ書房という古本屋&レコード屋を探して歩いて、そこで購入したもの。何もそこに行かなくても当時は輸入盤屋とかでも入手出来たはずだけど、行った記念みたいなものでね。
帰って友人U尾と彼女のY里ちゃんと三人で聴いたのを思い出す。バズコックスをたぶん知らないはずのY里ちゃんがサビを真似して歌ったのに驚いたもんだ。要するに初めて聴いても一緒に歌えるキャッチーなメロディという実証ね。

ハワード・ディヴォートの歌い方を踏襲したピート・シェリーだったがヴォーカリストとしての力量はとても覚束なく、いつ破綻するかのスレスレの線で歌っていて聴衆の方がヒヤヒヤしてしまうくらいの素っ頓狂な歌。
レコードはまあその中の一番いいテイクを使ったんだろうが、これがライブともなるとスリリングさ満点のものになる。
今回のライブ映像もあまりのヘタレ声、ちょっと頭おかしいんじゃないの?と思えるくらいの歌いっぷり思わずに笑ってしまうような出来で、初めて見た人はビックリするんじゃなかろうか?もはやヤケクソとしか思えないヴォーカルがすごい。
これはまた別の意味で「もしかして街中で見かけるハッピーな人なんじゃないか?」という恐るべき映像だな。

前も「俺たち○○シリーズ」なのに女性ヴォーカルの曲を選んでしまった事があったけど、男のバンドばっかりだと制約になってしまうから、もはや「俺たち」にこだわる必要はないとの結論に達したよ。いいかげんだな。

というわけで80年代前半のハッピー隊としてはこれを出さないわけにはいかない、オルタード・イメージズ1981年のヒット曲「Happy Birthday」だ。ニュー・ウェイブ界の本格的アイドルとして好き嫌いは抜きにして知名度は高いバンドだろう。

この当時のイギリスの主流だったニュー・ウェイブの世界で女性ヴォーカルは色々存在していたけど、どちらかというと男勝り、または奇抜すぎなのが多かったなという印象。
ROCKHURRAHの記憶を呼び覚ましてみてもリディア・ランチ(イギリスではないが)とかビッグ・イン・ジャパンのジェーン・ケーシーとかが自分の中のアイドル的存在ではあったけど、一般で言うところのアイドルとはかけ離れてるし、そもそもこの時代に彼女たちの動いてる姿さえ観ていない。わずかの写真やインタビュー記事、そしてレコードだけで勝手にファンになってしまっただけだ。

オルタード・イメージズの紅一点、クレアちゃん(SNAKEPIPEがいつもクレアちゃんと言うのでROCKHURRAHもなぜかちゃん付け)はそういう風潮の中、アイドル的だけどちゃんとニュー・ウェイブという括りで語れるところが新鮮だったのかもね。
スコットランドのグラスゴーで結成された5人組でクレアちゃん以外のメンバーはあまり存在感なく、メンバーが変わっても気付かないだろうな。女性ヴォーカルのバックバンドというのは大体がそういう傾向にあるのかな?とも思ったが単にROCKHURRAHが人の顔を覚えられないだけかも。
元々はスージー&ザ・バンシーズの追っかけから始まって、本当にツアーの前座に抜擢されたというラッキー過ぎる経歴を持つバンドだが、そのバンシーズのベーシスト、スティーヴ・セヴェリンがプロデュースしたアルバムも売れたはず。なぜかヒットした「Happy Birthday」だけはバズコックスとかをプロデュースしていたマーティン・ラシェントのプロデュースというところが気になるな。
デビュー曲とかは割と暗くてスージー&ザ・バンシーズの影響を感じるけど、この曲は元気ハツラツでバンシーズっぽさはないもんなあ。バンドのやりたかった方向性とレコード会社の売りたかった路線の違いに「修正感」を感じるのは気のせいかな? 
確かに1981年当時の女性シンガーの中ではクレアちゃんはキュートな部類に入るけど、やっぱりアイドルっぽく売りたかったんだろうなと勝手に想像するよ。 

代表曲は何度も書いたから誰でもわかる通り上の「Happy Birthday」。
全英2位に輝いて一躍オルタード・イメージズの名を全国に広めたが、当時よくあった一発屋ではないんだよね。
このバンドはさらなるハッピー隊向けの楽曲を作ってクレア、じゃなかったくれた。

「I Could Be Happy」は「Happy Birthday」に続く曲なんだが既に飽きられたのか、前曲ほどにはヒットしなかった。この辺からゆるやかな下降が始まっていて83年にはもう解散してしまった。結構短命なバンドだったな。
ウェディングドレスみたいな衣装で大きなリボンをつけた姿は良かったが、この踊りや振り付けのせいで垂れ下がって、日本で言うところの幽霊みたいになってしまったのが惜しまれる。いい娘だったのにね。

さて、お次のハッピー隊はこれ、ボルショイが1985年にリリースした「Happy Boy」だ。
ボルショイと聞くと即座にサーカスと連想してしまうが、ボルショイもボリショイも綴りは同じなんだね。
このバンドもボリショイと呼んだ方が耳馴染みはいいと思うんだがなぜかボルショイ。どうでもいい数行だったな。

今どきは隣町にサーカス団がやってくる、なんてシチュエーションは滅多にないと思えるが、ROCKHURRAHが子供の頃はまだまだサーカスの巡業も盛んだったな。懐かしき昭和の風物詩だよ。
少年時代に好きだった漫画「夕焼け番長」にもサーカスの少年とのエピソードがあったのを今でも覚えてる。
空中ブランコの姉弟が巡業先で一時的に転校生となって学校にやってくる。プロだから鉄棒の大車輪以上の大技も軽くこなせるけど弟は暴力的でイヤなヤツ。
その前のエピソードで主人公、赤城忠治が死力を尽くして倒した少年院帰りのワルのパンチを軽く受け止め、握力で逆に拳を締め付けるところには「なるほど」と感心したものだ。空中ブランコで姉の体重を受け止めるからものすごい握力になってるわけ。こんな強敵と戦う羽目になってしまうというストーリーだが、70年代の梶原一騎原作の典型的パターンだったな。
ボリショイから連想して全然違う話になってしまったよ。

そのバンド名の割には特にロシアとは関係ないイギリスのバンドがこのボルショイだ。ロシア語で大きいという意味らしいよ。そのバンドが日本で初めてお目見えしたのがミニ・アルバムの「Giant」、英語で巨人、巨大なものを表すのはみなさんご存知だが、よほどの大物好きだったのかね?
カラフルだけどあまり見かけないような独特の色調のジャケットも気にっていた。フレッシュ・フォー・ルルのアルバムもそういう雰囲気で好きだったから、ROCKHURRAHはもしかしたら色調に反応するタイプなのかも。

彼らがデビューした時期はもうネオ・サイケもポジティブ・パンクも下火になった頃だったが、後期バウハウスの雰囲気を残したような曲調でこの手のが好きな人間にとってはなかなか理想的なバンドだった。この「Giant」の中の「Boxes」とかは愛聴したもんだ。ところが一年後の「Away」でU2とかのメジャー受けしそうな路線になってしまい個人的には「どうでもいいバンド」に成り下がってしまった。あくまで個人の感想なので人によってはこっちの方が断然いいと思えるかも知れないけどね。

Happy Boy」はそのミニ・アルバム「Giant」にも収録されているしシングルにもなった曲。この頃はまだメジャー受けしそうな曲調ではないし、途中が実写に着色したアニメ調になってるビデオもなかなか雰囲気あるね。
ただしこのヴォーカルがすごく信用出来ない顔立ちで絶対に金を貸したくないタイプ。割と美形で人気もあったとは思うけど、女性ファンは騙されないように気をつけた方がいいよ。などと今この時代に言ってももう遅いか。

本当はもうちょっとハッピー隊があったんだけど、今日はあまり時間がなくなってしまったのでここでおさらばするよ。相変わらず時間の使い方がヘタなので、これを改善するのが今年の抱負かな。

ではまたドヴィヂェーニャ(クロアチア語で「さようなら」)。 

【モダーンなスタイル変遷を描こうとしたが、かなり偏ってしまったなや】

ROCKHURRAH WROTE:

新企画を作ってはみたものの、ROCKHURRAHがいつも書くような記事と全く変わり映えがしないと書いてる本人が断言しているのがこの「俺たち○○シリーズ」だ。
音楽のタイトルやバンド名にこだわった記事も他のシリーズにいくつもあるので、あまり意味なしだと思えるよ。
毎回趣向を考えるのが大変なので、こんなインスタントな記事でごまかしてるのがミエミエだね。

さて、今回はModernという単語がタイトルについた曲を駆け足で紹介してゆこう。
いちいち訳すまでもないけど「近代的」という意味の言葉。
個人的にはこの言葉が大好きでROCKHURRAH自身もかつてはモダニストだったと自負していたもんだ。今は時代遅れの寵児かも知れないが。
モダーンとかモダンとかさまざまなモノの名前についてるのは間違いないし、そういうのがもてはやされた時代もあったのは確か。1920年代などはまさにモダーン旋風が吹き荒れてた時代だもんね。
でも今、この時代にはあまり使われてないように感じるし、語感からしてモダーンより後のポスト・モダンなんて言葉さえ今時はあまり聞かなくなって久しい。
モダン焼きも好きな人は多かろうが、みんな本当にこれを近代的な食べ物と思ってるわけではなかろうしね。え?関係ない?
モダーンが憧れではなく「古臭い懐古趣味」みたいに思われる風潮はイヤになるね。
人々の暮らしも文化もモダーン以上なのは間違いないけど、ROCKHURRAHの世代でセンスがいいと思っていたようなものがどんどん廃れてゆき、世の中がつまらないもので満たされてるような感じがするのは寂しくなるよ。

そういう世の中の流行にはなるべく逆らって生きてゆきたい、それがROCKHURRAH RECORDSをやり続ける事の意義なんだろう。
おやおや、またしても底の浅い三流文化論調になってしまったから先を急ごう。

ROCKHURRAHが一番好きな70’s〜80’sのパンクやニュー・ウェイブの時代もModernな曲やバンドが色々あったから、今回はそれを集めてみたよ。

モダーンと聞いてROCKHURRAHの世代だったら多くの人がシーナ・イーストンの「モダン・ガール」やデヴィッド・ボウイの「モダン・ラブ」を思い出すんじゃなかろうか?まあ連想するのは人それぞれなんだけど、ROCKHURRAHは真っ先にこの曲を思い出したよ。

ペル・ユビュの1977年作「The Modern Dance 」は1stアルバムのタイトルでもあり収録曲のタイトルでもある。この曲はシングルにもなってたようだがオリジナル盤は超コレクターズ・アイテムなので、同時代にアメリカで買ってきたなどという羨ましい身分の人以外はおそらく誰も持ってなかったんじゃなかろうか。
ROCKHURRAHも当然シングルは持ってなくて、イギリス盤の1stアルバムしか所有してない。
後に「Datapanik In The Year Zero」という入手困難シングルをひとまとめにしてくれたレコードでこの曲の元ネタみたいなヴァージョンが入っていたが、アルバムと共に聴きまくっていたもんだ。 

ちなみにこの時代の地方都市の輸入レコード屋では本国がアメリカのバンドでもイギリス盤の方が入手しやすかったという覚えがある。アメリカ盤で新譜が手に入るのはいわゆる大手レーベルから出てたようなバンドばっかりだったような気がするが、そんな事ないのかな?

それはともかく、工場地帯をバックに工場労働者がバレエを舞ってるというとても変なジャケットのアルバムでレジに持ってくのが恥ずかしかったが、忘れもしないKBC(九州朝日放送)の電波塔があったタワーレコードKBC(「レコード・プラントKBC」だったような記憶があるが)で買ったのを、昨日の事のように覚えてる。この辺の話はこっちの記事でも書いてるな。

多感な少年時代、しかもまだ洋楽ロックを聴き始めて数年くらいしか経ってない入門者の頃にこのアルバムに出会ってしまったのがROCKHURRAHの運命を変えたとも言える。まあペル・ユビュに限らずこの時代のパンクやニュー・ウェイブに衝撃を受けまくってて、衝撃の大安売り状態だったのが若き日のROCKHURRAHだったな。

米国オハイオ州クリーブランドのバンドで、70年代半ばにRocket From The Tombsというパンクの原型のようなガレージ系バンドがあったんだけど、そこのピーター・ラフナーとデヴィッド・トーマスが作ったのがペル・ユビュだった。などと今では軽く書けはするけど、同時代にはそんな事誰も知らなかったはず。それくらいマイナーなバンドで情報なんかどこにもなかったよ。

アヴァンギャルドでフリーキーな曲を得意とするが、時にユーモラスで時にカッコイイ瞬間もあり、一筋縄ではいかない複雑さが魅力だった。狂気を感じるほどの素っ頓狂なデヴィッド・トーマスの高音ヴォーカルと百貫デブ。見た目のインパクトも抜群ですごいバンドだと囁かれてはいたが、パンクがやっと始まったくらいの時代には早すぎたからか、当時は日本盤も出てなかった。
ようやく日本盤が出たのはイギリスのラフ・トレードが徳間ジャパンと手を組んでジャンジャン日本盤をリリースしてた80年代になってからの事だ。

さて話は戻るが1977年に出た「The Modern Dance 」は初期ペル・ユビュの曲の中では最も聴きやすい部類の曲だ。
プリマドンナの友達が皆無なROCKHURRAHが知る機会はなかったが、クラシックなバレエなどに対してもっと自由で前衛的な表現方法までも取り入れたような踊りをモダン・ダンスと呼ぶようだ。
アルフレッド・ジャリの「ユビュ王」に由来するバンド名なんだけど、その「ユビュ王」の冒頭の「merde!(くそったれ)」をこの曲のバック・コーラスでも連呼しているし、曲の合間にホールのざわめきのような環境ノイズがミックスされていて素晴らしい出来。
なお、ビデオの映像はプロモとかライブの模様とか、要するにマイナーなバンドだった彼らには残された当時の映像がないので、たぶんファンの誰かが作ったこれを選んでみた。
「Satan en prison」という1907年のフランス映画(?)が元ネタみたいだが、20世紀初頭の映像マジックを駆使して作られていて、観客はビックリしただろうな。ペル・ユビュの方じゃなくて元の映画の方ね。要するに額縁を壁に投げつけたらピッタリ壁面に収まってしまう、などの手品的なものを映像編集の力によって実現した実験的なもの。
うーん、これこそ確かなモダーン。

続いてのモダーン党はこちら。70〜80年代のモダーンな曲で思い出すランキングの上位にきそうなのがジャムの「The Modern World」だろう。これまた1977年に出た2ndアルバムのタイトルでもありシングルになった収録曲のタイトルでもある。

10年以上にも渡ってパンクやニュー・ウェイブのブログを書き続けているROCKHURRAH(その割には担当記事数が少ないが・・・)だが、ジャムについて書くのは初めてかな?
もちろんロンドン・パンクを語る時に忘れちゃならない重要バンドなのは間違いないし、彼ら以降に沸き起こったネオ・モッズといったムーブメントのパイオニア的存在でもあった。

しかし実はROCKHURRAHは彼らの主要曲は大体知っててもアルバムやシングルをほとんど所有してなくて、とても「ファンです」などとは言えないし語れないのだった。
パンクを通過したモッズという点では評価してる(偉そう)し声も演奏も素晴らしいエネルギーに溢れてるのは間違いないけど、なぜか熱中して追いかけるまでには至らなかったんだよね。

その頃は個人的に買うほどじゃないけど聴いてみたいようなレコードは図書館を利用して聴いていたのを思い出す。
小倉(福岡県北九州市)の図書館にあった視聴覚室でリクエストしたレコードをヘッドフォンでソファに座りながら聴けるというサービスがあった。そこでジャムの1stやこの「The Modern World」など、他にも色々なレコードを毎日のように聴いていたものだ。
図書館のお姉さんがパンク好きの気さくな人だったので迷惑も顧みずいつも長居してばかりだったな。
その頃一緒に遊んでいた友達がどうしょうもない不良ばっかりだったけど、パンクやニュー・ウェイブを聴くROCKHURRAHの横でちゃんとおとなしく矢沢永吉やクールスを聴いていたのが懐かしい。
何かメチャメチャな時代でパンク好き集団とアイビー野郎たちとDCブランドかぶれとヤンキーどもがみんな一緒に小倉の街を闊歩してたような感じ。
モダニズムの時代、フランスのカフェでシュルレアリストが集っていた文化的交流とは程遠いけど、これはこれでリアルな地方都市のモダーンな風景だったのかもね。

モダーンな曲で思い出すランキングには決して入らないとは思うし興味ない人も多かろうけど、どうしてもこれだけは挙げておきたい。
ビー・バップ・デラックス1976年の4thアルバムのタイトルであり収録曲でもある「Modern Music」だ。モダーン党としてこれを語らなければROCKHURRAHではないと言える選曲。
要するに子供の頃から特別ひいきにしていたアーティストだというわけ。
モダーンと聞いて真っ先に思い出したのがペル・ユビュだと最初に書いたけど、ビー・バップ・デラックス、これほど「モダーン」というニュアンスを体現したバンドは滅多にいないだろう。

1971年に恥ずかしいほどかわいい系のイラスト・ジャケット「Northern Dream」でソロとしてデビューした英国ヨークシャー州出身のビル・ネルソン。この時はギターや歌に冴えたものはあったものの、よくある70年代ロックのシンガー・ソングライターに過ぎなかった。
が、ソロとして需要があったにも関わらず本人はバンドとしてやりたかったようで、1974年にビー・バップ・デラックスとしてようやくデビューする。
最初はグラムっぽい部分が見え隠れするハードロックというような路線で他のグラム・ロックに比べるとギターの比率が高いバンドだった。
1978年までに6枚のアルバムを出して解散したが、徐々にトータルなアンサンブルを重視するようになってギター・ソロも短くなっていった。
代わりにその頃から普及し始めていたシンセサイザーを重要視する楽曲が多くなり、ニュー・ウェイブへの橋渡しをしたような曲も残している。
大して詳しくは書いてないが前にこちらの記事でも特集したな。
ROCKHURRAHはビー・バップ・デラックスをリアルタイムで聴いたわけではないけど、最後のアルバムが出た後くらいで順不同に入手したよ。

4thアルバム「Modern Music」はロンドン・パンク元年の1976年に出たが、まだそういうものの影響を受けたり取り入れたりはしてない時代の未来派ロック集大成みたいなものだった。
ビル・ネルソンの思い描く未来は1950年代くらいのB級SF映画が描いたような子供っぽくて本当のSFファンから見たら陳腐な世界観だったろう。でも、その辺のレトロ・フューチャーな感覚がROCKHURRAHにとってはとても好ましいものだったよ。
このアルバムは確かビー・バップ・デラックス初のアメリカ・ツアーと前後して発表されたもので、このバンドとしては異例なくらいにアメリカナイズされた楽曲が目立つ作品だった。
前の3枚のアルバムよりもギター・ソロの比率が低くなり、この時代のポップなロックとしてヒットしてもおかしくない要素が詰まってはいたが、いかにも英国産な初期の感じをこよなく愛する人からは落胆されるような内容だったかも知れない。ROCKHURRAHはこの時代のビー・バップ・デラックスも大好きだけどね。
特にB面の大半、曲がつながっていて組曲みたいになってるところは諳んじる事が出来るくらい聴いたものだ。あまりにも聴きすぎて修学旅行の時(大昔の話)にずっと頭の中で流れていて、思い出の全てのBGMが「モダーン・ミュージック」になっているほど。

今回のYouTube映像は画像が汚いのが残念だが「Modern Music」のツアーの貴重な映像だ。スタジオ録音のものと比べても遜色ない完璧なライブをするという定評のあるバンドだけに、演奏は申し分ないね。最初に「Dance of the Uncle Sam Humanoids」というフュージョンっぽいインストの曲からタイトル曲「Modern Music」へとなめらかに移行してゆく展開はまさにモダーン(現代的ではなくて近代的)という言葉を体現したかのような出来。
後のニュー・ウェイブの元祖的な扱いを受けるバンドではあるけど、興味ない人にとってはかなり古臭い映像かも知れないね。

昔、好きな音楽評論家の誰かが言った言葉で「先に進まなければならない(音楽はどんどん進化していってるというような意味か)のはわかっている。けど、もう少しだけここに踏みとどまっていたい自分がいる」みたいな内容のがあったけど、ROCKHURRAHにとってのビー・バップ・デラックスがまさにその象徴だったんだろうな。
わかってくれる人は少ないだろうけど、これこそがモダーン党の伝えたいニュアンスなんだよ。

伝えたい事はもう終わったのでこれより後は個人的にはどうでもいいようなモダーン残党(?)についてちょこっと語ろう。

「Modern Lovers」と聞くと即座に思い出すのはジョナサン・リッチマンのモダーン・ラヴァーズだろうか?セックス・ピストルズもカヴァーした「Roadrunner」などはROCKHURRAHも愛聴していたもんだ。この時代よりも後の50〜60年代っぽい雰囲気の脱力ソングも良かったね。
あるいはムーンライダーズの「モダーン・ラヴァーズ」を真っ先に思い出すよって人も多いだろうかね?その辺はとっても有名でわざわざウチが書かなくても誰でも語るだろう。
ROCKHURRAHは同時に、80年代に大好きだった漫画家、奥平イラ(衣良)の「モダーン・ラヴァーズ」も即座に思い出したんだが、久保憲司(「クロスビート」や「ロッキン・オン」などで書いてたライター)が同じような事を先に書いていたのでトホホ、完全なマネッコになってしまった。マネはいかんなあ、という事でまあ同じような時代に同じ文化の洗礼を受けた人間だったら同じ連想するのも許してもらいたい。

で、人々がたぶんあまり語ってないこちらを選んでみた。
フェイ・レイという日本人シンガーがいたようだがそれとは全く関係ないし時代が違う。これは1980年にデビューした英国ウェールズのバンド、フェイ・レイの1982年作「Modern Lovers」だ。
フェイ・レイと言えば1930年代の初代「キング・コング」に掴まれ攫われた有名なスクリーミング・クイーン女優の名前だが、こちらはフェイ・レイという人の名前ではなく、シーラ・マッカートニーというウソっぽい名前の紅一点ヴォーカルでバックが全部男という編成のバンド。日本ではほとんど知られてないみたいだね。
同時代にはオー・ペアーズやホーリー&ジ・イタリアンズなど女性ヴォーカリストのバンド達が躍進していた(ってほど知名度はないが)が、このフェイ・レイのシーラ嬢もただの紅一点ではなくギターも弾き歌うというスタイル。
しかし小柄な体型にこのいかにも80年代な服装で、顔立ちもちょっとキツくて微妙な感じ、80年代初頭だったら美女シンガーとして通用したのかな。
曲はいかにも英国風の完全に明るくはなりきれないパワーポップっぽいもので、シーラ嬢の歌もなかなかパワフル、日本で(たぶん)紹介されなかったのが残念な意欲作だ。
野っ原でロケという爆弾魔みたいな映像だが何となく野っ原つながりでネーナを思い出すな。
同時期にシングルになった「Heatwave」という曲でも外のロケだったので、プロモーション・ビデオの収録を使いまわしてて、アウトドア派のバンドという印象があるね。
しかしここまで書いてフト気付いたんだが、ブログのタイトル「俺たち」なのに女性ヴォーカルにしてしまったよ、トホホ。バックのメンバーはたぶん「俺たち」と言ってるだろうから大丈夫かな。

で、またまた女性ヴォーカルのバンドを選んでしまった。「モダーン」にばかり着目して「俺たち」の事は忘れ去っていたな。ブログの構成を完全に失敗してしまったね。

「Modern Girl」という曲名で最も有名なシーナ・イーストンよりもちょっと前、1979年にリリースされたのがこのThe Dadisticsという米国シカゴのバンドの同名曲だ。ダディスティックスでいいのかな?
Audrey Stanzlerという女性ヴォーカリストにバックが全部男という編成も上のフェイ・レイと同じようなもんだが、紅一点のオードリー嬢は上のシーラ嬢よりもさらに微妙な顔立ちでバックもどうでもいいようなメンバー揃えたな。
アメリカにもニュー・ウェイブはあったし先鋭的でスタイリッシュなのも色々いたけど、全体として見るとやっぱりイギリスに比べるとルックス的に垢抜けてないなという印象はあるよ。

オリジナルのレコード・ジャケットは50’sな感じのピンナップ・ガールが写ってて全然違うような音楽性を想像してたんだけど、曲の方はパンクから初期ニュー・ウェイブの感じがする、なかなか頑張った出来のもの。
デブ女ヴォーカルとして有名なロメオ・ヴォイドの「Never Say Never」とちょっと似た雰囲気(こっちの曲の方が早いが)だと思ったのはROCKHURRAHだけかな?

オードリー嬢はこのバンドの後、同郷シカゴのミニストリーのバッキング・ヴォーカルとして最初のライブなどで歌ってたらしいが、旧メンバーとしてウィキペディアにも載ってないほど友達あつかいされてない(想像)。

さて、最後のモダーン党も別にカモメ=トリにしたかったわけでもないけど、この曲にしてみようか。
ア・フロック・オブ・シーガルズの1981年のシングルで1stアルバムにも収録されている「Modern Love Is Automatic」だ。
カモメが羽ばたくさまを表現したかなり奇抜なシーガル・カットという変な髪型とシングル曲「I Ran」が奇跡の大ヒットした事で、忘れ去られた80年代型バンドの中では意外と知名度が高いのがこのバンドなんだけど、多くの人が思うほどの一発屋ではない活動をしていた。

英国リヴァプールでよほどの通じゃない限り誰も知らなかったようなバンド、トントリックスというのがあったんだけど、そこにひっそり在籍していたのが後にシーガル・カットで有名になるマイク・スコアだった。トントリックスは彼以外にも後のアダム&ジ・アンツで有名なクリス・ヒューズ(メリック)やジュリアン・コープのバンドで一部有名なスティーヴ・ラヴェルなど、さりげなく豪華なメンバーだったのにシングルたった一枚だけしか残ってない幻のバンドだ。
ROCKHURRAHは大昔に奇跡の出会いでこのシングルを見つけて今でも所有してるんだけど、売ってる奇特な店もあった。あ、なーんだ、ROCKHURRAH RECORDSだったよ。

ちなみにこのトントリックスの顔だったのが後にハンビ&ザ・ダンスというこれまた日本では知名度が低いバンドのリーダー、ハンビという人。ハンビはよほど自分の容姿に自信があったのかどうか不明だが、知名度ないくせに「俺は大スターだ」と言わんばかりの写真が残っている謎のカリスマ・シンガーだ。結構濃い顔立ちといやらしい歌声だけど、中期のWah!あたりにも通じる地味なテイスト。イギリスじゃ人気あったのかね?

話がすっかり他の人になってしまったから無理やりマイク・スコアに戻そう。
トントリックスの後にどういう経緯があったのか知らないが、ア・フロック・オブ・シーガルズがデビューしたのはリヴァプールとは特に関係ないと思えるビル・ネルソン(上の方で書いたな)の主宰するコクトー・レコードより。デビュー・シングルのみそこからリリースしてるんだけど、当然のようにプロデュースもビル・ネルソンがしていた。
この時は後に大ヒットする予兆もまるで感じないようなバンドだったが、そのデビュー曲「Talking」も大ヒットした「I Ran」も傾向としては同じようなものかな。
そんなプレミアもつかなさそうなシングルを売ってる奇特な店もあった。あ、なんだ、またまた自分の店か。
「I Ran」のイントロ付近でカモメの鳴き声みたいなのが入ってて、これがこのバンドの特徴の一部でもあるんだけど、ビル・ネルソンのビー・バップ・デラックスにも「Sister Seagull」という名曲があって、そちらで鳴き声ギターの元祖みたいな演奏が聴ける。影響を受けたのか「これをやれば受ける」と伝授されたのかは不明だけど。

Modern Love Is Automatic」はシングルにもなったが1stアルバムの一曲目だからファンにとっては馴染みの深い曲だ。
見た目からして一発屋っぽいからたまたまヒットしただけだろうと思いきや、意外とライブ映像が残ってるのでライブにも自信を持ってたバンドなんだろうな。自慢のシーガル・カットもライブ後半になると崩れて何なのかよくわからない危険性をはらんでいるのが玉にキズ。
彼らのどの曲の曲調も楽器の使い方も一本スジが通ったシーガル節とでも言えるように統一感があるが、逆に言えばどの曲も似たり寄ったりという意見もある。
まあしかし、今回採り上げた中では最もモダーンな感じがするのがこのア・フロック・オブ・シーガルズと言えるだろう。その前歴といい侮れない重要なモダーン党員だね。

以上、単にタイトルにモダーンのついたものだけを集めてみたが、シンセサイザーなどのエレクトロニクスを使ったバンドが少なかったので、思ったほど想像したようなモダーン感がないのばかりになってしまったな。
モダーンなものに対する不信感、否定的な見方からポストモダニズムが生まれたという。しかしROCKHURRAHは小難しい定義には興味ないので、モダーンだろうがポストモダンだろうが、自分の好きなものはどっちも語ってゆきたいよ。当たり前。
パンクやニュー・ウェイブなんてものも誰もが意識してそうなろうと思った結果ではないだろうしね。
ただ、古いものの再構築ばかりでアッと驚くような全く新しい音楽があまり生まれてないのが残念な状況だと思うよ。80年代に「これから何が生まれてくるのか」ワクワクしていた時代は遠い昔になってしまったけど、そんな時代が再び来れば世の中にもっと活気が戻ってくるのにね。

それではまた、Ka kite ano(マオリ語で「さようなら」)。