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【モダーンなスタイル変遷を描こうとしたが、かなり偏ってしまったなや】

ROCKHURRAH WROTE:

新企画を作ってはみたものの、ROCKHURRAHがいつも書くような記事と全く変わり映えがしないと書いてる本人が断言しているのがこの「俺たち○○シリーズ」だ。
音楽のタイトルやバンド名にこだわった記事も他のシリーズにいくつもあるので、あまり意味なしだと思えるよ。
毎回趣向を考えるのが大変なので、こんなインスタントな記事でごまかしてるのがミエミエだね。

さて、今回はModernという単語がタイトルについた曲を駆け足で紹介してゆこう。
いちいち訳すまでもないけど「近代的」という意味の言葉。
個人的にはこの言葉が大好きでROCKHURRAH自身もかつてはモダニストだったと自負していたもんだ。今は時代遅れの寵児かも知れないが。
モダーンとかモダンとかさまざまなモノの名前についてるのは間違いないし、そういうのがもてはやされた時代もあったのは確か。1920年代などはまさにモダーン旋風が吹き荒れてた時代だもんね。
でも今、この時代にはあまり使われてないように感じるし、語感からしてモダーンより後のポスト・モダンなんて言葉さえ今時はあまり聞かなくなって久しい。
モダン焼きも好きな人は多かろうが、みんな本当にこれを近代的な食べ物と思ってるわけではなかろうしね。え?関係ない?
モダーンが憧れではなく「古臭い懐古趣味」みたいに思われる風潮はイヤになるね。
人々の暮らしも文化もモダーン以上なのは間違いないけど、ROCKHURRAHの世代でセンスがいいと思っていたようなものがどんどん廃れてゆき、世の中がつまらないもので満たされてるような感じがするのは寂しくなるよ。

そういう世の中の流行にはなるべく逆らって生きてゆきたい、それがROCKHURRAH RECORDSをやり続ける事の意義なんだろう。
おやおや、またしても底の浅い三流文化論調になってしまったから先を急ごう。

ROCKHURRAHが一番好きな70’s〜80’sのパンクやニュー・ウェイブの時代もModernな曲やバンドが色々あったから、今回はそれを集めてみたよ。

モダーンと聞いてROCKHURRAHの世代だったら多くの人がシーナ・イーストンの「モダン・ガール」やデヴィッド・ボウイの「モダン・ラブ」を思い出すんじゃなかろうか?まあ連想するのは人それぞれなんだけど、ROCKHURRAHは真っ先にこの曲を思い出したよ。

ペル・ユビュの1977年作「The Modern Dance 」は1stアルバムのタイトルでもあり収録曲のタイトルでもある。この曲はシングルにもなってたようだがオリジナル盤は超コレクターズ・アイテムなので、同時代にアメリカで買ってきたなどという羨ましい身分の人以外はおそらく誰も持ってなかったんじゃなかろうか。
ROCKHURRAHも当然シングルは持ってなくて、イギリス盤の1stアルバムしか所有してない。
後に「Datapanik In The Year Zero」という入手困難シングルをひとまとめにしてくれたレコードでこの曲の元ネタみたいなヴァージョンが入っていたが、アルバムと共に聴きまくっていたもんだ。 

ちなみにこの時代の地方都市の輸入レコード屋では本国がアメリカのバンドでもイギリス盤の方が入手しやすかったという覚えがある。アメリカ盤で新譜が手に入るのはいわゆる大手レーベルから出てたようなバンドばっかりだったような気がするが、そんな事ないのかな?

それはともかく、工場地帯をバックに工場労働者がバレエを舞ってるというとても変なジャケットのアルバムでレジに持ってくのが恥ずかしかったが、忘れもしないKBC(九州朝日放送)の電波塔があったタワーレコードKBC(「レコード・プラントKBC」だったような記憶があるが)で買ったのを、昨日の事のように覚えてる。この辺の話はこっちの記事でも書いてるな。

多感な少年時代、しかもまだ洋楽ロックを聴き始めて数年くらいしか経ってない入門者の頃にこのアルバムに出会ってしまったのがROCKHURRAHの運命を変えたとも言える。まあペル・ユビュに限らずこの時代のパンクやニュー・ウェイブに衝撃を受けまくってて、衝撃の大安売り状態だったのが若き日のROCKHURRAHだったな。

米国オハイオ州クリーブランドのバンドで、70年代半ばにRocket From The Tombsというパンクの原型のようなガレージ系バンドがあったんだけど、そこのピーター・ラフナーとデヴィッド・トーマスが作ったのがペル・ユビュだった。などと今では軽く書けはするけど、同時代にはそんな事誰も知らなかったはず。それくらいマイナーなバンドで情報なんかどこにもなかったよ。

アヴァンギャルドでフリーキーな曲を得意とするが、時にユーモラスで時にカッコイイ瞬間もあり、一筋縄ではいかない複雑さが魅力だった。狂気を感じるほどの素っ頓狂なデヴィッド・トーマスの高音ヴォーカルと百貫デブ。見た目のインパクトも抜群ですごいバンドだと囁かれてはいたが、パンクがやっと始まったくらいの時代には早すぎたからか、当時は日本盤も出てなかった。
ようやく日本盤が出たのはイギリスのラフ・トレードが徳間ジャパンと手を組んでジャンジャン日本盤をリリースしてた80年代になってからの事だ。

さて話は戻るが1977年に出た「The Modern Dance 」は初期ペル・ユビュの曲の中では最も聴きやすい部類の曲だ。
プリマドンナの友達が皆無なROCKHURRAHが知る機会はなかったが、クラシックなバレエなどに対してもっと自由で前衛的な表現方法までも取り入れたような踊りをモダン・ダンスと呼ぶようだ。
アルフレッド・ジャリの「ユビュ王」に由来するバンド名なんだけど、その「ユビュ王」の冒頭の「merde!(くそったれ)」をこの曲のバック・コーラスでも連呼しているし、曲の合間にホールのざわめきのような環境ノイズがミックスされていて素晴らしい出来。
なお、ビデオの映像はプロモとかライブの模様とか、要するにマイナーなバンドだった彼らには残された当時の映像がないので、たぶんファンの誰かが作ったこれを選んでみた。
「Satan en prison」という1907年のフランス映画(?)が元ネタみたいだが、20世紀初頭の映像マジックを駆使して作られていて、観客はビックリしただろうな。ペル・ユビュの方じゃなくて元の映画の方ね。要するに額縁を壁に投げつけたらピッタリ壁面に収まってしまう、などの手品的なものを映像編集の力によって実現した実験的なもの。
うーん、これこそ確かなモダーン。

続いてのモダーン党はこちら。70〜80年代のモダーンな曲で思い出すランキングの上位にきそうなのがジャムの「The Modern World」だろう。これまた1977年に出た2ndアルバムのタイトルでもありシングルになった収録曲のタイトルでもある。

10年以上にも渡ってパンクやニュー・ウェイブのブログを書き続けているROCKHURRAH(その割には担当記事数が少ないが・・・)だが、ジャムについて書くのは初めてかな?
もちろんロンドン・パンクを語る時に忘れちゃならない重要バンドなのは間違いないし、彼ら以降に沸き起こったネオ・モッズといったムーブメントのパイオニア的存在でもあった。

しかし実はROCKHURRAHは彼らの主要曲は大体知っててもアルバムやシングルをほとんど所有してなくて、とても「ファンです」などとは言えないし語れないのだった。
パンクを通過したモッズという点では評価してる(偉そう)し声も演奏も素晴らしいエネルギーに溢れてるのは間違いないけど、なぜか熱中して追いかけるまでには至らなかったんだよね。

その頃は個人的に買うほどじゃないけど聴いてみたいようなレコードは図書館を利用して聴いていたのを思い出す。
小倉(福岡県北九州市)の図書館にあった視聴覚室でリクエストしたレコードをヘッドフォンでソファに座りながら聴けるというサービスがあった。そこでジャムの1stやこの「The Modern World」など、他にも色々なレコードを毎日のように聴いていたものだ。
図書館のお姉さんがパンク好きの気さくな人だったので迷惑も顧みずいつも長居してばかりだったな。
その頃一緒に遊んでいた友達がどうしょうもない不良ばっかりだったけど、パンクやニュー・ウェイブを聴くROCKHURRAHの横でちゃんとおとなしく矢沢永吉やクールスを聴いていたのが懐かしい。
何かメチャメチャな時代でパンク好き集団とアイビー野郎たちとDCブランドかぶれとヤンキーどもがみんな一緒に小倉の街を闊歩してたような感じ。
モダニズムの時代、フランスのカフェでシュルレアリストが集っていた文化的交流とは程遠いけど、これはこれでリアルな地方都市のモダーンな風景だったのかもね。

モダーンな曲で思い出すランキングには決して入らないとは思うし興味ない人も多かろうけど、どうしてもこれだけは挙げておきたい。
ビー・バップ・デラックス1976年の4thアルバムのタイトルであり収録曲でもある「Modern Music」だ。モダーン党としてこれを語らなければROCKHURRAHではないと言える選曲。
要するに子供の頃から特別ひいきにしていたアーティストだというわけ。
モダーンと聞いて真っ先に思い出したのがペル・ユビュだと最初に書いたけど、ビー・バップ・デラックス、これほど「モダーン」というニュアンスを体現したバンドは滅多にいないだろう。

1971年に恥ずかしいほどかわいい系のイラスト・ジャケット「Northern Dream」でソロとしてデビューした英国ヨークシャー州出身のビル・ネルソン。この時はギターや歌に冴えたものはあったものの、よくある70年代ロックのシンガー・ソングライターに過ぎなかった。
が、ソロとして需要があったにも関わらず本人はバンドとしてやりたかったようで、1974年にビー・バップ・デラックスとしてようやくデビューする。
最初はグラムっぽい部分が見え隠れするハードロックというような路線で他のグラム・ロックに比べるとギターの比率が高いバンドだった。
1978年までに6枚のアルバムを出して解散したが、徐々にトータルなアンサンブルを重視するようになってギター・ソロも短くなっていった。
代わりにその頃から普及し始めていたシンセサイザーを重要視する楽曲が多くなり、ニュー・ウェイブへの橋渡しをしたような曲も残している。
大して詳しくは書いてないが前にこちらの記事でも特集したな。
ROCKHURRAHはビー・バップ・デラックスをリアルタイムで聴いたわけではないけど、最後のアルバムが出た後くらいで順不同に入手したよ。

4thアルバム「Modern Music」はロンドン・パンク元年の1976年に出たが、まだそういうものの影響を受けたり取り入れたりはしてない時代の未来派ロック集大成みたいなものだった。
ビル・ネルソンの思い描く未来は1950年代くらいのB級SF映画が描いたような子供っぽくて本当のSFファンから見たら陳腐な世界観だったろう。でも、その辺のレトロ・フューチャーな感覚がROCKHURRAHにとってはとても好ましいものだったよ。
このアルバムは確かビー・バップ・デラックス初のアメリカ・ツアーと前後して発表されたもので、このバンドとしては異例なくらいにアメリカナイズされた楽曲が目立つ作品だった。
前の3枚のアルバムよりもギター・ソロの比率が低くなり、この時代のポップなロックとしてヒットしてもおかしくない要素が詰まってはいたが、いかにも英国産な初期の感じをこよなく愛する人からは落胆されるような内容だったかも知れない。ROCKHURRAHはこの時代のビー・バップ・デラックスも大好きだけどね。
特にB面の大半、曲がつながっていて組曲みたいになってるところは諳んじる事が出来るくらい聴いたものだ。あまりにも聴きすぎて修学旅行の時(大昔の話)にずっと頭の中で流れていて、思い出の全てのBGMが「モダーン・ミュージック」になっているほど。

今回のYouTube映像は画像が汚いのが残念だが「Modern Music」のツアーの貴重な映像だ。スタジオ録音のものと比べても遜色ない完璧なライブをするという定評のあるバンドだけに、演奏は申し分ないね。最初に「Dance of the Uncle Sam Humanoids」というフュージョンっぽいインストの曲からタイトル曲「Modern Music」へとなめらかに移行してゆく展開はまさにモダーン(現代的ではなくて近代的)という言葉を体現したかのような出来。
後のニュー・ウェイブの元祖的な扱いを受けるバンドではあるけど、興味ない人にとってはかなり古臭い映像かも知れないね。

昔、好きな音楽評論家の誰かが言った言葉で「先に進まなければならない(音楽はどんどん進化していってるというような意味か)のはわかっている。けど、もう少しだけここに踏みとどまっていたい自分がいる」みたいな内容のがあったけど、ROCKHURRAHにとってのビー・バップ・デラックスがまさにその象徴だったんだろうな。
わかってくれる人は少ないだろうけど、これこそがモダーン党の伝えたいニュアンスなんだよ。

伝えたい事はもう終わったのでこれより後は個人的にはどうでもいいようなモダーン残党(?)についてちょこっと語ろう。

「Modern Lovers」と聞くと即座に思い出すのはジョナサン・リッチマンのモダーン・ラヴァーズだろうか?セックス・ピストルズもカヴァーした「Roadrunner」などはROCKHURRAHも愛聴していたもんだ。この時代よりも後の50〜60年代っぽい雰囲気の脱力ソングも良かったね。
あるいはムーンライダーズの「モダーン・ラヴァーズ」を真っ先に思い出すよって人も多いだろうかね?その辺はとっても有名でわざわざウチが書かなくても誰でも語るだろう。
ROCKHURRAHは同時に、80年代に大好きだった漫画家、奥平イラ(衣良)の「モダーン・ラヴァーズ」も即座に思い出したんだが、久保憲司(「クロスビート」や「ロッキン・オン」などで書いてたライター)が同じような事を先に書いていたのでトホホ、完全なマネッコになってしまった。マネはいかんなあ、という事でまあ同じような時代に同じ文化の洗礼を受けた人間だったら同じ連想するのも許してもらいたい。

で、人々がたぶんあまり語ってないこちらを選んでみた。
フェイ・レイという日本人シンガーがいたようだがそれとは全く関係ないし時代が違う。これは1980年にデビューした英国ウェールズのバンド、フェイ・レイの1982年作「Modern Lovers」だ。
フェイ・レイと言えば1930年代の初代「キング・コング」に掴まれ攫われた有名なスクリーミング・クイーン女優の名前だが、こちらはフェイ・レイという人の名前ではなく、シーラ・マッカートニーというウソっぽい名前の紅一点ヴォーカルでバックが全部男という編成のバンド。日本ではほとんど知られてないみたいだね。
同時代にはオー・ペアーズやホーリー&ジ・イタリアンズなど女性ヴォーカリストのバンド達が躍進していた(ってほど知名度はないが)が、このフェイ・レイのシーラ嬢もただの紅一点ではなくギターも弾き歌うというスタイル。
しかし小柄な体型にこのいかにも80年代な服装で、顔立ちもちょっとキツくて微妙な感じ、80年代初頭だったら美女シンガーとして通用したのかな。
曲はいかにも英国風の完全に明るくはなりきれないパワーポップっぽいもので、シーラ嬢の歌もなかなかパワフル、日本で(たぶん)紹介されなかったのが残念な意欲作だ。
野っ原でロケという爆弾魔みたいな映像だが何となく野っ原つながりでネーナを思い出すな。
同時期にシングルになった「Heatwave」という曲でも外のロケだったので、プロモーション・ビデオの収録を使いまわしてて、アウトドア派のバンドという印象があるね。
しかしここまで書いてフト気付いたんだが、ブログのタイトル「俺たち」なのに女性ヴォーカルにしてしまったよ、トホホ。バックのメンバーはたぶん「俺たち」と言ってるだろうから大丈夫かな。

で、またまた女性ヴォーカルのバンドを選んでしまった。「モダーン」にばかり着目して「俺たち」の事は忘れ去っていたな。ブログの構成を完全に失敗してしまったね。

「Modern Girl」という曲名で最も有名なシーナ・イーストンよりもちょっと前、1979年にリリースされたのがこのThe Dadisticsという米国シカゴのバンドの同名曲だ。ダディスティックスでいいのかな?
Audrey Stanzlerという女性ヴォーカリストにバックが全部男という編成も上のフェイ・レイと同じようなもんだが、紅一点のオードリー嬢は上のシーラ嬢よりもさらに微妙な顔立ちでバックもどうでもいいようなメンバー揃えたな。
アメリカにもニュー・ウェイブはあったし先鋭的でスタイリッシュなのも色々いたけど、全体として見るとやっぱりイギリスに比べるとルックス的に垢抜けてないなという印象はあるよ。

オリジナルのレコード・ジャケットは50’sな感じのピンナップ・ガールが写ってて全然違うような音楽性を想像してたんだけど、曲の方はパンクから初期ニュー・ウェイブの感じがする、なかなか頑張った出来のもの。
デブ女ヴォーカルとして有名なロメオ・ヴォイドの「Never Say Never」とちょっと似た雰囲気(こっちの曲の方が早いが)だと思ったのはROCKHURRAHだけかな?

オードリー嬢はこのバンドの後、同郷シカゴのミニストリーのバッキング・ヴォーカルとして最初のライブなどで歌ってたらしいが、旧メンバーとしてウィキペディアにも載ってないほど友達あつかいされてない(想像)。

さて、最後のモダーン党も別にカモメ=トリにしたかったわけでもないけど、この曲にしてみようか。
ア・フロック・オブ・シーガルズの1981年のシングルで1stアルバムにも収録されている「Modern Love Is Automatic」だ。
カモメが羽ばたくさまを表現したかなり奇抜なシーガル・カットという変な髪型とシングル曲「I Ran」が奇跡の大ヒットした事で、忘れ去られた80年代型バンドの中では意外と知名度が高いのがこのバンドなんだけど、多くの人が思うほどの一発屋ではない活動をしていた。

英国リヴァプールでよほどの通じゃない限り誰も知らなかったようなバンド、トントリックスというのがあったんだけど、そこにひっそり在籍していたのが後にシーガル・カットで有名になるマイク・スコアだった。トントリックスは彼以外にも後のアダム&ジ・アンツで有名なクリス・ヒューズ(メリック)やジュリアン・コープのバンドで一部有名なスティーヴ・ラヴェルなど、さりげなく豪華なメンバーだったのにシングルたった一枚だけしか残ってない幻のバンドだ。
ROCKHURRAHは大昔に奇跡の出会いでこのシングルを見つけて今でも所有してるんだけど、売ってる奇特な店もあった。あ、なーんだ、ROCKHURRAH RECORDSだったよ。

ちなみにこのトントリックスの顔だったのが後にハンビ&ザ・ダンスというこれまた日本では知名度が低いバンドのリーダー、ハンビという人。ハンビはよほど自分の容姿に自信があったのかどうか不明だが、知名度ないくせに「俺は大スターだ」と言わんばかりの写真が残っている謎のカリスマ・シンガーだ。結構濃い顔立ちといやらしい歌声だけど、中期のWah!あたりにも通じる地味なテイスト。イギリスじゃ人気あったのかね?

話がすっかり他の人になってしまったから無理やりマイク・スコアに戻そう。
トントリックスの後にどういう経緯があったのか知らないが、ア・フロック・オブ・シーガルズがデビューしたのはリヴァプールとは特に関係ないと思えるビル・ネルソン(上の方で書いたな)の主宰するコクトー・レコードより。デビュー・シングルのみそこからリリースしてるんだけど、当然のようにプロデュースもビル・ネルソンがしていた。
この時は後に大ヒットする予兆もまるで感じないようなバンドだったが、そのデビュー曲「Talking」も大ヒットした「I Ran」も傾向としては同じようなものかな。
そんなプレミアもつかなさそうなシングルを売ってる奇特な店もあった。あ、なんだ、またまた自分の店か。
「I Ran」のイントロ付近でカモメの鳴き声みたいなのが入ってて、これがこのバンドの特徴の一部でもあるんだけど、ビル・ネルソンのビー・バップ・デラックスにも「Sister Seagull」という名曲があって、そちらで鳴き声ギターの元祖みたいな演奏が聴ける。影響を受けたのか「これをやれば受ける」と伝授されたのかは不明だけど。

Modern Love Is Automatic」はシングルにもなったが1stアルバムの一曲目だからファンにとっては馴染みの深い曲だ。
見た目からして一発屋っぽいからたまたまヒットしただけだろうと思いきや、意外とライブ映像が残ってるのでライブにも自信を持ってたバンドなんだろうな。自慢のシーガル・カットもライブ後半になると崩れて何なのかよくわからない危険性をはらんでいるのが玉にキズ。
彼らのどの曲の曲調も楽器の使い方も一本スジが通ったシーガル節とでも言えるように統一感があるが、逆に言えばどの曲も似たり寄ったりという意見もある。
まあしかし、今回採り上げた中では最もモダーンな感じがするのがこのア・フロック・オブ・シーガルズと言えるだろう。その前歴といい侮れない重要なモダーン党員だね。

以上、単にタイトルにモダーンのついたものだけを集めてみたが、シンセサイザーなどのエレクトロニクスを使ったバンドが少なかったので、思ったほど想像したようなモダーン感がないのばかりになってしまったな。
モダーンなものに対する不信感、否定的な見方からポストモダニズムが生まれたという。しかしROCKHURRAHは小難しい定義には興味ないので、モダーンだろうがポストモダンだろうが、自分の好きなものはどっちも語ってゆきたいよ。当たり前。
パンクやニュー・ウェイブなんてものも誰もが意識してそうなろうと思った結果ではないだろうしね。
ただ、古いものの再構築ばかりでアッと驚くような全く新しい音楽があまり生まれてないのが残念な状況だと思うよ。80年代に「これから何が生まれてくるのか」ワクワクしていた時代は遠い昔になってしまったけど、そんな時代が再び来れば世の中にもっと活気が戻ってくるのにね。

それではまた、Ka kite ano(マオリ語で「さようなら」)。

【ROCKHURRAH制作の乗り物大全ビデオ。ありがちだなあ】
ROCKHURRAH WROTE:

タイトルの中に同じ単語が使われたものを挙げてゆき、そこにいいかげんなコメントをしてゆくだけというROCKHURRAHお得意の安易企画がこの「俺たち○○シリーズ」だ。
カヴァー曲特集と同じで、あまり下調べもなく考えずに書けるかな?と思って始めたけど、こういうの書いてる時は逆に(ブログ書くヒマがなくて)余裕がない時だと思っててね。
今週も結構ギリギリになりそうな予感。

さて、今回は同じ単語ばかりじゃ飽きてしまうので、広い意味での「乗り物」に焦点を当ててみた。
しかしタイトルにはつけたものの、外人とも話さないし日常的には「ヴィークル(vehicle)」なんて英語使った事ないよ。ベヒクルじゃないのか?みんな普通に使ってる言葉なのか?

今日は割と多めに紹介するつもりなので前置きも短い。では乗り物嫌いなROCKHURRAHと一緒に色んな乗り物を体験してみようか。

まず最初のヴィークル派は一番身近なこれから。
首都圏に住んでると電車=満員電車という事になって、これに好感を抱いてるのは痴漢くらいのものだが、この時代になってもまだ満員を解消する手段もなくて通勤では当たり前の試練だとされてるのは異常だと思うよ。21世紀がこんな現代になるなんて子供の時には想像も出来なかったよ。
これから先もずっと改善されっこない日本の満員電車、ITばかりいくら発達しても、こういう方面はまるで発展しない社会なんだな。

いきなり怒りモードになってしまったが、電車は嫌いでも「列車」と聞けば長距離とか旅を連想して多少はマシな気分になる。乗ったら乗ったで迷惑な家族や周りのうるささに辟易するんだろうけどな。

ROCKHURRAHが特別に旅をしてない人間なのかはわからないけど、いわゆる夜行列車、寝台車というものに乗った事がない。夜行バスや夜行フェリーには乗った事があるのにね。まあそういう列車で向かう場所に縁がないというだけだろうが。

ヴィサージは80年代前半のニュー・ウェイブ界で大流行したニュー・ロマンティックというムーブメントの中心となったバンドだ。70年代のグラム・ロックと同じく男が化粧したり着飾ったりしてナイトクラブで華々しく遊ぶというようなリッチな感じが、それまで不況にあえいでたイギリスの若者社会でなぜ受けたのかは不明だね。「心はボロボロでも見た目は錦」という憧れの心情かねえ?

ビリーズ、ブリッツなどの名高いナイトクラブでイベント仕掛け人みたいな事をやってたスティーブ・ストレンジとラスティ・イーガン(元リッチ・キッズ、スキッズ)が、様々な人脈をもとに作った暫定的なバンドがヴィサージだった。
奇抜とも言える派手な衣装を着てモードの世界でも大注目。ウルトラヴォックスやマガジンの主要メンバーが参加していたので音楽界でも大きな話題となって、デビューした時からビッグなスター扱いだったもんね。暫定的と書いたのはメンバーみんな他のメインの仕事持ってるからという意味。
ニュー・ロマンティックはイギリスから世界に広がる流行となって、ヴィサージの他にもデュラン・デュランやスパンダー・バレエ、カルチャー・クラブなど有名バンドが続々登場した時代だった。

「ナイト・トレイン」は1982年に出たヴィサージの2ndアルバムに収録の曲でシングルでもそこそこヒットした。日本ではTDKのビデオテープCM曲としてスティーブ・ストレンジ本人が登場し、当時の女性ファンを狂喜させたはず。この時の音が歌ってないサビの部分だけで、こういう曲調なんだと思ってたらシングル買って全然違うダンサブルなものだったので驚いたもんだ。

スティーブ・ストレンジはすでに死亡しているしヴィサージもニュー・ロマンティックも輝いてたのはほんの短い期間だけなので、あの時の盛り上がりを今、伝えられないのが残念。

トレインと共に最も身近なのは車だね。次のヴィークル派は1979年発表、ゲイリー・ニューマンのそのものズバリ「Cars」にしてみよう。

ROCKHURRAHは今まで一度も車の免許を取った事がなくて若い頃の愛車は原付きのみ。その免許も面倒で更新しなかったから、それ以降は自転車か徒歩という中学生並みの機動力しかない。
SNAKEPIPEは免許だけ持ってるけどたぶん全く乗れなくて、だからROCKHURRAH家の移動手段にクルマの選択肢はないのだ。そこまで不便を感じた事はなかったからこれで良し、だね。ん?別にそんな話はどうでもいい?

ゲイリー・ニューマンがチューブウェイ・アーミーというバンドでデビューしたのは1970年代後半、まさにパンクがニュー・ウェイブという、より広範囲の音楽になっていった頃の話だ。
白い顔にクッキリのアイライン、真っ黒の衣装を着た無表情の姿はまるで心を持たないアンドロイドのような印象で、ややタラコくちびるが玉に瑕。こういうインパクトの強い風貌で話題になったのはデビュー作ではなく、1979年に出た2ndアルバム「Replicas(幻想アンドロイド)」の時だった。
ここに収録されたシングル「Are “Friends” Electric?」が全英1位の大ヒット、ようやく日本でも注目されたのだ。1stもちゃんと日本盤でリリースされてたはずなのにね。
この曲もまた「ナイト・トレイン」と同じくサビの部分が歌ではなく演奏のみというパターンだったね。そういうのが流行ってたわけじゃないけど、それでも堂々の1位。

テクノポップ、エレクトロニクス・ポップ、シンセ・ポップ・・・呼び方は人によって違うが、彼らもその手の音楽の先駆者のひとつだったな。
クラフトワークやYMOが電子楽器中心なのに対して、チューブウェイ・アーミーやウルトラヴォックス、ビル・ネルソンズ・レッド・ノイズ、シンプル・マインズ、リッキー&ザ・ラスト・デイズ・オブ・アース(長いバンド名)など同時代に活動したパイオニア達は、あくまでロック・バンドの編成にシンセサイザーを付け足しただけのような使い方をしてて、ちょっとニュアンスは違ってたけどね。

で、チューブウェイ・アーミーのバンド形式の方が個人的には良かったのに、自分の多大な才能を過大評価し過ぎて、ゲイリー・ニューマンはバンドのキャリアもそこまでないのに、早々とソロになってしまう。
師と仰ぐジョン・フォックスがウルトラヴォックスを脱退したから同じ道を行きたかったのか、そもそもどっちのソロ転身の方が早かったのか、その辺の詳しい事は知らないけど。

「Cars」はその頃のシングルでこれまた全英1位の大ヒット。
チューブウェイ・アーミーの2ndはそれなりに評価してるROCKHURRAHだが、ソロの一作目にして早くも行き詰まった感じがして、急速に興味がなくなってしまったよ。
ソロとは言っても一人でやってるわけでもないしバンド・メンバーも登場する。名前が変わっただけで大差ないとは思うが、デザイナーがブランドから独立して、自分の名前のブランドやりたがるのと同じようなもんかな?
ビデオの方に車要素はまるでないが、ところどころで決め顔のストップモーションになるのが自分ではイケてると思ってたに違いない。うーん、やっぱり自己過大評価し過ぎてるなあ。

ROCKHURRAHにとって電車よりも車よりも身近なのが自転車だった。
まだ実家にいる時はもっぱらスクーターだったが、昔のスクーターは荷物入れるところがなくて、買い物を持って帰るのが大変だった。それで手軽な自転車の方がメインとなって、どこに引っ越した時も大体乗ってたな。何度も盗まれてイヤになったりもしたけど。
近年はママチャリではなくもう少しマシなのにSNAKEPIPEと二人で乗ってたが、最近はあまり乗らなくなってしまった。興味なくなったわけじゃなくてウチの駐輪場事情によるもの。屋根付きではあるけど雨風がすぐに吹き込むし、カバーをかけたら外すのも面倒で、次第に乗らなくなったのだ。自転車をそのまま置いておけるような環境になったら毎日でも乗るんだけどね。

というわけで次のヴィークル派は話の流れでわかる通り、ピンク・フロイド1967年の名曲「バイク」。
ここで言うバイクとはモーターサイクルではなく自転車だ。自転車と聞けば誰でもすぐに思い浮かべるクイーンの「バイシクル・レース」などはウチのスタイルではないので、決してここでは取り上げないのだ。

70〜80年代のパンクやニュー・ウェイブ専門などとほざいてるROCKHURRAHだが、古いロックでも好きな例外(別格)があって、そのひとつがシド・バレット在籍時の初期ピンク・フロイドだ。
サイケだけどポップで独特のメロディ、何でこの展開になるの?と思ってしまうような意外性のある曲調、この頃のシド・バレットのカッコ良さには影響を受けたもんだ。影響を受けたからと言って何も音楽的活動はしてないけど心の中では息づいているよ(ウソ)。後のニュー・ウェイブ、特にオルタナティブやネオ・サイケと呼ばれたような音楽にも大いに影響を与えた音楽だったね。

ピンク・フロイドの初期は1960年代という時代には珍しく、プロモーション・フィルムのようなものが残ってるんだけど、今回取り上げた「バイク」はシングルでないので、後の人が作った映像みたいなのしかなかった。これはベルギーのTVが作った静止画プロモ。初期の代表曲「アーノルド・レーン」とかは今見ても全然古臭くないプロモがあるのに残念。

ありきたりなのばっかりで「もっとパンチの効いた(死語)乗り物ないの?」と不満の人もいるだろう。
では、個人所有が許されるかどうか不明だが、これはどうだ。ワンランク上のヴィークル派男子だったら憧れの的に違いない。

戦車に乗った経験のある自衛隊員以外の人はかなり少ないだろうが、ROCKHURRAHは子供の時に米軍基地のある街に住んでて、家も米軍ハウス、隣は米軍関係者の外人家族という、ちょっとカッコイイ暮らしをしていた。今でも横田基地でやってるような(最近は知らないが)友好祭みたいなイベントがあって、そこで戦車に乗ったような記憶がある。何十年前?という大昔の記憶だからアテにはならないけど写真が残ってるんだよね。だから「狭くて暑かった」などというウソみたいな記憶もないんだけど。しかもこんなの乗ったうちに入らないか?
ナイキ・アジャックスなどというスニーカーみたいな名前のミサイルと写った写真も残ってるけど、もしかしたら米軍基地ではなくて近場にあった自衛隊の方だったかな?

今回の記事は割とメジャーなのばかりで書いてる本人は意外と書きにくい、と言うかROCKHURRAHならではの味が出せなくて苦労してるが、これまた有名。ストラングラーズ屈指の名曲、1978年の3rdアルバムに収録「Tank」だ。シングルのB面にもなってるな。

ストラングラーズは初期ではドアーズっぽいキーボードが目立ってパンクという範疇だけでは語れないんだろうけど、これだけベース・ラインがアクティブで攻撃的なバンドは他に滅多にないわけで、この部分だけでも充分にパンク好きの血がたぎるバンドだったと言えるだろう。
トレンチコート着たまま歌うヒュー・コーンウェルが変質者っぽいとか、ジャン=ジャック・バーネルが暴力的で怖いとか、ドラムとキーボードがおっさんっぽいとか、実は全員インテリだとか、どちらかと言うと女性受けしなさそうなバンドだったが、 この野太い歌声とソリッドなベースは充分に個性的だった。

確か、働きまくって金を貯めて戦車買って、大砲ぶっぱなしたいというようなストレートな願望を歌ったもので、公の場で口には出せないが「あるある」と共鳴した人も多かったことだろう。

関係ない話。ウチでは夕食後の洗い物の時のBGMでiTunesのラジオをかけるんだが、気に入って聴いてたパンクの番組(今はないみたい)では、ストラングラーズの「Nice ‘n’ Sleazy」が必ずのようにかかる。それはいいんだが、いつも45回転を33回転にしたような、異常にゆっくりしたヴァージョンのがかかって尋常じゃない。「またまたストラングラーズ」などとSNAKEPIPEと話題にしている毎日だった。

ヴィークル派も佳境に入ったが、お次はこれ。

ROCKHURRAHには全く縁がない乗り物だけど、よほどの大物か金持ちになったら自家用ヘリくらいは所有してるかも知れないね。しかしプライベート・ジェット機とかプライベート・ヘリコプターとか、個人的にはまるで羨ましく思わないよ。

縁がないとは書いたけど、前に一度だけUH60ブラックホーク(軍用ヘリ)と同型のコックピットに座った事だけはあったな。当時は軍人並みの顔つきだったので違和感がまるでなかったくらいにその場所が似合ってたけど、もちろん飛行したわけじゃなくただ座っただけ。

乗ってないわけだから何とも言えないが、うるさい、落ちそう、プロペラに触れて首が飛びそう、などと勝手な想像が膨らみ、ROCKHURRAHが最も忌み嫌う乗り物がヘリなのだ。最後の首が飛びそうは映画の観すぎだろうけど・・・。

そんなイヤなヘリコプターについて歌ったのがXTCの1979年、3rdアルバムに収録の「Helicopter」だ。この曲はXTC得意のおどけた感じの曲でシングルのB面にも入ってたな。
何か今回、そのものズバリのタイトルばかり特集しててヒネリも何もないありきたりな記事で情けない。

XTCはパンク直後くらいにデビューしたバンドだが、パンクで語られる事はなくてパワーポップ、テクノポップあたりで当時はよく話題になっていた。
オルガンという手動楽器しか入ってない初期XTCなんだがテクノとはこれいかに?曲の作りの奇妙さがテクノに通じるとは思ったが、エレクトロニクスとはチト違う。この見解について当時の友人と論争した覚えがあるけど、ヒマだったんだね。
2ndくらいまでのXTCはやってる事の全てが斬新で、何だかよくわからない「初期ニュー・ウェイブ」という音楽を最も端的に表すようなバンドだった。
3rdからはその奇妙なキーボードが脱退して、よりポップな音作りになったのが逆につまらなくなって、だからROCKHURRAHは4thアルバム「Black Sea」あたりまでのXTCしか評価しない事にしている。

初期はライブを得意技にしてたXTCだが、どんな時でも余裕のパフォーマンスを見せるアンディ・パートリッジに対して、他のメンバーは割といっぱいいっぱいに見えるのが危うい。一番右側のデイヴ・グレゴリー(この当時の新メンバー)の髪型が巨人ゴーレムみたいですごいな。何でこんなのメンバーにしたんだろう。

ヴィークル派最後の大物と言えばこれに尽きる。
最も身近でない乗り物、ロケット。さすがにどんな金持ちでも職業以外でこれに乗った事ある人はいないだろう。自家用ロケット持ってるなんてSFの登場人物か国際救助隊のトレイシー一家くらいのものか?

ROCKHURRAHの実家がある北九州にはスペースワールドというテーマパークがあったんだけど、これが開園したのはすでにROCKHURRAHが地元を離れたずっと後の話。たまに帰省しても一人で行くはずもなし、結局は電車の窓から眺めた事しかないまま、今年限りで終わるらしい。さすがにロケットや宇宙について個人的思い出などあるはずもないから苦しいしエピソードになってないな。

「Silver Rocket」は1988年にソニック・ユースが出した二枚組大作アルバム「Daydream Nation」に収録の曲。1980年代前半から活躍していた大御所で大人気のバンドだが、どこを弾いてるのかよくわからないノイジーなギターと歪んで不安感に満ち溢れた曲調(陳腐な表現で情けない)、後に登場したグランジの元祖的な存在でもあり、アメリカのオルタナティブな音楽を世界的に知らしめた功績は大きいね。

ロック界有数の巨人(身長2メートル近い)サーストン・ムーアと鋭い目つきのキム・ゴードン。ロックな夫婦の理想形みたいに憧れの存在だったが2011年に離婚して活動休止、解散?その後はどうなったんだろう?
個人的にはソニック・ユースを聴いたのは80〜90年代にかけての短い期間のみだったのでそれ以降の事はよく知らない。
これだけに限らず、ROCKHURRAHやSNAKEPIPEが愛した80年代はもう戻ってこない。同じような喪失感を持った仲間も今はいないので、二人だけで80年代に浸って生きてゆこう。え?大げさ過ぎ?

今回はいつもより多めにビデオを選んだから、コメントも駆け足気味。ギリギリになってしまったから疲れたよ。次回はもっと余裕を持ってブログを書き始めないとね。

それではまた、タン ビエッ(ベトナム語で「さようなら」)。

【ROCKHURRAH制作、タイトルそのまんまなバーニング映像。】
ROCKHURRAH WROTE:

前に単発で記事を書いたものとまたまた同じような題材にしてしまったので、いっそのこと新しいシリーズ記事にしてみることにした。題して「俺たち○○シリーズ」。

世代的に「俺たちひょうきん族」を模したと思われるかも知れないが、そういうつもりは全然なくて、これはSNAKEPIPEと共に大ファンであるウィル・フェレルの「俺たち〜」シリーズにあやかってるつもりなのだ。
「俺たち〜」シリーズなどとひとまとめにされてはいるが、これは同じ監督で同じシリーズを作ってるわけではなくて、単にウィル・フェレルが出てる映画が(たぶん)配給会社の垣根を越えて「俺たち○○」という邦題になってしまっただけの話。
実際は「俺たちニュースキャスター」以外はまるでシリーズではないけど、知らない人は全部シリーズだと思ってしまうよね。
しかもウィル・フェレルが出てなくても便乗して「俺たち〜」とタイトルがついた関係ないものも多数。「俺たちフィギュア・スケーター」がまさかの大ヒットをしたから、間違って観る人狙いの商法。
イオンのトップバリュ商品が人気のある食品にそっくりのパッケージで作って、敢えて隣に陳列するというやり方みたいなもんだね。

まあそんなわけで、由緒正しくないタイトルにROCKHURRAHも便乗してみたというだけ。それだけで長々と前置きを書いてしまったよ。
で、何をやってるかと言うと実はROCKHURRAHが書く他のシリーズ記事と構成はほぼ一緒・・・。トホホ。
同じような語句をタイトルに入れた曲ばかりを無理やり集めてみただけ、というお手軽記事なのだ。

さて、二回目の今日は何について書こうか?と悩んだ末、タイトルにあるようにバーニングをふと思いついた。日本語に訳すと「燃焼」だと。この言葉も一回目のライオットと同じで、日常的に使っているのはボイラーマンかガス屋、ダイエット中の人くらいかな?ライオットよりは日常的かね?

「バーニング」と聞くと真っ先に思い出すのが同名のホラー映画(1981年)だな。
「ゾンビ」や「13日の金曜日」などで脚光を浴びた特殊メイクのスーパースター、トム・サヴィーニがメイクを担当したので注目して観たが、あらすじ以外は覚えてないほど。
少年たちの悪質ないたずらによって大やけどを負ったキャンプ場の管理人がどデカいハサミを持って復讐してゆくというような話だったな。原因も目的もハッキリした殺人犯なので「何だかわからんから余計怖い」というホラーの醍醐味がまるでない真っ当なシロモノ。
「13日の金曜日」の亜流扱いされたし、ハサミを振りかざした影絵のポスターはチェーンソー振りかざしたレザーフェイス(「悪魔のいけにえ」)のマネとも思える。
よそのタイトルをパクって使ってるROCKHURRAHだから亜流を批判は出来ないけどね。

今回もROCKHURRAH RECORDSのいつもの約束、70年代パンクと80年代ニュー・ウェイブ限定で書いてみよう。

音楽の方でバーニングと言えばクラッシュの「London’s Burning」がやっぱり代表的なものだろうか。
パンクの洗礼を受けた者としては真っ先にこのタイトルが出てくるよ。
こないだのライオット族でも真っ先にクラッシュだったな。
パンク・ファンにはおなじみの曲なのでクラッシュの代表曲のひとつなんだが、実はシングルにはなってないというのが意外。「Remote Control」のB面にライブ・ヴァージョンが入ってるけどね。
イントロのタカタカタッタッターというドラムで誰もが飛び跳ね、高揚する、ロンドン・パンク屈指のキャッチーな名曲ですな。

いやもう、この当時パンクのカッコ良さに目覚めた少年だったら誰でもジョー・ストラマーやジョニー・ロットン、シド・ヴィシャスやミック・ジョーンズ、ポール・シムノンに憧れたに違いない。
中には「ポール・クックこそパンクの代名詞」「やっぱドラムはテリー・チャイムズ(クラッシュの初代ドラマー)でしょう」というような通好みもいるだろうけどね。

ちなみに三大パンク・バンドのもう一つ、ダムドのメンバーについては全く言及してなかったが、デイヴ・ヴァニアンのカッコ良さは充分に理解していても、あのメイクは普段街を歩いてる時にはなかなかマネ出来ないからね。デイヴ・ヴァニアン化して全然違和感がない日本人は元MAD3、ヘル・レイサーのエディ・レジェンドくらいのものだね。
キャプテン・センシブルも通常ルックスならOKだが、上下モコモコの変身後のスタイルはとても無理だもんな。関係ないが山下和美の初期漫画でもキャプテンっぽい登場人物が出てたのを思い出す。

クラッシュはライブ・バンドとして絶大な人気を誇っていたが、ステージ・アクション(決めポーズ)を重視するあまり、コーラスや演奏がおろそかになったりもする。
ギターをジャンジャカ弾いてる時はあまり動けない、などパフォーマンスの弱点もややあったけども、そんなことお構いなしにエネルギーの全てを放出するその熱さが多くのパンク・ファンを沸かせた。
音楽もロックも随分変わったこの現代でも、全然色褪せてないね。さあみんなでバーニング。

クラッシュやセックス・ピストルズによるパンクの衝撃が全世界に広まったので、日本でもこんなバンドが登場した。当時の本当のパンク・ファンは「何じゃこりゃ?」と思ったかも知れないアナーキー。
何のことはない「London’s Burning」の替え歌なんだが、これでも日本の不良社会に一石を投じたのは確かだろう。
彼らがデビューした1980年。ヤンキーなどという言葉もまだ(たぶん)なかったような時代、この頃は暴走族やツッパリというのがどこの街にもウジャウジャいて、弱いヤツをたかったり、弱いヤツや強いヤツとケンカしたり、シンナー吸ったり、道にツバ吐いたり、事故って死んだりしてたもんだ。
そういう旧態依然とした不良スタイルとは別に、パンクな生き方をするという新しい不良のあり方を提示して「これもカッコイイかも」と思わせたのが、この時代に出てきたアナーキーやめんたいロックなどと呼ばれたバンド達かも知れないね。
この辺のバンド達はパンクというにはちょっと・・・という路線ではあるんだけど。

石井聰互の「爆裂都市」を観るとパンクなのかヤンキーなのかよくわからん集団がいっぱい出てくるけど、あれはその当時の地方都市(例えばROCKHURRAHの故郷、北九州とか)の本当にリアルな姿なんだよね。
よほどマジメに育った人以外は友達の半数以上がヤンキー化するというすごい時代だから、バンドの仲間が暴走族というのは珍しいことでもなかった。

実際にはパンクは不良専門の音楽ではないんだろうけど、ロカビリーやテッズとかが出てきた時もまず不良と結びついたという故事があるからね。
おっとまた得意の三流評論調になってしまったなあ。

特攻服の代わりに(旧)国鉄の作業服を着て天皇批判や団地のオバサン批判をストレートに展開するこのバンド、個人的にROCKHURRAHは日本のバンドはほとんど聴かなかったからいいとも悪いとも言えないが、支持する者も多かっただろうな。さあ、東京でもみんなでバーニング。


わけあってこちらのYouTube画面だけ大きさが違うようだが諸般の事情なので気にしないように。
さて、お次のバーニング・メンはこちら、バースデイ・パーティによる「Sonny’s Burning」だ。

元々70年代末にオーストラリアでボーイズ・ネクスト・ドアというバンドをやってた五人組が、そのまんまのメンバーで改名してバースデイ・パーティとなった事は何度もこのブログで書いてるはず。
最初は割とポップな路線でやってたのが、次第に野性味を帯びた暗黒度の高い音楽に変貌していったのも興味深い傾向だった。同じオーストラリアのサイエンティスツもそういう路線変更があったので、オーストラリアという土壌に何かあったのか?これは80年代ニュー・ウェイブ史を研究してる者とすれば恰好のテーマなんだが・・・そんな人はいないか?

オーストラリアのミッシング・リンク、イギリスでは4ADやミュート・レーベルといったあたりからレコードを出していたが、オーストラリアではあまり受けそうな気がしない音楽性だと思うよ。実際はどうだったんだろうね。

このバンドはとにかくルックスがカッコ良くてファンも多かったに違いない。野生児のようなボッサボサの髪の毛を逆立てたニック警部、じゃなかったニック・ケイブ。堕天使か悪魔か?というほどの退廃した美形なのにノイズ界のジミヘンみたいなギターを弾くローランド・ハワード。堕天使の写真がなかったから一部想像でね。ちんぴらヤクザよりはちょっと格上に見えるミック・ハーヴェイ、そしていつもカウボーイ風のトレーシー・ピュウ、各メンバーの個性が際立っていたね。

彼らの得意とする音楽はどこかの部族っぽいビートに耳障りなギター、そしてニック・ケイヴの荒れ狂う雄叫びのようなヴォーカルというフリー・スタイルなもので、これまでのロック的完成度とは対極にあるような不安定なもの。オルタナティブというジャンルの中でも当時は「ジャンク系」「カオス系」みたいな分類されてたけど、今はそういうジャンルの呼び名はないみたいだね。

活動してた時代としてはネオ・サイケやポジティブ・パンク(ゴシック)あたりと同時期なんだが、この辺とは全然違った路線、でも暗黒面を目指してるという点では一致していて、フォロワーにもどっちつかずのバンドもいて(アウスギャングとか)部外者が理解するのが難しい音楽だったね。

で、この「Sonny’s Burning」はバースデイ・パーティとしては最後の方の曲なんだけど、全然枯れてなくて相変わらずのズンドコ・リズムが心地良い。後にバッド・シーズとなって大人な曲を得意となってしまうニック・ケイブの一番輝いてたのが、このバースデイ・パーティの時代だと思うよ。
さあみんなで、ソニー(誰?)と一緒にバーニング。燃やしてしまえ。

次はヴィジュアル系ネオ・ロカビリーとして名高いロカッツのそのものズバリ「Burning」。
どこからどこまでがネオ・ロカビリーの時代になるのかは不明だが、アメリカで元タフ・ダーツのロバート・ゴードンがロカビリーを復活させたのが1970年代後半の話。
リーヴァイ&ザ・ロカッツがロンドンでデビューしたのもこの頃なので、まあ元祖と言っても良い存在なのは間違いない。しかしリーヴァイ&ザ・ロカッツはルーツを求めてアメリカへ、逆にアメリカのバンド、ストレイ・キャッツがイギリスにやってきてネオ・ロカビリーはブームとなった。
リーヴァイ&ザ・ロカッツはその世界では成功したものの、古いロカビリーやよりルーツ的なものを求めるメンバーとパンクやニュー・ウェイブも取り入れたロカビリーに挑戦したいメンバー、そういう方向性の違いで解散。

で、色んな物を取り入れたかった方のメンバーが新たに作ったのがリーヴァイ抜きのロカッツというわけ。
何かひと言で説明済んだのに長々書いてしまったなあ。
初期ワイアーのプロデューサーで知られるマイク・ソーンがプロデュースし、これまでのネオ・ロカビリーの常識を覆すシンセサイザーなども取り入れたロカッツ。
クラブヒッツとして名高い「Make That Move」によって全世界で大々的に知られるようになるけど、バンドとしては三大キャッツ(ストレイ・キャッツ、ポールキャッツ、ロカッツ)の中では一番順風満帆ではなかったという印象があるね。
この曲も「Make That Move」の延長線上にあるような曲でウッドベースさえ弾いてない、曲調はまるでビリー・アイドルみたいだし、言われなければネオ・ロカビリーだと気づかないよね。
同じように化粧っ気のあるポールキャッツがロカビリーっぽくない曲のカヴァーなどでニュー・ウェイブのファンまでを虜にしていた時代だけど、こういう異種の音楽のミクスチャーから新たなヒントが出てきて、後の時代に影響を与えてゆくのはいい事だと思うよ。

福岡に住んでいる時にはネオ・ロカビリーやサイコビリーばかりを聴いててサイコ刈りにしていたROCKHURRAHだが、ガスコンロの点きが悪くてカチカチしてたら、急にボッと火が出て前髪が燃えてしまったという恐怖体験(大げさ)がある。ちょっとチリチリでプリンスみたいになってしまったよ。
というわけでリーゼントもサイコ刈りもバーニング注意。

日本であまり使われる事のない言葉だと思っていたが意外なところにバーニング・メンが潜んでいた。
80年代初頭にP-MODEL、プラスチックスと共にテクノポップ御三家として知られていたヒカシューの「何故かバーニング」だ。
テクノポップの元祖とも言うべきYMOは既に一流ミュージシャンだった3人によるものだったが、その後に出てきたこの御三家などはそこまで機材を揃える事が出来なかったのか、テクノとは言っても通常のバンド形態に電子楽器が加わるだけというお手軽な編成。そのチープな具合が逆に効果的に奇妙なテイストを打ち出していた。

ヒカシューの場合は元々演劇や映像の分野で才能を発揮していた巻上公一によるバンドという事で、奇抜さでは際立っていたね。不思議な歌詞に奇妙な旋律とエキセントリックな歌、不気味でグロテスクなのに笑えてしまうところが魅力でもあり嫌われる部分でもあるな。

ROCKHURRAHは前に書いたこの記事に出てきた同級生に借りたレコードによってこのバンドを知った。
熱狂している音楽が他にも多数だったのでそれほど聴いてはいないが、SNAKEPIPEはもっといっぱい聴いていて、歌詞もスラスラ出てくるほど。よほど聴き込んでいたんだろうね(笑)
ではこの曲に限ってはSNAKEPIPEと一緒にバーニング。

今回は珍しくパンクに始まってパンクで終わる事にしよう。
どちらかと言うと変わり種や人があまり言及しないバンドばかり拾い集めて記事を書くのがいつものROCKHURRAH流なんだけど、あまりマイナー過ぎると動いてる映像がなかったりする。それじゃ退屈だろうから、少しは気を遣ってるつもりだよ。

最後のバーニング・メンはラッツの「Babylon’s Burning」にしてみた。
ユダヤ教やキリスト教的な土壌がない日本ではバビロン、バベルなどと言っても大多数の人には意味を持たない単語だろうけどね。由緒正しい(?)レバノン幼稚園出身というROCKHURRAHにしてもさっぱりわからないよ。 関係なかったか?

関係ないついでに語るならば、バベルの塔に住んでいる「バビル2世」という横山光輝の漫画を思い出してしまった。5000年前に地球に落ちてきたバビルという宇宙人の子孫がなぜか日本人で悪の帝王ヨミと戦うというメチャクチャな設定の漫画だったが、巨大ロボットや謎の生命体などの下僕を使いこなすのが目新しく、ヒットしたものだ。
SFなのに主人公バビル2世やヨミの顔が髪型を変えたらそのまま「三国志」に登場してもおかしくないところがいかにも横山光輝。設定を変えても基本キャラクターがどれでも同じというパターン。ある意味、設定を変えてもブログの構成がいつも同じというROCKHURRAHとも通じるものがあるな。
ちなみに横山作品では七節棍(7つに分かれ自在に繰り出す武具)を操る片目の武芸者が活躍する異色時代劇「闇の土鬼」や、中国に渡った日本人が馬賊のリーダーとなる異色冒険漫画「狼の星座」が好きだった事も思い出した。キャラクターはやっぱりどれも「三国志」なんだけどね。
「狼の星座」の影響で南部十四年式という拳銃のモデルガンをぶっ放してた少年時代だったのを思い出す。

かなり横道にそれてしまったが、ラッツは70年代ロンドン・パンクの第二世代くらいに活躍したバンドだ。
ヴォーカリストのマルコム・オーウェンのしゃがれた声と骨太の力強い音楽、そしてレゲエにインスパイアされた曲調もあることから、クラッシュの後継者というような位置付けにあったバンドだったな。
レコード・デビューが出遅れた(1979年)事とマルコムがヘロインにより死亡してしまった(1980年)ために、全盛期の活動期間が非常に短かったバンドだという印象だが、今回選曲した代表曲「Babylon’s Burning」はパンク史に燦然と輝く名曲で人気も高い。
明るい曲があまりなくてダークで荒削りなのが魅力だったね。
さあみんな、バビロン(どこ?)でバーニング。燃やしてしまえ。

新シリーズなどと言って勢いで始めてしまったけど、見事なまでにいつもの他の記事と同じ路線になってしまったな。まあそれでも書いてる本人が飽きないように続けてゆこう。

それでは、またやーさい(沖縄弁で「またね」)。

【時間がなくてヒネリのないビデオしか作れなかったよ】
ROCKHURRAH WROTE:

前回のROCKHURRAH担当記事の最後、自分のマンネリ化を嘆いてたわけだが、新機軸となるようなものは結局特に見つからなかったよ。
とりあえず従来のシリーズ記事ではないもので書いてみようと思ったが・・・うーん、たぶんまたどうせ同じようなスタイルになるに違いない。

今回見つけてきたテーマはタイトルでわかる通り、暴動に関するもの。
いちいち書くまでもないが英語だとriotになる。フランス語ならémeute、ますます書く意味がなかった。
いや、別に暴動シーンの入ったビデオを見つけてきたとかじゃなくて、単にライオットがバンド名についたもの、または曲名に含まれているものばかりを集めてみた、というだけの安直なB級企画だよ。
ちなみに暴動とか静かな暴動とか、そういう意味のバンドもあってそっちの方が有名だけど、ウチのブログが語るようなのとは違うのでここでは書かないよ。

ROCKHURRAH RECORDSは大半が洋楽だから洋風にライオットなどとタイトルにつけてみたが、日本人が日常的に使う言葉じゃないよな。

まずは誰でも知ってるライオットの元祖にして頂点、クラッシュの1977年デビュー曲より、邦題はそのものズバリ「白い暴動」だ。
セックス・ピストルズの「Anarchy in the U.K.」と共にパンク時代の始まりを告げるアンセムとして知らない人はいない曲だね。

この当時のピストルズやクラッシュのメンバーがロックの世界で革命や暴動を起こしたかった(もしくはたきつけたかった)のかどうかは本人じゃないとわからんだろうが、たぶんそんなに深い意味はなく、その手の言葉を使いたかっただけじゃなかろうか?と思うよ。何事も自分でやれ、いわゆるD.I.Y.の精神ってヤツか。
ただ、結果としてロンドン・パンクは街の若者たちを巻き込んで社会現象にまでなり、古い体制のロックとは違った手法でバンド・ブームを生み出した。おっとまた三流評論調になってしまった。

まあ堅い話は抜きにして、その後のニュー・ウェイブだの他のジャンルの音楽だの、パンクが発生しなければ簡単には音楽界に出て来れなかった音楽が、世の中にうじゃうじゃ出てくる土台を作ったと言えるね。色々面倒な事を言う人が多いから面倒なんだけど、ROCKHURRAHにとってはやっぱりパンクの成し遂げたものこそがあらゆる基本になってるよ。

しかしこのライオットという言葉、この後に出てきた奴らによって濫用される運命にある。

いちいち1つずつ説明するのもむなしいほど、動いてる全盛期の映像がぜーんぜん残ってないのでひとまとめに紹介しよう。

1977年から数年間は単にパンクのみで通ってたこのジャンル、そのうちスキンヘッドの「Oi!」とか、パンクをより高速にデフォルメした「ハードコア」と呼ばれるパンクの二大潮流が訪れる。どちらも戦闘的。

スキンヘッドの若者自体はもっと前の時代からいたわけで格別珍しいものでもなかったけど、これがパンクやネオナチや極右思想と結びついて、簡単に言えばスキンズ / Oi!という集団になったわけだ。
労働者階級の不満やらが根底にあって、何かあったらすぐにデモや暴動になったり、徒党を組みやすいという印象があるね。
ただしバンドとしてやってる分には特に極右とかレイシズムとかとは結びつかないものが多く、聴いてる集団の方には不穏な輩が多い。誤解を招く事が多いジャンルだろうね。

読んだ語感の通り、これは男だったら誰でもする「おい」という掛け声と大体同じようなものだと思う。
Oi!のバンド専門の掛け声なわけでもなく、スージー&ザ・バンシーズの「Make Up To Break Up」やチェルシーの「Right To Work」などでも出て来るが、ブリッツの「Someone’s Gonnna Die」やコックニー・リジェクツの「Oi Oi Oi」にて、観客全員が腕を振り上げて「オイ! オイ! オイ! 」ってスタイルが定着した。日本でもラフィン・ノーズの「Get The Glory」でみんな手を振り上げたよね?
ちなみにOi!からの支持率が高い元祖的なバンド、シャム69には直接的に「オイ! オイ! オイ! 」は皆無だったな。

スタイルついでに言うなら、見事なまでに制服化した服装も特色だね。
スキンヘッドは完全な剃髪でも坊主でもいいようだが、ドクターマーチンやゲッタグリップの長い編み上げブーツ、ピタピタのブルージーンズをなぜかサスペンダーで穿き、それにフレッドペリーのポロシャツやMA1を合わせれば誰でもすぐにOi!になれてしまう。ヴァージョンはいくらかあるようだが、この手の公式化したファッションが大半という世界。
まあこのように音楽も服装も生き方も「こうあるべし」という結構ガチガチな世界なので、ちょっとでも違うと仲間はずれになったりする。 いやあ、音楽的には男っぽいこういうのは好きなタイプだけど、徒党を組んで何かするってのが性質的には合わないね。

上に挙げたバンド達はそういう感じのOi!に支持されたようなのをピックアップしてみたが、もうとにかくライオットの大安売り状態なのは確か。ライオットのひとつでも取り入れないといっぱしのパンクとは言えないぜ、などという風潮でもあったのか?

コックスパラー(左上)はOi!だとか何とか言う前にパンクの最も初期からいたバンド、「Runnin’ Riot」はそのデビュー曲ですな。髪の毛もスキンヘッドじゃない者が混じってて、そういうジャンルが確立される以前のものだね。教祖だからそれでもいいのじゃ。
パンクのくせになぜかデッカという伝統あるレーベルからデビューした変わり種。しかもそのデッカ・レーベル、契約した数年後にはロックのレーベルから撤退してしまってピンチ。と思ったらその後は色々なレーベルを渡り歩いて思ったよりしたたかに生き延びてるね。「England Belongs To Me」が有名な曲だけど今回の括りがライオットなのでこっちの曲を選んだよ。邦題は「走れ暴動(ウソ)」。

インファ・ライオット(右上)は炭鉱系Oi!の大御所エンジェリック・アップスターツの弟分みたいにして80年くらいに出てきたバンド。見た目はコックスパラーなどと比べると随分Oi!の王道に近いが、実は個人的にはこの手のバンドとしてはちょっと変なタイプの冗談っぽい曲の方が好き。「キャッチ22」とかね。
「In For A Riot」は82年の1stアルバムに収録の曲。邦題は「飛び出せ!暴動(ウソ)」。

ビジネス(左下)は1stアルバムがロシア構成主義みたいなジャケットで気に入ってたが、Oi!の中では音楽性の幅が広く好きだったバンド。「バナナ・ボート」をアレンジした「Day O」とか愛聴したもんだ。
しかし曲はいいけど見た目がイマイチ垢抜けない部分もあって、どっかに行った記念写真みたいなのをよりによってジャケット写真にしたり、等身大過ぎてファンの方が情けない思いをするようなバンドだったな。
「Work Or Riot 」は83年の1stアルバムに収録。邦題は「暴動時代(ウソ)」。

ラスト・リゾート(右下)は今回選んだ4つの中では最も本格派のOi!バンドだと思うけど、割と玄人向けというか、言葉のわからない者の感覚で言うとあまりキャッチーな要素がないかな。
このバンドのメンバーだったアーサー・ケイがやってたスカ・バンドは好きだったけど、個人的には本家の方はあまり聴いてないなあ。
知名度の割には音源が少なく、Oi!が一番盛り上がってた時代にはあまりレコードのリリースがなかったのも痛いね。4スキンズ、ビジネスと共にライブが襲撃されて暴動になって、見た目がアレなもんでOi!のバンドは暴動を起こす、みたいに誤解されるような事件があったという話。
ROCKHURRAHも見た目でとても誤解を受けてしまうけど、そりゃないわな。
「Right To Riot 」はずっと後の2005年に出たもの。邦題は「もっとあぶない暴動(ウソ)」。

ふう、軽く書くつもりだったのが結構大変だったな。
まだまだ他のライオットも書かないといけないので先を急ごう。

サイコビリー方面からライオットに参加したのはこちら、フレンジーの代表曲のひとつだ。
上のOi!の時みたいにサイコビリーの始まりから話すのはさすがに時間がいくらあっても足りないけど、一般的にはパンクよりもずっと馴染みのない音楽だと思える。そんなジャンル初めて聞いたよって人も多いかもね。
まあ簡単に言うと1950年代のロカビリーを復活させたようなブームが70年代終わり頃からあって、ネオ・ロカビリーというのが流行した。それから派生してエグさ度合い、不良度合いを増したのがサイコビリーというわけ。この記事で書いたのと同じような説明だな。
サイコビリーというジャンルはとにかく何でもくっつけてミクスチャーするのが大得意。
「これでもか?」と言わんばかりの刺青にホラー映画のゾンビ・メイク、音の方もパンク、ガレージ、サーフィン、カントリーなどなど、バンドごとにそれぞれ得意なものを取り込んで活躍したもんだ。
見た目もレコードジャケットもB級極まりない悪趣味なものが多く知的さもなかったから、一部の物好きな人以外には普及しなかった、かなり特殊なジャンルだと言えよう。
フレンジーはそういうサイコビリーの世界では最も有名なバンドのひとつだね。元シャークスにいたスティーブ・ホワイトハウスはウッドベースの奏法であるスラップ奏法(弦を弾きながらネックをカチカチ叩く)の名手として名高く、最も影響力のあるベーシストだった。
しかしベースはすごいがギターは力のない薄っぺらい音でヴォーカルも迫力ない、この辺のアンバランスさを魅力と取るかどうかによってこのバンドの評価は変わってくるだろうな。
この曲はイントロで使われる「シューン」という効果音のみ、たったこれだけでロボット的要素を表現してるつもりが逆にすごい。うん、聴いたら確かにロボットの暴動に聴こえてくるもんな。これこそ先入観というやつか。邦題は・・・え?もうやめてくれ?

次なるライオットは80年代リヴァプールのこのバンド、ハーフ・マン・ハーフ・ビスケットのこの曲。
リヴァプールとは言ってもROCKHURRAHがよく語りたがるリヴァプール・ファミリー(数多くのバンド・メンバーが複雑に絡み合ってシーンを形成していた)の系譜とはちょっと違ってるようで、割とぽっと出の印象があるけど、実際にはどうなんだろう?

メロトーンズとかウォーキング・シーズとか、結構好きなバンドのレコードを出してたリヴァプールのプローブ・プラスというレーベルから80年代半ばに出て、一躍インディーズでヒットしたという記憶がある。
この曲はヘタなOi!バンドとかよりはよほどライオット感&フーリガン色満載の名曲だと思うけど、イントロの「オッオッオー」というガナリ声がイイね。ライブの映像も残ってるバンドなんだけど、このスタジオ盤のような元気がなくてメンバーも想像と違うヴィジュアル。見ないほうがいい系のバンドだと感じたよ。

「トランプトン」というのはイギリスのTV番組で小さい人形のストップモーション・アニメらしい。レゴ・ムービーのイギリス版みたいな感じなのかな。
数枚レコードを持ってたが他の曲はポーグスをシンセでやったようなとか、声までシェインに似ててこれがまた子供っぽい大好きな曲だった。

まだまだライオット族はいたような気がするが、疲れてしまったのでもはやこの一曲で終わりとしよう。ウチのブログの標榜する70〜80年代というのにはちょっと外れるが、時代を超越して充分に過激でパンクだったのがこのドイツのアタリ・ティーンエイジ・ライオットだ。
パンクやハードコアの進化系として90年代に注目されたデジタル・ハードコアの元祖として名高い。

アタリというのは世界初のビデオゲームを出したメーカーで初期にはスティーブ・ジョブスも在籍していた事で知られるけど、これはROCKHURRAHの世代よりももっと前の時代だな。自分の時代で言うとジャガーというTVゲーム・マシンを出して全然売れなかったのが知られてる。すごいスペックだという噂だけで現物は見たことないという、個人的には幻の一品。

さて、その由緒正しい社名を冠したアタリ・ティーンエイジ・ライオットは激しくてうるさいデジタル・ビートに黒人MCと白人ヴォーカル、80年代ルックスっぽい怖そうな美女という三人組によるキャラクターが際立っていたな。
デジタルでハードコアと聞いて誰もが想像するような音そのもの、そして過激さも申し分なし。
同時代のロックが個人的には全然面白くなくてハッキリしないものばかり、ロックよりも盛んだったのがクラブ・ミュージックだけど、これまた面白くなくて違いもわからないようなのばかり。
これが90年代にROCKHURRAHが感じていた「時代の倦怠感」みたいなものだったが、そういう時にまだパンク行き着く先の可能性を感じさせてくれたのがこのバンドだった。楽器は持ってないしバンドとは言わないのかも知れないがやってる事はバンドと同じ。何より派手だったね。
途中からアニメに出てきそうな日系の忍者娘みたいなのもメンバーに加えてさらにヴィジュアル度がアップしたけど、その後もライオット魂を忘れてないのがいいね。
ビデオでは派手な美女ハニン・エライアスが見えない(たぶん欠席)のが残念。

結局はROCKHURRAHが担当する他のシリーズ記事と全然変わらないという結果になってしまったが、長くブログをやってると「ひとまとめには書きづらい」ような余りが生じてしまう。その辺をまとめるような記事という事で書いてみたよ。
それではまた、ナケミーン( フィンランド語で「さようなら」)。