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【マンネリだけど完治祈願でPainに関するビデオを作ってみたよ】

ROCKHURRAH WROTE:

半月ほど前にちょっと無理をしてしまい、急に腰を痛めてしまった。
その手の代表的な痛みというと誰もが思うのがぎっくり腰か椎間板ヘルニア、たぶんそれに近いものなのかな?
実はこの歳まで腰痛に悩まされた経験が一度もないのでよくわからないが、ぎっくり腰だろうがヘルニアだろうが、もっと激痛で動けなくなるという話をよく聞く。そこまでじゃないので毎日ちゃんと歩いて働いてはいるんだが、本当はもっと安静にしてないと治りにくいのは確かなんだろう。
ゆるい服装で家にいる時は日常の動作は問題なく出来るのに、靴を履いてバッグを持って歩くとだんだん痛みが出てくる。上半身と下半身がそこで分離したみたいな、かなりイヤなタイプの痛みなので早く完治したいものだよ。

というわけで最近ROCKHURRAHはこればっかり書いてるという噂の「俺たち◯◯シリーズ」、今回のテーマは自分にとって今一番密接な「痛み=pain」としてみよう。

割とポピュラーな英語で誰でも知ってるだろうし一部の薬の名前やペインクリニックという医院の名前で使われたりする。 が、日本人がこれをわざわざ英語で使う機会はあまりないと思える単語だな。
ペイン自体は体の痛みだけでなく精神的な痛みにも使える便利な単語らしいので、これが含まれる曲名も割と多く存在してるに違いない。さっそく探してみよう。

毎回ブログを書くのにどれだけ時間がかかってるんだ、と言われてしまうけど今回は無理な姿勢を長時間続けたくないという意向もあって、とにかく手っ取り早く書くというのをモットーにした。
だから動画を探す時間も短縮して「音と静止画のみの動いてない動画」みたいなのも採用したよ。
本当はなるべく動いてるようなのでやりたいんだけど、プロモ・ビデオもライブ映像もないようなマイナーどころから見つけて来てるので、仕方ないね。

最初に登場してもらったのは日本ではあまり知名度ないと思うが、プリンセス・タイニーミートの1986年の名曲「 Angels in Pain」だ。

歌詞の意味がまるでわかってないのにタイトルについてとやかく言うのも意味なしだが「痛みの天使」とはこれいかに?苦痛の中に光明を見出すというよくあるアレか?
そういう系列に疎いROCKHURRAHにはよくわからんがドーパミンとかエンドルフィンとかセロトニンとか、人の体の中で抑制したりバランスを取ったりするその能力はすごいなあと思いました。
大人とは思えないとても幼稚な感想で申し訳ない。
確かに電車とかで揺れるととたんに痛む背中・腰なんだが、気の持ちようでちょっとしたはずみに痛みが緩和する事がある。継続的な痛みで急に症状が良くなるはずがないので、これは脳内の何かが作用して暗示をかけてるんだなと思ったよ。これこそが痛みの天使というわけか。え?全然違う?

アイルランドのダブリンでパンクからニュー・ウェイブを通過した近所の悪ガキどもが兄弟とか従兄弟とかも巻き込んでバンドみたいなものを始めた。
1970年代後半から80年代にかけてはどこの都市でもそういうのがたくさんいたのは間違いないが、ひとつのバンドをやるにはメンバーが多すぎたのか(推測)だいぶ違う方向性で2つのバンドが同時期に生まれた。それがU2とヴァージン・プルーンズだった。
この2つのバンドはメンバー間で血縁関係があったり親交が深かったり、まさに兄弟バンドと言えるかも知れない。U2のボノとヴァージン・プルーンズのグッギ、ギャヴィン・フライデーは若い頃に同じ悪ガキ集団にいたというからね。
などと見てきたような書き方してるがもちろん見てもいないしインタビューしたわけでもない。

ROCKHURRAHは大成功したU2についてはあまり興味なかったけど、ヴァージン・プルーンズは大好きでよく聴いていたものだ。
女装した不気味なヴォーカル二人のデュエット。そして何とも言えない禍々しさに溢れたドギツイ音楽、当時熱狂して集めていたポジティブ・パンクというジャンルの中でもトップクラスの異端派変態的バンドだった。
彼らの独創的な音楽やパフォーマンスはROCKHURRAHのヘタな説明よりは映像観てもらった方が手っ取り早いだろう(いいかげん)。こんな感じね。

ん?もしかしてこの映像は前にも使ったか?しかも今回のペインとは特に関係ないよ。

そのヴァージン・プルーンズの初期メンバーでごく短い間在籍していたのがビンティ(Haa-Lacka Binttii)、プルーンズ脱退後に始めたのがこのプリンセス・タイニーミートというわけだ。

英国インディーズ・レーベルの最大手ラフ・トレードからセンセーショナルなデビューをした(ジャケットが国によっては発禁レベル?)にも関わらず、結局ちゃんとしたアルバムが出ずに短命に終わってしまったバンドだったな。 

歌い方にヴァージン・プルーンズからの影響が強く感じられるが電子楽器(言い方古い?)を多用してちょっとダンサブル、異端だけどなぜかポップという路線が個人的には好み。
グッギやギャヴィンという異常性が確立されたすごいキャラクターと比べると深みがないように感じてしまうが、愛すべき不肖の弟分という雰囲気が漂っていてプルーンズのファンからも支持されていたようだ。実際はどっちが年上かは全然知らないけどね。

さて、次のペイン団はこれ、カメレオンズの「Pleasure And Pain」だ。

「喜びと痛み」と聞くとSM的なものを連想してしまうが、英語さっぱりのROCKHURRAHは相変わらず歌詞とかは全く抜きにして話を進める。メンバーの見た目などから判断してそういう要素はたぶんないと思うよ。
キリスト教の国々で耐え忍ぶものと言えば試練などと言われたりするが、現代だろうが原始時代だろうが試練なんてものはどこにでも存在してる。物理的に乗り越えられないようなものに直面した時は内部に助けを求める・・・などと延々と書くつもりはまるでないけど、個人的にROCKHURRAHの今の痛みの状態じゃとても「喜び」などとは結びつかないよなあ。

1980年代初頭のニュー・ウェイブを語る時に必ず出てくるのがネオ・サイケデリックという音楽だが、60年代のサイケデリックとはだいぶ違ったニュアンスも感じられる。
一番多かったパターンと言えば、暗くてメランコリックな曲調と黒っぽい服装、うつむき加減の内向的な歌が特徴というバンド達。それらと同時代に本気の60年代型サイケ野郎がごっちゃに活動していたので、軽く一括りには出来ないジャンルではあるけど。

ジョイ・ディヴィジョンあたりをこの手の音楽の元祖として、その影響下にあるバンドが続々生まれたのもこの時代。そういう幾多のフォロワー的バンドを詳細に語るだけでも一冊の本が出来そうなくらいなんだが、ROCKHURRAHにはもちろんそんなウンチクもないのでネオ・サイケデリックに関しては当ブログでちょこっと書いたくらい。
それらとは少し違う路線で時代を乗り越えたバンドも多く存在してるけど代表的なのはエコー&ザ・バニーメンやサウンド、そしてこのカメレオンズとかになるのかな。え?後ろの2つは知らない?

カメレオンズはエコー&ザ・バニーメンと同じタイプの正統派ネオ・サイケのバンドで80年代前半に活躍した。本当のサイケデリックを知ってる世代には上記の「暗くてメランコリックな曲調と・・・」という雰囲気に属するのが正統派だと評されるのに違和感を覚える人も多くいた事だろう。
後の時代にはあまり「ネオ・サイケ」という言葉も使わずダーク・ウェイブなどと言われたりするジャンルだけど、その方が特徴を言い表してるのかもね。

カメレオンズと言えば・・・。
若き日のROCKHURRAHが上京してまだ住むところも決まってない頃、カメレオンズの「As High as You Can Go」という12インチ・シングルを買って、自分のステレオさえ持ってないのに友人の家でひっそり聴いていたのを思い出す。
家もなく仕事もなくただ音楽への情熱だけで、なーんの用意もないまま東京に出てきてしまった考えのない若き日のROCKHURRAHだが、その時も今も基本はほとんど変わってないのに自分でも驚いてしまう。
六畳一間くらいの部屋にこっそり居候してたから昼間でもコソコソしてたんだよね。
「ひっそり」というのはそういう意味。
出かける時は大家に会わないように静かに速足で部屋を飛び出したものだった。忍者みたいだね。
仕事を探し住む場所を探し、ここを出て行こうとしてたのにうまくゆかなくて、もがいていたな。
詳細はこの記事で書いたけど、友人には本当に迷惑かけたよ。

「Pleasure And Pain」はこのシングルに収録の曲でタイトルからすれば全然違った意味の曲なんだろうが、ROCKHURRAHにとっては「自分=真っ昼間に何してるかわからない怪しい人」この肩身の狭い思いこそがある意味のペインだったな。この頃はどこにも居場所を見つけられずさまよってたからね。

初期のエコー&ザ・バニーメンやティアドロップ・エクスプローズなどと似たような雰囲気のバンドで彼らよりもずっと長く活動しているカメレオンズ。ルックス的なスター性があまりないからか日本での知名度は低かったけど、地味で堅実ないい曲を数多く残していて80年代ネオ・サイケが好きだった人にはおなじみのバンドだと言える。
メンバーが描いたちょっと不気味なイラストのジャケットでも有名。

そう言えば元ビッグ・イン・ジャパンのメンバーだったビル・ドラモンドとデヴィッド・バルフによるプロデュース・チームで、初期Zooレーベル(リヴァプールの伝説的レーベル)のプロデュース活動をしていたのもカメレオンズという名前だったな。 このカメレオンズとは関係ないけどつい思い出してしまった。

カメレオンズの事を書いててさらに思い出したのがこれ。
またまた「俺たち〜」と書いてるのに女性アーティストになってしまったが、ピンク・インダストリーの1983年作「Enjoy The Pain」にしてみよう。個人的にはある意味ペイン団の女ボス的存在。

いやいや「痛みを楽しめ」などと言われても全くその気にはなれないこの鈍痛。これまでの他のタイトル見てても妙にネガティブじゃないものが続いてるな。多くの人が痛みの中に何か活路を見出したいんだろうか?
これまで骨折も大きな病気も怪我もなかったROCKHURRAHだが、それでも何度かは痛くて苦しい体験はしている。一ヶ月も続いた痛みはあっただろうか?と記憶をたぐってみても思い出せないって事は、そこまでひどいものはなかったんだろうね。痛みを語れるほどの人間じゃないな。

ウチのブログでも何度も書いてるけど(例えばこれ)、リヴァプールのニュー・ウェイブの歴史で最もルーツとなったパイオニア的存在がデフ・スクールとビッグ・イン・ジャパンの2つのバンドだった。
これを本気で書き始めるとえらい文章量になってしまうから敢えて詳しく書けないという事も何度も書いたな。

ビッグ・イン・ジャパンはリヴァプールのニュー・ウェイブ初期を支えたインディーズ・レーベル、Zooレーベルとも深く関わっている重要バンドだった。
パンクの時代、1977年くらいにデビューしたこのバンド、活動はごく短期間でシングル2枚しか出してないが、メンバーのほとんどが後に名を残した伝説のスーパー・グループなのだ。
時間短縮のためにメンバーの名前を出すだけにとどめるが、

  • ビル・ドラモンド(Zooレーベル経営者、後のKLF)
  • デヴィッド・バルフ(Foodレーベル経営者、ティアドロップ・エクスプローズなど多くのバンド参加)
  • イアン・ブロウディ(後のライトニング・シーズ、キングバード名義でプロデュース多数)
  • ジェーン・ケーシー(後のピンク・ミリタリー、ピンク・インダストリー)
  • ホリー・ジョンソン(後のフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド)
  • バッジー(後のスージー&ザ・バンシーズなど) 

大げさな書き方した割には冷静に見るとあまり誰でも知ってるような人材は出てないけど、80年代ニュー・ウェイブに詳しい人ならばすごいメンツだったとわかってくれるだろうか。

その中で今回主役となるのはジェーン・ケーシー嬢。などと当時のままの記憶で書いてるがすでに現在は60歳くらいにはなってる計算。うーむ、時が止まってるのはROCKHURRAHの頭の中だけなのか。
ビッグ・イン・ジャパンの派手なイメージを担っていたのがスキンヘッドで不気味なメイクをしたジェーン・ケーシーとまだこの頃はパンク野郎だったホリー・ジョンソンの二人だった。

このバンドは短命に終わり、メンバーはそれぞれ次の活動を始めるがジェーン・ケーシーは1979年くらいにはすでにピンク・ミリタリーを結成していたな。
アーティストとしての主義なのか何なのかわからないが、この頃はそのヴィジュアルを前面に出すことがあまりなくなって、断片的な画像でしかこのバンドを知る事が出来ないのが残念。もちろん動いてる映像も皆無。
スージー&ザ・バンシーズの暗い曲をさらに地味にしたような音楽をやってて、本当にこの人、見た目の割にはずいぶん控えめな印象なんだよな。

たぶんピンク・ミリタリーはあまり売れなかったバンドだと思うけど、エレクトロニクスな要素を強くしたピンク・インダストリーとして再起を図った(?)のが1981年。
こちらはピンク・ミリタリーよりは少しは売れたのかな?
それにしてもレコード・ジャケットも割とぞんざいで、音楽は相変わらず地味でキャッチーさがない曲が多い。リズムの使い方などは現代でも通じるものがあるだけに実に惜しい。
この美貌とファッション・センスを活かせばもっとスターになれたかも、などと思ってしまうが、それを売り物にせず音楽活動をしていたのは立派だ。

ビデオも少しだけ残っててこの「Enjoy The Pain」はオフィシャルなプロモなのか何なのか不明だけど、実写映像と絵画の効果がこの時代には結構斬新なもの。ちょっとデヴィッド・リンチの作品っぽいなと素人目には思ったけど、SNAKEPIPEはどう見るだろうか?

ペイン団の最後はこれでいいかな。
クロックDVAの1981年の曲「Piano Pain」だ。

うーん、これまでタイトルについてどうでもいいコメントをしてきたが「ピアノの痛み」なんぞ知ったこっちゃない。
実家にエレクトーンなどというどうでもいい楽器が置いてあったがこれを取り入れたプロのミュージシャンは滅多にいないと思える(この辺ははっきり知らないけど)。
鍵盤と言えばアコーディオンもなぜかあったけど、部屋で奏でるには意外と音が大きすぎて、結局家族の誰も使いこなせてなかった気がする。
中学生くらいになるとキース・エマーソンやリック・ウェイクマンなどの影響を受けて、家にピアノのあるのが羨ましかったが、そういう友人を持った事もなかった。
結局、ピアノよりは自力で購入出来るギターを持ったけど、ロクに練習もしなかったので演奏力もないままだよ。

英国ヨークシャー州シェフィールドと言えばパンク、ニュー・ウェイブの時代にキャバレー・ヴォルテールやヒューマン・リーグが登場した事で知られているけど、クロックDVAもこの辺の出身だ。
中心人物アディ・ニュートンはヒューマン・リーグと名乗る前のザ・フューチャーというバンドにも在籍していたけどデビュー前に脱退している。「ズーランダー」のムガトゥ(フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドがメジャー・デビューする前に脱退したという設定)みたいだね。
この後釜として入ったのが不気味な髪型で後世に名を残すフィル・オーキーだったという。

そのアディ・ニュートンによるクロックDVAもヒューマン・リーグと同時期にデビューした。ROCKHURRAHがまだレコード漁りを始めた頃からいるので名前は何十年も前から知ってるが意味不明のバンド名だな、とずっと思っていたよ。DVAはロシア語で「2」を表すらしいが、それがわかってもやっぱり意味不明。セクション25とかTV21とか同じ頃にそういう系統のバンド名が登場したけど流行っていたのかね?

音楽性はヒューマン・リーグとは大違いで、重苦しいリズムにアヴァンギャルドなサックスが飛び交い、低音の呪文のようなヴォーカルがかぶさってゆくというもの。相変わらず表現が陳腐だな。
まだニュー・ウェイブが登場して細分化されてないような混沌の時代に生まれた刺激的な音、こういうバンドがあったからこそ後の実験的な音楽が発展していったんじゃなかろうか。

体調や時間の関係もあったからちょっと短いけどこの辺でやめておくね。
腰は一回痛めると持病のようになって再発しやすいらしい。安静に療養出来るような境遇じゃないからなかなか治らないけど、早く自由に歩き回れるくらいには回復したいものだ。

それではまた、スローンラート(アイルランド語で「さようなら」)。

【恒例のValleyにちなんだビデオ。時間不足でいいかげん】

ROCKHURRAH WROTE:

タイトルに同じ単語が含まれた曲を集めて、いいかげんなコメントしてゆくだけのお手軽企画がこの「俺たち○○シリーズ」だ。
ただし時代は1970年代から80年代、パンクとニュー・ウェイブからほとんど選曲するというのがROCKHURRAH RECORDSの流儀なのだ。今、この時代にこの手の音楽に興味ある人がどれくらいいるのかは全然わかってないが、読む人をかなり選ぶブログなのは間違いない。

さて、どんな単語でもいいんだけど、今回はたまたま思いついたのでValleyという単語がつく曲を選んでみたよ。
谷とか谷間を意味する言葉なのは大抵の人が知ってるとは思うが、これをカタカナ英語で言ったり書いたりする機会はあまりないはず。
日本のカタカナ表記が曖昧なのかバレー、ヴァリー、ヴァレー、ヴァレイなどといくつもの表記がされてて、一体どれが最もポピュラーなのかよくわからないよ。 
バレーなどと書くとバレーボールのバレーと間違いそうだが、あれはVolley、つまりサッカーのボレー・シュートと同じ綴りでさらにややこしい。じゃあ何でボレーボールにしなかったんだ?と思ってしまうよ。
というわけでかなりあやふやなこの言葉、ROCKHURRAHは迷った末にヴァリーを採用したが、大多数の人にとってはどうでもいいよね。

谷間と言えばROCKHURRAHが思い出すのが子供の頃に大好きだった望月三起也の漫画「ワイルド7」。
この中のエピソードに「谷間のユリは鐘に散る」というのがあって、他の鮮烈な長編(註:「ワイルド7」はコミックス1冊だけで終わるエピソードもあれば数冊に渡って繰り広げられる長編エピソードもあった)に比べると印象は薄いんだけど、タイトルだけは即座に思い出したよ。
世の中の悪党をやっつけるために悪党、犯罪人の中から選抜した白バイ部隊というのがワイルド7の設定なんだけど、読者の度肝を抜くド派手なアクションとストーリー展開に夢中になった少年(今はおっさん)も多かった事だろう。まだタランティーノもロバート・ロドリゲスも登場してなかった時代、70年代初頭の日本にこんな派手なアクション漫画があったのは全世界に誇れる事だと思うよ。
メンバー全ての描写が細かくて本当に生き生きしてたからね。

などと関係ない回想にひたってしまったが、これはもう本気で全く関係ないので書いた本人もビックリ。 

ヴァリー部として真っ先に挙げたいのがスキッズのヒット曲「Into The Valley」だ。
彼らの最も有名な曲であり70年代パンクでValleyと言えばこれが決定版というほどの知名度。
タイトルをGoogle翻訳してみると「イントゥザバレー」だって、うーむ。そりゃ訳になってないぞよ。
次にエキサイト翻訳で直訳してみると「谷に」だとさ。それ以上の意味はないんだろうけどなんかそっけないぞ。

このブログでも何度も書いてるけど、スキッズは70年代後半にデビューしたスコットランドのパンク・バンドだ。こんな記事でも特集したね。
中心となるのはヴォーカルのリチャード・ジョブソンとギターのスチュワート・アダムソンで残りのメンバーはパートタイムみたいな感じだったな。後にヴィサージでスティーブ・ストレンジの相方になるラスティ・イーガン(元リッチ・キッズ)や元ウェイン・カウンティ&エレクトリック・チェアーズのJJジョンソンなどもパートで働いていたね。

パンクとは書いたが初期のスキッズにいわゆるロンドン・パンクっぽさは特になく、スコットランド民謡のバグパイプみたいなギターとリチャード・ジョブソンの野太いヴォーカル、応援団風の男っぽいコーラスが一体となったところに独自性があったな。
それからパワー・ポップのような路線にもなったし、ニュー・ウェイブ世代の正統派ブリティッシュ・ロックみたいな方向に落ち着くかと思いきや、この辺でスチュワート・アダムソンが脱退。
自身のバンド、ビッグ・カントリーを結成しスキッズの路線をことごとく継承、そしてスキッズ以上の大人気バンドになってしまった。大半の曲をアダムソンが書いてたのでスキッズ路線を継承して当たり前なんだけどね。
音楽的な要だったアダムソンが抜けて、最後の方のスキッズはよりトラッド色を全面に打ち出した予想外の方向に進んで行くが、これはあまりポップでもなくロックっぽさも大幅に減少というマニアックな世界。当然元からのスキッズ・ファンに受け入れられず、売れるはずもなく、ここで解散という事になる。
実はROCKHURRAHはこの時代のスキッズを高く評価してるんだけどね。

「Into The Valley」はそんな末期のスキッズなど想像も出来なかった1979年、彼らにとっては初期のシングル。
本国イギリスでヒットしたから日本でもリリースされた数少ないパンク・シングルの一枚だな。
この邦題、というかカタカナ・タイトルが「イントゥ・ザ・ヴァリー」、ROCKHURRAHがタイトルにヴァリーを採用したのはここからなんだよ。「俺たちバレー部」じゃ当たり前過ぎる全然違う話を想像してしまうからね。

誰でも知る大物パンク・バンド以外は義理で一枚出して、売れなかったらそれ以外のシングルは出さないというのが日本のレコード会社のやり方なんだろうかね?
結局、売れなかったのかスキッズのシングルは日本ではたぶんこの一枚のみ。
アルバムの方も1st「恐怖のダンス」と3rd「アブソルート・ゲーム」のみが出て、どう考えても売れそうじゃなかった4th「Joy」はともかく、売れそうだった2nd「Days In Europa」も出さなかったのは何で?と思ってしまうよ。当時、ヴァージン・レーベルを出してたのはビクターだったかな。

さて、これはライブ映像ではあるけど音声の方はスタジオ録音そのまんま、いわゆるプロモーション・ビデオになるのかな?このビデオの頃はまだ19歳くらいだったリチャード・ジョブソンのスポーツマンらしい激しいアクションが大げさ過ぎるけど、今でもノリノリになれる大名曲。みんなで拳を振り上げて「アホイ、アホイ!(船乗りが他の船に呼びかける「おーい」というような意味の言葉)」と怒鳴れば気分はもう1979年だね。

お次のヴァリー部はこれ、ジェネレーションXの1979年作「Valley Of The Dolls」だ。
同年に出た彼らの2ndアルバム「人形の谷」のタイトル曲でもありシングルにもなったけど、このアルバムには「King Rocker」という強烈なヒット曲があり、その陰に隠れてあまり知名度はない曲。
イチイチ翻訳する必要はなさそうだけどGoogle翻訳してみると、ちゃんと「人形の谷」になってたよ。

「Valley Of The Dolls」という原題を検索すると出てくるのはジャクリーヌ・スーザンのベストセラー小説「人形の谷間」とそれを映画化した「哀愁の花びら」だが、60年代にチャールズ・マンソン・ファミリーの一員によって惨殺されたシャロン・テートが出演していた映画として一部で有名。
ジェネレーションXの曲はタイトルが一緒なだけでおそらく何も関係なさそうだけど。

ジェネレーションXは上のスキッズなどと同じく、ロンドン・パンクの第二世代くらいにデビューしたバンドだが、レコード・デビューがやや遅かっただけでパンク初期から有名人だったのが後にソロとして大ヒットするビリー・アイドルだった。元チェルシーだしね。
後にド派手な見た目と音楽でセンセーショナルな話題を振りまいたジグ・ジグ・スパトニックを結成するトニー・ジェイムス、少年っぽさが残るアイドル系ギタリスト、ボブ・アンドリュースなど、ルックスの良さもあってさらに曲も良い。
ジェネレーションXは他のパンク・バンドと比べるとバラード的大作志向があり、いわゆるチンピラなだけのバンドよりはずっと構成力も演奏力もあり、つまりはこの時代に売れる要素が詰まったバンドだったと思うんだけど、予想ほどには大ヒット曲もなかったのが残念。
パンク直後のニュー・ウェイブ世代にうまく乗り換えする事もなく、割と短命に終わってしまったという印象があるけど、最初の二枚のアルバムは聴きまくったものだ。

「人形の谷」は特にROCKHURRAHの地元、北九州の図書館の視聴覚室で何度もリクエストして聴いてた覚えがある。ここのお姉さんがパンク好きだったからよく通ってたんだよね。
こんなに聴いてたくせになぜか自分では持ってなくて、東京に出た数年後にひっそり買ったんだった。
この頃はまだ知らない新しいバンドを仕入れるのにほとんどの金を使うという方向性だったからなあ。

ビリー・アイドルの歌声も聴けばすぐにわかる特徴のあるもので、顔立ちのインパクトも際立ってるな。

今回集めたヴァリー部はパンク系が多いけど、次はコープス・グラインダーズの「Valley Of Fear」にしてみよう。しつこくGoogle翻訳してみたら「恐怖の谷」となってた。シャーロック・ホームズのシリーズに同名タイトルがあるが、このジャケット写真見てたらあまり関係はなさそう。

元はニューヨーク・ドールズ(の母体となるバンド)のギタリストだったというリック・リヴェッツがドールズ脱退した後に作ったのがこのコープス・グラインダーズだ。ちなみにリヴェッツが辞めた代わりにドールズに入ったのがシルヴェイン・シルヴェインだった。
コープス・グラインダーズの初期にはドールズのアーサー・”キラー”・ケインもいたというからまさにドールズ直系。
そっくりな名前の日本のバンドがいるので間違えられやすいが、別にマネしたわけではなくてたぶん「人間ミンチ」という70年代のB級ホラー映画の原題がCorpse Grinders、どちらのバンドもここから取ったんじゃないかな? 

ニューヨーク・ドールズと言えばあらゆるバッド・テイストが集まって奇跡的にもその筋の主流となってしまったバンドとして名高いが、ニューヨーク・パンクを語る上では外せない最低で最高のロックンロール・バンドだね。

で、このコープス・グラインダーズの方はベースとギターにそのDNAが流れていたわけで1stシングルは確かにラウドでB級テイストに満ち溢れた乱暴なパンク路線、ホラー映画っぽいメイクもドールズ時代にはなかった新要素なので、これは好きだった。
しかし”キラー”・ケインがいなくなった後の本作、1984年に出た唯一のオリジナル・アルバム「Valley Of Fear」ではリズム・マシーンにシンセサイザーまで取り入れた迫力ない異端のロックンロールが展開してゆく。このチープさウソっぽさも魅力なんだけど、ニューヨーク・ドールズ直系を想像してた人にはあまり受けなかったかもね。
見た目からするとポジティブ・パンクやサイコビリーのバンドみたいでもあるが、それともちょっと違う独自のアングラ感があるので、ROCKHURRAHはその点を評価しているよ。

時間があまりないので手早くいってみよう。
お次のヴァリー部はこれ、ROCKHURRAHの大好きなスクリーミング・デッドの「Valley Of The Dead」。1982年のデビュー・シングルだな。
またまた翻訳してみると「死の谷」、え?いちいち翻訳しなくてもわかる?

「死の谷」と聞いても特に何も思い出さなかったが、橘外男の「死の蔭(チャブロ・マチュロ)探検記」というのを急に思い出した。少年時代は戦前戦後くらいの探偵小説が大好きで教養文庫の小栗虫太郎、夢野久作、久生十蘭、香山滋、橘外男などを片っ端から読み漁っていた。夢野久作だけは米倉斉加年が扉絵を書いてた角川文庫版の方が好きだったけど、他の作家はこの教養文庫のシリーズが最も手軽で探すのに苦労しなかったから愛読してたものだ。
橘外男は全然興味ないタイプの著作も多かったけど、刑務所に入ってたなどかなりの無頼漢で独特の魅力があった作家だ。
小倉(福岡県北九州市)のナガリ書店や福家書店、宋文堂などなど、今はあるのかどうかさえ知らないけど、当時よく行ってた本屋が懐かしい。ROCKHURRAHが少年の頃の小倉には輸入レコード屋がほとんどなかったから、本屋に行けばROCKHURRAHがすぐに見つかるというくらいに長時間をこの辺で過ごしたものだ。
これまた全然関係ない話だったか。時間ないなら先を急げよ、と本人に突っ込まれてしまうありさま。

スクリーミング・デッドはいわゆるポジティブ・パンクと呼ばれた音楽で「永遠の中堅」とROCKHURRAHが常に思ってたバンドだ。初期はレコード出す金もなかった(?)ようでカセットを自主制作販売してたみたいだが、結局シングルのみでアルバムも出さずに解散してしまったところが中堅以下。
ちょっと鼻にかかったチンピラ声でパンクっぽいのから日本のGSみたいな曲調までを歌い上げるところが個人的には好みだった。 彼らのディスコグラフィを調べてみると、当時はほぼ全シングルを所有していた事が判明した。それくらい気に入ってたんだろう。
ポジティブ・パンク、ゴシックという音楽のような重苦しさはあまりなく、単にホラー要素があるパンクというだけで、音楽的な印象は違うが上のコープス・グラインダーズとかと同じような立ち位置なのかも。そう言えばジャケットの構図も似てるしね。 

動かない動画が続いたので飽きてきたろうから、お次は動きのあるこれを選曲してみよう。
ソニック・ユースとリディア・ランチによる「Death Valley 69 」だ。ヴァリー部としてはこれを見過ごすわけにはいかないからな。
もはや翻訳する必要性はないけど律儀にやってみたら「デスバレー69」、そりゃそうだ。
車のボンネットで目玉焼きが出来ると評判のデスヴァレーはアメリカ人だったら誰でも知ってるところなのかな?ROCKHURRAHもSNAKEPIPEも地理には疎く、日本に住んでても阿寒湖と屈斜路湖の区別さえつかないけどね。
パット見のタイトルはカッコイイけど、デスヴァレーは国立公園だから日本で言えば「十和田八幡平(国立公園)78」などとタイトルつけるのと同じノリかね? 

ソニック・ユースは1980年代初頭から活動していたニューヨークのバンドでロック界随一の巨人(推測)のサーストン・ムーアとキム・ゴードンの夫妻がバンドの中心だった。
独特のギターによるノイズとパンクやサイケデリックがごちゃ混ぜになったような音楽は90年代以降ではよくあるオルタナティブってヤツだけど、彼らが始めた頃はまだアングラなものだったな。
それよりちょっと前の時代、ニューヨークで流行ってたノー・ウェイブという動きがあったけど、ソニック・ユースのはそこまでヒステリックではない感じ。最初はどちらかというとイギリスのオルタナティブ系と呼ばれた音楽寄りだったと記憶するよ。 個人的にはこの初期の頃の方が好きだった。 
こないだ観てきてSNAKEPIPEが記事を書いてくれたマイク・ケリーやゲルハルト・リヒターなどレコード・ジャケットにもこだわったバンドだね。 

この曲は1985年の「Bad Moon Rising」に収録されてシングルにもなった大作。
この頃はまだ大人気になる前のインディーズ・バンドだったにも関わらず映画風のプロモーション・ビデオが作られている。
ゲストの金切り声ヴォーカリストがノー・ウェイブ界の裏女王、リディア・ランチという組み合わせ。
ビデオはカルト宗教っぽい感じがしてかなり不穏な雰囲気の危ないもの。銃社会アメリカだから、この映像はシャレにならんぞ、というリアルさがあるな。 

何だか明るくない系統のものが続いたから最後はあまり毒のなさそうなのにしてみよう。
Allez Allez、綴りは難しくないのにこういうのが一番読めん・・・とずっと思ってたバンドだがディスク・ユニオンによるとアレ・アレというらしい。ではそれでいってみよう。
アレ・アレの「Valley Of The Kings」だ。
「どんだけ英語が苦手なんだよ」と言われそうだが例によって翻訳してみると予想通り「王の谷」。

NHKスペシャルとかで去年くらいやってたピラミッド特集や王家の谷、などと聞くとついつい興味を持ってしまうが、SNAKEPIPEもそういう知的好奇心が豊富なタイプで良かった。
二人の見た目からはすごく意外だけど歴史モノも好きで、王家の谷とはまるで関係ないが「英雄たちの選択」とかも毎回観てるからね。

アレ・アレはリアルタイムでレコード屋ではよく見かけたジャケットだったが、レゲエかアフリカンのような印象があったから、その辺が苦手なROCKHURRAHは素通りしていたよ。
実はアフリカともジャマイカとも関係なさそうなベルギーのバンドで黒人も一人しかいない、それでもアフロとかファンク、ダブという夏向けの曲調でたぶん人気もあったらしい。本格派ではなくてあくまでニュー・ウェイブの一種だったらニセモノ音楽が大好きなROCKHURRAHでも理解できるだろう。
という事でずっと食わず嫌いだったこのバンドのビデオを観てみたら、これがなかなかいいでないの。
バックのメンバーは何だかわからないがバカっぽい派手な動きをしているしヴォーカルの紅一点はこの衣装と姿だったらクールじゃないか?と思わせておきながら結構微妙な表情だし、決して暑苦しくならない感じがいかにもニュー・ウェイブ世代。

今回はかなり遅くなってしまってSNAKEPIPEにも迷惑かけてしまったよ。
次からは下準備して取り掛かるからね。

それではまた、パアラム(タガログ語で「さようなら」)。

20180318 top
【SNAKEPIPEが愛聴していた一枚】

SNAKEPIPE WROTE:

何かの拍子に、突然脳内に音楽が流れることがある。
もちろん知らない曲ではなくて、以前耳にしたことがあるものだ。
そしてその曲は一度記憶の枠から流れ出たのを良いことに、何度もリピートする。
これはイヤーワームという現象で、誰にでも起こることらしいね?

先日のイヤーワームでは、非常に懐かしい曲が聞こえてきた。
1980年代後半に一部でブームを巻き起こした「ネオGS」の代表格とされる、「ザ・ファントムギフト」のデビュー曲「ジェニーは嘘つき」だったのである。
どうして急にこの曲が蘇ったのかは謎だけど、おかげで当時を思い出すことができた。
今回の「ふたりのイエスタデイ」は「ネオGS」について書いてみようか。
とは言っても、「ネオGS」として括られるバンドを総合的に知っているわけではないので、偏りがあることはご了承下され。(笑)

そもそも「ネオGS」って何?と疑問に感じる人が多いのではないだろうか。
1960年代後半に大ブームとなった「グループ・サウンズ」、略してGSの服装をマネたり、曲調を当時の雰囲気にしたバンドが出現してきたのが、前述したように1980年代後半のこと。
流行は繰り返すというけれど、元祖GSから20年経って「ネオ」が発生した、ということになるんだね。
もちろん60年代のGSのような全国区の広がりじゃなくて、恐らく一部の熱狂的なファンがいたようなブームだったと思う。
知ってる人は知ってる、くらいなのかな?

SNAKEPIPEが最初に「ネオGS」を知ったのは、当時アルバイトをしていた新宿伊勢丹でのこと。
今でも新宿伊勢丹は日本国内での百貨店のトップだと感じているけれど、流行を取り入れたり提案していく姿勢は、もしかしたら80年代のほうが上だったのかもしれない。
なんと新宿伊勢丹で、「ネオGS」をバックアップするようなイベントが開催されたんだよね。
伊勢丹の屋上で2日間に渡って、複数のバンドが演奏をするという。
SNAKEPIPEは2日間とも行ったっけ。(笑)
そこで「ザ・ファントムギフト」や「ザ・ストライクス」を知ったのである。
新宿伊勢丹はイベント以外に「ザ・ファントムギフト」のメンバーを伊勢丹のポスターに起用するなど、「ネオGS」に力を入れていたんだよね。
SNAKEPIPEは人の「つて」を頼って、そのポスターをGETしたなあ!
残念ながら今はもう所持していないけど、サイケ文字とメンバーがオレンジと黄緑で彩られた、いかにもGS調のポスターだったんだよね。
開店前の掃除タイムに「ザ・ファントムギフト」の「ハートにOK!」が店内放送で流れていたことは、今でも信じられない感じだしね!(笑)
その曲を載せておこうね。(秒数の関係で途中からの再生に設定しています)

いやはや、懐かしい。(笑)
その頃のSNAKEPIPEにとって「ザ・ファントムギフト」は、曲や演奏よりファッション要素の強さを感じていたので、あまり夢中になることはなかった。
それから少し経ってから、知人に連れられて出かけたライブを観てすっかり虜になったのである。

新宿ANTIKNOCKにはライブの途中で入場したため、大勢の観客が発する熱気が充満していた。
出演者が誰なのかも聞かされないまま会場に入ったので、最初はステージに誰が立っているのか分からなかった。
そのうち出演しているのが「ザ・ファントムギフト」だと気付く。
おや?新宿伊勢丹で観た時とはパワフルさが違っている!
ギターは爆音で鳴り響き、ヴォーカルの声がのびやかだ。
「ザ・ファントムギフト」はライブ・バンドだったんだね。

それ以降、ライブに足しげく通うようになり、「渋谷クラブクアトロ」で行われた解散ライブにも行ったなあ。
「ザ・ファントムギフト」のヴォーカル、ピンキー・青木はGSっぽく王子様のような服装だったのに、後半になるとレザーのバンツなどのハードな服装に変化し、髪も伸びていたよ。
女の子がキャーと叫ぶようなアイドル的なバンドというよりは、むしろ男性が好みそうな音になっていた気がする。
最初のイメージを持ったままの人がいたら、それは少しもったいないかも?
テレビ情報誌「TV Bros」で当時、故・川勝正幸氏が「ネオGSの雄、ファントムギフトの解散ライブは鬼気迫るものがあった」と書いてあったように記憶する。
ものすごく迫力があって行って良かったライブだったからね!
解散するのが残念なバンドだったなあ。

「ザ・ストライクス」も最初に観たのは伊勢丹の屋上だったね。
いかにもビートルズを意識してます、というメンバー4人が揃いのスーツ姿。
音も甘めで、「いい子ちゃん」の感じがしたので、SNAKEPIPEはどちらかというと苦手だったかも。
この印象も、後に変化することになる。
「ザ・ストライクス」も、たまたま観に行ったライブに出演していたのだった。
この時に演奏の上手さ、ノリの良い音に驚き、大ファンになってしまった!
「ザ・ストライクス」は優等生の雰囲気から、ガレージ・バンドに変わっていたんだよね。
ヴォーカルのかわいい声からは想像できないほどの、パワフルなステージに圧倒される。
SNAKEPIPEもノリノリで踊ったなあ。(笑)
「ザ・ストライクス」を最初のビートルズ風イメージとだけ持っていた人は、ライブ観たら驚くだろうね。
当時の映像を載せておこうか。(秒数の関係で途中からの再生に設定しています)

2007年に「ガレージGSとR&E」という記事を書いているSNAKEPIPE。
あっ、もう既に「ザ・ストライクス」についていっぱい書いてるじゃないの!(笑)
GS系の音楽は好き嫌いが別れると思うので、誰にでもお勧めはしない。
ただし、食わず嫌いというのがあるからね、という忠告だけはしておきたい気分かな。
「ザ・ストライクス」は広範囲に受け入れられるバンドだと思うけどね?

「ネオGS」が好きになった後は、オリジナルのGSに興味が出た。
 「グループ・サウンズ」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは「ザ・スパイダース」「ザ・タイガース」「オックス」だよね。
「ザ・スパイダース」はかまやつひろし、堺正章、井上順が所属していたバンド。
「ザ・タイガース」は沢田研二、岸部一徳、岸部シローがいたよね。
失神バンド「オックス」は真木ひでと、赤松愛だよって言っても、もう知らないか?(笑)
SNAKEPIPEも、もちろんその辺りにも探りは入れたし好きな音楽だったけど、のめり込むほどにはならない。
探していってぐっときたのは2つのバンドだったよ。 

「ザ・ダイナマイツ」の「トンネル天国」は「ザ・ファントムギフト」がカバーしていた影響で、曲自体は知っていた。
他の曲を聴いてびっくり!
60年代のバンドとは思えない演奏力、カバー曲選択のセンスなどに夢中になってしまった。
ギター・山口冨士夫のテクニックは他のミュージシャンに影響を与えた、という記載もあったので、全体レベルが高いバンドだったんだね。
今聴いても全く古臭さがないと思う。
いわゆる「GS」としては、すぐに名前が出てこないバンドかもしれないけど、通好みの本格派R&Bを聴かせてくれるよ!

「ジャックス」と検索するとクレジットカードのジャックスがヒットしてしまう。(笑)
バンドの「ジャックス」だからね!
Wikipediaによると「日本のサイケデリック・ロック・バンド」だって。
一番好きな曲「堕天使ロック」を載せてみたけど、大江健三郎の「見るまえに跳べ」にインスパイアされた歌詞は文学的で、歌い方は演歌調。
バンドの「怒髪天」より先にR&E(リズム&演歌)をやってる感じだよね。(笑)
ヴォーカルの早川義夫が怪しい雰囲気で、いかにも60年代的!
かなり濃い目のキャラクターだね。
どうやら「ジャックス」は活動していた時には、ほとんど支持されなかったらしい。
「ザ・スターリン」の遠藤ミチロウが影響を受けたと語っていたり、「ザ・ファントムギフト」も「ジャックス」の「いい娘だね」をカバーしてたっけ。
暗くて情念的な部分があるので、好き嫌いが分かれそうなバンドだけどね!
そう言えば「いかすバンド天国」に出た「ザ・ゴールデン・エッグス」、ライブ観たことあるんだけどね。(笑)
「ジャックス」の完全コピーやってたね。
全部一緒に歌ってしまったSNAKEPIPEだよ!

「ネオGS」では他にも「ザ・コレクターズ」や「ヒッピー・ヒッピー・シェイクス」など、人気のバンドがたくさんあったね。
未だに活動しているバンドもあるし、再結成ライブやってる情報もあるね。
今でも行ってみたいとしたら、やっぱり「ザ・ファントムギフト」と「ザ・ストライクス」かな。
ROCKHURRAHが一緒に行ってくれるかどうか?
そこが問題かな。(笑)

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【これらの者どもが映画で大暴れ】

ROCKHURRAH WROTE:

何回かブログ記事にも書いてるように本日、3月4日はSNAKEPIPEの誕生日でウチにとっては記念日となる。
おめでとう、SNAKEPIPE。
さらに3月6日は尊敬するミステリー作家、鳥飼否宇先生の誕生日なのだ。
おめでとうございます、鳥飼先生。
ついでと言っちゃ何だが3月5日はROCKHURRAHの兄の誕生日、おめでとう。

メデタイ日が続くという事で今週のブログはハッピーにまつわる曲を選んで・・・おっとっと、それは既に1月に書いてしまっていたよ。
では今回のはハッピーともバースデイとも関係ないけど、「映画の殿」にしてみよう。
このシリーズ企画「映画の殿」をROCKHURRAHが書くのも久しぶりで最後に書いてから2年くらいは経ってるみたいだね。

そもそも感想文みたいなのが非常に苦手なROCKHURRAH。
映画について素直に書くよりも、映画の中でかかった80年代ニュー・ウェイブについて、とか本筋とは関係ないところばかりに着目して今まで記事を書いてきた。
しかし好きだった曲がたまたま映画の中で使われるなんて、確かにそうそうある出来事じゃない。
偶然見つけたらメモっておいていくつか貯まったら書くという手法だから、そりゃ記事数が少ないのも当然だとは思うよ。

今回はパンクやニュー・ウェイブのミュージシャンが演奏シーンでもドキュメンタリーでもなく、役者として登場する映画を軽く書いてみようかな。さて、どんな名演技が飛び出してくるのか?

ROCKHURRAHが知る限り最もリアルタイムでパンクのミュージシャンが登場した映画はデレク・ジャーマン監督の「ジュビリー(1978)」だと思う。

元々はケン・ラッセル監督の下で働いてたという経歴を持つデレク・ジャーマン。
ケン・ラッセルと言えばイギリスのぶっ飛んだ映像で知られる異端監督だった。
ザ・フーのロジャー・ダルトリーを主演にした「トミー」や「リストマニア」などのいわゆるロック・オペラと呼ばれる作品でよく知られているね。
ROCKHURRAHはリック・ウェイクマン(イエスのキーボード奏者)による「リストマニア」のサントラを所有していたが映画の方はなぜか未見。

で、別にケン・ラッセルの下で経験を積んだからという因果関係はないだろうけど、このデレク・ジャーマンもパンク世代でパンク・ミュージシャンが出て来る映画を撮ったので、誰かが両者の映像美やエキセントリックさを比較した文章でも書いてないかと探したんだが、うーん、まるで期待したようなのは出てこないなあ。

デレク・ジャーマン作品は例えば80年代に読んでた音楽雑誌「フールズメイト」などでもちょっとした特集記事になるほど、ニュー・ウェイブ世代では比較的知られた監督だった。何で映画雑誌じゃなくて音楽雑誌で?と思われるかも知れないが、作品の音楽にややマニアックなミュージシャンを起用したり、プロモーション・ビデオを撮影したり、音楽にもこだわった映画監督であったからだ。
監督自身もゲイであり(エイズで亡くなった)LGBTの世界でも有名な人。

そこそこ文化的な街の品揃えのあるレンタルビデオ屋(まだDVDやブルーレイが主流になる前の時代ね)だったらコーナーがあるくらいのネームバリューだったけども、今現在はどうなんだろう?
この手の映画っていつもそうなんだけど、一番観たかった時には映像ソフト化されてなくて、忘れた頃に「遂に初DVD化」なんて事になって需要と供給の時期に大きな隔たりがあるのが常だよ。
「ジュビリー」がいつDVDになってたのかは知らないが、これを本当に観たかった時じゃないのは確かだと思う。
ちなみにSNAKEPIPEはかなり昔に劇場で観たらしいけどROCKHURRAHが最初に観たのはいつの話だろうか?全然記憶にないんだよね。

エリザベス1世が魔法の力で未来(1977年頃の英国?)にやってきてパンクでアナーキーな荒廃した世界を見て嘆く、というような大筋なんだけど、え?簡単すぎ?
実は途中で眠くなるような部分もあって、ストーリーの詳細まで覚えてないのだ・・・。それで特集しようと思う自体が無謀か。

エリザベス1世の生まれ変わりだと思われる暴力的な女(左の写真:後列のサングラス)とその一団のワルな女たちがメインで話が進んでゆくんだが、その中で主役級なのがジョーダンとして知られているパメラ・ルーク(左の写真:一番右)だ。

マルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドがロンドンで営んでいたSEX、セディショナリーズというパンク・ショップ、そこの名物カリスマ店員だったのがジョーダンらしいが、見てきたわけじゃないので詳細は知らない。
その店にたむろしていた中からセックス・ピストルズが出てきてロンドン・パンクが「単なる街の若者の流行」だけじゃなくなった時代の変革期、メディアに登場しまくったジョーダンの役割は大きかったんじゃないかな、と想像するよ。
彼女の髪型やメイク、ファッションを真似てロンドン・パンクの派手で過激な部分が出来上がったんだろうかね。
このジョーダン、初期アダム&ジ・アンツのマネージャーをやってたらしいが映画の中では演技もするし歌も踊りも披露して、存在感も抜群。
この顔立ちから想像も出来ない「意外な事にぽっちゃり体型」というアンバランスさも際立ってるな。なぜモデル体型になれなかったのか謎だよ。

この女軍団の中で一番やんちゃな役割を演じていたのがトーヤ・ウィルコックス(上の集合写真:真ん中のオレンジ短髪)だ。
キング・クリムゾンのロバート・フリップの奥さんとしてプログレ界では有名なんだけど、元々は1970年代の終わり頃、つまりパンクからニュー・ウェイブへの変換期にデビューした歌姫。
イギリスでは大ヒットしたシンガーで日本でもそこそこの人気と知名度もあったんだが、この映画の中ではまさにパンク真っ盛りのぽっちゃり娘でビックリしたもんだ。目つきは一緒なんだけど顔や体がコロンコロンじゃないか?
トーヤはモッズ映画として名高い「さらば青春の光」でも熱演しているがこの時もやっぱりぽっちゃりんこなんだよね。
ROCKHURRAHが知ってるニュー・ウェイブ時代のトーヤはもっとほっそりしてたはずだが・・・。
なぜ短期間にモデル体型になれたのか謎だよ。

意外なところでは80年代にベルギーのクラムド・ディスクなどからレコードを出していたハーマイン(上の集合写真:後列の横向き)がこんなパンク映画に出ていたので驚きだよ。
ニュー・ウェイブ世代のフレンチ・ミュージックみたいな感じの音楽をやっていてニコのソロっぽい雰囲気もあった。同時代のクレプスキュール(同じくベルギーのレーベル)などで活躍したイザベル・アンテナやアンナ・ドミノなどと比べると知名度も低く通好みだったな。
ROCKHURRAHが北九州から上京した頃は渋谷のアフタヌーンティーで友人が働いてて、その友人の同僚たちとも少しだけ交流があった。店内のBGMで流すようなのがそれこそ上記のクレプスキュール系やチェリーレッド(というレーベルがあった)系などのあまり自己主張しないようなネオ・アコースティックっぽい音楽だったのを思い出す。ハーマインもそういう流れで知ったアーティストだったな。
そんな80年代当時のおしゃれ系アーティストだったハーマインにもパンクやってた時代があったというのが驚きの理由だ。
5人の美女軍団の中では最も目立たなく、いつもアイロン掛けや拭き掃除をしてるという意味不明の役どころ。目立たないからなのか役名「Chaos」が頬に書いてあるので人名が覚えられないROCKHURRAHにとっては非常にわかりやすかったよ。なぜか劇中で綱渡りまで披露してくれるがそのココロは不明。

熱演というほどもなく、出てきてあっさり殺される役ではチェルシーのジーン・オクトーバーもいかにも「らしい」出演だね。
日本ではあまりレコードが出てない(この辺あまり調べてないから記憶のみで記述)から知らないパンク・ビギナーもいたはずだが、ごく初期にはジェネレーションXのビリー・アイドルやトニー・ジェイムスも在籍していたロンドン・パンクの大御所バンドだったのがチェルシーだ。
ジーン・オクトーバーの鬱陶しいまでの不敵さ、アクの強さやゴリラ顔もあって、バンドとしての存在感だけは抜群だね。
下のビデオのデビュー曲「Right To Work」や80年代になってからの「War Across The Nation」とかは個人的に今でも愛聴してる名曲だよ。

鬱陶しいインタビューが見たくない人は2分05秒くらいから見てね。
安っぽいビニールみたいなライダースとこのごつい顔で歌う代表曲がこれ。
パンクの中で強そうな人物と言えばストラングラーズのジャン・ジャック・バーネルを筆頭にシャム69のジミー・パーシィ、アンチ・ノーウェア・リーグのアニマルなどが思い浮かぶが、ジーン・オクトーバーはどうだろうか?パッと見は粗野なふるまいと顔立ちなんだけど、大口の割には意外と弱そうな気がする。物流系とかでも見た目はいかにもなのに大した事なくて粗野なだけ、というタイプがいるからね。
動きを見ていると脇のあたりにスキがあるような・・・などと格闘技評論家には言われてしまいそう。 

熱演はしているが出てきてあっさり殺されると言えば、ウェイン・カウンティも忘れちゃならない大役だね。
ニューヨーク・パンクが誇るドラァグ・クイーンで後に性転換して本気の人になるけど、この頃はまだエレクトリック・チェアーズという物騒な名前のバンドを率いてた。
後にスキッズのドラマー、さらにガーデニング・バイ・ムーンライトをやってたJ.J.ジョンソンもこのバンドの出身だね。
パンクとは言ってもロンドン・パンクとは違ったテイストを持つニューヨークのパンク。
その中でニューヨーク・ドールズを思わせるような毒々しいロックンロールで独自路線を築いたウェイン・カウンティが、なぜロンドン・パンク満載のこの映画に出てたのかは不明だ。
ロンドンが勝ってニューヨークが負けた、などという短絡的なものじゃないだろうけどね。

映画ではTVに映る演奏シーンと自分が出演するTV観ながら歌うようなシーンがあったが、その曲ではなく初期の代表曲を挙げてみた。鼻にかかった声とコミカルなパフォーマンス、行って楽しいライブなんだろうね。

「ジュビリー」に登場したパンク・ロッカーの中では最も大役だったのが若い頃のアダム・アントだろう。
アダム&ジ・アンツはニュー・ロマンティックの時代に海賊ルックで大ヒットしたアイドル系バンドの印象が強いが、アダム・アントは元々は(後の)ヴァイブレーターズのメンバーなどと一緒にバズーカ・ジョーというパブ・ロックのバンドをやっていたらしい。
このバンドは音源として残ってないのかな?
詳しい事はちょっとわからなかったが、パンク・ロッカーとして名高い人たちにも当然、パンク以前の時代があるという事だね。
アダム&ジ・アンツを結成した初期の頃は結構変わり種のパンク・バンドとして知られていた。
「Young Parisians」などはシド・バレット(ソロの時の)みたいな曲調でアダム・アントのルーツが垣間見える名曲だが、パンク時代の大衆には受けそうもない要素が満載。デビュー曲からこんなんでいいのか?とこっちが心配してしまうよ。
ちなみにジ・アンツの初期メンバーとアート・アタックスというパンク・バンドのメンバーが合わさってモノクローム・セットの原型が出来上がったというから、意外なところで意外な人脈がつながってるもんだね。 

映画の中でアダム・アントは、まだあどけなさの残る容姿でパンク・スターを目指すような役どころだったが、出演時間の長さの割にはセリフも少なく、無気力なのかナイーブなのかはにかみ屋なのか、とにかく何考えてるかわかりにくい青年を演じた。
役柄の性格のせいであまり熱演っぽくは見えないよね。
最後には警官二人に暴行を受け、生死がよくわからないままフェイドアウトしてしまう。
その損な役柄の褒美(?)としてなのか、ちゃんとした演奏シーンがあるのは嬉しい。

その他、ほんの意味不明のチョイ役でスリッツのメンバーらしいのもちょっと出てくる。嬉しそうに車を破壊するだけのシーンでパンクのデストロイを表現したのか?どこに出演してるのか探すのに苦労したよ。
さらに探すのに苦労したのがスージー&ザ・バンシーズだ。劇中でアダム・アントが眺めてるTVの中で演奏シーンがちょっと映るだけ、これで出演者と言えるのかいな?

これだけのメンツが出てきて、パンク好きとしては大満足、といいたいところだけど、何だかよくわからないシーンも多く説明不足の感があるのは確か。
この監督で最もわかりやすくてキャッチーな映画がこの「ジュビリー」だと思えるし、きっちりしたストーリーを追うタイプの映画ではないからまあそれでいいのかな。

以上、映画のテーマや内容については全く語ってないが、こういうのがROCKHURRAH流のアプローチだと思ってけれ。

実はこの後、もう一本別の映画について語ろうとしてたんだけど、今週はもうこれで時間切れとなってしまった。また別の機会があったら他の映画も特集してみるからね。

それではまた、ド・ヴィゼーニャ(ポーランド語で「さようなら」)。