Monthly Archives: 5月 2010

【ゆかりのあったレコード屋の袋やロゴたち】

ROCKHURRAH WROTE:

前回同じタイトルで其の二を書いたのが去年の11月末。何と半年も経ってしまったがまだやるのか?と本人さえ呆れてしまうこの企画。寝たきりでネタもないというわけじゃないんだが、パンクやニュー・ウェイブが最も輝いていた時代のレコード屋、そしてレコードを探しまくった青春の日々、インターネットがまだ普及しない時代の音楽好きの努力、それらを書き留めて我が忘備録としよう・・・なんて事は全然考えてない。
ただ「ああ、こんなレコード屋あったなあ」と一人でも思い出してくれる人がいればそれでいいのだ。

かつてROCKHURRAHのパンク&ニュー・ウェイブのネタ帳はVOLUMEという電話帳みたいな洋書だった。要するに世界各国のニュー・ウェイブ系バンドのメンバーとかレコードのリリースとかが紙のデータベースとなっていてお目当てのバンドを検索したり出来るもの。毎年刊行されているのかは不明だったが解散したり消えてしまったバンドはそのままデータが残り、新しく増えてゆくバンドはどんどん載っけるという方針の本だから例えば1984年度版は1982年度版より三倍くらいの厚さになっているというシロモノ。ちょっと考えればわかりそうなもんだがこの方針で毎年刊行してゆくとどんどん分厚くなってしまい、常識では考えられない重さとなる。編集者や発行者は「世界一の音楽データベースを作ってやる」というような意気込みで分冊にするなど思ってもみなかったのだろうか?これまたパンク的な発想かな。
まあそういうニュー・ウェイブ辞書みたいなものを毎日のように眺めて「このバンド聴いてみたい」と思ってレコード屋巡りをしていたわけだ。

どこまで書いたっけ?前回はかつての「全国レコード屋MAP」みたいに土地の括りで書いたけど、実は分類するの苦手なんで、今回は気の向くまま思い出すままにいいかげんに書いてみよう。

MODERN MUSIC
明大前なんて他に用事ないから最後に行ったのはいつだったか?世田谷代田に住んで下北沢を生活の拠点にしていた時代は近所だったためよく行ってたのを思い出す。当時は実行した事なかったけどもしかしたら自転車でも行けたかも、という距離。
ここはアングラなロックやアヴァンギャルド関係は充実していたが個人的に不要のコーナーも多くて、この店を100%堪能した良い客とは言えなかったな。なぜかすごいプロレス好きの常連がカウンターを占拠しているので買いにくい店でもあった。什器から取り出すのに苦労するほどパンパンにレコードが詰まっていたなあ。がしかしモノクロのNICOの袋を多数所持していたという事は結構買ってたんだろうね。
このレコード屋の思い出はここまでなんだけどModern Musicという言葉について独白してみたい。高校の修学旅行は沖縄だったのだが、その直前にビーバップ・デラックスの「Modern Music」を聴きまくっていて、沖縄=「Orphans Of Babylon」や「Honeymoon On Mars」という彼らの曲がいつでも頭の中のBGMとして鳴り響く。全く関係なさそうなのにこの条件反射が一生ROCKHURRAHには付き纏ってゆくのだろうな。それこそ他の人には全く関係ない個人的な関連付けでした。

パテ書房
ちょっと前にSNAKEPIPEが国分寺の超山田堂について書いた時にROCKHURRAHの談話として店名を出してもらったが、大昔に恵比寿付近にあったのがこの店。東京に出てきたばかりの頃に土地勘も全くなくて苦労しながら行った覚えがある。あの頃ははじめてゆくレコード屋に対する期待が大きくていつでもワクワクしてたもんだ。そして後年になってROCKHURRAHは茶沢通り(三軒茶屋と北沢を走る狭い道)沿いにある中古ゲーム屋の店長になった。同じ店の店員でパンク、ニュー・ウェイブ、サイコビリーなどに詳しい男がいて、その子は池ノ上(下北沢の隣駅)に住んでいた。で、その子の情報で池ノ上に怪しいレコード屋があるという事を知ったんだが、それがこの店との再会だったわけ。詳細な記憶はほとんどないんだがここもまたアングラな系列で書房というだけあって本もレコードもマニアックなものが多数あったはず(たぶん)。
店主とおぼしき人物、なぜか客が入ったらサングラスをかけて腕組みしながらこちらを睨んでいる、というような事ばかりが印象に残っている。実はROCKHURRAHもずっとサングラスで客商売していた人間だからそういう事に関しては特に偏見はないんだけれど、一般的な客だかひやかしだかわからない者にとっては敷居が高い店なのは確かだろうね。雰囲気は全然違うけど前に京都にあった(今もあるのか?)伝説のアスタルテ書房をちょっと思い出してしまった。敷居が高いというよりは店内に入るのに勇気がいる店という点でね。

ZEST
当時の渋谷は東急ハンズの坂道を下ったところにタワーレコードがあったように記憶する(かなりうろ覚え)。この辺の量販店は基本的に行かないし注目した事なかったので記憶違いは許して。ZESTはその横の方にあるビルの上の一室だった。マンションの部屋がそのまま店舗になったような雰囲気で、ここも渋谷に行った時はよく訪れた場所だった。非常に狭い店だったな。スコットランドでギターポップ初期にポストカードという有名なレーベルがあったのだが、そこのマークと同じ猫をトレードマークにしていた。当然、得意分野はギターポップやネオアコだと思えるがそればかりとも言いきれず、壁にはドイツの重量級デジタル・パンクの雄だったTommi Stumpfのジャケットが飾られていたというような時期もあった。時代的にはネオアコ&ギターポップとノイズ&インダストリアル&ジャンク系(カオス系とも言われていたな)とかは同時期に発展したという事もあって、両方のニーズを満たす店ならばそういうのもアリだったのかもね。この店でかなり買ったとは思うがどういう系統を買っていたのか思い出せない。

CSV
同じ渋谷の「たばこと塩の博物館」隣くらいにこの店はあったような気がする。いかにもメジャーな店構えとレコード屋なのがわからない店名、カンマ区切りテキストじゃないの?しかし置いてるレコードはなかなかマニアックでさすが東京の文化は高いのう、と田舎者だったROCKHURRAHは思ったものだ。大昔に代々木にあった前衛的プログレの殿堂イースタン・ワークスがルーツらしいが、随分イメチェン(死語)した印象。場所柄、サブカル文化人(嫌な言葉)や有名人もよく見かけたという噂も聞く。しかし、かなり短命なレコード屋だったし、そもそも渋谷があまり好きじゃなかったので数えるほどしか行った覚えはない。大晦日にオールナイト・セールやってた時に行ったような記憶があるが袋も覚えてないし、買った事なかったのかもね。

思い出のレコード屋特集というような趣旨で書き始めたのに文章読み返してみると何だかちっとも思い出らしくないな。レコード(モノ)にもレコード屋(場所)にも愛着はあるのに結局はそこにいる人たちと個人的なつながりが全くないからなんだろう。「あんな店で働けて羨ましい」とかそういうネガティブな気持ちばかり持っていた若い頃の自分に問題があったのか?。向いてないからあまり自分の事を分析したり考えたりするのは止めよう。
さて、次回があるのかどうかは本人の気分次第。書きたくなったらまた書いてみよう。

【お線香の束を手にする岩井志麻子と傷を確認している内田春菊】

SNAKEPIPE WROTE:

何年前のことだっただろうか。
何かお薦めの本ない?と聞いたSNAKEPIPEに「こういうの好きなんじゃない?」とROCKHURRAHが手渡してくれたのが岩井志麻子の「ぼっけえ、きょうてえ」だった。
ヘンなタイトル、と思いながら読み進めるとその毒の強さに圧倒されてしまった。
いわゆる禁忌の部分に触れた、おどろおどろしい猛毒小説だったのである。
しかも全編岡山弁だけで綴られている。
そのおどろおどろが岡山弁になると更に効果倍増、怖い、怖い!
4つの短編からなる「ぼっけえ、きょうてえ」は強烈な印象を残し、それ以降の岩井志麻子の小説をほとんど全て読んでしまったほどファンになったSNAKEPIPE。
残念なのは「ぼっけえ、きょうてえ」よりも強い毒を持った小説にはお目にかかれなかったことかな。

その「ぼっけえ、きょうてえ」が映画になっている、と知ったのは随分前のことだ。
調べてみると2005年とのことなので、もう5年も前になる。
アメリカ映画で日本では公開の予定もDVD発売の予定も未定、なんてことだったので非常に悔しかったように記憶している。
「映画は鑑賞不可能」と勝手に思い込んでしまったまま時は流れ、簡単に手に入ることが分かったのはつい先日のことだ。

「マスターズ・オブ・ホラー」(原題:Masters of Horror)というアメリカのテレビ用オムニバスシリーズで、世界の13人のホラー映画監督の中に唯一日本人として参加した三池崇史監督。
ホラー好きのROCKHURRAHにはよだれタラタラの監督が揃い踏み!
そんな世界のホラー界の巨匠に並んで選出されるとはすごいね、三池監督!
そして三池監督の作品が「インプリント〜ぼっけえ、きょうてえ〜」(原題:Imprint)。
あの岩井志麻子の原作をどこまで映像化できるのか、期待しながら鑑賞したのである。

映画が始まりすぐに日本人に混じって見慣れぬアメリカ人が登場。
これはきっとアメリカ映画のため、そして全編英語のためか。
原作には出てこない人物のためちょっと戸惑いを覚える。
そして映画開始後5分もしないうちに女の土左衛門が出てくる。
このあたりの雰囲気は非常に原作の「おどろおどろ」を上手く表現してるな。
そんな死を感じる川を通って遊郭に行くあたりも志麻子風。
遊郭の様子はちょっと過剰なまでの「和テイスト」を盛り込んでいるため、外国人の目から見るとよりエキゾチックに映ることだろう。
ロケ地はほとんど日本国内だったようだけれど、異国情緒溢れた雰囲気が出ていたのはやっぱり色彩とセリフが英語だったからだろうか。
赤の色がよく表現されていたように思う。

映画全体の中で一番インパクトが強かったと思うのは拷問シーン。
原作にも書いてあったけれど、女が拷問したほうが惨たらしいんだって?
女郎が女郎を拷問する。
みんな赤い髪に赤い着物を着て、同じ色の女を皆で責める。
その拷問執行人代表として登場するのが、なんと原作者の岩井志麻子ご本人!
初めはお線香の小さい火を肌に当て、次には15本くらいの束のお線香になり、ついには針で拷問をする。
その一つ一つの道具を愛しむような目つきでゆっくり見てから、
「ごめんなさいね、お線香ちゃんが言うこときかなくて。」
なんて感じのちょっと困った笑みを浮かべながら、でも嬉しそうに拷問していく志麻子女史。
ハマリ役過ぎ!(笑)
工藤夕貴にも根岸季衣にも負けてない存在感!
これだけでもかなりの見ものだと思う。

アメリカ人の登場以外はかなり原作に忠実に作られた映画だった。
特別大幅に脚色された部分はなく、その意味では安心して観られた。
ただ、それが逆にアメリカでは問題だったようで。
放映禁止になってしまったとは残念である。
昔の日本の風習と海外の宗教では事情が全く違ってくるので、それを理解してもらうことは難しいのかもしれないね。

今まで三池監督の他の作品はあまり観たことがないように思う。
そのため前述の「世界のホラー映画監督13人」に選出されるほどの実力とは知らなかった。
調べてみると三池監督ってものすごい量産型!
1年に何本も撮影、漫画や小説が原作の様々なジャンルを手がけているようだ。
先日たまたま観たのが「ビジターQ(2001年)」で、これも三池監督の作品だったのである。

実験映画のような雰囲気で始まる「ビジターQ」は映像が粗く、音声も良く聞き取れないようなホームビデオ感覚にちょっとびっくりする。
父親と娘、母親と息子と出演者が揃い、ある一家の物語なんだなとわかってくる。
そこに不思議なくらい当たり前のように家に上がりこんでくる第3者、ビジターの登場である。
その他数人の出演者はいるけれど、主要な人物は家族4人とビジターだけ。
ほとんどが家かその周りの場所だけを使った映画で、その意味ではこじんまりしている。

この映画でのインパクトはなんといっても母親役の内田春菊だろう。
えっ、内田春菊って女優だったっけ?
80年代に一世を風靡した女流漫画家として記憶していたSNAKEPIPEが勘違いするのも仕方なかろう。(笑)
小説も書いてるし、女優もやっていたとは驚きね。
しかもこの映画の中では堂々とヌードまで披露!
調べてみると当時40歳くらいだったのかな。
とても勇気のある体当たり演技だったよ!

映画はジャンルでいうとカルトになるのかもしれないね。
かなりB級度が感じられ、ストーリーに飛躍があり、常識では考えられないような事象が発生する。
映画の印象としては以前このブログで紹介したことがある「逆噴射家族」のような雰囲気か。
SNAKEPIPEの勝手な解釈ではテーマは「大きな母の愛」なんだけどね。(笑)
プロセスはどうあれ、結果オーライだったからハッピーエンドということで良しとしようか?(笑)

三池監督にはまだまだカルト的な映画やホラー映画があるようなので、観てみたいと思う。
機会があったらまとめてみようかな。

【この場所に行ってみたい!塔の中に入ってみたい!】

SNAKEPIPE WROTE:

今回のSNAKEPIPE MUSEUMはイタリア人の画家キリコを取り上げてみよう。
とは言っても、別に批評家の真似事をしたいわけではないので軽く感想をまとめるってことだけどね!

キリコのイタリア広場を描いた作品は、全部というわけではないけれどシンメトリー構造になっていることが多い。
これは恐らく意図的に作られた構図なんだろうし、キリコの好みなんだろうね。
その左右対称具合がなんとも心地良く感じられる。
そしてイタリアならではの色使い。
オレンジ系の配色が得意なのかな。
上の絵はかなり影の部分が広く、イタリアンカラーは控え気味になっているけれどやっぱりオレンジ系から派生した色になっている。
空の色とのバランスも素晴らしいよね!

そしてなんといっても上の絵の最大の魅力は中央にある建物だろう。
小さな窓、そして右に見える戸口。
先端のギザギザした王冠みたいな部分。
廃墟好きのSNAKEPIPEには、全てがヨダレが出るほど好みである。
一体何のための塔なんだろう。
中で何が行われてるんだろう、と想像するだけでワクワクする。

キリコは風景画だけじゃなくて人形(マネキンとかトルソー)もたくさん描いていて、それらの作品も大変魅力的!
ただこのブログに書きたいと思ったのはやっぱり風景の絵だったんだよね。
何故ならキリコの風景画は写真的だから。
SNAKEPIPEもこの広場にいたらシャッター切りまくると思う。
ここまで下の影の部分を入れるかどうかは不明だけどね。
多分塔に興味があるからどんどん近づいて撮るだろうね。
写真の場合は特に光と影に関心を持つと思うけど(そうじゃないと撮れないし)、ここまで影に情熱を傾けて描く画家って少ないんじゃないかな。
そうね、「キリコはオレンジと影の画家」って言い切っちゃってもいいか。
オレンジ色の憎いヤツ、ね。(古い)

何年か前にROCKHURRAHと出かけた「デ・キリコ展」、確か移転前の東京大丸だったかな。
あまりキリコを知らないと言っていたROCKHURRAHも「面白い!」と大絶賛。
絵画だけじゃなくてキリコの絵でおなじみの騎士がブロンズ像になっているものも展示されていて、
「ウチに欲しいよね」
と話したのを思い出す。
当然のことながら図録とポストカードも購入してホクホクしながら帰ったっけ。(笑)
キリコは構図、色使い、テーマと全てにおいてバランス感覚に優れた画家なんだな、と再認識したあの時。
理屈じゃなくて感覚で大好きだな!
またどこかでキリコ展あったら観にいきたいと思う。

【鳥飼先生の作品をイメージしてSNAKEPIPEが制作。ハート型の水たまりが印象的】

ROCKHURRAH WROTE:

今年のゴールデン・ウィークは人並みというかROCKHURRAHとしてはかなり長い、まるまる一週間という連休が取れて久しぶりに時間を気にせずゆったりと過ごせた。
後半には近場ではあるが最近毎年恒例となっている潮干狩りに出かけたんだが、これが「熱中症に注意」などという天気予報のコメントとは大違い。おそろしい強風と予想外の寒さでとてもじゃないがゆっくりのんびり行楽を楽しむどころではなかったのだ。
去年の潮干狩りがかなりの暑さだったために(当ブログ「アサリであっさり機種変更」参照)ROCKHURRAHもSNAKEPIPEも「海岸は風も強くて寒くなる」とは思いつつも油断した服装で大失敗してしまった。「さ、寒い!」という感想しか出てこない。
二人ともゴアテックスや保温力抜群のミリタリーな上着を持ってるのに海岸は薄着だったわけで、肝心なところで全く活用してないなあ。
寒さで震えながら長蛇のトイレ船に並ぶROCKHURRAHはアサリもさっぱりという具合。それでも負けずに黙々と掘り続けたSNAKEPIPEはまあまあの戦果、二人合わせて何とか人並みというところか。久しぶりのアウトドア、とても楽しかったけどね。

さて、前置きとは全然関係ない事をこれから書こうと思うんだがタイトルとは少しだけ関係あるかな?今年一月の発売日に素晴らしい奇跡的な出来事があって二冊も同時に入手したというROCKHURRAH家の家宝「このどしゃぶりに日向小町は/鳥飼否宇 著」について書こうというのだ。「一月に入手して何で今頃?」とタイムリーではない展開にほとんどの人が疑問を抱くことだろう。何度かこのブログでも紹介(?)しているし、鳥飼先生自身からもコメントを頂いたという大変に光栄な出来事もあった。なのにこの遅過ぎた感想文、推敲を重ねてこの時期になったわけでもないから自分でも情けない。
前置きは長いが肝心の感想は短いかも知れないと竜頭蛇尾気質を心配しつつも何とか書いてみよう。

「このどしゃぶりに日向小町は」は鳥飼先生の長編小説で架空の都市、綾鹿市が舞台となったものだ。2003年に発表された短編「廃墟と青空」に登場した伝説のロックバンド鉄拳の元メンバーが20年ぶりに集まるという話で2004年に発表された長編「太陽と戦慄」の主人公も登場する、鳥飼先生のファンならば大喜びという内容だ。

ウチのブログを詳細に毎週読んで下さる方はほとんどいないと思えるので過去に書いた事と重複するのだが、先生の作品を未読の人のために予備知識を少しだけ。
70年代プログレッシブ・ロックを知る人ならばすぐにピンと来るこのタイトル、「太陽と戦慄」はもちろんキング・クリムゾンの傑作が原典だし「廃墟と青空」は一般的にはあまり知られてはいないがドイツの実験的音楽集団ファウストの4thアルバムの邦題そのまんま。そう(ファー)、鳥飼否宇先生と言えばミステリー界きってのプログレ&クラウト・ロック&ノイズ&アヴァンギャルド・ミュージックのマニアックな文章で有名な作家であり、それが他の作家とは決定的に違った個性なのだ、と個人的には思える。ミステリー・マニアを自負する人でもこの手の音楽に造詣が深くなければちりばめられたもう一つの謎解きは出来ないという寸法。簡単に言ってしまえばほとんどの登場人物は実在したバンド・メンバーのもじりというわけで、ミステリーのみの人なら「けったいな名前」という感想くらいしか出て来ないはずだが、この手の音楽好きの人ならニヤリと(時には爆笑)するに違いない。この辺の謎解きに関してはウチのブログのアレコレで確認してみて。

さて、その「廃墟と青空」に出てくる伝説のバンド鉄拳とは、もちろんナムコの「鉄拳シリーズ」などではなくファウスト=拳骨というドイツ語の意味を換骨(拳骨)奪胎したものだ。
その鉄拳のメンバーもファウストのメンバーをモデルにしたのは明らかで
入村徹/Hans Joachim Irmler
出家舞矢(ザッポ)/Werner "Zappi" Diermaier
橋本順子(JH)/Jean-Hervé Péron(の頭文字)
というほとんどそのまんま単刀直入なもの(笑)。
この物語の重要人物ルビーだけが本名が明らかでなく(物語の最後で明らかになるが当ブログでは言えましぇん)途中ナカオスナオなどと名乗るが単刀直入な原典ははっきり分からなかった。Rudolf Sosnaあたりか?「ル」と「スナ」のみだな(笑)。

またバンドのプロデューサーである宇部譲は実際のファウストの仕掛人であったUwe Nettelbeckと伝説の音楽雑誌「ロック・マガジン」を主宰していた阿木譲を掛け合わせたものだろうと推測がつく。ついでに鉄拳のサウンド・エンジニアだった久能来人は当然Kurt Graupner(ファウストのエンジニア)だろうか。

まあこんな人々が主要登場人物で、詳しくは鳥飼先生の傑作「痙攣的」「太陽と戦慄」「このどしゃぶりに日向小町は」という順番で読んで頂きたいのだが、かいつまんで話すならば鉄拳と言うバンドは既成の商業主義ロックを打破するためにその宇部譲が仕掛人となって集められたもの。メンバーのヴィジュアルもプロフィールも性別も不明といった徹底した秘密主義、世間とは隔離された別荘で共同生活をして音楽を創るのだがその奇行や斬新な音楽という風評が先行して一部の音楽マニアに熱狂的に迎え入れられることになる。この辺もドイツの廃校で創作活動をしたというファウストとイメージがかぶるな。この話では天才的ギタリストでジャンキーのルビーが閃き、それに他のメンバーが加わるという形式で幾多の音源が完成する。そして満を持して後に伝説となる唯一のライブが開催され、そこで殺人事件が起こる。

「廃墟と青空」はこの数年後に事件の真相が明らかになるという話だ。秘密主義に守られて正体が不明だったために、事件当時にステージから消えてしまったメンバーがどこへ行ってしまったのか?その謎に肉迫するという構成がミステリーとしても面白く、大好きな作品。「面白そう」と最初に手に取ったのはROCKHURRAHだったがSNAKEPIPEが先に読んで一度でファンになってしまった事を思い出す。

「太陽と戦慄」はまた別の時代、別のバンドの話になるので今回は書かないがロックとミステリー、そしてテロリズムがミックスされた壮大な話でROCKHURRAHは非常に高く評価している作品。

そしてやっと本作「このどしゃぶりに日向小町は」となる。
鉄拳の解散から20年経ったという時代設定のために元メンバーはみんな40代後半となっている。先に書いた天才ギタリスト、ルビーはあまりのジャンキーぶりに病院送りとなっていたわけ(何と20年も)だが、そのルビーの訃報と共に意味不明のメッセージが入村の元に届く。入村は元メンバーと共にルビー死亡の真相を解明するために手紙の送り主、アイダ・サナトリウムに潜入するというような話だ。ミステリー要素もなくはないがどちらかと言えばヴァイオレンス風味のあるサイコ・サスペンスかホラーといった趣がある。
ROCKHURRAHは最近のミステリー事情には疎いし、いわゆる推理小説というのもごく限られた作家しか読んでいない。ただし大正から戦前あたりの探偵小説は割と読んだ方で、この時代は本格的探偵小説よりもむしろ変格と呼ばれた、ある意味ミクスチャー的な一風変わった作品群が大好きだった。中でも敬愛していた作家と言えば・・・。
冒頭にルビーがサナトリウムのベッドで目覚めるくだりは鳥飼先生と同じ福岡出身の伝説的作家、夢野久作の「ドグラマグラ」を即座に思い浮かべる事が出来る。そう言えば「廃墟と青空」の冒頭もボーン、ボーンという柱時計の音。「まるでドグラマグラじゃん」とSNAKEPIPEと語り合った事を思い出す。
夢野久作はそういう探偵小説の時代にデビューしたがちゃんとした探偵が何かの事件で活躍するというような作品は(たぶん)なく、もっと自由奔放な世界で自分なりの探偵小説を開拓した作家だ。

鳥飼先生の作品は生物学やアヴァンギャルド的音楽といったマニアックな世界が重要な要素となっているが、そういうものとミステリーが融合していて独自の世界を創り上げ、そして唐突にカタストロフィが訪れるというギリギリのバランスで成り立っている。そういう意味では現代のミステリーというフィールドよりはかつての「探偵小説」という大雑把で意味不明の括りの方がしっくりくるとROCKHURRAHは個人的に感じた。全然違っていたらすみません。

余談だが「このどしゃぶりに日向小町は」の英題「It’s A Rainy Day, Sunshine Girl」
そして各章のタイトル
「ほんのちょっとばかりの痛み(It’s A Bit Of A Pain)」
「シェンパル・ブッダ(Schempal Buddah)」
「ねえ、なんでニンジン食べへんの?(Why Don’t You Eat Carrots)」
これらは全てファウストの曲名からつけられている。さらに小説中に登場する音響兵器(?)の曲名「ギギー・スマイル」や「ノー・ハーム」なども全てファウストそのまんま、ここまでこのバンドづくしの一篇を書き上げた小説はたぶん他にないだろう。海外ではマイケル・ムアコックホークウィンドのように音楽と小説が密接な関係にあるという例もあるが、この試みはおそらく本邦初と言えるはず。まさに稀有な出来事、などと書くと少し大げさかな?
ROCKHURRAHの今回のブログ・タイトルもファウストの名曲「Picnic On A Frozen River」にちなんでみたのはおわかりだろうか?え、陳腐?

それにしても「廃墟と青空」でははっきりとわからなかった鉄拳メンバーだが、今回は会話や行動により愛着のあるキャラクターとなった。その矢先に、うーむ。この人たちの話をもっと知りたくても、もう叶う事がないんだな。そう思うと寂しい気がするのはROCKHURRAHだけじゃあるまい。

以上、評論も解説も感想文も苦手なROCKHURRAHが鳥飼先生の魅力を伝えるために書いてみました。クラウト・ロックのファンでまだ未読の人がいたら是非読んでみてね。