大人社会科見学—横田基地日米友好祭2010—

【飛んでる画像はウソです。実際撮ったのは右上だけ】

ROCKHURRAH WROTE:

「夏嫌い」と何度も明言していて暑さにも湿気にも滅法弱いROCKHURRAHだが、今年の夏の猛暑は苦痛極まりない。夏はそこまで苦手じゃなかったはずのSNAKEPIPEでさえさすがに参ってしまい、家に帰ると二人ともぐったりという日々が続いている。二人が特別なわけじゃなくて今年は誰でもそうだろうね。
そんな過酷な夏のくせに最も暑かったろうと思えるお盆時期には休みが取れず、少し遅れて短い夏休みとなった。この暑さの中、旅行したり帰省したりはどうせしないつもりだったけれど、せっかくの休みなので近場でもどこか行きたいとは前々から思っていて、そんな二人が考えたちょっとしたおでかけは「そうだ、横田に行こう」というもの。

というわけで8/21と22日の2日間に福生の横田基地で行われた「横田基地日米友好祭2010」というイベントに行ってきましたよ、というだけのROCKHURRAHには珍しい内容の記事が今回のものだ。このブログの愛読者はほとんどいないと思えるから自分で説明するが、その手の記事をSNAKEPIPEが書く事はあってもROCKHURRAHが書いたのははじめての事だから「珍しい内容」というわけだ。

さて、U.S. AIR FORCE 第374空輸航空団の拠点となるのがこの横田基地ということだが、本州では最大の米空軍基地として知られている。
前にも書いたがミリタリーな服装が好きなだけで軍隊そのものや兵器に興味あるわけではない二人だから、軍事おたくなら誰でも知ってるような事もロクに知らない。
今回もそういう方面のうんちくなどは何もないわけで、そういうのを期待して読んでる人はここでやめた方がよかろう。単にここに来れば本場の空軍ルック(言い方変か?)がたんまり見れるんじゃない?と思ったから行ってみただけだ。

強いて書き加えるならば、ROCKHURRAHは幼少期に基地の町で育って、実際に住んでいたのも米軍ハウスだったので、そこの米軍基地イベントは大昔に経験した事がある。そのノスタルジーが常々あったというわけでこの友好祭を知り、行きたいと思うのも当然の流れなのだ。さらに子供の頃はタミヤの戦車や歩兵、ハセガワの戦闘機といったプラモデルをチマチマ作ったりMGCやマルイのモデルガンを撃ちまくったり、火薬とセメダインの匂いがする少年だった。意外と兵器好きな一面もあったなあ、と思い出す。あの頃は何軍とかのこだわりも何もなくて、単に見た目のカッコ良さだけで選んでいたものよ。あらら、もしや今でも全然変わってないのか?

5月のブログでもちょっと書いた通り、ここに二人でやってきたのはごく最近の事。我が家からはかなり遠い東京の西の果てという印象があったから、電車の時間なども調べて前日は早寝してこの日に臨む事に。そして当日は朝の5時に起床という休みの日にはあり得ない早起きをして準備した。ちょっとした遠足気分だね。

この日のためにSNAKEPIPEは久しぶりにTシャツを制作していたんだが、その意気込みの甲斐あって素晴らしいのが出来上がった。本物のベトナム・ファティーグ・ジャケットを解体してTシャツにパーツを移植、ただそれだけじゃなくてパンク的な要素も盛り込んだ独特のミリタリー+パンクの世界を表現したもの。これにブーニー・ハット、ポケットがやたら多いカーゴ・パンツ、HH(ダブルH)のミリタリー・ブーツ、そして仕上げが熱中症&日焼け対策のためのシュマーグ(アフガン・ストールまたはアラブ・スカーフ)といういでたち。個々のパーツへのこだわりはよーくわかるが全体的には何だか得体の知れない迫力あるスタイルとなった。しかも今から行くのは空軍基地であって熱帯ジャングルでも砂漠でもないんだよ(笑)。
ROCKHURRAHもこの日のために、というわけでもなくてTシャツ作ったんだが最近はミリタリーというよりはタクティカル系、あるいはPMC(Private Military Contractor)系のスタイルがお気に入りなので、そういう雰囲気のコーディネイトで出かけた。簡単に言えば民間軍事請負企業が戦地に送り込んだ現代の傭兵スタイル(の真似事)ね。ごつい、暑い、でも抜群に穿きやく頑丈なTAD GEARのカーゴパンツと軽い、見た目が気持ち悪い、でも最高に履き心地が良いBATESのタクティカル・ブーツ、マルチカムのキラー・キャップなどを合わせてみた。ん?もしかしてコーディネート変?そして仕上げはSNAKEPIPEの真似をして買ったシュマーグを首に巻いて、やっぱり何だかわからない不気味な格好と相成ったわけだ。おまけにシュマーグ巻いたせいでせっかく作ったTシャツが全く見えてないよ。
この場違い&怪しい二人で横田基地に乗り込んでみよう。

9時前に横田に着くというのを目標に、必ず座れる電車を選んで眠ってゆこうという計画だ。そしてまんまとウトウトする事が出来てここまでは良かった。しかし朝の9時前だというのに最寄り駅の牛浜は満員の大混雑。初めての参加なのでどのくらいの混雑なのかは予想出来なかったし、漠然と横田基地=広々=周辺も広々という印象があったのにこの牛浜駅前は非常にちっぽけで道も狭い。そこに溢れる人々で朝から熱気ムンムンという状態だ。横田基地のゲートをくぐる際に荷物検査や人相風体(?)チェックがあるとの事なので尚更スムースに進めないのだろう。
何とか苦労して二人とも無事ゲートを通過する事が出来たが、見ればそこかしこにもっと怪しげな奴ら(本物のミリタリーおたく集団)がゴロゴロいるわけで、ROCKHURRAH達の怪しさなどかわいいものだった(笑)。持ち込み禁止のアルコール類を没収されてる現場も見たのでただの形式的な荷物検査というわけでもなさそう。みんなニコニコ笑ってはいるが、本当は怖い米兵。

最近の米空軍が採用しているユニフォームはABU(Airman Battle Uniform)と呼ばれるものでベトナム戦争時代のタイガー・ストライプ迷彩をデジタル化してそれをモノクロームにした(というよりはクリーム×グレーといった色調)ような迷彩柄。
ウチが前に書いたブログ「CAMOのマイハウス」では割愛したけど陸軍のACU迷彩(Army Combat Uniform)、海軍のMARPAT迷彩(Marine Pattern)と共に現代的な迷彩のポピュラーなものだ。
入り口からいきなりその全身ABUにベレーというスタイルの兵士達がわんさか、これはさすがに本場の迫力で、個人的にはこれを見ただけでも来た甲斐はあったと思える。しかし古典的なウッドランド迷彩やドイツのフレクター迷彩が大好きというSNAKEPIPEは特に感慨もない様子で割と冷ややか。確かにそっちの方が色数も多いしデザイン的に優れているとは思うけど。

友好祭とは言っても開放されているのはこの基地のごく一部のスペースだけ。そこにハンバーガーやホットドッグ、ピザというような食べ物の屋台、それにTシャツやキャップといった衣料品を扱うブースが並んでいてアメリカン気分を満喫出来るというお祭りだ。さらに格納庫のような建物が開放されていて、そこでアメリカン・ロックやヘヴィメタルのようなライブが催されるという。今年の目玉はアースシェイカーとバウワウ、うわっ、思いっきり70〜80年代のジャパニーズ・ハードロックがここでは大人気なのかね?今どきの若い兵士はたぶん知らんでしょうというラインナップ。
ハードロックにもアメリカン・ファストフードにも特に興味ない二人だからこの辺は全部すっ飛ばしてTシャツや米軍パッチ(ワッペン)などのブースを視察してみる。全体的にYOKOTA AIR BASEというロゴが入ったものが多く、今日ここでしか買えないといったおみやげ感があるデザインが主流だね。普段はあまり見向きもしないROCKHURRAHだが、珍しく気に入ったデザインのものがあったのでSNAKEPIPE用のと自分用のをそれぞれ記念にと、別の店で買ってお互いのプレゼントとした。センテンス長いな。
パッチ類は思ったよりもマニアックな特殊部隊のものなどが外で買うよりずっと廉価で売ってたのでそれもついでに買った。どさくさに紛れてどこでも買えるようなものも売ってたりする、という印象があったが思ったよりはちゃんとした品質のものが多くて、アメ横よりはマシかもと思える。これは予想外だった。キッズ用のABUなども売っていたが需要あるのかね?衣類に関しては基地内のPXが出店であればもっと興味深いものもあっただろうけど、そこだけが残念(調べたわけじゃないので詳細は不明)。

さらに奥に進むと今回の横田のメインとも言える軍用機の地上展示を間近で見る事が出来る。ここはさすがに戦闘機おたくのカメラ集団がすごくて、誰もが撮りまくり状態だった。近場で見るとやはり迫力あるねえ。
最初に書いた通りROCKHURRAH達は軍用機を見て「ここのシェイプが素晴らしいね」くらいは言えるがメカとしてのスペックなどは全然わからない。F-4ファントムとかF-15イーグルとかまでが何となく判別出来る程度で、それ以降の知識はほとんどない素人なのだ。一部で話題だった最新型の超高級戦闘機、F-22ラプターもあったのか?歩いた範囲内にはなかったし、性能はともかく見た目があまり好きじゃないので、血眼になって探さないという方針にした。まあ詳細はわからなくてもみんな充分にカッコ良い機体なのは確か。楽しむ事は出来る。
その対面では輸送機やヘリなどの展示が行われていて、実際に中に入る事が出来るため大盛況。映画「ブラックホーク・ダウン」でおなじみのUH-60ブラックホークと兄弟分であるSH-60シーホークらしきものがある(これまたそう思っただけで本当は何と言うヘリなのか不明)。コックピット部分を撮影したかったために乗り込んだROCKHURRAHだったが、何を思ったかSNAKEPIPEが気を利かせて窓から顔を出した姿を記念撮影してくれてるよ。何だか小学生とお母さんみたいな一幕だな(笑)。でも今回のいでたちでこういう軍用ヘリに乗った姿は結構本格的に見えて日本人離れしていたかも、と後で自画自賛。

一回り歩いて楽しいひとときだったが緑と言ったら芝生程度で木陰もない、建物の陰や風通しの良い場所は人で満員。全体的にコンクリート部分が非常に多い空軍基地だから予想通り暑いのなんのって。SNAKEPIPEがあまりの暑さに頭痛を訴え、屋内ライブ会場に避難することにした。中は一応直射日光を防げるし、まだ少しだけ座れる場所があったので床に直接体育座りで一休み。いくら楽しみにしていた友好祭でも熱中症で倒れたら悲惨だからね。水分補給してしばらく休むとSNAKEPIPEも回復してきたと言う。本格的な熱中症にならなくて良かったよ。

時刻は昼になろうとしていて、食べ物屋台はどこも行列。入った頃はまだそんなでもなくて高を括っていたんだが、これは何か買うのも至難の技となってしまった。休む前に食べ物と飲み物を買っておけば良かったと後悔してももう遅い。仕方ないからもう一度外の屋台に何か買いに行く事に。うまそうでリーズナブルな店はさすがに長蛇の列、しかしもう選り好みしてる余裕がないからヒマそうな店を見つけてホットドッグとドリンクを買う事に。空腹でたまらなかったわけではなくて食後に頭痛薬を飲みたかっただけなのだ。
格納庫の外側にやっと日陰を見つけて半ば無理やり座った二人。本当は人がいたんだがSNAKEPIPEが一応病人風だったためによけてくれたのか?ホットドッグはソーセージ以外何も入ってないシンプルなもので何と450円。観光地的な物価なのか?いや、200円ハンバーガーなどは長蛇の列で大人気だったわけで、横田基地全体が高いわけじゃない。並ぶのイヤだったから仕方ないよね。

周りの芝生に座ってた人々が米兵に何か言われて次々と退散してゆく。見ればちゃんと拳銃を持ったミリタリー・ポリスか警備員のような人物。芝生に入っちゃいかんよ、というような事らしい。いくらお祭りとは言ってもここは軍施設であり規律正しい組織なのだ。それとなく見張っている軍人も各所で見かけたしね。自分勝手でマナーの悪い人間をもっと追い出してくれよ、MPさん。などと思って、逆にすがすがしい光景だった。

うーん、ありきたりなレポートではあるがかなり長い文章となってしまった。
来年以降にも是非行きたいと思うROCKHURRAHだったが、暑さ対策はしっかりと。当たり前だとわかってはいても充分じゃないんだよね。そしてこれしきの事でへばらないような体力作りが今後の課題かな。
より暑くなると思っていたシュマーグが実は大変役立つアイテムだと言う事がよーくわかった。あれはダテじゃなかったんだね。この記事が元で来年の横田が国籍不明のシュマーグだらけになったらこりゃまた困るけどね。

マン・レイ展~知られざる創作の秘密

【国立新美術館入り口近くの看板】

SNAKEPIPE WROTE:

中学・高校の6年間、SNAKEPIPEが所属していたのは美術部だった。
中学の時はデッサンをやらされたり、毎年恒例になっている行事や「○○のためのポスター」を描かされたりして自分が本当に描きたいと思って描いたわけではなかった気がする。
高校になっても恒例行事に関する義務的な絵を描くことはあったけれど、中学よりは自由があった。
本当に自分が描きたいと思う題材を好きに描いたように記憶している。
随分後になってから、高校時代に描いていた絵が「シュールレアリスム」だったんだと気付く。
幻想的で夢を再現したような、有り得ない光景。
想像したことを絵で説明したい欲求を持っていたようだ。
10代後半からSNAKEPIPEはやっと「自分が本当に好きな美術」についての勉強を自主的に始める。
美術の授業には「シュールレアリスム」についての項目はなかったからね。
「シュールレアリスム」について調べていくと、かなりの数のアーティストの名前がぞくぞくと登場してくる。
ダリ、マグリット、キリコ…。
絵を描くアーティストのほうが知名度が高いかもしれないけれど、高校時代から写真に興味を持っていたSNAKPIPEが気になったのはマン・レイだった。

「マン・レイって誰?」という方のために簡単に説明しておこうかな。
マン・レイ(Man Ray, 本名:エマニュエル・ラドニツキー Emmanuel Rudsitzky, 1890年8月27日 – 1976年11月18日)は、アメリカのフィラデルフィア生まれのユダヤ系ロシア人。
画家でもあり、彫刻家でもあり、写真家でもある。
映画も撮ってるしね。
アートに関することを全部一人でやっちゃった人なんだよね。(笑)
写真、と一口に言っても実験写真(レイヨグラフ、ソラリゼーションなどの技法を使ったもの)からファッション写真、ポートレイト写真など様々。
今でいうところのマルチ・アーティストって感じかな?
だから「マン・レイって何をやった人?」と聞かれると答えるのが大変。
SNAKEPIPEにとっては写真家としてのイメージが強いけど、ROCKHURRAHには画家として認識されてるしね!

なぜROCKHURRAHがマン・レイの絵を知っているのか訊ねてみると
「Skidsのジャケットに使われていたから」
とのこと。
元々このバンドが大好きだったので、その影響でマン・レイにも興味を持つようになったらしい。
ROCKHURRAHの場合は音楽から入ったパターンだね。
もしこのバンドがマン・レイの写真を使用していたら、写真家として認識していたのかもしれないね。(笑)

マン・レイ展」が開催されているのを知り、興奮した。
今まで何枚もの写真を目にしているし、マン・レイに関する書籍なども所持しているSNAKEPIPEだけれど、展覧会は初めてなのである。
同じくROCKHURRAHも初めてとのこと。
場所は六本木にある「国立新美術館」、ここも初めてなので是非行ってみることにした。

六本木って美術館がいっぱいあっていいよねー!
六本木ヒルズにある「森美術館」、今回行く「国立新美術館」、「サントリー美術館」等々。
森美術館には面白そうな企画の時に何度か足を運んでいるけれど、今回の「国立新美術館」はヒルズとは反対方角に進むこと約10分。
「政策研究大学院大学」という大学なのか大学院なのか判らない名前の学校を左手に見て、新美術館はあった。(笑)
さすがに「新美術」なだけあって、新しくてキレイな建物!
ミュージアムショップに建物のポストカードもあったしね。(笑)
施設内もとてもキレイでピカピカ。
長い傘の持込は禁止、と書いてあるのが今まで行ったことのある美術館にはなかったルールかな!

「マン・レイ展」は活動していた場所と年代で4つのブースに分けられていた。
1:ニューヨーク 1890年~1921年(マン・レイ0歳から30歳まで)
日本でいうと明治23年~大正10年。
生まれはフィラデルフィアだけど、7歳でニューヨークに移ってるらしい。
そのニューヨークで画廊を経営するアルフレッド・スティーグリッツと知り合いになり…って軽く紹介されてるけどさ!
スティーグリッツって「近代写真の父」なんて言われてる大御所中の大御所よ!
その大物写真家と知り合いになるってところで、もう道は拓けてるよね。(笑)
この頃の作品はほとんどが絵画。
SNAKEPIPEが目を引いたのは「飾り文字の習作」と題された1908年の作品。
まだ17、18歳の頃の作品だけど、とてもデザイン的でおしゃれだった。
相当「できる子」だったんだろうな。(笑)
キュビズムにも影響を受けてるようなので、吸収する力もあるんだねえ。

2:パリ 1921年~1940年(マン・レイ31歳から50歳まで)
日本でいうと大正11年~昭和15年。
マン・レイの有名な作品はやっぱりこのシュールレアリスム時代の物が多いかな。
この頃のパリには強い憧れがあるSNAKEPIPE。
物凄く面白そうな時代、面白そうな場所!
カフェのあちらこちらで、後に有名になるアーティスト達がたむろして議論してたり。
人と人との出会いが新たな作品を生む力になったり、企画が出来上がったりしてイマジネーション渦巻くエネルギーに溢れた街だったんじゃないか、と想像する。
タイムワープできたら行ってみたいな!(笑)

パリ時代になると写真の展示が増えてきて、有名人のポートレイトがいっぱい。
モデルで愛人だった「キキ・ド・モンパルナス」の写真があると「マン・レイだなー!」と思ってしまう。
SNAKEPIPEにとってはキキのポートレイトが馴染み深いのかもしれないね。
それにしてもあの有名な「アングルのヴァイオリン」が展示されていないとはびっくり!
fの文字を背中に付けた、女性の丸みを帯びた裸体(キキ)をヴァイオリンに見立てた作品ね。
リトグラフとして後年の作品にあったけど、やっぱり写真で観たかった。

3:ロサンゼルス 1941年~1950年(マン・レイ51歳から60歳まで)
日本でいうと昭和16年~昭和25年。
この頃は戦争の時代。
本当はパリに滞在していたかったマン・レイも仕方なくアメリカに戻ったらしい。
そこで晩年を一緒に過ごすことになる女性、ジュリエットと結婚。
この時55歳くらいかな?
マン・レイというのは女性がいないとダメな人みたいで、女性からインスピレーションを受けて作品作りをしていたようなところがあるよね。(笑)
ジュリエットは今までのマン・レイの愛人でありモデルであった女性達とは、ちょっと違う印象を受ける。
そこが良かったのかな?(笑)

4:パリ 1951年~1976年(マン・レイ61歳から86歳)
日本でいうと昭和26年から昭和51年。
戦争終わった!パリに戻るべ、そうするべ!と夫婦揃ってパリへ。
やっぱりマン・レイにとって居心地がいいのはアメリカじゃなかったんだね。
高齢になっているせいか、あまり出歩かなくてアトリエに夫婦で引きこもり状態だったみたいだけど、なんだか楽しそう!
妻のジュリエットをモデルに写真(カラー・ポジフィルム)撮ったり。
ゆっくりした時間を仲良く過ごしてたんだろうな、と想像する。
そのカラー・ポジフィルムはマン・レイが考案した色彩定着を使っている、というから驚いちゃうよね。
いくつになっても新しいことにチャレンジしてたんだな、と。

かなり展示数が多くて、見ごたえのある展覧会だった。
だけど、2番目のパリ編でも書いたように「マン・レイといえばこれ!」と思われるような作品の展示が少なかったのが残念!
「アングルのヴァイオリン」も「涙」も針付きアイロン「贈り物」もなかったからね!
ジャン・コクトーの写真なんて3CMくらいの円形で、まるで集合写真から切り取られたくらいの小ささ。(笑)
出てはいけない線ギリギリに立って、ズズーーッと前のめりになってようやく見えたくらいだったし。

「マン・レイについて」なんてあまりに奥が深過ぎて、SNAKEPIPEには恐れ多すぎて書けましぇん!
ましてや「ダダとは」「シュールレアリスムとは」なんてことも、その道の評論家の方にお任せしましょ!(笑)
今回の展示を観て一番に感じたのは、やっぱりヨーロッパ(特にパリね)の文化、芸術のレベルの高さ。
マン・レイが一番ノリノリだった昭和15年までのパリでの20年間、日本での芸術ってどんな状態だったんだろう?
日本でもダダイストやシュールレアリストはいたと思うけどね。
SNAKEPIPEが興味を持っている前衛写真家小石清の写真集「初夏神経」出版が1933年。
割とイイ線いってるか。(笑)
この時代の日本のアートシーンについてはもっと調べてみたいと思う。

SNAKEPIPE MUSEUM #05 Stephen Shore

【この風景を懐かしいと感じてしまうSNAKEPIPEはアメリカ人か?(笑)】

SNAKEPIPE WROTE:

今回のSNAKEPIPE MUSEUMは「ニュー・カラー」の写真家として有名なスティーブン・ショアーを取り上げてみたいと思う。

スティーブン・ショアーは1947年ニューヨーク生まれのアメリカ人。
6歳で写真の暗室作業を始め、17歳の時にはアンディ・ウォーホルのスタジオ「ファクトリー」でたむろする人物を撮っていた、というから非常に恵まれた環境にお育ちで!(笑)
1972年頃より4×5や8×10の大型カメラで「ロード・ムービー」ならぬ「ロード・フォト」(というのか)を展開、アメリカやカナダの風景をカラーで撮影している写真家である。

実を言うとSNAKEPIPEは特別ショアーに思い入れがあるわけでもなく、写真集も所持していなければ写真展を観たこともないんだな。(笑)
たまに頭の中にフッと浮かんでは消える写真の中にショアーの色があるのだ。
そう、ショアーの写真の特徴の一つが色。
一番初めにニュー・カラーの写真家と書いたように、独特の色使いをする。
フィルターを使ってやや赤味を強めているために、それが昔っぽいなんとも懐かしい雰囲気を醸し出す。

そしてもう一つの特徴は「空っぽ」。
上の写真には人と犬が写っているけれど、景色の中に溶け込んでいるため存在感は薄い。
どことなく寂寥感があり胸がしめつけられるような感じがする。
あの時のあの空気、あの匂いを一瞬にして思い出させるような。
子供の頃にタイムワープする感覚に近いのかもしれない。
なんとも甘酸っぱくて、せつないよねえ。

ロバート・フランクの有名な写真に、まっすぐに伸びる道路を縦位置で切り取った作品がある。
あれは確かジャック・ケルアックの小説「路上」に使われていたような。
あの写真が撮影されたのが1955年らしいので、アメリカ人っていうのは50年代から「ロード」系が好みなんだね。
ケルアックの小説が1957年。
アメリカ大陸は広いから「放浪」とか「横断」が可能だし、車で行かれるとこまで行ってみようや!なんて若者文化が発生するのも納得。
日本ではロードムービーって難しいもんね。(笑)

ノーマンズランド (no man’s land)という言葉がある。
これは実際にオクラホマにある土地の名前だったり、軍事用語だったり、映画のタイトルにも使用されているようだけど、SNAKEPIPEが使いたいのは言葉通りの意味合いね。
人がいない、荒涼とした場所。
だだっ広くて、ずっと先のほうまで見通せる、歩いても歩いても変化のない風景。
人がいた気配はあるけれども、全く姿を見かけない。
ヴィム・ヴェンダースの作品「パリ・テキサス」の中に似た場面があることを思い出す。
SNAKEPIPEにはそんな寂しい土地への憧れがある。
そこで写真を撮ってみたい、とも思う。
その憧れを体験したのがショアーなんだろうね。(笑)

絶版となっていたショアーの写真集が手に入るらしい!
お値段的にも手が出せないほどではないからGETしたいな。
アメリカ人のノスタルジア。
ちょっとおセンチで感傷的な「アメリカ人の孤独」を垣間見ることができるような気がするからね。

CULT映画ア・ラ・カルト!【08】Robert Rodriguez

【ロドリゲス監督の次回作「マチェーテ」。主演は大注目のダニー・トレホ!】

SNAKEPIPE WROTE:

今回のCULT映画ア・ラ・カルト!はロバート・ロドリゲス監督。
最近には珍しくこの監督の作品を観たい、と選んでいるのがロドリゲス作品。
全てを網羅しているわけではないけれど、かなりの本数を観ているので簡単にまとめてみようかな。

ロバート・ロドリゲス監督は1968年、テキサス州生まれのメキシコ系アメリカ人。
まだ42歳と、とても若いのである。
テキサスという土地とメキシコの血がそうさせるのか、ど派手なアクションが得意である。

ロドリゲス作品を一番初めに観たのは「デスペラード」(原題: Desperado 1995年)だった。
この作品はアントニオ・バンデラスが主役で、ギターケースの中に銃を隠し持ちギャングのボスに立ち向かう映画である。
ウエスタン調の雰囲気と残酷描写、そして馬鹿馬鹿しいまでに派手なアクション!
盟友であるタランティーノ監督も俳優として出演している。
タランティーノらしく、オチがかなり後にくる話を延々を喋り続ける役。
しかもそのオチがあまり面白くない。(笑)
いかにもウエスタン映画でありそうなバーのシーンで、いかにもありそうな殺され方が恐らくタランティーノの気に入ったんだろうな。
「ウエスタン映画で殺されてみたい」願望なのかもしれないね。
この映画の中で一番興味を持ったのは刺青を入れたナイフ投げの男。
一言もセリフがない役だったけれど、非常に存在感があった。

デスペラードは3部作になっていて、ぞの元ネタとなったのが「エル・マリアッチ」(原題:El Mariachi  1992年)である。
この映画で出演しているのは無名の俳優ばかり、予算もかなり低く、そういう意味では話題性に乏しい映画のはずである。
ところがぎっちょん!(笑)
この映画、すごく面白かったんだよね!
キレのあるカットやアクションシーン、話の面白さ。
「お金がないからできない」
「いい役者がいないから難しい」
なんてことはないんだね。(笑)
撮りたいから撮る、というガッツ(死語?)が存分に伝わってくる。
言い訳せずに、自分ができる範囲で充分人を納得させる面白い映画が作れるんだなと感心してしまった。
やっぱりいるんだねえ、真剣に映画作りをする人って!
これじゃあ出世するはずじゃわい。(笑)

そして「デスペラード」後編の「レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード」(原題:Once Upon a Time in Mexico  2003年)。
3部作とはいっても、全てのストーリーが連続しているわけではなくて、ギターケースを持った主人公という設定が同じなんだよね。
またもやこの映画の主役はアントニオ・バンデラス。
「デスペラード」がヒットしたせいだろう、準主役としてジョニー・デップも登場している。
SNAKEPIPEはジョニー・デップである必然性はあまりないなあ、という感想を持ったけどね。(笑)
予算が高くなったせいで、アクションはより派手になり火薬の量も増えている。
話もちょっと複雑になっていて、誰が味方で誰が敵なのかよく判らなくなる感じ。
お金をかければいいってもんじゃないんだなあ、という感想を持った。
低予算だと褒められるけど、予算が高く組まれると「それでこの出来?」と言われてしまう映画人って辛いねえ。(笑)

ロバート・ロドリゲスってどうやらかなりゾンビ映画が好きみたい。
フロム・ダスク・ティル・ドーン」(原題:From Dusk Till Dawn 1996年)と「プラネット・テラー in グラインドハウス」(原題:PLANET TERROR in Grindhouse  2007年)はホラー映画といっていいと思う。
ジョージ・A・ロメロ監督の特殊メイクでもお馴染みのトム・サヴィーニが俳優として両方の映画に出演しているのも、ホラー映画好きにはニヤッとさせられる。
とてもいい味出してるんだよね!

「フロム・ダスク・ティル・ドーン」はジョージ・クルーニーと、また俳優として登場のタランティーノが犯罪者兄弟という役どころ。
この二人が兄弟って設定自体ちょっと有り得ないけどね?(笑)
前半と後半で全く別のジャンルになってしまうところが斬新な映画である。
前半は犯罪者兄弟が人質を取って逃亡するアクション映画。
後半はタランティーノの血を見たダンサーがバンパイアに変身するところから、急にホラー映画になってしまうのだ。
この滅茶苦茶ぶりがたまらない!(笑)
そして人質と犯罪者が揃ってバンパイアに立ち向かう、という本来の筋とはかけ離れた物語になっていく。
ホラー映画なのに笑ってしまうのもなかなかない経験だよね。

「プラネット・テラー in グラインドハウス」は初めからアクション・ホラー映画って書いてあるよ!(笑)
SNAKEPIPEが知らないだけかもしれないけど、アクション・ホラーなんてジャンルあったのかな?
これもまた「んな馬鹿な!」連発のど派手な映画である。
ゴーゴー・ダンサーが事故に遭遇し、失った片足の代わりにマシンガンを装着して街に溢れたゾンビと戦う話である。
と書いたけど、これだけでもその滅茶苦茶ぶりがよくわかるよね。(笑)
丁度同時期に「片腕マシンガール」という映画があったので、それの足バージョンだね!
それにしてもあの片足の撮影はどうやったんだろう?
ものすごくリアルだったんだけどね。
あの女性がロドリゲス監督の婚約者だっていうから驚くじゃありませんか!
ま、あそこまで徹底してロドリゲス世界を表現できる女性なら上手くいくか!(笑)
そしてこの映画にもタランティーノが俳優として出演。
かなり情けない役だったけど、やっぱり出たいんだね。(笑)
かつてSNAKEPIPEがそうだったように、ゾンビ映画と聞くだけで嫌悪感を感じる人が多いと思うけど、この映画は絶対お薦めよ!

子供向けだからやめようかと思ったけれど、一応観てみた作品が「スパイキッズ」(原題: Spy Kids 2001年)。
さすがにファミリー向け映画だけあって、ロドリゲス特有の(?)毒気はほとんど感じられない。
大活躍する2人のお父さん役、アントニオ・バンデラスがあんなにコミカルな役を演じるとはびっくりした。
子供達が手に入れるスパイ・グッズ屋さんのオーナーが「デスペラード」のナイフ男!
バンデラスの兄、という役どころである。
今まで観たロドリゲス映画の中に彼は必ず出演しているけれど、笑った顔を見たのはこの映画が初めて!
子供向け映画ではいい人になってるんだ、とびっくりしちゃったよ!
皆さん、今までのイメージとは違ってるのね。

「シン・シティ」(原題: Sin City 2005年)はアメリカン・コミックが原作の映画化。
ミッキー・ローク、ブルース・ウィリス、ルトガー・ハウアーと知っている俳優がクレジットされているけれど、特殊メイクされているため判り辛い。
話が3つのパートに分かれているため、話の区切りがはっきりしない時があって苦労したのはSNAKEPIPEだけ?(笑)
コミックが原作なだけあって、結構エグい描写があったけれど、モノクロームだからそこまで酷く見えなかったね。
血の色は白になってたし。(笑)
2つめのエピソードに出てきた娼婦の防衛隊がカッコ良かったな!

「プラネット・テラー in グラインドハウス」には偽の予告編が入っていて、そのタイトルが「マチェーテ」(原題:Machete 2010年)である。
グラインドハウスはジョークで作ったような部分があって、「マチェーテ」予告編もいかにもありそうなB級映画らしい作りになっていた。
そしてその主演が「デスペラード」の時から注目していた俳優、ダニー・トレホ
調べてみるとダニー・トレホ、ロドリゲスの従兄弟だって。(笑)
傷だらけの顔と鍛え上げられた筋肉、そして刺青!
一度見たら忘れられない俳優だよ。
こんなに存在感のある従兄弟だったら出演依頼したくなるよね!
初めは偽の予告編だったはずなのに、「マチェーテ」本編を本当に作ったらしい。(笑)
これは非常に楽しみ!
1987年公開のアーノルド・シュワルツェネッガー主演「プレデター」のリメイク版、現在公開中の「プレデターズ」もいつか観てみたい。
ど派手アクションとB級っぽさプンプンのロドリゲスからは目が離せない!(笑)