ロックンロール世界紀行 Transit05

【今回は魅惑の島国、エキゾチック・ジャパン特集】

ROCKHURRAH WROTE:

去年から始めたこのシリーズ記事も案外進まず、まだ4回しか書いてない。しかも最後に書いてからもう数ヶ月も経ってしまってる事にさっき気付いたよ。ROCKHURRAHが主に書いてるシリーズ記事でこの手のパターンが多いな。

国名や都市名がついた歌は結構あるから簡単に書けると思ってたんだけど、意外と困難で・・・という事もすでに前回のTransit04で書いてるね。
そもそも英語力皆無のROCKHURRAHが曲の内容について語る事など出来るはずもなく、理解なんかしてないまま、いいかげんに書いてるのが現状だから、困難なのは間違いない。それでも何かは書くけどね。

個人的に今年の夏はお盆休みらしきものもほとんどなくて、夏を全くエンジョイしてなかったなあ。海外も日本の避暑地も全く無縁で、休みといっても最小の行動力(暑さが苦手のため)。

今回はそんなROCKHURRAHが選んだ「日本特集」にしてみよう。
前にブライアン・フェリーの事を書いた時に

東京は外国人にとっても憧れの場所なのか、ここをテーマにした歌は実に数多く存在する。

と書いた通り、タイトルにJAPANとかTOKYOと付いた曲は過去から現在まで数多くあるのは間違いない。しかし日本の事を歌った海外のミュージシャン達はどれだけ日本を理解してるのだろうか?
今はネットを調べれば何でも情報は出てくる時代だけど、それでも結構な数の勘違い外人はいるに違いない。特集するのは今ではなく80年代くらいに活躍した人々ばかりだから、その頃は余計に情報もなく、勘違い外人はもっと多かったはず。

しかし自分の胸に手を当てて考えるまでもなく、海外のメジャーな都市でもそこの文化に精通して完璧に理解している日本人は少ない。
その辺はまあ、おあいこって事で話を進めよう。
さて、音楽に国境はなくて文化の溝を埋める事は出来るのだろうか?

まずはジャパンのこの曲から。

ジャパンは1970年代半ばから80年代前半まで活動していたイギリスのバンドだが、当初は本国では大した知名度もなく、日本でだけ大人気というよくあるパターンのバンドだった。

このジャパン人気の元を作ったのはおそらく当時の音楽雑誌「ミュージック・ライフ」の強烈なプッシュがあったためだと思われる。
創刊は何と1930年代だというから、おそろしく歴史のあった老舗音楽雑誌らしい。70年代にはロック少年少女向けのアイドル的バンドを発掘し、広く知らしめるという方向性で、美形バンド・ファンの発展に大きく貢献した。
ROCKHURRAHの実家では二人の兄が「音楽専科」とか「プレイヤー」とかの音楽雑誌を読んでいたが、自分で選んで読んでたのは「ロックマガジン」と「DOLL(昔は「ZOO」)」、そして「フールズメイト」の三誌で東京に出てからは「ZIGZAG EAST」や「NEWS WAVE」「オブスキュア」などの雑誌まで毎号律儀に買っていた。たまに洋書までも手を出してたから雑誌代もかなりかかってたのを思い出すワン。
「ロッキン・オン」とか「クロスビート」とか「ミュージック・マガジン」とか、主流の音楽雑誌が全然出てこないところがいかにもROCKHURRAHらしいね。ん?個人的な雑誌談義はどうでもいいか。

「ミュージックライフ」はたぶん兄弟の誰も読んでなかったと思うが、書店の音楽雑誌コーナー見るとイヤでも目に飛び込んでくるこの手の表紙。
ジャパンはその辺でよく見かけたな。
美形と呼ばれたロック・ミュージシャンは時代によって色々だろうが、ジャパンのデヴィッド・シルビアンやミック・カーンはこの時代では代表的なもので、彼らのヴィジュアルがまず音楽よりも先行しての人気だった。
音楽の方は最初の頃はグラムロックの延長線にディスコ・ミュージックをくっつけたような曲もあれば、ロキシー・ミュージックのあまりヒットしなかった曲みたいな雰囲気もあり、どちらかと言えば見た目ほどにはキャッチーではなかった印象がある。ミック・カーンの顔と演奏はすごいインパクトはあったけどね。

1979年発表のこの曲もニュー・ウェイブ真っ只中という時代を考えると案外地味だが、この後、1981年の「錻力の太鼓」あたりになると中国や日本の旋律をうまく取り入れた独自の音楽性で高い評価を得る。が、この曲は直接的には日本も東京も特に感じない曲調。

何十行にもわたって書いた後で言うのも何だが、実はROCKHURRAHはジャパンのレコードを所有していた事がなくて、個人的には特に思い出のないバンドなんだよね。好きとか嫌いとか以前にあまり知らない、しかも知らないくせに何かそれっぽい事を書いているという仰天のいいかげんさ。最初からこんなんでいいのか?

次は1980年に大ヒットしたヴェイパーズのこの曲。
なぜだかこのビデオだけ別サイトのものだが仕方ない。見栄え悪くてごめんね。
そういう企画自体がすでに大昔の事となってしまったが、一時期「消えた80年代ヒット曲」とか「一発屋特集」みたいな企画があった場合には、かなりの確率で取り上げられていたと思われる一発屋の典型だな。
これはモロにパワーポップ全盛期のノリの良い曲で、タイプは全然違うがレジロスや初期XTCなどと同じくアップテンポでキレのある演奏。
ザ・ジャムのプロデューサーによるプロデュース作品で全英3位のヒット曲にまでなったが、その時の1位がジャムの「Going Underground」だった、要するに同じプロデューサーにNo.1を阻まれたというエピソードがあるらしい。
ヴォーカルの男が前髪パッツンなのに後ろが長い、昔の関西のヤンキー子供みたいな髪型なのが時代を感じさせるね。アメリカのパンク・バンド、ディッキーズのヴォーカルも確かこんな髪型だったな。ブライアン・イーノやマガジンのハワード・デヴォートも同じ系列の髪型なのでまとめてみた。軽薄で身軽な動きと顔つきが「ズーランダー」の頃のベン・スティラーに何となく似てるような気がするな。

ビデオの方は典型的な勘違いだけど、日本では決して美人と言われないタイプの芸者、そしてサムライではなくて居合い抜きの剣術家などが登場する。(註:現在このビデオがどうしても見当たらないので別のビデオで代用)
曲のイントロは外人が「日本の音」だとよく勘違いする中華風メロディ。
これだけで日本を表現する安易さがツッコミどころ満載だが、 居合い抜きがちょっとだけ他にない発想だったかな?もしかしてこれを=侍だと勘違いしてたのかな?

そしてこれ、ビー・バップ・デラックスの一番最後くらいにリリースされた1977年の曲で、この後バンドは解散。ビル・ネルソンはもっとパンクやニュー・ウェイブ真っ只中の音楽をやるためにレッド・ノイズ、そしてソロとなる。
ビル・ネルソンについてはウチのブログで特集してるから、大して詳しくは書いてないけどそっちも参照してみてね。
このバンドが早くから日本や東洋に目を向けていたという事はないが、中期の頃の曲「Blazing Apostles (狂信者)」では「Old Japan」という歌詞のところで例の勘違い中華メロディを弾いてるから、やはり日本への理解度も他のバンド同様ということかね。
80年代、ソロの時代にはYMOの高橋幸宏と交流があり、お互いのソロ・アルバムにギターとドラムで参加したり、YMOのツアーにギタリストとして参加したりもした。奥さんも日本人なので並みの英国人よりはずっと日本に対する理解も深いはず。
この曲はそういう時代の前なんだけど、まさにニュー・ウェイブ夜明け前といった雰囲気でこのバンドの先進性を物語っている。まだYMOも登場する前にシンセサイザーとギターによる擬似テクノみたいな音楽をやってるんだもんな。 おそらく日本の童謡とかにインスパイアされたであろうメロディがチープながら印象的。ビデオの方は誰かが後で編集したもので全然オフィシャルじゃないけど、キャリアの割には動いてる映像が非常に少ないバンドだったので、こんなので許して。

今回はあまりひとつの曲について詳しく書かなかったから短いけどこれで最後。
スコットランドのヘンな歌姫、アネカの大ヒット曲だ。
1981年に全英1位になってるから上に書いたヴェイパーズよりも一瞬の人気は高かったという事になるのか?
81年と言えばおそらくニューロマンティック全盛期あたりで、チャートに上がる音楽以外にも様々なジャンルがひしめいていた時代だ。それだけ層の厚い時代にこんなインチキ・ジャパニーズがまかり通ってたとは逆に驚きだが、主にニュー・ウェイブの世界ばかりを見てきたROCKHURRAHと世間一般の音楽事情には少しズレがあるのは当然。
博物館みたいなところで激しく剣道の試合中という意味不明のシチュエーション、しかも特にオチもないし、日本を表現しているとも思えないよ。着物を着てなぜか合掌ポーズ、そして割り箸?プロペラ?みたいな奇妙なかんざしのアネカが歌うのが「外人が感じる典型的な日本的メロディ」ってヤツ。
うーん、ヘンはヘンだけど勘違いというよりは プロモーション・ビデオの監督が何だかよくわからない人だった、という気もするな。
外人が感じる典型的な日本のイメージを逆手に取ったサンディー&サンセッツの方がよほどそれっぽい映像を残してるよ。

以上、もっと日本っぽい曲や勘違い甚だしい映像とかも探せばあるんだろうが、70〜80年代にこだわってROCKHURRAHが集めたのがこういうのになってしまった。延々とダラダラした長い記事やセンテンスが一部で有名なROCKHURRAHの文章だが、今回は実に控えめ。夏の疲れが出たかな?

ではまた涼しくなったら会いましょう。
さらば夏の日(前にも書いたよ)。

ビザール・ポスター選手権!18回戦

【夏にはやっぱりビール!醜い人達をお手伝いってすごいコピーだよね!】

SNAKEPIPE WROTE:

ビザール・グッズ選手権というカテゴリーの中で特集することが多かったのがポストカードである。
今回はガラリと趣向を変えてビザールなポスターについて書いていこうかな!
えっ、そんなに内容に大差がない?(笑)
やっぱり大好きなビンテージが多いんだけど、昔の時代は規制が緩くて表現の自由に幅があったから面白い物がいっぱいなんだよね!
では早速いってみよう!

つい先日「しまむら」で販売中止になったことで話題の「鉤十字」がモチーフになっているライザ・ミネリ主演の映画「キャバレー」(原題:Cabaret 1972年)のポスターね!
この映画、SNAKEPIPEは未見なんだけど、1930年代ナチス台頭前のベルリンが舞台になっているとのことなので、このポスターがとやかく言われることはなさそうだよね?
ライザ・ミネリといえば、ハットをかぶりガーターベルトでストッキングを吊ったショートカットの女性、ということは「キャバレー」での衣装姿を思い浮かべることがほとんどだよね。
余談だけど、昔SNAKEPIPEはライザ・ミネリに似ていると言われたことがあったなあ。
似てないんだけど。(笑)
上のポスターに話を戻すと、赤い背景色に鉤十字モチーフ、CABARETのフォントを含めて秀逸なデザインだと思うね!
ライザ・ミネリの顔がイマイチだけど。(笑)

続いては1885年から1925年頃のフランスのサーカス用ポスターをご紹介。
とは言っても説明がほとんどなかったし、ポスターはフランス語で書いてあるのでこれもよく分からないんだよね。
SNAKEPIPEの独断で感想を書いてみようかな!(笑)

この男の子は楳図かずおの「へび少女」ならぬ、「へび少年」だよね。
SNAKEPIPEも一度新宿の花園神社で見たことがあるけれど、見世物小屋の雰囲気を感じてしまう。
トッド・ブラウニングの「フリークス」(原題:Freaks) の公開が1932年、デヴィッド・リンチの「エレファント・マン」の舞台は19世紀のロンドン。
そう考えると1925年頃までのフランスということだと、ヨーロッパで見世物小屋がサーカスと合体していた予想はつくよね。
きっとその宣伝用ポスターなんじゃないかな?
それにしても右下方に描かれている男性は何者?
謎のポスターだよね!(笑)

これだけ堂々とペニスと書かれているポスターがあるとは! (笑)
“必ず私は持っている。
なぜなら私にはペニスがあるから!”

ちょっと意訳してみたけど、こんな感じじゃないのかな?(笑)
コンドームを指し出している男性が軍の高官に見えるから余計に面白いよね。

違うバージョンも発見!
これは男女の掛け合いがコピーになっているんだね。

女:あなたに「いいもの」持ってきたわ
男:それはパンのケースよりも大きいの?
女:それは人によりけりよ!

また意訳してみたけど、多分こんな感じの軽いジョークになっているんじゃないかな?(笑)
アメリカ映画を観ていると、必ずといって良いほど男性器をネタにしたジョークを聞くので、アメリカではポピュラーだと推測。
右下にいる黒人の男女の存在が謎だけど、いかにも50年代を感じさせるポスターで気に入ったよ!

最後はこちら!
実はこれらはビンテージではなくて50年代風に作られたポスターだというけれど、雰囲気がよく出ていて素晴らしいのでご紹介しちゃおう!

かつて日本にも進出していたアメリカのローストビーフ・サンドイッチが有名だったお店「アービーズ」。
ROCKHURRAHは福岡の天神店によく行って、美味しいお肉を頬張ったらしいよ。(笑)
SNAKEPIPEは残念ながら食べたことないんだよね。
そのアービーズが店のオリジナルソースを販売している、という宣伝ポスターがこれ。
50年代のチープ系のSFをテーマにした逸品だね!

アービーズ・ソースの第2弾!(笑)
これもまた怪物が大暴れする、というポスターね。
フットボールの競技中に湯気を立てたチキンが乱入し、選手やチアリーダーが逃げ惑う、というシーン。
これも小技が効いてて、よくできてるよねえ。

アービーズ・ソース第3弾!(笑)
この作品も非常に素晴らしいので、しつこいようだけど3枚アップさせてもらいますよっ!
実はこのシリーズ全6パターンで全てお気に入りなんだけど、我慢ね。
なんと言っても、女性の顔がいいっ!
この企画を「いいですね、やりましょう」とGOサインを出したアービーズの会長や社長、そして重役の懐の深さが解るよね。
今は日本にないアービーズだけど、いつか行かれることがあったらソース買おうって思うもんね!(笑)
そしてこのポスターを制作したDAN & MAT もきっと50年代が好きなんだろうね。
気持ちはよーく分かるよ!(笑)

まだまだビザールな逸品探しは続くよ!

「オスカー・ニーマイヤー展」と「ここはだれの場所?」鑑賞

【地下の図書室壁にある展覧会のポスターを撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

「絶対観たほうが良いって!」
長年来の友人Mからの誘いは、東京都現代美術館で開催されている展覧会のことである。
「マコっちゃん、会場にいるみたいだよ!」
これもお目当ての一つだったようだ。
マコっちゃん、とは現代美術家の会田誠のこと。
全く知り合いでもなんでもないのに、勝手にニックネームで呼んでる友人M。
フランシス・ベーコンのこともベーコンさん、だしね。(笑)

おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」の展示に会田誠の作品があり、その会場内に会田誠が出現するという情報があるらしい。
アーティストご本人にお目にかかれるチャンスはなかなかないもんね!
オスカー・ニーマイヤー展」の鑑賞も目的の一つ。
暑さのため、できれば外出したくないと考えていたけれど、機会を逃して苦い涙を流したくないと一大決心をする。(大げさ)
友人MとROCKHURRAH、そしてSNAKEPIPEの怪しい3人組は今年4月の「大アマゾン展」以来約4ヶ月ぶりに集結したのである。

おいしい物を食べることが大好きな友人Mは、何かの約束をする度にグルメ情報を検索し、「お昼はココ!」と指定してくるのが常である。
今回も、 美術館に行く、と決まったすぐ後に木場近辺のグルメ情報が送られてきた。
いくつかの候補の中から、今回は夏らしくタイ料理に決定!
3人で辛い料理に舌鼓を打った後、美術館に向かったのである。

まずは「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」から鑑賞する。
会場に入ってすぐに、圧倒的な色の洪水が目に飛び込んでくる。
ヨーガン・レールの作品である。
ヨーガン・レールと聞いて懐かしい、とROCKHURRAHがつぶやく。
SNAKEPIPEは聞き覚えがなかったけれど、ヨーガン・レールは1970年代から日本でファッション・ブランドを展開しているデザイナーだったんだね。
そのヨーガン・レールが石垣島で拾った漂流物がカラー分けして展示されていたのである。
漂流物とは、言い換えればゴミ!(笑)
それを種類や色で分別して、キレイに配置するとびっくりするほどアートになっちゃうんだよね!

 
カーテンで仕切られた次の会場に入ると、驚きのあまり声が出た。
「わー!キレイ!」
天井から吊るされた色とりどりのライトは、壁が鏡になっている効果も加わり、なんとも幻想的な異空間へと誘ってくれる。
全体をみると幻想的だったけれど、ライトを構成している部品はなんだろう?と近寄ってみて更にびっくり。
前の会場にあった漂流物が使用されているんだよね!
例えばペットボトルのキャップだったり、洗剤の容器だったり。
廃品から、こんなに素敵な作品を作るなんて!(笑)
ずっと会場にいたい気分だったね。

展示会場にあった年譜でも、既に亡くなっていることは知っていたけれど、石垣島での自動車事故が原因だったとは!
70歳という年齢も、まだまだこれからだったのに、と残念に感じてしまうよね。


続いてはお目当ての会田誠の会場へ。
展示作品にクレームがつき、撤去要請が出たといういわくつき(?)の作品が左側の「会田家」と書いてある「檄」である。
2013年1月の当ブログ「会田誠展~天才でごめんなさい~」は森美術館で開催された個展を鑑賞した際の感想をまとめたものであるが、その中で

美術界の過激派として
これからもブラック・ジョークで笑わせて欲しいと思う

と書いたSNAKEPIPE。
「作品にクレームがついた」というのは、会田誠にとっては思うツボかもしれないと感じてしまう。
同じブログで

「これはダメです」という社会的な規制やルールに
対抗することで成り立っている作品が多い点が特徴

とも感想を綴っているSNAKEPIPEからすれば「それが会田誠の作風」だと思うから。
クレーム結構!批判上等!じゃないのかな?(笑)

さて、お目当ての会田誠ご本人は何処?
会場の片隅に畳敷きの作業場があり、机と座布団が置かれている。
どうやら木彫で作品を作っているようである。
友人Mと「マコっちゃんいないね」と言いながら、制作途中の木彫をじっくり眺めていると
「会田さんは今日来るのちょっと遅いみたいですよ」
よいしょ、と作業場の座布団に腰を降ろしながら男性が話しかけてくる。
どうやらその男性が会田誠のパートナー(?)で、会田誠が描いた原画の木彫を担当しているらしい。
会田誠は昨夜飲み過ぎ、家に帰れず、奥さんに叱られたため、会場入りが遅いという話を聞き、笑ってしまう。
パートナーの男性の名前を聞き忘れてしまったけれど、その方から木彫の作品に関する説明も聞くことができて良かった。
「会田誠版いろはかるた」を制作している途中で、完成した暁には会田誠の故郷である新潟で展覧会が開催される予定らしい。
「いろはかるた」は会田誠らしくブラックな内容で面白かったな!(笑)
新潟までは行かれないけれど、いつかまた森美術館あたりで個展開いてもらって、その時に鑑賞したいよね。

他にも安倍総理に扮したビデオや、気味の悪い人形がいっぱい飾ってあるアート作品だったり、食べる気を無くすような血みどろの「愛憎弁当」やシャネルのマーク入りの「ブランド弁当」など、「いかにも会田誠」ワールドが展開されていて、楽しめた。
マコっちゃんに遭遇できなかったのが残念だったね!

展覧会のハシゴをするのは久しぶりである。
同じ美術館内でのハシゴだから、そんなに大変じゃないけどね!
続いては「 オスカー・ニーマイヤー展」へと向かう。

SNAKEPIPEはカッコ良くて変わったデザインの建築物は大好きだけれど、建築家についての知識はゼロに近い。
これはどの業界についても同じことが言えると思うけれど、その世界では知らぬ人がいないくらい有名でも、業界外の人間には全く存在を知られていないというパターンだ。
オスカー・ニーマイヤーはブラジルの建築家で、その作品が世界遺産に登録されているという。

日伯外交樹立120周年を記念して、リオが生んだ
偉大な建築家の約1世紀にわたる軌跡を紹介いたします

という説明がされていたように、ブラジルと日本というのは長い歴史があるのにもかかわらず、あまり文化的な紹介はされていないように感じてしまうね。
自分でもすっかり忘れていたけれど、2008年に「大道・ブランコ・コーヒー」 というダジャレをタイトルにしたブログが、ブラジルの写真家ミゲル・リオ=ブランコ森山大道の写真展についてまとめた記事だったっけ。
あれも東京都現代美術館の企画だったよね!(笑)

ブラジルの文化に関してはそんな程度の知識しかないSNAKEPIPEなので、オスカー・ニーマイヤーの名前を聞いたのも、作品を観るのも初めて!
友人Mも知らなかったようだ。
ROCKHURRAHは昔、デザイン関係の仕事をしてした友人が持っていた本の中にオスカー・ニーマイヤーの作品があったことを記憶していたようだけれど、詳しく知っているわけではないという。

会場に入ってすぐに動画が映し出されているスクリーンがある。
空飛ぶ円盤がブラジルの空を飛び、まるでイギリスの人形劇「サンダーバード」のような海際の基地に着陸する。
中から出てきたのはオスカー・ニーマイヤー本人!
マーロン・ブランドに似て蝶!(笑)
このちょっとチープ感のある映像がとても面白くて、目が釘付けになってしまった。(笑)

次の部屋からはオスカー・ニーマイヤーが設計した建築の模型や写真が展示されている。
その建築の奇抜でユニークなデザインに度肝を抜かれてしまう。
年代を確認すると1950年代!
えー!
2011年の年末の当ブログ「ウィリアム・ブレイク版画展/メタボリズムの未来都市展」では森美術館で開催された「メタボリズムの未来都市展」について書いている。
この展覧会は日本の建築家がより良い社会、環境との共存、狭い日本の土地問題など、様々な観点から都市計画を考えた建築家達のデザインが展示されていたんだよね。

その建築運動は1960年以降だったし、建築家が空想したデザインは実現されることがなく、「こんなのどお?」という提案で終わってしまうことがほとんどだったようだ。
ところが、なんとブラジルでは奇想天外なデザインが実際に建築されていたんだね!
この差は一体何故なんだろう?
予算?
土地の広さ?
それとも民族的な考え方の違いか?(笑)

オスカー・ニーマイヤーが落書きみたいにキュキュっと描いた曲線がそのまま形になって建築物に変化してしまう映像が興味深かった。
この自由な発想とセンスは日本人には難しいレベルかもね?

オスカー・ニーマイヤーの作品の中で実際に行ってみたいなと思ったのがニテロイ現代美術館(写真上)である。
オスカー・ニーマイヤー自身がこの美術館について語っていた。
「この坂道をワクワクしながら登ることだろう」
坂道って赤い舌みたいなところね。(笑)
現代美術館だもんね、これくらい現代アートな建築の中で展示されて当然だよね!
おや?どうやらこの美術館が、会場入口で観た空飛ぶ円盤だったんだね!
だから海際に着陸したのも納得ね。

オスカー・ニーマイヤーは2012年に104歳で他界したそうだけれど、2011年の作品もクレジットされているように高齢になっても現役で活動していたようである。
そのエネルギーの源は、どうやら女性だったようで。(笑)
オスカー・ニーマイヤーのデザインの特徴である曲線は「愛する女性の体の線」を表現しているという。
アレハンドロ・ホドロスキーもそうだけど、女好きのスケベ心を忘れない(?)男性は創作活動期間が長くて、良い作品を作り続けることができるのかもしれないね?(笑)

オスカー・ニーマイヤー展も鑑賞できて良かったなあ!
まだまだ全然知らない大好きな世界がたくさんあることが分かって、次の新たな出会いが待ち遠しくなるね!

最後に常設展へ。
今回の常設展は「戦後美術クローズアップ」と題して、1945年以降の日本人アーティストの作品を展示していた。
ハーバード大学を卒業してフランス陸軍の歯科医をしていた洋画家、中原實なんて、知らなかったよ!
そんな経歴を持っているアーティストがいたなんてね!
友人Mのお気に入りの画家香月泰男の作品も展示されていて、良かった。
香月泰男の作品は記憶が間違っていなければ、国立近代美術館の常設展で観たのが最初だったはず。
山口県長門市に香月泰男美術館があるようなので、いつか行ってみたいよね!
今回の常設展で一番興味を持ったのが石井茂雄 という28歳で夭折した画家!
石井茂雄(画家)と検索しないと、野球選手がヒットしちゃうから要注意なんだよね。(笑)
この石井茂雄(画家)は、なんとヨーコ・オノの従兄弟なんだって。
上の画像のようなアングラなタッチのモノクロームの作品やフォトモンタージュの作品もあり、ものすごく好みだった。
このアーティストのことも全然知らなかった!
今回の東京都現代美術館の企画、全部良かったね。
「絶対観たほうが良いって!」という友人Mの言葉通り!
またいろんな展覧会に行ってみたいと思う。

ROCKHURRAH RECORDS残暑見舞い2015

【ポストカードが年々陰鬱になってゆく・・・】

ROCKHURRAH WROTE:

毎年「夏が暑い」「夏が苦手」などと当たり前の事を書いてるが、今年も記録破りの熱気で外に出るのが苦痛極まりない。
どこにも通わず家で涼しくしていられる高等遊民だったら良かったのに。

今年の夏はエアコンがフル稼働という日が続いてて、そのせいなのか知らないが送風口から水が溢れでてくるという非常事態に見舞われた。
慌てて下にゴミ袋を取り付けて水を食い止めたが、一番ひどい時はビックリするくらいのボタ漏れだったので焦ったよ。
そのさなか、吹き出し口に指を突っ込んでしまい「バリバリバリバリ!」という音と共に指先を負傷してしまったROCKHURRAH。
動かしてみると骨折はしてないようだが、翌日にはかなり腫れて紫色に変色、そして爪もぱっくりと割れてしまった。レントゲンまで撮ってもらって骨折やひびではないと診断されてやっと一安心したが、二週間以上経った今でもまだ指先が痛くて不自由な暮らしをしているよ。

電源つけたままのエアコンで水の拭き取り作業という横着をしてしまったためにこんな目に遭ってしまった。感電とか指切断とかもっとひどい事態にならなくて不幸中の幸いだったよ。そんなに危険なものという認識がなかった自分の不注意がおそろしいね。

エアコンの水漏れ自体はどうやら室外機のドレンホースという排水口が詰まってて起きる現象らしい。しかしウチのエアコンは窓際じゃなくてなぜか部屋の逆側の壁についてて、このためドレンホースがたぶん部屋の壁の中を通って外に排水されるという無駄に大掛かりなものになっている。だから普通のホースは見当たらないが、壁から排水口は出ていた。こいつが元凶か、中指のカタキ。

ドレンホースの詰まりは掃除機や口で吸うか吐くかして異物と共に汚水を排出しないと解決しないというので、ものすごい熱帯夜なのに汗だくになりながら思いっきり息を吹き込んでゆく。法螺貝や角笛もこんなにつらいのだろうか?
めまいがするくらい吹き込んだからなのか、とりあえずはゴボゴボと汚水が出た後は水が出て来なくなった。苦労した甲斐があったね。

その後、専用のドレンホース・クリーナーなるでかい注射器みたいなのを買ったのでもう法螺貝を吹く必要はなくなったけど、この真夏の二週間、エアコンと指の事で無駄に疲れてしまったよ。

さて、今年も恒例の残暑見舞いポストカード。
デザインはドレンホースと指の怪我がモチーフになってる、というのはウソだが、なかなか不気味な雰囲気に出来上がったね。

まだまだしばらくは暑い日が続くけど、早く涼しい季節になってまた色々なところに出かけたいよ。さらば夏の日。