村上隆のスーパーフラット・コレクション鑑賞

【毎度お馴染み!美術館前の看板を撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

2016年になって一番初めの展覧会鑑賞記事である。
なんと2015年にも村上隆の展覧会に行ってるんだよね!
ものすごく好きなアーティストというわけじゃないのに、連続してしまうとは。(笑)
ただし今回の展覧会は、村上隆がコレクションしている作品の展示ということなので、村上隆自身の作品の展示とは違うけどね!
この展覧会に関しては、かなり前から長年来の友人Mより
「面白そうだから行こうよ」
と誘われていた。
ようやく日程調整をして、ROCKHURRAHを含めた怪しい3人組、昨年10月に鑑賞した蔡國強展以来の横浜みなとみらいに集合である。

展覧会が開催されているのは横浜美術館
この美術館は企画展も良いけれど、美術館自体のコレクションも充実していて素晴らしいんだよね!
さて、今回の企画展である「村上隆のスーパーフラット・コレクション」についての説明を聞いてみようか。

村上隆は近年、独自の眼と美意識で国内外の様々な美術品を積極的に蒐集し続けています。
村上隆にとって「スーパーフラット」とは、平面性や装飾性といった造形的な意味のみに限定されるのではなく、
時代やジャンル、既存のヒエラルキーから解放された個々の作品の並列性、枠組みを超えた活動そのものを示しており、「芸術とは何か?」という大命題に様々な角度から挑み続ける作家の活動全体(人生)を包括的に表す広範かつ動的な概念と捉えられるでしょう。

スーパーフラット、という言葉に関する説明なんだけど、ちょっと難しいよね?
ヒエラルキーとか言われても、ねえ。(笑)
一応調べたので書いてみると、ヒエラルキーとは階層制や階級制のことで、主にピラミッド型の段階的組織構造のことを指す、という。
文中にあった「ヒエラルキーからの開放」とは、高低や順位やら優劣(?)などを排除した状態、ということになるのかな?
この問題については展覧会を鑑賞し終わってから、また考察することにしようか。
まずは展覧会の概要を知るため、横浜美術館が制作した展覧会のメイキング映像を載せてみよう。

メイキングを観ただけでも、膨大な数の作品が所狭しと並べられていく様子が分かるよね。
そして実際に目にした最初の部屋には、どこに何が展示されているのか分からない程の作品が並んでいたよ。
一つ一つを丁寧に鑑賞することができないほど、メチャクチャに置かれた作品群。
最初の部屋には作品名や作者に関する表示もなかったような?
この無秩序に見える状態が、もしかしたら今回の展覧会を象徴する「スーパーフラットな部屋」なのかもしれないね。
ミクスチャーの、チャンプル状態だったからね。

ごちゃまぜだったのは最初の部屋だけで、次の部屋からはちゃんと作品名やアーティスト名が記載されていた。
これでやっと誰の作品か分かるようになって安心だね!
ここからはSNAKEPIPEが展覧会の中で気になった作品を紹介していこうかな。
フラッシュをたかなければ撮影オーケーな展覧会だったので、バシバシ撮ってきたよ!(笑)
え?最近はフラッシュたく、って言わない?ほんとー?(笑)

ヘンリー・ダーガーの作品は画集などで知っていたけれど、実物を目にしたのは初めて!
自宅で一人コツコツと描きためた作品が評価されることになるのは、ヘンリー・ダーガーの死後だったという、よくある話なんだけど。
その偏愛的な作品は、物議を醸し出すであろうロリコン系!
その異常性と芸術的な高さとのバランスが魅力的なんだよね。
淡い色彩と繊細な線画がとても美しい作品だった。
ガラスに反射して「非常口」の緑色が映り込んでしまったのが残念!

このアーティストのことは知らなかったけれど、一目観て気に入ってしまった!
ロイヤル・アート・ロッジは1996年から2008年まで複数人で活動していたカナダの現代アートグループのようで。
そのメンバーのうちの2人はまだ一緒に活動していることがHPで分かるね。
色使いの美しさとモチーフの残酷さ。
まるで子供が描いたように見えるのに実は計算された構図、というミスマッチ感覚にヤラレた!(笑)

ギョッとしてしまう彫刻の作者はジュリアン・ホーバー 。
頭部に無数の穴が開いているだけで、こんなに気味悪くなっちゃうんだね!
作者のHPはなくて、所属しているギャラリーのHPに載っている情報では、1974年フィラデルフィア生まれの女性で、2002年から個展を開催しているアーティストとのこと。
彫刻だけではなく、絵も描くし、どうやらビデオ作品も制作しているみたい。
今回の穴あき頭部の展覧会の画像をみたけれど、一つでも充分なインパクトなのに、複数の頭部が展示されている様子はまさに猟奇!
実際に目にしてみたいよね!

村上隆のコレクションすごいよね。
ダミアン・ハーストも持ってるんだもん。
これは鏡面仕上げの表面に蝶々が貼り付けられている「Dreams of Magnificence」という作品なんだけど、死骸と知った後でも「キレイ!」と感想を持ってしまう。
ダミアン・ハーストの作品に死はつきものだと思うけれど、グロく見えない美しさだった。
鏡みたいになっていたから、周りが映り込んでしまい撮影に苦労してしまう。
ただし、左に載せた作品だけの画像で見ると鏡面仕上げが分からない感じ。
実際に観るのと画像で見ることの違いがハッキリするよね。
それにしてもこの画像は、どうやって撮影したんだろう?
何か特別な撮影方法あるのかしら。
誰かやり方教えて!(笑)

ROCKHURRAHから「この作品撮影して!」とリクエストされた。
どうしたのかと尋ねると、ソニック・ユースのキム・ゴードンがプッシー・ガロアのバンド名を作品にしてるから、という。
ソニック・ユース!
なんとSNAKEPIPEと友人M、かつてソニック・ユースが新宿ロフトで行ったライブに行ってるんだよね。(笑)
2時間開始が遅れたこと、ライブ途中でSNAKEPIPEがコンタクトレンズを落としたこと、などのどうでも良いことだけを覚えていて、肝心のライブはうろ覚え!
なんでライブに行ったのかも不明だよ。(笑)

「えーーっ!」
友人Mが声を上げながら駆け寄る。
どうしたのかと思うと、この作品の作者はジェイク・アンド・ディノス・チャップマン、通称チャップマン・ブラザーズだったんだよね!
かなり過激な作品を発表しているため、作品の評価は賛否両論というイギリス人兄弟に関して、友人Mが興味津々だったことを思い出す。
日本での個展開催は難しいかもね?と言い合っていたので、一つでも作品が観られて良かった!
それにしてもやっぱり不気味な雰囲気だったね。(笑)

チャップマン・ブラザーズの後に鑑賞した作品が更に不気味だった!
ギレーヌ&シルヴァン・ステランの作品を2体撮影してみたんだけど、まるで民族学博物館などで並んでいるような、呪術で使われる人形みたいじゃない?
原始宗教とか「まじない」といった、現代アートとはあまり馴染まない単語が次々と頭に浮かんでくる。
素朴な材料を使用しているのも、余計に部族っぽいし。
非常に怖い作品で、とても気に入ってしまった!(笑)
HPにはもっとたくさんの不気味ちゃん達がいるので、気になる方はチェックしてみてね!

横浜美術館入り口にはドーンと大きなアンゼルム・キーファーの作品が「どうだ!」と言わんばかりに鎮座していたけれど、それらの作品も全て村上隆のコレクションだったことは帰宅後知った。
そうそうたる現代アートのスター達の作品群を所有している村上隆、やっぱりすごいね!
今まで知らなかったアーティストの素晴らしい作品もたくさんあって、鑑賞できて良かったと思う。

そして文頭で投げかけた「スーパーフラット」の意味は、恐らく作品の評価や金額、アーティストが有名か無名かなど、一切の垣根を取り払って
「これが好き」
「この作品、欲しい」
と村上隆が思った物をコレクションしている状態を指すのだろうと思った。
それは同時に「分かる人にだけ分かれば良いアート」といった「現代アート=難しい」という敷居の高さも取り払って、感じたまま、思うまま鑑賞すれば良いという姿勢も感じられたし。
これってSNAKEPIPEが「家に持って帰りたいと思う」作品に巡りあって、嬉しかったと思う気持ちと全く同じで、更に当ブログで展開している「SNAKEPIPE MUSEUM」の趣旨なんだよね。
実はちょっと胡散臭いと思っていた村上隆だけど、今回の展覧会で見直してしまったよ。

それにしても、村上隆は膨大なコレクションをどこに保管してるんだろうね?
これも大きな謎だ!(笑)

収集狂時代 第4巻 高額ベッド編#01

【どんなお方がこのベッドでお休みに?Glenn Furnitureの作品ね!】

SNAKEPIPE WROTE:

珍しくテレビをつけたら、たまたまショッピングチャンネルで布団乾燥機の販売をしていた。
宣伝を担当している男性が声を裏返しながら「すっごいですよねー!」と、かなり大袈裟に商品の素晴らしさをアピール。
その様子が面白くて、つい見入ってしまった。(笑)
ジャパネットたかた以来、あの手の宣伝や広告がたかた社長風になってるんだろうね。
あまり関係のない前振りだったけど、今日の特集は「収集狂時代」として世界の高額ベッドTOP5を紹介したいと思う。
これは「ビザール・グッズ」とは違うからね!(笑)
あくまでも高額商品なので、よろしく。

では5位からスタート!

Quantum SleeperのThe Anti-Apocalypse Bedがランクイン!
訳すと「反黙示録ベッド」?
一体どういうことなんだろうね。
上の画像の中に書いてある宣伝文句にヒントがありそう。
・化学兵器を使ったテロ対策
・子供の誘拐やストーカー被害対策
・防弾性の安全な部屋
ベッドの宣伝としては聞き慣れないよね?

調べてみるとその宣伝文句通りの機能が付いたベッドのようで。
ポリカーボネイト防弾メッキに化学兵器に対応したベンチレーションシステムによって空気を清浄する外壁だという。
これで弾丸や化学兵器からの攻撃をブロックできるんだね。
更に侵入者に対応したりロックしたりするコントロールパネルを搭載。
センサーや煙などに対応した安全機能も付いている。
緊急事態通信システムとして携帯電話やラジオがあり、数日間を過ごす可能性も視野に入れているためなのか、テレビや電子レンジ、冷蔵庫にDVDプレイヤーまでついている。
もちろんバッテリーパックもあるから安心だね!(笑)
それではいよいよ注目のお値段にいってみよう。
$160,000、日本円で約1800万円也!
第5位で既に2000万円近いお値段だよ。
それにしても…こんなに防犯機能に優れてるけど、ベッドごと運ばれてしまったらどうするんだろうね?
まだ他にも隠された攻撃設備があるんだろうか?(笑)


続いて第4位!
まるで後光がさしているかのような印象的な丸いデザイン。
東洋的な雰囲気を感じてしまうんだけど、会社はアメリカ合衆国アリゾナ州スコッツデールにあるという。
スコッツデール!(笑)
これはつい先日PGAツアー、フェニックスオープンゴルフが開催されて、日本から出場した松山英樹が、リッキー・ファウラーとのプレーオフで優勝したところじゃないの! (説明長い)
今回のベッドとは全く関係ないことだったね。(笑)
そのスコッツデールで1977年から家具を作っている、Parnian FurnitureのPDM Sunset Bedである。
エボニー、サペーレ、および巻き毛カエデによって作られた丸い後光部分はラッカー仕上げで更に光沢を増す。
iPadホルダーや充電設備、テレビやコンピュータモニタも装備されているという。
ベッドの横にある2つにLEDライトに加え、バックライトも点灯するんだって。
ますます後光になるよね!(笑)
さて気になるお値段は…手作りのため素材によって変わるらしいけど、最高値で$210,000、日本円で約2360万円也!
素晴らしい出来栄えだけに、お値段もさすがだよね。(笑)
ちなみにこの丸いデザインは他にもあって。


全部そろえたらすてきだろうね!
総額でいくらになるんだろう?


さていよいよベスト3に突入してきたよ!
第3位はこちら。
邪道、じゃなくて、JadoのSteel Style Gold Bedだよ!
このメーカーのHPを探してたんだけど、見つからなくて。
詳細は不明のまま続けていきましょう。
24金のコーティングとスワロフスキー、というのが高価な理由みたいね。
他にはインターネットができて、playstationで遊べたり、DVDが観られたりする、というのが特徴とのこと。
いやあ、それくらいの装置なら第5位でも整っていましたから!(笑)
それにこんなにキラキラした環境でゲームってどうなのかね?
お値段が$676,550、日本円で約7620万円!
やっぱり大部分が金の値段だろうね?
サラウンドシステムもついているそうなので、この曲を聴きながらより気分を盛り上げてみては?(笑)

第2位はこちら!

これは一体どうなっているんだろうね?
調べてみると、これはオランダにあるUniverse Architectureというデザイン事務所に所属しているJanjaap Ruijssenaarsというデザイナーの作品のようだね。
約680キロの磁石を使ってベッドを浮かせ、更に四隅をワイヤーで固定することで安定性を持たせている。
いくら動かないとはいっても、寝心地はどうなんだろうね?
磁石の効果で肩こりがなくなる、とか??(笑)
寝相が悪い人には向かないだろうけど、心地良いと感じる人も多いはず。
気になるお値段は$1,600,000、日本円にして約1億8000万円!
おーっついに億超え!(笑)
スタイリッシュだし、発想が面白いし、寝心地良いし?
ちょっとコロンとしてみたいよね。(笑)

ついに1位の発表ね!


おやおや、バロック調デザインが高額ランキング1位とは!
イギリスはリヴァプールのStuart HughesがデザインしたBaldacchino Supreme Bed(天蓋付きの最高位ベッド)である。
この方、どうやらラグジュアリー専門みたいで、HPにはたくさんのゴージャスなデザインが載っているんだよね。
ラグジュアリーなiphoneとかラグジュアリーなwiiとか。(笑)
この天蓋付きベッドはそんなラグジュアリー大好きなStuart HughesとイタリアのHEBANONというデザイン事務所との共同制作だという。
ほとんど手作業で仕上げられたというから、すごい仕事してるよね。
高額ランキング1位の理由は、人件費以外に100kgを超える24金を使用したこと、だろうね。
現在のレートで金1kgが4,825,000円、それを107kg使用したということだと516,275,000円。
この時点で5億超えてるよね?間違ってないよね?(笑)
それではいよいよ天蓋付きベッドのお値段ね。
$6,300,000、日本円にして7億1000万円!
もう金の値段の段階で5億を超えることは分かっていたから、そんなに驚かないね。(笑)
この1位を超えるベッドはそうそう出てこないかもね?

今回のベッドの世界高額ランキング、面白かったね!
「ビザール・グッズ選手権」じゃないのに、ちょっと似た雰囲気になるところがポイントだよね。(笑)
また高額ランキングの順位が変わったら、別途紹介しよう!
ベッドだけに!(ROCKHURRAHより習ったギャグ)

昔の名前で出ています、か?(其の四)

【今回出てくるキーワードを散りばめた画像をSNAKEPIPEが制作。何だこりゃ?

ROCKHURRAH WROTE:

何と最後に書いたのが2010年、6年も経って書いてる本人にもまさかの更新となるシリーズ記事がこの「昔の名前で出ています、か?」だ。

本来は、かつてレコード好きでかなり収集していたROCKHURRAHが懐かしのレコード屋を回想するという企画だった。
そういう事をやってた現役の頃からかなり時が流れているから、もしかしたら足繁く通った店はあとかたもなく潰れてるかも知れない。
移転、または店名自体が変わってるという可能性もある。
しかしそんなことをいちいち調べて書くとものすごく大変だから、本当に単なる記憶だけで書いたのがこのシリーズ記事だった。
6年経った今もまるで進歩してないどころか、記憶力が退化してSNAKEPIPEと二人で「あー。あれ何だっけ?」「誰だったっけ?」とか言いながら忘れてたことを思い出す毎日(笑)。
これじゃいかんと思い、記憶がまだ多少あるうちに(大げさ)過去のことを記録しておかねば・・・なんて大層な理由じゃないんだけど、久しぶりにこういう「昔」ネタを書いてみよう。

今回はレコード屋とか音楽に限らず、ROCKHURRAHの故郷とも言える小倉にあった店についてテキトウに思い出してみるよ。本当にテキトウなので呆れないでね。
この際、重要度は抜きにして思い出したかどうかだけがポイント。

日本の地名でどれくらいメジャーなのかわからんけど、福岡県北九州市にあるのが小倉という地区で小倉北区、小倉南区の二つに分かれている。
ROCKHURRAHの生まれは福岡県のもっと南西の山の中なんだけど、そこから西鉄大牟田線にあった基地の町を経て、小学生の時に北九州に引っ越してきた。ROCKHURRAHが生まれる前から親は割と転々としたらしく、意外と風来坊な気質だったのかな?
ROCKHURRAHも東京、福岡、京都、千葉、まあまあ転居が多いけど東京に出るまでの間はずっと小倉の住民だったわけで、当然何かの思い出やエピソードもあるのは間違いない。とは言っても別に劇的に生きてきたわけじゃないから他愛もない平凡な思い出ばっかりだったなあ。

先日、何年ぶりかで小倉に帰る用事があったんだが、何と小倉に滞在していたのはたった三時間だけという、芸能人並みのスケジュールで行動した一日があった。
急用じゃなければもっとゆっくりしていたかったんだけどね。

さて、そんな小倉の、人にとってはどうでもいいと思える場所を思い出すので少しの間、過去に遡ってみよう。
偶然この記事を読んで同時代を体験し、今でも覚えている人はどれくらいいるのかわからないが一人でも「ああ、あったねえ」と思い出してくれればそれでいいよ。
あらかじめ断っておくがROCKHURRAHが過ごしたその時代の小倉に限定してるので、その後でも前でもない。一応、当時の記憶でマップを作ってみたが、もちろん今の小倉っ子が読んでもよくわからないだろうな、と想像する。

ROCKHURRAHはこの街でパンク・ロックに目覚めレコードを買い始めた。
がしかし、そういう眼で見ると小倉の街はとても遅れてて、ちゃんとした輸入盤のレコードが買える店も当時はほとんどなく、仕方ないから小倉よりは都会だった博多、天神に買い物に出かけていた。
この辺はまあこのシリーズ記事の最初でも書いたな。

ROCKHURRAHはただレコード集めだけを趣味にしていたわけじゃないからパンクでニュー・ウェイブな服装とかにも興味があった。
まだ学生で金もなかったからバイトをして、その金でレコードや服を買っていたものだ。東京のように安く古着とか買える店もなく、そういう物価は逆に小倉の方が高かったのは確かだった。
その頃、よく通っていたのが「びんろう樹(MAP①)」という洋服屋。今では滅多に使わないけどブティックという言葉に当てはまる店(笑)。
魚町銀天街(小倉の中心地を貫くアーケード街)のどこかのビルの二階にあったな。ちょっとゲイっぽいと勝手に思ってたお兄さんがいて、少しニュー・ウェイブの話をしてた覚えがある。今では知ってる人も稀だと思えるがCOZO COMPANYというメーカーの出していたラバーソールの靴がロボットやジョージ・コックスなどの本家とは違った感じで、これが気に入ってボロボロになるまで愛用していた。

あと、小倉の中心街から離れた片野という何もないような場所になぜか当時の東京の古着屋にも負けない意気込みの古着屋があったな。
確か「ダイヤモンド・ガーデン(MAP外の場所なので番号なし)」というような店名だったが覚えてる人はいるだろうか?
ただ古着だったら何でも置く店と違い、ここは明確にフィフティーズ、ロカビリー専門の店だった。外観や内装も50年代っぽくしてて地方ではなかなか誇れるくらいの店構えだった。
暴走族、ヤンキー、そしてそのOB達が多く住む暴力都市だった小倉だから、リーゼントの延長としてロカビリーが人気だったのか?あまり関係ないような気もするが、確か高校の先輩の友達が店員だったかな。本当の古着に混じってジョンソンズやクリームソーダなども置いてあったな。
ジョンソンズのズートパンツを買った覚えがあるが、ポケットに変なくせがついてて、すぐに逆向きになってしまうからほとんど穿いた記憶がないよ(笑)。
同じ頃に買ったレーヨンのシャツは確かとても珍しいもので、これは後に東京で古着屋通いをしてた頃、色んな店で「すごく良い」と評価されたなあ。モデルが良かったか?
この店は意気込みは良かったに違いないが、たぶん場所も悪かったからすごく短い期間で閉店したような気がする。

その頃よく行ってたのが小倉駅前の「UCC(MAP③)」の喫茶店。別に何てことない普通のサラリーマンや学生が集うような店だった。パチンコ屋が並ぶ近くだったからスポーツ新聞広げて開店を待つような客も多く、ガラも悪かった。ああ、当時の小倉は本当にデンジャラスだったよな。ROCKHURRAHのようにパンクでニュー・ウェイブだった人間がわざわざ行かなくても、というような店構え。ここでよく食べてたのが何だかよくわからない鉄板焼きのようなナポリタンだった。目玉焼きが上に乗ってて食べてる間に下のほうが焦げてしまうという貧相な料理だが、このパリパリの焦げが気に入ってたのかな?最後に小さなグラスでコーヒーフロートがついて来て、かなりお得感があるメニューだったな。

魚町銀天街から横にそれた通りの小洒落たビルの二階にあったのが「コーヒー オオニシ(MAP④)」。一階がマックアビーという洋服屋、隣が本間ゴルフの店だったかな?またしてもビル名思い出せないよ。記憶が確かじゃないとムズムズするね。
これまたパンクやニュー・ウェイブゆかりの店とはまるで違ってたけど、当時仲良くしてた四人組のたまり場だった。音楽仲間、ただしやってる方じゃなくてリスナーの方ね。
毎日のように通ってるうちにここのバイトになってしまった。
下のマックアビーには小学校の時の同級生が働いてたな。小学校の時はほとんど話した事なかったし、再会しても「あー、六年の時の」程度の顔見知りだけど、狭い世界だったな。
店主は天才肌だがものすごく偏屈な人で、店舗経営には間違いなく向いてなかったタイプ。いい店だったんだがその店主が突然店に来なくなってあえなく廃業。
しかし潰れる前には結構、ROCKHURRAH一人で店を開けて一人でウェイター&厨房やって、ランチタイムとかまで切り盛りしてたもんだ。今よりもずっと有能だったらしい。

魚町銀天街が終わった先には旦過市場という古い食品街があった。他に例える市場を知らないから言うが、京都の錦市場みたいな感じで、あれよりももっと「戦後感」に溢れるゴミゴミした通りだった。入り口には「丸和」というスーパーがあって、当時の地方都市には珍しい24時間営業だった。
この店については特に書いてないが当ブログで「マルワランド・ドライブ」というデヴィッド・リンチのパクリみたいなタイトルで傑作記事を書いていたな。

その旦過市場入り口の横の方の角に全日空ビルというのがあって、そこの地下には「シェリーズ・バーMAP⑤」という巨大なカフェバー(たぶん死語)があった。
それより前から小倉の鳥町食堂街にあった「はんぷてぃ・だんぷてぃ」というパブのメンバーが独立して店舗を構えたように記憶する。何とROCKHURRAHの兄も創業時のメンバーの一人で、数年後にROCKHURRAH自身も少し働いたことがあった。
当時の小倉ではカッコイイ店のつもりだったんだろうが、なぜか一番盛り上がる時間帯にマイケル・センベロとか流すような店だった。スタッフはみんないい人だったけどね。
数年後、ROCKHURRAHがすっかり東京の住人になっていた頃、潰れたと風の便りに聞いたな。

ROCKHURRAHはバイクや車にはそこまで興味がなかったが、移動手段としてスクーターを愛用していた。東京に出た後は一切乗ってないから、この時代限定なんだけど、これによって一気に機動力が増して行動範囲も広くなった。機種名は敢えて書かないがヤマハの割とパワフルなのに乗ってたよ。
小倉や福岡の市街を網羅している交通手段はバスが主流だった。独占企業と言っても良いシェアを誇ってるのが西日本鉄道、通称西鉄バス。これが狂気のように北九州に網の目状のバス路線を開拓したから、北九州のどこへでもバスに乗りさえすれば行けるくらいに発達していた。小倉駅前から実家に帰るのにいくつもの路線が存在するほど。まあ便利と言えば便利なんだけど、行きたい方向の路線が複雑すぎて慣れないと大変でしかも運賃がバカ高い。
だからスクーターは自由に動きまわりたいROCKHURRAHにとっては大切な相棒だった。これに乗って大好きだった苅田の埋立地に出かけたりしたもんだ。こんなところにトラックでもなくて来るのは釣り師かROCKHURRAHくらいのもんだったなあ。
あと、気に入って行ってたのが南小倉にあった「満遊書店(MAP外の場所なので番号なし)」という巨大古本屋。ブックオフとかの大チェーン店でもなく、九州にしかなかったように記憶するが圧倒的な量の古本在庫があって、初めて入った時にはカルチャー・ショックを受けたものだ。他の店舗は知らないが福岡空港の近くにも最大規模の店があり、あまりにも巨大過ぎて本を探してる途中で疲れたり力尽きたりしたが、これは東京あたりの小型古本屋しか知らないような人が見たら卒倒するくらいの質量(大げさ)。

あくまでも個人的な思い出の小倉ばかりを思い出してみたけど、久しぶりに原点を思い出すのは楽しかったよ。また今度、気が向いたら色んな事を回想してみよう。

ではまた、さらばっちゃ(←小倉の人は絶対言わない)。

ふたりのイエスタデイ chapter08 / Art Of Noise

【今見ても意味不明のレコードジャケット。その謎に惹かれるんだよね】

SNAKEPIPE WROTE:

SNAKEPIPEとROCKHURRAHがこれまでの人生において好きだったことを語っていく「ふたりのイエスタデイ」。
過去恥部的な企画のせいか、なかなか書き辛いのが実情なんだよね。
なるべく恥ずかしくないように努力すれば大丈夫かな?(笑)

天気予報と時刻を知る目的のため、朝だけはテレビをつけるけれど、それ以外の時間はつけるとしたらラジオである。
以前何かの記事にも書いたけれど、最近はインターネットラジオでパンクか80年代ニューウェイブのチャンネルを聴くことが多い。
かつて大好きだったあの曲、あのバンド。
最近は人の名前や映画のタイトルをすぐに思い出せなくなっているのに、どうして80年代のバンドと曲名はあっさり口をついて出てくるんだろう。
若いうちに勉強しておいたほうが良い、というのがよく解るね。(笑)
今日はそんな大好きだったバンドの中からThe Art Of Noiseについて書いてみよう。

ここからはカタカナ表記でアート・オブ・ノイズと書いていくのでよろしく!
アート・オブ・ノイズって何?という人のために、少し説明をしてみようか。
などと大それた書き方をしてしまったけれど、当時はほとんど情報がなくて「トレヴァー・ホーンのZTTレーベルからデビューした謎のバンド」というような紹介しかされていなかった。
トレヴァー・ホーンって大ヒット曲「ラジオスターの悲劇」で有名なバグルスのリーダーね。
最初は覆面バンドで、誰がバンドのメンバーなのか全く知られていなかったんだよね。
現在では、例えばWikipediaにもメンバーについての情報があるので、SNAKEPIPEも今回調べて初めて知ったことばかり。(笑)
特にメンバーや使用していた機材についての知識がなくても、その革新的な音楽には聴いた瞬間から魅了されてしまったのである。

トレヴァー・ホーン発明と言われる
「オーケストラヒット」や、
当時1000万円以上したサンプラー「フェアライトCMI」によって作り出されたサウンド・コラージュと、
当時最新鋭の技術であった「サンプリング」を駆使して、車のエンジン音や物を叩く音など
身のまわりのノイズを再構築することで
音楽に仕立て上げた「騒音の芸術」

いやはや、文章で表現するとこんな感じになるんだね。(笑)
「におい」や味と同様に、音楽についても実際に聴いてみないとわからないと思うけど、実験的なエレクトリック・ミュージックだということは分かるよね。
アート・オブ・ノイズの場合は、そんな機械的なイメージに文学的要素をプラスしたため、知的な音楽集団というイメージになったんだよね。
「afraid」「close」「fear」などのネガティブな単語を使ったタイトルにも興味を持ったことを覚えている。

Wikipediaからの受け売りだけど、グループ名は、イタリア未来派の画家・作曲家・楽器発明家 ルイージ・ルッソロの論文「騒音芸術(Art Of Noises)」から採用されているという。
ちなみにレーベル名である「ZTT」もイタリア未来派の詩人フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティのサウンド・ポエム・タイトル「Zang Tumb Tumb」や「Tuuuum」という単語から影響を受けているとのこと。
サウンド・ポエムってなんだろう?
調べてみると「意味を拒絶した音の響きだけで成り立たせようと試みる詩」で、ダダイストのH.バルやシュルレアリストのA.アルトーは純粋な音響詩を試みているらしい。
これってもしかしたら先週の「映画の殿」で書いた
Digue dondaine,digue dondaine,
Digue dondaine, digue dondon!
みたいな感じなのかも?
意味を拒絶、という定義に当てはまるのかどうか分からないけどね。

最初に聴いて衝撃を受けたSNAKEPIPEは、すぐにLPを購入する。
「Who’s Afraid of the Art of Noise?」、邦題は「誰がアート・オブ・ノイズを…」だった。
どうしてこの邦題になったのか不明だけど、このタイトルにも文学的な匂いを感じていたSNAKEPIPE。
当時は文学少女だったから反応したんだろうね。(笑)

文学的と書いたけれど、実はほとんど歌詞はなく、インストゥルメンタルな曲ばかり。
実験音楽に触れたのは初体験だったけれど、すんなり馴染んだのはリズムとメロディラインがはっきりしたポップなチューンが多かったからだろうね。(この表現は古めかしい!)

当時はミュージック・ビデオを見る機会は限られていたので、上のビデオも初めて見たよ。
どこで撮影したんだろうか。
まるで「映画の殿 16号」 で特集したタルコフスキーの「ストーカー」の中に出てくるような場所だよね。
やりたいことはよーく分かるんだけど、撮影技術がついていっていない感じの、少し残念なビデオ。
もうちょっとアートにできたと思うけどなあ。


実はアート・オブ・ノイズが来日した時、長年来の友人Mと一緒にライブに行ってるんだよね。(笑)
Wikipediaによると1986年日本青年館で東京公演とあるので、多分それを観たんじゃないかな?
あまりはっきり覚えていないけれど、上の画像にある仮面が舞台の上部に飾られた真っ暗な中でのライブだったような?
そのため本当に今、ここで演奏しているのか不明で、もしかしたらレコードをかけていても分からないような状態だった感じ。
なんだかせっかく出かけて行ったのに、肩透かしを食らった気分だったっけ。 (笑)

数年してからテレビから聴いたことがある音楽が流れてくる。
そう、日本ではもうすっかりお馴染み、Mr.マリックのテーマとして認知されてしまった「Legs」である。
あの知的な文学性を持ったアート・オブ・ノイズが、ハンドパワーのマジシャンに採用されるとは意外だったよ。(笑)
手品師の音楽といえばポール・モーリアの「オリーブの首飾り」を思い出すけれど、同じようなイメージがつくのはちょっと残念!

トレヴァー・ホーンは2010年に大英帝国勲章を授与されているという。
現在はThe Producersというバンドで、かつて自分が関わった曲のカヴァーを演奏しているみたい。
もう一度何か世間をあっと言わせるようなことを仕掛けてくれないかな?