誰がCOVER・・やないねん

                   

【今回の登場人物は偶然にも変な歌い方の人ばっかり】

ROCKHURRAH WROTE:

軽く書いてるように見えても毎回結構苦心している当ブログ。
そもそも日記でも時事ネタでもなくて投稿する曜日を決めてるもんだからそこまで湯水のように書きたい事は湧いてこない。 ところがROCKHURRAHが担当する「誰がCOVERやねん」シリーズだけは別で、何もテーマとか決めなかったら毎週でも書けるくらいなのだ。
要するにカヴァー・ヴァージョンが世の中にいくらでもあるからそれについて軽くコメントしてるだけという他力本願のネタね。ただし現在進行形の音楽については全く取り上げず、70年代から80年代のパンクやニュー・ウェイブという狭いジャンルのみがウチの記事のメインなので、いつかは枯渇するだろうけどな。

さて、今回取り上げるのはカヴァーのようでカヴァーでない、2つのバンドをまたがってリサイクルされた楽曲について。何だそりゃ?まあ読み進めればわかるじゃろうて。

Buzzcocks VS Magazine
イギリスでパンク・ロックが始まったのが1976年頃の話。
ダムド、セックス・ピストルズ、クラッシュにストラングラーズあたりが初期の有名どころだが、それらに続くバンドが続々と登場したのはパンク好きならば誰でも知るところ。
だから初期パンクの御三家を挙げろ、と言われれば割と簡単だとは思うが、ベスト5を選べとなると、人によってかなり意見が分かれるんじゃなかろうか?好きと人気度は一致しないしね。
そんな中で比較的メジャーな候補のひとつがこのバズコックスである事は間違いないだろう。
「あの素っ頓狂なヘナチョコ声が嫌い」と断言出来る人も数多くいるだろうし、ストロング・スタイル至上主義のパンクスに受け入れられる要素はないけどな。
しかし王道のポップ・ミュージックを勢いのあるビートや乱雑な歌い方で展開して、その後のニュー・ウェイブ誕生のヒントを作ったという功績は多大だと個人的には思う。
バズコックスがいなければ誰かが同じ路線を作ったという意見もあるだろうけど、それはどんな音楽でも同じこと。
何もやらないヤツはいつもそう言う。

バズコックスの大半の曲で裏返るような不安定なヴォーカルをとっているのはピート・シェリーだが、初代ヴォーカリストであるハワード・デヴォートこそがこの歌い方の元祖だと言えよう。
発掘音源などなかった時代に彼の歌声が聴けたのはマンチェスターの歌声喫茶、ではなくニュー・ホルモンズという自主制作レーベルから出た「Spiral Scratch」と題された4曲入りのデビュー・シングルのみだった。
ここに収録されている「Boredom」や「Breakdown」はパンクの伝説的名曲として名高い。

「退屈」というタイトルをここまで音で一目瞭然に体現出来たバンドは他にない、と言えるほどの完成度。
デヴォート、本当に気怠いよ。
クラッシュ、ピストルズ、ダムドといったパンク・バンドは音楽だけでなく、ヴィジュアル面でも若者の心を掴んでいたが 、このバズコックスはそういう面には無頓着。
ただハワード・デヴォートのおそろしく広い額はまるでパンク世代のブライアン・イーノのような風貌で、この妖しい歌い方や声質と気持ち悪い顔は良く合っていたな。
「爬虫類のような目つき」とはまさに彼のためにあるような表現。
前に何回もバズコックスやマガジンについて書いてきたから特別新しいコメントもないが、歌い方の個性という点ではハワード・デヴォートは多くのヴォーカリストに影響を与えたのじゃなかろうか。

彼はこのシングル1枚のみでバズコックスを去り、次にマガジンというバンドを結成する。
デビュー当時は無名だったが後にニック・ケイブ&バッド・シーズやソロとして活躍する黒人腕利きベーシスト、バリー・アダムソン 。そしてスージー&ザ・バンシーズやアーモリー・ショウなどで活躍するギタリスト、ジョン・マクガフといった有能なミュージシャンと共に作り上げた音楽世界はパンクからニュー・ウェイブへの変換期にちょうどピッタリ当てはまったものだった。
単なるパンクから一歩踏み出した新しい音楽、それがニュー・ウェイブだとしたら、このマガジンもワイアーなどと共に先駆者として語られる存在に違いない。
彼がやりたかった事はバズコックスの演奏力では表現出来なかった、それがマガジンを聴くと良く理解出来るだろう。
そのマガジンがジョン・ピール(英国BBCラジオのディスクジョッキー)・セッションでバズコックス時代の「Boredom」をマガジン流でやっていて、これが興味深い。
バズコックスのカヴァーは数多くのバンドがやっているだろうが、オリジナル著作権者同士のテイストの違いを堪能出来てこれはまさにファン冥利に尽きるな。

デヴォートとシェリーの共作と思えるので、デヴォート抜きのバズコックスでもこの曲をやってるし、どちらのバンドも演奏する権利はあるのだろうか。その辺はよくわからんが、どちらも甲乙つけがたい素晴らしい出来だね。

Josef K VS Orange Juice
パンクの後にニュー・ウェイブの時代が来たのは前の項にも書いた通りだが、 これ以降はエレポップだのネオ・サイケだのオルタナティブだの実に細かく枝分かれしてゆき、それらが乱立した時代がしばらく続く。
どのジャンルにも後に語り継がれるようなバンドが出現して、ちょっと天下を取っては廃れてゆくという戦国時代みたいなものか。
そういう世間の流行りとは少し違ってるかも知れないが、ネオ・アコースティックとかギター・ポップという音楽もこの時代に生まれたものだ。
普通の青年達が背伸びせずに学生バンドの延長みたいに始めた音楽、そういう印象があるジャンルだが、ポストカード・レーベルやチェリーレッド・レーベルなどは比較的メジャーなバンドを擁していて、密かにファンを増やしていった。
ジョセフ・Kもオレンジ・ジュースもスコットランドのポストカード・レーベルから同時期にデビューしたが、日本で知られるようになったのはラフ・トレードが出したコンピレーション「クリアカット」に仲良く収録されていたからだろう。
余談だがこのアルバムにはディス・ヒートやレッド・クレイオラなども収録されていて、さりげなく幅広いすごい顔ぶれだったな。
このアルバムに啓蒙されて音楽を志した若者(今はたぶんオッサン)も多かろうと思える。
なぜかROCKHURRAH所有のこのアルバムはディス・ヒートの「Health & Efficiency」だけ針飛びするという泣きたくなるような不良盤だったのを今でも苦々しく思い出す。
話が逸れてしまったがオレンジ・ジュース、ジョセフ・K、この2つのバンドを渡り歩いたギタリストがマルコム・ロスだった。

ジョセフ・Kはポール・ヘイグという角刈りリーゼントのようなサングラス男がフロントで、そのマルコム・ロスの絶妙なカッティングのギターがちょっと陰りのあるヘイグのヴォーカルに絡むというスタイル。
ほぼ同時期にデビューしたモノクローム・セットとも似たような世界。
しかし彼らほどヴァラエティ豊かな音楽ではなく、やや単調な点が災いしたのか、ニュー・ウェイブ好きの人以外からはさほど注目もされなかったバンドだと言える。ジョセフ・Kの再来とも言えるほど似てたジューン・ブライズはよく聴いてたのに、本家の方はそこまで大好きではなかったなあ。

彼らの中で一番好きなのがこの「Heaven Sent」だ。
バンドとしての活動期間が短かったから同時代に彼らの音楽はあまり世に出ていないが、ずっと後に再発されたりで何とか全盛期の曲を聴く事が出来る。これは81年のピール・セッションのものらしい。
マルコム・ロスがオレンジ・ジュースに加入する前というわけかな?
ガチャガチャなギターの音と投げやりなヴォーカルが心地良い名曲。

オレンジ・ジュースはエドウィン・コリンズというぽっちゃりヒラメ顔のサングラス男がフロントでジョセフ・Kよりもやや音楽活動歴は長いが、オレンジ・ジュース名義になってからは同じポストカード・レーベルで同じ頃にデビューしている。
ちなみにアズテック・カメラもこのレーベル出身で、ネオアコやギターポップ好きの人にとっては聖地みたいなところがスコットランドなのかね。
オレンジ・ジュースはそういう路線からデビューしたんだが、一般的に有名になったのは2ndアルバム「Rip It Up」だろう。
このアルバムではジョセフ・Kから前述のマルコム・ロス、そして黒人ドラマーが加入したりで当時華やかに流行していたファンカ・ラティーナなる音楽を取り入れた事により予想外のヒットを放つ。
ファンクとラテン・テイストをごっちゃに融合したニュー・ウェイブの1ジャンルの事ね。

聴いた事ある人はわかるだろうが、エドウィン・コリンズのヴォーカルは思いっ切り白人なのにR&Bとかのヴォーカル・スタイルでかなり独特のこもった歌声。
パッと見にはサングラスでカッコ良さそうだが、よく見ると江口寿史の漫画に出てくる本人に似た感じで(今時知ってる人も少ないか)このくぐもったいやらしい声。思わず笑ってしまう部分があるんだよな。
本当によくこれでヒットしたものだと感心してしまう。
エドウィン・コリンズは後にソロとなって活躍したり、ヴィック・ゴダード復活の際に多大な貢献をしたり、やってる事自体はナイスなのになあ。
で、この2ndアルバム右下の男が問題のマルコム・ロスだ。
彼が作った曲がタイトル変えてこのアルバムに収録されているが、当然ながらジョセフ・Kとは大幅に違った路線。
あっちよりはコクがあるけどキレはイマイチといった具合かな。
やたらとマルコム・ロスの名前を連発しているが、まがりなりにもレコード屋稼業の端くれにいるROCKHURRAHが勝手に持ち上げただけで、本来ならば話題に上る事も稀な地味ギタリストに過ぎない(たぶん)。
これが元で空前のマルコム・ロス・ブームになったらどうしよう。

Red Crayola VS Pere Ubu
パンクからニュー・ウェイブの時代になって様々な音楽が誕生したが、上の項でも書いた通り、当時最強のインディーズ・レーベルがラフ・トレードだったと個人的には思っている。
それよりも小さくて売る力がないけど斬新なレーベルに目をつけて、これを次々とディストリビュートしていった功績は大きい。
元々がレコード屋だけに口コミで評判になったり、大きな会社の大金かけたプロモーション戦略とは逆の路線で成り上がったのがラフ・トレードなんだろうね。
まさに音楽のCGCグループ(全国の加盟スーパーによって構成された一大チェーン)みたいなものか。
このラフ・トレードが徳間ジャパンから続々リリースされた事によって、輸入盤漁りが難しいような土地でも当時の先端音楽を知る事が出来た。
ROCKHURRAHは音楽が盛んで良い輸入盤屋もあった福岡県出身なのでそこまで飢えて困ってはいなかったが、その辺で好きなレコードが買えるメリットは地方の人にとっては計り知れないものがあった。
前置きが長くなったが70年代後半からそのラフ・トレード系列は個人的な好みにピッタンコの音楽をどんどんリリースしてくれた。

<註:本来ならレッド・クレイオラを先にすべきだが、ペル・ユビュを先に聴いていたので時代と順序が逆になってしまう>

ペル・ユビュはアメリカ、クリーブランドのバンドで1975年頃より活動していた。
パンクの世界で大成するデッド・ボーイズの母体でもあるRocket From The Tombsというバンド、ここの主要人物だったピーター・ラフナーとデヴィッド・トーマスがペル・ユビュを始めたというわけ。
「悪趣味で不条理」 などと評されるフランスの作家、アルフレッド・ジャリの戯曲「ユビュ王」に由来するバンド名というだけでもこのバンドの目指した方向性がわかるというものだ。ん?わからない?
難しい事はわからなくてもユビュ王もデヴィッド・トーマスもデブつながりという程度の認識でもよろしいか。

ペル・ユビュはデヴィッド・トーマスの演劇的(?)な奇抜で素っ頓狂な歌唱とピーター・ラフナーのグチャドロのギター・プレイという二段構えで今まで聴いたことないようなユニークなバンドになる予定だったが、1977年にラフナーがお決まりのドラッグ&アルコールで死亡してしまった。
しかし別のグチャドロなギタリストが加入して初期とあまり変わらぬ状態で継続していったのはさすが。
グチャドロは不滅だね。

デビュー・アルバム「The Modern Dance」は工場地帯をバックに労働者がバレエを踊っているような奇抜なジャケットだったし、ジャケット見て音楽性に見当がつかない典型。
なぜか初期のアルバムは大手フォノグラム、マーキュリー系列から出ていたのでメジャーな音かと思いきや・・・。
ROCKHURRAHもほとんどジャケット買いだったが聴いてビックリ。
変なのにカッコイイ、前衛的なのに爽快感がある奇妙な感覚。
思えばこれがオルタナティブとかアヴァンギャルドと呼ばれた音楽とのファースト・コンタクトだったのかも。
色んな音楽を聴く前、まだ少年だった時代の出来事だから、 我ながら早熟な音楽体験だったと思うよ。

ペル・ユビュはこの後もだんだんと難解な方向に進んでゆきカッコイイと思える曲も少なくなって、遂にメジャーでやってゆくにはあまりにもワケわからなすぎ、という段階に達した。
そこに手を差し伸べたのが前述のラフ・トレードだったというわけだ。
ようやくこれで話がつながったな。
そこから出された4thアルバム「The Art Of Walking」はラフ・トレードの宣伝上手でそこそこ売れたんじゃなかろうかと推測する。中古盤屋でもよく見かけたしな。ROCKHUURAHは輸入盤で買ったんだが、後に日本盤も出た模様。
ペル・ユビュの缶バッジ付いてたのを思い出す。

このアルバムも最初の「Go」から不条理なギターが耳障りな名曲で、一般的にポップなロックとはかけ離れた内容。
ただし前のようにギターそのものがヒステリックではなくなった印象。
ピーター・ラフナーの路線を引き継いだトム・ハーマンに代わって、レッド・クレイオラのメイヨ・トンプソンが加入したらしいと知る。
そして彼のソロ・アルバムに収録されていた「Horses」をペル・ユビュ・ヴァージョンで先に聴くことになってしまった。
これはフランス映画のサントラとかで使われてもおかしくないような哀愁の名曲で、口笛がとても効果的。
「うーん、ジャン・ギャバン」などと意味不明に呟きたくなるよね。
しかしペル・ユビュの従来の路線とは随分印象が違う。この曲だけを聴いてペル・ユビュがこういう音のバンドだと勘違いしないようにね。

レッド・クレイオラについては音楽雑誌などで知ってたし、先に書いたラフ・トレードからも何枚かリリースされていた。
これがニュー・ウェイブ世代のバンドではなくて60年代からサイケデリックとかアヴァンギャルドやってるバンド、いわゆるオルタナティブの偉大な先駆者というような予備知識は持っていたのだ。
ただしラフ・トレードから出るまではなかなか入手困難だったのは間違いなく、彼らの曲をまとめて聴いたのは随分後の話になる。
だからずっと追いかけてきた最初からのファンなんて少なくともROCKHURRAHの世代には滅多にいなかったに違いない。とても見てきたようには書けまっせん。

これがその1970年のソロ・アルバム。
全体的にレッド・クレイオラよりもアコースティックでピンク・フロイドとシド・バレット(ソロ)のテイストの違いに近い、と言えばわかりやすいか。
こちらの「Horses」はボサノヴァ調とかルンバな感じでペル・ユビュよりも簡素。
「うーん、イパネマ」などと意味不明に呟きたくなるよね。
実に不思議な味わいがある曲だな。素材の旨味を最大限に引き出した至高のメニューみたいなものか。

さてさて、今回は連休ということもあって久々にじっくり書いたロング・ヴァージョンという事になる。
一人の人間が別の場所に行って、別の環境で同じテーマの事をするというのが今回の主旨なんだが、ROCKHURRAHが漂ってきた世界もそれと一緒かな。
趣味も嗜好も子供の時から変わってないし、今時のこんな時代にいつまでも70〜80年代やってるんだもんな。
これからもずーっっとこの調子だろうし、人間国宝狙いの境地でやってゆく事にしよう。

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