時に忘れられた人々【16】エレポップ2

                   

20121223_top.jpg【SNAKEPIPEがテクノを画像で表現。うーん、80年代ですなあ】

ROCKHURRAH WROTE:

何と3年も前に書いた記事のパート2を書くとは本人も全然思ってなかったよ。しかもよりによって最近の人にはよくわからんであろうエレポップを再び選ぶとは。「もっと他に書くことあるだろうが」と言われてしまいそうだけど、今日書けそうなのはこれくらいしか思いつかない。「書きたい」じゃなくて「これくらいしか書けない」という点ですでに悲壮だなあ。

カタカナで書くからわかりにくいけどエレポップとはElectronics Popsの事で、1980年代にはテクノ・ポップという呼び方の方がポピュラーだったかな?シンセ・ポップなどとも呼ばれているな。 まあ名称などはどうでもいいんだが、80年代ニュー・ウェイブの超メジャーどころが集結していて、花形ジャンルなのは間違いなかった。

ROCKHURRAHは前に何回か書いた事はあったが1990年代にMacを使い始めて、何かに取り憑かれたように自分一人で音楽を作っていた時期があった。まだ宅録の技術や知識、機材などがなかったのでかなり苦労したもんだが、その時にやっていたのが80年代ニュー・ウェイブの純粋培養と言えるような時代錯誤の音楽だった。自分では気に入っていても冷静に聴けば単調だったりパクリだったり。音楽を作り他の人に何か良いところを認めてもらうのは大変だとシロウトながら思ったものだ。

まあそんな昔話は置いといて(しかもこの昔話が何も今回の伏線になっていない)このブログでは今年最後の出番らしい。 そろそろ初めてみようか。

Human League / Don’t You Want Me

前回、と言っても三年も前だが、その時にパイオニアと言うべきバンド達を書いてるから今回は軽薄もB級もあり、よりエレポップの本質に迫れるかもね。
ヒューマン・リーグは1981年のこの曲「愛の残り火」が最も有名で大ヒットもしたが、デビュー当時はもう少し実験的な面もあったし、同郷シェフィールド出身のキャバレー・ヴォルテールを聴きやすくしたような紹介のされ方をしていた。
プラスティック・ケースの中の赤ん坊というようなSFっぽいジャケットもインパクトがあったな。
大先輩クラフトワークのように無機質な演奏、無機質な声という図式ではなく、エレクトロニクスを多用してても人間性重視という方向性のバンドだった。ビル・ネルソンあたりと似たテーマだな。  
しかしデビューした79年頃はヴォーカルも宅八郎風で、とてもこんなメジャー路線、あるいはニュー・ロマンティック風味に走るとは想像もしなかったようなバンドだった。ウルトラヴォックスも最初はそうだったな。 個人的な感想を言うならば、カッコイイというよりは粘着質でいやらしそうなこの風貌でよくも大ヒットしたもんだ。 まあバカにした書き方はしたもののROCKHURRAHはこういう路線も同時に愛するよ。哀愁を帯びたメロディで壮大に歌い上げるエレポップ歌謡、これはもう殿堂入りの名曲と評価するしかない。

Fiat Lux / Blue Emotion

80年代のニュー・ウェイブに通暁した人でもなかなかこのバンド名は出て来ないだろう。だからと言ってマニアックなわけでもなく、メジャー志向でポップでもプラスアルファの華とかチャンスがなければ、なかなか世に出る事が出来ないという見本だね。
このフィアット・ルクスは英国ヨークシャーのバンドで、ROCKHURRAHもある縁故がなければ永遠に彼らを知る事はなかったろう。
元ビー・バップ・デラックスのビル・ネルソンがソロとなる直前にごく短い間だけやっていたバンド、ビル・ネルソンズ・レッド・ノイズ。ここに加入していたサックス奏者がビル・ネルソンの実弟、イアン・ネルソンだ。その彼がレッド・ノイズの後に加入したのがこのフィアット・ルクスだったのだ。と言ってもこのバンドの中心人物なわけではなく、三人組の一番目立たない一人がイアンだった、トホホ。

弟がサックス奏者と言えば日本ではチェッカーズを思い出すが、レッド・ノイズはデジタル・パンクの元祖的存在。そんな中でサックスという楽器が違和感なく融合出来てただけでも斬新な出来事だと思うよ。
フィアット・ルクスは低音のヴォーカルが魅力で最初はビル・ネルソンが設立したコクトー・レーベルの二大金字塔となる予定だったが 、初代金字塔のア・フロック・オブ・シーガルズに続きこのフィアット・ルクスもメジャー行きで、結局ビル・ネルソンは見出しただけで終わるという不運なスカウトマンとなってしまった。実際はそんなことないんだろうけど、この辺は想像も混じっております。

彼らがヒットしたのかはよく知らないけど、ちゃんとしたプロモ映像が残ってるし曲調などもいかにもメジャーな雰囲気、いつまでも「元ビー・バップ・デラックス」と過去の威光だけで語られるビル・ネルソン本人よりは一時的に売れたのかもね。 問題のイアン・ネルソンはこのバンドでは主人公ではなかったので映像後半に少し出てる程度だけど、このバンドもサックスが効果的に使われていて、日本ではほぼ無名バンドだったのがもったいないくらい。彼は2006年に亡くなっているが、ROCKHURRAHの記憶にはいつまでも残っているよ。

Soft Cell / Taited Love

DAFやペット・ショップ・ボーイズなどと同じく、男二人のユニットと言えばゲイ疑惑がつきものだが、このソフト・セルも常にそういう点で語られてきたな。マーク・アーモンドはインパクトのある退廃的美少年(?)という感じで音楽雑誌の表紙を飾って来たが、粘着質のいやらしい声を武器に(ん?ヒューマン・リーグの項でも同じ事書いたな)この「汚れなき愛」で大ヒットしたのが81年。サム・ビザール・レーベルの中心的な存在となった。
マーク・ボランが死亡した時に車を運転していた愛人、という事で知られている黒人歌手のグロリア・ジョーンズの曲をカヴァーして、世界的にこの名曲を知らしめた功績は大きい。 その後も色々なミュージシャンがカヴァーしているから時代を超えて知ってる人も多いはず。ネオ・ロカの世界ではデイヴ・フィリップスが歌ってたヴァージョンが有名だが、そっちの方がずっと知られてないか。

しかし男二人のユニットと言えば片方がヴォーカルで目立ち、もう一人は音楽的リーダーという名目で地味な打ち込みとかやってて不公平感たっぷりの気がするが、実際はどうなんだろうね。この目立たない方の三人でうなずきトリオみたいな事をやろうという話はなかったのか?

Minny Pops / Dolphin Spurt

80年代によく知られたインディーズ・レーベルとして、ジョイ・ディヴィジョンで有名になったマンチェスターのファクトリー・レーベルがあった。このレーベルはユニークで何にでもレーベルの型番をつけるというのが面白かった。自分たちの経営しているクラブに居付いた猫にもFAC-191などと型番が付いてたり、設立者が死去した時に棺桶にFAC-501とか付いてたり。その辺の遊び心に影響を受けてROCKHURRAHのオリジナル・ブランド、BINARY ARMYも作ったものに型番を入れていたのが懐かしい。現在はほとんどやってないけどなあ(笑)。

そのファクトリーがイギリス以外に進出していわゆるベネルクス三国のベルギー、オランダ、ルクセンブルクを拠点に展開したのがファクトリー・ベネルクスだった。
ベルギーにはクレプスキュールというニュー・ウェイブのレーベルがあって、日本では新星堂が展開してた事からそこそこ知名度があったが、このファクトリー・ベネルクスから発展したものだったかな。設立の経緯はイアン・カーティスの愛人絡みというような記憶があった。個人的に大忙しでじっくり調べる時間がなかったから間違ってたらごめん。

ミニー・ポップスはオランダのバンドでそのファクトリー・ベネルクスを拠点に活動していた(元々はプルーレックスというレーベルから出してたはず)が、日本ではやはりほとんど無名に近い。
ジョイ・ディヴィジョンもどきのフォロワーが何とか自分なりの個性を出そうと奮闘していた時代。彼らも決定的に地味というマイナス要素を払拭するべく試行錯誤していた・・・と書きたいところだけど、何だかあまり努力した形跡もなく、地味でちょっと変、ダサいけど取りあえずニュー・ウェイブっぽさは感じられる独特の路線を歩んでいたようだ。何しろ地味で日本のメディアで取り上げられる事も稀なバンドだから、見てきたようにはとても書けまっせん。

ROCKHURRAHも彼らのレコードを持っていたが抑揚がなくてこれといった特徴がない。中で一番まともだった曲を義理のように自分のベスト盤に録音してたのを思い出す(笑)。
この映像や音楽を聴く感じではいわゆるエレポップとは異質で、ドイツのニュー・ウェイブに通じる無機質さ。電子楽器と言うよりはギターとかドラムなどの楽器をテクノっぽく使っている点が新鮮かな。

年末の色々な準備とかあって忙しい中、よくここまで書いたと自画自賛出来るけど、今回はちょっと少なめで許してね。やっぱりまた今回のも書ききれてないから、また同じネタでやるだろうな。「続きはWebで」などと言えないのが辛いな。 ではまた来年会いましょう。

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