BREAK ON THROUGH TO THE OTHER SIDE

                   

【イアン・カーティスを偲んで作ってみました】

SNAKEPIPE WROTE:

2週間ほど風邪のためダウンしてしまったSNAKEPIPE。
実はまだ完全には治っていないけれど、ブログを書くことを決意。(大げさ)
今年の風邪は長いみたいなので皆様もご注意を!

さて今回は「若くして亡くなってしまったアーティストの伝記映画」について書いてみたいと思う。
恐らく探せばもっとたくさん制作されているだろうけど、思いついた映画3本をまとめてみた。

まずは「ドアーズ」(原題:The Doors)1991年のアメリカ映画。
監督はオリバー・ストーン。
1971年に27歳で亡くなったドアーズのヴォーカル、ジム・モリソンの伝記映画である。
大学時代から死ぬまでが描かれている。

なんといってもこの映画のすごいところはジム・モリソンを演じたヴァル・キルマー
ジム・モリソンが乗り移ったんじゃないか、と思ってしまうほどそっくり。
吹き替えなしでヴァル・キルマー本人が歌っていたというのもびっくり。
顔立ちが似てると声質も近いだろうけど、それにしても「ものまね王座決定戦」で優勝できるほど。(笑)
ジム・モリソンの歌い方って難しいと思うけど、よく特徴を捉えてるよね。

ヴァル・キルマーの圧倒的な存在感のお陰でなんとか保ってはいるものの、映画として観た時にはやや物足りなさを感じてしまうのは事実。
同じ大学に通う友人とバンドを始め、あっという間にバンド名が決まり、「Light My Fire」のあの印象的なオルガンのイントロをほんの数分で作り、あれよあれよと人気バンドになっていく。
全部が本当のことなのかもしれないけど、ちょっと展開早過ぎないか?
ジム・モリソンに焦点を当ててるから仕方ないとしても、他のメンバーについてはほとんど何の情報もなし。
少し乱暴な感じがするのはSNAKEPIPEだけかな。

バンドは知名度も上がりセールスも絶好調で、ジム・モリソンは時代の寵児となる。
それでも何故だかジム・モリソンは心に空洞の部分を抱えている。
グルーピーと遊んでも、黒魔術のような儀式をやっても、ドラッグでも満たされない。
そこにすっぽり収まるのがインディアンの幻影に象徴される死の匂いだ。
ジム・モリソンは死を恐れながらも、同時に強い憧れを持っていたように思える。
だからこその破滅的な、死に急いだ生き様だったのかもしれない。
ジム・モリソンの最期はバスタブの中。
やっと安息の地に行かれたような、穏やかな表情だった。

実はSNAKEPIPEはドアーズが好きで、ジム・モリソン詩集まで持っているのである。(笑)
一応読んではみたものの、やっぱり詩の世界は何回読んでも非常に難解。(ぷっ)
原文で読んで、意味を理解し、言葉の響きを堪能するなんて技は持ち合わせていない。
それでもジム・モリソンの心の深淵に少しでも触れることができるような気がして、ドアーズの曲に自分なりの物語を作ってみたりする。
時代がそうさせたということもあるんだろうけど、ジム・モリソンはやっぱり稀有な存在だな、と思う。

そういえばドアーズはカルトのヴォーカル、イアン・アシュベリーを加えて新生ドアーズとして活動再開し、来日もしていたようで。(現在は休止中?)
過去にあれほどまでに輝いてしまったバンドが、また現代に以前以上のまばゆい光を発することができるだろうか?
過去をなぞる結果になることが多いように思う。
バンド復活って厳しいよね。(笑)

続いては「コントロール」(原題:Control)、2007年。
監督は有名な写真家アントン・コービジン。(最近ではコービンというのが主流みたいだけど、80年代風にコービジンと読みたい)
1980年に23歳で亡くなったジョイ・ディヴィジョンのヴォーカル、イアン・カーティスの伝記映画である。

物語はイアン・カーティスの高校時代から始まる。
その当時のガールフレンド、デボラと19歳であっさり結婚。
卒業後は公務員、とバンドのヴォーカルとはかけ離れた人生設計にびっくり!
イギリスは日本と違って18歳から自分の意思で結婚ができるようなので、こういうのもアリなのかも?
それにしても早過ぎだよね?
それからバンド結成である。
うーん、やっぱり順番逆じゃないの?(笑)
バンド名は初め「ワルシャワ」、次にジョイ・ディヴィジョンに変更される。
ジョイ・ディヴィジョンってナチス・ドイツ将校の慰安所って意味なんだって?
ワルシャワにナチスって・・・政治的要素の強いパンクバンドを目指してたのかな。

バンドはトントン拍子でデビュー、当時できたばかりのマンチェスターのインディーズ・レーベル「ファクトリーレコード」の看板スターとして順風満帆なスタートを切る。
正直言ってSNAKEPIPEは、この手の音楽が一度聴いた人全てを納得させることができたのかなと疑問に感じてしまった。
この手の音楽というのは、地味で暗くて、ルックスなどに特別な特徴がないバンドなのにという意味である。
その手の音楽が得意なROCKHURRAHに聞いてみると
「パンクが終わって孤独感や不安感を持った行き場のない若者達が、次に精神的な支柱として求めたような音楽であり、そういう時代の流れに乗ってみんなが拠り所とするバンドになったのではなかろうか」
と返ってきた。
ふむ、なるほどね!(笑)
SNAKEPIPEは音楽よりも「あの」ヘンなグルグル腕振り回しダンスに目が点!
そして「あの」シャツにスラックスという公務員ファッション。
SNAKEPIPEが知ってるイギリスのバンドって、みんなお洒落に気配りする印象なんだけど・・・?

バンド活動をしていくうちにベルギー人のアニック・オノレと愛人関係になる。
アニック・オノレは音楽レーベル「クレプスキュール」の創始者で、ジョイ・ディヴィジョンの理解者。
当然のようにイアン・カーティスの理解者でもあった。
仕事をバリバリこなし、音楽を含む芸術活動を理解するお洒落な女性。
子供の世話にかかりきりで、生活臭がする妻を厭うようになるのも無理はない気がしてしまう。
SNAKEPIPEは決して不倫を良し、と言っているわけではないのでお間違えなく。

そして突然発症してしまった「てんかん」の恐怖がイアン・カーティスを襲う。
映画はとても上手にイアン・カーティスが精神的に追い詰められて行く様を描いている。
イアン・カーティスを知らなくても、伝記映画じゃなくても、ドラマとして充分完成されていると思う。
最期のシーンは観ていて悲しくなってしまった。

イアン・カーティスという人は非常にもろく、傷つき易く、一人になるのが怖いタイプだったんだろうね。
だからいつまでも、本当はとっくに愛なんて感じていない妻とも続けている。
子供に対しても愛というよりは恐怖を感じている。
これはもしかしたら子供も同じ「てんかん」の血を受け継いでいるかもしれないということと、そのことで子供から冷たくされるかもしれないという2重の恐怖。
そんな心持では「我が家でくつろぐ」なんてことは難しいだろう。
早く離婚して、愛人のアニック・オノレと一緒になっていたら結果は変わっていたのかもしれないね。

最後は「シド・アンド・ナンシー」(原題:Sid And Nancy)、1986年。
監督はアレックス・コックス
告白すると、なんとSNAKEPIPEはこの映画を今まで観たことなくて、今回初めて鑑賞してみたのである。
なんで今まで観なかったのかって?
いや、なんとなく。(笑)

今さらだけど一応書いておくと、1979年に亡くなったセックス・ピストルズのベーシスト、シド・ヴィシャスを描いた伝記映画である。
映画はナンシーが死んでシドが取り調べられているシーンから始まり、シドの回想として物語が進行する。

初めに観たから「あの黒髪の人がシドか」と分かったけれど、冒頭シーンで一緒に登場しているオレンジ色の髪でベレー帽の人が誰なのか分からない!
話の文脈から「どうやらジョニー・ロットンらしい」と推測。
似てないよー!(笑)
シドはモデルといってもいいくらいのスタイルの良さが特徴なので、ゲイリー・オールドマンでは役不足だと思った。
オーディションなどで募集したらもっと似てる人いたんじゃないかな?
映画の中で唯一似ていたのはマルコム・マクラーレン役のみ!
他の人は誰も似ていなかった。

そして前からピストルズのファンだった、というナンシーと知り合う。
ここで前から疑問だったので調べてみると、どうやらナンシーはシドより1歳年下!
えっ、うそでしょー!と叫ぶ人多いはず。
ナンシーのほうが10歳くらい年上に見えるもんね。(笑)
いつの間にかシドとナンシーは「二人で一つ」状態、くっついてないと生きられないほどになっている。
ここの過程がよく描かれてなくて、はっきり分からなかったのが残念。
シドにはいっぱいファンいただろうに、わざわざナンシーを選ぶには理由があったんだろうなと。(笑)

シドとナンシーはどんどんドラッグに深入りし、堕落していく。
部屋は散らかり放題、寝てるのか起きてるのか分からないような怠惰な毎日。
あんな状態では明日への希望なんて何もなくなっちゃうよね。
それがパンクな生き方、と言えるのかもしれないけど?

ここまで書くと「どうして今まで観なかったのか」の答えが分かってきたように思う。
やっぱりあんまり面白くないし、シドやナンシーへの共感もないし、ゲイリー・オールドマンだし。(笑)
シドは一体何がやりたかったのかな。
21歳じゃ若過ぎる死だったね。

こうして3本についてまとめてみたけれど、前述したように映画として見ごたえがあったのは「コントロール」だった。
何故なのかと考えると、監督が実際にジョイ・ディヴィジョンと関わっていたことや原作が妻のデボラだったことが原因かな。
現実に本人に会って話したり見ていたら、より忠実に伝記映画ができるからね。
オリバー・ストーンやアレックス・コックスが本人と関わっていたのかどうかは不明だけど、どうしても「あとづけ」の感じはする。

イアン・カーティスは本当に追い詰められて、ギリギリのところまで行ってしまったんだろうね。
ジム・モリソンとシド・ヴィシャスはドラッグの過剰摂取。
これも広い意味では自殺になるんだろうけど、ひょっとしたら事故の可能性もある。
ドラッグに手を出していなかったら、今もまだ活動していたアーティストだったのかもしれないね。

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