時に忘れられた人々【06】ヴィンテージ漫画篇1

                   

【ROCKHURRAHが少年時代に愛読した漫画の登場人物たち】

ROCKHURRAH WROTE:

何と大晦日から元旦、2日にかけてROCKHURRAHとSNAKEPIPE、二人して風邪をひいてしまい、絵に描いたような寝正月となってしまった。特に今ブログを書いてる本人のROCKHURRAHは通常の風邪も微熱程度で終わるはずなのに39度近い高熱を出して下がっても37度以上というありさま。それくらいは大した事ないよという人も多かろうが、普段あまり高熱を出さない者にとってはビックリのハプニングだ。元旦の風邪など生まれてはじめての経験かも。とりあえず市販の風邪薬や解熱剤が効かなくはないのでインフルエンザではないと思えるけど。

さて、SNAKEPIPEも熱はなくても年末の疲れからちょっぴりダウン気味なので、今回は二人ともブログどころじゃない状況。だけど開設以来一度も休まずに毎週日曜日に更新してるものだから思考力もあまりない朦朧とした頭でROCKHURRAHが書くことにする。何だか新年早々悲壮な決意だな(笑)。
今日の内容はほとんど初めてといってもいい話題だが過去漫画について。

昔は大変に漫画好きの子供だったROCKHURRAHだがある時期よりピタッと読まなくなってしまった。原因は今でも不明なんだが「漫画より小説や映画の方が面白くなった」とかそういう理由ではないのだけは確かで、おそらく好きな漫画が絶版になって手に入らなくなってしまったとかそういう時代的な理由で買うのをやめたんだと思う。

そんなROCKHURRAHが個人的に好きだった作品について軽く思い出話を語ってみようというのが今回の趣旨だ。ちなみにROCKHURRAHには兄が二人いて、その二人のコレクションも読んでるので実年齢よりもさらに古い作品が含まれている。漫画はほとんどがコミックスで読んで漫画雑誌を毎週買ったりもあまりしてなかったしね。
では思いつくまま書いてみよう。熱があるのでリンクなど一切なしで勘弁してね。

「デビルマン/永井豪」
漫画家自体の大ファンでこの人の作品ならばどれでも好き、と言えるほどのめり込んだわけではないが、70年代前半の永井豪の暴走っぷりは確かに誰が見ても素晴らしくとんでもないものだったろう。個人的に好きな作品も多く、この時代の漫画の中では最も過激な表現に衝撃を受けた子供たちも多かったろう。
主人公が雪山で怪物に食い殺されるという衝撃的な発端の「魔王ダンテ」、痛快時代劇から出発して後半は何だか収拾がつかなくなる永井豪版「魔界転生」とも言える「ズバ蛮」、学生運動という特異なテーマを扱ったヴァイオレンス・アクションの傑作「ガクエン退屈男」、この辺はとにかく大好きで何度読み返したかわからない。ちなみに三作とも朝日ソノラマのサン・コミックスから出ていて、ROCKHURRAHはなぜかここの装幀が大好きだったとみえる(落丁が多いのがタマにキズだったが)。
そんな永井豪の代表作とも言えるのが誰でも知ってるこの「デビルマン」だろう。有名だから敢えてストーリーとか感想については書かないけれど、後半の暴走ぶりは凄まじく、当時の漫画ではタブーとされていた(に違いない)表現を少年マガジンというメジャー誌で堂々と行なったところが凄い。後半の魔女狩りという歯止めの利かなくなった民衆のエピソードも衝撃的だったが、個人的には前半のシレーヌ編も捨て難い。デビルマンが敵とするのは血も涙もない悪魔ではなくて愛も感情もある悪魔なのだ、というところがROCKHURRAH少年の琴線に触れたらしい。

「ワースト/小室孝太郎」
上記の「デビルマン」とかと比べるとかなりマイナーな部類に入るのかな?とりあえず天才的漫画家と言われる小室孝太郎の唯一の代表作だ。
世界中で同時に降った雨に濡れた人間はみんな死に絶えて、その後に食人鬼として甦る。彼らは残った人類をどんどん食い殺してゆき、ワーストマンと呼ばれる怪物だらけの世界になるという発端から始まる物語。ホラー映画好きならば誰もが思うだろう。これはジョージ・A・ロメロ監督の代表作「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」「ゾンビ」とほぼ同じシチュエーションなわけである。この漫画は70年くらいであるからまだ「ゾンビ」は誕生してなくて、もし作者が着想を得たとしても「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」からという事になる。さらにロメロ監督の作品が割とローカル限定だったのに対してこの「ワースト」は生き残った人類VSワーストマンという壮大なスケールの物語になっていて、主人公も三世代にわたる。そして最後の決着は氷河期のあとという途方もないSF作品となっている。ゾンビも最終的にはちょっと喋れるようになったり進化はしたがこのワーストどもはたった数十年と思える三世代にして空を飛べるようになったり海を泳いだり、恐ろしく進化の度合いが速い生き物というのがありえなくも怖かった点だ。

「青の6号/小沢さとる」
潜水艦を主役としたSFアドベンチャー大作の第一人者とのことだが、そういう特殊なジャンルを描いた漫画家はその後も滅多には現れず、たぶんずっと第一人者のままだったのではないかと思われる。先に大ヒットした「サブマリン707」も無論好きだったのだが、この「青の6号」の方が単に出てくる潜水艦が好きだったというわけ。主役はヒゲにパイプのダルマおやじとも言える艦長とポンコツ潜水艦青の6号。しかし撃沈された青の1号コーバック号や敵艦ムスカの方がなぜか恰好良かった。上記の2つなどと比べると危ない思想もなく、単純に少年漫画の王道とも言える善悪の図式、この作品に関しては漫画そのものが云々というより、純粋にメカに対する興味(というほどメカに興味持った覚えもないが)だけが思い出に残る。「原子力潜水艦シービュー号」「スティングレイ」などの海外特撮TVドラマもそうだったが「青の6号」シリーズもプラモデルとなって風呂での遊びに活躍したものだ。しかもなぜか同じシリーズなのに全然縮尺合ってなくて青の6号搭載のミニ潜水艇フリッパー号よりも青の1号コーバック号の方がずっと小さかったり、なんだかいいかげんな大らかな時代。

「聖マッスル/ふくしま政美」
一時期Quick Japanなどで再評価されて多くの人がそれをきっかけに復刻版を手にしたはずだが、オリジナルは少年漫画史に残るカルト漫画であり醜悪で奇っ怪な作品として伝説だったものだ。何がすごいってこの主人公(名前はない)物語の大半で究極に鍛えられた筋肉を惜しげもなく披露しっ放し、つまりほとんどの場面で全裸なのである。古代ローマとかその辺をミックスした世界でこの名無しの青年が自慢の肉体を武器に渡り歩いてゆくというただそれだけのストーリーなんだが、とにかく見せ場はど迫力のコマ割りと筋肉のぶつかり合いのみというノーマルな少年少女の読者には理解不能という世界。独特のいやらしいタッチの絵も好き嫌いが分かれる(というか好きと言える人はめったにいなかったはず)ところだった。本来ならばこの当時の少年だった者たちの間でのみひっそり語られるはずの作品が後の世代の人間に見出されるというのは音楽の世界でも数多くあることだけれども「消えた漫画家」とかそういうネタ本じゃなくて、どうか自分の力で見出すようにしてもらいたいものだ。

「ワイルド7/望月三起也」
どちらかと言えばSF的な漫画を好むような作品を挙げてきたがここに書けなかったものも多数、スポ根から少女漫画まで幅広い趣味があったのが自分でも意外だと思える。望月三起也作品も「ケネディ騎士団」「秘密探偵JA」「竜の旗」などなど子供の頃から大好きなジャンルで、特に代表作の長編「ワイルド7」は日本のアクション漫画の中では最も好きな作品だ。少年キングという当時からかなりマイナーな雑誌で連載していたにも関わらず大ヒットしたので知っている人も多かろうこの作品。ごく簡単に書くならば法の力で裁く事が出来ない悪党を「退治」するために集められた札付きの不良どもがワイルド7なる警察の非合法組織となり、悪の組織と戦うという話だ。飛葉、ヘボピー、両国、オヤブン、八百、ユキなどという個性的な面子の性格設定もよくされていて各人が乗るバイクや拳銃も素晴らしく凝っていたのが多くの読者に受けた原因だ。これまでの日本の漫画とは明らかに違うダイナミックな描写とあっと驚くアクション、ストーリー展開も素晴らしい。特にコミックス9巻分にもなる最終章「魔像の十字路」ではいい味を出していたキャラクターが一人一人犬死してゆくというやりきれない展開で最後まで読むのが辛かったという思いを漫画ではじめて経験した作品。

ここまで書いたけどやっぱり一回のブログで書ききれなかったため、とりあえず今日はここまで。レコード屋について書いてたブログ記事も中途半端のままだし、今年一年も何だか宿題の多い年になりそうだな。では今から療養に専念しマッスル。

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