SNAKEPIPE MUSEUM #16 Dorothea Tanning

【まるで楳図かずおの世界!とROCKHURRAHが称したドロテア・タニングの作品】

SNAKEPIPE WROTE:

面白そうな企画展や展覧会情報を検索しているものの、これは!というものに巡りあうことは珍しい。
今年は当たりの年なのか、ロトチェンコマックス・エルンストの展覧会を鑑賞し、充足感を得ることができた。
それでもまだまだ冷めない鑑賞欲!(笑)
もっといろんな作品を知りたい、観たい、ドキドキしたい!
展覧会がないならネット上で探しちゃうもんね。
ということで、今回のSNAKEPIPE MUSEUMは先日鑑賞して大ファンになったマックス・エルンストの妻であるドロテア・タニングについて書いてみたいと思う。

Wikipedeaの記事に「日本では、サルバドール・ダリルネ・マグリットジョルジョ・デ・キリコらの人気の高さに比して、やや過小評価されている感があるマックス・エルンスト」と書かれているけれど、その妻であるドロテア・タニングなんて本当にほとんど紹介されてないんだよね。(笑)
いや、実はSNAKEPIPEもドロテア・タニングご本人はマン・レイの写真で知っていたけれど、作品についてはよく知らないというのが正直なところ。
検索してみるとなんとも幻想的な世界をお持ちのアーティストということが分かって、興味津々になってしまった!
自分のためにもドロテア・タニングについてまとめてみようか。

ドロテア・タニングは1910年アメリカのイリノイ州生まれ。
1935年にニューヨークに移り住み、MOMA(ニューヨーク近代美術館)でダダとシュールレアリズムに目覚めたらしい。
どうやらタニングはファッション広告の商業イラストレーターだったようで、シュール的要素を取り入れた作品を手がけていた模様。
それがメーシーズ(ニューヨークに本部がある百貨店)のアートディレクターの目に留まり、ニューヨークで個展を2回開催(1944年と1948年)。
そのアートディレクターからニューヨークで活躍するシュールレアリズムのグループを紹介してもらったらしい。
そのグループの中にいたのが、後に夫となるマックス・エルンストだった!
偶然は必然、という言葉がぴったりの運命的な出会いだったんだね。(笑)
マックス・エルンストと1946年に結婚。
この結婚式はマン・レイと妻ジュリエットとのダブル・ウェディングだったらしい。

マックス・エルンストとドロテア・タニングの年の差、19歳。(計算してしまった)
そして以前書いたようにマックス・エルンストはこれが4回目の結婚。(笑)
細かいことは抜きにして、上の写真からとても幸せそうな2組のカップルの様子が判るよね!
芸術的な会話をしながら食事したりして、生活そのものがアートだったんだろうなと想像する。
なんとも楽しそうで羨ましい関係だよね!

ドロテア・タニング自身の撮影をしていた人達っていうのも大物ばかりでびっくりしちゃうんだよね。
マン・レイ撮影というのは前から知ってたけど、それ以外にもアンリ・カルティエ=ブレッソンリー・ミラーアーヴィング・ペンなどなど写真界の大御所の名前がズラリ!
マックス・エルンストの交友関係は当然ながら、全て同じようにつながるもんね。
ドロテア・タニングも、まるで50年代のハリウッド女優のような風貌だから、モデル向きだったともいえるよね。
なんて、素敵な時代なんでしょ!(笑)
結婚生活30年の1976年にマックス・エルンストが85歳で死去。
この時、タニングは66歳くらいだったのかな。
それをきっかけにドロテア・タニングはフランスからアメリカに戻る。
なんとも驚くべきことに、それから先もずっと創作活動を続けたんだね。
2012年、今年の1月に101歳で死去。
芸術に一生を捧げた、情熱的な女性だったんだね!


ドロテア・タニングのHPにはタニング誕生の1910年から2011年に発行されたタニングの書籍の紹介までの全ての仕事が紹介されている。
年代ごとにスタイルを変化させたり、絵画だけではなく彫刻や版画を手がけたり、作家としても活躍していた様子。
上の写真は「Poppy Hotel, Room 202」(1970-1973年)という作品である。
織物、羊毛、合成毛皮、ボール紙とピンポン球を組み合わせて作られた現代アートになるのかな。
子供時代に聴いた1920年代のヒット曲からインスピレーションを得た作品みたい。
どうやらシカゴ・ギャングの妻が服毒自殺をしたホテル202号室について歌われた内容みたいなんだよね。
In room two hundred and two
The walls keep talkin’ to you
 I’ll never tell you what they said
 So turn out the light and come to bed.
これが歌詞みたいなんだけど、誰か上手に訳してくれるとありがたいな。(笑)
情念や怨念などの「念」が封じ込められたホテルの一室。
人なのか、椅子なのか形の定まらない不可思議な物体の存在感。
壁に掛かっている謎のピンク色は、まるで女体の半身トルソーのように見えるし。
この不気味な感覚はとても好きだな!

トップに載せた油絵も不穏な雰囲気の幻想絵画だよね。
これは「Eine Kleine Nachtmusik」(1943年)という、これもまたホテルが舞台になっている作品なんだよね。
夜のホテル。
いくつもの寝室が近くにあるのに、他の部屋については何も知らない。
同じ館にいるのに、都会と同じ疎外感を感じる。
暗い影が何かの形に見えてしまうことがある。
血の色のカーペット、残酷な黄色、逆立った黒髪。
向日葵は花の中で最も攻撃的だ。
悪い想像は悪夢になって襲ってくるかもしれない。

ドロテア・タニングの作品は、年代によって変化はあるけれど、全体的に観る者を不安な状態に陥らせる。
そこに魅力を感じるのはSNAKEPIPEだけではないだろう。
そして沸き立つ芸術欲が全く失われることなく、長い年月の間創作を続けていたところも尊敬しちゃうよね!

今年が亡くなった年、ということで回顧展は開かれないのかな。
もしどこかで開催されるようなら是非、全貌を鑑賞してみたいものだ。

時に忘れられた人々【13】パワーポップ編1

【ポップなパワーを表現してみたが、意味不明】

ROCKHURRAH WROTE:

最近は女ロック特集ばっかりやってるが、忘れちゃならないのがこの「時に忘れられた人々」シリーズ、要するに今の時代にあまり語られる事がなくなった人々に焦点を当てたROCKHURRAHの主力記事というわけだ。 今回はヒネリもなく直球で行こうと先ほど決心した次第で、ズバリ単純明快にパワーポップの事を語ってみよう。 パワーポップと言ってもかなり曖昧なジャンルで、色んなところから色んなものがパワーポップ扱いされてる昨今だが、ROCKHURRAHはやっぱり70〜80年代英国をメインで書きたい。通常パワーポップと呼ばれている音楽とはかけ離れているかも知れないけど、解釈は人それぞれという事で。 直球勝負だから今回は妙に長くて言い訳がましい前置きもなしでさっさと始める事にしよう。

と思ったがそもそもパワーポップについて何も語ってなかった事に今気付いた。パワーポップとはズバリ、パワーがあってポップなロックの事だ。改めて解説するまでもなかったか(笑)。起源はザ・フーとの事だがそんな昔からの事を連綿と書き綴ってパワーポップ史を完成させるつもりはないから、これは省略しよう。 70年代パンクの後でニュー・ウェイブが始まり、その辺に湧き出てきたバンドの中で近い傾向のものが一緒くたに紹介されてた時代。パワーポップもその中のひとつのジャンルには違いないが、実は「俺たちはパワーポップに属する」などと自称していたバンドはほとんどいないかも。その存在自体に「?」マークがつく勝手なネーミングだが、割と一般的に使われるジャンル名だし誰でもわかる音楽だからまあいいか。 いやはや、やっぱり前置き長かったですか?

Bram Tchaikovsky / Girl Of My Dreams

1stアルバムの邦題がズバリ「パワーポップの仕掛け人」だから、誰が何と言っても代表選手なのは間違いないね。ブラム・チャイコフスキーなどと大仰な名前が付いているが単なるイギリス人。元々はパンクの時代くらいに活躍していたモーターズというバンドの出身だ。パンク直前に流行ったパブ・ロックの分野で人気だったダックス・デラックス、ここのニック・ガーヴェイが作ったのがモーターズだった、などと話すと長くなってしまうのでこれまた省略。 ブラム・チャイコフスキーはモーターズではあまり目立たなかったが、1978年にここを離れて自分のバンドを結成。それがBram Tchaikovsky’s Battle Axeだ。 年号苦手な人は「ソロの道、行くなや(1978)ブラム・チャイコフスキー」と覚えておくと良い。 しかし戦斧かあ、重くて使いづらいからあまり好きじゃないんだよね。ん?モンハンじゃないのか? シングルのジャケットがバイクにまたがったイラストだったし、勝手にバイク好きだと断定してたので、自分の暴走族(?)の名前をそのままバンド名にしたものだと推測していたものよ。日本で紹介された時にはバトル・アックスは名乗ってなく、個人名だけで3人組のバンドだったが、元ヘヴィメタル・キッズ(というヘヴィメタルじゃないバンド)のメンバーなどが脇を固めていて渋さこの上もない。

そう、ブラム・チャイコフスキーの事を語る時にROCKHURRAHが最も言いたいのがこの「渋み」なのだ。パワーポップなどと呼ばれてはいても彼の声や風貌、そして曲調にはどこか陰り、錆びのようなものを感じてしまう。我がオンライン・ショップで彼の事を紹介した時「暴走族で言えばナンバー2という感じ」と書いたが、言い得て妙。 さて、この彼の大傑作アルバムが冒頭で書いた「パワーポップの仕掛け人」だ。この後も少しアルバムを出すけど、1stが完璧にベスト盤。いまではさっぱり行かなくなったけど、80年代の文化屋雑貨店や宇宙百貨を思い出すようなキッチュ(死語?)なレコード・ジャケットも魅力的。前に当ブログ「春色ジャケット大特集(なわけない)」でも紹介したな。ギターのジャカジャーンというかき鳴らし方が絶妙のタイミングで入ってきて、しかも極上のポップ・センス。個人的にROCKHURRAHはブラム・チャイコフスキー登場以前からギターはジャカジャーンというダイナミックな奏法を得意としていたので、まるで自分がデビューしたかのような喜びで友人たちに紹介しまくっていたのを思い出す。 その彼の代表作がこの「Girl Of My Dreams」だろう。ザ・フーの「The Kids Are Alright」とか好きな人だったら必ず昇天間違い無しの名曲。赤白ボーダーのTシャツと言えばラフィン・ノーズのチャーミーか楳図かずおだろうが、これがノースリーブとなるとブラムのトレードマークとなる。しかしなんでこの人は歌う時に切ない、と言うよりは情けない苦しげな顔立ちになるんだろうね。もしかしてパワーポップのくせに体力ないのか?見た目はアレだけど、曲は最高なのでこれこそパワーポップと胸を張って言い切れる。

XTC / Radios In Motion

元々はプログレなどのレーベルだったがパンク直後の時代に元気なアーティストをたくさん抱えて、大躍進したのがヴァージン・レコードだろう。XTCはそのヴァージンの中でも筆頭という扱いでデビューしたバンドだ。オンライン・ショップやブログでも何度か書いたから、個人的にはいまさらなんだけど、初期のXTCの持つ圧倒的な勢いと演奏力は誰もが認めるものだった。アンディ・パートリッジの引っ掻くようなギターと素晴らしい声量のヴォーカル、時にはいびつでネジレまくったかのような曲調になるアヴァンギャルドな部分もあるけど、それでも余りある素晴らしいポップなセンス。そしてコリン・ムールディングの方はもっと正統派の曲を作る。XTCはこの2人によるバランス感覚が優れていて、新しい世代の大衆音楽として大活躍していた。ビートルズや10ccなどと同じようにポップと実験性が同居していたんだよね。 4作目の「Black Sea」くらいまでは素晴らしい勢いだったけど、残念な事にXTCはその後、ライブをやらない宣言をしてしまった。スタジオで音をコネコネするのは製作者にとっては楽しい出来事だろうけど、まとまりが良すぎて次第につまらない世界になってしまう(個人的感想。この後のXTCがいいという人も多数)。 「Radios In Motion」はそんなROCKHURRAHが一番好きなXTCの曲。デビュー曲じゃないしシングル曲でもないけど、1stアルバム「White Music」の1曲目。輸入盤を買い漁っていてデビュー当時から知ってるよ、というファン以外は普通この曲が最初に聴く曲となるだろう。性急なドラム、単調なベース、そしてウィルコ・ジョンソン直系かと思われるギターのストロークがかぶさったところで歓声をあげた人は多かろう。時代的にはまだパンクのヴァリエーションのひとつ、荒々しくパワーがあるのは当たり前とも言えるけど、このものすごい勢いとポップなセンスはまさしくニュー・ウェイブそのもの。パワーポップの殿堂入りは間違いなしの名曲だ。ちなみに輸入盤で買って歌詞カードもなかったバカ少年ROCKHURRAH(英語力皆無)は、この曲のカタカナ歌詞を「オゼザメッセンジャバチャイドー、アタタガリニチベイ・・・」などと勝手に作って友人と合唱していたものだ。今でも知力アップはしてないけど、ああ、バカな少年時代。

Buzzcocks – I Can’t Control Myself

バズコックスは誰もが知ってる通り初期パンクの重要なバンドだが、パワーポップの直接の元祖としても語られる事が多い。ポップでパワーのあるパンクはパワーポップでもあるというような曖昧だけど当たり前な境界線でいいわけだ。どんなにポップでもモヒカンだったらパワーポップとは言わないとか、アグレッシブな音楽や歌詞だったらパンクとか、その辺も聴く人次第で曖昧。 まあともかくバズコックス、マンチェスターを代表するパンク・バンドだったわけで、一番初期にはマガジンのハワード・デヴォートがヴォーカルだったというのも有名な話。1stアルバムの時にはもう脱退してたんだけど、デヴォート在籍時の珍しい映像がこの曲だ。聴いてわかる人はわかる「Wild Thing」で有名な60年代バンド、トロッグスのカヴァー曲をやっておる。デヴォートのグニュグニャなヴォーカル・スタイルは素晴らしいが、実は原曲の方が遥かにパワフル。こりゃいきなりパワーポップ失格か? デヴォートが抜けた後はギタリストのピート・シェリーが不束ながらもヴォーカルに昇格したわけだが、この腑抜けたヴォーカル・スタイルと艶もスター性も皆無なルックスでもなぜかバッチリとファンの心を鷲掴みにした。そういう点では奇跡のパンク・バンドだと言える。つまりそういう地味なルックスを抜きにして、純粋に歌の良さだけでバズコックスはヒットしたわけだ。確かに誰の耳にも残る素晴らしい名曲をいくつも残してるからね。ROCKHURRAHも貶してはいるがバズコックスの大ファンだ。ボックス・セットまで持ってるよ。

その作曲センスの良さを世間に知らしめたのが1st収録、4枚目のシングルだったこの曲「I Don’t Mind」だ。3rdシングル「What Do I Get?」と共に代表曲と言っても良い。安定感がなくて問題アリアリの演奏と素っ頓狂なシェリーのヴォーカル、この紙一重の危うさと絶妙な曲の良さがたまらない魅力だよ。

The Rezillos / Destination Venus

初期パワーポップの中でROCKHURRAHが即座に思い出すバンドばかりを書いてきたけど、このレジロスもパンク/パワーポップの狭間にあるバンドでパワーポップ好きの誰もが納得出来る名曲をたくさん残しているな。大好きで来日公演まで行ったのはウチのブログでも前に書いた通り(参照記事)。 スコットランド、エジンバラのバンドだと聞いても全然ピンとこないくらいに派手でギンギンに楽しいステージ、そしてグリッター的な衣装。まあ同時代のスコティッシュとして黄色原色のジャンプスーツとか平気で着てたスキッズがいるから、スコットランド=地味で田舎っぽいとは思ってないけど、アメリカのバンドだよと言われても普通に信じるくらいレジロスはスコティッシュっぽくない。レーベルもイギリスっぽくなくてサイアーだったしね。

このバンドの最大の魅力は縦横の縮尺が少し変なサングラス男ユージンと元気いっぱいで明るいフェイの男女ヴォーカルによる楽しげな掛け合いのステージだろう。特に短髪美女ヴォーカルの草分け、フェイは数年前に観たライブでもまだミニスカート着用で78年当時と比べても衰えた感じはしなかった。まさに女は不老不死。てなわけで初期XTCと同じく、勢いのある演奏に2人の声が絡むとレジロスのポップ・ワールドが炸裂する。 50〜60年代のポップ・カルチャーとレトロSF(と言うかSFコミック)などの要素がパンクのフィルターを通して見事に融合した世界。アメリカのB-52’sと似たような感じでさらにお手軽、わかりやすいのがレジロスの音楽だ。 レヴィロスと名前を変えて活動している時もあるけど、どちらもパンク、ロックンロール、ロカビリー、ガレージ、50’s、60’sという要素がごった煮で、もちろん今回書いたようにパワーポップのファンも大絶賛出来る内容、素晴らしい世界だ。

まあ今回のブログ全体に言える事だけど、拙いコメントなど不要だね。これらのバンドを知らない人はビデオを見れば単純明快にパワーポップを知る事になるだろう。音楽の好みは人によって違うだろうけど、こういうものを求めてる人にはドンピシャな内容なのは間違いない。

一回で終わるつもりで書きだしたけど案外長く書いた割にはまだ4バンド。ROCKHURRAHの一日の活動量を超えてしまったから(人としてどうか?と思えるほど低い活動量だな)、続きはまた近日に書く事にしよう。

ビザール・ピロー選手権!5回戦

【問:どの枕が一番安眠できるかを答えよ。(笑)】

SNAKEPIPE WROTE:

みなさん、最近良く眠れてますかー?
SNAKEPIPEは夜になると湿度が高くて寝苦しい気がするんだけど、いかがかな?
良い睡眠のためには温度や湿度も問題だけど、寝具の関係もあるよね。
ベッドか布団か、そしてマットは低反発、高反発、ウォータータイプか、など人それぞれ好みが分かれるし。
枕もきっとかなり好みがハッキリするアイテムではないかと思う。
昔ながらの蕎麦がらや籾殻・小豆派の方もいるだろうし、フカフカの羽毛タイプを好む人も多いだろう。
いつだったかハッキリしないけれど、一世を風靡したテンピュール以来低反発枕が知られるようになって、亜流品がたくさん作られ安価な値段で売られるようになったよね。
その頃からだんだん枕の重要性が注目され始めたように記憶している。
肩こりや腰痛と枕が関係ありと言われ始め、今まで適当に決めていた枕選びに慎重になる人が増えたように思う。
実はSNAKEPIPEもROCKHURRAHもちゃんとピロー・フィッターさんにチョイスしてもらった枕を使ってるんだよね。
これは健康のため、というよりは肩こりと腰痛対策。(笑)
目覚めた瞬間から体の不調を感じることが続いたため、意を決して相談に行ったわけ。(大げさ)
ただ枕だけ合わせてもマットとの相性もあるから、なかなかピッタリのタイプを選ぶのは難しいね。
そんなことも含めて寝苦しいのかもしれないな、と考えるSNAKEPIPE。
と、前置きが長くなったけれど、今回の特集はビザールシリーズ第5弾!
奇妙キテレツな枕を探してみたよ!

奇妙、と書いてはみたけれど最初にご紹介するのはとてもお洒落な枕。
なんと光る枕だよ!
シリコン製で中にはLED電球が入っている。
この電球は充電池式で4時間連続で使用可能、だんだんと暗くなる仕組みらしい。
間接照明としての機能もあって、インテリアとしても最高と説明がされているよ。
違う写真では女性がこの枕を抱き締めて、会話を楽しんでいたよ。
柔らかい光が顔を照らしていて、くつろぎの時間を演出してくれるかも?
お腹も温まりそうだしね。(笑)
Diana Lin design LLCで販売していて、気になるお値段は180ドル。
現在のレートで14000円くらいなので、かなりお手頃だよね。
ただし、この枕にしたら眩しくて眠れなくなること間違いなし!
安眠とは程遠い逸品かな?(笑)

では良い夢を見るような枕にしてみようか。
どお、この「朝ごはんセット」枕!(笑)
さすがに外国だから朝ごはんといえばトーストにパンケーキなんだね。
目玉焼きとトーストは枕として成り立ちそうだけど、パンケーキはちょっと厚めじゃない?
これだと頭が高くなりそうだけど大丈夫か心配になるけど、なんともHAPPYな気分になれそうな枕だよね。(笑)
販売しているところがはっきりしなくて、値段も未確認なんだけど恐らく40ドルくらいらしい。
日本円にして3000円くらいかな?
こんな枕にするとお腹空いちゃて眠れなくなるかな?(笑)

食べ物つながりで見つけたのがこちら。
Japanese Sushi枕だ!(笑)
枕というよりはクッションなのかもしれないけど、いやあすごいインパクトだよね!
そしてやっぱり上の朝ごはん枕と同じように、太巻き寿司の中身がアボカド入りのカリフォルニアロールになってるところが外国っぽい。(笑)
いきなりソファやベッドにこんなSushi枕がボコッと置いてあるだけで、部屋の印象がガラリとか変わりそうだよね。
これらはthe original sushi pillowで販売されているよ。
CFを自主制作していて、なんだかノリノリの人達だよ。(笑)
ちなみにカリフォルニアロールのお値段は40ドルだって。
上の朝ごはん枕と同じで3000円くらいだね。
太巻きを枕にして眠ってみたい気がするSNAKEPIPE。
これもまたお腹空きそうだけどね!
ん?今気付いたけど、こういう面白グッズってもしかしたらドン・キホーテでも売ってたりして?(笑)
わざわざ紹介するまでもない商品だったらごめんなさい!

最後はこちら。
テトリス枕だっ!(笑)
ゲームについてほとんど知らないSNAKEPIPEだけど、時間を忘れる程熱中したゲームといえばテトリスなんだよね。
たまたま携帯に入っていて、始めてみたら楽しくて楽しくてハマッてしまった。
携帯の機種変更をしたくなかったのは、テトリスのせいだったと言っても過言ではないね。(笑)
今でもきっと始めたら我を忘れること間違いなし、のゲームだろうなあ。
こんな形の枕があったらきっと組み合わせを考えそうだよね?
それでまた眠れなくなったりして。(笑)
テトリス枕のお値段は19.99ポンド、日本円にして約2500円くらい。
現在販売されているのか不明だったので、知ってる方がいたら教えてね!

どんな枕で眠ると良いのかは本人次第だよね。
またこれからも安眠できる枕探しと実験をしていこうと思う。
ビザール・グッズ探しはまだまだ続くよ!
お楽しみに!(笑)

Naonシャッフル 第2夜

【ROCKHURRAH作の大失敗動画。左右別音声で何だかわけわからんぞ】

ROCKHURRAH WROTE:

大げさに封印する理由なんて何もなかったんだが、何となく難しそうと思って書く事をためらっていた「ロックする女性」特集。
しかし前回このシリーズ企画を書き始めてしまったわけで、企画倒れにならないように少しは続きを書かなければ。
焦点を当てるのは毎回何となくROCKHURRAHが選んだ70〜80年代のロッキン女性たちで、選ぶ基準も対バン相手も好き勝手にしてみたい。
テーマ決めすぎて縛られてしまうパターンが最近多いから、そうなるとたかがブログでも疲れてしまうんだよね。だから少しでも書きにくいと思ったミュージシャンは好きでも書かないつもり。誰でも知ってるメジャー系は難しいかな。 という前置き(言い訳)で第2夜に突入してみよう。

Bette Bright & Jayne Casey

さて、今回はかつて大得意だった80年代リヴァプールの話にしてみよう。
リヴァプールと言ってもビートルズとかじゃないから、勘違いしないようにね。今は大得意とは言えないくらい忘れてるから、記事の内容も鵜呑みにしない方が良かろう(←偉そう)。

1980年代半ばくらいまでに有名バンドを数多く輩出したリヴァプールだが、その元祖的存在が70年代後半のデフ・スクールとビッグ・イン・ジャパンの二つのバンドだ。ベット・ブライトもジェーン・ケーシーもそこの歌姫だったわけだが、一般的にはあまり知られてないに違いない。だからそれを敢えてROCKHURRAHが書いてみましょうというのが今回の趣向。

デフ・スクールは英国のアマチュア・バンド・コンテストみたいなもので優勝してプロになったという経歴を持つリヴァプールのバンドだ。
日本で言えばイカ天出身バンドみたいなものか?
1976年から78年までに3枚のアルバムをリリースしたけど、日本では同時代にはほとんど知名度はなかったかな。

ちょうど英国ではパンク、ニュー・ウェイブが始まった時代なんだが、デフ・スクールはそういう音楽とは少し違う方向性にあったから、時代の波に埋もれてしまった感がある。
その音楽は10CCやロキシー・ミュージック、あるいはキンクスっぽい部分もあるしグラム・ロックのようでもあり、後のニュー・ウェイブにつながる部分もある。ステージやメンバーのイメージを見る限りは「架空のB級ハリウッド・スターによるゴージャスなミュージカル・ショー」といった風情で大人のエンターティンメント満載、まさに極上のモダーン・ミュージックだ。
ただし当時不況の国イギリス、アメリカのショウビズ世界のほど豪華絢爛というわけではなく、どちらかというとキャバレーのドサ回りバンドっぽいという説もあるが。
主要メンバーが8人もいる大所帯バンドであり、後にメンバーもそこそこ成功している。海外ではよくこのバンドの事をRock Legendなどと評しているが、そこまで大げさではないにしろ、マニアを唸らせるだけの人材がよく一堂に会したなあ、と思う。
後に最も出世したのは80年代を代表する有名プロデューサーになったクライブ・ランガーだが、他にもオリジナル・ミラーズのスティーブ・アレン(エンリコ・キャデラックJr.としてデフ・スクールのメイン・ヴォーカリストだった)、プラネッツのスティーブ・リンゼイなど、優れたミュージシャンがこのデフ・スクール出身だ。

そしてやっと核心にたどり着いたよ。今回取り上げたいベット・ブライトはデフ・スクールの紅一点、3人のヴォーカリストのうちの1人だったわけだ。
わざわざくどい説明しなくても話の流れで誰でもわかるか。
50〜60年代の映画を気取った楽曲が多く、彼らの1stアルバム・ジャケットもまるでラブ・ロマンス映画の1シーンのようだった。
エンリコ・キャデラックJr.が主役だとしたらベット・ブライトはヒロイン役といったところか。
絶世の美女というわけではなく、デフ・スクールの画像を調べてみても単なるケバいお姉さん、ヘタしたらおばちゃんっぽくもあるけど、見るたびに違った雰囲気の化粧と衣装で同一人物には見えないかも。
自分の創りあげたイメージをたびたび覆す、と言えば70年代のデヴィッド・ボウイがまさにそうだったわけで、このブライト嬢もそういう路線を目指していたのだろうか?考えてみれば女優も毎回違う役だもんな。

そんなデフ・スクールの70年代当時の動いてる貴重な映像がこれだ。
他の映像は1988年に再結成、同窓会ライブをした時のものか、ごく最近のものばかり。おっさんとおばちゃんになってしまった彼らをあまり見たくないからね。ヒット曲「Taxi」と1stの1曲目であり、個人的に大好きな「What A Way To End It All」の映像はまさに彼らの全盛期のもので、ファンならば大満足間違いなし。
ただしクラーク・ゲーブルみたいなエンリコ・キャデラックがメインでベット・ブライトはこの曲ではコーラス程度であまり写ってないのが残念。しかし塩沢ときのようなド派手なサングラスでインパクトは強いな。
ちなみにデフ・スクールのもう一人の主人公、クライブ・ランガー(ギタリスト)はほとんど写ってないというありさま。ファンならばガッカリ間違いなし。

こちらはベット・ブライトがメイン・ヴォーカルを務める「All Queued Up」、3rdアルバム「English Boys / Working Girls」に収録されている曲だ。
このラスト・アルバムは1stで顕著だった10cc風のヴァラエティ豊かな曲よりはストレートなロックの曲が多く、この曲もその路線。
この後のニュー・ウェイブ時代の女性ロッカーに多大な影響を与えたひとつのスタイルだね。

デフ・スクール解散後、彼女はソロとなり、ベット・ブライト&イルミネーションズを名乗るが、60年代ガールズ・ポップ路線に磨きをかけて、これまた好きな人にはたまらない魅力だろう。
クライブ・ランガー&ボクシズ、ビッグ・イン・ジャパンのイアン・ブロウディ、同郷のヨッツのヘンリー・プリーストマン、元セックス・ピストルズのグレン・マトロック、リッチ・キッズやスキッズ、ヴィサージのラスティ・イーガンなどバック・メンバーも超豪華。
マッドネスのリー・トンプソンもゲストで参加していたな。
マッドネスの「ワン・ステップ・ビヨンド」をプロデュースして大ヒットさせたのもクライブ・ランガーだったから、この関係で知り合ったのかどうかわからないが、私生活でもマッドネスのサッグスと結婚している。
ブライト嬢はピストルズの有名映画「グレイト・ロックンロール・スウィンドル」にも出演しているな。

イルミネーションズの動いてる映像が意外となかったのでこれで我慢するか。
この曲は60年代にReparata And The Delrons(読めん)がヒットさせた曲のカヴァーでエキゾチックな名曲。
バングルスの「エジプシャン」とか思い出すよね。ベット・ブライトはこの他にも数多くカヴァー・ヴァージョンの傑作を残していて、プリンスの「When You Were Mine」やパースエイダーズの「Some Guys Have All The Luck」なども素晴らしい。
後にシンディ・ローパーやロッド・スチュアートがこれらの曲をカヴァーしたが、その元祖と言っても良いくらい。
関係ないがジャケットの衣装もすごいな。ボディコン(死語)の元祖でもあるのか。

デフ・スクール関係は詳しく書けばそれだけでブログ数回分になってしまうのでハードだけど、かなり端折ってしまったな。ディープなファンから怒られるだろうけど、まあこれで許して。

その伝説的なバンド、デフ・スクールよりも少し遅れた1977年にリヴァプールではもう一つの伝説が生まれた。
知ってる人は少ないけど、その筋では超有名バンドと言えるビッグ・イン・ジャパンだ。
日本でビッグ=本国では無名という皮肉な表現だけど、世の中に溢れてる黄色猿は大嫌いだから腹も立たない。
今は便利な時代になってYou Tubeとかでもほぼ全曲彼らの曲を知る事が出来るけど、ニュー・ウェイブ系の入手困難レコードとしても有名な伝説のバンドだ。

このバンドはデフ・スクールよりももっと有名人を輩出していて、ライトニング・シーズを大ヒットさせたイアン・ブロウディ(プロデュース業でもヒット作多い)をはじめ、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドで一世を風靡したホリー・ジョンソンなどもここの出身だ。
その辺の事は大して詳しく載ってないけどウチの販売ページも見てつかあさい。

ビートルズを有名にしたキャバーン・クラブの隣に位置していたというライブ・ハウス、エリックス。
ここを拠点として80’sリヴァプールのバンドがメジャーになっていったんだが、ビッグ・イン・ジャパンもエリックスの名物バンドだった。
デフ・スクールがメジャー・レーベルで3枚もアルバムを残してるのとは逆で、ビッグ・イン・ジャパンはわずかにインディーズから2枚のシングルしか出してなく、知る人ぞ知るバンドという状態だったな。
後に有名になった人が多数在籍していたから伝説と言われてるけど、単に曲だけ聴いたら500円くらいで売っててもおかしくないレコードだろう。
ROCKHURRAHは渋谷のZESTで清水の舞台から飛び降りる思いで6000円くらいしたシングルを買ったものだが、それも今は昔の話。

ジャンルとしてはパンクなんだが、有名ミュージシャン多数・・・の割には非常にチープな演奏でそのB級感覚が魅力と言えるのか。
スージー&バンシーズの曲調とRAWレーベルの絶叫女性ヴォーカル・バンド、シック・シングスあたりを思わせるジェーン・ケーシーの歌声、そして当時のパンク界でもかなりの美女だと思えるのにスキンヘッズ(していた時期もある)で異常なメイク、という派手なスタイルが素晴らしい。
ぶっちゃけた話、同じような感じだったらエラ顔のスージーよりは美人のジェーンの方がいいという男性ファンも多かった事だろう。
このバンドでは優れたミュージシャンであるイアン・ブロウディもビル・ドラモンドもホリー・ジョンソンもたぶん主役ではなく、ジェーン・ケーシーのインパクトあるスタイルに対する評価がほとんどだったという気がする。

ほぼ唯一と言える超貴重映像がこれだ。

この曲は4曲入り2ndシングル「From Y To Z And Never Again」に収録されているが、映像はライブ風景(あるいはプロモ)でも音はかぶせているだけだろう。バンシーズとかシック・シングスとかに似てると書いててこの曲だと全然イメージが違ってくるけど、唯一の動く映像だから仕方ない。
ちなみにこの曲の甲高い声はジェーンではなく(聴けばわかるか、当たり前)、楽器担当の3人がお遊びで作った宅録の模様。
まあしかし映像があっただけでも奇跡的にすごいね。
世はまさにパンク時代真っ只中、という事を全然感じさせないヘナチョコ・メガネ・ギタリストのイアン・ブロウディと生きたバービー(というかマネキン人形みたい)のようなジェーン、そしてこれだけのメンツが同一画面で動いてるのはリヴァプール・マニアとしては感慨深い。
右側二人は何もせず遊んでるだけにしか見えないがギャラ貰えるのか?

ビッグ・イン・ジャパンは短命に終わったバンドだったがその後、ジェーンはピンク・ミリタリーというバンドを始める。
この時はもうパンクではなく、スージー・スーが目指した方向と同じダークな路線となっている。
ダーク・サイケ、ゴシックなどと呼ばれた音楽と似たようなもの。ビッグ・イン・ジャパンの「Taxi」や「Nothing Special」の延長線上なんだけどね。
あのメイクと声だからこれは非常に良く似合っていて、囁くような歌の「I Cry」などは大好きだった。ただし見た目の割には地味な音楽だったから人気なかったのかね、ここでも動く映像は残っておりません。

そしてエレクトロニクスを中心とした音楽に転身していったため、バンド名もピンク・ミリタリーからピンク・インダストリーに改名。
軍隊から工業かあ。どちらも好きな分野だから安易でも許そう。
リヴァプール・シーンで昔からいくつかのバンドで活動していた(ピート・バーンズやホリー・ジョンソンとも旧知の仲)アンブローズ・レイノルズがジェーンのバックを務めている。

ピンク・インダストリーは動いてるプロモもあるんだけど、この曲が好きなので動いてないこちらの方を選んでみた。
エレクトロニクスによる演奏の男女ユニットと言うとユーリズミックスあたりを連想するが、ジェーンの歌声はもっと気怠くて、まるで女版ルー・リードといったゆるさ加減が、好きな人にはたまらない魅力だろう。

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以上、80年代リヴァプールを牽引してきたシンボル的女性二人に焦点を当ててみたけど、どうだったかな。
牽引というほど大活躍してないけど、そこはご愛嬌。

何とデフ・スクールは2011年に来日しているそうだし、ピンク・ミリタリーも今年になって活動再開していたらしい。あの時代だからこそ輝いていたんじゃないかと個人的には思うし、やっぱりROCKHURRAH RECORDSとしては80年代をそのまんま現在進行形で切り取ってゆくような姿勢でいたい。

尚、今回は扉の動画が直前まで出来上がらなくて苦戦して、時間切れとなったので「失敗作」のままアップしたけど、許してね。ちゃんと時間ある時にリベンジしてみます。