マックス・エルンスト-フィギィア×スケープ

松井冬子展の時と全く同じ構図!ワンパターン!(笑)】

SNAKEPIPE WROTE:

去年の3月に鑑賞した「シュルレアリスム展~ポンピドゥセンター所蔵作品」紹介のブログの一番最初に記事にしていたマックス・エルンスト。
その中で「エルンスト展があったら観に行きたいな」と語っていたSNAKEPIPE。
なんとその夢が実現することが判明したのが、前回の松井冬子展で出かけた横浜美術館だった。
次回の特集がマックス・エルンストと知って狂喜するSNAKEPIPE。
うわー、これは楽しみだ!(笑)

以前よりシュルレアリスムに興味を持ち、様々な展覧会に行ったり画集や写真集を鑑賞したり購入するのが大好きである。
マックス・エルンストについても当然のように名前と顔が一致するアーティストだけれど…それはマン・レイの撮影したポートレイトを知っていたからなんだよね。
マックス・エルンストの代表作は何?と問われてもハッキリ答えられないことが判明。
シュルレアリストのうちの一人と認識しているし、実際に今まで何点かの作品は鑑賞しているけれど、あまり詳しくないアーティストになってしまいそう。
益々マックス・エルンスト展鑑賞の必要性を感じたのである。(大げさ)

今年のゴールデンウィークは5月1日、2日を加えれば最長で9連休。
なんとSNAKEPIPEも今年はその恩恵を授かり、9日連続のお休み中なのである!
だけどね、別に特別どこかにお出かけするわけでもなく、何か用事があるわけでもないんだよね。(笑)
普段のお休みがちょっと長引いてるかな、くらいのゆったりした時間を過ごしている。
「絶対に観に行きたい展覧会」
とROCKHURRAHが珍しく鼻息を荒くしていたのがマックス・エルンスト展だった。
かなり琴線に触れたアーティストらしい。
長いお休み期間中、丁度良い機会だから行こう!とROCKHURRAHと一緒に横浜に向かったのである。

ここでマックス・エルンストについて簡単に紹介してみようか。
1891年ドイツのケルン生まれ。
1910年ボン大学文学部哲学科に入学。
1913年「ライン表現主義者展」に出品。
1914年~1918年第一次世界大戦に砲兵隊員として従軍。
1921年パリでコラージュ展開催。
1925年「第一回シュルレアリスム絵画展」に出品
1946年55歳で画家のドロテア・タニングと4度目の結婚
1976年パリで死去。

1912年に現代美術の展覧会を鑑賞して画家になる決意を固め、その翌年には作品を出品しているなんてすごい!
幻覚を見たり、飼っていたインコの死を妹の誕生を結びつけたりするようなスピリチュアルな一面もアーティストになるべくしてなったような話だよね。
そして驚くのは4回の結婚歴!
1:元大学の同級生(お金持ちの子?)→2:映画監督の妹→3:美術コレクター→4:画家という女性達を次々と虜にしたマックス・エルンスト。
これらのエピソードだけでも充分小説とか映画になりそうだけど、更に作品についての話題もあるから興味が沸くよね。(笑)

ROCKHURRAHは初めての横浜美術館である。
前回SNAKEPIPEが「松井冬子展」に行った時も雨の横浜だったなあ。
今回も雨降りだから、ジンクスになってしまいそう。(笑)
またもや周囲を散歩する試みはくじかれてしまったけれど、周りのゆったりした空間は気持ちが良いね。
展覧会場に入ってすぐに
「この展覧会ではシュルレアリストとしての枠を外し、『フィギュア』と『風景』というモチーフからマックス・エルンストを検証し直しました」
と書かれている。
うわ、なんと!
ROCKHURRAHとSNAKEPIPEが求めていたシュルレアリスム作品とは違う角度からマックス・エルンストを論じようとしているとは…。
本当は本来のマックス・エルンスト展を期待していたのにちょっと残念。
では一体どんなマックス・エルンストなんだろう?
足を進めてみることにする。

会場は3つの章から構成されていて、時代を追う順番で作品が展示されていた。
ここでやはりROCKHURRAHとSNAKEPIPEが目をキラキラさせたのが第1章。
1909年から1927年までの作品が展示されていたためである。
「流行は栄えよ、芸術は滅びるとも」と題された版画集は、当時はケルン・ダダ(反芸術運動)のリーダーとして活躍していたエルンストがデ・キリコの作風に影響を受けて1919年に制作。
この時代はダダイストとしてエルンストの名前が挙がるんだよね。
ダダイストからシュルレアリストになった人って結構多いみたいなんだけど、これって1924年にアンドレ・ブルトンが「シュルレアリスム宣言」をした前と後のように、年代によって使い分けるということで良いのかしら?
あまりハッキリ言い切れないので、詳細は専門家にお任せかな。(笑)
そして確かに解説にあるように、キリコの顔なし人物と酷似してるよね!
石版に直接描いたリトグラフとのことだけれど、構成主義を思わせる直線が見事。
ダダイズムについてあまり詳しくないSNAKEPIPEだけれど、この版画集のタイトルと版画の内容からなんとなく言いたいことは解る気がする。
ただ思想がどうのなど関係なく、とてもカッコ良い構図の版画集だよね。
ポスターがあったら並べて飾りたいな!(笑)

続いて気になった作品はこちら。
「聖対話」と題された1921年制作のコラージュ作品である。
ううっ、1921年にこんなコラージュが完成していたとは!
やっぱり1920年代恐るべし!(笑)
左下に「ガラへ」と書かれていて、どうやら左側の女性の顔もガラという女性みたい。
このガラという女性は詩人ポール・エリュアールの奥様で、後にサルバドール・ダリと結婚する女性なんだよね。
2人のアーティストに愛されたガラ夫人というのが非常に気になるSNAKEPIPE。
昔からファム・ファタール(魔性の女)系の女性には興味があるんだよ。(笑)
そんなブログの企画があっても面白いかもしれないね?
この作品は人体模型図の図版をベースに2羽の鳥や実験航空機の写真に加えて膝部分にボタンが配置されている。
羅列すると不思議な組み合わせなのに、作品として鑑賞するとキレイなバランスが保たれていてカッコ良い。
この作品もポスターあったら欲しいな!(笑)

次は1925年から1952年の作品を展示していた第2章で目を惹いた作品のご紹介ね。
1929年よりエルンストは再びコラージュ作品の制作に取り組み始める。
「コラージュ・ロマン」とエルンストが名付けたコラージュによる小説を発表するのである。
1929年「百頭女」、1930年「カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢」、1934年「慈善週間または七大元素」の3部作を刊行。
これらは19世紀の定期刊行物に掲載された版画を切り取り、継ぎ目が分からないように上手く貼り付けた作品とのことである。
タイトルとコラージュ作品だけが並んだ本で、内容については鑑賞者の自由な想像でオッケーみたい。
小説と言われるとページ毎のつながりを考えてしまうけれど、一枚一枚の作品として鑑賞するだけで充分物語を想像することができそうだよね!
左は「慈善週間または七大元素」の中の一枚で、鳥人間という架空の存在が裸女の足裏にナイフを突き刺している、なんとも幻想的な作品である。
3部作とも容易に入手できそうなので、是非揃えて鑑賞したいね!

今回のエルンスト展では森の絵画や民族的な彫刻、自身が発明したフロッタージュなど、他にも素晴らしい作品がたくさん展示されていた。
時代によっていくつもの顔を持つエルンストを体験することができて良かった。
次回はシュルレアリストとしてのエルンスト展を鑑賞したいね。(笑)

会場を出てから今度は横浜美術館コレクション展、愛称ヨココレ(笑)を鑑賞。
なんとここでは写真によるシュルレアリスム展を開催している!
最初にマン・レイ、次はハンス・ベルメール。
エルンスト観に来て、他のシュルレアリストの作品を鑑賞することができて幸せ!
オリジナルプリントではないにしても、マン・レイの作品は以前鑑賞した「マン・レイ展~知られざる創作の秘密」の時よりもサイズが大きくて鑑賞しやすい。
「シュルレアリスム展~ポンピドゥセンター所蔵作品」ではハンス・ベルメールの作品は1点だけだったのに、今回はズラリと並んでるし!
オマケで鑑賞、なんてとても言えないほど豪華版で良かったね、と言い合っていたところに飛び込んできたのがシュルレアリスム絵画の部屋。
うわー、ダリだ!マグリットだ!デルヴォーだ!ベーコンだ!と興奮しまくり。(笑)
特集展覧会だけじゃなくてヨココレも要チェックだね!

SNAKEPIPE MUSEUM #15 Albert Birkle

【Albert Birkle1926年の作品:The Last Cavalier】

SNAKEPIPE WROTE:

昨年鑑賞したモホリ=ナギ以来、1920年代に対する興味を持ち続けているROCKHURRAHとSNAKEPIPE。
その時代の今まで知らなかったアーティストを発見することに心血を注いでいるところである。(大げさ)
「これはいい!」と思った作品を発見すると、お互いに紹介し合うことにしている。
今回のSNAKEPIPE MUSEUMもたまたま発見した、1920年代の温故知新系アーティストAlbert Birkleについて書いてみたいと思う。

ROCKHURRAHは観てすぐに
ORCHESTRE ROUGEのジャケットを描いているRecardo Mosnerに似てる」
と言う。

このRecardo Mosnerはアルゼンチンのブエノスアイレス生まれの画家・彫刻家で、フランスで活躍中らしい。
左がAlbert Birkleで右がRecardo Mosnerなんだけど、構図とか雰囲気が確かに似てるよね!(笑)
そして2人の画家についての詳細がはっきりしないところも良く似てる。
どうやらAlbert Birkleはドイツ人のようで読み方すら分からない。
日本語ページでの紹介文も見当たらないほどマイナーな画家のようである。
当たってるのかどうか不明だけど、アルベルト・バークルと表記していこう。

アルベルト・バークルは1900年ベルリン生まれ。
第一次大戦で兵役に就く前に、すでにベルリンの芸術大学でアートについて学んでいたようである。
親戚の中にも裁判画家を生業としている人もいたようで、どうやら芸術に対して理解がある環境で育ったらしい。
1927年ベルリンで初の個展開催。
1941年から1943年まで戦争特派員としてフランスに滞在。
1944年にはザルツブルグで開催された「ドイツ人アーティストとSS」展に出品しているようなので、ナチスとの関係もあった模様。
1946年、戦争が終結した年にオーストリアの市民権獲得。
1958年には教授となる。
この頃にはステンドグラスの作家として有名で、ドイツ国内だけでなくワシントンでもバークルのステンドグラス作品を鑑賞することができるようである。
1986年にザルツブルグで死去。

ドイツ語で書かれた文章を英語に訳してから更に日本語訳にして作った文章が上述のもの。
だからもしかした誤訳があるかもしれないけど、許してね。(笑)
バークルが活躍していた時代が丁度世界大戦真っ只中だったということで、かなり戦争の記憶がトラウマとなっていたようである。
その傷が影響を及ぼし、影のあるなんとも印象的な作品に仕上がっているように思う。
バークルにとっては辛い傷だったと予想できるけれど、作品として鑑賞した場合には非常に魅力的だと感じるのはSNAKPIPEだけではないだろう。

「The Last Cavalier」(最後の騎士)と題された上の作品は、怯える老女と忍び寄る紳士的な(?)骸骨を描いた作品である。
「怖がらないで一緒に参りましょう」と笑いながら誘っているように見えるよね。
戸惑いながらも誘いに乗りそうな老女。
そのままの解釈だけじゃなくて、もしかしたら風刺画みたいに隠喩としての作品だったのかもしれないね?

アルベルト・バークルはフレスコ画を手がけていたり、教会の窓にステンドグラスを施したりするような宗教的な一面を持っている。
そして同時に「反乱と革命」というテーマにも取り組んでいたので、「磔」というのが重要な表現手段になっていたようである。
政治的な意味と宗教的な意味を掛け合わせると左のような作品が出来上がるんだね!
苦痛、という共通項から「磔」になったみたいなんだけど、宗教について詳しくないSNAKEPIPEには深い部分まで語ることはできないので、その点は専門家にお任せするとして。
テーマとか主題について理解できなかったとしても、インパクト大だよね。
構図の斬新さや色使いはもちろんだけど、なんといっても手前の人の顔がすごい。(笑)
「叫び」で有名なノルウェーの画家、ムンクに似た生と死、孤独や不安といった人間の心のダークサイドを表現した画家なんだろうね。
調べてみるとムンクは1890年代ベルリンに滞在していてドイツ表現主義に影響を与えた人物、とされているから関連があっても不思議じゃないかもね?

詳細が分からないまま特集にしてしまったアルベルト・バークルだけど、これからもこうした観た瞬間ファンになるアーティストに出会っていきたいと思う。

Naonシャッフル 第1夜

【スティッフ・レーベルの看板娘二人。絶対話が合わなさそう】

ROCKHURRAH WROTE:

あまりにも歴史が長く深遠な世界だったので今まで語る事をしなかったが、今回は女性のロック特集でもしてみようか。 地球上の人類の半分くらいを占めているはずの女性がロックをすなるのは当たり前の現象で、正統派もいれば変わり者もいるのはどこの世界とも共通している。

そういうわけで何回になるか見当もつかないが、女子ヴォーカルという大まかなテーマ以外は特に決めずに気ままに書きたい事だけ書いてゆこう。ROCKHURRAH RECORDSの一大理念(大げさ)というかお約束で、やはり70年代パンクから80年代ニュー・ウェイブの時代限定でね。

Lene Lovich & Rachel Sweet

おっと、いきなりこれ持ってくるか?パンク、ニュー・ウェイブで女性シンガーと言ったらまずはスージー&ザ・バンシーズあたりじゃないのか?という意見は多いはずで、確かにそれが第1回目に相応しいかも。がしかし、なぜか今回のROCKHURRAHのくくりは「強くて張りのある歌、そして時々ダミ声」というテーマに先程決定したんだよね。その辺の気まぐれ心情は本人以外誰にもわかるまいて。だから今日はこういう感じにさせてくんなまし。

70年代、パンクの時代にとても有名だったスティッフ・レーベルはラフ・トレードやチェリー・レッドなどと共にインディーズ・レーベルの先駆け的な存在だった。ここに書くだけで数十行にはなるだろう(だから敢えて書かないが)有名アーティストを数多く抱え、音楽ファンの熱い視線を受けていたのがスティッフだったのだ。 そのスティッフが同じ年、1978年に対照的な二人の女性シンガーを世に送り出した。 それがリーナ・ラヴィッチとレイチェル・スウィートだ。

リーナ・ラヴィッチは現在ウィキペディアで調べると生い立ちとかすぐにわかってしまうけど、彼女がデビューした78年には当然インターネットもなく、ほとんどの雑誌メディアとかではハッキリした事がわからないミステリアスな女性シンガーというような扱いだった。デビュー・アルバムも「Stateless(国籍ナシ)」だし。 美人と言えるのかどうかの判断は見た人の感想にお任せするとして、かなりハッキリした顔立ち、そして三つ編みがトレードマークだった。東欧系、あるいはジプシーの占いばあさんを思わせるようなルックスですな。というか東欧系は実際なんだけど。

パンク以降の女性アーティストの特色としてはまず、目立つ事とファッショナブルである事が話題になる条件だったと思う。ジャニス・ジョップリンの時代ならまだしも、いくら歌がすごくてもニュー・ウェイブ世代でジーンズにTシャツ一丁で熱唱するヴォーカリストはこの時代には皆無に近かったんじゃなかろうか? そういう時代も踏まえて、このリーナ・ラヴィッチの謎めいたスタイルはそこそこ成功したと思える。強烈にヘンな部分はないけど無理やりイメージ作りしましたという感じはしなかったからね。 ROCKHURRAHは歌ってる映像もリーナ・ラヴィッチのハッキリしたルックスも良く知らなかったけど彼女のアルバムを聴いて「これぞ確かにニュー・ウェイブ(それ以前のロックにはなかったもの、という意味で)」だと狂喜したものだ。何もかも終わってしまった時代の人にはかわいそうだが、何か新しいものが生まれる瞬間に居合わせた興奮や高揚感はこの時代の誰もが感じた事だろう。

リーナ・ラヴィッチを聴くと、当時のパンク、ニュー・ウェイブをアイワのカセットボーイ(ウォークマンの亜流みたいなもの)に入れて原付バイクに乗り、小倉の埋立地に一人で行ってはずっと聴いていた我が少年時代を思い出す。ターンテーブルでもなく自宅のステレオでもなく、アウトドアで聴く90分の音楽トリップ、これが生活の基本だったなあ。

話が逸れてしまったが、リーナ・ラヴィッチの歌い方には結構強烈なものがあって、ロカビリーでよく使われるヒーカップ唱法をうまく取り入れているのが特徴。声が途中で裏返ってしゃっくりみたいになる歌い方ね。この歌い方は可憐な声よりは野太いダミ声にやはりピッタンコなので、彼女は自分の声の特色を最大限に活かす事に成功したわけだ。演奏や曲にはロカビリー色はなく、シンセサイザーやサックスなどを導入してはいるが、いわゆるパワーポップ的なノリで小難しい部分はない。

「Lucky Number」は1stの一曲目で初期の代表曲と言える。この後、髪型や服装が多少変わったりするけど、彼女の歌い方や奇抜な表情とアクション、それらの全ての基本形は既に完成されている。数々のアート・スクールを渡り歩き、サルバドール・ダリの家にまで押しかけたという過去を持っているらしいが、確かにダリ直伝のビックリしたような表情の影響が感じられる(なわけないか)。

「Say When」も同じ1stアルバムに入っている大好きな曲。後の時代のカウパンクと呼ばれるような音楽の原型とも言えるべき見事なヒーカップ。この時代からROCKHURRAHはこういう傾向が好きだったんだな。途中にビートきよしの「やめなさい!」みたいなポーズが多用されていて一体何を表現したいのかわからないが、とにかくヘンなのは確か。しかも後にトイ・ドールズが確立した体操アクションまでやっているよ。

この手のキワモノ路線は最初のインパクトが強いけど飽きられるのも早いのが世の流れ。リーナ・ラヴィッチは後からどんどん出てきた女性シンガーの中であまり目立たなくなってしまったが、手を変え品を変え生き延びてメジャーにならなかったから、それがまた尊いんじゃなかろうかとROCKHURRAHは思うよ。

レイチェル・スウィートについては最初、リーナ・ラヴィッチほどにはインパクトを受けなかった、というのが正直なところで、彼女について思い出したのは他の事がきっかけとなった次第だ。

このブログでも前に書かれているが、SNAKEPIPEは悪趣味映画の帝王、ジョン・ウォーターズ監督の映画が大好きで、ほぼ全作品を観ている。ROCKHURRAHは「ピンク・フラミンゴ」とか「クライ・ベイビー」「シリアル・ママ」などは観ていたんだが、監督について何かを知って観ていたわけではなく、たまたまの偶然。で、SNAKEPIPEと知り合い一緒に何本か観たわけだが、その中の有名な一本が「ヘアスプレー」だった。数年前に別の監督がリメイクしているが、オリジナルはこのウォーターズ版というわけ。

ブロンディのデボラ・ハリーやカーズのリック・オケイセックが俳優で出てるし、音楽はウォーターズの趣味を全面的に反映した50’s〜60’s調。ミュージカルとしても大変面白い映画だったが、そのテーマ曲を歌っていたのがレイチェル・スウィートだったのだ。レイチェル・スウィートを知らなかったSNAKEPIPEと「ヘアスプレー」を知らなかったROCKHURRAHが一緒に観た事によって、数十年ぶりにこの名前が浮上したというだけの話なんだが、こんな事でここまで長く書けるのもなかなかすごいな。

さて、レイチェル・スウィートはオハイオ州アクロンの出身で顔立ちもアメリカのアイドル風、無国籍で怪しいリーナ・ラヴィッチとはとにかく対照的だった。1stアルバムのジャケットを見る限り、どう見てもニュー・ウェイブ系の女性シンガーとは思えなかったんだが、なぜかイギリスのスティッフ・レーベルから売りだしたのがミスマッチ。同郷の偉大なバンド、DEVOがヒットしたもんだから「何かわからんがアクロン、すげえ」などと思って一緒くたに輸出されたのか?えっ、違う? しかし歌を聴いてみると納得、かわいい顔立ちからは想像つかないような、結構コブシの効いた歌いっぷりは堂々としてるもんだ。 まあ、天才子役シンガーみたいなもんで子供の頃から既にカントリーの世界で歌っていたらしい。50年代に活躍したぶっ飛び姉弟ロカビリー・デュオ、コリンズ・キッズなどの前例もあるし、珍しい事ではなかろう。 それがティーンエイジャーになってスティッフから売りだされた時は、アメリカ伝統のガールズ・ポップ要素のある女性ロック・シンガーという路線だったんだろうけど、とにかく当時はニュー・ウェイブの新奇な部分を追い求めていたROCKHURRAHにはその路線があまり興味なかったわけだ。 2ndでは1stのかわい子ちゃん(死語?)っぽさをバッサリ切り捨てて突っ張った女を演出してみたが、これもまた何だか中途半端だと思えた。ダムド「New Rose」のカヴァーとかは良かったけどね。 結局、このレイチェル・スウィートはかなりパンチのある(またまた死語)歌声の持ち主だから、ロックでもR&Bでもカントリーでも何でもこなせただろうし、見た目と声のギャップで損してるタイプなのかもね。

そんな伸び悩みタイプのレイチェル嬢が一番自然に見えたのがこの「ヘアスプレー」だ。映画本編には出てなかった(と思う)んだが、このプロモ映像を見る限りでは出演者でも充分いけたんじゃなかろうか。ニュー・ウェイブ世代でもトレイシー・ウルマンやマリ・ウィルソンなど60年代っぽさを取り入れたシンガーはいるから、その路線に徹底すればあるいはビッグになれたかもね。しかし88年の映像(この時、たぶん26歳くらいだと思うけど)なのに、ティーン時代よりもさらに子供っぽい顔立ちになってるよ。まさに女は深遠。

というわけで今回はスティッフ・レーベル初期の女性シンガーに焦点を当ててみた。 やってる事や展開は「時に忘れられた人々」シリーズと全く同じという気がしないでもないが、たぶん気のせいでしょう。ではまた来週。

イ・ブル展~私からあなたへ、私たちだけに~

【森美術館の情報サイトに掲載されているトレイラー】

SNAKEPIPE WROTE:

2月から森美術館で開催されているイ・ブル展に行ってきた。
この展覧会は、年末に鑑賞した「メタボリズムの未来都市展」の時から知っていて、長年来の友人Mと「面白そうだから観に行こうね」と約束していたもの。
今まで様々な現代アート展を鑑賞しているSNAKEPIPEだけれど、韓国人アーティストについてはよく知らない。
韓国大好き!な友人Mでも、さすがに韓国のアートシーンまでは詳しくない模様。
二人揃ってイ・ブルのことをほとんど知らないまま展覧会に出かけたのである。

ここで少しイ・ブルの経歴について書いてみようか。
1964年ソウル生まれ、ソウル在住。
弘益(ホンイク)大学で彫刻を専攻。
1990年代後半よりニューヨーク近代美術館を始めとする、世界各国で作品を展示。
1998年にはグッゲンハイム美術館のヒューゴ・ボス賞の最終候補に残る。
アジアを代表するアーティストとしての位置を確立する。

イ・ブルのHPを見ると、どうやら2011年の1月に東京都現代美術館で鑑賞した「Transformation展」にも出品しているとのこと。
ってことは、既に彼女の作品を鑑賞したことがあったんだね。(笑)
現代美術館のHPで調べてみたらちゃんと載ってる!
2000年の作品「クラッシュ」が展示されていたようね。
全然記憶に残っていなくてごめんね、イ・ブル!
現代美術館HPに解説が載ってるんだけど、イ・ブルの作品についての簡潔で解り易い文章だと思うので転用させて頂くことにする。

イ・ブルの作品は、有機的な身体と機械との融合や、四肢などが異常に発達した動物的身体など、異形の彫刻を特徴としている。
彼女はこれらの身体を純白に、時には彩りを加え、光沢のある滑らかな質感で美しく仕上げることで、生命が必然的にもつ腐敗し滅びゆく一過性を超克しようとする普遍的な願望を投影している。

今回森美術館で開催された個展において、すべての作品に共通する解説ではないかもしれないけど、主旨は上の文章に凝縮されているように思う。
「異形の彫刻」とは一体何なのか?
作品を紹介しながらまとめてみたいと思う。

会場入ってすぐに目に飛び込んできたのが、モンスターシリーズ!
うりゃっ、まさに異形だわい!
天井から吊り下げられている2体(?)の他にも何体かの生息を確認。(笑)
布の中に綿を詰め、その上からアクリル絵の具で着色しているみたい。
これは説明書きを読んだ後で知り得た情報だけど、目の前にこんな立体物があったらかなり不気味に思うこと間違いなし!
上述した現代美術館の説明にある「四肢などが異常に発達した動物的身体」のようなので、未知の生物だから驚くのも仕方あるまい。(笑)
天井から吊り下げられていた赤い未知の生物は、どうやら着ぐるみだったようで、イ・ブル本人がその着ぐるみを着て街に出ているパフォーマンスも写真で展示されていた。
場所が日本だったようだけど、こんな着ぐるみ着た人に遭遇したらSNAKEPIPEは逃げるかも!(笑)
このパフォーマンスを行なっていた時期が、韓国では民主化への移行期で、という説明がされている。
両親が政治思想犯とみなされていて、常に監視され生活の範囲を規制された環境で育ったというイ・ブルは「社会の不条理への怒り、生きることへの不安、心の闇といった実体のないものを形にする」試みとしてこの作品を制作したとのこと。
韓国の歴史に詳しくなくても、そんな状況での生活はさぞ苦しかっただろうと想像できるよね。
作品だから触っちゃいけないんだけど、プニプニ感を試してみたい誘惑にかられたSNAKEPIPEだった。

今回の展覧会の中でSNAKEPIPEと友人Mが最も反応した作品がこの「Infinityシリーズ」。
ステンレス、鏡、ポリウレタン、アクリル、そしてLEDライトなどを素材として使用した、なんとも重厚な機械部品のような立体作品である。
鏡を使うことでずっとずっと遠くまで続いていくような感覚に襲われる。
左の写真のように立てた状態での展示と、床に寝かせた展示方法の2種類があった。
覗きこむ床バージョンよりも、立てた展示のほうが好みだったSNAKEPIPE。
「これ、欲しい!持って帰りたい!」
というSNAKEPIPEに
「そお?私はいらない」
とそっけない友人M。
えっ、今カッコいいーっ!て一緒に叫んでたじゃん!
欲しくはないんだ?(笑)
ROCKHURRAHにこの作品について説明をしていると、
「写真で観る感じではゾイドみたいだね」
と言う。
ゾイドというのは、1980年代にトミー(現タカラトミー)が生産し、アメリカ現地法人であるトミーコーポレーションが「ZOIDS」として発売した玩具だそうで。
動物をモチーフとする架空の兵器をパーツで組立て、動かすこともできるらしい。
現在も販売されているようなので、ご存知の方も多いのかな?
ROCKHURRAHは、その初期型ゾイドにイ・ブルの作品が似ていると言う。
残念ながら初期型ゾイドの画像はネット上で発見できず、似ているのかどうかについてよく分からないSNAKEPIPEだけど、1980年代後半に人気があった商品だったらイ・ブルが知っていてもおかしくないかもね?
いやあ、それにしてもカッコ良い作品だったな!

イ・ブル展には「キラキラした作品」がたくさん登場する。
ビーズやガラス、鏡などを多用した女性らしさを感じる作品である。
「ブルーノ・タウトに倣って(物事の甘きを自覚せよ)」というタイトルの左の作品も、キラキラ・シリーズである。
床面の鏡と合わせて鑑賞することで、より効果的。
床面を鑑賞すると、外側からは見えなかった部分を見ることができたのが面白かった。
もしかしたらこれが狙い?
この作品を観た瞬間に思い浮かんだのが、The Doorsの「クリスタル・シップ」。
Before you slip into unconsciousness(あなたが無意識空間をさまよう前に)から始まるこの曲は、本当にこの作品にピッタリかもしれないね?
チェーンだけで吊られているので、ちょっと揺れたらグラグラ動いてもしかしたら落ちて壊れてしまうのではないかという「あやうく儚い美しさ」を感じる。
ビーズという小さな素材をふんだんに使用し過剰にすることで、ビーズはチープでなない圧倒的な存在になるという思想らしい。
「チリも積もれば山となる」みたいな感じね。
更にビーズ細工が女性の安価な手仕事、という意味も含んでいるとのことで、もしかしたら性差別に対する抗議でもあるのかな?
近づいてじっくり鑑賞し、ビーズ細工が細かくて大変な作業だね、と友人Mと言い合う。
キラキラ系の作品はとてもキレイだったよ!

イ・ブル展には他にもサイボーグシリーズやカラオケポッドなど、機械っぽいモチーフも展示されていた。
ここらへんが「現代アート」だな、と感じるよね。(笑)
サイボーグシリーズはアニメや映画からの着想で、現代版ミロのヴィーナスとして制作された彫刻だそうで。
カラオケポッドは一人用の実際の車が展示されていて、完全個室で思い切り歌える空間が用意されていた。
カラオケボックスでよく見かける歌詞付きのビデオもイ・ブル作。
このビデオはちょっと意味が解らなかったなあ。
ただ3曲収録されていたうちの1曲は「Nothing Compares 2 U」だったんだよね。
イ・ブルがこの曲を選択したのはなんとなく理解できるけど、あんまりカラオケで歌いたくない曲じゃない?(笑)

以前鑑賞したことがある韓国人アーティストは2010年「医学と芸術展」でイ・ビョンホという作家の作品だったみたいね。
あの作品も腰を抜かす程怖い作品だったことを思い出す。(大げさ?)
今回のイ・ブル展もその斬新さ・奇抜さに大変衝撃を受けたSNAKEPIPEなので、これからも色々な国のアーティストの作品を鑑賞していきたいね!