時に忘れられた人々【12】情熱パフォーマンス編2

【情熱ないパフォーマンスの頂点、Trioの「Da Da Da」】

ROCKHURRAH WROTE:

今回の「時に忘れられた人々」は前に一度だけ試しに書いてみた「情熱パフォーマンス編」の第二部にしてみよう。
この時のテーマの概要はこちらの記事でわかっていただけるはず。
目に見える行動だけが情熱とは言えないが、抑えきれない何かの情熱を素直に映像として表すのは見ていて気持ちが良いものだ。

さて、今回はそういう情熱映像をピックアップしてみたんだが、なぜだか最初に出てきたのがドイツ物ばかりという結果になってしまった。だから今回は「情熱パフォーマンスinドイッチェランド編(長い・・・)」という事にしてみよう。

ドイツの音楽と言っても人によって印象は様々だろうが、今回ROCKHURRAHが語るのは80年代にノイエ・ドイッチェ・ヴェレ(要するにドイツのニュー・ウェイブの事)と呼ばれた音楽について。
実はこのシリーズ企画を考えた当初から予定していたのがノイエ・ドイッチェ・ヴェレ特集だが、聴くのも書くのも難しいジャンルだから、ずーーーっと先延ばしにしていたという経緯がある。 一般的にはあまり知られてないジャンルだからこそ、ものすごいマニアも存在しているわけで、そういう人たちが語るウンチクとROCKHURRAHの考えが全然一致してないのも書けなかった一因だ。
要するに小難しくなくノイエ・ドイッチェ・ヴェレを語りたいわけね。だからバンドが何を語りたいか、何を思って音楽やってるかなんて事ぜーんぜん気にしないで書いてみよう。

【跳ねる!】 DAF / Der Mussolini

正式にはDeutsch Amerikanische Freundschaft(独米友好同盟)だが、そんな長いバンド名を毎回語るのもかったるいのでダフと呼ぶ人が多い。

ノイエ・ドイッチェ・ヴェレの一番初期に大活躍して、世界的に最も知られたドイツのニュー・ウェイブ・バンドと言ってもいいだろう。
1stアルバムは工場の機械の中でバレリーナが踊ってるというインパクト溢れたレコード・ジャケットで、これに惹かれて買った人も多かろう。しかしこのアルバム、曲名クレジットも何もなく、内容的にはヴォーカルが入ってないインストゥルメンタルであり、そもそも曲というよりは音の断片を羅列しただけという、荒削りな素材集みたいなものだった。
ノイズ、アヴァンギャルドといった音楽に全く触れた事がない人が聴いたら「何じゃこりゃ?」な内容なのは確か。逆にディス・ヒートとかそういうのが好きな人にとってはかなりドンピシャな音かも知れない。ギターのフリー・スタイルなぶっ飛び具合はすごい。

DAFと言えば一般的にはシーケンサーなどのエレクトロニクス楽器を駆使した暴力的&直線的なビートという印象だが、それが確立するのは2nd以降の話だ。メンバーの脱退が相次ぎ、最終的にはガビ・デルガド=ロペスといういやらしく濃い顔のヴォーカルとロバート・ゴール(Wikipediaではゲアルと書いてるがしっくりこないなあ)の男二人組となる。
「ファシストっぽい」とか「ゲイっぽい」とかそういう話題にのぼるような顔立ちに衣装だから、誤解されても仕方ないだろうね。「男二人の友情」というようには世間は見てくれないからね。 その二人が作り上げたのが単純明快なビートに乗って、ガビの粘着質なヴォーカルが展開してゆくというスタイル。この時期の代表作が今回取り上げた「デア・ムッソリーニ」だろう。この手の音楽の元祖的存在なのは確かだが、エレクトロニクスによる単調な主旋律とビートがずっと続くだけで、よくぞまあヒットしたものだと思える。

さて、その彼らのライブ風景だが、まさに右に左に飛び跳ねまくって歌い踊るガビのアクション全開の出来。4分近い曲でここまで動きまわるとは恐ろしい運動量だな。アグレッシブなハードコア・パンクのバンドでもこんなには動かんでしょう。 ライブで何曲やるのかはわからないが、一回のステージで精根尽き果てるのは間違いない。

【回る!】 Die Krupps / Machineries Of Joy

上記のDAFと同じく、ノイエ・ドイッチェ・ヴェレの初期から活動していたのがデイ・クルップスだ。
元々Maleというパンク・バンド出身のユーゲン・エングラーが中心となったもので、商業的にも割と成功したように思える。 初期の彼らの特徴はいわゆるメタル・パーカッションを多用した音作りにあった。
ユーゲン・エングラーが独自に作り上げたシュタロフォンと呼ばれる楽器は工場で拾ってきたような鉄板(と言うより延べ棒のようなもの)を鉄琴のような形にして、それを鉄の棒で叩くというシンプル極まりないものだった。それが普通の市販されてる(市販されてるのか?)鉄琴とどこがどう違うのかは鉄琴学に詳しくないROCKHURRAHごときにわかるはずもないが、彼らのシングル・ジャケットに誇らしげに写真が載っている。自慢だったのは間違いない。

初めて動いているクルップスを見たのは福岡天神の親不孝通りにあった80’s Factoryというライブハウスだった。
いや、そこにクルップスが来日したとかそういう話じゃなくて、当時の外国のニュー・ウェイブ状況を伝えるという啓蒙的なフィルム・イベントで、ワイアーのコリン・ニューマンやジョイ・ディヴィジョン、デア・プランなどの映像と共に見た記憶がある。まだプロモーション・ビデオとかが気軽に見れないような時代で、音楽大好きだったROCKHURRAH少年は深く感動したものだった。現地に行って現物を見た人以外で、こんなマイナーなバンドのライブ姿を見れたのはかなり早かったのではなかろうか?

おっと、話が逸れてしまったが、ここで見たクルップスは確かにランニング姿でこのシュタロフォンを叩きまくり歌っていた。
エレクトロニクスを駆使したデジタルな音楽っぽいのに、やってる事は体育会系でアナログ極まりない。この時代のそういう未完成な音楽は好きだね。
しかも鉄板を鉄の棒で叩きまくるわけだから肩や肘への負担が半端じゃない。これ以上続けたら肩をこわしてしまうぞよ、などと医者に止められたかどうかは知らないが、ユーゲン・エングラーにはそういう「巨人の星」みたいなスポ根逸話まで残っているようだ。手のスジが「ピキッ!」といかなかったからその後もバンドを続けていられるんだろうけどね。

このバンドのもう一つの特徴というか何というか・・・彼らは自分たちの代表作「Wahre Arbeit Wahrer Lohn」をこよなく愛し続けて30年余り。この曲のヴァージョン違いミックス違いが常識で考えられないくらい存在しているのがすごい。バカのひとつ覚えと言えなくもないが、そこまでひとつの曲にこだわり続けるのが情熱パフォーマンスの真骨頂だね(笑)。

さて、紹介するのも元歌は「Wahre Arbeit Wahrer Lohn」で、これをイギリスの同系列バンド、ニッツァー・エブとコラボレートしてやっている。最初に歌ってる花形満みたいな髪型の人はニッツァー・エブの人で、その後にホイッスル吹きながら現れるのがこのバンドの顔、ユーゲン・エングラーその人だ。
ROCKHURRAHが見た80年代初期のクルップスじゃないから得意のハンマービートも控え目なんだが、動いてる映像がヘヴィメタル・バンドになってしまった後(後にそうなってしまう)くらいしか残ってないので仕方がない。
【回る!】の意味はいちいち解説しなくても映像見れば一目瞭然でしょう。

【じゃれる!】 Palais Schaumburg / Wir Bauen Eine Neue Stadt

後にソロとして活躍するホルガー・ヒラーを中心としたパレ・シャンブルグ(当時の「ロック・マガジン」的に読めばパライス・シャウンブルグ)も初期ノイエ・ドイッチェ・ヴェレの中で重要なバンドだった。
彼らの特徴は他のドイツのバンドに比べてエレクトロニクスの使用率がかなり低いという事が挙げられる。通常ロックで使われる楽器+トランペットというオーソドックスな編成はメタル・パーカッションやシンセ使って当たり前のドイツ音楽界では逆に少数派なのかも。
ただし、その編成で普通のロックをやるかと言うと大違いで、実験性と革新性に溢れていてROCKHURRAHも大好きだった。特にドイツ語による字余りすぎラップといった風情の「Madonna」やファニーなデビュー曲「Telefon」は今でも愛聴している。

そんな彼らの代表作がこの曲。決してポップな曲でもないのにプロモは80年代風軟弱ダンスが炸裂するというアンバランスなもの。音を消して映像だけだとすごい軽薄そうに見えてしまうが、実は割と重厚というギャップが素晴らしい。

ホルガー・ヒラーはこの後バンドを脱退してしまいソロの道を歩むが、なぜか「うる星やつら」の主題歌で有名な小林泉美(千葉県船橋市出身)と結婚して離婚したり、ちょこちょこっと日本でも話題に上るような活動をしていたな。

【壊す!】 Einstürzende Neubauten

一般的には「読めん!」って人も多いだろうが、アインシュタルツェンデ・ノイバウテン(崩壊する新建築という意味だそうな)はドイツが生んだノイズ/ジャンク系の真打ちだと言える。パッと見には長身の美形男、ブリクサ・バーゲルトを中心にして、元アプヴェルツのマーク・チャン、F.M.アインハルトなどのクセモノが揃った超藝術集団だ。

ブリクサはその人間離れしたマスクなもんで、当時の音楽雑誌の表紙とかにもよくなっていた。
それを見た面食い女子達がファンになって買ったりしていたものの、正直言ってその何%がノイバウテンの音楽を理解して好きになっていただろうか? インダストリアルとかアヴァンギャルドとか言うはたやすいけど、これほどとっつきにくい音楽も他にないかも。
この映像を見ればわかる通り、電気ドリルやバーナー、数々の廃材などを持ち込んでそれを打ち鳴らす、穴を掘るといった現代アート風パフォーマンスのつもりだろうが、限りなく工事現場作業に近いシロモノ。しかも専門家が見たら手つきがなっとらん、と叱られる事必至の三流ぶりだよ。そしてその結果生まれた音楽が前衛的でとっつきにくいのは当たり前だとも思える。

個人的な事を言うなら今、家の前でガス管取り替えとかの工事やってるが、そこから生まれる騒音と大差ない世界だもんな。 今回は「壊す」という映像が欲しかったからこの曲にしたが、本当は代表作である「Yu-Gung」とかは随分わかりやすくカッコ良い名曲だと思う。石井聰互が監督した「半分人間」などもインダストリアル好きにはたまらないだろうね。

今回は情熱パフォーマンスとは言ってもあまり面白くもないものばかりになってしまったな。まあドイツのニュー・ウェイブ自体が英米のとはちょっとニュアンスが違っていて、面白さやカッコ良さのツボも異質だから、この程度で許してくんなまし。

ではビス・ネヒステ・ヴォッヘ!

松井冬子展鑑賞~世界中の子と友達になれる~

【毎度お馴染みの展覧会ポスター。美術館入り口上方にあったため見上げて撮影。】

SNAKEPIPE WROTE:

今日はSNAKEPIPEの誕生日!
おめでとう!SNAKEPIPE!(笑)
何回目なのかは秘密だよ!
ROCKHURRAHが5.11のカッコ良いタクティカル・ブーツをプレゼントしてくれた。
これでますます本格的なミリタリーファッションが楽しめるね。
ありがとう、ROCKHURRAH!

今回のブログは今まで何度も計画を練って、そのたびに何かしらの理由によりおじゃんになっていた松井冬子展鑑賞について書いてみよう。
やっと今回鑑賞することができたんだよね。

何度もこのブログに登場している、長年来の友人Mから連絡があったのが1週間程前のことである。
そのメールはM本人が書いたものではなく、九段にある成山画廊から配信されたメールを転送してきたものだった。
「お待たせ致しました。松井冬子初の映像作品がついに公開されます。」
と書いてある。
今回の松井冬子展を紹介する横浜美術館のHPにも、大々的に映像作品についての告知がされていたので、展覧会が始まってから2ヵ月近くが経過してやっと発表される作品があることに驚く。
そしてその初公開日がMと約束をしている3月2日!
丁度良かった、ラッキーだね、と言いながら横浜美術館に向かったのである。

残念ながらこの日の天気は雨。
しかもかなり土砂降りで寒い日だった。
初めての横浜美術館なので、本当は美術館周りを散策したかったのに残念!
横浜という土地柄のせいなのか、駅周辺も美術館入り口付近も非常に空間をゆったり使った造りになっている。
晴れた日には散歩コースに良さそうね!

美術館入り口を入ってすぐに大スクリーンが目に飛び込んでくる。
これが例の成山画廊からお知らせのあった映像作品なのね!
この映像作品だけは会場の外にあるため、誰でも鑑賞することができるようになっていた。
SNAKEPIPEとMが到着した時には、何故だか小学生の団体が鑑賞中。
小学生はどんな感想を持つんだろうね?(笑)
「侵入された思考の再生」というタイトルのその作品は、心臓のドックンドックンという鼓動音のリズムをバックに展開する。
・何度も松井冬子の作品モチーフとして見たことがある、ボルゾイという白い大型犬を舐めるように移動するレンズ。
・ミルクのような、石灰水のような少し重量感のある白い液体が沸騰しているように下から突き上げられ、円錐形を形作る。
・松井冬子本人のアップ。
・髪を後でまとめているのか、顔だけになるとまるで後藤久美子のよう。
・日本人離れした美貌。
・目を閉じる松井冬子。
・髪が顔にまとわりつく。
・きれいな弧を描き、まるで生き物のようにどんどん顔を覆い隠すように巻き付く。
・ボルゾイの俯瞰。
・自らの長い尻尾を追い掛けるように走り、白い円を描く。
・松井冬子の眼球アップ。
・眼球横向きのショット。
・眼球の黒色部分が沸騰したように円錐形に盛り上がる。

順番は違っていると思うけど、こんな感じのおよそ3分程の映像作品だったんだよね。
うーん、映像を文章にして説明するのは難しい。
松井冬子の初映像作品として、全く期待を裏切られなかった、という思いと想像通りだな、という感想を持つ。
厳しい言い方をするなら、良い意味でも悪い意味でも「平均点」かな。
ロレックスが協賛とのことなので、せっかくならCFにしたほうが話題作になりそうだよね?

さあ、それではいよいよ会場に入っていこうか。
松井冬子初の公立美術館における大規模な個展は9章に分けられて展示されていた。
それぞれの章ごとに気になる作品についてまとめてみようかな。

第1章 受動と自殺
第1章から重たい言葉の羅列!
そんな言葉を熱心に読んでいるお客さん達。
予想通りだけど、やっぱり女性ばっかりだったんだよね。(笑)
松井冬子は女性ファンが多いだろうから。
ボルゾイをモデルにした「盲犬図」からスタート。
「痛み」「狂気」「死」という松井冬子にとっての3大テーマに沿った作品が展示されている。
「ただちに穏やかになって眠りにおち」では白い象の入水の様子が、「なめらかな感情を日常的に投与する」ではところどころ体が千切れている双頭の蛇が描かれている。
第1章から痛いよー!
SNAKEPIPEがこの中で一番気になったのは、展覧会タイトルにもなっている「世界中の子と友達になれる」(2004)である。
このタイトルは第3章で展示されている松井冬子の卒業作品と同じタイトルで、「あれ?」と思ったSNAKEPIPE。
調べてみると「自分にとって大事な作品には同じタイトルを付けている」とのこと。
記述したい時には「世界中の~」のあとに年号を入れる方法で良いのかな?
上の作品は真ん中に大きな花が咲いていて、右下には女性の足、左には横たわるまたもやボルゾイが配置されている。
キレイに咲く花が、女性の養分を吸い取っているように見えて、それはまるで梶井基次郎の「櫻の樹の下には」を思い起こさせる。
鑑賞者の想像によって、いくつもの物語が作れそうで、とても気に入った作品である。

第2章 幽霊
「夜盲症」という作品は以前にも鑑賞したことがあり、その制作のプロセスについて語る松井冬子の言葉も聞いたことがある。
松井冬子はジャンル分けされると「日本画家」となるようだけど、その制作方法は伝統的な日本画のそれとは大きく違っているようだ。
デッサンを繰り返し、デッサンをコピー、必要部分を切り取り、貼り付け、コラージュをする。
確か「夜盲症」という作品は幽霊っぽく細長く見えるように「拡大縮小コピー」をした、と語っていた記憶がある。
確かにその方法は効果的で、足がないとされる幽霊らしさが良く表現されている作品に仕上がっているよね!
だけど、そういう方法を語っちゃって良いのかな?
その点がとてもユニークな方だな、と逆に感心してしまったSNAKEPIPE。
第2章の中では、「思考螺旋」という逆立った女性の髪の毛だけを描いている作品に、女性の怨念のような強い意志を感じた。

第3章 世界中の子と友達になれる
この作品は松井冬子の東京芸大卒業制作である。
この作品も松井冬子の代表作として非常に有名なので、SNAKEPIPEも以前より知っていた。
もちろん実物を鑑賞するのは今回が初めてである。
テレビ画面や画集からは知ることの出来なかった、なんとも言えない後味の悪さを感じる。
少女の手足の先ににじんでいるのは、どうみても血にしかみえない。
どこに向かって、誰に対して呼びかけているのか。
揺りかごからいなくなった赤ん坊を探しているのか。
びっしり描きこまれた蜂の大群。
今回実物を鑑賞することができて良かった作品である。
そしてこの作品のプロセスが解るような、例のコピー、コラージュなどによる制作方法を知ることができたのも良かった。
揺りかごが途中からグレードアップして、高そうな品に差し替えられていたのには笑ってしまった。(笑)

第4章 部位
この章では作品制作のための下図やスケッチ類が展示されていた。
日本画家の制作課程として小下図や大下図を描くと説明がされていて、松井冬子もその伝統的な手法に沿って制作をしているとのこと。
コピーとコラージュは独自の手法みたいだけど、それ以外は本来の日本画家と同じだったんだね!
それほど日本画について詳しくないSNAKPIPEには新鮮な発見だった。
そしてこれらのスケッチ類の見事なこと!
他の東京芸大の方のスケッチを拝見したことがないので、松井冬子の技量が他の方と比べて格段に上手なのか、それとも芸大だったら当たり前のレベルなのかは不明だけどね。
いやあ、紙と鉛筆があれば人はここまで遠近法や立体感を出した絵が描けるんだね。
それにしてもスケッチの外枠に本人手書きの考察ノートみたいなのが書かれてるんだけど、「鬼描き」って一体何だろうね?(笑)
ROCKHURRAHに聞いてみると、あっさり「NHKのトップランナーの時に『鬼のように細かく描写すること』って本人が司会者に言ってたよ」と疑問を解消してくれた。
なーんだ、そういう意味だったのか。(笑)
そしてかなり小さなスケッチまで「○○蔵」って書かれてるの。
ほとんどの作品が誰かの所有物になっていることにもびっくり!
松井冬子コレクターがいっぱいいるんだね。

第5章 腑分け
「腑分け」というのは江戸時代に行われた人体解剖の意味とのこと。
この章では、人の内部、それは内臓や脳といった表面からは見えない部位を開いて描いている絵を集めていた。
全体的に、まるでソフトフォーカスされたようなにじんだ技法。
内臓だからグロテスク、という通俗的な概念とは少し違う印象の日本画である。
美しい、と言うとちょっと違うけれど嫌悪感を持たずに鑑賞することができる作品群。
好みは分かれるだろうけど、SNAKEPIPEは好きだな!

第6章 鏡面
全てがそうだったわけではないけれど、この章のテーマはシンメトリー。
このセクションの中で気になった作品は左の「従順と無垢の行進」である。
椿の樹を真っ二つに切り開いた状態、と説明がされている。
松井冬子の、今までの作品には見られなかった太い黒い線が非常に力強い。
そして、ロールシャッハテストのよう、と書かれているけれど、それよりはやっぱり子宮をイメージしてしまう。
松井冬子が植物や花を描く時、SNAKEPIPEには全部子宮に見えるんだけどね?
これは平成22年のもの、というから割と最近の作品みたい。
テーマは変わらなくても、今までの細い線で描いてきた作品とは違って、線の強さで新しさを感じることができた。
今後の松井冬子の新境地、になるのかな?

第7章 九相図
これも松井冬子の代表作といえるだろう「浄相の持続」を更に展開させて、現代の九相図としてシリーズにした作品群である。
「浄相の持続」はかつて成山画廊で鑑賞したことがあったけれど、今回は計5作として展示されていた。
鎌倉時代に描かれた九相詩絵巻の、人が死んでから朽ち果て、ついには骨だけになるという段階を踏み「戒め」を強調した主旨とは違う観点から制作されているとのこと。
そのためなのか、鎌倉時代の「人が死んだらこうなるんだよ」というリアリズム重視の作品とは性格が異なっている。
鎌倉時代の九相詩絵巻は、修行のため煩悩を捨て去る目的で制作されたという。
と、いうことは僧侶=男性が鑑賞するための作品だったんだよね。
修行の目的のために女性死体を利用した、みたいな感じか。
松井冬子の作品は、男性対象に制作されているわけではない。
その死体である、女性自身が主役で、その女性が主張したいがための作品なのである。
「私の生き様ってこんなだったのよ」みたいな、ね。
なんとなく言ってる意味、解ってもらえるかしらん?(笑)
このシリーズはまだ続くようなので、今回鑑賞した5枚の他にどんな作品が仕上がるのか。
とても楽しみである。

第8章 ナルシシズム
この章で展開されていたのは3点の作品のみ。
「陰刻された四肢の祭壇」はとても大きな作品で、あとずさって遠目から鑑賞しないと全体像が掴めなかった。
内臓を引きずりながら歩いていると書いてあるけれど、何故彼女はあんなに穏やかに微笑んでいるんだろう?
争う動物達、手に持つ子宮と双子、胸に透けてみえる髑髏など鑑賞すればするほど謎を感じてしまう不思議な作品である。

第9章 彼方
最後のセクションでも平成21年から平成23年までの、最近の作品4点のみを展示。
この中の「無償の標本」はかつて「医学と芸術展 MEDICINE AND ART」で鑑賞済み。
「積年のドロドロした黒い塊を体内から少しずつ吐き出しながら、苦しんで描いていたような雰囲気が消えかかっているよう」だと書いてるね。(笑)
今回鑑賞しても、やっぱり同じ感想を持ってしまった。
平成22年作の「喪の寄り道」も、やや力不足な気がした。

初の大規模展覧会ということで、見応え充分!
松井冬子の全仕事を鑑賞することができて満足だった。
いくつかの作品には、松井冬子自身の言葉で解説がされていたのに、図録には収録されていなかったのが残念。
もう少しじっくり読んでみたかった文章だったからね!

前述した「医学と芸術点」のブログに
「松井冬子が前向きで明るい性格になり、『今までの怨みは全部忘れたわ』と視線が過去から未来に向かう日が来たら一体どんな作品になるんだろう?」
と書いたSNAKEPIPEだけれど、今回の展覧会で少しその答を知ることができたように思う。
やっぱり「ドロドロした黒い塊だった恨み」は、塊から粉状に変化し、もしかしたら強い風によって飛ばされ、形をとどめていないのかもしれない。
松井冬子にとって創造の源が負のエネルギーだったとすると、最近は幸せな日々を送っているのかな。
最近の作品はセルフカバー、かつて評判の良かった作品の練り直し、悪く言えば二番煎じのように感じられたからね。
そしてそれらが以前よりパワーアップしていたようには見えなかったように思うのはSNAKEPIPEだけだろうか。
一つだけ新しく感じたのは「従順と無垢の行進」の筆使いかな。
ここに今後の可能性があるのかもしれないね。

好き好きアーツ!#14 貴志祐介 part2

【ROCKHURRAHが80年代PVっぽく制作してくれたよ!いいね!(笑)音が出るので注意!】

SNAKEPIPE WROTE:

先週予告していた通り、「好き好きアーツ!貴志祐介」の第二弾を書いていこうか。

では「青の炎」(1999年10月 角川書店 / 2002年10月 角川文庫)からいってみよう!
主人公はロードレーサーで学校に通う17歳の高校生である。
幼い頃に父親を亡くし、母と妹との3人暮らしをしている。
そこへ10年前に離婚した養父が現れ、まるで我が家のように傍若無人なふるまいをする。
つつましやかだけれど、幸せだった3人の生活を取り戻すために主人公が考えたのは養父殺害の完全犯罪だった。

「青の炎」は2003年に蜷川幸雄監督作品として映画化されている。
この映画はかなり原作に忠実に作られていて、良い出来映え!
キャスティングが良かったんじゃないかな。
主人公を演じたのはジャニーズ事務所所属「嵐」の二宮和也。
ウチのブログの中でジャニーズ系の名前が出てくるのは初めてじゃないかな?(笑)
二宮和也は、原作通りの印象で主役を演じきっていた。
これを観た時にはちょっとびっくりしたSNAKEPIPE。
ジャニーズ=アイドルしか知らない世代だから許してね。(笑)
最近のアイドルは芸達者なのね!
「鉄コン筋クリート」の声優としての技量もなかなかだったしね!
この主人公が自宅のガレージを改造して、自室にしているところが羨ましかった。
自慢のロードレーサーもそのまま部屋に入れて、まるでアジト!
あの環境はみんな憧れちゃうよね。(笑)

酒飲みで暴力をふるう養父役として出演していたのが山本寛斎
何故世界的に有名なファッションデザイナーであるKANSAIが出ることになったのかは不明だけど、その演技力には目を見張るものがあった。
「蛇の道は蛇」じゃないけど、やっぱり「芸事」に通じている人というのは、何をやっても上手なんだね。
他にも俳優として活躍しているのかと思いきや、映画出演はこの一作だけみたい。
悶絶死の様子はものすごい迫力だったね!

もう一人気になる俳優は中村梅雀かな。
昔大竹しのぶと共演していたドラマを観たことがあり、強く印象に残っていた人物だった。
大竹しのぶ!
先週記事にした「黒い家」での主演女優の名前がここでも出てきたね。
あの時のドラマ、なんだっただろうと調べてみたら「存在の深き眠り」という1996年に全6回シリーズでNHKで放映されたドラマだったよ。
ぎゃっ、16年前っ!(笑)
そのドラマの中で大竹しのぶと中村梅雀が夫婦役を演じ、なんと大竹しのぶは多重人格の役どころだったんだよね。
大竹しのぶ、多重人格、ってそんまんま貴志祐介につながるよね。(笑)
多重人格は病気だから治療しよう、と暖かく見守る優しい夫役が良く似合っていた中村梅雀。
あのドラマ、もう一回観たいな。
中村梅雀は「青の炎」で刑事役で出演していた。
完全犯罪を目論む主人公の気持ちが解るので、ちょっと主人公に肩入れして「できればこのまま完全犯罪として成立して欲しい」と思ってしまった人が大多数じゃないかな。
「太陽がいっぱい」の時にも同じような感想を持ったSNAKEPIPEだけれど、それを許さなかったのがこの刑事。
とても良い味出してたね。

これで貴志祐介の「黒」「クリムゾン」「青」の色シリーズ(勝手に命名)は終わるのかな?
また違う色で書いて欲しいよね!(笑)

続いては「新世界より」(2008年1月 講談社【上・下】 / 2009年8月 講談社ノベルス / 2011年1月 講談社文庫【上・中・下】)。
SNAKEPIPEが読んだのは文庫版だったので、上中下巻という3冊だったよ!
いやあ、長編好きのSNAKEPIPEでも「な、長いっ」と思ってしまう程の長編SF。
と、簡単にSFと書いてしまったけれど、「1000年後の世界」を舞台にしているからSFとされているだけじゃないかな。
SNAKEPIPEだったら「空想未来小説」とジャンルにしたいけどね。(笑)
でもこれ、2008年の日本SF大賞受賞だって。
やっぱりSFで良いのか?

1000年後の日本、神栖66という利根川近くのコミュニティが舞台になっている。
その時代には、全員が「呪力」と呼ばれる、いわゆる超能力を使うことができ、例えば重たい物を持ち上げる時には呪力を使用するのが当たり前。
呪力に関する部分だけが未来的で、それ以外は通信手段がなかったり、奴隷制度が復活していたり、全ての情報が手に入らなかったりする、今よりも不便を感じるところも多い世界なのだ。
そして遺伝子操作を行なうことで現代には存在していないような生物や、自然に進化(もしくは退化?)した聞いたこともない動物が登場する。
見聞きしたことのない生物や動物についての記述は詳しくされていて、ある程度の想像はできるんだけど、やっぱり荒唐無稽な感じはしちゃうよね。(笑)
そして絶対服従を誓っていたはずの奴隷的存在が、クーデターを計画し戦争が勃発。
小さなコミュニティは存続の危機に陥いるのである。

・全ての情報を管理する世界になっていて、少しでも管理に不都合な情報は人の目にふれさせないように封印。
・人間のことを子供時代から徹底的に監視し、社会的に不適合だと判断した場合には排除。
・人が人を攻撃すると最終的には死に至るように遺伝子組み換え操作を行い、殺人を防ぐ。
人に管理番号付けて、生まれた時から死ぬまでその番号で管理しようとするような話は聞いたことがあるし、映画「未来世紀ブラジル」を思い出す。
絶対的に服従する立場だったはずなのに、いつの間にか知能が高くなっている動物が登場する部分は「猿の惑星」を思わせる。
そしてもう一つ特徴的だったのは「同性愛が奨励」されていた点かな。
管理されている社会だから、勝手に子供を作るのもタブーなんだよね。(笑)

1000年後の世界なので、ありそうな部分と「?」の部分の両方がありSNAKEPIPEは混乱することも多かった。
そして前述したように現代と比べて進化と退化の両方が描かれていて、その点もちょっと解り辛かった。
長かった割には…イマイチ…だったな、SNAKEPIPEにはね!(笑)
やっぱり貴志祐介は次に紹介するような「本当にありそうな話」のほうが好きみたい。

悪の教典(2010年7月 文藝春秋【上・下】 / 2011年11月 文藝春秋ノベルス)は、そのブックデザインを見た瞬間に上下巻共すぐに買ってしまった。
カラスと目が合ったもんで。(笑)
あ、カラスとだけ書くと観察者・鳶さん(鳥飼否宇先生著作の登場人物)に叱られてしまうけど、種類が判らないから許して!

「生徒に絶大な人気を誇り、
PTAや職員の間でも抜群に評判のいい教師が
反社会性人格障害(サイコパス)だったとき、
惨劇へのカウントダウンが始まった。

英語科教諭・蓮実聖司、32歳。
暴力生徒や問題父兄、淫行教師など、現代の学校が抱える病理に
骨まで蝕まれた私立高校で、彼は何を行ったのか。

高いIQをもつ殺人鬼は、“モリタート”の旋律とともに
犯行を重ねていく。 」

と特設サイトにあらすじが載ってるよ。
「サイコパス」は「黒い家」の菰田幸子、「高いIQを持つ」主役は「青の炎」の櫛森秀一を思わせるキャラクターなんだよね。
そうね、櫛森秀一が完全犯罪を計画通りに進めて、そのまま大人になったとしたら蓮実聖司みたいになったかも?
「外面が良い人」っていうのはどうも昔から信用できない、と考えるSNAKEPIPEにとっては「やっぱりね」って感じなんだけどね。
「表面的にはニコニコしている人」が「裏では何やってるか知れたもんじゃない」ということが多いような気がするのはSNAKEPIPEだけじゃないんじゃないかな?
だから「悪の教典」は「ありそうな話」だと思うし、後半が支離滅裂になる部分も逆にリアルな感じがしたね。
「もうこうなったら全員殺っちゃえ」みたいな心理ね。
この小説に関して批判的な意見を書いている人も多かったみたいだけど、SNAKEPIPEは夢中になって読んだ。
「マック・ザ・ナイフ」も効果的な使い方されててナイス!

特設サイトには「映画化決定」って書いてあったんだけど、大丈夫なのかな。
何故ならこの小説ってスプラッター映画になっちゃうだろうからね。
やっぱり監督は三池崇史かなあ?(笑)
主役を誰が演じるのか、などの詳細はまだ発表されていない模様。
そしてどうやら「悪の教典」の続きもあるみたいね。
いいね!いろいろ楽しみ!(笑)

そして貴志祐介にはまだもう一冊読んでない本があることを知ったよ。
「ダークゾーン」があるんだね。
これも入手して読んでみよう!

好き好きアーツ!#14 貴志祐介 part1

【貴志祐介の作品「黒い家」にちなんで作ってみたよ。黒過ぎ?(笑)】

SNAKEPIPE WROTE:

特に選んでいたわけではないのに、作品一覧を見て初めてその作家のほとんどの作品を読破していることに気付く。
えっ、こんなに読んでたの?と自分で驚いてしまったSNAKEPIPE。
それはきっと好みの作家、ということになるんだろうね?
今回の好き好きアーツはそんな作家、貴志祐介について書いてみたい。

初めて手にしたのは、貴志祐介の処女作「十三番目の人格 ISOLA」(1996年4月 角川ホラー文庫 / 1999年12月 角川書店)である。
ダニエル・キイスの著作「24人のビリー・ミリガン」などでお馴染みの(?)多重人格を扱っているというのはタイトルからも一目瞭然!
そして気になる「ISOLA」という単語。
Wikipediaにも謎解きに関する記述があるので、今更ネタバレにはならないと思うから書いてしまうけれど、上田秋成作「雨月物語」に登場する怨霊・磯良と幽体離脱実験で使用する「ISOLATION TANK」の最初の5文字の両方にかけた単語なのである。
江戸時代の怪異小説である「雨月物語」そして「幽体離脱」更に「多重人格」とくれば、面白そうだと思うよね?(笑)
当時は鈴木光司の「らせん」や「リング」が人気で、ちょっとしたオカルト・ホラー系小説ブームのような現象が起きていたように記憶している。
SNAKEPIPEも鈴木光司の小説は良く読んでたなあ。(笑)
そのため、この頃は貴志祐介と鈴木光司の区別がはっきりしていなかったと思う。
二人共作品が映画化されているあたりも似てるんだよね。
映画「ISOLA 多重人格少女」は、実はつい最近鑑賞した。
小説を読んだのがかなり前のことだったので、詳細についてはすっかり忘れていたSNAKEPIPE。

確かこんな話だったよな、と思いながら鑑賞。
以前「好き好きアーツ!#10 Fernando Meirelles」の「BLINDNESS」の時にも「それにしてももう少し演技力のある俳優はいなかったのか、と日本人俳優のキャスティングに少し不満を感じた」と書いたけれど、どうも木村佳乃の演技がイマイチなんだよね。
もう少し違うキャスティングがされていたら、映画の印象も変わったかもしれないね?

次に読んだのは「黒い家」(1997年6月 角川書店 / 1998年12月 角川ホラー文庫 / 1999年11月 【映画版】角川ホラー文庫)である。
生命保険会社の営業マンがお客さんの家に呼ばれて行くと、その家の子供の首吊り死体を発見してしまうところから物語は始まる。
その子供には多額の保険金が掛けられており、自殺とも他殺とも言い切れない不自然な状態から、その自殺した子供の両親である夫婦についての調査が始まる。
保険金殺人の疑惑アリとされたその夫婦の正体とは…?
読んでいながら映像が目に浮かんでくる、とても現実的にありそうな話だから余計に怖いんだよね!
この小説で第4回日本ホラー小説大賞受賞っていうのは大いに納得!
映画化もされて、またこの映画が全く小説の印象を損ねることがない秀逸な作品だった。

夫婦役の大竹しのぶと西村雅彦が見事!
特に西村雅彦が少し知的に障害を持ち、同じ言葉を何度も繰り返し、相手が弱ってしまう粘着質な役を本当に嫌らしく演じきっている。
ROCKHURRAHは観ながら「西村雅彦、こわい」と何度も繰り返し呟いていたよ。(笑)
あとから調べて分かったけれど、貴志祐介は実際に生命保険会社に勤務していた経験があるんだね。
きっと小説と同じような「ちょっと怪しい」出来事が日常茶飯事だったんじゃないかと推測。

そして西村雅彦みたいな粘着質タイプのお客さんも実際にいたんじゃないのかな?
あ、西村雅彦本人が粘着質みたいに書いてしまった!(笑)
映画の中の人物って意味ね!
そういう人間の裏側というか、いやらしい部分を存分に体験したからこそ出来上がったリアリティにあふれた小説のような気がするよね。

天使の囀り」(1998年6月 角川書店 / 2000年12月 角川ホラー文庫)は、アマゾン探検隊に参加したあと人格が変貌、ついには自殺してしまった恋人の死の真相を探るべく調査を開始した精神科医が主人公の小説である。
アマゾン探検隊の話、「地球の子供たち」という自己啓発セミナーのHPとセミナーに集う人達の話、精神科医が勤める病院の話など様々な場所が舞台になっている。
最終的にそれぞれの話は繋がるんだけど、舞台ごとの話だけで捉えてもなかなか興味深い。
アマゾンではカミナワ族の民話に関する部分が興味深かった。
まるで「ドグラマグラ」のチャカポコの部分みたいに、実際に人が喋ってるように記述されてるんだよね。
素朴な語り口なのに、内容を読む進めていくと、とても恐ろしい話になっていく。
その民話が謎を解く鍵になっていて、民話を挿入したのは効果的だね!
「地球の子供たち」というセミナーには、不安やストレスを抱えたどこにでもいるタイプの人達が参加していて、この部分が一番リアリティがあったかな。
HPから入って、チャットに参加、そしてオフ会に行くなんていうのは2000年以前にインターネットやってた人にとっては「よくある話」だと思うし?
実際SNAKEPIPEも写真関連の「オフ会」とか「オフミーティング」には行ったしね。
「地球」に「ガイア」をルビを振るあたりも、「いかにも」で良い感じ。(笑)
どうしてもパソコン関連の記述があると、年代を感じてしまうことが多いのは仕方ないのかな。
例えばハードディスクの容量や記録媒体とかね。(笑)
小説に明確な時代設定をしないのであれば、もしかしたら作家の方は記述方法考えたほうが良いかもね?(余計なお世話か)
結局、恋人自殺の真相について解決はするんだけど…。
いろんな人が感想やレビューに「気持ち悪い」って書いているように、この手のバイオホラー系は想像するだけでもゾッとすることが多いよね。
一般的には良く知られていない研究を「まことしやか」に語られるから余計に怖いんだよね。

クリムゾンの迷宮」(1999年4月 角川ホラー文庫 / 2003年2月 角川書店)は前作の「天使の囀り」に出てきたゲームオタクの部分を拡張させたような小説で、バーチャルではなく現実的に主人公がゲーム世界の中に登場させられているのである。
目覚めたら見知らぬ光景が広がっていた、というところからスタートする。
「火星の迷宮へようこそ。ゲームは開始された。無事に迷宮を出て賞金を勝ち取れ」
というゲーム機に映し出されたメッセージにより、強制的にプレイヤーにさせられる主人公。
小型のゲーム機を手に、生きるか死ぬかの極限状態で同じようにプレイヤーにさせられた他8名とのゼロサム・ゲームが始まるのだ。
全く状況が把握できないまま、デスゲームに強制参加させられてしまうところも怖いけれど、一番怖かったのは人間の変貌ぶり。
極限状態における心理の変化や生きることへの執着で、今までには考えられなかったような人間であることを放棄するような行動に走る人々。
SNAKEPIPEは、ゲームの主催者や関係者の非情さよりも、その点が一番怖かったな。
この小説を読んでいる時にはよく悪夢にうなされたものよ。(笑)
「バトル・ロワイヤルに似ている」
「映画SAWに似ている」
と、多くの人が感想に書いているよね。
確かにそうなんだけど、「クリムゾンの迷宮」のほうが、戦時下に近いようなリアリティを感じるんだよね。
ラスト部分はオチとして必要だったのかもしれないけれど、もしかしたら最終章はなくても良かったのかもしれないね。
でもなかったら「オチがないのが不満」って言うんだろうけど。(笑)

4冊分の簡単な感想と考えて書き連ねていたら結構な長さになっちゃったね。
次回に「貴志祐介part2」を書くことにしようかな。
それでは皆様来週をお楽しみに!(笑)