大人社会科見学—明治大学博物館・爆音劇場—

【鉄の処女と爆音劇場原画展DM】

SNAKEPIPE WROTE:

本来であれば歌川国芳展後半戦を鑑賞するつもりでいたROCKHURRAHと友人Mを加えた3人組。
先日の「人と人の隙間から『覗き』みたいな感じで鑑賞する」のにはこりごりだったため、急遽予定を変更!
前々より行ってみたい場所だった明治大学に足を運ぶことにした。
何故明治大学なのか?と疑問に思われる方も多いだろうね。
なぜなら明治大学には博物館があり、その中に「刑事関係資料」の展示を扱うコーナーがあることを聞き知っていたからなのである。

「江戸の捕者具、日本や諸外国の拷問・処刑具など人権抑圧の歴史を語り伝える実物資料をご覧ください。とくにギロチン、ニュルンベルクの鉄の処女は、我が国唯一の展示資料です。」

と説明されているように、明治大学博物館の目玉(?)はギロチンと鉄の処女!
是非とも鑑賞してみたい!と思うのはSNAKEPIPEだけではないでしょ?(笑)
江戸時代の補者道具や刑罰についての資料も同時に展示されているとのこと。
これは興味津々!

御茶ノ水駅から歩いてほんの数分の所に明治大学はあった。
この年齢になって初めて大学キャンパス内を歩くSNAKEPIPE。
聞いてみるとROCKHURRAHは友人がいた九州大学に、友人Mは学園祭などで早稲田大学に遊びに行ったことがあると言う。
一度も経験がないのはSNAKEPIPEだけみたいだけど、結局3人共大学生活を送ったことがないという点では一致してるんだよね。(笑)

明治大学の博物館はアカデミーコモンの地下にある。
いつでも誰でも鑑賞することができるという、なんとも太っ腹な対応にびっくり。
しかも業務用ではない個人的な撮影はオッケーと書いてあり、より一層好感を持つ。
商品部門、刑事部門、考古部門とそれぞれセクションで区切られ、係員も警備員もいない状態で展示がされている。
鑑賞に訪れている人が意外と多くてびっくり。
やっぱり人気は「ギロチン」の刑事部門だった。

よく時代劇などでみかける「刺又(さすまた)」やお役人が持っている「十手」の展示から始まる刑事部門。
「刺又」や「突棒」などの補者道具は、時代劇ではハッキリ判らなかったけれど、じっくり詳細を眺めると細工の細かさや棒の長さや重量などを推測することができてとても興味深い。
あの長い棒を振り回せるのは、かなりの体力自慢じゃないと無理だろうね。
江戸時代の男性の体格について調べたことはないけれど、恐らく現代人よりは小柄で体重も軽かったんじゃないかしら?
棒を持つコツがあったのかもしれないね?(笑)

自白を強要するための措置として設けられたのが「笞打(むちうち)」「石抱(いしだき)」「海老責(えびぜめ)」「釣責(つるしぜめ)」で、列記した順番にどんどん辛い責めになるという。
その装置の展示と、「こんな感じだよ」という絵の展示がされていた。
SNAKEPIPEには「釣責」よりも「海老責」のほうが辛そうに見えたんだけど、実際に責めを受けたことがないから判断できないよね。(笑)
「恐れ入りました」と言うまで拷問が続いた、と書いてあったよ。

一番衝撃的だったのは、1869年(明治2年)に外国人によって撮影された処刑写真の展示である。
店の小僧が強盗に手引きをしてその店を襲わせ金を奪った、という事件内容だったと思う。
手引きをした小僧は磔刑、強盗は斬首という裁きを受けたらしく、その様子が写真として残っていたとは驚き。
教科書などで習う「明治時代」というのは「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」のように明治時代=西洋文化だと思っていたSNAKEPIPEだったけれど、写真の明治2年では頭を結った着物姿。
年号が変わっても庶民の生活や文化はまだそれほど変化してなかったことが判る。
これはちょっとした発見だったね!
そして当時の裁きの厳しさにもビックリしちゃうよね。
密通でも死罪と書いてあったよ?
現代よりも道徳に厳しかったみたいだね。

この写真展示がかなり衝撃的だったため、国内唯一の展示品である「ギロチン」と「鉄の処女」にはそんなに感動しなかった。
どちらもレプリカで、恐らく縮尺も変えてあるだろうから余計かもしれないね。
そして「鉄の処女」の造りをジッと観て、3人共に同じ感想を持つ。
「扉を閉めるの、大変だったろうね?」
「鉄の処女」は中が空洞になった立った棺のような内部に、様々な長さの釘が打ち付けられていて、中に人が入り扉を閉めることで釘が全身に刺さる仕組みになっている拷問具なのである。
扉を閉めた瞬間には、釘が全身を貫いていることになる寸法だから、余程の力自慢じゃないとできない作業だと思われる。
調べてみると「空想上の拷問具の再現ではないか」という説が多いとのこと。
やっぱり!無理があるなと思ったからね!

明治大学にはミュージアムショップもあり、そこには「鉄の処女」をモチーフにしたTシャツや便箋などが販売されていた。
SNAKEPIPEが興味を持ったのが「土偶のコースター」。
博物館には考古部門もあり、「土偶」と遭遇!(韻を踏んでる)
あのカタチは不思議でならないよね。
古代宇宙飛行士説なども確かに考えられるかも、などと思いを馳せるSNAKEPIPE。
土偶コースター、とっても素敵!買うっ!
と勢いづいているSNAKEPIPEを横目で見る友人M。
いいよね?とROCKHURRAHに同意を求めても、すぐには反応なし!
えー?なんでー?
ものすごく気に入ったので購入したSNAKEPIPE。
今見てもやっぱりとってもかわいい!土偶ちゃん、最高!(笑)

この日の大人社会科見学はまだ続き、なんと御茶ノ水から原宿に移動!
眠くなったから帰る、と友人Mはこの時点で脱落。(笑)
原宿に行くのなんて何年ぶりだろう?
恐らく5、6年は行っていないはず。
以前の用事が何だったのかも忘れてるよー。とほほ。
今回の原宿行きは友人である漫画家丹波鉄心氏の原画展の鑑賞が目的である。
「え~!A STORE ROBOTが会場だってよ~!」
と叫んでしまったSNAKEPIPE。
ROBOT…なんて懐かしい響き!
遠い昔、そうSNAKEPIPEがまだまだ子供だった時には、ほぼ毎週のように通っていた憧れのお店だったROBOT…。
JUMPIN’, KICKIN’, TWISTIN’ SHOES」や「ファッション雑誌なんかいらない!」でも書いたことがあったね。
「お小遣いに対してROBOTのラバーソールは目ん玉飛び出るほど高くて、それでも欲しくて欲しくて買った一番の宝物だった」
うっ、懐かしい過去の自分にタイムスリップして涙が出そうなくらい!
俺も良く通ったもんだよ、とROCKHURRAHも遠い目をする。
何年どころじゃない、何十年ぶりか判らない程の長い年月を経て、ROCKHURRAHと二人でROBOTに向かったのである。

それにしても…かつてはあんなに足繁く通っていた道のりだったはずなのに、二人共すっかり忘れているとはね。
街並みが変化したせいもあるけれど、人の記憶の曖昧さを再認識させられますなあ。(笑)
店舗に到着してやっと「こんな建物だったな」とうっすら思い出す始末。
ああ、情けない!

ROBOTに足を踏み入れると、赤×黒のモヘアボーダーセーターを着た丹波鉄心氏の姿が目に入る。
手土産のビールを渡すと、とても嬉しそうにしてくれた。
そしてすぐさま栓を抜く鉄心氏。
な、なんと!MY栓抜き持参とは!さすが鉄心氏、やるねえ!(笑)

と、ここで丹波鉄心氏の簡単なプロフィール紹介をしようか。
丹波鉄心氏は少年マガジンで漫画家デビューを果たし、音楽雑誌「DOLL」で4コマ漫画を連載していたパンク漫画家である。
きっとそう聞けば「ああ、あの漫画!」と思い当たる方も多いと思う。
熱烈なファン、いっぱいいただろうからね!
漫画家というと部屋にこもりきりのイメージがあるけれど、鉄心氏はパンク系のライブといえば必ず顔を出すアクティブ&アグレッシブな方!
SNAKEPIPEは恐らく10年程前にライブにご一緒したのが縁で、不定期にライブ参戦や飲み会などでお付き合いをさせて頂いている仲である。
鉄心氏は音楽についてはもちろんのこと、映画や小説などあらゆる分野における知識をお持ちなので、一緒に飲んでて楽しいんだよね!
新しい情報も積極的に取り入れる柔軟な方だなあ、といつも感心してしまう。
キチンと健康管理もされているようで、お会いする度にどんどん体脂肪が減っているように見受けられる。
やっぱりパンクはスリムじゃないとね!(笑)

今回はその「DOLL」で連載をされていた4コマ漫画の原画を展示、そして1999年から始まった10年分の連載をオリジナル単行本「丹波鉄心の爆音劇場 総集編」として販売しているのである。
なんとこの単行本、限定100部でサイン入り!
これは絶対に買わなければ!(笑)
ちなみに購入した単行本のナンバーは68/100!
残念、せっかくだったら69が良かったのになあ!
いや、ROCKHURRAHだから68でいいか。(笑)
それにしても、鉄心氏の漫画はとても面白い。
普段は無口なROCKHURRAHが声を出して笑ってたくらいだよ!(笑)

この原画展は2月19日まで開催しているので、是非ROBOTまで足を運んでね。
どうしても期間中原宿に行かれない方には、ROBOTの通販で購入する手もあるよ!
鉄心氏のオリジナルグッズとして「オヤジクッション」や「マカロンブローチSET」などもあり、鉄心氏から
「バッジ、買わない?」
と強くお薦めをされたSNAKEPIPEだけれど、ごめんなさい勇気がなくて。(笑)
目立つこと間違いなし!のブローチなので、是非みなさん購入しましょうね!

今回の大人社会科見学は「鉄の処女」と「丹波鉄心」で、「鉄つながり」の一日だったなあ!(笑)
おあとがよろしいようで!

がっちりBUYましょう!vol.5 iMac & ライオンちゃん編

【貧困な発想のパクリで申し訳ない】

ROCKHURRAH WROTE:

そろそろ買い換えるか?いいや、まだまだ。などと言いつつもROCKHURRAH愛用のiMacは既に6年目に突入していた。前に買った時のOSは10.4/Tigerだったがその後、10.6のSnow Leopardにして大活躍してくれたもんだ。
家にいる時間はほとんどMacの前というような生活で、まさに「駆使」という言葉がピッタリくるほど慣れ親しんできたのは間違いない。この6年間で内蔵のディスク・ドライブが壊れたくらいで、他には特に故障も問題もなかった。
故障がないというのはいい事の反面、買い換える機会を逃してしまうという事にもつながるわけで、それが冒頭の「いいや、まだまだ」だったわけだ。

ウチのブログのここここにも書いてる通り、ROCKHURRAHは根っからのアップル愛好家だが、ウィンドウズからのスイッチ派ではない。どちらも使えるが自分にとって使いやすいからMacをメインにしてるだけの話。ここで言う「使いやすい」は便利機能がどれだけ付いてるかとか、そういう事とは全く関係ない次元での使いやすさだから、勘違いしないようにね。
この辺の主義主張は敢えて書きたくないし、故スティーブ・ジョブス氏についてのコメントも書かない事にしよう。

さて、前置きが長くなったがそんなROCKHURRAHがiMacを買い換えようと思いつつも今まで買い換えなかったのは、故障してないという以外にもう一つ理由があったからだ。
それはバカバカしくも重大な問題なんだが、古いのを捨てられないからという理由だ。
部屋が無尽蔵にあるわけでもないのに先々代のMacまで後生大事に持ってるよ。

先々代のはMac OS X起動のモデルだが、それ以前の「クラシック」と呼ばれる環境で使えた最後のモデル。要するに大昔に使ってたアプリケーションはそこでしか起動出来ないという事。
先代はインテルに代わった世代のMacだが、「ロゼッタ」という環境でそれ以前に作られたパワーPC対応のアプリケーションがシームレスに使えた。何も考えずに使えたからその恩恵を感じる事はなかったけどね。

そして最新モデルというわけでもないこのiMacなんだが、価格も随分安くなったし前よりはかなりパワーアップした印象があったし、遂に買い換える気になったのが先日。
こういうのは勢いだから衰えないうちに速攻で買う事にしよう。
最近のiMacはワイヤレス・キーボードとマジック・マウスなるものが標準で付いてくるのが慣わしらしい。しかし10キーが付いてないまるでノートのキーボードみたいなのはいくら省スペースでスタイリッシュだろうと使いにくいに決まってる。日常的に億単位の数字を扱うので10キーがないのは困るのだ(大ウソ)。しかも個人的にこの大画面にあのちびっ子キーボードじゃバランス悪くねーか?という思いもあった。

という事から以前の10キー付きのキーボードをわざわざオプションで換装してアップル・ストアにて購入。もっと安く売ってるところはあったんだが、キーボード取り替えに対応してるところをアップル・ストア以外で見つけられず、やむなく定価でお買い上げとなってしまった。基本的にどこで買っても大差ない時代だし、アップル・ストアで買ったから超純正品というわけでもない。
マジック・マウスに至っては買うまで全く機能も知らなかったよ。今まで純正マウスは使った事がなかったしな。

頼んでから約一週間、キーボード取っかえて送るだけなのに意外と遅いな、と思っていたら、何と日本ではなく上海から送られて来るとの事。日本にもたくさんあるだろうに、やることが大掛かりだな。超純正品どころか超パチもんが届くんじゃなかろーか?などとドキドキして待つ。国内に来てるらしいのは確かだがヤマト運輸ADSC支店ってどこよ?何だか想像を遥かに超えた謎のルートで手元に届くらしい。

そして届いたのがみぞれ混じりの冷たい雨が降る夜だった。濡れてもいないし地面に置いたりもしない、さすがヤマト運輸、素晴らしい心がけだね。
さあ開封、と箱を開けたら暖房との温度差がすさまじく、一瞬で結露、大汗をかいた状態の新品iMac。いきなりの挫折か。
気を取り直してまずはあらかじめ買っておいたメモリを増設。前に使ってたiMacはスロットが2つしかなくて、4GBにしても3GBまでしか認識してくれなかったが、今度は最大16GBまで取り付けられて、メモリ不足に悩まされる事がなくなった。ウチのはノート用のDDR3-1333というもので元から付いてたのと足して12GBにした。豪華なり。

起動する前に悩んだのが新型に入ってるOS Lionにするか以前のままSnow Leopardで使うかという事。ネットでレビューを読んでもLionの魅力があまりROCKHURRAHに関係ない部分での進化だったので、なおさら悩んだ。まあ嫌だったら戻すという事で取りあえずLionのまま、先代からユーザー環境をほぼまるごと移植するという方針にした。
Time Machineバックアップからの復元は過去にやった事はあったが、OSをまたいでの復元は初めて。うーん、取り返しがつかないほどのミステイクはないと思うけど緊張しますな。

で、結果はあっけないほど簡単に移行出来てしまった。設定し直しもほとんどなく、アプリケーションのシリアルとかも(おそらく)完璧に引き継いだまま。パソコン買い替えの時の移行の面倒さがまるでないのがさすがTime Machine、優秀だな。
あまりにも環境が違わないので逆にビックリだが、よく見ると確かにSnow Leopardではなく、ちゃんとLionなんだよな。

いよいよこれからLionやiMacのレビューかと思いきや、それをかなり端折ってしまうのがROCKHURRAH流だ。いつも自分で思うんだけど、前置き長過ぎなんだよね。そしてこれからって時に疲れてしまうんだよね。しかも発売から結構経っててイマサラ敢えて書かなくても、先人がちゃんと書いてくれてるんだよね。
今年もダメダメだなあ(笑)。

Lionは誰もが予想した通り、限りなくiPhoneとの境界線があやふやなOSだと感じる。みんなが大好きなiPhoneだけど、それを大画面のパソコンでまでやるのはちょっとなあ、という抵抗はあったが、想像したほどiPhoneもどきではなく、ちゃんとSnow Leopardと同じくらい熟成したOSだとわかって安心した。
さすが、今日を愛するLION。あっ、これはライオン違いか?

アップルのサイト上で紹介されているLaunchpad(全画面で表示するランチャー)やMission Control(起動中のアプリケーションを全部表示して切り替える)などは正直言って個人的には使う事がない機能だと思えるが、システム純正でこういう機能が派手に展開するのはいかにもMac的なのかね。
前から愛用しているHimmelBarやmulti X Finderとかぶる機能なので自分としては必要ないなあ。
まだ全機能を試したわけじゃないし、そもそもアプリケーションを使う母体としてのOSなので、OSの基本機能だけを言っててもはじまらないね。
困った事と言えばROCKHURRAHがレコードを録音する時に使っていた波形編集ソフト、Bias Peak Pro 6がなぜか起動しなくなった事。その前のヴァージョン5が普通に起動してるから使えなくなるはずはないんだけどなあ。まだ原因究明する時間がないんだけど、そのうちちゃんと元のように使えるようになるだろう。

Lionの新機能がどうとかよりも、初めて触れたマジックマウスの新触感にビックリ。
表面に継ぎ目もボタンもスクロールホイールも存在してなくて、指のタッチのみで既存のマウスと同じ事をやろうとする精神が尊いよ。パソコンとはこういう操作をするもの、と体で覚え込んでる事を根底から今さら覆すわけだから。iPhone経験者は逆に驚かないんだろうけど、スクロール操作が逆、さらにスワイプなどと言われても慣れるまで数日かかってしまった。しかし慣れなかった場合は市販のマウスに戻そうと考えていたのに、今でもマジックマウスをなぜか使ってしまっている。いいとか悪いとか以前にこの触感がやみつきになってしまうのだ。スクロール設定は戻す事は出来るんだが、せっかく開発者が考えだした手法をロクに使いもせず、慣れようともしないのも情けない話だからな。そんな頑固オヤジみたいにはなりたくないよ。

OS X Lionはこのマジックマウスを駆使する事を前提に作られてるのは間違いない、と感じた。本当はマウス形状じゃなくてオプションのマジックトラックパッドを使えばさらに使いやすいのかも。ノートパソコンのトラックパッドが苦手で使いにくいと思ってたROCKHURRAHは最初からこのオプションに関しては考えてもいなかったが、今にして思えばこの操作性はマウスでなくても良かったんじゃないかと思っているほどだ。

ほとんどの人にはどうでもいい事だろうが、スリープ状態にした時に前のMacはうっすらとしたライトが、まるで寝息を立てているかのようにゆっくりと点滅していたのが好きだった。今回の機種にはそれがないようで、ちょっと寂しい。無駄な部分ももっと進化しようよ。

以上、特に目新しい事も面白い事も書けずに苦しい記事となってしまったが、これから買おうと思ってる人には少しくらいの参考にはなったかな?
ではまた、さよなライオン(古い・・・)。

CULT映画ア・ラ・カルト!【11】哀しみのベラドンナ

【哀しい運命に翻弄されるジャンヌ】

SNAKEPIPE WROTE:

SNAKEPIPEが小学生だった頃、子供の寝る時間として決められていたのは確か夜の20時だったと思う。
最近の子供には信じられないかもしれないけれど、昔はそれが当たり前の習慣だったんだよね。
そしてSNAKEPIPEもその教え通りに、毎日20時には眠ってしまう良い子だった。(笑)
ところがある日のこと、テレビの音で起こされてしまう。
どうやら父親が深夜番組を鑑賞していたらしく、その物音で目覚めたようだ。
寝ぼけ眼に飛び込んできたのは極彩色のアニメーション。
その映像の面白さに引きこまれてしまい、ついには父親と最後まで鑑賞してしまった。
「夜中に起きてテレビを観たことは母親には内緒」
ということにしてね。(笑)
その時の衝撃的な映像というのが手塚治虫が原案・構成・監督を務めた「クレオパトラ」であった。

1970年代、「千夜一夜物語」「クレオパトラ」「哀しみのベラドンナ」の3部作が制作された大人向けアニメーション「アニメラマ」。
その洗礼を恐らく10歳くらいで受けてしまったSNAKEPIPE。
はっ、この文章だけ読むと1970年に10歳だった子供=現在52歳という年齢だと思われてしまうよっ!
違うからねっ!観たのはきっと再々々々々放送くらいだと思うよ。
決してリアルタイムではないので、勘違いしないでね!(笑)
確かに子供が観るには早すぎる内容が含まれていたと思うけれど、あの時の衝撃は今でも忘れられない。
そして「クレオパトラ」がDVDになっているのを知ったのは、今から5年程前のことである。

「ああっ、あの時のっ!」
と喜び勇んで早速注文し、再び鑑賞することができた時の喜び!
ただし、幼少時代に最も強く印象を残していたクレオパトラ整形部分の映像が見当たらなかったのが残念だった。(SNAKEPIPEの記憶違い?)
何かの薬を飲まされたクレオパトラの原型となる不美人女は、全身がくねくねの軟体動物にようになって眠らされている。
そこに整形師とでもいうのか、美容整形専門のジイさんがやってきて、「顔はこんな感じにして」とまるで印鑑を押すようにペッタンと顔型を押し付け美人にしてしまう。
「体はこんな感じが魅力的」と手で粘土をこねるようにグラマラスボディを作り上げていく様子がたまらなく面白かったのに。(笑)
これもまた手塚治虫の漫画・アニメ「ふしぎなメルモ」に出てくる、青いキャンディーと赤いキャンディーのどちらかを食べることで年齢を変化させることができるミラクルキャンディーと同じくらい魅力的な題材である。
あのクレオパトラのクネクネになる薬と、ミラクルキャンディーがあったらアンチエイジングなんて関係ないもんね。(笑)

「クレオパトラ」に関しては前述したように「もう一度鑑賞」する夢が叶ったけれど、「アニメラマ」の他2作品は鑑賞することができなかった。
と、ここでまた「探しモノなら俺に任せろ!」とROCKHURRAHが見つけてくれたのが、「哀しみのベラドンナ」である。
この作品は「アニメラマ」の最後の作品として制作され、手塚治虫自身は全くノータッチとのこと。
そのため手塚治虫が描くようなキャラクターではなく、イラストレーター・深井国による作画である。
ROCKHURRAHは昔から深井国のファンだったようで
「あの絵が動くと聞いただけでファンとして嬉しい」
と鑑賞前から目を輝かせワクワクしている様子。(笑)
どうやらROCKHURRAHの自宅に、SF好きのお兄さんが購入していた本があり、その挿絵を深井国が担当していたらしい。
SNAKEPIPEは深井国については全く知らなかったんだよね。
こんな対照的な二人であるが、「哀しみのベラドンナ」の鑑賞を始めたのである。


観てまず驚いたのはその色彩である。
アニメーションということで、ポスターカラーのような極彩色を想像していたけれど「哀しみのベラドンナ」は淡い色調や中間色を多用している作品であった。
長い巻物のような一枚の紙に右から左へと物語に沿って絵が描かれ、順に絵を追ってカメラを移動させるような手法も採用されており、いわゆる通常観慣れたアニメの作りとは大きく異なっているのも特徴的だ。
そしてまるで最盛期の浅丘ルリ子や加賀まりこのようなお目目パッチリ、まつげビンビンロングヘアーの女性キャラクターが登場する。
そう、この女性が主人公ジャンヌなのである。

簡単に「哀しみのベラドンナ」のあらすじを書いてみようか。
19世紀フランスの歴史家ジュール・ミシュレが書いた「魔女」が原作になっている。
時代は中世のフランス。
ジャンとジャンヌが結婚式を挙げる。
当時のフランスでは、領主に貢物をし結婚の許しを得る慣例があったようだ。
ところが貧乏なジャンは充分な貢物を贈ることができず、罰として新妻ジャンヌの貞操を領主に奪われてしまう。
結婚当初から不幸な目に遭ってしまうジャンとジャンヌ。
生活は苦しく、不幸はずっと続いたまま。
そんなジャンヌの前に悪魔が現れる。
悪魔に願い事を聞いてもらう代わりに、ジャンヌは身を捧げ続け、ついには魔女になってしまうのである。

中世のフランスの領主と教会、民衆の関係が良く解っていないSNAKEPIPEなので、「どうして結婚するために領主に貢物を捧げるのか」を理解するところから始めないとね。
Wikipediaで見つけた「初夜権」に答がありそうなので、ご参照下され。
実はこのアニメ映画を観始めてすぐにこのシーンが始まるんだけど
「貢物が充分じゃないと判っていながら、何故結婚するのか」
と思ってしまったSNAKEPIPE。
そもそも最初から間違ってなあい?(笑)
その間違った考えのせいで、新妻ジャンヌは領主やその家来達から陵辱を受け、心身共にボロボロになってしまうのだから。
うーん、もうこの時点で普通なら即離婚だよね?
ジャンヌの稼ぎに頼り切り、自分は酒浸りのジャンの情けない男ぶり。
ヒモで酒飲みとは。うーん、絶対離婚だよね?
そして追われる身になったジャンヌのことを助けることもできない不甲斐なさ。
ここまで来ると、ジャンに対して怒りを覚えるほどだよね。
なんだかひどい話だなあ。
ネタバレになるから最後までは語らないけど、ひどい話ですっかり呆れてしまったSNAKEPIPE。
「哀しみのベラドンナ」は物語についてではなく、その作画や色彩などのアート作品として鑑賞するのがベターだと思う。

深井国の絵は不協和音な色を組み合わせたサイケデリック調で、とても60年代的だった。
あの色合わせ感覚、是非とも見習いたい分野だなあ。
描いている絵の途中途中でフィルムを回していたようなコマ撮り、前述したようなカメラのパンによる撮影など、かなり実験的な手法が採り入れられていて面白かった。
現代のようにCG技術などなかった1970年代に、手間暇かけてここまでの実験性と耽美的な世界を実現したこと、そしてそれが日本人の作品だということに驚き!

「アニメラマ」の最初の作品「千夜一夜物語」を未だに鑑賞していないSNAKEPIPEなので、またROCKHURRAHにお願いして探してもらおーっと!(笑)

没後150年 歌川国芳展

【歌川国芳展のチラシ。鯉の表現が見事!】

SNAKEPIPE WROTE:

SNAKEPIPE今年初のブログは、「没後150年 歌川国芳展」について書いてみたいと思う。
国芳展については数ヶ月も前から情報を入手していて、絶対に観に行こうと決意を固めていた展覧会である。(おおげさ)
そう言っている割には開催されてから、少し時間が経ってからの鑑賞となってしまったね。
成人の日、長年来の友人Mを交えて、ROCKHURRAHと共に3人で六本木に向かったのである。

開催している森アーツセンターギャラリーは、先月にも「メタボリズムの未来都市展」を鑑賞した、今まで何度も通っている場所…と思いきや!
通常「森美術館」と呼んで、鑑賞していたのは53Fのギャラリーだったことが判明!
今回の歌川国芳展は52Fでの開催なので、かなり久しぶりに行く場所だったみたい。
恐らく52F展示会場がメジャーな催しで、53Fはアヴァンギャルドな展示が多いのかもしれないね。
友人MもSNAKEPIPEもアヴァンギャルド志向だからねえ。(笑)
52Fの展示会場入り口に人が並んでいるのを横目で見て、上に上がっていたことを思い出す。
52Fはメジャー系だからお客さんが多いんだ、と入り口で待たされながら気付くSNAKEPIPE。
恐ろしや!入場制限をかけられるほどの大盛況、会場はお客さんで溢れかえっていたのである。

「どうぞ」と案内の方にうながされて会場に入るなり、飛び込んできたのは人、人、人!
思わず友人Mと顔を見合わせてしまう。
ちょっと待ってよ!なんなの、この人の群は?
浮世絵の展覧会が初めてだったため、会場の様子や浮世絵のサイズについて想像していなかったSNAKEPIPE。
浮世絵ってサイズが小さいのね…。
そして一枚の浮世絵に群がる大勢の人達。
「入り口付近が一番混雑しているので、空いている場所からご鑑賞下さい」
なんてアナウンスまでされてるし。
「せっかく来たから、展示順を無視して観て回ろう」
とかなり奥のほうまで歩いて鑑賞を始める。
浮世絵の真正面でじっくり鑑賞できることは稀で、ほとんどが人と人の隙間から「覗き」みたいな感じで鑑賞するハメになってしまった。
こんな鑑賞スタイルになるとは非常に残念!
今更ながら浮世絵人気を思い知り、こういう展覧会もあるんだな、と再認識したSNAKEPIPEである。

展示は10の括りで分けられていたので、それぞれについて簡単に感想をまとめてみたいと思う。
1:武者絵―みなぎる力と躍動感

「入り口付近が最も混雑」の原因は、最初のチャプターに「武者絵」があったからなんだよね。
そして国芳の他の展覧会では「妖怪画」として括られていたジャンルも、今回の展示では混在していたので尚更大人気だったみたいね。
ものすごい迫力と色調に圧倒されてしまう。
どの作品も、とてもカッコ良いなあ!
こりゃ、人が動かなくなるのも納得だね。
一枚一枚ゆっくり鑑賞したくなるもん。
牛歩になるはずだわい。(古い)
調べてみると「武者絵の国芳」と言われていたと書いてある。
うん、確かに一番初めに結論を言うのは心苦しいけれど、この武者絵シリーズが一番ガツンと効いたね!
国芳の代表作とされる作品群は、ほとんどがこの「武者絵シリーズ」の展示になってたね。
今回の展覧会で絶対に鑑賞したかった「相馬の古内裏」も無事に「覗き」で拝観!
いやあ、カッコ良いことこの上なし!(笑)
1845-46年の作品とのこと。
ひ~!今から160年も前だよ~!
この想像力、素晴らしいね!

上の作品、「源頼光公館土蜘作妖怪図」の構図の斬新さを御覧なさいよ!
上斜め半分が妖怪なんだよね。
ほとんど水木しげるの世界よ!(笑)
1843年の作品だって。すごいっ!
ゲゲゲの鬼太郎好きにはたまらないね!

2:説話―物語とイメージ

古くからの故事伝説や物語を視覚化したシリーズ。
上は「龍宮玉取姫之図」1853年の作品。
荒れ狂う波の表現と、空想上の生き物であるドラゴンの躍動感が見事!
「藤原鎌足は唐から渡来の霊玉を途中で龍神に奪われるが、志渡の海女が竜宮へ潜入して取り返す。だが眷属に追われた海女は、自らの乳房の下を切って玉を隠し、ようやく敵から逃れ、鎌足に玉を渡して死ぬことになる」という部分を表現しているらしい。
波の間に見え隠れしている魚達が着物を着ているところが素晴らしい!

3:役者絵―人気役者のさまざまな姿

歌舞伎役者のブロマイド的な作品である。
友人Mは歌舞伎について詳しいので余計に楽しめたようだけれど、ほとんど知識のないSNAKEPIPEには構図とか色彩などを鑑賞するにとどまった。
それにしても歌舞伎役者の名前というのはずっと変わっていないんだねえ。
上は「坂東しうかの唐土姫・三代目尾上菊五郎の天竺冠者・五代目沢村宗十郎の斯波右衛門」1847年の作品。
ガマガエルの妖術を使っている場面らしいけど、なんとも斬新な構図だよね。

4:美人画―江戸の粋と団扇絵の美
浮世絵の美人画というと、浮世絵の中でも花形的な存在だと思うけれど、国芳に限っては少し様子が違っていた。
なんと、女の顔にほとんど違いがないのである。
武者絵や役者絵のイキイキとした雰囲気はあまり感じられない。
もしかしたら女の顔より男を描くほうが得意だったのかもしれないね。
「鏡面シリーズ」という女が鏡に映った自分の姿を描いている作品群は、鏡の縁にかけられた布まで描かれていて、なんとも凝った構成になっているのが興味深かった。

5:子ども絵―遊びと学び
こちらも美人画同様、かなりぞんざいな顔の描き方だった。
江戸時代の子供の「遊び」や「学び」を主題にした浮世絵、ということなので余計に面白みに欠けたのかもしれないけどね。
サーッと鑑賞しただけで終わりにしてしまった。(笑)

6:風景画―近代的なアングル
風景を描いたシリーズ。(まんまじゃん)
SNAKEPIPEには「東海道五十三次」との違いが感じられなかった。
ずっと前から「東海道五十三次は江戸時代のスナップフォト」と思っているSNAKEPIPEなので、人物描写を含めた秀逸な作品だと思っている。
歌川広重とは同年生まれの同時代絵師だったようなので、風景画に関しては広重のほうに軍配が上がりそう。
特別国芳らしさが表れてるな、と感じた作品は見当たらなかったな。

7:摺物と動物画―精緻な彫と摺
摺物というのは特別注文の非売品だった作品のことらしい。
木版技術の粋を集め、素材も金粉や銀粉などを使用したり上質の紙に摺っているとのこと。
江戸時代の印刷技術の高さにびっくり。
これらは恐らく印刷物になった状態で鑑賞しても、よく解らない部分かもしれないね。
とても美しい作品群だった。

8:戯画―溢れるウィットとユーモア

動物やダルマ、妖怪などを擬人化して江戸っ子に仕立てあげている作品である。
これも国芳の得意分野だったようで、とてもイキイキとしている。
ユニークな作品が多く、江戸時代の笑いについても考えさせられる。
意外と日本人の「笑い」というのは、江戸あたりから変化していないのかもしれないね?
非常に細かい部分まで精緻に描かれていて、観ていて飽きない。
それにしても、国芳はネコ好きで有名だったようで、確かにネコの絵が多いんだよね。
でも全然顔がかわいくないの。なんでだろう?(笑)
上の作品「みかけハこハゐが とんだいゝ人だ」は複数の人で一人の男の顔を作っている寄せ絵である。
手の部分までも人で形作られていて、とても面白い。
16世紀のイタリアの画家、アルチンボルドの寄せ絵を感じさせるよね。
今回の展覧会では、鼻の部分の人が一番最後に飛び乗って顔を完成させるイメージフィルム(?)が流れていてニヤリとさせられた。

9:風俗・娯楽・情報
時事世相の報道メディア的な題材を錦絵にしたコーナーである。
そのため題材が幅広いのが特徴的だ。
浮世絵というのが当時の新聞・雑誌の代わりだったり、写真の前身だったということが良く解る。

10:肉筆画・板木・版本ほか
浮世絵というのは版画のことだけを指すんじゃないんだね。
いわゆる絵、肉筆画と呼ばれるモノも浮世絵の中に入るということを初めて知ったSNAKEPIPE。
皆様は御存知でしたかな?(笑)
最後のチャプターでは国芳の肉筆画、そして国芳の下絵を元に彫られた木版の展示などがされていた。
肉筆画はほとんどが美人画だったので、前述したように「同じ顔」オンパレードでイマイチ面白くなかった。
木版は、ものすごく細かく彫られていてびっくりした。

これもまた鑑賞後に得た知識だけれど、浮世絵の世界というのには必ず4人が関わっているらしいんだよね。
版元から依頼を受けた絵師が下絵を描き、それを彫師が彫り、摺師が色を乗せて擦る。
こういう役割分担があって一枚の浮世絵が出来上がるようなんだけど、一枚の作品となった時に名前が出るのは伝統的に絵師だけだったみたい。
恐らく「凄腕の彫師」とか「技を持った摺師」みたいな一流の職人はいたはずだけど、名前が出ることがない裏方稼業だったんだねえ。
そんなことを知ることができたのも、初めて浮世絵鑑賞をしたからなんだね。
人が多過ぎてキチンと鑑賞できたとは言い難い展覧会だったのは残念だけど、浮世絵をもっと知りたいと思うきっかけになったのは良かった。

国芳展は前期と後期の2期に分けられていて、作品のほとんどを総入れ替えするそうなので、本当はどちらの展覧会も鑑賞したいと思っていたんだけどね。
あの人の多さ、牛歩での鑑賞には正直ゲンナリしてしまったので、後期はパスだな。
今回の森アーツセンターギャラリーの対応にも問題アリだなと感じたしね。
お客さんの誘導もなし、白線を越えて鑑賞している人への注意喚起もしていない。
展覧会図録を会場でしか販売していない、なんてちょっとビックリ。
鑑賞した人しか買えないシステムにしてるんだよねえ。
森美術館はやっぱり53Fの展覧会に期待だね。(笑)