時に忘れられた人々【11】あの人の職務経歴編 B

【経歴ではなく人柄重視でお願いします】

ROCKHURRAH  WROTE:

前回のこの企画は特に好きでもない人々についてなぜか長々と書いてしまって、珍しくたった三人しか語れなかったな。情熱だけが饒舌の元じゃないって事だね。

さて、年も明けたし職務経歴編の第二弾を書いてみようか。

The Nipple Erectors – So Pissed Off

80年代半ばに登場したポーグスはアイリッシュ・トラッドとパンクをミックスさせた音楽スタイルで最も成功したバンドとして知られている。

パンクやニュー・ウェイブ以降の世代ではスキッズやテンポール・テューダーなどがトラッド要素を持ったバンドとして活動していた。が、これもあくまでも本来ならフォークのミュージシャンが結びつくような音楽にたまたまパンクだった人が結びついた、というような図式。だから演奏はロックやパンクの延長線上にあり、メロディだけがトラッド要素というものだった。
ポーグスの場合はその逆で演奏はバンジョーやマンドリンにアコーディオンといった生楽器、トラッドをやってるバンドと変わらないのに、乱暴な歌い方やテンポが性急でパンクに通じるものがあった。
特にヴォーカリスト、シェインは飲んだくれでケンカばかりしてるような印象がある名物男で、彼のチンピラ・カリスマ的個性で知名度を上げて行った。
最も知られているのは3rdアルバムからのヒット曲で今でもクリスマス・ソングとしては人気が高い「Fairytale Of New York」だろうか。個人的には「Sally MacLennane」や「Bottle Of Smoke」などの威勢の良い曲の方が好きだが。
シェインはその後、アル中でヘロヘロになってしまいバンドを脱退、というか追い出されたような形になったが、3rdまでのポーグスは本当に大好きで今でも愛聴してる。

さて、そのシェインがポーグス前にやってたのがThe Nipple Erectors(その後Nips)というパンク・バンド。これはパンク界では比較的有名なバンドなんで、知ってる人は知っているだろう。ただしポーグスがヒットしたから注目、再発掘されたようなバンドなんで、現役でやってた時代にはそんなに知名度はなかった。
ROCKHURRAHはパンク・ロック初期のバンドたちの映像を集めたビデオ、しかもVHSではなくてベータという今時の子供は誰も知らないような規格のテープ(古い・・・)を所持していたが、この冒頭でニップル・エレクターズをやる前くらいの時代のシェインの姿を確認出来る。クラッシュの「White Riot」をBGMに暴れまわるという映像だが、その時のビデオテープ版には全く何のクレジットもなくて、だからこの時のシェインは単なるよく目立つ一般人だったんじゃなかろうか?
このバンドは単純なスリー・コードだけどさすがにインパクトあるシェインの歌い方がカッコ良くて大好きなバンド。ちょっとテッズ風だったり時代によってはモッズ風の要素もあったけど、シェイン以外のメンバーの面構えもいいね。化粧濃い目の短髪女は後にメン・ゼイ・クドゥント・ハングでも活躍したな。
しかし「あの人の職務経歴」などと書いておきながらアイリッシュ+パンクの前がパンクだったというだけで、何ら飛躍がなく当たり前の展開に書いた本人もビックリ。もしかしてネタの選択を間違ったかな?ひねりが全くなくてごめん。

Killjoys – Johnny Won’t Get To Heaven

楽器についてあまり詳しくない一般的な人にフィドルと言っても通じない場合があるが、これはカントリーやブルーグラス、ケイジャンなどの民族的な音楽で使われるヴァイオリンの事だ。クラシック系と呼び名が違うだけね。
そのフィドルを曲のイントロで実に印象的に使った名曲「カモン・アイリーン」を80年代前半に大ヒットさせたのがデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズだ。
デキシーと名乗っていても船幽霊なわけではなく(当たり前か?)、れっきとしたイギリスのバンドでデキシーランド・ジャズとかの要素もなさそう。この曲の頃は全員で裸にオーバーオール、そして首にはバンダナという、何が由来なのかよくわからないスタイルも話題になったもんだ。英国北部で60年代モッズの時代に流行ったノーザン・ソウルっぽい音楽を再現してみました、という路線だったので、北部=炭鉱労動者=オーバーオールという三段論法で推理してみたが、自分でも全然しっくり来ないなあ。きっとこのルックスには「特に意味はない」という答えなんだろうね。
ROCKHURRAHもかつて試しに裸の上にオーバーオールを穿いてみた事があったが、肩に食い込むし、こんなんで作業出来るわけないよ。部屋着でもイヤ。というかこの場で個人的な着心地レビュー書いてる場合じゃないな(笑)。

そしてデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズの中心だったのがモジャモジャ頭のヒゲ男、ケヴィン・ローランドだ。本当は色男なんだが大ヒットした頃はこのようにダーティでムサイ奴を演じてたわけだ。見た目の割には声が高いのが魅力なのか玉にキズなのかよくわからない。

その彼が70年代にやっていたのがキルジョイスというパンク・バンドだ。ガチャガチャしたラウドな演奏のロックンロールでROCKHURRAHも好きな感じだが、たぶん同時代にはシングルくらいしか出してないバンドだったはず。後にDVD化されたパンクのビデオがあって、そこに演奏シーンが収録されていて、シングルだけのバンドとしては珍しく鮮明な映像が残っている。メンバーに女性二人いて、長身のベース女はミニスカートで激しくベースを弾くというパフォーマンスがなかなかアグレッシブだ。そう言えば上に書いたニップル・エレクターズもポーグス初期も女ベーシストだったな。

パンク魂のまんまアイリッシュ・トラッドを取り込んだシェインと、パンクを捨ててアイリーンとの愛に走った男ケヴィン。ちょっと違うような路線でも似てる部分もあり、どちらも男の生きざまと言えるだろう。締まりのない締めくくりで申し訳ない。

ではまた来週。

2012年元旦

【SNAKEPIPE入魂の年賀状だジョー(ハタ坊)】

ROCKHURRAH WROTE:

誰もが思う最悪の年だった2011年がやっと終わり、気の利いた言葉も見つからないうちに新しい年となった。

いやホント、個人的にも疲労困憊だった引越しもあった、あれは6月の事だったなあ。
夏から秋にかけては珍しく体の不調が続き、自分の体にメスの刃が入ったのは小学生以来、という経験もあった。それとは別に個人的に最もショッキングだった出来事もあった(傍から見れば笑うような事だけど)。
大きな病気も怪我もない人生だったから今までが良すぎたんだろうけどね。
そんなわけで今までの人生で一番病院に通った一年だったなあ。
そして大好きだったバンド、ROBINの解散もショックだった。あれ以来行きたいライブもないまま一年が終わってしまったな。
良くない事だらけで暗い思いばかりの一年だったかと言うとそうでもないんだけどね。

というわけで心機一転、2012年はもう少し上向きの年にしたい、という思いで恒例の年賀状を制作してみたのが上の画像。
今年はSNAKEPIPEが頑張ってほとんど作ってくれたよ。
ROCKHURRAH RECORDSの今までにはなかった傾向のものにチャレンジしてみた。
一目見てわかる人はわかる、モホリ=ナギに代表されるバウハウス調デザインを取り入れた(ウチとしては)新境地。こないだの展覧会で二人ともすっかり影響受けてしまったの図。いつもの原色ハデハデじゃないところも新境地(笑)。
わからない人はここで過去の作品を参照してみてね。
ROCKHURRAHがやったのはSNAKEPIPEのデザインに文字を入れたのみ。
うーん、いいレタリングだよね(笑)。
ドイツが世界に誇るバンド、デイ・クルップスの歌詞をそのまま引用しただけだし、ドイツ語だからはっきりした意味は入力した本人にも不明なんだけど、何だか新時代を告げるようなニュアンスの言葉らしい。新年早々いいかげんでごめん。

というわけで今年は色んな意味で良くなりたいものだ。
本年もROCKHURRAH RECORDSをよろしくお願い致します。

ウィリアム・ブレイク版画展/メタボリズムの未来都市展

【ブレイク展とメタボ展を合わせた画像。意味不明。(笑)】

SNAKEPIPE WROTE:

長年来の友人Mから連絡をもらい、横浜美術館で開催中の松井冬子展へ誘われたのは今から2ヶ月ほど前のことである。
予定を合わせ、せっかくだからお昼は中華街にでも繰り出して豪勢にいこうか、などと約束の前日に電話していた時に
「げえっ!うそーーー!」
といきなり大声を出す友人M。
何事かと思い聞いてみると、な、なんと!
約束をしていた木曜日は横浜美術館の休館日!
せっかくの計画がお流れになってしまった。
二人共全く休館日のことを調べていなかったとはなんとも不覚!深く反省!(ぷっ)
それでも「アート鑑賞をしたい確率95%と推測されます」という、ゼルダのファイに指摘される状況だったので、今鑑賞できる面白そうな企画はないものか、と調べまくったのである。
ROCKHURRAHも一緒に調べてくれて、探し当てたのがウィリアム・ブレイク版画展。
これは良い!と横浜から急遽上野に行き先を変えたのである。

上野は中田商店動物園に行く用事で年に何度か訪れる場所である。
そういえば今年の花見も上野公園に行ったんだっけ。
身近に感じられる土地だけれど、上野に点在する美術館や博物館の全てを巡った記憶がほとんどない。
今回ウィリアム・ブレイク版画展を開催している国立西洋美術館にはもしかしたら初めて行ったのではないだろうか。
現在開催している目玉はゴヤ展なので、ウィリアム・ブレイク展はオマケ程度の扱いだろうと予想はしていたけれど、ここまで予想的中とは!
常設展の中の一角に設けられた特設会場といった感じで、その場所に行くまでの道のりの長いこと、長いこと!
友人MもSNAKEPIPEもあまり興味を示さないような何枚もの「西洋絵画」を通り抜け、移動距離にして恐らく1万マイル程歩いて(大げさ)やっと会場に到着。参るな!(プッ)

ウィリアム・ブレイクは1757年イギリス生まれの詩人、画家、版画職人である。
「当時、英国の版画家たちの主な仕事は、画家から提供された原画を忠実に複製することでした。この趨勢に抗い、自らの創意に従って制作を進めたブレイクは、異色の存在であったと言えるでしょう。」
という西洋美術館の説明にあるように、ブレイクは独自のセンスと創造力で作品作りをしていたようである。
そしてその仕事は同時代人にはほとんど理解されることはなかった、という悲しい事実も初めて知ったSNAKEPIPE。
今では世界中にファンがたくさんいるのにね!
多くのアーティストに多大な影響を与えていることは、wikipediaなどでご確認頂きたいと思う。
実はSNAKEPIPEはブレイクについてそこまで詳しいわけではなくて、興味の対象となったきっかけは、トマス・ハリスの著作「レッド・ドラゴン」の巻頭に「巨大な赤い龍と太陽の衣をまとった女」というブレイクの水彩画が載っていたこと。
小説の中でかなり重要な役割を担っていたこの絵画がとても幻想的で、すっかり魅了されたSNAKEPIPE。
ウィリアム・ブレイクと聞いて初めに思い浮かべたのが「レッド・ドラゴン」というのは友人Mも同じだったようである。

今回の版画展では、旧約聖書「ヨブ記」やダンテの「神曲」の挿絵が展示されていた。
エングレービングという版画の技法で制作された30点程を鑑賞することができる。
細部まで丁寧に描きこまれた幻想的な世界観は、非常に魅力的で、是非ブレイクの挿絵付き「ヨブ記」と「神曲」を入手し、読んでみたいと思ったSNAKEPIPE。
だけど本の挿絵なので、B5くらいの小ささしかないんだよね!
しかも大人気のゴヤのあとで「ついでだから」みたいな人が大勢いる中、この展示だけを目的に来た友人MとSNAKEPIPEには非常に残念な鑑賞時間になってしまった。
せめて図録やポストカードを手に入れたいと思ったのに、ブレイク関連は全く販売されていない。
うーん、とってもガッカリ!

ブレイク展だけではとても「アート鑑賞満足度」がアップしなかったので、もう一つ観に行こうということで六本木に移動。
森アーツセンターギャラリーで開催されている「歌川国芳展」はROCKHURRAHを加えた3人で行く予定なので今回はパス!
ということで「メタボリズムの未来都市展」を鑑賞することに決定!
恐らくほとんどの方が「えっ?メタボ?」と腹回りのサイズを気にする例のあの言葉を思い浮かべるはずであり、SNAKEPIPE自身も同じように思っていたのである。
ところが!なんとこれは「1960年に開催された『世界デザイン会議』を機に、建築家の黒川紀章菊竹清訓槇文彦大髙正人、デザイナーの栄久庵憲司粟津潔、建築評論家の川添登らによって結成されたグループの活動」とのこと。


「生物学用語で『新陳代謝』を意味する『メタボリズム』。それは、環境にすばやく適応する生き物のように次々と姿を変えながら増殖していく建築や都市のイメージでした。戦争で荒廃した日本が復興し高度経済成長期へと移行した時代に、東京湾を横断して伸びていく海上都市、高く延びるビル群を車が走る空中回廊でつないだ都市などを発想し、未来の都市像を考える活動でした。」

SNAKEPIPEが少し文章を要約したけれど、メタボリズムの活動とはなんぞや?には上のような説明がされている。
建築家を中心により良い社会、環境との共存、狭い日本の土地問題など、様々な観点から都市計画を考えていたグループ、といえるんだろうね。
そしてこの計画というのが、奇想天外なモノ、いわゆるSF的な感じの建築、などがたくさんあって非常に興味深い。
1950年代から1960年代の建築家というのは、空想を実現する力があったんだね!
それらのほとんどが計画のみで「実施せず」とされていたので、何かしらの原因があって実現には及ばなかったんだろうけど、発想の豊かさには驚かされる。
もしそれらの計画が全て実施されていたら、現代の日本はかなり変わっていたんだろうね。
ただし、DNAらせん状の家とか、ビッチリと横並びに並んだ幾何学模様型の建築などは、方向音痴のSNAKEPIPEには厳しいかもしれないな。
自分の家に帰れない人続出、なんて事態が大量発生しそう。(笑)

どの世界でも同じだと思うけれど、例えば写真家といえば?などと質問をした場合、恐らく返ってくる答は「アラーキー篠山紀信!」の二人くらいだと思う。
この現象ってきっと30年前から変わってないような気がするけどどうだろう?
そして同じことが建築の世界にもあるように感じる。
というのも、SNAKEPIPE自身が「建築家といえば?」と質問を受けた場合に、知っているのが「磯崎新と黒川紀章」しかいなかったからである。(笑)
以前建築を志している友人と話をした時その話になり、SNAKEPIPEが2名しか知らないことを打ち明けると非常に驚かれたものだ。
えっ、それしか知らないの?と思ったに違いない。
でもきっとその友人に写真家について尋ねたら同じレベルだっただろうね。
今回展示で紹介されていた建築家も、初めて名前を知った人ばかり。
その世界に入らないと知らないことっていっぱいあるもんね!

50年も前に斬新な空想力で都市の変革を真剣に考えていた日本の建築家がいたことを知ることができて、今回の「メタボリズム」展を鑑賞できて良かったと思う。
それにしても図録4800円は高過ぎ!買えましぇ~ん!(涙)

時に忘れられた人々【11】あの人の職務経歴編 A

【あんなに輝いてたミュージシャンのビフォー→アフター。見たくないなあ】

ROCKHURRAH WROTE:

今が旬じゃなくて過去に忘れ去られてしまった人々にだけ焦点を当てた「時に忘れられた人々」シリーズもすでに10回を超えてしまった。当初は色々なジャンルで取り上げてゆきたかった企画なんだが、音楽以外の分野ではわずかに作家の国枝史郎とヴィンテージ漫画特集をやっただけ。随分と偏ってしまったなあ。小説とかについては書ける事も多いんだけど、ブログを書くためにまた読みなおして・・・、というほどのヒマが今はないから、どうしても疎かになってしまう。
やっぱり記憶だけで書ける音楽の事が一番書きやすいし、ROCKHURRAHは何だかんだ言っても音楽バカ(過去音楽限定)なのかも知れないね。

というわけで今回選んでみたのは「あのミュージシャンが前はこんな事やってました」という前歴特集。
ただし「ダムドのデイブ・ヴァニアンが昔は墓掘り人夫だったらしい」とかそういう意味の前歴ではなく、単に前はこういうバンドをやってた、という程度の記事なのでけっこう苦しいものがあるのは書く前からわかりきってるが、それでも何とかまとめてしまえるROCKHURRAHの筆力にも一票もらいたいものだ。

Slik – Forever And Ever

この一回前「情熱パフォーマンス編」でもトップバッターだったミッジ・ユーロのさらに昔の姿。そこまで大好きなミュージシャンというわけでもないのに二回連続で出てくるのは、この人のスタイルの変化が急激でネタにしやすいからだろうか。

スリックは80年代にウルトラヴォックスで大スターとなるダンディ男、ミッジ・ユーロが70年代半ばにやっていたバンドだ。このユーロにケニー・ヒスロップ、ビリー・マッキサック、ラッセル・ウェッブを加えた4人がスリックのメンバーなんだが、ユーロ以外の三人はスリックの後のバンドPVC2を経た後、スコットランドでホット・ヴァルブスをやっていたウィリー・ガードナーと合体してゾーンズとなる。ちなみにウィリー・ガードナーは70年代に人気のあったアレックス・ハーヴェイの従兄弟として知られている。もうひとつちなみに、ホット・ヴァルブスというのはビー・バップ・デラックスのシングル・タイトルからつけたバンド名で、ゾーンズもビーバップ・デラックスそっくりの部分もあった。よほどのマニアじゃない限りは知らなくてもぜーんぜん大丈夫なバンドの解説にこれだけの文章を書いてしまった・・・。
もしかして親切を通り越して鬱陶しい男なのか?ROCKHURRAH。

ミッジ・ユーロ自身はこのスリックの後に初のパンク・バンド経験となるPVC2(メンバーはスリックと同一)を経て、いよいよリッチ・キッズのフロントマンとなるのは前回のブログに書いた通り。PVC2はホット・ヴァルブスと同じスコットランドのZOOMレーベルよりシングルを出していたな。マイナーだったが荒々しく理想的なパンクをやっていて、後のリッチ・キッズでも演る「Put You In The Picture」などのパンク名曲を残している。こっちのヴァージョンの方がリッチ・キッズ・ヴァージョンよりもずっと重くてカッコイイぞ。

さて、後の事ばかり書いてしまったが、このスリックは演奏がちゃんとうまくて作曲能力もあるベイ・シティ・ローラーズの対抗馬、というような位置づけでポップなロックをやっていた。センテンス長いな。まあアイドル路線とまではいかないが、そういうつもりでレコード会社としては売りたかったバンドなのだろう。76年にロンドン・パンクが始まる直前の時代の話。街中タータン・チェック、ベイ・シティ・ローラーズ旋風吹き荒れた70年代の日本では全く知られる事すらなかったバンドだ。
メンバー全員なぜか野球の格好だもんな。なぜスコットランドで野球なのか?日本でもベースボール・シャツとか着てる人はいるにはいたが、スリックとはたぶん何も関係ない単なる野球好きなのは間違いない。
このスリックのメンバーだった人たちにとってはそういうヴィジュアル面も触れられたくない過去なんだろうなあ。

で、そういう恥ずかしい経歴を持ったミッジ・ユーロ、野球のあとは単なる白無地Tシャツでリッチ・キッズ(前回のブログ参照。本当はもっとちゃんとした服装してる時もあった)、そして80年代になると突然オシャレに目覚めたのかスティーブ・ストレンジ率いる洒落者集団ヴィサージに加入、さらにジョン・フォックスの抜けた後のウルトラヴォックスに加入。
この二つは80年代初頭にロンドンで大人気だったニュー・ロマンティックスというムーブメントの中心となる。知らない人のために一応書いておくが男が女みたいに着飾ってリッチでゴージャスな雰囲気の音楽をやってたのがニュー・ロマンティックスだ。70年代のグラム・ロックの発展型みたいなもんだが、あれより遥かに夜会系。

関係ないがROCKHURRAHはニュー・ロマンティックスの分野で大成功したアダム&ジ・アンツのファンだった。彼らの推進した海賊ルックに触発されて、小倉のど田舎で勘違い甚だしい海賊ファッションもどき(全然そうは見えなかった)に身を包み、スクーターをぶっ飛ばしていたもんだ。若気の至りでちょっと中央分離帯に突っ込んで、植え込みの木の枝が腹に刺さったりしたなあ。
ああ恥ずべき過去、ミッジ・ユーロとお互い様だね(笑)。

The Nosebleeds – Ain’t Bin To No Music School

これまた日本ではほとんど紹介されなかったマンチェスター発の70年代パンク・バンドでノーズブリーズ。日本語に訳せば鼻血ーズというようなもんか。
マンチェスターと言えばかなり大物のパンク・バンドを輩出した事で知られる音楽先進都市だ。バズコックス、マガジン、スローター&ザ・ドッグス、ドローンズ、ワルシャワ(後のジョイ・ディヴィジョン)などなど、70年代パンクのファンとっては聖地みたいなもんだ。そこでひっそりとデビューしたのがこのノーズブリーズだ。たぶんシングルしか出してなくて解散したはずだが、マンチェスター系のバンドを集めたオムニバスでちょっと知られた程度。魚の位で言うならうぐいクラス。

このバンドは最初はエド・バンガーというシンガーが始めたものだが、80年代に活躍したドゥルッティ・コラムのヴィニ・ライリーがメンバーだった事で知られている。
ドゥルッティ・コラムと言えばマンチェスター発のレコード会社、ファクトリー・レーベルにおいて、ジョイ・ディヴィジョンと並ぶ看板だったバンドだ。
初期ではごく簡単なリズムのみ、そこにヴィニ・ライリーの透明感溢れるギターが展開するといった、簡素極まりないネオ・アコースティックな音楽が新鮮でファンも多かった。通常のロック形態のバンドというよりはヴィニのギター・プレイによる音のスケッチ、それを記録した作品という印象だった。
アンビエントとかイージー・リスニングとかそういう世界は全くわからんし、野卑でゴテゴテしたインチキ音楽大好きのROCKHURRAHだが、こじゃれたカフェのBGMとかには最適な音楽だったのは確かで、そういう音楽を愛するファンに支えられて、この手のインスト主体のバンドとしてはかなり売れたんじゃなかろうか。←またしてもセンテンス長すぎだな。来年の目標は簡潔な文章か?
音は地味だがこのヴィニ・ライリー、まさにこの時代の少女漫画に出てくるような繊細な顔立ちの美青年で、そのルックスからも女性ファンが多かったものだ。何と今でも美中年のようで、羨ましい限りですなあ。

前置きが非常に長くて何が書きたかったか忘れたほどだが、そんなか細い音楽で有名なヴィニ君が、その前はこういうパンク・バンドにいたというのが驚き。
しかしドゥルッティ・コラムを知る人が聴けば一目瞭然「Ain’t Bin To No Music School」の途中のギターはまさしくヴィニ・ライリー風で、その辺のミスマッチ感覚がありそうでない個性となっている。

このノーズブリーズの大変に珍しい、動いてる動画があったのでついでに載せておこう。ん?ヘンな言い回しだったがYouTubeには動いてない動画も結構あるからね。

ノーズブリーズはもう一人、ニュー・ウェイブ界の大物を輩出したバンドとして知られている。前述のエド・バンガーが抜けた後に二代目ヴォーカルとなったのが後のスミスで有名人となるモリッシーだったらしい。

パンクの時代はまだニューヨーク・ドールズのファン・クラブ英国会長とかそういう身分だったモリッシーがどういう経緯でノーズブリーズに加入したのかはよく知らないし、第二期ノーズブリーズは残念ながら持ってなくて曲も知らないんだが、あの声やひねくれた歌詞でパンクをやっていたのだろうか?それはまたそれで異色には違いないかな。

ヴィニ・ライリーもモリッシーもROCKHURRAHの好みとは違うが、やはり第一人者となるには独創性が必要。両者とも好みではないがそのプラスアルファの個性は充分持っていたと思えるので、そういう点では尊敬に値する人物だと言える。ただ、それが好きに繋がらないのが人の心と言うものなのかね?
またしても「好きじゃないなら書くなよ」という声が聞こえてきそうだな。ファンにも殴られそう。それでは退散しますかな。

今回は何となく生真面目な文章になってしまって、面白くはなかったな。
その割にはたった二つのバンドだけで結構長くなってしまった。いつもはもっとたくさん紹介するのに、個人的に週末が忙しかったので、こんなもんで許して。
同じネタでもう少しは書けそうだからまた次も書きます。