【恒例のValleyにちなんだビデオ。時間不足でいいかげん】

ROCKHURRAH WROTE:

タイトルに同じ単語が含まれた曲を集めて、いいかげんなコメントしてゆくだけのお手軽企画がこの「俺たち○○シリーズ」だ。
ただし時代は1970年代から80年代、パンクとニュー・ウェイブからほとんど選曲するというのがROCKHURRAH RECORDSの流儀なのだ。今、この時代にこの手の音楽に興味ある人がどれくらいいるのかは全然わかってないが、読む人をかなり選ぶブログなのは間違いない。

さて、どんな単語でもいいんだけど、今回はたまたま思いついたのでValleyという単語がつく曲を選んでみたよ。
谷とか谷間を意味する言葉なのは大抵の人が知ってるとは思うが、これをカタカナ英語で言ったり書いたりする機会はあまりないはず。
日本のカタカナ表記が曖昧なのかバレー、ヴァリー、ヴァレー、ヴァレイなどといくつもの表記がされてて、一体どれが最もポピュラーなのかよくわからないよ。 
バレーなどと書くとバレーボールのバレーと間違いそうだが、あれはVolley、つまりサッカーのボレー・シュートと同じ綴りでさらにややこしい。じゃあ何でボレーボールにしなかったんだ?と思ってしまうよ。
というわけでかなりあやふやなこの言葉、ROCKHURRAHは迷った末にヴァリーを採用したが、大多数の人にとってはどうでもいいよね。

谷間と言えばROCKHURRAHが思い出すのが子供の頃に大好きだった望月三起也の漫画「ワイルド7」。
この中のエピソードに「谷間のユリは鐘に散る」というのがあって、他の鮮烈な長編(註:「ワイルド7」はコミックス1冊だけで終わるエピソードもあれば数冊に渡って繰り広げられる長編エピソードもあった)に比べると印象は薄いんだけど、タイトルだけは即座に思い出したよ。
世の中の悪党をやっつけるために悪党、犯罪人の中から選抜した白バイ部隊というのがワイルド7の設定なんだけど、読者の度肝を抜くド派手なアクションとストーリー展開に夢中になった少年(今はおっさん)も多かった事だろう。まだタランティーノもロバート・ロドリゲスも登場してなかった時代、70年代初頭の日本にこんな派手なアクション漫画があったのは全世界に誇れる事だと思うよ。
メンバー全ての描写が細かくて本当に生き生きしてたからね。

などと関係ない回想にひたってしまったが、これはもう本気で全く関係ないので書いた本人もビックリ。 

ヴァリー部として真っ先に挙げたいのがスキッズのヒット曲「Into The Valley」だ。
彼らの最も有名な曲であり70年代パンクでValleyと言えばこれが決定版というほどの知名度。
タイトルをGoogle翻訳してみると「イントゥザバレー」だって、うーむ。そりゃ訳になってないぞよ。
次にエキサイト翻訳で直訳してみると「谷に」だとさ。それ以上の意味はないんだろうけどなんかそっけないぞ。

このブログでも何度も書いてるけど、スキッズは70年代後半にデビューしたスコットランドのパンク・バンドだ。こんな記事でも特集したね。
中心となるのはヴォーカルのリチャード・ジョブソンとギターのスチュワート・アダムソンで残りのメンバーはパートタイムみたいな感じだったな。後にヴィサージでスティーブ・ストレンジの相方になるラスティ・イーガン(元リッチ・キッズ)や元ウェイン・カウンティ&エレクトリック・チェアーズのJJジョンソンなどもパートで働いていたね。

パンクとは書いたが初期のスキッズにいわゆるロンドン・パンクっぽさは特になく、スコットランド民謡のバグパイプみたいなギターとリチャード・ジョブソンの野太いヴォーカル、応援団風の男っぽいコーラスが一体となったところに独自性があったな。
それからパワー・ポップのような路線にもなったし、ニュー・ウェイブ世代の正統派ブリティッシュ・ロックみたいな方向に落ち着くかと思いきや、この辺でスチュワート・アダムソンが脱退。
自身のバンド、ビッグ・カントリーを結成しスキッズの路線をことごとく継承、そしてスキッズ以上の大人気バンドになってしまった。大半の曲をアダムソンが書いてたのでスキッズ路線を継承して当たり前なんだけどね。
音楽的な要だったアダムソンが抜けて、最後の方のスキッズはよりトラッド色を全面に打ち出した予想外の方向に進んで行くが、これはあまりポップでもなくロックっぽさも大幅に減少というマニアックな世界。当然元からのスキッズ・ファンに受け入れられず、売れるはずもなく、ここで解散という事になる。
実はROCKHURRAHはこの時代のスキッズを高く評価してるんだけどね。

「Into The Valley」はそんな末期のスキッズなど想像も出来なかった1979年、彼らにとっては初期のシングル。
本国イギリスでヒットしたから日本でもリリースされた数少ないパンク・シングルの一枚だな。
この邦題、というかカタカナ・タイトルが「イントゥ・ザ・ヴァリー」、ROCKHURRAHがタイトルにヴァリーを採用したのはここからなんだよ。「俺たちバレー部」じゃ当たり前過ぎる全然違う話を想像してしまうからね。

誰でも知る大物パンク・バンド以外は義理で一枚出して、売れなかったらそれ以外のシングルは出さないというのが日本のレコード会社のやり方なんだろうかね?
結局、売れなかったのかスキッズのシングルは日本ではたぶんこの一枚のみ。
アルバムの方も1st「恐怖のダンス」と3rd「アブソルート・ゲーム」のみが出て、どう考えても売れそうじゃなかった4th「Joy」はともかく、売れそうだった2nd「Days In Europa」も出さなかったのは何で?と思ってしまうよ。当時、ヴァージン・レーベルを出してたのはビクターだったかな。

さて、これはライブ映像ではあるけど音声の方はスタジオ録音そのまんま、いわゆるプロモーション・ビデオになるのかな?このビデオの頃はまだ19歳くらいだったリチャード・ジョブソンのスポーツマンらしい激しいアクションが大げさ過ぎるけど、今でもノリノリになれる大名曲。みんなで拳を振り上げて「アホイ、アホイ!(船乗りが他の船に呼びかける「おーい」というような意味の言葉)」と怒鳴れば気分はもう1979年だね。

お次のヴァリー部はこれ、ジェネレーションXの1979年作「Valley Of The Dolls」だ。
同年に出た彼らの2ndアルバム「人形の谷」のタイトル曲でもありシングルにもなったけど、このアルバムには「King Rocker」という強烈なヒット曲があり、その陰に隠れてあまり知名度はない曲。
イチイチ翻訳する必要はなさそうだけどGoogle翻訳してみると、ちゃんと「人形の谷」になってたよ。

「Valley Of The Dolls」という原題を検索すると出てくるのはジャクリーヌ・スーザンのベストセラー小説「人形の谷間」とそれを映画化した「哀愁の花びら」だが、60年代にチャールズ・マンソン・ファミリーの一員によって惨殺されたシャロン・テートが出演していた映画として一部で有名。
ジェネレーションXの曲はタイトルが一緒なだけでおそらく何も関係なさそうだけど。

ジェネレーションXは上のスキッズなどと同じく、ロンドン・パンクの第二世代くらいにデビューしたバンドだが、レコード・デビューがやや遅かっただけでパンク初期から有名人だったのが後にソロとして大ヒットするビリー・アイドルだった。元チェルシーだしね。
後にド派手な見た目と音楽でセンセーショナルな話題を振りまいたジグ・ジグ・スパトニックを結成するトニー・ジェイムス、少年っぽさが残るアイドル系ギタリスト、ボブ・アンドリュースなど、ルックスの良さもあってさらに曲も良い。
ジェネレーションXは他のパンク・バンドと比べるとバラード的大作志向があり、いわゆるチンピラなだけのバンドよりはずっと構成力も演奏力もあり、つまりはこの時代に売れる要素が詰まったバンドだったと思うんだけど、予想ほどには大ヒット曲もなかったのが残念。
パンク直後のニュー・ウェイブ世代にうまく乗り換えする事もなく、割と短命に終わってしまったという印象があるけど、最初の二枚のアルバムは聴きまくったものだ。

「人形の谷」は特にROCKHURRAHの地元、北九州の図書館の視聴覚室で何度もリクエストして聴いてた覚えがある。ここのお姉さんがパンク好きだったからよく通ってたんだよね。
こんなに聴いてたくせになぜか自分では持ってなくて、東京に出た数年後にひっそり買ったんだった。
この頃はまだ知らない新しいバンドを仕入れるのにほとんどの金を使うという方向性だったからなあ。

ビリー・アイドルの歌声も聴けばすぐにわかる特徴のあるもので、顔立ちのインパクトも際立ってるな。

今回集めたヴァリー部はパンク系が多いけど、次はコープス・グラインダーズの「Valley Of Fear」にしてみよう。しつこくGoogle翻訳してみたら「恐怖の谷」となってた。シャーロック・ホームズのシリーズに同名タイトルがあるが、このジャケット写真見てたらあまり関係はなさそう。

元はニューヨーク・ドールズ(の母体となるバンド)のギタリストだったというリック・リヴェッツがドールズ脱退した後に作ったのがこのコープス・グラインダーズだ。ちなみにリヴェッツが辞めた代わりにドールズに入ったのがシルヴェイン・シルヴェインだった。
コープス・グラインダーズの初期にはドールズのアーサー・”キラー”・ケインもいたというからまさにドールズ直系。
そっくりな名前の日本のバンドがいるので間違えられやすいが、別にマネしたわけではなくてたぶん「人間ミンチ」という70年代のB級ホラー映画の原題がCorpse Grinders、どちらのバンドもここから取ったんじゃないかな? 

ニューヨーク・ドールズと言えばあらゆるバッド・テイストが集まって奇跡的にもその筋の主流となってしまったバンドとして名高いが、ニューヨーク・パンクを語る上では外せない最低で最高のロックンロール・バンドだね。

で、このコープス・グラインダーズの方はベースとギターにそのDNAが流れていたわけで1stシングルは確かにラウドでB級テイストに満ち溢れた乱暴なパンク路線、ホラー映画っぽいメイクもドールズ時代にはなかった新要素なので、これは好きだった。
しかし”キラー”・ケインがいなくなった後の本作、1984年に出た唯一のオリジナル・アルバム「Valley Of Fear」ではリズム・マシーンにシンセサイザーまで取り入れた迫力ない異端のロックンロールが展開してゆく。このチープさウソっぽさも魅力なんだけど、ニューヨーク・ドールズ直系を想像してた人にはあまり受けなかったかもね。
見た目からするとポジティブ・パンクやサイコビリーのバンドみたいでもあるが、それともちょっと違う独自のアングラ感があるので、ROCKHURRAHはその点を評価しているよ。

時間があまりないので手早くいってみよう。
お次のヴァリー部はこれ、ROCKHURRAHの大好きなスクリーミング・デッドの「Valley Of The Dead」。1982年のデビュー・シングルだな。
またまた翻訳してみると「死の谷」、え?いちいち翻訳しなくてもわかる?

「死の谷」と聞いても特に何も思い出さなかったが、橘外男の「死の蔭(チャブロ・マチュロ)探検記」というのを急に思い出した。少年時代は戦前戦後くらいの探偵小説が大好きで教養文庫の小栗虫太郎、夢野久作、久生十蘭、香山滋、橘外男などを片っ端から読み漁っていた。夢野久作だけは米倉斉加年が扉絵を書いてた角川文庫版の方が好きだったけど、他の作家はこの教養文庫のシリーズが最も手軽で探すのに苦労しなかったから愛読してたものだ。
橘外男は全然興味ないタイプの著作も多かったけど、刑務所に入ってたなどかなりの無頼漢で独特の魅力があった作家だ。
小倉(福岡県北九州市)のナガリ書店や福家書店、宋文堂などなど、今はあるのかどうかさえ知らないけど、当時よく行ってた本屋が懐かしい。ROCKHURRAHが少年の頃の小倉には輸入レコード屋がほとんどなかったから、本屋に行けばROCKHURRAHがすぐに見つかるというくらいに長時間をこの辺で過ごしたものだ。
これまた全然関係ない話だったか。時間ないなら先を急げよ、と本人に突っ込まれてしまうありさま。

スクリーミング・デッドはいわゆるポジティブ・パンクと呼ばれた音楽で「永遠の中堅」とROCKHURRAHが常に思ってたバンドだ。初期はレコード出す金もなかった(?)ようでカセットを自主制作販売してたみたいだが、結局シングルのみでアルバムも出さずに解散してしまったところが中堅以下。
ちょっと鼻にかかったチンピラ声でパンクっぽいのから日本のGSみたいな曲調までを歌い上げるところが個人的には好みだった。 彼らのディスコグラフィを調べてみると、当時はほぼ全シングルを所有していた事が判明した。それくらい気に入ってたんだろう。
ポジティブ・パンク、ゴシックという音楽のような重苦しさはあまりなく、単にホラー要素があるパンクというだけで、音楽的な印象は違うが上のコープス・グラインダーズとかと同じような立ち位置なのかも。そう言えばジャケットの構図も似てるしね。 

動かない動画が続いたので飽きてきたろうから、お次は動きのあるこれを選曲してみよう。
ソニック・ユースとリディア・ランチによる「Death Valley 69 」だ。ヴァリー部としてはこれを見過ごすわけにはいかないからな。
もはや翻訳する必要性はないけど律儀にやってみたら「デスバレー69」、そりゃそうだ。
車のボンネットで目玉焼きが出来ると評判のデスヴァレーはアメリカ人だったら誰でも知ってるところなのかな?ROCKHURRAHもSNAKEPIPEも地理には疎く、日本に住んでても阿寒湖と屈斜路湖の区別さえつかないけどね。
パット見のタイトルはカッコイイけど、デスヴァレーは国立公園だから日本で言えば「十和田八幡平(国立公園)78」などとタイトルつけるのと同じノリかね? 

ソニック・ユースは1980年代初頭から活動していたニューヨークのバンドでロック界随一の巨人(推測)のサーストン・ムーアとキム・ゴードンの夫妻がバンドの中心だった。
独特のギターによるノイズとパンクやサイケデリックがごちゃ混ぜになったような音楽は90年代以降ではよくあるオルタナティブってヤツだけど、彼らが始めた頃はまだアングラなものだったな。
それよりちょっと前の時代、ニューヨークで流行ってたノー・ウェイブという動きがあったけど、ソニック・ユースのはそこまでヒステリックではない感じ。最初はどちらかというとイギリスのオルタナティブ系と呼ばれた音楽寄りだったと記憶するよ。 個人的にはこの初期の頃の方が好きだった。 
こないだ観てきてSNAKEPIPEが記事を書いてくれたマイク・ケリーやゲルハルト・リヒターなどレコード・ジャケットにもこだわったバンドだね。 

この曲は1985年の「Bad Moon Rising」に収録されてシングルにもなった大作。
この頃はまだ大人気になる前のインディーズ・バンドだったにも関わらず映画風のプロモーション・ビデオが作られている。
ゲストの金切り声ヴォーカリストがノー・ウェイブ界の裏女王、リディア・ランチという組み合わせ。
ビデオはカルト宗教っぽい感じがしてかなり不穏な雰囲気の危ないもの。銃社会アメリカだから、この映像はシャレにならんぞ、というリアルさがあるな。 

何だか明るくない系統のものが続いたから最後はあまり毒のなさそうなのにしてみよう。
Allez Allez、綴りは難しくないのにこういうのが一番読めん・・・とずっと思ってたバンドだがディスク・ユニオンによるとアレ・アレというらしい。ではそれでいってみよう。
アレ・アレの「Valley Of The Kings」だ。
「どんだけ英語が苦手なんだよ」と言われそうだが例によって翻訳してみると予想通り「王の谷」。

NHKスペシャルとかで去年くらいやってたピラミッド特集や王家の谷、などと聞くとついつい興味を持ってしまうが、SNAKEPIPEもそういう知的好奇心が豊富なタイプで良かった。
二人の見た目からはすごく意外だけど歴史モノも好きで、王家の谷とはまるで関係ないが「英雄たちの選択」とかも毎回観てるからね。

アレ・アレはリアルタイムでレコード屋ではよく見かけたジャケットだったが、レゲエかアフリカンのような印象があったから、その辺が苦手なROCKHURRAHは素通りしていたよ。
実はアフリカともジャマイカとも関係なさそうなベルギーのバンドで黒人も一人しかいない、それでもアフロとかファンク、ダブという夏向けの曲調でたぶん人気もあったらしい。本格派ではなくてあくまでニュー・ウェイブの一種だったらニセモノ音楽が大好きなROCKHURRAHでも理解できるだろう。
という事でずっと食わず嫌いだったこのバンドのビデオを観てみたら、これがなかなかいいでないの。
バックのメンバーは何だかわからないがバカっぽい派手な動きをしているしヴォーカルの紅一点はこの衣装と姿だったらクールじゃないか?と思わせておきながら結構微妙な表情だし、決して暑苦しくならない感じがいかにもニュー・ウェイブ世代。

今回はかなり遅くなってしまってSNAKEPIPEにも迷惑かけてしまったよ。
次からは下準備して取り掛かるからね。

それではまた、パアラム(タガログ語で「さようなら」)。

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【左からパラダイス「愛」「神」「希望」の主演女優の3ショット】

SNAKEPIPE WROTE:

2週前に「マイク・ケリー展 デイ・イズ・ダーン 鑑賞」について書いた後、思い出した映画がある。
それはウルリヒ・ザイドル監督の「パラダイス3部作」だった。
先日鑑賞したマイク・ケリーの展覧会は、トラウマをテーマにしたビデオ作品だったことはブログ内で記載済だね。
「パラダイス3部作」は心の問題をテーマにしているので、雰囲気が近いと言えるのかもしれない。
それが「パラダイス」を連想した原因かな?
「パラダイス3部作」を鑑賞したのは随分前のことだ。
かなりインパクトが強かったので、今回まとめてみようと思う。
本当は鑑賞した時すぐに書いておくべきだったんだろうね。(笑)

「パラダイス」を観るきっかけはレンタルDVDに入っていた予告映像だった。
「ジョン・ウォーターズが絶賛」のような文言に惹かれたように記憶している。
ただしジョン・ウォーターズが選ぶ今年のベストとされる映画は、その基準がよく理解できないことが多いんだよね。
それでも観てみたいと思ったのは、ヨーロッパの映画に興味があったから。
例えば「映画の殿 第21号 さよなら、人類」で特集したのはスウェーデンの監督ロイ・アンダーソンだったし、「リザとキツネと恋する死者たち」はハンガリーのウッイ・メーサーローシュ・カーロイが監督していたね。
「籠の中の乙女」や「ロブスター」はギリシャのヨルゴス・ランティモス。
ブログに何度も登場しているようにスペイン映画も大のお気に入りだし。
ROCKHURRAH RECORDSの好みに合った映画はヨーロッパに多いんだよね。
そこで「パラダイス」にも期待したってわけ。(笑)
3部作なので、まずは1作目を鑑賞して、それから次を観るかどうか決めようと思ったのである。

まずは監督のウルリヒ・ザイドルについて簡単に書いておこうね。
1952年オーストリアのウィーン生まれ。現在65歳。
ウィーン大学でジャーナリズムとドラマを学び、ウィーン・フィルム・アカデミーで映画製作を学ぶ。
卒業から2年後最初の作品「The Ball」を制作。
初期は主にドキュメンタリー映画を制作。
2007年「インポート/エクスポート」がカンヌ国際映画祭のパルム・ドールにノミネートされる。
2012年には「パラダイス」がカンヌ、ヴェネチア、ベルリンの世界三大国際映画祭で上映される。

オーストリアの監督のためなのか、あまり詳しい情報が載っていないんだよね。
ドキュメンタリー映画は新聞配達員、2流のモデル、地下室でフェティシズム行為をする人、アフリカの動物のツノや毛皮を集めるハンターである老夫婦などを追った作品だという。
SNAKEPIPEはほとんどドキュメンタリー映画って観たことないんだけど、ウルリヒ・ザイドル監督の作品はちょっと気になるね。(笑)

まずは「パラダイス」のトレイラーを載せてみよう。

トレイラーは3つまとめてあるけれど、「愛」「神」「 希望」という3つの映画なんだよね。 
※ネタバレしていますので、未見の方はご注意ください。
まずは3部作の1つ目「パラダイス:愛」から書いていこうか。 
あらすじはこんな感じね。 

テレサはヴァカンスで楽園のようなケニアのビーチリゾートにやってくる。
そこでは現地の黒人青年が、白人女性観光客に「愛」を売っていた。
テレサもまた、甘い言葉を囁くビーチボーイたちとの「愛」にのめり込んでゆく……。

「パラダイス:愛」の主人公はテレサという50歳のシングルマザー。
映画の冒頭で姉であるアンナ・マリアの家を娘のメラニーと共に訪れるシーンがある。
その時の様子がブログの最初の画像で、3ショット写真を撮影している場面ね。
娘を姉宅に残し、テレサはバケーションへと旅立つ。
自閉症施設で働くテレサにとっては、日常を忘れて開放感を味わうことができる素敵な旅に違いない。

テレサと同じようにバケーションを楽しむ同世代の女性達と意気投合。
彼女達はあっけらかんとケニアの若者とのアヴァンチュールを楽しんでいる。
それは完全にお金を介した関係だけれど、「今が良ければそれで良い」と割り切っているから成立している。
昔言われた言葉だと「リゾラバ」になるのかな?(古い!)
「あなたも楽しみなさいよ」
なんて言われちゃったものだから、テレサもナンパされて付いて行っちゃうんだよね。 
恋愛ごっこなんて何年ぶり? 
私もまだまだイケるかも?なんて少し乙女心が芽生えてきちゃって。
テレサは最初のうちは戸惑い、男性とホテルに入っても羞恥心から関係を拒んでいる。

テレサの水着姿を後ろから写したところ。
色んな好みの方がいらっしゃるので一概には言えないけれど、この画像を観て「声をかけたい」と思う男性は少ないのでは?
ところがケニアではモテモテになってしまう白人女性達。
それはもちろん商売相手として「モテ」てるわけだけど、テレサはだんだん勘違いしちゃうんだよね。
「私やっぱりイケるんだわ、捨てたもんじゃないわよ」
と次からは積極的にリゾラバと関係を持とうとする。

お金でつながった関係に本物の愛を求めてしまうテレサ。
傍からは、見え見えだと分かるくらい下手な嘘にも完全に騙されてしまう。
そしてストーカーばりに相手を追いかける。
財布が底を付けば終わる関係なのに、気づかないんだよね。
仲間の白人女性みたいに「じゃ次いきましょ」くらいドライになれたら良かったのに。
失意のテレサが、単なる失恋した女性にはなっていなかったところも悲劇。
テレサは珍しくモテたためなのか、心の奥底に人種差別的な気持ちがあったのかは不明だけど、ケニアでは白人優位がまかり通ると思ってしまうんだよね。

あまり楽しみのない日常から離れた途端、自分をハリウッドの大スターのように大歓迎してくれる男性に囲まれる。
その差が激しければ激しい程、テレサのような勘違いも起きやすくなりそうだよね。
この映画を観て、「私はテレサみたいにはならない」と言い切れる女性は少ないかもしれない。
特にある程度年齢を重ねた女性は、テレサに共感するんじゃないかな。
ドキュメンタリー映画を得意としているウルリヒ・ザイドル監督だけあって、「パラダイス:愛」はまるでドキュメンタリーを観ているようだった。

「パラダイス3部作」の1作目に興味を持ったので、早速2作目も鑑賞することにした。

「パラダイス3部作」2作目の副題は「神」! 
こちらも簡単にあらすじから書いてみよう。 

敬虔で頑固なクリスチャンのアンナ・マリアの「パラダイス」はイエスと共にある生活そのもの。
毎日の讃美歌、過酷な奉仕、布教活動、それだけで休暇を過ごすには充分だ。
だが、車椅子でイスラム教徒の夫が2年ぶりに家に戻ったことで、彼女の「パラダイス」は夫婦の争いの場と化してしまう。

「神」の主人公は「愛」で主役だったテレサの姉、アンナ・マリアである。
長期休暇を海外で過ごす妹テレサとは違い、アンナ・マリアの休日は布教活動に充てられる。
マリア像を抱え電車に乗り、見知らぬ駅で降りる。
まるで訪問販売員のように、目についた家々のドアを叩く。
無償の布教活動は、同意してくれる人ばかりではない。
映画の中ではアンナ・マリアを罵倒するようなシーンが多く見られた。
その多くは移民だったようなので言葉の問題もあるし、元々信じている宗教が違うということもあるかもしれないね。
アンナ・マリアにしてみると、自分が心底信じているカトリック教が理解されないことが不思議でならないんだろうけど。

アンナ・マリアの信仰は異常に見えるほど。
祈りを捧げる、賛美歌を歌うだけなら想像するクリスチャンの姿だけどね。
アンナ・マリアは自ら体に鞭を打つ。
背中が真っ赤になるほどの回数をビシバシとね!
祈りを捧げながら膝のまま室内を歩き回るのもあったね。
狂信的という言葉以上にアンナ・マリアにとってキリストはアイドル的存在でもある。

SNAKEPIPEは宗教について詳しくないけれど、「神」の中に出てきたキリスト像を使用した自慰シーンは、かなり問題なんじゃないかな?
アンナ・マリアはキリストを思う余り「なんてハンサムなの」「胸がときめくわ」なんて言い始めるほどにキリスト・ラブなんだよね。
そして問題のシーンに続いていく。
信仰心が厚いどころか、その気持ちを性欲にまで発展させるとは本来の意味とは別物になっているように思うよ。

そして「神」の衝撃はこのシーンだけにとどまらず、実はアンナ・マリアには夫がいた、というところなんだよね。
それまで独身の一人暮らしだと思っていたのに。
なんとその夫はイスラム教徒!
キリスト教の狂信者とイスラム教徒という取り合わせだけでもブラック・ジョークなのに、アンナ・マリアは売りにしていた慈悲深さのかけらも夫に示さない。
何故、突然帰ってきたのかは映画で話していたと思うけど覚えてないよ。(笑)

そして夫の帰還から、生活のリズムが狂ったアンナ・マリアのバケの皮が剥がれていくシーンは圧巻だったね。
恋い焦がれるほどに慕っていたキリストを罵倒するんだよね。
こんなに私はあなたのために頑張ってるのに、あなたは私に何もしてくれないじゃないの!と叫ぶのだ。
見返りを求める信仰は本物じゃないよね?
「神」は恐らくキリスト教徒が多い国では、かなりの問題作だったんじゃないかな。
クリスチャンではないSNAKEPIPEにとっても衝撃が強かったからね!

ここまで観たら当然3部作のラストの作品も鑑賞するよね!
「パラダイス:希望」のあらすじはこちら。 

夏休みに青少年向けのダイエット合宿に参加した13歳の少女メラニー。
軍隊のような合宿は運動と栄養学のカウンセリングの繰り返し。
そのなかでメラニーは、仲間と枕投げをし、初めて煙草を吸い、そして父親ほど年の離れたキャンプの医師に初めての恋をする……。

3部作ラストの主人公は、「愛」の主人公テレサの娘メラニー。
確かテレサは50歳だったはずなので、37歳の時の子供???
テレサの結婚や旦那さんについては何も語られてないんだよね。 
テレサの水着姿から容易に想像できるけど、メラニーもかなりのおデブちゃん!
ダイエット目的で合宿に参加するんだけど、周りも負けず劣らずの立派な体型揃いだよね。
10代でこれでは、先が思いやられるなあ。
ちなみにここに出てる子供達、メラニーも含めて全員素人だって。
ここでもまたウルリヒ・ザイドル監督がドキュメンタリー出身という特性が生かされてるよね。

ダイエットという目的で集まった同世代とは、最初から意気投合したようで、相部屋も楽しく過ごしている。
おデブちゃん達でも、やっぱり10代の関心は恋愛なんだよね。
少しでも大人のフリをしたくてタバコを吸ったり、初体験の話を聞いたり。
どの国でも女の子って基本的には変わらないみたいだね。
それにしても目的のダイエットについては「おざなり」になっているようなので、親が無理矢理参加させた合宿なのかもしれないね?
合宿内で出る食事では足りないのか、夜中に食堂で食べ物をあさったり、化粧して合宿を抜け出してパブに出入りしたり。
全く合宿に来た意味がないことばかりしている姿は、「肥満の人は出世できない」とするアメリカ的な発想の裏付けになりそうだよね。
自己管理ができない証明になってるわけだからね。

そんなメラニーだけれど、合宿中に医者である中年男性に恋をしてしまうのだ。 
父親と娘くらいの年の差があるんだけど、これはもしかしたら父親不在の家庭に育ったことが原因なのかな?
恐らくメラニーの初恋だろうね。
どうしたら良いのか分からないけれど、少しでも近くにいたい思いから、診察室に通う。
そのうち男の後を追うようになっていく。
中年男性も実際には満更でもなかったようなので、もう少しで一線を超えてしまいそうになるんだよね。

おっと危ない!
もう少しで淫行条例に違反するところだった中年男性。 
すんでのところで理性が働いたようで良かったよ。(笑)
10代の少女に一途な目で見つめられて、言葉にしなくても「好きですビーム」を毎日浴びせられてたら、中年男性も少年時代にタイムスリップして恋愛に発展するのかもしれないね。
「愛」では「ある程度年齢を重ねた女性は共感するかも」と書いたけれど、「希望」でも同様に男性の共感を呼ぶかもしれないよね。
その中でもいわゆるデブ専の人なら、激しく同意するだろうね。(笑)
メラニーの初恋は成就しなかったけれど、この結末が最も現実的だよね。
もう少し年齢が上になって、犯罪とは無縁になってから年上に再チャレンジしましょう!
どうして副題が「希望」なのかは、この点なのかな。
若いメラニーにはまだチャンスがあるよって意味のね!
あら、そうすると50歳以上のテレサとアンナ・マリアには救いは訪れないとも言える。
人生長くなっているので、それは少し悲しいかな? 

「パラダイス3部作」は現実社会では手にできない理想的な愛に満ちた「パラダイス」を求め、セックス観光、過激な信仰、ロリコンと、危険な一線を越えてしまう3人の女たちを描いた3つの物語

なんて書いてある解説があったよ。 
確かに3人共それぞれの愛を求めていたけれど、それらは全て幻想に終わってしまったんだよね。
ハッピーエンドの映画ではなかったところにリアリティを感じるし、ヨーロッパ映画らしいなと思う。

SNAKEPIPEは仏教においての「煩悩」だったり、キリスト教においての「7つの大罪」をイメージした。
煩悩の根本にある三毒、貪(とん・必要以上に求める心)・瞋(じん・怒りの心)・癡(ち・真理に対する無知の心)は「パラダイス3部作」に当てはまりそうだよね。
三毒は人間の諸悪、苦しみの根源とされている概念だという。
「7つの大罪」は人間を罪に導く可能性があると見做されてきた欲望や感情のことを指すもので、暴食、色欲、強欲、憤怒、怠惰、傲慢、嫉妬のこと。
これもいくつも当てはまりそうじゃない?
こうして考えると、ウルリヒ・ザイドル監督は「してはいけない」とされてきた人間の愚かな行為をドラマ仕立てにして見せてくれているのかもしれないよね。

ウルリヒ・ザイドル監督の作品「インポート/エクスポート」は未見なので、鑑賞してみたいと思う。
ドキュメンタリー映画もチャンスがあったら是非観てみたいね。

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【タイトルは「La verdad y ventira」。真実とVentira。Ventiraって何だろう?】

SNAKEPIPE WROTE:

当ブログでは珍しく、2週連続で鑑賞した展覧会について記事を書いていたね。
今週もまたアートに関して特集してみようか。
SNAKEPIPEが仮想美術館を想定して、自らがキュレーターとなり館内に展示するアート作品を集める趣旨の「SNAKEPIPE MUSEUM」。
SNAKEPIPEの好みで集めている作品群ばかりなので、コンセプトはなし。(笑)
「欲しい!飾りたい」
というシンプルな理由によって紹介していくコーナーである。

今回は(も?)たまたまネット検索していたら偶然目に止まったアーティストなんだよね。
トップ画像にした不思議な絵を描いているのはCarlos Alberto Quintana Ledesma。
カルロス・アルベルト・クインタナ・リーデスマで良いのかな?
近棚や金棚じゃなくて(笑)キンタナと書いてあることが多いみたいだけど、このブログの中ではカルロス・クインタナに統一しよう。
Quincy Jonesだってクインシー・ジョーンズだしね。(笑)

カルロス・クインタナについて調べてみよう。
1966年11月29日、ハバナのヴェダド地区に生まれる。
カルロスの祖父母は文盲で、母親は3年生まで、父親は5年生まで学校に通ったと書いてある。
ということは全く教育熱心なご家庭じゃなかったということだろうね。
学校に行かなかったけれど、カルロスの父は書店関係にお勤めだったみたいね。
クインタナ一族にはアーティストがいなかったという情報もある。
カルロスが16歳のとき、有名なサンアレハンドロ美術アカデミーに入学するも、わずか4ヶ月で退学したという。
勉強嫌いに加え、家族からの理解は望めなかったのかもしれないね。

1987年からはグループ展や個展で作品を発表しているようで。
ポルトガル、ニューヨーク、スペインなどで作品が購入されているみたい。
絵を販売しているサイトも発見したので、アーティストとして生計を立ててるってことだよね。

何故カルロス・クインタナがSNAKEPIPEの目に止まったのか。
気になった作品について感想と共に紹介してみよう。

最初に見つけたのがこの作品。 
人間の頭が地面にゴロゴロしている!
ヒモ状の線が描かれているのか、本当にヒモなのかは画像では判別できないけれど、首が繋がっているように見えるんだよね。
頭からは血が流れているような物もある。
カルト集団の儀式のようにも見えてくるよ。
もしくは心理学者ユングが提唱した集合的無意識の具現化とか。
あるいは輪廻転生した魂を表現しているのか。
この画像で一気に興味を持ってしまったんだよね。

絵画にも首がたくさん描かれていた。
植物と共に描かれているため、これは地中の様子かもしれないと思う。
骸骨もあるから余計にね。
カルロス・クインタナの作品からは、明るくて楽しくてHAPPYな雰囲気は感じられない。
梶井基次郎の「桜の樹の下には」のように人間を養分にしているからこそ、花が美しく咲き誇っているかのように思ってしまう。
タイトルなどの詳細が不明なので、勝手にストーリーを作っちゃうよね。(笑)

地中の次は水中だよ!
溺死して漂っているように見えてしまう。
とても楽しい水遊びじゃないよね?
完全に姿が確認できるのは2人だけど、青い人の周りにも何かあるのが非常に気になるよ。
魚なのか、それとも人の残骸なのか。
SNAKEPIPEがキューバのアートと聞いて連想するのは、明確なメッセージを持った作品なんだよね。
カルロス・クインタナの作品は心象風景のようなので、社会主義国のイメージとはかけ離れているよ。

カルロス・クインタナの作品には、何故かアジア人のような人物が多く登場するんだよね。 
右の画像で、赤い服を着て正座している人物はお坊さんに見える。
左奥にいる黒い着物の人物は仏像のようだし。
中央の首に注がれているのは、心臓からの血液か? 
皿の上に乗った頭蓋骨も謎だよね。
キューバに仏教徒は皆無ではないだろうけど、アジア圏からの移民でもない限り珍しいんじゃないかな。
どうしてアジア人を描くんだろうね。

これもまたお坊さんみたいに見える不思議な作品。
これは一体どんなシチュエーションなんだろうね?(笑)
なんでヨガみたいなポーズで積み重なるのか。
右にいる西洋人や皿に乗った首が至るところに登場しているのは?。
なんだか西洋人がアジア人をキロ単位で買ってるように見えてしまうよ。
あと2kg足りなかったら、首を1個増やすような感じね。
カルロス・クインタナは絵画の中にアジア人が登場することについて質問されると
「多分、星の影響じゃないかな」
と答えたという。
ちっとも回答になっていないんだけど、そんな答え方をするところからしても夢想家なのかもしれないね。

2015年にROCKHURRAHが書いた「映画の殿 第14号 映画の中のニュー・ウェイブ01」に出てきたキューバ映画「ゾンビ革命 フアン・オブ・ザ・デッド」や、テレビの旅番組などを見ると、キューバは想像している社会主義国とは違うことが分かる。
50年代のアメ車が走り、道端ではラテン音楽の演奏が聞こえてくる。
歩く人達はドギツい原色の服を着て、明るい笑顔を見せている。
全員が暗い色合いの同じ服を着て、貧しさに耐えながら生きているのが社会主義国だと思っていたSNAKEPIPEが古いのか。(笑)
キューバは自由な国に見えたんだよね。
だからこそカルロス・クインタナのようなアーティストも生まれるのかもしれないね。
右の作品は病院を描いているのかな。
足から想像すると産婦人科なのかもしれない。
いろんな霊がうようよしているように見える不思議な絵だよね。

キューバでは無信教者が55%いるというWikipediaの記述に驚いてしまった。
これは外国の中では多いほうじゃないかと思うけど、どうだろう?
宗教により死生観が変わってくると思うので、無神教者は自分の好みで死後の世界を想像することができるのかもしれない。
カルロス・クインタナの作品からは、死後の世界、もしくは見たことがない世界への強い憧れを感じる。
それはやはり仏教的な死生観なんだよね。
アレハンドロ・ホドロフスキーも、南米チリ出身だけれど東洋思想や禅に影響を受けていたっけ。
そう考えるとカリブ海の島国であるキューバにも、アジアの思想に興味を持つアーティストがいても決して不思議ではないかもしれない。

自らの唾や牛乳で絵の具を薄め、素手で絵を描くこともあるというカルロス・クインタナ。
絵を描くという行為は瞑想に近い儀式なのかもしれない。
カルロス・クインタナの絵で思い出したのが、2012年に鑑賞した「ジェームス・アンソール」。
骸骨や仮面をモチーフにしていて、少し残酷な絵を描いていたんだよね。
人の顔がみっちりと大量に描かれていて雰囲気が近いように感じる。
メキシコの画家フリーダ・カーロの絵も連想したSNAKEPIPEだよ。

キューバのアートやアーティストに触れる機会がなかったので、今回知ることができて良かったと思う。
カリブ海に浮かぶ他の島のアートも調べてみようかな!
 

20180401 top
【マイク・ケリー展のフライヤー】

SNAKEPIPE WROTE:

意外に感じる方が多いと思うけど、ROCKHURRAH RECORDSでは毎年花見を実行してるんだよね。
今年はどこの桜を観に行こうか、とROCKHURRAHが言う。
なるべく人が少ない場所を選び、桜を眺めながらお弁当が食べたいと思っているSNAKEPIPE。
ところが今回は全く別の提案をしたのである。
「代々木公園はどうかな?」
これには理由があった。
ROCKHURRAHが調べてくれた、面白そうな展覧会が原宿近辺で開催されていたからなのである。
3月31日が展覧会の最終日なので、花見と展覧会を同時に楽しんでみてはどうだろう。
前述したように、なるべく人が少ない花見を心がけているROCKHURRAH RECORDSにとっては、都内での花見のメッカともいえる代々木公園は初めてのこと。
混雑は覚悟の上、出かけることにしたのである。

2日前の夏日から通常の気温に戻った3月の終わりは、これが最後の花見とチャンスと考える人が多かっただろうね。
元々原宿駅は人で溢れかえっているけれど、この日は花見見物らしき人を多く見かける。
代々木公園までの道も歩く人で渋滞している。
予想以上の人出に少しうんざりしたけれど、代々木公園って広いんだよね。
桜のメインストリート(?)を過ぎると、少しずつ人が減り、ストレスなく桜を鑑賞できる場所を確保することができた。
ここ数年の花見の中ではベストポジションだったんじゃないかな?
代々木公園と聞いて難色を示していたROCKHURRAHも満足したようだ。
今年もキレイな桜を満喫したよ!(笑)

花見を終えてから、会場まで歩くことにする。
今回はワタリウム美術館で開催されている「マイク・ケリー展」が目的なんだよね!
ワタリウムって聞いてピンと来ない人でも「オン・サンデーズ」なら分かるんじゃないかな。
実際ROCKHURRAHも「オン・サンデーズ」時代には通っていたらしい。
一体今から何年(何十年?)前のことだろうね?(笑)
代々木公園から歩くと結構距離あるよ。
良いウォーキングになったね。

さて、今回の「マイク・ケリー展」だけど、実はSNAKEPIPEもROCKHURRAHもその人、初めて知るアーティストなんだよね。
ワタリウム美術館が載せているマイク・ケリーの年表を一部流用させて頂き、どんな人物なのか紹介してみよう。

1954年 デトロイト生まれ。
デトロイト郊外のミシガン州ウェイン郡で、労働者階級の家庭に生まれる。
1970年代 地元のデトロイト音楽に熱中し、バンド「デストロイ・オール・モンスターズ」のメンバーとしても活動。
1976年 ミシガン大学を卒業し、ロサンゼルスへ移住。
1978年 カリフォルニア芸術大学で美術学修士号を取得。
在学中からさまざまなメディアを用いた詩的な作品を制作。
1980年代からは、使い古しのぬいぐるみやおもちゃを用いた作品を発表。
1987年 代表作「返済できない程の愛の時間と罪の重荷(More Love Hours Than Can Never Be Repaid and The Wages of Sin)」の制作が完成。
1988年 第43回ベニス・ビエンナーレに出展。
1992年 交流のあったロックバンド、ソニック・ユースのアルバム「ダーティ」のジャケットを手掛け、一躍世界に。
2005年 ロンドンのガゴシアン・ギャラリーで「デイ・イズ・ダーン」を発表。
2012年 ロサンゼルス近郊の自宅で死亡。享年57才。

この年表の中でROCKHURRAHが一番反応したのは「デストロイ・オール・モンスターズ」の部分。
このバンドのアルバムを所持していたらしいけど、マイク・ケリーがメンバーだったことは知らなかったそうで。
右の画像が「デストロイ・オール・モンスターズ」で、マイク・ケリーは一番左に映っているね。
もう一点、 「ソニック・ユース」のアルバム・ジャケットについても語ってくれたよ。
さすがにレコード屋だね。(笑)
ソニック・ユースと聞いてSNAKEPIPEの遠い記憶が蘇ってきた。
新宿ロフトのライブに行ったことあるんだよね。
村上隆のスーパーフラット・コレクション鑑賞」にも書いていたことすら忘れていたとは。(笑)

それでは会場の様子と感想をまとめていこうか。
ワタリウム美術館で展覧会を観るのは初めてなので、システムもよく分かってなかったよ。
ポストカードやグッズの物販がある1Fのチケット売り場に向かう。
大人2人ならペアチケットとして割引してくれるとは、ありがたい。(笑)
エレベーターで2Fに上がると、すでに目の前が人の山だった。
あやうく「つんのめり」そうになったSNAKEPIPEだよ。
そこで展開されていたのは映像作品だったんだよね。

さっぱり意味は解らないんだけど、この3人娘のインパクトはすごかった。(笑)
モノマネしてトレイン・ダンス踊りたくなるくらいにね!
2Fには他にも映像作品がそこかしこに流れていて、全部観るには相当時間がかかりそう。
少しずつ観て回ると、プッと吹き出してしまうような内容に遭遇することもある。
映像はどれも複数のシチュエーションが編集されていて、それぞれの設定につながりがあるのかどうかも分からない。
映像は唐突に切り替わるので、それぞれのストーリーを追うことが難しいんだよね。

会場にはその映像のカラー写真と、もう一枚そっくりなモノクローム写真が並べて展示されている。
これは一体どういうことだろう?
「デイ・イズ・ダーン」についての説明もワタリウム美術館から引用させて頂こう。

「デイ・イズ・ダーン」は「課外活動再構成#2−#32」の総称です。
ケリーは、もともと1日1つの映像で1年間に365になるマルチメディア大作として構想し、生涯この作品を作り続けましたが、計画全体が完了することはなく、今回ここに展示した31作品が全てとなりました。

31の映像作品が並んでいたってことなんだね? 
ではあのカラー写真とモノクロ写真の意味はなんだろう。
ワタリウム美術館の説明を読むと、どうやら高校の卒業アルバムや地域の新聞からとった放課後の「課外活動」のモノクロ写真の中から、あえて意味がないように思えるものをチョイスして、それを基に物語を作っているのだという。
ダンスの原案や音楽、シナリオテキストなどすべてがマイク・ケリーによるものとのこと。
一枚の写真からインスピレーションを受けて、映像を作っていたということなんだね。
それにしてもまあ、よくもここまでそっくりに再現するよね。(笑)

マイク・ケリーは「トラウマ」をテーマに作品制作したという。
階級やジェンダーなどのマイノリティに対する差別、トラウマや暴力、性などを題材に痛烈な皮肉やユーモアを交え作品として発表しているという説明を聞いて納得する。
SNAKEPIPEが吹き出してしまったのは、「痛烈な皮肉やユーモア」だったからね!

全部を観たわけではないけれど、登場人物がヴァンパイヤやグール、悪魔などのホラー系が多いんだよね。
目の周りを黒くしているようなゴシックっぽい化粧もよく見かけたよ。
元の写真は例えばハロウィーンや何かしらのイベントなどで撮られたものなんだろうね?
これだけ集まると、まるで黒魔術や悪魔崇拝者の集いのように見えてしまうよ。(笑)
アメリカの典型的な儀式をベースにして「偽りの記憶」を捏造した作品が「デイ・イズ・ダーン」ということになるみたい。
SNAKEPIPEはドギツい「お下品」な表現は好きなので、もっと観たいと思ったよ。
って下品好きを告白しなくても良いか。(笑)

会場2Fの天井から吊るされていたシルクスクリーンの作品は、色がとてもキレイだったね。
今回の展覧会は、残念ながら撮影が禁止されていたんだよね。
そのため左の画像は今回とは違う展示方法になっているものを採用させて頂いたよ。
マイク・ケリーがアイルランド系なのでシャムロック(クローバー)が使用されている、と書かれていたよ。
シャムロックとは葉が3枚に分かれている草の総称とのこと。
とすると、四葉のクローバーはシャムロックじゃないんだね?
アイルランドでは聖パトリックの祝日ではシャムロックや緑色の物を身に着ける習慣があると書かれている。
そのシャムロックをモチーフにしているけれど、愛国主義っぽくは見えないところがポイントかな。

ポップアートの表の顔がアンディ・ウォーホールならば裏の顔はマイク・ケリー、とワタリウム美術館に書いてある。
映画「ピンク・フラミンゴ」監督ジョン・ウォーターズがマイク・ケリーの親友だったと聞いて、更に「裏の顔」という表現に納得してしまう。
マイク・ケリーはドローイング、コラージュ、パフォーマンス、テキスタイルやビデオなど多岐に渡る作品を残しているという。

ニューヨーク・タイムズ紙によると、2012年にオランダ・コッターは、この芸術家を「過去四半世紀の最も影響力のあるアメリカ人のアーティストの1人であり、アメリカの階級、人気のある文化、そして若々しい反乱についての刺激的な解説者」と述べている。

Wikipediaに載っていた文章を引用してみたよ。
こんな賛辞が送られているアーティストを今まで知らなかったとは!
今回は映像作品が中心だったけれど、ワタリウム美術館はこじんまりした美術館なので狭苦しく感じた。
キャパシティの問題もあり、作品の全てを落ち着いて鑑賞することができなかったのが残念。

マイク・ケリーの展覧会は複数回予定されているという。
次はどんなマイク・ケリー作品を観ることができるだろうか。
今後の展覧会が楽しみだね!