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【ファッション大国だけあって見た目にこだわるバンドが多い】

ROCKHURRAH WROTE:

1970年代のパンクやその後のニュー・ウェイブを系統立てて研究してるわけでもないんだが、ちょっと聴いて気になる曲があれば興味を持って少しは調べる。
音楽好きの人間は大体そうやって幅を広げてゆくんだろうけどROCKHURRAHの場合は80年代でピッタリ時が止まったまま。90年代も21世紀になってもずっと80年代ばかり回遊してるという特異体質(?)なのかも知れない。
それだけずっと70〜80年代ばかりを追い求めてきたなら少しはマニアックな見識が増えても良さそうなものなのに、そこまでにはなってないところが実に弱いなあと自分でも思ってるよ。生半可な知識で色んな部分を食いかじった結果「これだけは誰にも負けない」という専門的な人材にならなかったからね。

昔の音楽雑誌を思い出してみると例えば「フランスのニュー・ウェイブ事情」みたいな特集はたぶんどこかでやってたと思う。それが続けて世界各国にまで特集の幅が広がったかどうか、肝心なところは覚えてないけど、そういう雰囲気を目指して企画したのが「80年代世界一周」というシリーズだ。
ROCKHURRAHは専門家でも何でもないのでその国の80年代がどんなだったかもわかってないんだけど、その程度の半端な意気込みだけで進めてゆこう。

さて、思いついた当初から長続きしそうにない企画だと自覚しているけど、第2回はイタリアにしてみよう。
大好きな国はスペインだと事あるごとに書いてたけど、我が家のスペイン・ブームが来る前はイタリアも憧れの国だったのだ。

SNAKEPIPEがイタリア物の革製品を扱ってる店で働いていた事もあって、前々からデザインや色使いの斬新さ、素材の良さなどをROCKHURRAHも聞かされていた。だから観光地めぐりのイタリアじゃなくて、日本ではあまり知られてない職人の工房とか(服飾制作用の)パーツ探したりとか、そういう目的で行ってみたい国だと思っていたんだよ。

ROCKHURRAHが個人的に興味あるのは20世紀はじめにイタリアで起こったFuturismo(未来派)という芸術運動だ。ファシズムと結びついて破壊的な行為、戦争を礼賛するような過激な思想なのはいただけないが、純粋に美術として見た時に好みのデザインが多いというだけ。

音楽の世界ではイタリアと言えばオペラ発祥の地だしクラシック音楽やカンツォーネなど、古くから音楽がすごく栄えた地だという印象がある。
そういう要素に近い(?)というわけではないだろうが、70年代にはイタリアン・プログレッシブ・ロックなどというくくりがあってそれなりに著名なバンドが色々出てたんだけど、ROCKHURRAHにとってあまり興味ある分野ではなかったからその辺もノーコメントだな。ホラー映画好きだったからその手のテーマ曲を多く手がけたゴブリンくらいか。

その後、イタリア独自の発達をしたパンクやニュー・ウェイブというのもあまり話を聞かないので、ドイツでノイエ・ドイッチェ・ヴェレ(ドイツのニュー・ウェイブ)が起こって色んなバンドが次々出てきたほどには盛り上がらなかったんだろうなと想像するよ。何かは起こってたんだろうけどシーン全体を牽引する仕掛け人みたいなのがいないとなかなか大きなムーブメントにはならないからね。

第1回のスペインと同様、ロックンロールとかグラム・ロックとかパンクやニュー・ウェイブに直接結びつきそうな音楽の下地があまりないと思える国だから期待もせずに探してみたが、さてどうだろうか?
なお、今回もイタリア語の名前は読めんので、カタカナ表記はあまりしないつもり。 

まずはこれから、Kandeggina Gangという全員女性のパンク・バンドだ。
Kandegginaって何?と思って調べてみたらこのバンドしか出て来なかったからきっと造語なんだろう。
Candegginaというのはイタリアで洗濯用の漂白剤だそうで、日本で言えばワイドハイターEXとかそういうもの。たぶんそれのスペルを変えてバンド名としたのに違いない。勝手に「コインランドリーで意気投合した女4人で結成、メンバー全員洗濯好き」などというストーリーを想像してしまうよ。

ヨーロッパを見回してみるとフランスのスティンキー・トイズやベルギーのプラスティック・ベルトランなどはイギリスのパンク・ロックと大体同じ頃にすでに活動していて時差がほとんどないと思うんだが、こういうのに相当するイタリアのバンドが思い当たらない。
いたのは間違いないんで単にROCKHURRAHが疎いだけかも知れないけど、だからイタリアに目立ったシーンがなかったように感じてしまう。イタリアと言えばまずジョルジオ・モロダーとか連想してしまうもんね。

そういうわけで同時代のバンドを思い出せなかったけど数年遅れて出てきたのがこのバンド。
1979年にミラノで結成、1980年に唯一のシングルをリリースしたKandeggina Gangはイタリアで本格的なガールズ・パンク・バンドの先駆けとなるわけかな?
ちゃんと映像が残ってるだけでも先駆けガールズ・バンドの中では恵まれてる方なんだろうけど、やってる事はスリッツやモデッツ、レインコーツにクリネックスなどと言った女流パンク・バンドの先駆けたちに追随するような音楽性。上記のバンド達よりはまだかわいげがあるけど、そこまで実験的な内容でもない。
ふう、わずか数行に「先駆け」という言葉を多用してしまったのが情けないが、このバンドはイタリア語という以外には特に目立った個性は感じられないな。第1回スペイン編で書いたアラスカが初期の段階でかなり完成された独自のパンクだったのに比べるとちょっと魅力に乏しいかな。

本人たちもそれに気づいたのかKandeggina Gangはこの1曲だけで解散。ヴォーカルのジョヴァンナ・コレッティ嬢はJo Squilloと名乗り別のバンドを始めた。正式な発音に近く表記するならジョー・スクイッロなんだろうが日本人が発音しにくいのでスキーロでいいのかな?まあとにかくJo Squillo Eletrixという次のバンドはイタリア語がパンクに見事に調和していて、元気でお茶目そうなJo Squilloの個性がやっと発揮されたバンドだと思ったよ。

1981年に出たヒット・シングルがこの「Skizzo Skizzo」だ。
Skizzoって何?と思って例のごとく調べてみたらどうやらイタリアで売ってる清涼飲料水・・・ではなくて台所用洗剤の商品名らしい。パッケージがやたら紛らわしくて子供が本当に誤飲とかしてしまいそう。
しかしそれにしても漂白剤の次は洗剤、よほどそういう系列が好きなのかねえ。

ビデオはウルレーションと呼ばれるアフリカなどの甲高い雄叫び(SNAKEPIPEに今教えてもらった)で始まり、バカっぽいけど自分の名前入りのトレーナー着て踊る姿はハリキリ若奥さんには見えてもパンクとは思えない。けど曲調はしっかりパンクや初期ニュー・ウェイブの真っ只中にあるようなもので、覚えやすい連呼型。

この曲「Violentami(レイプ?)」もパンチのある歌声と明るいキャラクターでノリノリになれるね。タイトルからすると笑って歌える内容ってはずはないんだけどなぜに明るい?
曲調はまるでラモーンズのモノマネだし、コンセプトはまるで違うけどレジロスあたりに通じる元気の出るバンドで気に入ったよ。

ジョー・スキーロはその後もソロ・シンガーとしてイタリアでは人気あったようでお色気セレブみたいな画像がたくさん出てくるが、日本ではたぶんあまり知られてない存在だと思う。歳を取ってもパンク精神を忘れずにお茶目なおばちゃんでいて欲しいね。

ジョー・スキーロのKandeggina Gangよりも前の1970年代後半から活動してたのがGaznevadaだ。
ガズネヴァダって何だ?と思って調べたが情報まるでなし。
ネット上には「80年代初期に活躍したイタリアン・テクノポップ・バンドGaznevada・・・」などと判で押したような言葉が並んでるだけで、このバンドと本気で向かい合った日本人はいないように感じる。
無論ROCKHURRAHもそれ以上に語れる材料を持ってないからおあいこ以下だけどね。

どうやら初期の方ではパンクから始まってニュー・ウェイブに至り、という点では他の多くのバンドと同じなんだけど、それからイタロ・ディスコの方面でヒットしてしまったので方向転換したように感じる。

「A.Perkins」はジグ・ジグ・スパトニックとドイツのヴィルツシャフツヴンダーを足したかのような落ち着きのない演奏と効果音に彩られた不気味な名曲。なぜアンソニー・パーキンスなのかは不明だがイタリア、なかなかやるな。
え?ヴィルツシャフツヴンダー(Wirtschaftswunder)知らない?ドイツ編を書くかも知れないので詳しくは語らないがノイエ・ドイッチェ・ヴェレと呼ばれたムーブメントの中でも飛び切りのヘンな迫力に満ち溢れたすごいバンド。このバンド名を例えに使うのはROCKHURRAHの中ではかなり上等の賛辞なのだ(←偉そう)。

上の曲とこの曲が同じバンドの同一アルバムに入った曲(「Psicopatico Party」1983年) だと言うのが信じられないくらいだよ。音楽性の幅が広すぎるのも問題だよな。

で、このビデオの「 I.C. Love Affair」はどうやらヒットした曲らしく、彼らの代表作。
聴けばまあ確かに売れ線のオーラ漂う、少なくとも1983年の音楽事情を思い出せば、どこに出しても恥ずかしくないオシャレな名曲なんだろうな。個人的には上の「モロにニュー・ウェイブ真っ最中」路線で突っ走って欲しかったけどね。

上に書いたガズネヴァダとメンバーがかぶってるそうだがご覧の通り、顔面TV仕様なのでどれが誰だかさっぱりわからん。読めん!というバンド名が続いたがThe Stupid Set、これなら英語なので読めるね。

顔がテレビと言うと真っ先に思い出すのがビル・ネルソンがやっていたビーバップ・デラックスだ。
1978年に出た最後のアルバム「Drastic Plastic(プラスティック幻想)」の裏ジャケ一面にTV顔のメンバーが写っててコンセプトとしては全く同じ。
1980年に出たのがThe Stupid Setのシングル「Hello I Love You」なんだが、ビーバップ・デラックスを知っててやってりゃ完全な盗作、知らなくてもこれくらいのコンセプトなら誰でも思いつくというシロモノではあるが。

このバンドも先に書いたガズネヴァダもイタリアの古都ボローニャの出身だとの事。
旅番組とかでもたびたび出てくる人気観光地だが街全体が煉瓦色という印象だ。
そんな古い街並みにもパンクやニュー・ウェイブの波が押し寄せたらしくて、ボローニャという都市がイタリアのパンクやニュー・ウェイブにとっては重要な地域だったらしい。見てきたわけじゃないから割といいかげんに書いてるけど。

ビデオの曲は(たぶん)ロック好きなら誰でもわかる通り、ドアーズのカヴァー。エレクトロニクスと言うよりはエレキって感じのチープな演奏にちょっとキーボードが入ってるだけで気分は初期テクノポップだよね。これぞ80年代前半ニュー・ウェイブの真骨頂。プラスティックスとかにも通じるね。
英米や日本でも同時代に紹介されてれば話題になったと思うけど、この当時イタリアに注目してたレコード業界の人はプログレ系ばかりだもんね。イタリアに限らず世界にはそういう例がたくさんあって、ちゃんと時代を見る目があればいくらでも音楽は活性化出来たのに、見る目のない年老いた業界人と見る目はあっても資金不足の若造ばかりだったな。

こちらは職人の街フィレンツェのバンド、Diaframmaだ。
ディアフランマと読むのかな?
日本語に訳すと「横隔膜」、何だそりゃ?というバンド名だが何か理由があるのだろう。
どうやらイタリアの初期ニュー・ウェイブとしては人気、知名度もあったみたいでそういうTV番組の特集とかでも必ず最初の方で映像が流れたりする。代表的な存在だったのかね?
旅番組とかでもたびたび出てくるフィレンツェだが街全体がやっぱり煉瓦色という印象だ。こんな街からこういうバンドが出てきたのは意外という気がする。

「Illusione Ottica(錯視)」は1982年に出た彼らのデビュー・シングル(のB面)だが、ジョイ・ディヴィジョン風の暗く沈んだ曲調にイアン・カーティスをかなり意識したステージ・アクションで明らかに真似っ子路線。
オリジナル(イアン・カーティス)にはない動きを模索してるような振り付けがわざとらしいよ。
イタリア語の響きがこういう音楽に合ってるのか合ってないのか?
イタリア、そしてフィレンツェと言えばゴシックよりもルネッサンスだとどこかで読んだが、建築に限らず音楽の世界でもイタリアのイメージではこういう陰気なのはあまり発達しなかったと勝手に思ってたよ。

Diaframmaはバンドとして紆余曲折があったらしくて、最初の頃はギターのみだったFederico Fiumaniが結成10年目くらいでついにヴォーカルとなってからは初期とは違う路線でたぶんもっと人気バンドとなっていった模様。

1989年の「Gennaio(1月)」はいきなり走ってきてドアップというエモーショナルさが炸裂したギターポップ風の音楽で、同じバンドとは思えないほどになってる。歌詞もとても字余り・・・。
このFederico氏、80年代型イタリアのファッション・モデルっぽい見た目に自信を持っている模様で、ギターを弾く時にざんばらりと落ちる前髪などにも、計算されたいい男ぶりが垣間見える。
80年代リヴァプールのザ・ルームというバンドも「俺っていい男オーラ」が漂うヴォーカリストだったが、それを思い出してしまうよ。

Federicoには悪いが初期と後期、どっちがいいかと言われたらイアン・カーティスの影響受けすぎて(ヴォーカルは違う人)思わず笑ってしまう初期の方がやっぱり好みだよ。

 イタリアが70年代のプログレッシブ・ロックだけでなく、80年代のニュー・ウェイブでもなかなか個性的なバンドを輩出していた国だと、今この時代に再認識しても遅すぎか?

最後はこのバンドにしてみよう。CCCP Fedeli alla lineaだ。ドイツのベルリンで結成したイタリア人のバンド、そしてバンド名がソビエト社会主義共和国連邦とはこれいかに?
CCCPの後についてるFedeli alla lineaがわからなかったからGoogle翻訳してみると「ラインに忠実なCCCP」などとさらにわけのわからない事を言ってきたよ。

いかにもハードコアという見た目のGiovanni Lindo Ferrettiを中心とするバンドなんだが、メンバーの中に意味不明のパフォーマンスをするだけの男女2人がいて、ヴォーカルのGiovanniを加えた3人が変な踊りや儀式のようなよくわからん事を披露するという鬱陶しい形式のライブらしい。
衣装なども毎回趣向を凝らして女性メンバーはファッション・モデルっぽい感じ。歌を歌うわけでもなくてランウェイを歩くみたいにウロウロしてたり、かなり不審な存在。
個性的という点では際立っているけど、何かメッセージ性がありそうな割にはやりたい事があまり伝わってこないのがちょっと残念なバンドだ。 色物バンドってほど受けを狙ってるわけでもないし、言葉の壁を越えるような何かがあれば良かったんだけど。

さて、まだまだ探せば色々出てくるはずのイタリアーノ・バンド達。いつもの事だが時間がおしてしまったので残念だが今回はここまでにしよう。

それではチ・ヴェディアーモ(イタリア語で「じゃあまたね」)!

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【80年代に戻ってこのムーブメントを体験したかった】

ROCKHURRAH WROTE:

夏が苦手なROCKHURRAHとSNAKEPIPEは毎年のように「今年の暑さは異常」などと決まり文句を言ってるけど、先週は特にひどかった。ピークは過ぎたと言うものの本当に毎日危険なくらいの暑さで早くもウンザリしてるよ。これがまだ一ヶ月以上も続くかと思うと気が遠くなるな。

ウチのエアコンは何かに祟られていたのか?全く涼しくならない、下から水がボタ漏れ、慌てて拭こうとしてROCKHURRAHが指を大怪我、交換したにも関わらずボタ漏れが全く解消しない・・・などという苦難が続いて数年の間に三回も取り替えたといういわくつきのものだが、それ以降は快調でとても効きがいい。
前の効かないまんまじゃ今年の夏は乗り切れなかったろうな。

さて、そんな猛暑の中、また尻切れトンボになりそうな新企画を考えてみた。
題して「80年代世界一周」ってのはどうだ?
小学生の頃にジュール・ヴェルヌ作品をいくつか読んだ記憶はあるが、タイトルは知ってても内容は覚えてないくらいだから、個人的にあまり感銘を受けなかったのかもね。子供の頃から王道嫌いだったもんな。
でもタイトルだけはしっかりパクってみた。

書こうとしてる事はROCKHURRAHの場合ほぼ不変で、要するに(主に)英米以外のパンクや80年代ニュー・ウェイブを国ごとのくくりで取り上げてみようというもの。ROCKHURRAHがやってる他の企画と構成はほとんど一緒だな。
おそらく2、3回書いたら飽きてまた書かなくなりそうだと予感してるけど、企画倒れでもいいから思いついたら一応実行してみるよ。ちなみにROCKHURRAHの似たシリーズ企画で「ロックンロール世界紀行」というのもあるんだけど、これも一年以上も記事を書いてないなあ。
 
記念すべき最初の回はどの国にしようかな?と考えてみたけど、やっぱり何年もウチの中でブームが続いてるスペインにしよう。西班牙と書いてスペインというのはこの記事でも書いたね。
80年代ニュー・ウェイブを数多く聴いて英米以外のレコードも見つけては買い漁っていたROCKHURRAHだが、なぜかスペイン物にはほとんど目もくれず無視していた。
たぶんその頃聴いてた暗い音楽とスペインの情熱的なお国柄が全然マッチしてないと思い込んでて、勝手に敬遠してたんだろうね。
そういうわけでスペイン物についてはほとんど知識もないまま進めてみるという無謀な今回の芸当、かなり無理がありそうだよ。
あと、外人の名前やバンド名をカタカナ表記する事が多いROCKHURRAHだが「読めん!」という場合が多数なので、 このシリーズ企画ではそのまんま書くことにするよ。調べるほどの時間がなかったのじゃ。

まずはちょっと前にSNAKEPIPEが記事を書いたペドロ・アルモドバル監督のデビュー作「ペピ、ルシ、ボンとその他大勢の娘たち」、この映画でボン役として脚光を浴びたアラスカ。
スペインのパンクやニュー・ウェイブについてほとんどわかってないROCKHURRAHにとっては数少ない知った顔(ごく最近知ったばかりだが)がアラスカなのだ。
スペインではなくメキシコ生まれだとの事だが芸名アラスカとはこれいかに?
活動してたのはマドリードなのでスペインのバンドでいいよね。

映画の中ではパンク・バンドのぽっちゃりパンク娘という役で実際に歌うシーンもあったけど、本人も70年代後半、何と14歳の頃からからKaka De Luxe、Alaska y los Pegamoides、Alaska y Dinaramaなど色々なバンドで活動していた模様。

「Horror en el Hipermercado(ハイパーマーケットの恐怖:by Google翻訳)」は1980年に出たAlaska y los Pegamoidesのデビュー曲でいかにもスペイン産B級パンクといった路線。スーパーマーケットを舞台にしたコミカルでキッチュなビデオもいいね。マルジャン・サトラピ監督の「ハッピーボイス・キラー」を連想してしまったよ。
バンド名をGoogle翻訳してみると「アラスカとペガモイデス」で訳すまでもなかった。
で、ペガモイデスって何よ?と思って調べてみたらもうひとりの女性メンバーAna Curraの別名(?)がAna Pegamoideだという事。この人も歌うし色々な楽器もこなす、スペイン・パンク界のスターなんだね。

スペインと言えば悪名高いフランコによる独裁政権が1975年まで続いて色々な弾圧がまかり通っていた時代があった。
それがフランコの死によって民主化へと移行してやっと自由な時代になったんだけど、この頃の反体制的な若者文化をラ・モヴィダ(La Movida Madrileña)と称するらしい。
見てきたわけでないから知った風な書き方はしないが、ニュー・ウェイブとかノイエ・ドイッチェ・ヴェレとかのスペイン版みたいな感じだったのかね?こういう動きの中心的な存在だったのがペドロ・アルモドバル監督やこのアラスカだったらしい。

ラ・モヴィダによってスペインの音楽は劇的に変化して、まあ要するに英米のパンクやニュー・ウェイブ、それらに影響を受けたスペイン産のバンドたちが一気に浸透していったという事だね。
面白いのはスペインの場合、マドリード市長自らこのムーブメントを推進していたというところ。「イマドキの若者は・・・」などと年寄り連中の反発もあっただろうに、若者文化に迎合してたというわけだね。さすが軽薄を恐れない国、スペインらしいね。

そういう自由な雰囲気の中で生まれたスペインのニュー・ウェイブだけど、元々ロックの土壌があまりない国なのでちょっとイビツな発達をしたような印象がある。
アラスカはこのAlaska y los Pegamoidesでは初期はチープなパンク路線(1980年、上の映像)なんだが、もう少し後のAlaska Y Dinarama時代になるとスージー・スーやニナ・ハーゲン、プラズマティックスのウェンディ・O・ウイリアムズを足したようなアグレッシブな見た目になる。がしかしその派手なルックスとは裏腹に音楽はどんどん普通のポップになってゆき、この辺が非常に残念な感じがするよ。 

1986年のこの曲なんて見た目といかにもメジャー路線の音楽のギャップが激しすぎる。
プラズマティックスはチェーンソー持ってギターの解体ショーやって喝采を浴びたけど、似たようなもの持ってるだけで曲もパフォーマンスも中庸なもの。アラスカよりも後ろの変な動きのダンサーの方に目が釘付けになるよ。見た目だけの過激さじゃいかんな。

そのAlaska y los PegamoidesのメンバーだったEduardo BenaventeやAna CurraによるバンドがParálisis Permanenteだ。例によってバンド名をGoogle翻訳してみたら「永久麻痺」との答えが。うーん、絶対なりたくない状態だな。
このバンドも基本はパンクなんだけどAlaska y los Pegamoidesよりはもう少し重厚な部分もあっていわゆるポジティブ・パンク、ゴシック的な音楽性を併せ持っていたように感じたよ。
Alaska y los Pegamoidesの方はヘタの横好きでギターをやりたがるアラスカ(勝手な想像)のせいでバンド全体のポテンシャルが低めだったからね。
アラスカ抜きのこっちは演奏力が上がったのかどうかは不明だけど、見た目も曲も雰囲気も好きな感じのバンドだ。曲によってはバウハウスっぽかったりラモーンズをマイナー調でやったみたいな路線だったり、日本ではほとんど同時代には紹介されなかったバンドなんだろうけど、プロモーションやライブ映像も思ったよりは残ってて本国では人気あったんだろうかね?

「Adictos de la Lujuria(欲望の中毒者:by Google翻訳)」は1982年にリリースされた彼らの唯一のアルバムに収録されていた曲。
ジョイ・ディヴィジョンやバウハウス、スージー&ザ・バンシーズ、UKディケイなどまだポジパンやゴシックなどと言われる前の時代に活躍したパイオニア達の影響を感じて、様式としてまだ完成されてない部分が逆に魅力だとROCKHURRAHは感じたよ。それらほどの迫力は全くないけどね。
個人的にスペインのニュー・ウェイブはスルーしてしまったが、もし同時代に知ってたならこの手のバンドは間違いなく追いかけていただろう。当時に知らなくて残念。

それにしてもこのビデオ、ドラムは「そこまでするか?」というくらい足を投げ出してやる気なさ満開、やる気なさすぎて逆にこの姿勢の方がきついだろうに、と思えるよ。
ベースやキーボードはいかにも80年代のバンドといったヴィジュアルでいいね。
少年っぽいヴォーカルのEduardo Benavente、彼の軟弱な声や見た目も絶妙なバランスでキャラクターの魅力も際立っている。
スペインのニュー・ウェイブは意外とレベルが高いという事がわかったよ。ROCKHURRAHが今この時代にこの年齢になってわかっても「もう遅い」としか言いようがないけど。
残念なことにこのEduardo Benavente、これからという1983年に交通事故で他界してしまったらしい。わずか20歳という若さだった。だからこのバンドもたった1〜2年くらいしか活動してない伝説のバンドだけど、一緒に事故に遭った他のメンバーは無事で、その後も違うバンドで音楽活動を続けているところが偉い。それが一番の供養だよ。

スペインのニュー・ウェイブはあまり知らないから軽く書くつもりだったのに、いつの間にか色々調べたりしてしまったよ。これ以降は初心に戻って短く書くことにする。
Radio Futuraもラ・モヴィダの流れで早くから知られたバンドだったらしいが上に書いたAlaska y los PegamoidesやParálisis Permanenteに比べたら見た目の素人っぽさが際立っていて、これを最初に見てたらやっぱりスペインのニュー・ウェイブは英米に比べてかなり遅れてると思ったかも知れないな。
ただしどうしようもない三流バンドにも常に注目していたROCKHURRAH、逆にこのダサさ加減も評価してしまうよ。
1980年に出た初期のシングル「Enamorado De La Moda Juvenil (青春のファッションで:by Google翻訳)」はこの年のヒット曲らしいけどいかにもラテン系パワーポップみたいな雰囲気。前のメンバー4人は学生バンドみたいなのに右後ろのキーボードだけちょっと髪が薄い年長者に見えるけど、この人のダンス・パフォーマンスのハイテンション具合がすごい。あまり目立たない後ろだからやりたい放題やってて、目が釘付けになってしまうよ。

キーボードがハジけてると言えばこの2人も本人たちは大マジメなんだろうけど、妙に気になる。
スペインのクラフトワークかYMOか?というようなシンセポップのAzul y Negroだ。Google翻訳してみると「青と黒」らしい。うーん、それくらい翻訳しなくてもわかるか?

ハビエル・カマラみたいなヒゲおやじ(通称:黒)は何が嬉しいのかわからないが始終にこやかにしてて、妙なノリノリ具合が古臭い楽曲とマッチしているね。そもそも何でニュー・ウェイブやってるの?と訊きたくなる見た目とファッションに目を奪われる。エレクトーン教室の先生とかの方が似合うんでないの?
キメキメのインカム男(通称:青)の方はこれまた80年代にはよくいたタイプだが、イギリスのこの手のバンドに比べると著しくクールさに欠けていて、それがスペインらしさという事かな?

歌うのは1983年に出た「No Tengo Tiempo(私には時間がない:by Google翻訳)」 なんだけどTVでは放映出来ないような空耳に聴こえてウチでは結構前から注目していたよ。

これは見た目と音楽性で一目瞭然、非常にわかりやすいけどスペイン版DEVOを狙ったに違いないAviador Droというマドリードのバンド。他のビデオだと初期レジデンツ風のかぶりものしてたり、これほど堂々と二番煎じの安直さに満ち溢れたバンドは世界にもそうそういないと思えるが、これでいいのか?

ところでAviador Droって何じゃろ?Google翻訳してみると「ドロフライヤー」などという意味不明の回答が出てきた。それが一体何なのか非常に気になる名称だな。

3つ前からのRadio Futura、 Azul y Negro、そしてこのAviador Droに共通して言えるのはメンバー内にパンクやニュー・ウェイブに関係なさそうなルックスの男が含まれてるどころか、実はその人こそがバンドの中心人物らしいという不思議な現象。ラ・モヴィダという流行りに便乗して全然違った事をしていた者までその手の音楽を始めたという事なのか?

スペインという国にはダークなバンドはあまりないとこちらが勝手に思っていたけど、こんなバンドもあったよ。Décima VíctimaはGoogle翻訳によると「10番目の被害者」となったが一体何の事か?
ミステリーの世界で10人もの殺人事件が起きてなおかつ犯人がまだ見つかっていないとしたら相当な大長編かよほどのボンクラ探偵か、と思うけどどうなんだろうか?犯罪阻止率が異常に低いと思われる名探偵、金田一耕助の「八つ墓村」でも10人までは殺されてなかったような気がしたが・・・。

「Detras De La Mirada (見た目の裏側:by Google翻訳)」は1982年に出たシングルで、声質といい音楽性といいジョイ・ディヴィジョンの影響を強く感じるが、ヴォーカルがかなりおっさんくさいところがとにかく残念。会社経営者が音楽の心得ある部下を無理やりバックバンドにさせたというような構図を想像してしまうよ。
ヴォーカル一人だけ座ってるし、無理やり従ってる気持ちがこの暗い曲調に表れてるのかな?(勝手に想像してるだけなので信用しないように)

どうせ知らないから好き勝手書こうとしたが、スペインの80年代がこんなにニュー・ウェイブが盛んだとは思わなかった。まだまだたくさんのバンドがいたんだけど、そろそろお時間となりましたので今日はここまで。

それではノス・べモス(スペイン語で「じゃあ、またね」)!

【マンネリだけど完治祈願でPainに関するビデオを作ってみたよ】

ROCKHURRAH WROTE:

半月ほど前にちょっと無理をしてしまい、急に腰を痛めてしまった。
その手の代表的な痛みというと誰もが思うのがぎっくり腰か椎間板ヘルニア、たぶんそれに近いものなのかな?
実はこの歳まで腰痛に悩まされた経験が一度もないのでよくわからないが、ぎっくり腰だろうがヘルニアだろうが、もっと激痛で動けなくなるという話をよく聞く。そこまでじゃないので毎日ちゃんと歩いて働いてはいるんだが、本当はもっと安静にしてないと治りにくいのは確かなんだろう。
ゆるい服装で家にいる時は日常の動作は問題なく出来るのに、靴を履いてバッグを持って歩くとだんだん痛みが出てくる。上半身と下半身がそこで分離したみたいな、かなりイヤなタイプの痛みなので早く完治したいものだよ。

というわけで最近ROCKHURRAHはこればっかり書いてるという噂の「俺たち◯◯シリーズ」、今回のテーマは自分にとって今一番密接な「痛み=pain」としてみよう。

割とポピュラーな英語で誰でも知ってるだろうし一部の薬の名前やペインクリニックという医院の名前で使われたりする。 が、日本人がこれをわざわざ英語で使う機会はあまりないと思える単語だな。
ペイン自体は体の痛みだけでなく精神的な痛みにも使える便利な単語らしいので、これが含まれる曲名も割と多く存在してるに違いない。さっそく探してみよう。

毎回ブログを書くのにどれだけ時間がかかってるんだ、と言われてしまうけど今回は無理な姿勢を長時間続けたくないという意向もあって、とにかく手っ取り早く書くというのをモットーにした。
だから動画を探す時間も短縮して「音と静止画のみの動いてない動画」みたいなのも採用したよ。
本当はなるべく動いてるようなのでやりたいんだけど、プロモ・ビデオもライブ映像もないようなマイナーどころから見つけて来てるので、仕方ないね。

最初に登場してもらったのは日本ではあまり知名度ないと思うが、プリンセス・タイニーミートの1986年の名曲「 Angels in Pain」だ。

歌詞の意味がまるでわかってないのにタイトルについてとやかく言うのも意味なしだが「痛みの天使」とはこれいかに?苦痛の中に光明を見出すというよくあるアレか?
そういう系列に疎いROCKHURRAHにはよくわからんがドーパミンとかエンドルフィンとかセロトニンとか、人の体の中で抑制したりバランスを取ったりするその能力はすごいなあと思いました。
大人とは思えないとても幼稚な感想で申し訳ない。
確かに電車とかで揺れるととたんに痛む背中・腰なんだが、気の持ちようでちょっとしたはずみに痛みが緩和する事がある。継続的な痛みで急に症状が良くなるはずがないので、これは脳内の何かが作用して暗示をかけてるんだなと思ったよ。これこそが痛みの天使というわけか。え?全然違う?

アイルランドのダブリンでパンクからニュー・ウェイブを通過した近所の悪ガキどもが兄弟とか従兄弟とかも巻き込んでバンドみたいなものを始めた。
1970年代後半から80年代にかけてはどこの都市でもそういうのがたくさんいたのは間違いないが、ひとつのバンドをやるにはメンバーが多すぎたのか(推測)だいぶ違う方向性で2つのバンドが同時期に生まれた。それがU2とヴァージン・プルーンズだった。
この2つのバンドはメンバー間で血縁関係があったり親交が深かったり、まさに兄弟バンドと言えるかも知れない。U2のボノとヴァージン・プルーンズのグッギ、ギャヴィン・フライデーは若い頃に同じ悪ガキ集団にいたというからね。
などと見てきたような書き方してるがもちろん見てもいないしインタビューしたわけでもない。

ROCKHURRAHは大成功したU2についてはあまり興味なかったけど、ヴァージン・プルーンズは大好きでよく聴いていたものだ。
女装した不気味なヴォーカル二人のデュエット。そして何とも言えない禍々しさに溢れたドギツイ音楽、当時熱狂して集めていたポジティブ・パンクというジャンルの中でもトップクラスの異端派変態的バンドだった。
彼らの独創的な音楽やパフォーマンスはROCKHURRAHのヘタな説明よりは映像観てもらった方が手っ取り早いだろう(いいかげん)。こんな感じね。

ん?もしかしてこの映像は前にも使ったか?しかも今回のペインとは特に関係ないよ。

そのヴァージン・プルーンズの初期メンバーでごく短い間在籍していたのがビンティ(Haa-Lacka Binttii)、プルーンズ脱退後に始めたのがこのプリンセス・タイニーミートというわけだ。

英国インディーズ・レーベルの最大手ラフ・トレードからセンセーショナルなデビューをした(ジャケットが国によっては発禁レベル?)にも関わらず、結局ちゃんとしたアルバムが出ずに短命に終わってしまったバンドだったな。 

歌い方にヴァージン・プルーンズからの影響が強く感じられるが電子楽器(言い方古い?)を多用してちょっとダンサブル、異端だけどなぜかポップという路線が個人的には好み。
グッギやギャヴィンという異常性が確立されたすごいキャラクターと比べると深みがないように感じてしまうが、愛すべき不肖の弟分という雰囲気が漂っていてプルーンズのファンからも支持されていたようだ。実際はどっちが年上かは全然知らないけどね。

さて、次のペイン団はこれ、カメレオンズの「Pleasure And Pain」だ。

「喜びと痛み」と聞くとSM的なものを連想してしまうが、英語さっぱりのROCKHURRAHは相変わらず歌詞とかは全く抜きにして話を進める。メンバーの見た目などから判断してそういう要素はたぶんないと思うよ。
キリスト教の国々で耐え忍ぶものと言えば試練などと言われたりするが、現代だろうが原始時代だろうが試練なんてものはどこにでも存在してる。物理的に乗り越えられないようなものに直面した時は内部に助けを求める・・・などと延々と書くつもりはまるでないけど、個人的にROCKHURRAHの今の痛みの状態じゃとても「喜び」などとは結びつかないよなあ。

1980年代初頭のニュー・ウェイブを語る時に必ず出てくるのがネオ・サイケデリックという音楽だが、60年代のサイケデリックとはだいぶ違ったニュアンスも感じられる。
一番多かったパターンと言えば、暗くてメランコリックな曲調と黒っぽい服装、うつむき加減の内向的な歌が特徴というバンド達。それらと同時代に本気の60年代型サイケ野郎がごっちゃに活動していたので、軽く一括りには出来ないジャンルではあるけど。

ジョイ・ディヴィジョンあたりをこの手の音楽の元祖として、その影響下にあるバンドが続々生まれたのもこの時代。そういう幾多のフォロワー的バンドを詳細に語るだけでも一冊の本が出来そうなくらいなんだが、ROCKHURRAHにはもちろんそんなウンチクもないのでネオ・サイケデリックに関しては当ブログでちょこっと書いたくらい。
それらとは少し違う路線で時代を乗り越えたバンドも多く存在してるけど代表的なのはエコー&ザ・バニーメンやサウンド、そしてこのカメレオンズとかになるのかな。え?後ろの2つは知らない?

カメレオンズはエコー&ザ・バニーメンと同じタイプの正統派ネオ・サイケのバンドで80年代前半に活躍した。本当のサイケデリックを知ってる世代には上記の「暗くてメランコリックな曲調と・・・」という雰囲気に属するのが正統派だと評されるのに違和感を覚える人も多くいた事だろう。
後の時代にはあまり「ネオ・サイケ」という言葉も使わずダーク・ウェイブなどと言われたりするジャンルだけど、その方が特徴を言い表してるのかもね。

カメレオンズと言えば・・・。
若き日のROCKHURRAHが上京してまだ住むところも決まってない頃、カメレオンズの「As High as You Can Go」という12インチ・シングルを買って、自分のステレオさえ持ってないのに友人の家でひっそり聴いていたのを思い出す。
家もなく仕事もなくただ音楽への情熱だけで、なーんの用意もないまま東京に出てきてしまった考えのない若き日のROCKHURRAHだが、その時も今も基本はほとんど変わってないのに自分でも驚いてしまう。
六畳一間くらいの部屋にこっそり居候してたから昼間でもコソコソしてたんだよね。
「ひっそり」というのはそういう意味。
出かける時は大家に会わないように静かに速足で部屋を飛び出したものだった。忍者みたいだね。
仕事を探し住む場所を探し、ここを出て行こうとしてたのにうまくゆかなくて、もがいていたな。
詳細はこの記事で書いたけど、友人には本当に迷惑かけたよ。

「Pleasure And Pain」はこのシングルに収録の曲でタイトルからすれば全然違った意味の曲なんだろうが、ROCKHURRAHにとっては「自分=真っ昼間に何してるかわからない怪しい人」この肩身の狭い思いこそがある意味のペインだったな。この頃はどこにも居場所を見つけられずさまよってたからね。

初期のエコー&ザ・バニーメンやティアドロップ・エクスプローズなどと似たような雰囲気のバンドで彼らよりもずっと長く活動しているカメレオンズ。ルックス的なスター性があまりないからか日本での知名度は低かったけど、地味で堅実ないい曲を数多く残していて80年代ネオ・サイケが好きだった人にはおなじみのバンドだと言える。
メンバーが描いたちょっと不気味なイラストのジャケットでも有名。

そう言えば元ビッグ・イン・ジャパンのメンバーだったビル・ドラモンドとデヴィッド・バルフによるプロデュース・チームで、初期Zooレーベル(リヴァプールの伝説的レーベル)のプロデュース活動をしていたのもカメレオンズという名前だったな。 このカメレオンズとは関係ないけどつい思い出してしまった。

カメレオンズの事を書いててさらに思い出したのがこれ。
またまた「俺たち〜」と書いてるのに女性アーティストになってしまったが、ピンク・インダストリーの1983年作「Enjoy The Pain」にしてみよう。個人的にはある意味ペイン団の女ボス的存在。

いやいや「痛みを楽しめ」などと言われても全くその気にはなれないこの鈍痛。これまでの他のタイトル見てても妙にネガティブじゃないものが続いてるな。多くの人が痛みの中に何か活路を見出したいんだろうか?
これまで骨折も大きな病気も怪我もなかったROCKHURRAHだが、それでも何度かは痛くて苦しい体験はしている。一ヶ月も続いた痛みはあっただろうか?と記憶をたぐってみても思い出せないって事は、そこまでひどいものはなかったんだろうね。痛みを語れるほどの人間じゃないな。

ウチのブログでも何度も書いてるけど(例えばこれ)、リヴァプールのニュー・ウェイブの歴史で最もルーツとなったパイオニア的存在がデフ・スクールとビッグ・イン・ジャパンの2つのバンドだった。
これを本気で書き始めるとえらい文章量になってしまうから敢えて詳しく書けないという事も何度も書いたな。

ビッグ・イン・ジャパンはリヴァプールのニュー・ウェイブ初期を支えたインディーズ・レーベル、Zooレーベルとも深く関わっている重要バンドだった。
パンクの時代、1977年くらいにデビューしたこのバンド、活動はごく短期間でシングル2枚しか出してないが、メンバーのほとんどが後に名を残した伝説のスーパー・グループなのだ。
時間短縮のためにメンバーの名前を出すだけにとどめるが、

  • ビル・ドラモンド(Zooレーベル経営者、後のKLF)
  • デヴィッド・バルフ(Foodレーベル経営者、ティアドロップ・エクスプローズなど多くのバンド参加)
  • イアン・ブロウディ(後のライトニング・シーズ、キングバード名義でプロデュース多数)
  • ジェーン・ケーシー(後のピンク・ミリタリー、ピンク・インダストリー)
  • ホリー・ジョンソン(後のフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド)
  • バッジー(後のスージー&ザ・バンシーズなど) 

大げさな書き方した割には冷静に見るとあまり誰でも知ってるような人材は出てないけど、80年代ニュー・ウェイブに詳しい人ならばすごいメンツだったとわかってくれるだろうか。

その中で今回主役となるのはジェーン・ケーシー嬢。などと当時のままの記憶で書いてるがすでに現在は60歳くらいにはなってる計算。うーむ、時が止まってるのはROCKHURRAHの頭の中だけなのか。
ビッグ・イン・ジャパンの派手なイメージを担っていたのがスキンヘッドで不気味なメイクをしたジェーン・ケーシーとまだこの頃はパンク野郎だったホリー・ジョンソンの二人だった。

このバンドは短命に終わり、メンバーはそれぞれ次の活動を始めるがジェーン・ケーシーは1979年くらいにはすでにピンク・ミリタリーを結成していたな。
アーティストとしての主義なのか何なのかわからないが、この頃はそのヴィジュアルを前面に出すことがあまりなくなって、断片的な画像でしかこのバンドを知る事が出来ないのが残念。もちろん動いてる映像も皆無。
スージー&ザ・バンシーズの暗い曲をさらに地味にしたような音楽をやってて、本当にこの人、見た目の割にはずいぶん控えめな印象なんだよな。

たぶんピンク・ミリタリーはあまり売れなかったバンドだと思うけど、エレクトロニクスな要素を強くしたピンク・インダストリーとして再起を図った(?)のが1981年。
こちらはピンク・ミリタリーよりは少しは売れたのかな?
それにしてもレコード・ジャケットも割とぞんざいで、音楽は相変わらず地味でキャッチーさがない曲が多い。リズムの使い方などは現代でも通じるものがあるだけに実に惜しい。
この美貌とファッション・センスを活かせばもっとスターになれたかも、などと思ってしまうが、それを売り物にせず音楽活動をしていたのは立派だ。

ビデオも少しだけ残っててこの「Enjoy The Pain」はオフィシャルなプロモなのか何なのか不明だけど、実写映像と絵画の効果がこの時代には結構斬新なもの。ちょっとデヴィッド・リンチの作品っぽいなと素人目には思ったけど、SNAKEPIPEはどう見るだろうか?

ペイン団の最後はこれでいいかな。
クロックDVAの1981年の曲「Piano Pain」だ。

うーん、これまでタイトルについてどうでもいいコメントをしてきたが「ピアノの痛み」なんぞ知ったこっちゃない。
実家にエレクトーンなどというどうでもいい楽器が置いてあったがこれを取り入れたプロのミュージシャンは滅多にいないと思える(この辺ははっきり知らないけど)。
鍵盤と言えばアコーディオンもなぜかあったけど、部屋で奏でるには意外と音が大きすぎて、結局家族の誰も使いこなせてなかった気がする。
中学生くらいになるとキース・エマーソンやリック・ウェイクマンなどの影響を受けて、家にピアノのあるのが羨ましかったが、そういう友人を持った事もなかった。
結局、ピアノよりは自力で購入出来るギターを持ったけど、ロクに練習もしなかったので演奏力もないままだよ。

英国ヨークシャー州シェフィールドと言えばパンク、ニュー・ウェイブの時代にキャバレー・ヴォルテールやヒューマン・リーグが登場した事で知られているけど、クロックDVAもこの辺の出身だ。
中心人物アディ・ニュートンはヒューマン・リーグと名乗る前のザ・フューチャーというバンドにも在籍していたけどデビュー前に脱退している。「ズーランダー」のムガトゥ(フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドがメジャー・デビューする前に脱退したという設定)みたいだね。
この後釜として入ったのが不気味な髪型で後世に名を残すフィル・オーキーだったという。

そのアディ・ニュートンによるクロックDVAもヒューマン・リーグと同時期にデビューした。ROCKHURRAHがまだレコード漁りを始めた頃からいるので名前は何十年も前から知ってるが意味不明のバンド名だな、とずっと思っていたよ。DVAはロシア語で「2」を表すらしいが、それがわかってもやっぱり意味不明。セクション25とかTV21とか同じ頃にそういう系統のバンド名が登場したけど流行っていたのかね?

音楽性はヒューマン・リーグとは大違いで、重苦しいリズムにアヴァンギャルドなサックスが飛び交い、低音の呪文のようなヴォーカルがかぶさってゆくというもの。相変わらず表現が陳腐だな。
まだニュー・ウェイブが登場して細分化されてないような混沌の時代に生まれた刺激的な音、こういうバンドがあったからこそ後の実験的な音楽が発展していったんじゃなかろうか。

体調や時間の関係もあったからちょっと短いけどこの辺でやめておくね。
腰は一回痛めると持病のようになって再発しやすいらしい。安静に療養出来るような境遇じゃないからなかなか治らないけど、早く自由に歩き回れるくらいには回復したいものだ。

それではまた、スローンラート(アイルランド語で「さようなら」)。

【恒例のValleyにちなんだビデオ。時間不足でいいかげん】

ROCKHURRAH WROTE:

タイトルに同じ単語が含まれた曲を集めて、いいかげんなコメントしてゆくだけのお手軽企画がこの「俺たち○○シリーズ」だ。
ただし時代は1970年代から80年代、パンクとニュー・ウェイブからほとんど選曲するというのがROCKHURRAH RECORDSの流儀なのだ。今、この時代にこの手の音楽に興味ある人がどれくらいいるのかは全然わかってないが、読む人をかなり選ぶブログなのは間違いない。

さて、どんな単語でもいいんだけど、今回はたまたま思いついたのでValleyという単語がつく曲を選んでみたよ。
谷とか谷間を意味する言葉なのは大抵の人が知ってるとは思うが、これをカタカナ英語で言ったり書いたりする機会はあまりないはず。
日本のカタカナ表記が曖昧なのかバレー、ヴァリー、ヴァレー、ヴァレイなどといくつもの表記がされてて、一体どれが最もポピュラーなのかよくわからないよ。 
バレーなどと書くとバレーボールのバレーと間違いそうだが、あれはVolley、つまりサッカーのボレー・シュートと同じ綴りでさらにややこしい。じゃあ何でボレーボールにしなかったんだ?と思ってしまうよ。
というわけでかなりあやふやなこの言葉、ROCKHURRAHは迷った末にヴァリーを採用したが、大多数の人にとってはどうでもいいよね。

谷間と言えばROCKHURRAHが思い出すのが子供の頃に大好きだった望月三起也の漫画「ワイルド7」。
この中のエピソードに「谷間のユリは鐘に散る」というのがあって、他の鮮烈な長編(註:「ワイルド7」はコミックス1冊だけで終わるエピソードもあれば数冊に渡って繰り広げられる長編エピソードもあった)に比べると印象は薄いんだけど、タイトルだけは即座に思い出したよ。
世の中の悪党をやっつけるために悪党、犯罪人の中から選抜した白バイ部隊というのがワイルド7の設定なんだけど、読者の度肝を抜くド派手なアクションとストーリー展開に夢中になった少年(今はおっさん)も多かった事だろう。まだタランティーノもロバート・ロドリゲスも登場してなかった時代、70年代初頭の日本にこんな派手なアクション漫画があったのは全世界に誇れる事だと思うよ。
メンバー全ての描写が細かくて本当に生き生きしてたからね。

などと関係ない回想にひたってしまったが、これはもう本気で全く関係ないので書いた本人もビックリ。 

ヴァリー部として真っ先に挙げたいのがスキッズのヒット曲「Into The Valley」だ。
彼らの最も有名な曲であり70年代パンクでValleyと言えばこれが決定版というほどの知名度。
タイトルをGoogle翻訳してみると「イントゥザバレー」だって、うーむ。そりゃ訳になってないぞよ。
次にエキサイト翻訳で直訳してみると「谷に」だとさ。それ以上の意味はないんだろうけどなんかそっけないぞ。

このブログでも何度も書いてるけど、スキッズは70年代後半にデビューしたスコットランドのパンク・バンドだ。こんな記事でも特集したね。
中心となるのはヴォーカルのリチャード・ジョブソンとギターのスチュワート・アダムソンで残りのメンバーはパートタイムみたいな感じだったな。後にヴィサージでスティーブ・ストレンジの相方になるラスティ・イーガン(元リッチ・キッズ)や元ウェイン・カウンティ&エレクトリック・チェアーズのJJジョンソンなどもパートで働いていたね。

パンクとは書いたが初期のスキッズにいわゆるロンドン・パンクっぽさは特になく、スコットランド民謡のバグパイプみたいなギターとリチャード・ジョブソンの野太いヴォーカル、応援団風の男っぽいコーラスが一体となったところに独自性があったな。
それからパワー・ポップのような路線にもなったし、ニュー・ウェイブ世代の正統派ブリティッシュ・ロックみたいな方向に落ち着くかと思いきや、この辺でスチュワート・アダムソンが脱退。
自身のバンド、ビッグ・カントリーを結成しスキッズの路線をことごとく継承、そしてスキッズ以上の大人気バンドになってしまった。大半の曲をアダムソンが書いてたのでスキッズ路線を継承して当たり前なんだけどね。
音楽的な要だったアダムソンが抜けて、最後の方のスキッズはよりトラッド色を全面に打ち出した予想外の方向に進んで行くが、これはあまりポップでもなくロックっぽさも大幅に減少というマニアックな世界。当然元からのスキッズ・ファンに受け入れられず、売れるはずもなく、ここで解散という事になる。
実はROCKHURRAHはこの時代のスキッズを高く評価してるんだけどね。

「Into The Valley」はそんな末期のスキッズなど想像も出来なかった1979年、彼らにとっては初期のシングル。
本国イギリスでヒットしたから日本でもリリースされた数少ないパンク・シングルの一枚だな。
この邦題、というかカタカナ・タイトルが「イントゥ・ザ・ヴァリー」、ROCKHURRAHがタイトルにヴァリーを採用したのはここからなんだよ。「俺たちバレー部」じゃ当たり前過ぎる全然違う話を想像してしまうからね。

誰でも知る大物パンク・バンド以外は義理で一枚出して、売れなかったらそれ以外のシングルは出さないというのが日本のレコード会社のやり方なんだろうかね?
結局、売れなかったのかスキッズのシングルは日本ではたぶんこの一枚のみ。
アルバムの方も1st「恐怖のダンス」と3rd「アブソルート・ゲーム」のみが出て、どう考えても売れそうじゃなかった4th「Joy」はともかく、売れそうだった2nd「Days In Europa」も出さなかったのは何で?と思ってしまうよ。当時、ヴァージン・レーベルを出してたのはビクターだったかな。

さて、これはライブ映像ではあるけど音声の方はスタジオ録音そのまんま、いわゆるプロモーション・ビデオになるのかな?このビデオの頃はまだ19歳くらいだったリチャード・ジョブソンのスポーツマンらしい激しいアクションが大げさ過ぎるけど、今でもノリノリになれる大名曲。みんなで拳を振り上げて「アホイ、アホイ!(船乗りが他の船に呼びかける「おーい」というような意味の言葉)」と怒鳴れば気分はもう1979年だね。

お次のヴァリー部はこれ、ジェネレーションXの1979年作「Valley Of The Dolls」だ。
同年に出た彼らの2ndアルバム「人形の谷」のタイトル曲でもありシングルにもなったけど、このアルバムには「King Rocker」という強烈なヒット曲があり、その陰に隠れてあまり知名度はない曲。
イチイチ翻訳する必要はなさそうだけどGoogle翻訳してみると、ちゃんと「人形の谷」になってたよ。

「Valley Of The Dolls」という原題を検索すると出てくるのはジャクリーヌ・スーザンのベストセラー小説「人形の谷間」とそれを映画化した「哀愁の花びら」だが、60年代にチャールズ・マンソン・ファミリーの一員によって惨殺されたシャロン・テートが出演していた映画として一部で有名。
ジェネレーションXの曲はタイトルが一緒なだけでおそらく何も関係なさそうだけど。

ジェネレーションXは上のスキッズなどと同じく、ロンドン・パンクの第二世代くらいにデビューしたバンドだが、レコード・デビューがやや遅かっただけでパンク初期から有名人だったのが後にソロとして大ヒットするビリー・アイドルだった。元チェルシーだしね。
後にド派手な見た目と音楽でセンセーショナルな話題を振りまいたジグ・ジグ・スパトニックを結成するトニー・ジェイムス、少年っぽさが残るアイドル系ギタリスト、ボブ・アンドリュースなど、ルックスの良さもあってさらに曲も良い。
ジェネレーションXは他のパンク・バンドと比べるとバラード的大作志向があり、いわゆるチンピラなだけのバンドよりはずっと構成力も演奏力もあり、つまりはこの時代に売れる要素が詰まったバンドだったと思うんだけど、予想ほどには大ヒット曲もなかったのが残念。
パンク直後のニュー・ウェイブ世代にうまく乗り換えする事もなく、割と短命に終わってしまったという印象があるけど、最初の二枚のアルバムは聴きまくったものだ。

「人形の谷」は特にROCKHURRAHの地元、北九州の図書館の視聴覚室で何度もリクエストして聴いてた覚えがある。ここのお姉さんがパンク好きだったからよく通ってたんだよね。
こんなに聴いてたくせになぜか自分では持ってなくて、東京に出た数年後にひっそり買ったんだった。
この頃はまだ知らない新しいバンドを仕入れるのにほとんどの金を使うという方向性だったからなあ。

ビリー・アイドルの歌声も聴けばすぐにわかる特徴のあるもので、顔立ちのインパクトも際立ってるな。

今回集めたヴァリー部はパンク系が多いけど、次はコープス・グラインダーズの「Valley Of Fear」にしてみよう。しつこくGoogle翻訳してみたら「恐怖の谷」となってた。シャーロック・ホームズのシリーズに同名タイトルがあるが、このジャケット写真見てたらあまり関係はなさそう。

元はニューヨーク・ドールズ(の母体となるバンド)のギタリストだったというリック・リヴェッツがドールズ脱退した後に作ったのがこのコープス・グラインダーズだ。ちなみにリヴェッツが辞めた代わりにドールズに入ったのがシルヴェイン・シルヴェインだった。
コープス・グラインダーズの初期にはドールズのアーサー・”キラー”・ケインもいたというからまさにドールズ直系。
そっくりな名前の日本のバンドがいるので間違えられやすいが、別にマネしたわけではなくてたぶん「人間ミンチ」という70年代のB級ホラー映画の原題がCorpse Grinders、どちらのバンドもここから取ったんじゃないかな? 

ニューヨーク・ドールズと言えばあらゆるバッド・テイストが集まって奇跡的にもその筋の主流となってしまったバンドとして名高いが、ニューヨーク・パンクを語る上では外せない最低で最高のロックンロール・バンドだね。

で、このコープス・グラインダーズの方はベースとギターにそのDNAが流れていたわけで1stシングルは確かにラウドでB級テイストに満ち溢れた乱暴なパンク路線、ホラー映画っぽいメイクもドールズ時代にはなかった新要素なので、これは好きだった。
しかし”キラー”・ケインがいなくなった後の本作、1984年に出た唯一のオリジナル・アルバム「Valley Of Fear」ではリズム・マシーンにシンセサイザーまで取り入れた迫力ない異端のロックンロールが展開してゆく。このチープさウソっぽさも魅力なんだけど、ニューヨーク・ドールズ直系を想像してた人にはあまり受けなかったかもね。
見た目からするとポジティブ・パンクやサイコビリーのバンドみたいでもあるが、それともちょっと違う独自のアングラ感があるので、ROCKHURRAHはその点を評価しているよ。

時間があまりないので手早くいってみよう。
お次のヴァリー部はこれ、ROCKHURRAHの大好きなスクリーミング・デッドの「Valley Of The Dead」。1982年のデビュー・シングルだな。
またまた翻訳してみると「死の谷」、え?いちいち翻訳しなくてもわかる?

「死の谷」と聞いても特に何も思い出さなかったが、橘外男の「死の蔭(チャブロ・マチュロ)探検記」というのを急に思い出した。少年時代は戦前戦後くらいの探偵小説が大好きで教養文庫の小栗虫太郎、夢野久作、久生十蘭、香山滋、橘外男などを片っ端から読み漁っていた。夢野久作だけは米倉斉加年が扉絵を書いてた角川文庫版の方が好きだったけど、他の作家はこの教養文庫のシリーズが最も手軽で探すのに苦労しなかったから愛読してたものだ。
橘外男は全然興味ないタイプの著作も多かったけど、刑務所に入ってたなどかなりの無頼漢で独特の魅力があった作家だ。
小倉(福岡県北九州市)のナガリ書店や福家書店、宋文堂などなど、今はあるのかどうかさえ知らないけど、当時よく行ってた本屋が懐かしい。ROCKHURRAHが少年の頃の小倉には輸入レコード屋がほとんどなかったから、本屋に行けばROCKHURRAHがすぐに見つかるというくらいに長時間をこの辺で過ごしたものだ。
これまた全然関係ない話だったか。時間ないなら先を急げよ、と本人に突っ込まれてしまうありさま。

スクリーミング・デッドはいわゆるポジティブ・パンクと呼ばれた音楽で「永遠の中堅」とROCKHURRAHが常に思ってたバンドだ。初期はレコード出す金もなかった(?)ようでカセットを自主制作販売してたみたいだが、結局シングルのみでアルバムも出さずに解散してしまったところが中堅以下。
ちょっと鼻にかかったチンピラ声でパンクっぽいのから日本のGSみたいな曲調までを歌い上げるところが個人的には好みだった。 彼らのディスコグラフィを調べてみると、当時はほぼ全シングルを所有していた事が判明した。それくらい気に入ってたんだろう。
ポジティブ・パンク、ゴシックという音楽のような重苦しさはあまりなく、単にホラー要素があるパンクというだけで、音楽的な印象は違うが上のコープス・グラインダーズとかと同じような立ち位置なのかも。そう言えばジャケットの構図も似てるしね。 

動かない動画が続いたので飽きてきたろうから、お次は動きのあるこれを選曲してみよう。
ソニック・ユースとリディア・ランチによる「Death Valley 69 」だ。ヴァリー部としてはこれを見過ごすわけにはいかないからな。
もはや翻訳する必要性はないけど律儀にやってみたら「デスバレー69」、そりゃそうだ。
車のボンネットで目玉焼きが出来ると評判のデスヴァレーはアメリカ人だったら誰でも知ってるところなのかな?ROCKHURRAHもSNAKEPIPEも地理には疎く、日本に住んでても阿寒湖と屈斜路湖の区別さえつかないけどね。
パット見のタイトルはカッコイイけど、デスヴァレーは国立公園だから日本で言えば「十和田八幡平(国立公園)78」などとタイトルつけるのと同じノリかね? 

ソニック・ユースは1980年代初頭から活動していたニューヨークのバンドでロック界随一の巨人(推測)のサーストン・ムーアとキム・ゴードンの夫妻がバンドの中心だった。
独特のギターによるノイズとパンクやサイケデリックがごちゃ混ぜになったような音楽は90年代以降ではよくあるオルタナティブってヤツだけど、彼らが始めた頃はまだアングラなものだったな。
それよりちょっと前の時代、ニューヨークで流行ってたノー・ウェイブという動きがあったけど、ソニック・ユースのはそこまでヒステリックではない感じ。最初はどちらかというとイギリスのオルタナティブ系と呼ばれた音楽寄りだったと記憶するよ。 個人的にはこの初期の頃の方が好きだった。 
こないだ観てきてSNAKEPIPEが記事を書いてくれたマイク・ケリーやゲルハルト・リヒターなどレコード・ジャケットにもこだわったバンドだね。 

この曲は1985年の「Bad Moon Rising」に収録されてシングルにもなった大作。
この頃はまだ大人気になる前のインディーズ・バンドだったにも関わらず映画風のプロモーション・ビデオが作られている。
ゲストの金切り声ヴォーカリストがノー・ウェイブ界の裏女王、リディア・ランチという組み合わせ。
ビデオはカルト宗教っぽい感じがしてかなり不穏な雰囲気の危ないもの。銃社会アメリカだから、この映像はシャレにならんぞ、というリアルさがあるな。 

何だか明るくない系統のものが続いたから最後はあまり毒のなさそうなのにしてみよう。
Allez Allez、綴りは難しくないのにこういうのが一番読めん・・・とずっと思ってたバンドだがディスク・ユニオンによるとアレ・アレというらしい。ではそれでいってみよう。
アレ・アレの「Valley Of The Kings」だ。
「どんだけ英語が苦手なんだよ」と言われそうだが例によって翻訳してみると予想通り「王の谷」。

NHKスペシャルとかで去年くらいやってたピラミッド特集や王家の谷、などと聞くとついつい興味を持ってしまうが、SNAKEPIPEもそういう知的好奇心が豊富なタイプで良かった。
二人の見た目からはすごく意外だけど歴史モノも好きで、王家の谷とはまるで関係ないが「英雄たちの選択」とかも毎回観てるからね。

アレ・アレはリアルタイムでレコード屋ではよく見かけたジャケットだったが、レゲエかアフリカンのような印象があったから、その辺が苦手なROCKHURRAHは素通りしていたよ。
実はアフリカともジャマイカとも関係なさそうなベルギーのバンドで黒人も一人しかいない、それでもアフロとかファンク、ダブという夏向けの曲調でたぶん人気もあったらしい。本格派ではなくてあくまでニュー・ウェイブの一種だったらニセモノ音楽が大好きなROCKHURRAHでも理解できるだろう。
という事でずっと食わず嫌いだったこのバンドのビデオを観てみたら、これがなかなかいいでないの。
バックのメンバーは何だかわからないがバカっぽい派手な動きをしているしヴォーカルの紅一点はこの衣装と姿だったらクールじゃないか?と思わせておきながら結構微妙な表情だし、決して暑苦しくならない感じがいかにもニュー・ウェイブ世代。

今回はかなり遅くなってしまってSNAKEPIPEにも迷惑かけてしまったよ。
次からは下準備して取り掛かるからね。

それではまた、パアラム(タガログ語で「さようなら」)。