Funnyちゃんミュージック2

【タイトルの元になったのがこの曲。単に語呂が似てるだけ】

ROCKHURRAH WROTE:

今まで大きな病気をした事がなくて病欠などもほとんどなかったROCKHURRAHだったが、先週末くらいから滅多に出ない高熱でヘロヘロになってしまった。ロキソニンを飲むと熱は下がってスッキリするんだけど、気がつくとまた高熱になってるという繰り返し。
しかも週明けの月曜日には東京で久々の大雪、帰る頃には吹雪と言えるような状態の中、無謀にも数十分も歩いて全身真っ白けになってしまった。これが悪かったのかな。
で、滅多に行かない医者に行って検査するとあっさり「インフルエンザB型」だと判明した。
小学生くらいで罹った記憶があるけど、大人になってからは実は初めてかも。
B型はそこまで高熱が出ない場合もあるし、単なる風邪と見分けがつかないとちょっと前のTVで知ったが、まさにそれ。
熱はあっても普通に起きていられたし薬ですぐに熱が下がる、自分でインフルエンザかも知れないとは全然思ってなかったんだよね。
しかしインフルエンザだとわかった途端に急激に体調不良となって寝込んでしまった。

となると感染している可能性が高いのがSNAKEPIPE。元気に見えたけどやっぱりビックリするような高熱を出したので、ROCKHURRAHの翌日に病院に行き、予想通り同じインフルエンザと診断された。
今も寝込んでる状態。

何年か前の正月に二人で風邪ひいた事はあったけど二人揃ってのインフルエンザ、完全休養は初めての経験だよ。
人によってはありふれたものだろうけどね。大人になってここまで寝込んだのも初めて。あまりにも長時間横になり過ぎて腰や背中が痛いよ。

ちなみに医者に行くとロキソニンは飲まないで下さいと言われた。ROCKHURRAHがそういう知識もないままに熱冷ましとして飲んだのが危険だったらしい。もう遅いよ。
ちょっと体調悪いだけですぐに気軽に医者に行けるような、ヒマのある人は限られてると思うのだが、医者は必ず「何かあったらまた来てください」と気軽に言う。病院の隣に住んでるわけでもないし病院が開いてる時間には行けない人も多数だと思うけどね。

というわけで今週のブログはようやくインフルエンザのピークが過ぎたと思われるROCKHURRAHが書いている。
あまり頭が回らず朦朧としてるのでヒネリのない軽いものにしないとな。テーマはうーん、闘病記・・・というのはウソで深く考えなくても済みそうなものにしてみようか。
病気だったら無理せず休めば?と言われそうだがブログ開設以来休み無しに続けてきたものだからね。その代わり本当に軽くしか書けないと思うよ。 

さて、この「Funnyちゃんミュージック」というタイトルの記事を前に書いたのは何と2010年の事。
他の人やキャラクターの名前でFunnyちゃんというのがいるようだけど、それらとは一切関係ないので先に断っておくよ。
ファニーなんて言葉は今どきあまり使われないとは思うけど本来は「おかしくてこっけいな」というような意味だと思う。昔「ファニーゲーム」というシャレにならんくらい悲惨で後味の悪い映画もあったから逆説的に使われる事も多いんだろうね。
そんなカビの生えたようなテーマを再び持ち出して第二弾を書いてみようとしたのは、単に病気であまりネタを深く考える頭脳がなかったから。人が考えるファニーなものとは少し違うとは思うけど、構わず進めてゆこう。

L’Echo Raleur(読めん)を知ったのは「SANG NEUF EN 89」というフレンチ・ニュー・ウェイブのコンピレーション・アルバムを持っていたからだった。
タイトルにある通り1989年にリリースされたもので、もはや「ニュー・ウェイブ」って時代でもないけど、この当時は個人的にフランスの音楽に注目していて、特にレ・ネグレス・ヴェルトとマノ・ネグラのすごさは遠く離れた日本でも一部では大ブームとなったほど。ROCKHURRAHもこの二つのバンドには熱狂したものだ。
その両方のたぶん未発表曲に加えてさらに、注目していたワンパスまで収録されていたからこれは一粒で三度おいしい。このコンピレーションは普段あまり知ることのないフレンチ・ミュージックの未体験バンドが他にもいっぱい入ってるに違いないと思ってすぐに買ったのだった。
ちなみにこの当時は全く知らなかったが後に「ムード・インディゴ うたかたの日々」や「グッバイ、サマー」などなど、映画監督として著名になるミシェル・ゴンドリーが在籍していたバンド、Oui Ouiも入ってたな。

そんなコンピレーションの中で妙に気になる童謡のような曲があって、それがつまりこのL’Echo Raleurによる「La Carmagnole」だったというわけだ。
「ラ・カルマニョール」は有名なフランス革命の歌らしいが、そんな事を知ったのもずっと後になってから。この当時は聖歌隊の音楽か何かだと思ってたよ。フランスではみんな当たり前にこの歌を知ってて当然なのだろうか?

L’Echo Raleurが何者なのかは実は今でも知らないんだが、フランスのミュージカルやってる劇団なのかな?演劇もショービジネスの世界もフランス文化も疎いもので申し訳ない。
このビデオもフランス革命のような衣装でドキュメンタリー映像っぽいから、たぶんそういう公演があったんだろうかね?「ラ・カルマニョール」の方はだいぶ後半になってようやく歌い出すんだけど、とにかくハチャメチャでパンキッシュで楽しげな様子。え?歌に合ってない?いやいや、これぞフレンチ流革命パンクってヤツだよ(想像)。
ROCKHURRAHが言うところのFunnyちゃんミュージックにピッタリな曲。

お次のFunnyちゃんはこれ、ROCKHURRAH RECORDSの主旨である70〜80年代とは違ってるけどヴァセリンズ2014年作の名曲「High Tide Low Tide」より。

ニルヴァーナのカート・コバーンが大好きだったバンドで何曲かカヴァーしてた、というところで90年代に再評価されて知った人も多いだろう。あるいはその前、リアルタイムで聴いてたギター・ポップ、アノラックのコアなファンもいる事だろう。
その辺の音楽を志す人にとっては聖地であるスコットランドのグラスゴーやエディンバラの伝説的なバンドで、みんなが大好きだったのがヴァセリンズだったね。 
ちなみにアノラックというのは特定の音楽を指すジャンルなわけではなく、グラスゴー周辺のギター・ポップの立役者、パステルズあたりから言われ始めたような記憶がある。
プルオーバー型のマウンテンパーカーみたいな防水アウターをみんな着ていて、そういうバンドたちがやってる音楽がヘナチョコだったからアノラック=それ系のバンド、というような捉え方ね。

ヴァセリンズは1986年から90年という短い期間に活動してたバンドで音楽のメインストリームで語られる事はなかったけど、ユージン・ケリーとフランシス・マッキーの男女ヴォーカルを中心とした、ゆるくてなごやかな音楽はまさに「エバーグリーン(今どきあまり使われない言葉だが)」なものだった。
「Molly’s Lips」における自転車のパフパフというおちょくったような効果音、「Son Of A Gun」における迫力あるイントロとは裏腹のヘナチョコなヴォーカル。ロック的なカッコ良さ、カッコ良く見せようという気構えとは無縁の世界を愛する人も多いはず。

その彼らは解散後にニルヴァーナによってまた注目される存在になったが、解散後20年してから奇跡のような復活をして往年のファンをビックリさせた。2010年と2014年にちゃんとしたアルバムを出してるので狂喜して、あるいは複雑な思いで聴いた人も多かろう。
「複雑な思い」というのはリアルタイムでファンだった人に多いけど、あの頃はまだ若くてアノラックやギター・ポップにハマってた。でも今の歳取ってしまった自分はもはやギター・ポップ少年少女じゃなくなってしまった・・・というヴァセリンズじゃなくて自分自身に対する複雑な思いね。
音楽好きだった自分をそのまんま、今でも保ち続けていられる幸福な人たちばかりじゃなくて趣味を何かのキッカケで手放してしまう人も多いからね。

そんな人がこのビデオを観たなら、彼らが時を越えて復活した姿に驚くかも知れない。ちゃんと「いい歳の取り方」をしてるからね。いや、逆か。
とにかくユージンとフランシスは2014年当時、50歳くらいだと思うが1986年の青春真っ只中じゃなくてもまだこんなにチープなFunnyちゃんでいられるのが素晴らしい。
ROCKHURRAHとSNAKEPIPEもかくありたいものだ。

ROCKHURRAHが80年代に何の予備知識もないまま中古盤屋で購入、聴いた瞬間に衝撃を受けたのがこのAuntie Pusのシングルだった。深みのない緑色とピンク色でモミアゲの長い男の横顔が描かれたヘタなイラストのジャケット、「これは!」と思って買う要素が皆無のレコードだったが「何だかわからんが人が手をつけなさそうなもの」を好んで漁っていたので、きっとこのシングルもそういう趣向で選んだのだろう。
メンバー・クレジットもレーベルも知らない変なジャケットのレコード、演奏はこれよりチープなバンドはいくらでもいるけれど、何この酔っぱらいの調子っぱずれみたいに力の抜けた歌い方は?

ヴィック・ゴダード&サブウェイ・セクトもかなりヘロヘロな歌い方が特色のバンドだけど、それを上回るB級オーラ漂う変なバンドを見つけたので、この当時は嬉しくて友達みんなに勧めたけど、誰も認めてくれなかったよ。 

日本語で書かれた情報が少ないんだが、アンティ・パス(パスおばちゃん?)なるモミアゲ男、テニスで有名なウィンブルドン出身のパンク吟遊詩人みたいな人物らしい。バンドのメンバーにはダムドのラット・スキャビーズが本名で参加してるようだし、プロデュースはプリティ・シングスのディック・テイラーという、どういう結びつきなのかよくわからん人脈を持っていたようだ。こう聞くと上記のサブウェイ・セクトの方がよほどB級という気がしてくるが、日本での無名度ではダントツでこちら。
途中のやる気なさそうな「フゥ~」という掛け声はFunnyちゃん度も満点だね。

前置き長かった割には本文の方はアッサリ、まだ病み上がりなのでこんなもんで許してね。
最後のFunnyちゃんはドイツより、ディー・ドラウス&ディー・マリナスの1981年の大ヒット曲「Fred Vom Jupiter(木星から来たフレート)」だ。

ROCKHURRAHがよく話題にするドイツ産のニュー・ウェイブ、ノイエ・ドイッチェ・ヴェレの一種だが、ドイツ国内で大ヒット・・・などと言われても遠く離れた日本では一般的にはほとんど無名だったりする。
1981年当時、まだ弱冠17歳だったアンドレアス・ドーラウがさらに若いローティーン少女数人を侍らせて歌わせて踊らせる、年齢差がそこまでじゃないからロリコンとまでは言われないかも知れないけどなあ。
全員を水着にしてニヤついてたり(そういう写真が残っている)マリナスの衣装が微妙に彼の好みが見え隠れするようなものだったり、結構禁断な感じのヘナチョコ・エレポップに仕上がってる。

この曲は学校の課題で作曲したもので、ドイツのヘナチョコ大御所であるデア・プランのアタタック・レーベルよりリリースしたところ、予想外の大ヒットだったというような話を聞いたが、みんなが想像するような苦労知らずの軽薄才子ではないみたいだよ。

が、映像はあくまで軽薄才子に徹していて、浮世離れした御曹司みたいなイメージを売り物にしていたんだろうか。創作ダンス&やる気なさそうな歌声の女の子たち、どういう縁でこの晴れ舞台に立ってるのかが不明なんだけど、何か光るものがあったのかそれとも単にアンドレアス・ドーラウの好みなだけなのか?

以上、あまり盛り上がった事も書けなかったがROCKHURRAHの意図するFunnyちゃんな音楽というものが少しは伝わっただろうか?

SNAKEPIPEは一旦熱が下がったものの、また高熱が出て治りが遅いのでかなり心配してるところ。インフルエンザ菌と戦うための高熱だとは思っていても、体力がイマイチないからなあ。
予定では今週に「デヴィッド・リンチ:アートライフ」を観に行くつもりだったが、今はそれどころじゃないよ。
早く良くなって一緒に出かけたり、二人で料理を作ったり、楽しく過ごしたいものだ。ウチのFunnyちゃんだもんね。え?それはハニーちゃんの間違いか・・・?

ではまたドヴィジダネ(ブルガリア語で「さようなら」)。 

Funnyちゃんミュージック

【ファーにいちゃんミュージック】

ROCKHURRAH WROTE:

今回取り上げるのはROCKHURRAHが好きな子供っぽい音楽の数々だ。
子供っぽいの解釈も定義も人によってマチマチだから読んでくれたみなさんと全てを共感出来るとは思わないが、ROCKHURRAHが考えるのはごく普通に稚気を感じるようなファニーな歌、というニュアンスでいいだろう。
子供の歌だからって決してアンパンマンやドラえもんの歌をパンク風にカヴァーしたもの、とかは選ばないつもりなので安心して。ちなみに電車や街中で見かける本物の子供はちっともかわいくないし大嫌いなんだが、これから取り上げるような音楽を好んで育ったような子供がいたら少しは考え直してもいいかな(ウソ)。

もう一つちなみにタイトルはビル・ネルソンズ・レッド・ノイズの名曲「Furniture Music」からのパクリだ。ビル・ネルソンのタイトルの元ネタが現代音楽家エリック・サティにあるから、かなり由緒正しいパクリであることは確か(自慢)。
さて、前置きはこれくらいにして始めるか。

Faust / I’ve Got My Car & My TV

まずはファウストのこの曲から。
ジャーマン・ロックの中でも前衛的でロック以外の要素を取り入れたフリー・スタイルの音楽は70年代にはクラウト(酢漬けキャベツ)・ロックと呼ばれた。
プログレッシブ・ロックやサイケデリック、さらにはフリー・ジャズや民族音楽の影響も感じられたり、つまりは70年代に考えられるミクスチャー・ミュージック的実験の結果がこれらクラウト・ロックと呼ばれる音楽には詰まっていたという事だね。
後のニュー・ウェイブの時代に花開く事になるごった煮音楽のひとつのルーツがここにある、とも言えるが、最悪の結果となってしまうようなものも見受けられる。
ファウストの場合はその辺のバランス感覚、センスが抜群で、今聴いても古臭くない革新的な部分を数多く持っていたと思える。この辺については当ブログの鳥飼否宇先生について書いた記事にも少し書いているから、興味ある人は左上の検索窓で参照してみて。
この曲は中でも大好きなものでメロディもアレンジも斬新の極み。ピンク・フロイド初期の大名曲「Bike」を初めて聴いた時と同じくらい感動した。

Young Marble Giants / Colossal Youth

パンクがニュー・ウェイブに代わった時代、全く新しいような音楽も生まれたが、過去からある音楽に何でも「ニュー」とか「ネオ」などと付けてしまった慣わしがあって、ネオ・アコースティックと呼ばれる音楽もこの辺りに登場した。
スコットランドの3人組ヤング・マーブル・ジャイアンツはその元祖的存在とも言われていたが、実は雰囲気の割にはアコースティック楽器を全然使ってないぞ、という点が秀逸だったね。
ウチの商品ページのコメントにも書いているが、兄+弟+清楚な三つ編み女子という、永遠の三角関係を予感出来るような組み合わせによる素朴過ぎる音楽。
簡単なギター・リフ、それに少しだけファンキーなチョッパー風ベース、その2つがメインの楽器でリズム代わりにもなり、あとは拙い歌だけという簡素さはこの時代にはかなり目新しいものだった。
スタジオでもライブでもほとんど変わらない模様で、ギタリスト(兄)がキーボード弾いてる間はギターはお休み状態。かなり素人っぽいね。今の時代の人が理解するのは難しいかも知れないが、うるさいパンクの後にこんなのが登場したらかなり目立つのは間違いない。
60〜70年代にスティールアイ・スパンやフェアポート・コンベンションが一部の曲でやっていたトラッド+清純女性ヴォーカルというスタイルを踏襲しつつも、こちらの方が童謡に近いからより子供の歌っぽいのかもね。

Mano Negra / Noche De Accion

80年代後半から90年代初頭にかけてフランスで大活躍した大所帯バンドがマノ・ネグラだ。
ROCKHURRAHもこのバンドが大好きでほとんどのアルバムを所持している。
ヴォーカル、マヌー・チャオというスパニッシュ系フランス移民がメインとなっていて、兄弟や従兄弟など大勢が参加してマノ・ネグラとなったのだが、それ以前にホット・パンツというミルクシェイクス(ビリー・チャイルディッシュ)っぽいビート・バンド、Los Carayosというラスティック風のバンドをやっていたのも一部では有名?
マノ・ネグラとなってフランスで大ヒット、日本でも人気あって、伝説となった原宿ホコ天のライブや川崎クラブチッタでの圧倒的なライブ・パフォーマンス(このライブは「パチンコ地獄」というライブ・アルバムになっている)など、今でも語り継がれているほど。
彼らの音楽はパンク、レゲエ、スカ、ロカビリー、ラップ、アラブにキューバなどなど、短い曲の中にものすごく濃いものが凝縮されているのが特徴で、生命力に溢れた素晴らしい音楽だ。
フェルナンド・メイレレス監督の傑作映画「シティ・オブ・ゴッド」の中のブラジル人悪ガキ軍団とも共通する、したたかな強さがこのバンドの最大の魅力だと思う。
しかしホット・パンツ時代は随分キメキメのリーゼントだったのがマノ・ネグラになるとだらけたルーズなファッションとなって、上半身裸に七分丈パンツというどうでもいい格好がお気に入りの様子(笑)。
同時代にフランスでヒットしたレ・ネグレス・ヴェルトの伊達っぷりと比べると見た目的にはちょっと・・・なのが難点だな。
この曲は大傑作アルバム「Pachanka」に入っている景気の良い楽しい曲で、作業用のBGMとしても最適。

XTC / Do What You Do

パンク・ロックのちょっと後、英国ヴァージン・レーベルからデビューしたのが若くて威勢の良いこのバンド、XTCだった。
とにかく勢いがあって斬新でパワーに溢れたバンドだったので、初期ニュー・ウェイブを語る時には欠かせない名前だったと言える。
最初はアンディ・パートリッジのひっかくようなギターのカッティングが特に印象的で、素晴らしい名曲を量産していた。
しかし80年代初頭の「Black Sea」をピークとしてだんだん職人芸のデコレーション・ポップの世界に入ってゆき、遂には得意だったライブもやらなくなって、完成度だけが生き甲斐の若年寄のようになってしまう。
それ以降を評価する人も多数なんだが、ROCKHURRAHはやはり初期の元気いっぱいなXTCだけが好きだった。
この曲は1stアルバムに収録、軽く作ったような短いものでXTCにとってはさほど重要な曲じゃないのかも知れないが、こういう路線をもっと続けていて欲しかったな。

Plastic Bertrand / Le Petit Tortillard

ROCKHURRAH大好きバンドとして過去のブログでも何度か書いたベルギーのパンク貴公子(?)プラスティック・ベルトラン。
彼の曲はどれもこれも子供のまんまで夢いっぱいハッピーな気分になれるところが素晴らしい。
元々はベルギーでハブル・バブルというバンドをやっていてドラム担当だったらしいんだが、なぜかフランスでインチキ・パンク男として空前の大ヒット、それがプラスティック・ベルトランの代表曲「恋のウー・イー・ウー」だったというわけ。ROCKHURRAHは1stアルバムのアメリカ盤と日本盤、それに日本盤のシングル(「恋のパトカー」と改題)を所有して、いつも身近にベルトランがあったわけだが、オリジナルはフランス盤なので入手困難だった時代もありましたなあ。
この曲はダムドの「Jet Boy, Jet Girl」をはじめ、ソニック・ユースなど軽く10以上のバンドがカヴァーしているという被カヴァー率がおそろしく高い曲であまりにも有名。
当のベルトランもアイドル的大スターだから映像もたくさん残ってはいるが、演奏も演奏してるメンバーも映ってなくて一人で飛んで跳ねて回って歌ってるだけ、しかも歌は口パクらしく一体どこがパンクなの?と数多くの人に突っ込まれることは必至のいいかげんさ。というかその部分、その姿勢がパンクだったのでしょう、たぶん。
選んだ曲はその「恋のウー・イー・ウー」ではなくてアルバム1曲目の大好きな曲。邦題は確か「おとぎの列車」だったかな(笑)。

Klingonz / Pick Pick Yum Yum

結構長くなってしまったのでこれが最後、クリンゴンズ初期の名曲がこれだ。
ストレイ・キャッツなどが80年代に流行らせたネオ・ロカビリーに独自の病的なネジレ具合をミックスしたのがサイコビリーという音楽。
サイコ刈りと呼ばれるモヒカン・リーゼントのような奇抜な髪型と刺青というスタイルが主流で、80年代前半に流行したポジティブ・パンクのようなゾンビ風メイクのバンドまで現れ、特異な個性を持った変な奴らがゴロゴロしていたという時代だ。
ディメンテッド・アー・ゴーなどがその代表格だが、このクリンゴンズも一歩突き抜けたバカさ加減が人気のバンドだった。
サイコビリーはどうしてもかわいくはならない音楽だから上記のバンドらとは「ファニー」のニュアンスが違っているんだが、調子っぱずれで奇妙という部分では充分子供っぽいと思って選んでみた。

大昔のテレビ・アニメなどと違って今はアニメ・ソングにも子供っぽい部分がなくなってきてる傾向にある。
子供だから子供っぽい歌が好きなどという道理もないしね。
そんな時代に少しでも人と違う子供に育てたい元ロック少年少女だった親がいたら、自分の子供と一緒に歌うのもいいかもね(全然本心じゃないが)。

80年代世界一周 南斯拉夫編

20190317【予想外に80年代ニュー・ウェイブの宝庫】

ROCKHURRAH WROTE:

毎回いつも書いてることだが、ROCKHURRAHが書くシリーズ記事はどれも、1970年代から80年代あたりのパンクやニュー・ウェイブと呼ばれた音楽ばかりをピックアップして特集にしている。
この「80年代世界一周」というのは日本に最も入って来やすいイギリスやアメリカ以外のニュー・ウェイブに焦点を当てた企画で、あまり馴染みのないバンドについてROCKHURRAHがいいかげんなコメントつけるだけという内容だ。
今どきこの手の80年代を大真面目に学ぼうとしてる人は少ないとは思うが、そういう人たちにとっては実に当てにならない読み物だという事だけは確かだよ。

さて、スペイン、イタリア、スイスと今まで書いてきたけど、今回は今はなき国に焦点を当ててみよう。
タイトルにもある通り南斯拉夫、これは一体どこの国?
かつてはひとまとめにユーゴスラビアと言ってたけど、1990年代に激しい内戦の末、今はいくつかの少国家に分裂してしまったという。これは歴史や世界情勢に疎いROCKHURRAHなんかより皆さんの方がよほど知ってると思われるが、ウチのテーマはそういうところにはないのも明らか。

ユーゴスラビアのニュー・ウェイブと言うと真っ先に思い浮かぶのがライバッハの存在だ。
ROCKHURRAHも好きなジャンルではあるんだけど、実は今日はライバッハ抜きにして語ってみたいと思う。
「何だかよくわからんがナチスっぽい、軍国主義っぽい」とか「今でも見え隠れする第二次大戦の爪痕」とか、ユーゴスラビアの音楽に対する勝手な偏見をROCKHURRAHが持ったのはこのバンドに原因があるからだ。 
たぶんそんな国じゃないはず。 

「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの連邦国家」とあるようにとても複雑な他民族国家だったらしいが、これだけのものが割と近場に混じり合ってると、かなり色んなものがミクスチャーされた文化になるのは当たり前だと想像出来るよ。

ではさっそくその独自の音楽文化に触れてみよう。

まずはユーゴスラビアのパンクと言うと必ず名前の挙がるPankrtiというバンドから。パンクルティとカタカナで書いてるサイトがあったからその読み方でいいのかな?

彼らは1977年にスロベニアで結成されたバンドだとの事。
旧ユーゴスラビアで一括りにされてた頃はそんな事なかっただろうが、独立して観光名所となったクロアチアなどと比べるとイマイチの知名度だと思える。街の屋根はみんな赤煉瓦色という印象だね。
こんな国にもパンク・バンドがいたとは。

パンクルティはその頃のユーゴスラビア版ニュー・ウェイブ(パンクを含む)、Novi Valというムーブメント(?)の中心的存在だったという話だが、驚くのはイギリスのパンクとのタイムラグがほとんどなく、社会主義のユーゴスラビアにもそういう波があったという事実だ。
うーん、パンクやニュー・ウェイブを若年より聴いてきたROCKHURRAHだけど、ノヴィ・ヴァルなどという動きがあった事など全く知らなかったよ。
ネットが普及した後の時代はそういう情報もすぐにキャッチ出来るんだろうけど、我等の時代にはそんな情報は日本には入ってなかったろうからね。ユーゴ帰りの友達もいなかったし。
社会主義という事に対する偏見、内戦やその後の分断された状況を断片的に見て勝手に勘違いしてたわけだけど、実は英米の影響がとってもすんなり入ってきて、さらに独自の味付けをこの当時から加えたバンドが数多くひしめいていたんだね。そういうユーゴスラビアの音楽事情にビックリするばかりだよ。
旧ユーゴは社会主義とは言っても昔のソ連や中国と比べると自由度が割と高かったらしいけど、よほど反体制じゃない限りは弾圧される事もなかったようだ。行って見てきたわけじゃないから詳しくはわからないけどね。

この曲「Totalna Revolucija(自動翻訳による邦題:総革命)」は80年に出た1stアルバムに収録。
演奏のチャチさはあるものの、イギリスのヘタなパンク・バンドよりは聴き応えのある曲が多数収録された名盤で、何だかよくわからんジャケットじゃなければどこでも通用してたに違いない。
曲はどこかで聴いたような既視感に溢れているが、今はどうしても思い出せない。何かのパクリだと思った人は教えて欲しいよ。ここまで出かかってるのに、何の曲だったかなあ?

これは聴けばすぐにわかる、セックス・ピストルズの「Anarchy in the U.K.」をカヴァー・・・と思いきや無理やりイタリアの革命歌と合体させてしまったという力技の一曲。
Bandiera Rossa」とは赤旗の事。
スキンヘッドのOi!とは対極にあるんだろうけど、結局は集団が拳を振り上げてみんなで合唱するような曲というのは、どちらの思想でも似通ったものになるんだろうな。「愛と幻想のファシズム」を思い出してしまったよ。

続いては上のパンクルティと同時期から活躍していたParafというバンド。パラフでいいのか?
ユーゴスラビアのパンクを集めたコンピレーション「Novi Punk Val 78-80」というアルバムでどちらのバンドも収録されてるが、こちらはクロアチアのバンドらしい。
アドリア海の真珠と評される美しくのどかな国、屋根がみんな赤茶色という印象ばかりだけど、こんな国にもパンクが根付いていたとは驚くばかり。

「Narodna Pjesma(自動翻訳による邦題:国民の歌)」は1980年に出た1stアルバム収録の曲だが、上記のノヴィ・ヴァルのオムニバスにも入ってる名曲。
見た目はニュー・ウェイブっぽいけどヴォーカルは結構なダミ声で曲調はスティッフ・リトル・フィンガーズやチェルシーあたりの王道パンクを思わせる。英米の70年代パンク・バンド達に混じっても遜色ない実力派バンドだと思うよ。1stアルバムの何が表現したいのかわからないジャケットじゃなければどこでも通用してたのに・・・。

「Rijeka」と題されたこの曲、クロアチアの都市名であり「川」という意味もあるらしい。
上のパンクルティがピストルズだったのに対してこちらはジョニー・サンダース&ハートブレイカーズやラモーンズでお馴染みのパンク史に残る名曲「Chinese Rock」をそのまんまクロアチア語か何かでカヴァー。
カヴァー(替え歌)対決としてはパンクルティの方が一枚上手だったね。
中国の革命歌と無理やり合体させたりしなくて良かったのか?

割とシリアスなバンドが続いたけどユーゴスラビアのニュー・ウェイブ(ノヴィ・ヴァル)はこちらが思ってるよりも遥かに奥深く、今頃知っても遅いかも知れないが、個人的にはかなり興味深いよ。
いいバンドに出会うために、時には面白くもないバンドさえも買い漁っていた青春時代に出会ってれば、きっとのめり込んだに違いない高レベルのバンドが色々いるもんだ。

このSarlo Akrobataは1979年結成のセルビアのバンドだとの事。サルロ・アクロバタでいいかな?
セルビアと聞いてもとっさには何も出てこないくらいヨーロッパの「あの辺」に疎いROCKHURRAHだけど、見どころはきっとたくさんあるに違いない(段々ぞんざいになってきた)。風景を検索してみたら「しつこい」と言われそうだけど屋根がみんな赤茶けた感じで、どれがどの国だか本気で区別がつかんよ。 

Sarlo Akrobataは上のビデオを観てもわかる通り、かなりコミカルでふざけたプロモーション映像が多いバンドで、三人のとぼけたキャラクターが絶妙。特にペドロ・アルモドバルか?というような髪型と体型のメンバーは顔だけで笑いを取れるし、悪ガキがそのまんま大人になったようなドラマー(真ん中の小柄な男)の動きや表情もお茶目。 

「Oko Moje Glave (自動翻訳による邦題:私の頭について)」は1981年の1stアルバムには未収録だが同年に出た「Paket Aranžman」というセルビアのニュー・ウェイブを集めたコンピレーションに収録。
シングルとアルバムを一枚ずつしか出してないバンドのはずなのになぜかプロモーション・ビデオがいくつか存在していて謎が深まる。
動きや歌はコミカルなのに演奏はタイトなベース・ラインとちょっとアヴァンギャルドなギター、スカやおそらく自国の伝統的な旋律なども取り入れていて、その構成力もお見事。 
英米のマネだけじゃなくてちゃんと独自路線を見出している、これぞ色んな国のニュー・ウェイブを知る醍醐味だと言える。

こちらのPekinska Patka(北京ダック)なるバンドも1978年結成のセルビア出身。
ビデオ見てわかる通り、「時計じかけのオレンジ」の影響を強く受けたバンドだと思える。
「時計じかけのオレンジ」と言えば70年代から活躍していたアディクツを真っ先に思い浮かべるが、日本にもハットトリッカーズという本格派のバンドがいたなあ。
大好きだったロビンが解散してもう8年にもなるが、最近はパンクやサイコビリー系のライブも全く行かなくなってしまった。ハットトリッカーズを単独で観た事はないけど、2011年以前にパンク系のイベントで知ったバンド。実に凝った衣装とメイクで一度観たら忘れないインパクトがあったものだ。

個人的な思い出話はどうでもいいとして、さて、このPekinska Patkaは素顔に付け鼻、ハットをかぶったというだけのお手軽コスプレでビデオの内容も 「時計じかけのオレンジ」の暴力シーンを元ネタにしたもの。
チープではあるけれどイギリスのバンドでも、まだそこまで凝ったプロモーション・ビデオがなかった時代だと考えれば、なかなか頑張ってるね(偉そう)。いつもこのコスチュームなわけではなく、このビデオだけこういうスタイルみたいだ。

「Stop Stop(自動翻訳による邦題:止まれ止まれ)」は1980年の1stアルバムに収録された曲で子供向けアニメ(あくまで70〜80年代の)のテーマ曲みたいな感じだが、テンポも速くてノリがいいね。ROCKHURRAHが言うところの「Funnyちゃんミュージック」という括りでもピッタリな内容。

これまたセルビアのバンドで1979年結成のElektricni Orgazamだ。
エレクトリチュニ・オルガザムと読むらしいがノヴィ・ヴァルの中で生まれたバンドとしては一番長続きしてる大御所だとの事。何と今でも活動してるらしいからね。
「Krokodili dolaze(自動翻訳による邦題:ワニが来る)」は81年の1stアルバム収録で最も初期の曲だけど、このアルバムに収録の曲だけでも何曲分もプロモーション・ビデオがあってそれもまた謎。
普通はシングル曲くらいしか作らないと思うのに、売れる気満々だったのかねえ?そういうお国柄なのか?
ヴォーカルの爛々とした目つきや動きがかなり不気味。アングラ演劇でもやってたんだろうか。
ライブのビデオもあったけどこの目つきで変な前かがみになったりシャープな動きで飛び跳ねたり、一人だけ異常なアグレッシブさだったよ。
しかも違うビデオを見るたびに長髪だったりクリクリのパーマだったり音楽性も変わったり、イメチェンし過ぎの印象があるよ。Wikipediaで見るとジャンルがパンク、ニュー・ウェイブ、ポスト・パンク、ネオサイケ、ガレージなど、まさにカメレオン・バンド。

後半は全てセルビアのバンドだけになってしまったがそれだけ音楽が盛んで層が厚いというわけなのかな?
このIdoli(イタリア語で「アイドル」を意味する)も同じで、そもそも上に書いたSarlo Akrobata(サルロ・アクロバタ)とElektricni Orgazam(エレクトリチュニ・オルガザム)、そしてIdoli(イドリ)の3バカ、じゃなかった3バンドはセルビアのニュー・ウェイブを集めたコンピレーションに仲良く収録されているのだ。
他のバンドがパンクっぽい見た目なのに対してこのイドリはヴォーカルがメガネ男という事もあって、割と軟弱な印象がある。軟弱もまたニュー・ウェイブの重大要素なのは間違いないので、こういう路線もあるよって事だね。
「Zašto su danas devojke ljute(自動翻訳による邦題:今日の女の子はなぜ怒っているのですか)」は81年に出た1stミニ・アルバムに収録。
ちなみにレコードを見た事ないような若年層でミニ・アルバムを小さいアルバムだと勘違いしてる人がいるんじゃないかと心配になったから言っておくが、曲数が少ない収録時間の短いアルバムの事だからね。え?誰でも知ってる?

ビデオはお揃いの服装のメガネ男がなぜだか手をつないでるというもので、きっとこれもまたニュー・ウェイブの重大要素についての歌なんだろうな。

ノヴィ・ヴァルのバンド達を追って紹介してきたが、これらが最も良かったのは80年代初頭くらいまでの時代。そこから徐々に政情は悪くなってゆき、国は分断されてバラバラになってしまった。
その手の話にはノー・コメントのROCKHURRAH RECORDSだが、この時代のユーゴスラビアのバンドが思ったよりも遥かに進んでた事に驚き、今さらながらこの国に興味を持ったよ。 

さて、次はどこの国に飛ぼうか。
ではまたナスヴィーデニエ(スロベニア語で「さようなら」)。  

時に忘れられた人々【09】似非南国音楽

【夏になると何故か聴きたくなるリップ・リグ+パニック。素晴らしい!】

ROCKHURRAH WROTE;

準備期間を入れると1ヶ月以上もかかってしまった未曽有の大引越しが終わってようやく落ち着いてきた。要るモノ、要らないモノ、宝モノ、そして何だかわからないモノで溢れかえった元の我が家だったので、整理整頓するのも一苦労。
SNAKEPIPEの働きがなかったら到底快適と言える状態にはならなかっただろう。
本当にありがとう、SNAKEPIPE。
尚、書いてる本人も忘れていたがROCKHURRAH RECORDSの通販業務もすでにひっそりと再開しているのでお忘れなく。へぇー、通販もやってるんだ?

さて、そういう前フリとは全く関係なく、久々の「時に忘れられた人々」シリーズをお送りしよう。
今回のテーマはかなり短絡的だが、暑い夏にピッタリの80年代流インチキ夏音楽特集としよう。毎回説明するのもいいかげんアレだが、ROCKHURRAH RECORDSは1980年代くらいの音楽や文化を大得意にしている人間がやっておりまして、特に強いのはこの時代にニュー・ウェイブと呼ばれた音楽について。だからその手の記事ばっかり書いてるという時代錯誤の殿堂を目指しているワケだ。説明長いな。
で、そういうニュー・ウェイブ世代の中で夏っぽいと勝手に思った曲を紹介してゆこうというのが今回の趣旨。夏っぽいと言っても決して「燃えろいい女(世良公則&ツイスト)」とかは紹介しないからROCKHURRAHブログの初心者は誤解しないように。

夏だ、暑い。アイスキャンディ欲しい!という時にピッタリな曲。
バウ・ワウ・ワウは80年代初期に人気があったバンド。
ニューヨーク・ドールズ、セックス・ピストルズ、アダム&ジ・アンツなどの仕掛け人として辣腕を振るった(後で全部のバンドを裏切った)パンク界で最も有名な詐欺師マルコム・マクラーレン。
彼がアダム・アント抜きのジ・アンツ+14歳のアナベラ嬢を無理やりくっつけて売り出したというからその胡散臭さは折り紙つきだ。しかしビルマ系モヒカン少女アナベラの歌も演奏もこの時代には充分革新的だったのは間違いなく、インチキ夏音楽と銘打ってはいてもバカには出来ない。
個人的に明日は大変忙しいのであまり詳しくは書けないが、この曲は60年代にストレンジラブズがヒットさせた名曲のカヴァーでいわゆるボー・ビート(ボ・ディドリーが開発した独特のズンドコなリズム)が心地良いですな。

夏だ、暑い。サルサソースの何か食わせろ!というわけで今度はニセ・ラテンだよ。
サルサと言えばROCKHURRAHにとってはこれしかない。80年代インチキ音楽をこよなく愛する者どもには定番中の定番だな。
80年代初期に何故か流行ったファンカ・ラティーナという音楽の代表選手がこのモダン・ロマンスだ。
同じファンカ・ラティーナのヘアカット100やブルー・ロンド・ア・ラ・ターク(マット・ビアンコの前身)は聴いてたんだが、このモダン・ロマンスにはあまり興味なかったなあ。
ラテン音楽に造詣が深いワケではないが、何故か理由もなくサルサは好きじゃなかったという意味不明の経緯がある。何じゃそりゃ、好きじゃないなら書くなよ、とまた言われてしまいそう。

夏だ、暑い。テキーラ飲ませろ!というわけで今度はテックス・メックス系インチキ音楽入ります。
やってるのはテキサスでもメキシコでもなくてフランス、スペイン、アラブなどのごちゃまぜバンド、マノ・ネグラ。
前に当ブログ「Funnyちゃんミュージック」でも紹介したがこの陽気な勢いが大好きなんだよね。
そしてカヴァー曲なんだが原曲はテックス・メックス界の王冠男、ジョー・キング・カラスコの名曲。
この人は陽気で軽薄な一面も多いけどやる時はやる、というインチキ音楽のお師匠さん的な存在。正直言って知らない人の方が多いこんな曲をカヴァーするマノ・ネグラのセンスに脱帽、脱王冠だよ。

夏だ、暑い(しつこい)。カレー食わせろ!って時はこれ。
80年代にちょっとだけ流行ったモンスーンだ。
そういうムーブメントがあったのかどうかは知らないけどインド風ニュー・ウェイブとでも言えば良いのか?別にインドでやってたわけではなくインド系英国人シーラ・チャンドラ嬢の歌声を当時流行っていたエレ・ポップ+インド風に仕上げたというシロモノ。
引越しのレコードを段ボールから無造作に掴み取ってレコード棚に戻すという作業をしていた時、なぜだか同じミュージシャンのレコードが一番前に来るという事が5回くらい続いて「これは何かの啓示か?」と思ったものだ。トランプの中からAだけを取り出すようなもので、こんな偶然が続くのは奇跡的だからだ。
そのミュージシャンとはビー・バップ・デラックス、レッド・ノイズ、そしてソロと活躍したビル・ネルソンであり、過去にはマニアと言われるくらいに買い集めていた。何でこんな話を急に書いたかというと、このモンスーンの演奏のゲスト・ギタリストとしてビル・ネルソンが参加していたからだ。わざわざ数行も書くほどでもなかったか?
さて、この曲は誰でも知ってるビートルズのカヴァーでインド風、ニュー・ウェイブ風のいかにもな出来。シーラ・チャンドラーの涼しげな美声が心地良いね。

夏だ、暑い。暴走させろ!というわけで髪型やファッション・センスが大昔のレディース(暴走族)とかタケノコ族を思わせるダニエル・ダックス嬢のこの歌。
別にこの人が英国版ヤンキーのわけでもなく彼氏が暴走族のわけでもないけど、偶然センスが似通ってしまったの図。
元々はレモン・キトゥンズというバンドで割と前衛アートな感じのパフォーマンスをしていたんだが、ソロとなってからはポジティブ・パンク、ゴシックの殿堂バッド・ケイブというクラブで退廃的なメイクと独特の音楽をやって、よくある女性アーティストとはひと味違う路線を展開していた。
完成したのはインド、ガムランに中東風、そしていわゆるスワンプ・ロックと言えばいいのか?アメリカ南部の泥臭い要素を取り入れたサイケデリックかつ無国籍な音楽だった。
要するに何だかわからん欧米っぽくない雰囲気なんだけど、美人女性シンガーと呼ばれる部類で南部系音楽を志すのも珍しいな。しかもこの顔からは信じられない野太い声と声量。やっぱりヤンキー入ってるんでねえか?

夏だ、暑い。アフリカ行かせろ!って人はあまりいないとは思うが、日本に居ながら手軽にアフリカ気分を味わう事が出来るインチキ・アフロがこれだ。
XTCはニュー・ウェイブ初期の77年から活動していたバンドで最初の頃はいかにもニュー・ウェイブといった斬新さで、見事な勢いの曲を量産していた。基本はビートルズのように英国風味の音楽を得意とするバンドだが、たまにこういう曲をやったりする。誰もが思うようなアフリカンな感じそのもの、非常にわかりやすいね。

夏だ、暑い。バナナ食わせろ!って人も滅多にいないか。
単に南方系果物のタイトルが付いてるというだけで「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね(中原めいこ)」と大して変わらぬ世界か?
キング・カートは80年代初期にパンク+ロカビリーでパンカビリーと言われた音楽をやっていた英国のバンド。
いち早くサイコ刈りのような髪型をしていたし、大まかに言えばサイコビリーの一派でいいのかな。
陽気でハチャメチャでふざけたステージ、そして威勢のいいロックンロールで曲も良い。ROCKHURRAHも大好きなバンドだ。
この曲はそういうバンドの悪ふざけの一環なのか「サイコビリーがファンカ・ラティーナに挑戦してみました」という珍しい試みをやっている。何だかイカ天バンドKUSU KUSUを思い出すような曲だな。
本格派のサイコビリーから見れば不評かも知れないが、バナナ迷彩柄の服装にバカっぽい映像、キング・カートの魅力に溢れた傑作だと言えよう。

以上、インチキな香りのする夏っぽい音楽をROCKHURRAHが選んでみたが、今回はあまり時間がなかったので、こんなもんで許して。でもやっぱり夏は大嫌いだよ。活動したくなくなってしまう。
というワケで冬になったらまた会いましょう(ウソ)。