CULT映画ア・ラ・カルト!【10】少女椿

【ワンダー正光とみどりちゃん。お願い!みどりちゃん、幸せになって!】

SNAKEPIPE WROTE:

選択を間違えて手放してしまった本やレコードを思い返し、何度後悔したことだろう。
懐具合の問題で、欲しくても買えなかったこともあるしね。
若かりし頃の、最も多感だったSNAKEPIPEを熱狂させた数々の本や映画は、たまに復刻版で入手可能なこともある。
残念ながら、全く復刻されていないことも多いけどね。
運良く入手することができた映画をもう一度観たり、大好きだった音楽を改めて鑑賞したりする今日この頃。
「懐古趣味」「今更?」と言われようが、復刻でも再び手に入れることができた時の喜びったら!
青春時代にこんな傑作に出会えて幸せだったなあ、と感慨深い気持ちになる。
大人になってからはそれほど衝撃的なアートに出会っていないということなのか。
それともSNAKEPIPEの感受性が弱まったせいなのかもしれないね?(笑)

今回のCULT映画ア・ラ・カルト!は学生時代のSNAKEPIPEが大ファンだった漫画家・丸尾末広原作の「少女椿」のアニメ映画版について書いてみようと思う。
「少女椿」がアニメ映画になっていることを全く知らなかったSNAKEPIPE。
だって、そもそも「少女椿」を読んだのって…学生の時だから…ま、いっか!(笑)
それほど昔の、遠い遠い記憶のかなたのことなのである。
丸尾末広の絵のキレイさに圧倒され、ストーリーの奇抜さ、残酷さなど、その全てに強く惹かれたのである。
夢野久作や江戸川乱歩を読み、その毒に魅了されていたのも要因の一つだろう。
時代的には戸川純がいたバンド「ゲルニカ」が流行り、昭和初期の雰囲気に新鮮さを感じていたせいもあっただろう。
雑誌「ビックリハウス」や毎週のように通っていた「文化屋雑貨店」なども、レトロな感じだったしね。
80年代初頭は、もしかしたら昭和初期への憧れのような文化だったのかもしれないね?
などと、同じく80年代の申し子であるROCKHURRAHと懐かしい話で盛り上がってしまった。(笑)
ROCKHURRAHはその時代に現役古本屋だったため、80年代サブカル系(本当はサブカルって言い方嫌いなんだけど)漫画も当然ながら大得意なんだよね。
今回「少女椿」アニメ映画版を見つけてくれたのも、いつものようにROCKHURRAHだしね!(笑)

SNAKEPIPEの持つ丸尾末広に関するエピソードといえば、やっぱり「東京グランギニョル」かな。
「マーキュロ」のチラシを丸尾末広が描いていて、それをずっと自宅の部屋に飾っていたっけ。
Wikipediaで調べてみると、「東京グランギニョル」が上演したのは4作品らしい。
「らしい」というのは、恐らく全てを鑑賞しているSNAKEPIPEだけれど、各々については朧げにしか覚えていないからね。
どの作品だったか覚えていないけれど、丸尾末広が出演したことがあったな。
「マルキ・ド・丸尾です!」
と言いながら、シルクハットに素敵なステッキを手にした丸尾末広が登場。(ぷっ)
その時に初めてお顔を拝見したSNAKEPIPEだったなあ。
「この人があの漫画を描いてるんだ!」
と感激したのを覚えている。
「東京グランギニョル」の芝居も、丸尾末広の漫画さながらの雰囲気だった。
詰襟学生服に白塗りの役者、立花ハジメ「太陽さん」などを使用した耳をつんざくような大音響、そして暗転。
暗転の後に何が起こるんだろう?という期待と不安。
ひゃー!書いてるうちのあの時の気分になってしまったSNAKEPIPE。
これ、もしかしたら若返り効果アリかも?(笑)

などと80年代の思い出について書いていたらすっかり長くなってしまったね。
では本題の「少女椿」アニメ映画版について。
この作品は1992年に公開されたみたいなんだけど、当時は劇場ではなく神社の境内で上映されたらしい。
今から20年も前に制作され、限定上映されていたとは全く知らなかったなあ。
そして映像は日本国内でほとんど流通されなかったようで、現在鑑賞することができるのはフランス版でタイトルは「MIDORI」。
日本では様々な理由から上映が禁止されているみたい。
このブログでは映倫の基準や差別用語の問題などについて語るつもりはない。
ただ「表現の自由」という点から考えると、上映禁止の処分は悲しいなと思うのである。
この作品に限らず、他にも上映禁止処分を受けた名作がたくさんあって、恐らくSNAKEPIPEと同じように鑑賞する機会を待ってる人が大勢いるだろうと思うからである。

アニメ映画版「少女椿」は、SNAKEPIPEの薄くなった記憶と照らし合わせながらの鑑賞となったけれど、漫画にかなり忠実に映像化されていたと思う。
映像化、とは言っても動いている部分のほうが少ない、紙芝居風の仕上がりになっているのも効果的で丸尾末広の雰囲気を損ねていない。
簡単にあらすじを書いてみようかな。

扉絵:みどりちゃん 見世物小屋へゆく
寝たきりの母親の代わりに花を売って生計を立てている少女みどりちゃん。
なかなか売れない花を全部買ってくれた親切なおじさんに出会う。
お金が手に入り、喜びながら帰宅するみどりちゃんが目にしたのは無残にも骸となってしまった母親だった。
天涯孤独の身となってしまったみどりちゃんは、
「いつでも頼っておいで」
と言ってくれた花を買ってくれたおじさんの元に行くしかなかった。
ところが親切なおじさんの正体は見世物小屋の親方だったのだ。
みどりちゃんは見世物小屋で下働きをすることになる。

第一歌:忍耐と服従
特別な芸があるわけではなく、特異な体で生まれたわけではないみどりちゃんは、芸人達の召使的存在になる。
皆からいじめられ、こき使われる毎日。
それでも他に行くところないみどりちゃんは、耐え忍ぶしかなかった。

第二歌:侏儒が夜来る
そんな時、新しい芸人が入ることになった。
ワンダー正光という名で、小さな瓶に全身すっぽり入ることができる芸を披露する。
この芸が受け、傾きかけていた小屋の経営も順調になる。
ワンダー正光はみどりちゃんを非常にかわいがり、二人はいつしか恋仲になっていく。
観客の発したある一言がワンダー正光を激怒させ、観客に向かい暴言を放ち、幻術で観客に復讐する。
この騒動がきっかけで親方は金を持ち逃げ、小屋は運営できなくなってしまう。
芸人たちはそれぞれの道を行くことになる。

終幕歌:桜の花の満開の下
「一緒に来てくれるね」
というワンダー正光の言葉に、コクンとうなずくみどりちゃん。
これは夢じゃない、これからやっと幸せになれるんだ!と頬をピンク色に染めるみどりちゃんの運命は…?

と、あらすじを書いてみたけれど、これだけ読むと「なんで上映禁止なの?」って感じだよね。
SNAKEPIPEが言葉を選んで書いたせいもあるけれど、読むのと観るのでは大違いかも。
現代におけるタブーの要素は全編に繰り広げられてるからね。
ただ、これは「現代におけるタブー」であって、時代が違うと何の問題もないとも言えるんだよね。
江戸川乱歩の作品や、寺山修司の演劇や映画などに触れたことがある人にとっては、倫理を問う行為自体がナンセンスだと思うし、疑問を感じるはずだけど?

大好きだった作品をもう一度目にすることができて、本当に嬉しかった。
背中がゾクゾクするいかがわしい魅力。
怖いもの見たさとでも言うのだろうか。
この快感を再び味わうことができるなんて夢のよう!(大げさかな)
丸尾末広はまた活動を始め、江戸川乱歩の「パノラマ島奇譚」や「芋虫」をコミック化している。
「パノラマ島奇譚」しか読んでいないので、「芋虫」も入手して読まないとね!(笑)

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