時に忘れられた人々【06】ヴィンテージ漫画篇1

【ROCKHURRAHが少年時代に愛読した漫画の登場人物たち】

ROCKHURRAH WROTE:

何と大晦日から元旦、2日にかけてROCKHURRAHとSNAKEPIPE、二人して風邪をひいてしまい、絵に描いたような寝正月となってしまった。特に今ブログを書いてる本人のROCKHURRAHは通常の風邪も微熱程度で終わるはずなのに39度近い高熱を出して下がっても37度以上というありさま。それくらいは大した事ないよという人も多かろうが、普段あまり高熱を出さない者にとってはビックリのハプニングだ。元旦の風邪など生まれてはじめての経験かも。とりあえず市販の風邪薬や解熱剤が効かなくはないのでインフルエンザではないと思えるけど。

さて、SNAKEPIPEも熱はなくても年末の疲れからちょっぴりダウン気味なので、今回は二人ともブログどころじゃない状況。だけど開設以来一度も休まずに毎週日曜日に更新してるものだから思考力もあまりない朦朧とした頭でROCKHURRAHが書くことにする。何だか新年早々悲壮な決意だな(笑)。
今日の内容はほとんど初めてといってもいい話題だが過去漫画について。

昔は大変に漫画好きの子供だったROCKHURRAHだがある時期よりピタッと読まなくなってしまった。原因は今でも不明なんだが「漫画より小説や映画の方が面白くなった」とかそういう理由ではないのだけは確かで、おそらく好きな漫画が絶版になって手に入らなくなってしまったとかそういう時代的な理由で買うのをやめたんだと思う。

そんなROCKHURRAHが個人的に好きだった作品について軽く思い出話を語ってみようというのが今回の趣旨だ。ちなみにROCKHURRAHには兄が二人いて、その二人のコレクションも読んでるので実年齢よりもさらに古い作品が含まれている。漫画はほとんどがコミックスで読んで漫画雑誌を毎週買ったりもあまりしてなかったしね。
では思いつくまま書いてみよう。熱があるのでリンクなど一切なしで勘弁してね。

「デビルマン/永井豪」
漫画家自体の大ファンでこの人の作品ならばどれでも好き、と言えるほどのめり込んだわけではないが、70年代前半の永井豪の暴走っぷりは確かに誰が見ても素晴らしくとんでもないものだったろう。個人的に好きな作品も多く、この時代の漫画の中では最も過激な表現に衝撃を受けた子供たちも多かったろう。
主人公が雪山で怪物に食い殺されるという衝撃的な発端の「魔王ダンテ」、痛快時代劇から出発して後半は何だか収拾がつかなくなる永井豪版「魔界転生」とも言える「ズバ蛮」、学生運動という特異なテーマを扱ったヴァイオレンス・アクションの傑作「ガクエン退屈男」、この辺はとにかく大好きで何度読み返したかわからない。ちなみに三作とも朝日ソノラマのサン・コミックスから出ていて、ROCKHURRAHはなぜかここの装幀が大好きだったとみえる(落丁が多いのがタマにキズだったが)。
そんな永井豪の代表作とも言えるのが誰でも知ってるこの「デビルマン」だろう。有名だから敢えてストーリーとか感想については書かないけれど、後半の暴走ぶりは凄まじく、当時の漫画ではタブーとされていた(に違いない)表現を少年マガジンというメジャー誌で堂々と行なったところが凄い。後半の魔女狩りという歯止めの利かなくなった民衆のエピソードも衝撃的だったが、個人的には前半のシレーヌ編も捨て難い。デビルマンが敵とするのは血も涙もない悪魔ではなくて愛も感情もある悪魔なのだ、というところがROCKHURRAH少年の琴線に触れたらしい。

「ワースト/小室孝太郎」
上記の「デビルマン」とかと比べるとかなりマイナーな部類に入るのかな?とりあえず天才的漫画家と言われる小室孝太郎の唯一の代表作だ。
世界中で同時に降った雨に濡れた人間はみんな死に絶えて、その後に食人鬼として甦る。彼らは残った人類をどんどん食い殺してゆき、ワーストマンと呼ばれる怪物だらけの世界になるという発端から始まる物語。ホラー映画好きならば誰もが思うだろう。これはジョージ・A・ロメロ監督の代表作「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」「ゾンビ」とほぼ同じシチュエーションなわけである。この漫画は70年くらいであるからまだ「ゾンビ」は誕生してなくて、もし作者が着想を得たとしても「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」からという事になる。さらにロメロ監督の作品が割とローカル限定だったのに対してこの「ワースト」は生き残った人類VSワーストマンという壮大なスケールの物語になっていて、主人公も三世代にわたる。そして最後の決着は氷河期のあとという途方もないSF作品となっている。ゾンビも最終的にはちょっと喋れるようになったり進化はしたがこのワーストどもはたった数十年と思える三世代にして空を飛べるようになったり海を泳いだり、恐ろしく進化の度合いが速い生き物というのがありえなくも怖かった点だ。

「青の6号/小沢さとる」
潜水艦を主役としたSFアドベンチャー大作の第一人者とのことだが、そういう特殊なジャンルを描いた漫画家はその後も滅多には現れず、たぶんずっと第一人者のままだったのではないかと思われる。先に大ヒットした「サブマリン707」も無論好きだったのだが、この「青の6号」の方が単に出てくる潜水艦が好きだったというわけ。主役はヒゲにパイプのダルマおやじとも言える艦長とポンコツ潜水艦青の6号。しかし撃沈された青の1号コーバック号や敵艦ムスカの方がなぜか恰好良かった。上記の2つなどと比べると危ない思想もなく、単純に少年漫画の王道とも言える善悪の図式、この作品に関しては漫画そのものが云々というより、純粋にメカに対する興味(というほどメカに興味持った覚えもないが)だけが思い出に残る。「原子力潜水艦シービュー号」「スティングレイ」などの海外特撮TVドラマもそうだったが「青の6号」シリーズもプラモデルとなって風呂での遊びに活躍したものだ。しかもなぜか同じシリーズなのに全然縮尺合ってなくて青の6号搭載のミニ潜水艇フリッパー号よりも青の1号コーバック号の方がずっと小さかったり、なんだかいいかげんな大らかな時代。

「聖マッスル/ふくしま政美」
一時期Quick Japanなどで再評価されて多くの人がそれをきっかけに復刻版を手にしたはずだが、オリジナルは少年漫画史に残るカルト漫画であり醜悪で奇っ怪な作品として伝説だったものだ。何がすごいってこの主人公(名前はない)物語の大半で究極に鍛えられた筋肉を惜しげもなく披露しっ放し、つまりほとんどの場面で全裸なのである。古代ローマとかその辺をミックスした世界でこの名無しの青年が自慢の肉体を武器に渡り歩いてゆくというただそれだけのストーリーなんだが、とにかく見せ場はど迫力のコマ割りと筋肉のぶつかり合いのみというノーマルな少年少女の読者には理解不能という世界。独特のいやらしいタッチの絵も好き嫌いが分かれる(というか好きと言える人はめったにいなかったはず)ところだった。本来ならばこの当時の少年だった者たちの間でのみひっそり語られるはずの作品が後の世代の人間に見出されるというのは音楽の世界でも数多くあることだけれども「消えた漫画家」とかそういうネタ本じゃなくて、どうか自分の力で見出すようにしてもらいたいものだ。

「ワイルド7/望月三起也」
どちらかと言えばSF的な漫画を好むような作品を挙げてきたがここに書けなかったものも多数、スポ根から少女漫画まで幅広い趣味があったのが自分でも意外だと思える。望月三起也作品も「ケネディ騎士団」「秘密探偵JA」「竜の旗」などなど子供の頃から大好きなジャンルで、特に代表作の長編「ワイルド7」は日本のアクション漫画の中では最も好きな作品だ。少年キングという当時からかなりマイナーな雑誌で連載していたにも関わらず大ヒットしたので知っている人も多かろうこの作品。ごく簡単に書くならば法の力で裁く事が出来ない悪党を「退治」するために集められた札付きの不良どもがワイルド7なる警察の非合法組織となり、悪の組織と戦うという話だ。飛葉、ヘボピー、両国、オヤブン、八百、ユキなどという個性的な面子の性格設定もよくされていて各人が乗るバイクや拳銃も素晴らしく凝っていたのが多くの読者に受けた原因だ。これまでの日本の漫画とは明らかに違うダイナミックな描写とあっと驚くアクション、ストーリー展開も素晴らしい。特にコミックス9巻分にもなる最終章「魔像の十字路」ではいい味を出していたキャラクターが一人一人犬死してゆくというやりきれない展開で最後まで読むのが辛かったという思いを漫画ではじめて経験した作品。

ここまで書いたけどやっぱり一回のブログで書ききれなかったため、とりあえず今日はここまで。レコード屋について書いてたブログ記事も中途半端のままだし、今年一年も何だか宿題の多い年になりそうだな。では今から療養に専念しマッスル。

時に忘れられた人々【05】エレポップ

【テコの原理を応用してSNAKEPIPEが作成したテクノ画像(ウソ)】

ROCKHURRAH WROTE:

今どきじゃない人々に毎回焦点を当てる不定期連載「時に忘れられた人々」シリーズも五回目を迎える事となった。好評なのか不評なのか全然わからないけど、ROCKHURRAH RECORDSの基本ポリシーがそこにあるので、これからも続けてゆきたい。
ちなみに前にポジパン特集書いた後はウチのポジパン在庫がゴソッと売れてウハウハ状態(死語?)だったものよ。
さて、今回取り上げる旬じゃない者どもはテクノポップ、あるいはエレポップと呼ばれた音楽を操るバンド達だ。1970年代後半に始まったニュー・ウェイブの中の1ジャンルとして発生した音楽なんだが、要するにこの時代にはまだ目新しかったシンセサイザーを音作りの中心に据えたバンドがウヨウヨ出てきたのが70年代後半というわけだ。それまでにもプログレッシブ・ロックやユーロ・ロックと一般的に呼ばれてるジャンル、特にジャーマン・ロックなどはいち早く電子的な音楽をロックの世界に取り入れたんだが、誰でも知る親しみやすい音楽とは言い難かった。それをポピュラーの世界に持ち込んだのがエレポップというわけ。テクノポップもエレポップも括りとしては大体同じようなものだが、微妙なニュアンスの違いもあるにはあるので、その辺は言葉と言うより感覚でわかってもらうしかない。

まあポジパンの時にも書いたが発生や歴史といった部分まで書くと長くなり過ぎるから自分の知ってる範囲で順不同、敬称略でテキトウに書いてゆこう。

<註:リンク文字は全て音が鳴ります>

Kraftwerk

誰でも知ってる元祖といえばドイツの巨匠、このクラフトワークだろうか。1970年から活動していて最初は電子楽器によるインプロビゼーション的な割と実験的作風だったが70年代半ばから非人間的ヴォイスと極端に無機的な音作りを会得してから、この手の音楽としては奇跡的とも言えるヒットを放った。真っ赤なシャツにネクタイ、そして耳の横の鬢をスパッと切り落としたテクノ刈りなど音楽以外にもさまざまな分野に影響を与えたところが他のジャーマン・ロックよりも目新しかった部分かな。江口寿史の漫画でもパロディ化されたりしたなあ。

Bill Nelson

日本ではあまり一般的ではないが、元々は74年にデビューしたビー・バップ・デラックスを率いていた人。デビュー当時はグラム・ロック寄りのハード・ロックといった路線だったが40〜50年代の人が考えたB級SF的近未来、という個人的趣味を大々的に取り入れたコンセプトの音楽を発表し続けた功績は大きい。ビー・バップ・デラックス解散後にソロとなってYMOのツアーにもギタリストとして参加したり驚異の一発屋フロック・オブ・シーガルズを見出したり日本人の奥さんを娶ったり多方面で活躍したが、最も好きだったのは79年のビル・ネルソンズ・レッド・ノイズ時期のエレクトリック・パンクな頃だ。映像はオフィシャルなものではないがビル・ネルソンという人が目指したものが一目瞭然でわかる構成となっていてヘタな文章よりは説得力があるもの。

Yellow Magic Orchestra

テクノと言えば真っ先に誰もが思い浮かべるのが外国のどのバンドよりもこのYMOだろう。クラフトワークの持つコンセプトを東洋に置き換えてさらにわかりやすく大ヒットさせたという功績は大きい。欧米と違いヒットチャートも音楽番組も歌謡曲中心、ロック出身者にとっては不利だった当時の日本でほとんど歌なしの「テクノポリス」や「ライディーン」がヒットした現象もたぶん前代未聞。

Ultravox

パンク以前から活動していたバンドでビル・ネルソンなどと同様、英国ニュー・ウェイブの元祖的存在がウルトラヴォックスだろう。テクノポップとかエレポップという分野で語るのは少しお門違いかも知れないくらいにエレクトロニクスは多用してないんだが、ちょっとだけ使うのがいいのよん。いかに効果的かは聴いてみるとよくわかる。ジョン・フォックス在籍時の初期は荒々しく性急な音楽性とヨーロッパ的耽美世界がクロスオーバーした音楽で(何じゃこの陳腐な表現は?)まさにこれこそ先駆的、とマニア受けするバンドだったがエラが張ったオバチャン顔のジョン・フォックス(♂)の風貌のせいか一般的な人気にはならなかった。その後のミッジ・ユーロの時期に大ヒットして日本でもサントリーCMなどであまねく知られる存在となった。当然、個人的にはジョン・フォックス時代が好き。このウルトラヴォックスの手法(荒々しい歌と演奏+ちょっとだけキーボード)をうまく進化させたのが少し後に登場したXTCやこの次に挙げる人だと言える。

Tubeway Army

このバンド名で書くよりもゲイリー・ニューマンと言った方がピンとくるか。ニュー・ウェイブ初期にウルトラヴォックスの音楽性を換骨奪胎した幻想アンドロイドが彼だ。タカラの変身サイボーグやSF映画のアンドロイドを思わせる風貌とウルトラヴォックスよりはエレクトロニクスをやや駆使した音楽が受けて数曲大ヒットしたがその後は失速。ROCKHURRAHブログでも前に登場していて(「軟弱ロックにも栄光あれ」)同じような事書いてるな。

Plastics

YMOを元祖とする日本のテクノポップは当時のニュー・ウェイブ・カルチャーの中で浸透してゆき、日本独自の発展をした。音楽一筋の生き方をしてたわけではないカタカナ職業(またしても死語か?)の人たちが集まって遊びのように始めたこのプラスティックスも「こんなのありなんだ」という世界で非常に面白かった。ヴィジュアルも音楽も30年後の今でも通用するクオリティだね。というか音楽もファッションも個性も三流だと思える現代日本のポップス界と比べるのも意味のない行為か。

ヒカシュー

21世紀の今でも彼らの代表作「20世紀の終わりに」を聴いてノリノリのROCKHURRAH一家だ。ヒカシューの場合はテクノポップという分野に演劇、そして奇妙で気色悪いものを取り入れたのが新しいと思える。石井輝男監督の大傑作「江戸川乱歩の恐怖奇形人間」の主役と似た巻上公一のインパクトある顔立ち、そして「ぴろぴろ」に「プヨプヨ」だもんな。一般人にゃとても真似出来ません。

Der Plan

最初の方でも書いたがドイツは80年代には日本と並ぶテクノ先進国だった。本家クラフトワークや脱退組によるノイ!、ラ・デュッセルドルフなどという先例もあったが70年代後半から俗に言うノイエ・ドイッチェ・ヴェレ(ドイツのニュー・ウェイブ)のバンド達が次々と意欲的に活動していたからだ。ただし伝統と言うべきか電子楽器を使ってもどちらかと言うと実験的なバンドが多かった分野なわけだが、その中にあってこのデア・プランは日本のテクノにも通じるわかりやすいエレクトロニクスで人気があった。代表作「グミツイスト」などは歌詞もすばらしくチープなテクノ・クラシックスの名曲。今回は誰でも知ってるようなバンド達が多かったから敢えてここに書いてみた。

Depeche Mode
テクノという自信ありげな響きと違いエレポップというのはいかにも頼りなげで取って付けたかのようなネーミングの軟弱感がある。その辺の微妙な色彩を体現した代表選手と言えばこのデペッシュ・モード(初期)が真打ちだろう。あどけない顔立ちにチェックシャツ、そして吹けば飛ぶようなチープなエレクトロニクスの単音、何と親しみやすいメロディだろうか。特別な才能を持ったアーティストというよりは隣の弟分が作ったハンドメイドの音楽という感じが初期デペッシュ・モードの良さだった。しかしその後には随分と力をつけて独自の路線を見出したようで、逆に素人臭さが抜けた彼らにあまり興味を持てなくなった。あのチェックシャツはどこに行ったんでしょうか?

???

長くなったし書いてる今は午前3時。最後はこの人で締め括ろう。この一曲のみなんだがちゃんとリッパに「テクノ」と明言しているからこれでいいのだ。作曲は「東京ワッショイ」で有名な遠藤賢司、バックを東京おとぼけキャッツが務めているのもマニアックだな。「テクノポップやエレポップでももっと有名なバンドあるじゃないか」などという意見もあるかも知れないが思いついた順なので、時間切れになってしまい申し訳ない。まとめの言葉も何もないけど、ではみなさんおやすみなさい。

時に忘れられた人々【04】Positive Punk

【あんパン、メロンパン、えっ?ポジパン!】

ROCKHURRAH WROTE:

暑いから「背筋も凍る音楽特集」でもと思ったが、そんなに都合良く寒気がする音楽なんか転がってなかった。なので今回はズバリ、80年代半ばを席巻したポジパン特集といこう。関連性は特にないがウチで結構扱ってるジャンルだから、一度まとめて書いておきたかったというだけ。

正式名称(?)はポジティブ・パンクなんだがこの音楽には後の時代に付けられたさまざまな呼び方が存在していてゴシックだのゴスだのデス・ロックだの、傍から見たらどうでもいいようなネーミング・センス。ROCKHURRAHとしてはやはり80年代的にポジティブ・パンクのままでいいじゃないか、と言いたい。 発生についてはよくわからないが80年代ニュー・ウェイブのジャンルとして発達したネオ・サイケ、ダーク・サイケと呼ばれるような音楽が元になって82年くらいから登場し、ホラーな化粧、神秘主義(?)、奇抜な衣装など悪趣味とも取れるようなルックスだった一団を主にポジティブ・パンクと言うようだ。

この手の音楽の先駆者としてよく挙げられる、つまりロックの世界にゴシック的な要素を取り入れたのはやはりジョイ・ディヴィジョン、スージー&ザ・バンシーズあたりなんだろうが、バンシーズはともかくジョイ・ディヴィジョンについてはポジパンと言ってる人はたぶんほとんどいないだろう。音楽的には後のポジパンに多大な影響を与えたのは間違いなさそうだが、見ての通りイアン・カーティスは特に目立ったところのない地味な若者。たまに機関車の車輪のように両手をぐるぐる回すといったアクションをするのは並じゃないが、ポジパンの大きな特徴であるどぎついメイクとか、そういう要素は皆無なのだ。

ポジパンのルーツとか成り立ちとか、そういううんちく話はいくらでも見てきたように書けるけど、今回は一切抜きにしてただ過去にポジパンの範疇に引っかかっていたバンドたちを純粋に追いかけてみよう。

Bauhaus

重厚で沈んでゆく曲調とパンクの攻撃性、ホラー・・・と言うよりはもっとクラシカルな怪奇映画趣味を取り入れて従来のグラム・ロックをより文学的、芸術的に再構築して、ダークなのに割と一般的に人気があったのがこのバウハウスだろう。
ピーター・マーフィーの中性的なヴォーカル・スタイルだけでなく、バンドとしての質の高さ、見せ方が非常にうまかったな。

彼らが登場したのはまだポジパンなどの音楽が誕生する前だが、後の時代のポジパンに直接的な影響を与えたのは間違いない。
何はともあれ「裸にメッシュ・シャツ=着ない方がマシでしょう」と言えば真っ先に思い浮かぶのがやはりバウハウスかな。何かやたら「的」が多い文章だな?

Sex Gang Children

ポジパン御三家の筆頭。
ヴォーカル、アンディ・セックスギャングの角刈りリーゼントのような髪形に白塗りの化粧というスタイルはポジパンと言うよりは一部のサイコビリーに通じるものがある。
音の方は典型的なポジパンもあるが、どちらかと言うとかなり珍妙な部類に入る曲が印象的。正体不明のモンゴル調なものなど、通常のロック的な観点からは笑ってしまうようなものだし、そういうキワモノという点がポジパンの理想とする姿にピッタリ当てはまったのか、人気は高かった。

ROCKHURRAH RECORDSの商品紹介にもよく書いてる事だが「カッコいいのを通り越してカッコ悪くさえある」という境地。
本人とファンが気持ち良ければ他はどうでもいいでしょう、の世界。

Southern Death Cult

セックスギャング・チルドレンと並ぶポジパン御三家の人気バンド。
最初はサザン・デス・カルトというバンド名だったがデス・カルト→カルトとだんだんバンド名が短縮されてゆき、それにしたがってポジパンという特殊なカテゴリーから抜け出して、より汎用性の高いロックに変身していった。
後半には化粧っ気もなくなるが初期の見た目はなかなか派手でインディアン風+アダム・アント風と言うべきか、日本のウィラードなどとも近いルックスをしていた。全盛期には音楽雑誌の表紙などを飾ったりもしたろう。

気色悪くて怖そうなセックスギャングなどと比べると確かに女性受けはするな(笑)。ところが個人的にヴォーカリストのイアン・アストベリーの声がどうしても好きになれず、あまり好きじゃないバンドだった。
この曲、デス・カルト時代の「Gods Zoo」などは良かったけどね。

Alien Sex Fiend

上のふたつと比べると少し劣ると勝手にROCKHURRAHは思い込んでるが、本当は人気あるのかも。その辺のご当地人気ランキングは見てきたわけじゃないからよくわからぬ。ポジパン御三家の真打ちなのか?
当時のイギリスでポジパンの聖地だったクラブ、バッドケイヴを中心に盛り上がっていたのがこのエイリアン・セックス・フィーンドだ。

何だかタレ目でタヌキ顔のくせに顔がのっぺり長いとか、化粧や服装、レコード・ジャケットが悪趣味でドギツ過ぎ、とか思い込んでいたため個人的にこのバンドはあまり聴いていない。んが何とSNAKEPIPEは持っていたそうで「この曲聴いたことある」だって。うーん、さすがは補完し合う関係だな。
ベースがいないというやや変則的な楽器編成だが、我が高校生時代もドラムマシーンとギターのみで曲を作っていたものだ。ん?そんな話は今は関係ないか。後のマリリン・マンソンあたりの元祖と言えなくもない。今回のブログタイトル下の写真はこのバンドより採用。

Virgin Prunes

アイルランド出身のキワモノ・カルト芸術集団といった風情で上記御三家よりはずっと好きだったバンドがこのヴァージン・プルーンズだ。
特にすごい芸術的理念を持っているわけではなかろうがキリスト教の国々ではタブーとされるような表現を数多く題材としていて、その辺のこけおどしB級感覚が好きだった。
ホラー映画に出てくるおばちゃんのような女装(なぜか人形を抱いたりしている)やヴォーカルの下品なダミ声もバンドの雰囲気にピッタリだった。
ごく初期は同じダブリン出身のU2と深い関係にあり、U2のジャケットで有名になった少年もヴァージン・プルーンズの一族だそうだ。

Specimen

70年代パンクの時代にイギリス最初のインディーズ・レーベルとして誕生したRAWレーベルで活動していたUnwantedというバンドのオリーが中心となったポジパンのバンド。
プロモ見てもわかる通りポジパンというよりはグラム・ロック的な要素が強くてロッキー・ホラー・ショーを彷彿とさせるメイクや衣装。
いわゆるゴシック云々の重苦しい部分はなくて少しコミカルなところに味があり、正直言ってあまり音楽的違いのないバンド達が多かったポジパンの中では面白い存在だった。
このプロモに限って言えばギターなんかはまるでHell-RacerのChiyo-Xみたいだし、そしてここでもやはり裸に網シャツが大活躍。

Screaming Dead

これまたドラキュラ風の化粧が似合ったバンド。
ポジパンがブームだった頃でも日本では不当なまでに紹介されず、あまり世間で知られてないバンドのひとつだと言える。
化粧をしてるという以外はポジパン的ゴシック的要素はほとんどなくて、ダムド風の演奏にジェネレーションX風のヴォーカルが実に恰好良いチンピラ・バンドだった。
先のスペシメンの時にも書いた通り、様式倒れというほど画一化してしまったポジパンには面白みがなかったもんだが、このスクリーミング・デッドのように威勢の良いバンドは大好きだ。レーベルもハードコアで有名なNo Futureだったしね。たまにGSっぽいような音楽もやっていて、それがまたいいなあ。
人気なかったのでプロモが少なく、前述のドラキュラ風化粧はしてないんだが、ROCKHURRAH RECORDSで販売中なのでそっちでジャケット写真をチェックしてみて。

Ausgang

非常に派手な見た目でルックスは典型的ポジパン、申し分なし。初期はKabukiなるバンド名だったが途中で改名したようだ。見た目とは裏腹に音楽の方はちょっとバースデイ・パーティもどきのプリミティブな部分があって一般受けは難しいもの。ヴォーカルの声も妙に甲高いし、そんなわけで日本での知名度はイマイチかも。この見た目でもう少しキャッチーな音楽やってればもっと人気出たろうに、惜しい。

Cristian Death

イギリスのポジパンとはたぶん全然違う発展をしてきたはずだが、アメリカにもこういう見た目のポジパンがちゃんと同時代に存在していた。それがこのクリスチャン・デスです(突然丁寧語)。
デビュー・アルバムのなぜかフランス盤を一枚だけしか所有してないのでこのバンドがどうなったのかは全然知らないんだが、やはり栄養も違ってガタイもでかい、体力的にも優っているアメリカ、というような印象で英国バンドより力強いものを感じる。もう書くのも疲れてきたので紹介もぞんざいだな。

The Sisters Of Mercy

「ゴスの帝王」などと呼ばれていい気になってる(なわけないか?)アンドリュー・エルドリッチによる伝説のバンドだが、上記のポジパン達とは違って彼らにはほとんど化粧っ気はない。
でっかいレイバンのサングラスとシルクハットのような帽子に長髪といったスタイル、そしてドクター・アバランシェなる名前の付いたリズム・マシーンに乗せて歌うくぐもった低い声、これだけで奇跡のシングル・ヒットを連発したというところが伝説なんだが、彼らが1stアルバムを出した1985年頃にはポジパンのブームはそろそろ終わりに近づいていたような気がしないでもない。そういう意味でポジパンの最後を飾る大物といった見方も出来るかね。
このシスターズの主要メンバーで大ヒットの影に関与していたウェイン・ハッセイ(後のミッション)は個人的に好きじゃないので省略。

March Violets

レーベルも初期は一緒だったしどちらもドラム・マシーンによるバンド構成だったし、シスターズと比較される事が多かったのがこのマーチ・ヴァイオレッツだ。
そのためか意図的にシスターズと違う路線を歩まなければならなかったところがすでに不運。と言うか特に似たところはなかったんだけどね。
本当は全然違うのかも知れないけど存在感のある兄貴と不肖の弟、というような構図が勝手にROCKHURRAHの中に出来上がってしまってる。
このバンドはそういうダメな部分も含めて大好きだった。
女性ヴォーカルとやや品のないサイモンDのいやらしい声の掛け合い、そして無機質なビート、謎の宣教師みたいな風貌、ヒゲもすごい。

プロモの撮り方が差別的でヴォーカルはヒゲ男サイモンDがメインなのに映ってるのは女性ヴォーカルばかりというアンバランスさ。まるで「ワンピース」のDr.ホグバック&シンドリーちゃん状態。知らない人が見たら勘違いしそうだが、たまにチラチラ映る方がリーダーなので間違えないように。

以上、ROCKHURRAH RECORDSらしくあくまでも当時のポジパンに焦点を当てて書いてみた。正直まだ書ききれないという部分もある反面、どのバンドも違う言葉で紹介する事出来ないよ、というくらいに書いてる本人まで区別つかなくなってしまった部分もある。要するに同じような嗜好を持った者の集まりという特定の形式だから、どれも似てしまうんだよね。

今のこの時代に80年代ポジパンを追い求めてる人は少ないと思うけど全盛期には街角にもごろごろこんな奴らがいた素晴らしい時代。「時に忘れられた人々」の趣旨とすればまさにピッタリな内容じゃなかろうか。

時に忘れられた人々【03】リヴァプール御三家

【最近話題にもならない御三家モーフィング、ROCKHURRAH制作】

ROCKHURRAH WROTE:

今回書こうとしているあまり旬じゃない人はズバリ、リヴァプール御三家の事だ。とは言ってもこれは誰でも「ああ、あの三人ね」と知ってるようなもんでもなく、リヴァプール地方のニュー・ウェイブを多少かじった事があるような人にしか通用しない御三家だと言える。

あの世界一有名なバンドを例に出すまでもなくマージービートなどという言葉があるくらいだから、リヴァプールが世界的に誇れる音楽の産地なのは音楽に疎いおやっさんでも小娘でも、何となく想像は出来るだろう。
この地は70年代以降も良質のポップ・ミュージックを生み出してきた。特に盛んだったのは70年代半ばに登場した大所帯バンド、デフ・スクール以降、俗に言う「リヴァプール・コネクション」とか「リヴァプール・ファミリー・ツリー」と呼ばれた時代・・・ん?わかりにくいかな?単純に言うなら「80年代リヴァプール」の時代だと個人的には思える。

ROCKHURRAH RECORDSのオンライン・ショップでもリヴァプール物は有名無名に関わらず色々扱ってるが、このブログでデフ・スクールやビッグ・イン・ジャパンといったバンドについて説明してると長くなり過ぎて御三家が書けなくなってしまうので残念ながら省略させて頂く。後のパンク、ニュー・ウェイブの時代に活躍した人々が多数在籍していたのが上記2つのバンドで、80年代に大活躍したプロデューサー、クライブ・ランガーやイアン・ブロウディ(キングバード)もこれらの出身。この辺が80年代リヴァプールのルーツとされる。

さて、ようやく御三家だ。その三人とはイアン・マカラック、ピート・ワイリー、ジュリアン・コープの事だ。三人が1977年にクルーシャル・スリーなるバンドを始めてすぐにやめてしまった事は割とどこにでも見てきたように書かれている。が、これは伝説的なバンドでも何でもなく、単に勢いで始めたけど、あまりウマが合わなかったから続かなかった学生バンドみたいなもんだろうと推測出来る。というわけで御三家とは言っても三人は全然別々の活動をしてゆく。

イアン・マカラックはその後のエコー&ザ・バニーメンを率いる英国一のタラコくちびるの持ち主。イアン・マッカロクと表記するのが正しいようで最近はこの呼び方になってるみたいだがROCKHURRAHは80年代通りにマカラックと呼ぶことにする。
この三人が別れても独自の道として選んだのはネオ・サイケと呼ばれるような音楽の範疇になる。
アメリカのサイケデリックとは少しニュアンスも違うんだが、簡単に言えばヴェルベット・アンダーグラウンド、ドアーズあたりから影響を受けた80年代初頭の英国を象徴するような音楽だ。どちらかと言うと暗くて内省的、生真面目な音楽が多い分野だから普通のヒットチャートではあまり受けないタイプの音楽だと言える。
その中でもエコー&ザ・バニーメンは頑張って音楽雑誌の表紙にもよく登場、ネオ・サイケの中ではかなり有名なバンドへと成長してゆく。御三家の中では日本での知名度も最も高い。

彼らの魅力はもちろんバンドとしての完成度の高さ、曲の良さもあったが、やっぱり何と言ってもイアン・マカラックのヴォーカリストとしての声の通りの良さにあったんじゃなかろうか。ものすごく特徴的なわけでもないのに彼の声はどこで聴いてもすぐにわかってしまう。まるで雛鳥みたいなツンツンの頭に古着コート、あるいは迷彩服といったスタイルで唇を除けば少女漫画に出てきそうなか細い少年っぽい風貌のイアンくんなんだが、これがソリッドで力強いエコバニの演奏に乗って歌えば天下無敵というのが80年代初頭のネオ・サイケの代表的なもの。
80年1st「クロコダイルズ」から84年4th「オーシャン・レイン」くらいまでが全盛期だったけど、似たようなもどきバンドが大量に現れ、このくらいからネオ・サイケは質も低下して面白みがないものとなってしまった。先駆者であった彼らも一緒に失速してしまい、ドラマーの事故死などもあり、エコー&ザ・バニーメンはいつの間にか消えてしまったとさ。90年代後半に復活したけどその後はどうなんだろう?ROCKHURRAHもサイケからサイコに変わってしまったので消息はよくわからない。同じような起点から始まったU2とかがより大げさなロック・バンドに変貌して面白くなくなったのと違い、彼らはいつまでも80年代ニュー・ウェイブ、80年代リヴァプールを感じさせていて欲しいもんだ。

ジュリアン・コープはこの三人の中では最年長にも関わらず、自由奔放な変人というイメージが強く、個性という点では際立っていた。彼がクルーシャル・スリーの後、いくつかのバンドを経て始めたのがティアドロップ・エクスプローズだ。
エコー&ザ・バニーメンを正統派とするならこのバンドは既成の枠に入らない変格派とも言えるネオ・サイケを持ち味にしていた。何だかニュー・ウェイブには見えないヒゲオヤジや海兵隊みたいなのがメンバーにいるしトランペットやキーボードが活躍する音楽も曲によって随分印象が違っているし、声はこもっているし、マジメなのかふざけてるのかよくわからん。極端に変というわけじゃなくて総合的にちょっと歪んでいる独特の世界が魅力だった。例えて言うなら80年代のシド・バレットというような役柄なのかね。

ティアドロップ・エクスプローズは素晴らしく良い曲も残してはいるんだがシングルで選んだ曲がよりによってこんな単調な曲か、という不可解な傾向もあり、日本での知名度はイマイチ、ジュリアン・コープの個性が完全に活かし切れてない部分も目立つバンドだった。
そんな彼が84年あたりからはソロ活動となり、本当にやりたい事を自由気儘にやった世界が素晴らしい。前述のイアン・マカラックよりもさらに80年代少女漫画に出てきそうなルックスは申し分なかったんだが、そういうカッコいい部分を敢えて売り物にせずに作った2ndアルバム「Fried」では、何と裸に亀の甲羅を背負った奇妙なジャケット。ジュリアン・コープの奇妙な個性を最も端的に表した写真かも知れない。

しかしこの亀人間の後に聖なるロックスターに鮮やかに転身して、ファンとしてはそっちの方が仰天したもんだ。亀でもロックスターになれるのか?この後のコープの活動はあまりよく知らないんだが、なぜか古墳の研究をしたり日本のロックについての本を書いたり、やっぱり興味の方向性もちょっと変。

ピート・ワイリーはジュリアン・コープの変な部分とは少し違っているが、これもやはり変人の部類に入るのは間違いない。
コープ同様にいくつかのバンドを経てたどり着いたのがWah!というバンドなんだが、Wah! Heat、 Shambeko Say Wah!、 J.F.Wah! 、Mighty Wah! などとレコード出すたびに出世魚並みに名前を変えてゆく。そしてネオ・サイケからブラック・ミュージック、果てはアフリカン指向というあまり結びつかない音楽へ傾倒していったり、初期と後期ではまるで違う事をやっている。
何やらよくわからないのだが、強い熱いメッセージがあるのは確かなようで三人の中では最も理解するのが厄介な人だ。
音楽が難解というわけではないんだがどこを弾いてるのかよくわからない抽象的とも言えるギター・プレイも少し不可解で、三人の中では日本での知名度も一番低いというのもうなずける。少しロッカー風な見た目でマカラックやコープのように女性ファンがつきそうな部分はあまりないね。

初期はカッコいい曲よりも地味な曲が目立っていたが82年くらいからいわゆるバラード的な大作名曲指向になって一気にヒットチャートを賑わせる・・・というわけでもなく、やはり不人気のまんま(日本での話)だった。名曲を作る才能は素晴らしく、ひいき目に見ればスタイル・カウンシルあたりの線で受けたかも知れないのに、やはり妙な改名マニア、ややわかりにくいメッセージゆえか。

数多くのバンドが過去の栄光よ再び、というような再結成をしている。この三人が過去のいきさつは水に流して手を取り合い、世に出る事がなかった幻のバンド、クルーシャル・スリーとして再結成してくれれば・・・うーん、今でもまだ追いかけて熱狂してくれるファンもいるのかな?

これらの文章とは全然関係ないがとりあえずROCKHURRAH一味はゴールデン・ウィークの楽しみ、REZILLOS初来日公演(ROBINが共演)に行ってきます。詳しいレポートはまたSNAKEPIPEが書いてくれるだろう。
ではまたsee you next week!