SNAKEPIPE MUSEUM #23 Xavier Mascaró

【物々しい鉄の甲冑軍団がかなり不気味で良い感じ!】

SNAKEPIPE WROTE:

ペドロ・アルモドバル監督作品鑑賞から、すっかりスペイン熱に浮かされているSNAKEPIPEとROCKHURRAH。
他の監督によるスペイン映画はもちろんのこと、ワインやお菓子までスペイン産を好んで選ぶようになっているほどだ。
もっとスペインについて知りたい、と思っている時にふと気付いたのがアートの世界のこと。
スペインには有名なアーティストがたくさんいて、アート量産国だったんだよね!
誰もが知っているピカソを始め、ダリやミロ、エル・グレコにゴヤ、ベラスケスと世界的に知られている画家のオンパレード!
「アンダルシアの犬」でお馴染みの映画監督ルイス・ブニュエルもスペイン出身だったよね。
今まで特別意識していなかったけれど、スペイン人の作品に慣れ親しんでいたことを改めて認識したよ。

そういえば現代アートの世界はどうなっているんだろう?
今回の「 SNAKEPIPE MUSEUM」はスペインの現代アーティストを紹介してみたいと思う。
スペインの現代アーティストと検索した時に一番初めに目に飛び込んできたのが、一番上に載せた画像だったんだよね。
どっしりと重厚感のある、まるで闇の世界から出現したかのようなダークな雰囲気を持った彫刻はSNAKEPIPEの好みそのもの!
アートがしっかり根付いた土地には、やっぱり面白い作品を作るアーティストがいるんだね。
この作品を作ったのは一体誰?

今回SNAKEPIPEが気になったアーティストは、1965年パリ生まれのスペイン人、ザビエル・マスカロ
一家は1968年にスペインへ移住する。
1988年に美術学位を取得し、バルセロナ大学を卒業した翌年から青銅細工の制作を開始。
1995年には、鉄を使用した彫刻を始める。
1998年に個展を開催。
現在はメキシコシティとマドリードを行き来する生活を送っている。
国際的にも著名なスペインの芸術家のうちの1人である、とのことである。

6体の作品が並んでいる、左の写真は2012年に制作された「Warriors」である。
画像が小さいので判り辛いと思うけれど、ところどころが朽ち果てたように穴が開いていて、もう少し経ったら崩れ落ちてしまうような状態である。
素材は鉄を使用しているのに、ガッチリとした安定ではなく、不安を感じさせるという矛盾がテーマなのかもしれないね。
タイトルも「勇士」なのに、強そうで勇敢なイメージとは程遠いところにも注目かな。
一番上の画像では、黒い鉄が年月を経て錆びてきて、赤銅色に変色しているところが凄みになっていたのとは別の印象を持つ。
様々な表情を与えられた鉄を鑑賞するのは初めてかも?

右の作品は「Bastet」という2011年から2012年にかけて制作された作品である。
陶器、鉄、木材や樹脂など複数の素材が使用されているらしい。
恐らく犬などの動物をモチーフにしていると思うけれど、まるで縄がかけられているような状態で、更に横向きの画像では判断が難しいね。
囚われてるようだけれど悲壮感はなく、何故だか静謐な雰囲気を感じてしまう。
きっとこの作品も年月の経過が何かしら作用して、また違う印象を残す作品に変化するんだろうね。
時間を作品に組み込んでいるのが、ザビエル・マスカロの特徴みたいだね。

 2013年の「Tribal song」はより土着的な、原始宗教を思わせる作品だね。
そうか、とここで思い付く。
左の顔はまるで埴輪みたいだよね?
はい、ここで問題です!
弥生時代の後の250年頃から飛鳥時代の前の600年末頃までの時代を、何時代というでしょう?
正解は、古墳時代でした!(笑)
Wikipediaで古墳時代や埴輪について調べてみると、そこに参考資料として載っている画像はまさにザビエル・マスカロ!
「武装男子立像」は鎧に身を包んだ戦士だし、「馬形埴輪」も「Bastet」に似てるんだよね。
埴輪という文化が日本特有のものなのか、大陸から渡ってきたのかSNAKEPIPEは詳しくない。
似たような文化がどこの国にもあるのかもしれないけれど、SNAKEPIPEは埴輪に似てると感じたよ。
ザビエル・マスカロの作品を観て惹かれたのは、 日本人の血が騒いだからなのかもしれないね?(笑)
誰もが持っている遠い祖先の記憶を胸に、改めてザビエル・マスカロの作品を鑑賞してみようか。
もしかしたらこれが古きを訪ね新しきを知ることなのかもしれない。
いつかザビエル・マスカロの作品を実際に鑑賞してみたいね!

映画の殿 第04号 ヒロイック・ファンタジー三選

【ほとばしる汗と筋肉!スポーツの秋?】 

ROCKHURRAH WROTE:

映画通は全然唸らないとは思うが、ROCKHURRAHとSNAKEPIPEの2人が自分の主観で何かネタに出来ると感じたものだけを特集するのがこの「映画の殿」という企画だ。
SNAKEPIPEの書いたものは割とオーソドックスな感想だったり、ためになるレビューだったりするけど、ROCKHURRAHの方はあまり感想文のようなものは書けないから、どちらかと言うと映画以外の部分から攻めてゆくという方向性でやっていこうかと今思いついた。

さて、今回書きたいのはSFやファンタジーで古典中の古典と言える作品を題材とした映画について。
ROCKHURRAHはミステリーや古典的な探偵小説は子供の頃から読んでいたんだが、SFやヒロイック・ファンタジー(特に海外の)はそこまで詳しいわけではない。
兄が2人いて読書家だったので、自分独自の路線を見出す前の少年時代には、当然影響を受けて同じ小説を読んでいたのが始まりだった。兄たちが特に好んでいたのがSFやヒロイック・ファンタジーだったのでその辺に置いてあった本というのがコナンや火星シリーズ、レンズマンにスカイラークにエルリックにノースウェスト・スミスなどなど。例の挙げ方がメチャクチャ(しかも実際にちゃんと読んだものは少数)で済まないが今何となく思い出したのがこれらの作品。
どれが面白いのかわからずに(主に表紙や挿絵で面白そうなのを選んで)テキトウに断片的に読んだものだった。今考えると随分とマセた小学生だったなあ。

そんなROCKHURRAHの少年時代なんだが、中でもよく覚えているのが(つまり好きだった作風が)エドガー・ライス・バロウズの「火星シリーズ」とロバート・E・ハワードの「英雄コナン・シリーズ」だ。どちらもこの手のジャンルでは王道過ぎて、今どき誰も語らないくらいのシロモノなんだが、少年時代に読んでワクワクした感触は数十年経った今でも忘れるものではない。
ちなみにバローズと呼ぶのが最近では主流らしいがROCKHURRAHはずっとバロウズと読み書きしていたので、ここではその書き方にしておく。

それらの小説を一応原作とした映画が近年、なぜか公開されて、DVDにもとっくの昔になっていて「こりゃ懐かしいわい」と借りて両方とも観たのが今回のネタとなったわけ。

エドガー・ライス・バロウズの代表作とも言える火星シリーズ、その第一作目「火星のプリンセス」を元ネタとしたのが「ジョン・カーター」という2012年の映画。
何と原作から100年の時を経てやっとこさ本格的な映画化、さらにディズニー製作というのにビックリだったが、これについては製作が進んでいる頃から情報は得ていた。
ついでに、莫大な制作費をかけたにも関わらず予想よりは流行らなくてディズニー映画としては「コケた」部類の映画だという風評も知ってはいた。
どうせ原作とは違うものになるだろうし、全然期待してなくて映画公開時も観に行く事もなかったんだが、一応DVDになった時に借りてみた。

この作品を全く知らない人のために一応書いておくが、エドガー・ライス・バロウズが「火星のプリンセス」を発表したのは今から約100年ほど前、日本では何と大正時代にあたる。
バロウズはこの「火星シリーズ」以外でも「金星シリーズ」「月シリーズ」「地底世界ペルシダー・シリーズ」などヒット作を連発したベストセラー作家だった。これらを知らない人でもターザンの原作者と言えば大体誰でもわかるだろう(オリジナルの「ターザン」を読んだり映画で観たりした人は今どきさすがに少なかろうが、知名度という点で)。
宇宙や太古のような世界を舞台にしたからSFの範疇に位置する作品、というわけではなくて、話の内容はどちらかと言うと異郷の地で繰り広げられる冒険活劇と言うべきか。
正義のヒーローが悪漢に捕らえられた姫を助けにゆく、というような王道極まりない設定で、そこに至るまでの道には一切ひねりもない。まあ、そんな大昔に書かれた小説であっと驚くひねりがないのは当たり前と言えるか。

南北戦争の士官だったジョン・カーターがアリゾナ奥地でなぜだか火星にワープ(というより幽体離脱)してしまう。その火星はキュリオシティとかの映像によって現在我々が知り得た火星ではなく、100年前の1912年にバロウズが想像した火星バルスームであり・・・などといちいち書いてたらこの時代のSFについてなんか語れないな。
ROCKHURRAHは科学的な根拠なんか全然気にしない事にしよう。
さて、火星に着いたらビックリんな事に、ちょっとジャンプしただけで数十メートルもの跳躍が出来るという現象(重力の違い)に気付く。士官だからやや強く鍛えた男だったんだろうが、この火星では誰もが度肝を抜かれるような超人的な能力を持つ事になるのだ。人はちょっと跳べるだけでこんなに強くなる、という事が少年時代には驚愕だった。
ただピョンピョンと無人の火星を飛び回るだけでは小説にならぬから、バロウズは火星人を登場させる。どうやらこの火星では四本の腕を持つ緑色人種と地球人的な赤色人種、さらにいくつかの怪物のような生物がいる模様。タコの火星人はいないのか?それらの種族は互いに争いあっていて、ジョン・カーターも抗争に巻き込まれてしまうというような大筋だ。

火星に着いた後のストーリーは後のSFや「スターウォーズ」あたりに多大な影響を与えたのは間違いない。仲間になる四本腕の異形の緑色人種、タルス・タルカスや美女のお姫様デジャー・ソリス、マスコット的な火星の番犬(ただし全然かわいくない)などのキャラクター設定に似たものは、スペース・オペラと呼ばれるこういうジャンルの小説にはお約束のように手を変え品を変え登場していたのだろう。
そういった後世に登場したSFやアニメの偉大な元祖がこの火星シリーズというわけだ。
この手の冒険活劇は荒唐無稽だの子供っぽいだの陳腐だのと評されたりもするが、全てがリアルで科学的考証に基づいたSFだけが尊いわけじゃない。これはこれで立派な大衆娯楽なのは明らかだ。

原作についてばかり書いたがこの映画は昔の時代には実現出来なかった特撮が、技術の進歩により100年もかかってようやくちゃんとした映画になったという点が評価出来る。「映像化不可能」という制限が今ではCGなどの発達で不可能じゃなくなったからね。確かにこれを着ぐるみやハリボテ、大規模なロケなどで全部アナログで作ってたら大変だもんね。

さて、主役をやっている2人については特に感想もない、というのが正直なところ。特に悪くもないけど、原作と比べてどうなんだろうか?
主人公のジョン・カーターを演じたのは同じ年にヒットした「バトルシップ」でも熱血バカ船長を演じたテイラー・キッチュなる男。
デジャー・ソリス役は「姫」というにはちょっと歳を取り過ぎてる気がするいかつい女、リン・コリンズ。絶世の美女役をやるのはちょっとなあ、と感じる。
原作では身長3メートルを超える大男タルス・タルカス(と言うより緑色人種全て)もこの映画では割と人並みの縮尺になっていたのも残念。何か細くてカマキリ星人にしか見えないんだよね。弱そう。
熱烈なファンが多い原作だけに、この辺のちょっとした齟齬が不評の原因だったのか?原作とここが全然違うというあら探しはいくらでも出来るけど、何も許さなければ永遠に映画化は不可能という気もする。

ちなみにこの「ジョン・カーター」より前の2009年に「アバター・オブ・マーズ(原題Princess Of Mars)」なる作品が出来上がってたりする。
こちらは80年代に一世を風靡したポルノ女優、トレイシー・ローズがデジャー・ソリス役をやっているようなんだが、この映画の時一体何歳なのか?と思うと怖くて観れないんだよね。上のリン・コリンズよりも明らかに年長だと思われる。ジョン・ウォーターズの映画「クライベイビー」の時はカッコ良いロカビリー不良少女役で良かったんだが。

あれ、もしかして映画の感想たったこれだけ?そうなんです、まだ次のコナンもあるし先を急ぐのです。

「英雄コナン・シリーズ」は1930年代に発表されたロバート・E・ハワードによる小説で、いわゆるヒロイック・ファンタジーの世界で燦然と輝く強烈なヒーロー、コナンの冒険物語だ。

ヒロイック・ファンタジーは剣と魔法の世界、こういうのを読んだ事ない人でもドラクエくらいは知ってるだろう。それらの元祖的存在がこのコナン・シリーズというわけ。拳銃自殺した人気作家というインパクトの強さもあって、日本での知名度も高い作品だ。

舞台となるのは 1万2000年ほど昔のハイボリア時代というハワード創作による架空の時代。主に古代のヨーロッパとアジア大陸、アフリカ大陸あたりと思われる地域が物語に登場する。この架空の時代には北方の辺境に蛮族が住むキンメリアという土地があり、コナンの出身地はそのあたりという設定になっている。キンメリアは実際に古代ウクライナあたりにあった土地で騎馬民族が住んでいたらしいが、ハワードのキンメリアはさらに北の最果てということになっているらしい。
そのウクライナ人の遠い祖先であるコナンは勇猛、というより獰猛極まりない荒武者で剣も馬も達人、とにかく人間離れした荒々しい田舎の蛮族で、決して正義のヒーローではないと描かれているのが「火星シリーズ」のジョン・カーターと違うところ。
盗賊、海賊の奴隷になったと思えばあっという間にそれらの軍団を乗っ取り牛耳るなんて事は朝飯前。ただの筋肉バカではないから悪巧みやどこかの要塞を落とすなんて芸当も得意技。ただし魔法と女にはちょっぴり弱いからダマサれたりしてピンチに陥る。んが最後にはやっぱり剣と筋肉で勝つ、というのがこのシリーズの定番だ。ジョン・カーターがデジャー・ソリス一筋なのに対し、コナンは毎回ボンドガール並に美女をとっかえひっかえというプレイボーイぶり。この時代に人気があったのもよくわかるよ。
さらにコナンのシリーズは彼の冒険が時代順ではなく、いきなり王様時代からエピソードが始まる。その後の作品で若造時代が描かれていたり、もしリアルタイムで読んでたら世界観を把握しにくいかもね。

英雄コナンは80年代にアーノルド・シュワルツェネッガー主演で2回映画となっているが、「コナン・ザ・バーバリアン」はそれのリメイクみたいな感じでジェイソン・モモア主演、2011年に映画化されている。
ハワード原作のエピソードをちょこっとだけ色々とくっつけて一本にしたという雰囲気映画の典型なんだが、前述した通りの原作なので仕方なかったのかな?
「征服王コナン」を原作通り忠実に映画化したらダーク・ファンタジーの超大作になるんじゃなかろうか?と思うが、もう王になった後のコナンが戦争で負けて落ちぶれた後に再び王位奪還するという話なので映画一作目にはあまり向かない内容。この映画のコナンはもっと前の少年から青年時代を描いている。

シュワルツェネッガー版の太い腕や体が動きづらそうで、ややもっさりした戦闘シーンだったのに対して、このモモア版の方はかなり機敏に動いていた。主にその戦闘スピードの違いが気になる点だったが、SNAKEPIPEは「本当に重い大剣で斬るというよりはぶつけて戦ってゆく打撃戦」というような点でシュワルツェネッガー版にリアルさを見出していたよ。何だかプロの発言みたいだね(笑)。
ジェイソン・モモアはハワイ出身の目つきがトロンとしたタイプの大男なんだが、コナンの狂戦士ぶりを表現するにはいい素材だったかも。この辺は人によって好き嫌いが分かれるので見比べるのも面白いだろう。
ロバート・ロドリゲスの映画「プラネット・テラー in グラインドハウス」のヒロインだった片足マシンガン娘、ローズ・マッゴーワンがすごいメイクと髪型で悪役やってたのがかなりのインパクト。

コナンと火星シリーズだけで良かったんだが、ついでというかオマケでこちらの紹介もして終わりにしよう。

「ソロモン・ケーン」は上のコナン・シリーズと同じくロバート・E・ハワードが原作で、2009年に映画化されている。が、日本では未公開でDVDだけ発売されたらしい。

原作の年度はコナン・シリーズとほぼ同じくらいの1930年代前後だが、このソロモン・ケーンやハワードの他の作品はROCKHURRAHの少年当時にはシリーズとしてまとまった本も出版されてなく、ほとんど読めなかったように記憶する。
ROCKHURRAHは兄との会話でソロモン・ケーンやキング・カルなどハワード作品の主人公の名前を知ってただけで、それが一体どういう話でどういう活躍をするのか全然知らないというわけ。知らずに書くなよ、とファンに言われそうだな。
日本では大体全部読めたコナンだけがヒットして、他の作品はロクに紹介されなかったのだろうか?海外ではこれらの作品のコミックス版などもあり、日本よりは確実に知名度も高かったはず。

そういう背景を踏まえての映画化なんだろうけど、このソロモン・ケーンはコナンなどと比べるとクールなカッコ良さが際立つダーク・ヒーローだ。
まず見た目がカッコイイ。ツバ広の帽子をまぶかにかぶって全身黒ずくめ、レイピアと呼ばれる(初期のファイナル・ファンタジーなどではおなじみの)細身の剣に銃を持ったダブル武装。原作は知らないが映画では剣も銃もさらに二倍持っていたかな?

舞台は16世紀の英国あたり。 Wikipediaなどで調べるとソロモン・ケーンはピューリタン(清教徒)という設定になっているようだが、原作読んでないからその辺は不明。なぜ清教徒の彼が一軍を率いてアフリカあたりで残虐な略奪をしてたのかも不明。その時ちょっと悪魔に呪われてしまう不覚があって、彼はその武力を封じて、故郷のイングランドに戻る事になる。静かな生活を望んだケーンだったが、例のごとく悪の妖術師に捕らえられた恋人を救うために、再び剣を手にするといった感じだ。

あらすじ書いてもちっとも面白くなさそうな平凡なストーリーしか想像出来ないだろうが、それはROCKHURRAHのあらすじがヘタなせいだ。
日本未公開なのが惜しいくらいに結構面白くて、B級のチャチい映画の雰囲気はなかった。主役の英国人俳優ジェームス・ピュアホイの存在感がイマイチという印象もあるが、そもそもあのソロモン・ケーンの格好したらどの役者がやってもそれなりに見えるんじゃなかろうか?
この人は最初に書いた「ジョン・カーター」でも火星の提督役だったらしいが全然記憶に残ってない。レンタルで観たのが一体いつだったか?もう一年くらいは経ってるはずだから忘れてしまうなあ。

というわけで今回は荒ぶる男三人の映画を語ってみたが、映画の感想はやっぱり少ないな。しかもROCKHURRAHの語りで興味を持って観る人もほとんどいなさそう。 これらの作品は単に映画化が遅かっただけで、原作の方はこの手のあらゆるルーツとも言えるような時代を超えた輝きを持っている。イマドキの若者受けは絶対にしなさそうだが、そういうオリジナルに敬意を持って次の世代に受け継いで欲しいものだ。

久々のブログ登場のROCKHURRAHだったが、得意の音楽ネタじゃないからこれでも結構しんどかったよ。涼しくなると調子良くなるから、また色々と書いてゆきたいものだ。

アメリカン・ポップ・アート展鑑賞

【デニス・ホッパー撮影のアンディ・ウォーホル。大好きな一枚だ!】

SNAKEPIPE WROTE:

国立新美術館ポップ・アート展やってるよ」
長年来の友人Mから連絡があったのは、随分前のことだ。
展覧会は開催期間が長いので、どうしても絶対早く観たいと思うもの以外は、期間中に行かれたら行こうね、という約束をする。
8月中は夏休みのために入場者数が多く鑑賞しづらいだろう、というのが先延ばしにしていた理由になる。
そしてついに9月に入ってから、約束通りに六本木に繰り出したのである。

国立新美術館は、SNAKEPIPEにとっては「シュールレアリズム展」「マン・レイ展」に続く3回目の来館だったけれど、友人Mは初めてになるらしい。
そのためSNAKEPIPEが美術館までの道のりを案内するようなカタチになってしまった。
例の「大学院大学」が見えてきた時にはホッとする。
方向感覚に優れた友人Mから「信じられない!」と何度も言われた経験のある筋金入り方向音痴のSNAKEPIPEにとって、道案内することは大仕事だからね!(笑)
予想通り来館者は思ったよりも少なく、SNAKEPIPE命名の「国立系」もそれほど見かけない。
やっぱり8月を避けて正解だったようだ。

ここで少し「ポップ・アート」について書いてみようか。
「ポップ・アート」と聞いて誰もがまず一番初めに思い浮かべるのは、アンディ・ウォーホルだろう。
マリリン・モンローをモチーフにした作品やウォーホルが監督した映画だったり、もしかしたらヴェルヴェット・アンダーグラウンドを連想する人もいるだろう。
SNAKEPIPEもアンディ・ウォーホルについては以前より興味があり、ドキュメンタリー形式の本を読んだり映画を観たりしてウォーホルとは一体どんな人だったのか、何をしていたのかを知りたかった。
最も興味を持ったのは「ファクトリー」と呼ばれたウォーホルのスタジオに集まる人々とその行動かな。
ニコが一日バスタブに浸かって読書をしていた、なんて文章を未だに覚えているくらい。(笑)
ウォーホルと同じように銀髪にしたイーディ・セジウィックの可愛らしさ!
イーディのポストカードはずっと飾っていたっけ。
60年代は、なんとも言えない魅力にあふれた憧れの時代なんだよね!

他にポップ・アーティストといえば、ロイ・リキテンシュタインを思い出すね。
あれ?
もうこれ以上出てこない!
「ポップ・アート」と聞いて、ちゃんと認識できているアーティストが非常に少ないことに今更ながら気付き驚くSNAKEPIPE。
断片的に作品は鑑賞しているみたいだけど、どうやら「ポップ・アート」としてまとまった展覧会を観たことがないんだね。
これはやっぱり行って確認しないと!(笑)

「ポップ・アート展」は日本美術および現代美術の世界有数のコレクターとして知られている、ジョン・アンド・キミコ・パワーズ夫妻のコレクションを展示しているとのこと。
パワーズ夫妻はポップ・アートがまだ評価を確立する以前からその真価を見抜き、作家を直接支援することによって、世界最大級のポップ・アート・コレクションを築き上げたらしい。
これだけの作品をプライベートでコレクションできるなんて余程の資産家だろうし、広大な敷地を持つ邸宅に住んでいるんだろうね!(笑)
夫妻の名前からして判るように、「キミコ」は日本女性なんだよ。
一体ジョンとキミコにはどんなロマンスがあったんだろうね?
そんなお話も聞いてみたかったなあ。(笑)

会場に入ってみると、「ポップ・アート展」はアーティスト別に部屋が区切られ、そのアーティストの全貌を知ることができるように配置されていた。
それでは気になったアーティストについての感想をまとめていこうか。

1. ロバート・ラウシェンバーグ(Robert Rauschenberg)

1925年テキサス州生まれのロバート・ラウシェンバーグは、アメリカにおけるネオダダの代表的な作家として活躍し、のちのポップ・アートの隆盛にも重要な役割を果たす。
2008年、82歳で心不全のため死去。

実は今回の展覧会の中で、SNAKEPIPEが感銘を受けたのがロバート・ラウシェンバーグだったんだよね!
フォト・モンタージュを取り入れていたり、タイポグラフィも登場していたので、ネオダダと聞いて納得!
「コンバイン(結合)・ペインティング」と呼ばれる様々なオブジェの組み合わせに激しい筆触のペイントを加えた作品群は迫力があってカッコ良い!
上の作品「ブロードキャスト」も「コンバイン・ペインティング」で、中央辺りにラジオが内蔵されていて、実際に放送を聴くことができたらしいね。(笑)
ロバート・ラウシェンバーグの名前は耳にしたことがあるけれど、実際に作品を鑑賞するのは初めてだったのかも。
もっとロバート・ラウシェンバーグについて知りたいし、個展が開催されるなら是非鑑賞してみたいな!

2.ジャスパー・ジョーンズ(Jasper Johns)

ジャスパー・ジョーンズは1930年ジョージア州生まれ。
上述のロバート・ラウシェンバーグと同じようにネオダダやポップ・アートの先駆者として活躍したアーティストである。
wikipediaによれば、どうやらロバート・ラウシェンバーグと同じビルに住んでいたことから友人関係にあったらしい。
同じ方向を向いたアーティストが近くにいるってものすごい偶然だよね!

ジャスパー・ジョーンズといえば、アメリカ国旗やダーツの的をモチーフにした作品が代表作といえるだろうね。
もちろん代表作の展示もあったけれど、今回の展覧会では、左のような様々な色を使った線の絵が一面全てに展示されている部屋があり驚いてしまう。
友人Mと顔を見合わせ、首をひねる。
抽象絵画といったら良いのかすら判らないけれど、どうもSNAKEPIPEには理解できない世界観だなあ。

3.アンディ・ウォーホル(Andy Warhol)


アンディ・ウォーホルは1928年ピッツバーグ州生まれ。
上述したようにポップ・アートといえばウォーホルというくらいの有名人だよね!
1987年胆嚢手術を受けるも、容態が急変し心臓発作のため58歳で死去。

今回の展覧会の目玉が「200個のキャンベルスープ缶」だった。
誰もが知っているというくらいの有名な作品だと思うけれど、SNAKEPIPEが知っていたのはどうやらシルクスクリーンで印刷されたものだったみたい。
今回展示されていたのは、印刷されたものではなく、描かれている作品だった。
近くに寄って鑑賞してみると、ちょっとフォントが歪んでいたり、一番下の列は同じ銘柄が並んでいるのを発見して楽しくなってしまった。
描き続けているうちに、少し飽きてきたのかも?(笑)

他にもマリリン・モンローだったり電気椅子などの有名な作品が展示されていたけれど、あまりにも見慣れすぎているためか確認作業をしている気分になった。
今回の展示で異質だったのは、スポンサーでありコレクターであるキミコ・パワーズの肖像が並んでいたこと。
なんと部屋の全てがキミコだったんだよね!
依頼をして作ってもらったのかもしれないけど、展覧会に自分の顔が並んでいる光景とはいかがなものか?(笑)
ウォーホルの作品には違いないけど、知らない家族のポートレートを無理矢理観させられてる気分になってしまったよ。

4.ロイ・リキテンスタイン(Roy Lichtenstein)

1923年ニューヨーク州生まれのロイ・リキテンスタインも、アンディ・ウォーホルと同じくらい有名なポップ・アーティストだよね。
1997年肺炎のため73歳で死去。

漫画の一コマを印刷インクのドットを含めて描いた作品群は、非常にインパクトが強く印象に残りやすい。
今回の展覧会では、その細かなドットの一つ一つが描かれていることを実際に目にすることができて嬉しかった。

リキテンスタイン作のドットが描かれてたコーヒー・カップも展示。
黄色いカップに黒いドット柄。
この雰囲気、どこかで観たよねと友人Mと顔を見合わせる。
そうか!草間彌生のかぼちゃのシリーズにそっくりなんだね!(笑)

他にも数人のアーティストの作品が展示されていたけれど、作品数が少なかったし、ポップ・アートの範疇に入るのかよく判らない作品もあった。
ポップ・アートの定義って難しいよね。
wikipediaによれば

雑誌や広告、漫画、報道写真などを素材として扱い、
大量生産・大量消費社会をテーマとして表現する、
現代美術の芸術運動のひとつ

とのこと。
この文章読んでも、ウォーホルとリキテンスタインの作品について書いているだけで、充分に説明されているとは言い難いよね。(笑)
SNAKEPIPEがポップ・アーティストについて即答できないのも無理ないかも?

1950年代にイギリスでポップ・アートが始まり、1956年にリチャード・ハミルトンが雑誌や広告の魅力的な商品やゴージャスなモデル写真を切り貼りしたコラージュで、ポップ・アートの先駆的作品を制作していたとは知らなかった。
左に載せたハミルトンの作品「Just what is it that makes today´s homes so different, so appealing?」の中にはロリポップキャンディーの包み紙にポップの文字があるんだよね。
評論家であるローレンス・アロウェイが商業デザインなどを指して「ポピュラーなアート」という意味で使用したときに「ポップ・アート」という言葉が誕生したという話も今回初めて知ったよ!
前から知っていたはずのポップ・アートだったのに、意外と何も知らなかったことが判っただけでも新発見かな。(笑)
そしてネオダダからポップ・アートへ移行していった、ということについても知識がなかったんだよね。
現代アートに興味がある、と言っておきながらまだまだ未熟者のSNAKEPIPE。
もっと勉強が必要ね。(笑)

ROCKHURRAH紋章学 ミルク・パッケージ編

【ミルクといえば『時計じかけのオレンジ』でのコロヴァ・ミルク・バーだね!】

SNAKEPIPE WROTE:

世界中の食卓でお目にかかる飲料といえば、ミルク!
家庭によって牛だったりヤギだったり、もしくは豆だったりと元となる動植物に違いはあるけれど、老若男女・人種問わず誰もが日常的に口にすることが多いと思う。
日本ではほとんど1リットル入りのありふれた四角い紙パッケージしか見覚えがないけれど、世界にはどんなデザインがあるのかな?
今回の「ROCKHURRAH紋章学」では、世界各国のミルク・パッケージ・デザインについて特集してみよう!

食料品のパッケージでモノクロームというのは、あまり目にしたことがないSNAKEPIPE。
一体何が入っているのか判らないよね?
ロシアのDepot WPF Branding Agencyがデザインしたミルク・パッケージなんだけど、HPがロシア語なので読解不可能!
今までのデザインをまとめたページでは、見たことがあるロゴやパッケージがたくさんあったので、有名なデザイン会社みたいだね!
このミルク・パッケージは自然農法と手製の生産工程を強調するために、鉛筆により手描きしたらしい。
ヨーロッパのすぐれた広告作品を表彰する2010年の「エピカ・アワード」において、Package of the Future Contestでトップ10入りを果たしたらしい。
シンプルだけれど、目を引くデザインだよね!

次も「milk」って書いてなかったら、中に何が入っているのか判らないパッケージだよね?
記号や図形が描いてあると、スポーツドリンクとか薬のように感じちゃうよね?

デザインしたのはAudrée Lapierreというカナダのクリエイティブ・ディレクター。
データの可視化を得意としているようで、とても女性の作品とは思わなかった!
カロリーの比率、栄養バランスなどの重要で有用な情報を与えるためのデザインらしい。

未来的な雰囲気はとても好きだけど、ミルクだと思うとあまり美味しそうに感じないのはSNAKEPIPEだけだろうか?(笑)

続いては白とグリーンが印象的な不思議な形のパッケージ。
コロンとしていてとてもカワイイよね!
「soy mamelle」と書いてあるから、もしかして豆乳なのかしら?
KIANというロシアのブランドエージェンシーがデザインしたらしい。
おお、またもやロシア!
そして上述したDepot WPFと同じように、KIANも2012年の「エピカ・アワード」の何かを受賞したとHPに出てるね。
こちらもロシア語だから読めないんだよね!(笑)
KIANは豆乳の栄養価は牛乳と変わらないけれど、コレステロール値は低いということを、牛の乳房に似たパッケージで表現し、更に緑色を使用することで製品が植物性で健康的であるというメッセージも込めたとのこと。
六波羅家も最近牛乳から豆乳に変えて、グリーンスムージー作ってるんだけど、大型の冷蔵庫じゃないとこのパッケージは入らないかもね?(笑)

YANKO DESIGNによるパッケージにはちょっと説明が必要だね。
賞味期限が近づいてくると、どんどん色が付いてくるという画期的なパッケージなんだよね。(笑)
紫外線が当たると色が変わる紙があることは調べて確認したんだけど、このパッケージにはどんな仕掛けがされているのか不明!
コストや素材が気になるね。(笑)
例えば1日で飲んでしまうような場合には、こんな色の変化をみることはできないってことか。
それにしても、一目瞭然という言葉通りの視覚化は面白いよね!
それにしてもこのYANKO DESIGNの代表者がTakashi Yamadaという日本生まれでカナダ育ちの男性なんだよね。
日本とカナダを往復している、なんて書いてあったよ。
ちょっと羨ましい生活スタイルだね!

最後はこちら!
なんともインパクトのあるこのミルク・パッケージはThe Guernsey Dairyが2010年にデザインしたもの。
「より温和で、より無害な時代を喚起すること」を考え、デザインチームがレトロで奇妙なデザインを模索するために、広範囲な研究まで行ったらしい。
その結果、飢饉やファシスト体制の下であっても、すべて過去のほうが現代より良い時代だったと回答する人が多かったらしい!
そして「それは玄関の鍵をかけなかった古き良き時代、共同体意識と虐殺の記憶を蘇らせるもの」としてこのマークを使用したパッケージにした、というのだ。
解るような、解らないような説明だよね?(笑)

ガーンジーというのはイギリス海峡のチャンネル諸島に位置するイギリス王室属領で、フランスに近い場所の島々とのこと。
酪農が有名なようで、ミルクの色が金色に近く、ゴールデンミルクと呼ばれているらしい。
輸出もしているようで、フランス、ベルギー、ポーランドでもこのパッケージで発売します、なんて書いてあったよ。
かなりドキリとさせられるに違いないね!

デザイン関係を検索していると毎回同じ感想を持つけれど、世界にはユニークな物がたくさんあるよね。
コンセプトの構築と共に商品の方向性が決定され、商品名やパッケージデザインまで首尾一貫している点が良く解るよね。
今回はミルク・パッケージについてまとめてみたけれど、改めてスーパーで牛乳コーナー見てガッカリしちゃうね。
牛と牧場の絵とか文字だけ、とか味気ないパッケージばかりだもんね。
日本には根付いていない文化なのかな。