SNAKEPIPE MUSEUM #19 Kendell Geers

【いきなり暗闇からこんな人が現れたら腰を抜かしちゃうよね!(笑)】

SNAKEPIPE WROTE:

「芸術は爆発だ!」でお馴染みの岡本太郎が、「なんだこれは!?」を褒め言葉(?)として使っていたのをテレビで見たことがある。
人をびっくりさせるような新鮮な驚きを持った作品こそ素晴らしい、という意味だったと記憶している。
現代アートというジャンルは、作品に理念や解説がくっついて初めて作品として成立するような傾向があるけれど、SNAKEPIPEは岡本太郎式にびっくりたまげたり、笑ってしまったり、持って帰りたくなるほど好きと思うような鑑賞方法で展覧会を巡っている。
人それぞれ鑑賞スタイルがあってもいいじゃないか、とグラスの底に顔があってもいいじゃないか風に言ってみよう。(笑)

面白いアーティストいないかなあ、と検索していたら目に飛び込んできたのが上の作品。
まさに「なんだ、これは!」というインパクトの強さ!
タイトルを確認すると「FUCK FACE」と書いてある。
ははあ、なるほど。
顔にFUCKで、まんまじゃん!(笑)
この人は一体誰?と調べることにしたのである。

このアーティストは南アフリカ、ヨハネスブルグ出身のケンデル・ギアーズ
今までアメリカやヨーロッパのアーティストについてはブログに書いたことがあるけれど、アフリカ大陸のアーティストは初お目見えだね。
南アフリカと聞いて連想するのはアパルトヘイトと喜望峰だけで、他には全く知識のないSNAKEPIPE。
先日起きたアルジェリアのテロ事件もアフリカだったけれど、日本企業が進出しているなんてことも全然知らなかったし。
恥ずかしながら世界情勢関連って本当に疎いんだよね。
予備知識としてWikipediaで南アフリカについて読んでみたら、アパルトヘイトは既に廃止されていること、白人の割合が10%以下で、それ以外は有色人種であること、平均寿命が48歳(!)、更にアパルトヘイト廃止後に失業率が上がり、治安が悪化していることなどを知る。
記事を読んでいる限りでは、あまり足を踏み入れたくない土地みたいだね。
さて、こういった予備知識を頭に入れた上でケンデル・ギアーズについて、再度調査を開始!
日本ではほとんど記事になっていないようなので、英語の説明文を自分で訳したんだよね。
文章としておかしな表現だったり、誤訳があったらごめんなさい。(笑)

ケンデル・ギアーズは南アフリカ内では少数派の白人で、アフリカーンス語を話す労働者階級の家庭に生まれる。
15歳で反アパルトヘイト運動に参加するために家を出る。
前線で活動した経験を経て、政治的意味を持つ個人的思念、惨めさを伴う詩的な表現、性的興奮を伴う暴力行為といった複雑な要素を融合したアートを目指す、と書いてあるんだけど意味不明だよね?
どうやらこれがケンデル・ギアーズの本質みたいなんだけどね。
1993年、ベニスにあるマルセル・デュシャンの作品「泉」に放尿し、国際的に非難されたらしい。(笑)
同年5月ベニス・ビエンナーレにおいて学生および市民の革命のスタートを示す「1968年5月」に生年月日を変更する。
この日付がWikipediaなどにも載る公式なケンデル・ギアーズの生年月日になっちゃってるから、実際の生年月日は不明なんだよね。(笑)
そして1993年以降、世界中の様々なギャラリーで作品を発表している。

ケンデル・ギアーズについて検索している時に
「彼はアート界の問題児」
のような記事を見つけたことがある。
彼自身の行動もさることながら、作品の暴力性や政治的なメッセージなどが物議を醸すためらしい。
左の作品は「Self Portrait」(1995年)である。
割れたハイネケンの瓶なんだけど、なんでこれがセルフポートレートなの?
これにはちょっと説明が必要だよね。
ハイネケンはケンデル・ギアーズの先祖であるボーア人のように、南アフリカへ輸入されたことから、このビールをアパルトヘイトが正当な政治制度であると確信している、価値およびボーア人のモラルを表現しているんだって!
植民地支配からの自己の解放へのシンボルとしての作品、ということらしい。
ものすごく乱暴に言ってしまえば、ハイネケンを悪(習慣や価値など)に見立て、瓶を割ることで悪に打ち勝ったワタクシ、ということなんだね。
うーん、この割れた瓶の写真から、ここまで発展させて考えるのは難しいねえ。
他にもこのハイネケンビールの割れた破片を使った作品もあったけど、きっと同じような民族的な意味があるんだろうなあ。
一番初めに書いたけれど、このような説明がされないと理解できない作品っていうのは、なるべくなら敬遠したいSNAKEPIPE。
だったら紹介するなって言われそうだけどね。(笑)
ケンデル・ギアーズの作品制作におけるスタンスについて、非常に解り易い例だと思って書いてみたよ。
えっ?解り難い?(笑)

ハイネケンビールの使用は、上の文章にも出てきたマルセル・デュシャンが始めたレディメイドの概念を踏襲しているよね。
ケンデル・ギアーズの作品にはレディメイドが多く登場する。
右の作品「Carciac Arrest」は警察官が持つ警棒を2つ合わせて十字架にし、更にそれらを並べてハート型にしている作品。
ケンデル・ギアーズは例えばLOVE & HATEのような相反する事象を組み合わせることで複雑な意味を含ませることを得意としているので、このような作品を提示するんだね。
警棒シリーズは他にも警棒を円形に並べたタイプや壁一面を迷路ゲームのように配置したタイプなど、いくつかのパターンが存在する。
無機的で硬質なメタリック素材が大好きなSNAKEPIPEには、どの作品もとても美しく感じられ、家が広かったら壁に飾りたいと思ってしまう。
本来であれば、警棒を見て美を感じることはないだろう。
並べて作品として展示されるとガラリと印象が変わってしまう点は面白いね!

ちょっと小さくて判り辛い左の作品は、「POSTPUNKPAGANPOP」(2008年)というインスタレーションである。
素材がなんとレーザー・メッシュとされているので、カミソリの網ってことかね?
軍事境界線に使用されるという説明がされているんだけど、島国である日本人にはあまり馴染みのないもの。
一応画像検索して出てきたのが左の写真。
有刺鉄線がチクっとする感じだとしたら、レーザー・メッシュはザックリって感じだね。
変な角度で刺さってしまったら肉が削げそう…怖い!
それがラビリンスになっているらしいので、カミソリだらけの迷路を歩いて鑑賞する、とても危ない作品なんだね。
しかも床は鏡面仕上げというから、迷路が更に拡張している気分になりそう。
アート作品鑑賞というよりは、むしろ拷問を受けてる感じだよね?
作品の解説によれば、神秘的な真実の探求を目的としているとのこと。
SNAEKPIPEにはチキンレースみたいな肝試しのように見えるよ。
これも一種のレディメイドになるのかな。
ケンデル・ギアーズは物騒なブツが得意なんだね!


ここからは民族的、宗教的テーマについての作品について見ていこう。
左「Country of my skull」(2010年)は、南アフリカの作家Antjie Krogの著作「Country of My Skull」(1988)からインスピレーションを得て作られた作品。
ニューカレドニアの人喰いトロフィーとのことで、ケンデル・ギアーズの根源に由来する彫像という説明がされていたけれど、先祖なのかな?
その本の中に何か書かれているのかもしれないね。
この点に関しては不明だけど、cannibal trophyという発想に惹かれるよ。

右上「Losing my religion」(2007年)は仏像に単語を書き連ねた作品。
右下「Fuckface (Skul Version)」(2005年)のデザインされた文字にとても似ているように見えるので、やっぱり「FUCK」と書き連ねているのかな?
仏像にFUCKね。(笑)
これも宗教関係者から抗議されそうな作品なのかも。

デミアン・ハーストの「For the Love of God」という、スカルにダイヤモンドをびっしり貼り付けた作品は2007年作なので、スカルにFUCKと書き連ねたケンデル・ギアーズのほうが早いんだね。
何故だかこの「Fuckface (Skul Version)」のケンデル・ギアーズ自身の解説にはナイン・インチ・ネイルズの「Closer」の詩が載っていて、謎だった。
ただしナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーが、かつてシャロンテート事件が起きた家に住んでいたと読んだことがあるので、どこかに通じる部分があるのかもしれないね?

その共通点かもしれない一つに、FUCKという単語がある。
「Closer」の歌詞の中にも
I want to fuck you like an animal
なんて感じで登場するんだよね。
ケンデル・ギアーズの作品にもFUCK関係がたくさん!
例えば左の作品「FUCK Forever」は、恐らくハリウッド映画に登場するような女優のパロディだろうね。
こんなスマイルで「FUCKよ永遠に!」なんて言われてもねえ。(笑)
実はこのインクで描かれたモノトーンのシリーズは、大股開きの女性や、性器をこれ見よがしに見せつけるようなポーズを取る男性バージョンがある。
きっと日本の美術館での展示は無理だろうね。(笑)
先日の会田誠展にも市民団体から抗議があった、という記事を読んだばかりだしね。
数枚並べて展示したら、さぞやインパクトがあって素敵だろうなと思うし、ポスターがあったら欲しいなあ!

ケンデル・ギアーズの作品は、とても挑発的で暴力的である。
加えてユーモアも含まれているのが特徴的だね。
そのユーモアがブラックな性格だから、余計に印象に残りやすい。
実際に前線で活動する運動家だったという経歴が、かなり色濃く作品に影響していることが解るし、だからこそアナーキーな作品が多いんだろうね。
作品を使って実際に政治問題の告発を行い、安全確保のために身を隠す経験までしているケンデル・ギアーズはアート界のゲリラ指導者といえるだろう。
好き嫌いもあるだろうし、恐らく敵も存在するだろうけれど、思いっ切り奔放にパンクな姿勢でアートなレジスタンス活動を続けて欲しいと願ってしまう。
ケンデル・ギアーズ展覧会、是非鑑賞してみたいものだ。

ビザール・ポストカード選手権!8回戦

【かなり不気味な少女の顔!これは一体何を意味してるんだろう?】

SNAKEPIPE WROTE:

「年賀状を作らなかったのでメールで失礼します」のような方が非常に多かった今年のお正月。
ハガキや手紙のような郵便は廃れてしまったのかしら?
最近は年賀状も全て印刷、一言の手書き部分も加えないような人も多いから、昔ながらの意味や意義が喪失しているのかもしれないね?
ちょっと残念に思うけれど、実際お金も時間もかかる郵送という手段を取らないのもうなずける。
そうは言っても世界にはまだまだ様々なコレクターがいるものだ。
前回書いた「ビザール・ポストカード選手権!7回戦」がとても好評だったし、自分自身でも楽しかったことから、またもやビザールなポストカードについて特集してみたいと思う。
今回も面白いポストカードがいっぱい登場するよ!


一番初めはこのカード。
どうやらフランス語で文字が書いてあるようなんだけど、残念ながらSNAKEPIPEには解読不可能!
そのため何のメッセージなのかよく分からないんだよね。
掃除してる人が家の中にいるのか、外廊下にいるのかも不明なので、覗きがどういう状況で行われているのか不明。
「お嬢さん、ご用心!」みたいな感じなのか、はたまた「いつまでも恋心を忘れずに!」なんて教訓なのか?(笑)
男性側に立つか女性側で考えるのかによって意味が違うけれど、どちらにしてもこのカードを送られた人は困惑するに違いない!


続いても意味不明のカード。
どうやらこれ、バースディカードみたいなんだけど?
SNAKEPIPEには、母親が子供に水責めの拷問してるようにしか見えないんだけどどうだろう。
下に書いてある「Hoe is ‘t water mannie, lekker?」の意味も不明。
How is the water Hubby, nice?とキャプションが付いていたので、
「こんな水遊び、楽しい?」
みたいな訳で良いのかしら。
いや、楽しくないだろう。(笑)
これを誕生日おめでとうと言われて送られても困惑しちゃうよね。


これも困惑系のカード。
「もっと旅行者をハワイに送って!」
と叫んでいるのがジョーズだからね!
お待ちしてます、なんてジョーズに言われてもねえ。(笑)
ブラックジョーク効き過ぎのポストカードを堂々と販売しているところがすごいなあ。
一応調べてみたら、ハワイで人がサメによって死亡したのは、2000年から2011年までで1人のみ!
世界のトータルでも2000年から2011年までで66人だって。
サメ=人喰いのイメージは映画「ジョーズ」からきてるんだろうね。
本当は人喰いサメに出会う確率は低くても、このカードはやっぱり怖いね。(笑)


次は中国女兵士のピンナップ風ポストカード2枚のご紹介!
この女性達が本当に中華人民解放軍に所属しているのかどうかは不明。
ポーズの取り方が妙に古臭いこと、そしてバックが合成っぽく見えるから偽物だろうか?(笑)
世界の様々な国の女性兵士の中には、何故軍隊にいるのか不思議なほど美女もいるので、「スターシップ・トゥルーパーズ」に出てきたCMのように
「キミも軍隊に入らないか?」
なんて宣伝のために作ったポストカードかもしれないよね。
一応画像検索で中国の女兵士を見ていると、美女が制服を着ている画像がたくさん出てきたので、びっくりしてしまったSNAKEPIPE。
大変申し訳ないけれど、上のお二人よりもフォトジェニックだったんだよね。(笑)
web上の画像が本物の女兵士だったら、入隊者続出の現象が起きそうだよ!
興味のある方は是非検索してみてください。


最後はこちら。
前回のビザールカードにも登場した「笑い顔の人達」シリーズ第2弾!
あの時は「今くるよ」みたいな髪型の女性が思いっきり笑っていたけれど、今回は男性バージョンね。
冷ややかな視線を送るご婦人達をまるっきり無視して、体をひねり、顔を歪ませながら大笑いする男性陣。
20130203_07左にいるブルーのジャケットの男性が、ライオネル・リッチーに見えてしまうのはSNAKEPIPEだけかしら?
そして右奥にちょっと体を乗り出し、笑みを浮かべている男性の顔が元内閣総理大臣の大平さんに見えてしまうんだよね。(笑)
女性にはウケないけれど、男性にはバカウケ(死語)の内容は一体なんだろうね?
このカードには「SHOCKING….I」と書いてあって、何かしらショックなことがあったようだけど、その内容をポストカードに託して送るというのが主旨なのかもね?
「こんなドジな経験をしたよ!」とか「宝くじに当たってウハウハ!」などを書いて送るとかね。(笑)
「笑い顔の人達シリーズ」は見ているだけで、こちらも楽しい気分になるね!

思わずプッと吹いてしまうような面白いポストカードは、まだあるに違いない。
見つけた時には、また特集してみたいと思う。

Ted 鑑賞

【Tedのアメリカ版ポスター。テディには***がないのにね!(笑)】

SNAKEPIPE WROTE:

先週、カルト映画「エル・トポ」の記事をかなり慎重に深く考察しながら時間をかけて書いたSNAKEPIPE。
その翌週にコメディ映画について書くことになるとは自分でもびっくり!
この落差がまたROCKHURRAH WEBLOGということなのかな。(笑)

長年来の友人Mと先日映画を観に行った時のこと。
本編が始まる前の映画予告の中にあったのが「Ted」だった。
「面白そう!これ絶対観に行こうよ!」
と興奮気味に誘ってくるMを横目で見ながら、わざわざ映画館で鑑賞しなくても良いのではないか、と密かに思うSNAKEPIPE。
考え方が古いのかもしれないけれど、映画館で観るのは特別な映画という意識を未だに持っているためである。
特にコメディ映画を映画館で鑑賞したことは今まで皆無のはず。
できれば鑑賞後に映画についてじっくり考えるような、重厚な映画を観たいと思っている。
ところが友人Mは、どんなジャンルでも封切り映画を観るために気軽に映画館に足を運ぶタイプ。
「Ted」鑑賞の返事をなんとなく濁していたのに、友人Mは2人分の座席指定の予約を済ませるという強行手段に出た!
こうしてSNAKEPIPEも「Ted」を映画館で鑑賞することになったのである。

「Ted」のあらすじを簡単に書いてみようか。
※ネタバレしないように用心して書いているつもりですが、鑑賞前の方はご注意下さい。
舞台は1985年のクリスマス、7歳の友達がいない少年・ジョンへ両親がテディベアのぬいぐるみをプレゼントする。
ジョンはぬいぐるみにテディという名前を付け、テディが実際に喋って友達になってくれると良いのに、と流れ星を見ながら祈る。
翌日、ジョンの願いが叶ってテディが本当に喋り、生きたぬいぐるみとなることから物語は始まるのである。

時が経ち、27年後の2012年。
少年だったジョンは35歳、映画の中では中年独身男とされている。
実際には35歳はまだ中年の域には達していないと思うけどね。(笑)
そしてかわいいテディベアだったテディも、ジョンと同じように年を取っていて、同じく中年のクマという設定になっている。

二人はずっと仲良し、いつでも一緒。
27年間も生活を共にしているから、気心が知れるのも当たり前だよね。
酒を飲む、大麻を吸う、しかもオンナ好きというカワイイぬいぐるみには似合わない行動をするテディ。
水パイプで大麻を吸引しながら
「この前のと品質が違うな。売人に文句言わなきゃ」
なんて台詞まで出てきて、かなりの不良テディベアなのである。(笑)

ジョンには4年付き合っている彼女・ロリがいるけれど、どうしても結婚に踏み切れない。
それはテディと一緒に暮らしているからよ、私とテディのどっちを選ぶの!と山口百恵の「絶体絶命」ばりに迫られ、テディとの別居を決意するジョン。
住居は別になっても、やっぱりテディとジョンは連絡を取り合い、関係を断ち切ることができない。
ついにロリの堪忍袋の尾が切れる。
ジョンとロリはもう関係を修復することが不可能になってしまう…。

「Ted」の最大の面白さは、かわいいはずのテディベアが毒舌家の不良中年という設定だろう。
マジックマッシュルームに始まり、大麻、コカイン、酒、女、と本当に人間と同じ欲求を持ってるんだよね。
そしてそのギャップが魅力!
「なんで***を付けてくれなかったんだ。メーカーにクレーム何度も入れたよ」
と、女性の上に馬乗りになった後言ったテディの台詞。
***の部分は想像通りの単語だよ。(笑)

「Ted」のポイントの2つ目は、テディとジョンにとっての原点が1980年に実写映画化された「フラッシュ・ゴードン」という点かな。
クィーンの「フラッシュッ!ああ~っ!」でお馴染みのテーマ曲を使った映画。
実はSNAKEPIPE、曲は知ってるけど映画を観てないんだよね。
「フラッシュ・ゴードン」自体をほとんど知らないの。
ROCKHURRAHは「フレッシュ・ゴードン」は観たらしいけど。(笑)
「Ted」の中には「フラッシュ・ゴードン」のパロディだと思われる台詞や登場人物が現れるので、「フラッシュ・ゴードン」を知っていたら、もっと楽しめたはず。
「Ted」がDVDになる前に鑑賞しておこうかな。(←また観るつもり)
子供時代に読んだ漫画や観ていた映画のヒーローに憧れ、それが大人になっても変わらないというのは、子供っぽさを表現したかったのかもしれないけれど、決して悪いことじゃないよね。
同じヒーローに憧れたジョンとテディの仲良しぶりが微笑ましかった。

テディの誕生が80年代ということで、「Ted」の中には80年代テイストもたくさん出てくるんだよね。
もしかしたら最近の若者は知らないような、80年代に活躍したミュージシャンの名前が出てきたり、音楽も80年代だったり。
詳しくは語らないけれど、映画の中で男が身をくねらせながら踊る曲がTiffanyの「I Think We’re Alone Now 」なのである。

曲が流れた瞬間に
「ティッ、ティファニー!!!」
と声を合わせて驚いたSNAKEPIPEと友人M。
あまりに懐かしいもんね。(笑)
多分映画館にいた人の中でティファニーと即答できた人は少ないんじゃないかな?
※上の画像をクリックするとミュージックビデオが流れます

特に女の子だったら、子供時代に大好きなぬいぐるみや人形がいて、一緒に遊んだり抱いて眠った経験があると思う。
そしてそのぬいぐるみに名前を付けて、喋らせてみたり、一緒に会話しているように一人二役を演じたことがあるんじゃないかな。
SNAKEPIPEにも当然のように名前を付け一緒に遊んだ、大好きなぬいぐるみ達との思い出がある。
ぬいぐるみや人形が本当に喋ったり動いたりしたら、どんなに楽しいだろう?と想像する人も多いはずだ。
ものすごく単純な、誰でも思いつくような発想なのに、何故今まで誰も映画にしなかったのか不思議だよね。
Wikipediaに「Ted」はR15指定のコメディ映画としては、異例のヒットだと書いてあった。
確かにめざましテレビの映画興行収入ランキングで1位と発表していたのを聞いて驚いたSNAKEPIPEだったけれど、鑑賞してそのヒットの理由は解ったなあ。

「あー面白かったね」
席を立とうとするSNAKEPIPEに、
「マーク・ウォールバーグはこんな演技もできるんだねえ」
としみじみ語る友人M。
「主役の俳優、ほら、お兄さんがニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックの」
ここでSNAKEPIPEにも判った。
「もしかしてマーキー・マーク?」
「そーそ!あのラップの!」
マーキー・マークか!
SNAKEPIPEはかつてラップ系音楽を聴いていた時期があったため、このCD持ってるんだよね。(笑)
「Good Vibrations」はとてもカッコ良い曲で、お気に入りだったよ!
ところがこれもまたWikipediaからの情報によると、マーク・ウォールバーグはマーキー・マークだったことを封印したがっているらしい。
過去恥部ってことなのかな?
恥ずかしいことないから、堂々としていて欲しいと思ったSNAKEPIPEである。

驚くようなストーリー展開もなく、くつろいで楽しく鑑賞できた。
特にぬいぐるみ遊びを経験をした人には、子供時代の夢が叶う映画だしね!
80年代を経験した人にとっても、笑いどころがあるのでお勧めかな。
動いているテディが本当にカワイイんだよね。
「テディ、欲しいー!」
と叫んだSNAKEPIPEと友人Mである。(笑)

CULT映画ア・ラ・カルト!【12】El Topo

【El Topoのポスター。メキシコでは7歳は大人なのか?】

SNAKEPIPE WROTE:

何年も前から、そう、このブログの「CULT映画ア・ラ・カルト!」というカテゴリーを作るよりもずっと前から「いつか書きたい」と願っていた映画。
熟考して、じっくり時間をかけないと記事にはできないと思い、長い間温存してきた大事な題材。
SNAKEPIPEの人生を確実に変えている脳内永久保存版映画の中の一本!
それがアレハンドロ・ホドロフスキー監督の「エル・トポ」である。
満を持して、記事を書いてみたいと思う。

一番初めに「エル・トポ」を観たのはいつだったか。
恐らく80年代中旬の頃、そう今から25年以上前のこと。
吉祥寺バウスシアターでのオールナイトで鑑賞した記憶がある。
あの時は確か石井聰互監督「爆裂都市」との2本立てだったはず。
映画が終わったら始発電車、って時間だったからね。
うーん、あの頃はそんな無茶をやっても翌日も元気いっぱいだったSNAKEPIPE。
若いってすごいなあ。(笑)

一番最初に観た時にはほとんど内容を理解することができず、ただ圧倒的な映像の虜になった。
意味は解らなくても、まるでミュージックビデオを観ている感覚で、カッコ良いと思ったからね。
何年か経ってまた観たくなった。
特別有名なレンタルビデオ屋に行かなくても、近所でいつでも借りることができたので、それから何度も何度も繰り返し観た。
記憶の中に刻まれていておかしくないのに、いつ観ても新鮮な驚きを感じてしまうのが不思議だった。
また観たいという欲望が枯れることがないのである。
いつでもレンタルできると思っていたのに、いつの間にかビデオはDVDの時代になり、「エル・トポ」をDVDで発見することができなくなっていた。
残念に思いながらも、そのうちSNAKEPIPEは「エル・トポ」を探すことを忘れてしまったのである。

原点回帰とでもいうのだろうか。
前に観たあの映画をもう一度観たい!
前に読んだあの本を読み返したい!
こんな欲求が出てきたのは今から何年前のことだろう。
現在はネットがあるので、情報収集は家にいてもできる。
ここで思い出したのが「エル・トポ」だった。
2011年に割と安価なお値段でDVDボックスが販売されることを知ったのである。

それ以前にアレハンドロ・ホドロフスキー DVD デラックス BOX がものすごく高価な値段で販売されていたのは知っていたけれど、とても手が出せるお値段じゃなかった。
デラックスボックスには3部作と共にタロットカードまで特典として付いていたようだから、仕方ないのかもしれないけどね?

2011年に販売されたDVDボックスには残念ながら「サンタ・サングレ」は入っていないけれど、熱狂的なファンにとっては嬉しい情報だった。
今まで観たことがなかった「FAND Y LIS」「LA CRAVATE」に加え、サントラも入っていてこのお値段!
早速購入を決めたSNAKEPIPEである。

このDVDボックスは「エル・トポ」製作40周年デジタルリマスター版公開を記念しての販売とのこと。


2枚の画像は上が「エル・トポ」、レーザーディスク版。
下がデジタルリマスター版である。
影によって黒くなっていた部分が判りやすく、編集されている。
背景の空や砂漠の色もかなり違うことがわかるね。
フィルムに特有のホコリだったり白抜きのようなキズや黒いプチプチしたシミのような汚れは一掃され、シャープネスとコントラストを効かせた映像に生まれ変わっているのである。

これは個人の好みの問題だと思うけれど、SNAKAPIPEはデジタルリマスター版よりも、修正のない映像のほうがお気に入り。
舞台となっているメキシコの砂漠は、恐らく陽射しが強くて影が濃く出るだろうし、砂漠だったら砂が舞い、白茶けた色になるだろうと思うから。
ホドロフスキーの映像にはお馴染みの血の描写も、修正前のほうがどす黒い赤色になっていて、より生々しく感じられるのだ。
SNAKEPIPEは現在ではデジタルカメラを使用しているけれど、本当はフィルム愛好者。
フィルムとデジタルでは全く趣の違う写真ができるからね。
何度でも撮り直しがきくためバシャバシャ撮影し、その場で完成度合いを確認できるデジタルと、出来上がるまで正体が分からないフィルムとは重みが違う気がして、フィルムに軍配を上げちゃうんだよね。(笑)

そして最大の修正はボカシ。
神経症なんじゃないかと思ってしまうような倫理規定には首をかしげてしまう。
特典映像にあるホドロフスキー本人の言葉に関しても注意書きしてるんだよね。
「私は普通じゃないものを愛した。
想像力のあるものを。
異形は自然の想像力が生んだ遺伝子の想像力だ。」
この発言に関しての注意だと思うけれど、これって差別発言なのかしら?
SNAKEPIPEはホドロフスキーも写真家ダイアン・アーバスと同じような考えで発言しているように思うけれど。
この手の病的な線引き、どうにかならないものかね?

それでは「エル・トポ」のあらすじを感想を含めながら書いてみようか。

※ネタバレを含みますので、映画を観ていない方はご注意下さい。
1970年のメキシコ映画である「エル・トポ」は4つのチャプターで構成されている。
創世記(GENESIS)
預言者たち(PROFETAS)
詩編(SALMOS)
黙示録(APOCALIPSIS)

創世記~預言者たちまではウエスタン映画、詩編~黙示録は宗教映画とでもいったら良いのだろうか。
2つの別なお話がくっついちゃった感じね。
映画のタイトルであるエル・トポとは映画の主人公の名前。
スペイン語でモグラの意味だそうで、映画の暗喩となっている。
前半でのエル・トポはブラック・レザー上下着用に黒いハットで馬に跨る、ウエスタンスタイル。
この服装は本当にカッコ良いね!
後半では坊主頭に丸首ロングワンピースのような服を着ている。
実際服装だけじゃなくて、人格まで別になってるんだよね。

連れていた息子を置き去りにし、女と砂漠を旅していくうちに女の口車に乗せられて「砂漠にいる4人の銃の達人」を倒すことを決意する。
無の境地に達しているヨガの達人には落とし穴作戦。
自己喪失を極め、母親に全てを捧げた達人には最愛の母を傷つけることで動揺させ、後ろから襲う作戦。
正確な狙いを定めることができる達人には、心臓部分に鉄板を当てることで弾丸弾き飛ばし作戦を決行。
とても達人には敵わないので、姑息な手段を使うことで達人を殺していく。
4人目の達人に「生命を奪うことに何の意味があるか?」と問われ、
「おまえに殺されたんじゃない。おまえの負けだ」
と目の前で自殺されてしまう。
4人の達人を殺し、自分がNo.1になりたかったエル・トポの目標を達成させず、更に自らの命によってエル・トポの目標がいかに無意味であるかを教えたのである。

これらの達人たちの描写がとても興味深い。
欲や自我を捨て去り、死を生前から受け入れているかのような静謐さ。
精神世界関連の本の中に出てくる、悟りや涅槃の域に到達している達人たちだ。 皆一様に穏やかで、殺しにきたエル・トポと自然に話をする。
「私はこんな人間だが、それでも決闘したいかね?」
のように問いかけ、エル・トポのズルによって命を落とす。
その死も無念とか無残という感じがまるでない。
できた人というのはこういうものなのか。
SNAKEPIPEも見習いたい!(←無理?)

女の言いなりに達人を殺してきたけれど、一体殺人に何の意味があったのだろう?
ウエスタン映画での悪いヤツを懲らしめるための決闘とは訳が違う。
本来であれば師と仰ぎ、エル・トポを導いてくれる人達だったのではないか?
取り返しのつかないことをしてしまった、後悔してもしきれないほどの後悔をしてエル・トポは銃を捨てる。
達人を殺すように「たぶらかして」いた女もエル・トポを見捨てる。
エル・トポの内部では記憶も価値観も今まで信じてきたことやら、何もかも全てがガラガラと崩れ落ちてしまう。

「負け犬は嫌いよ」
と言い放つ「たぶらかし」女は、いつでも自分にとって有利な男(もしくは女)に付いて行く。
エル・トポがダメになった、と思うとハイ、サヨナラ。
心変わりの速さや身の軽さが生きていくために必要な力なのかしら。
最近の若いもんのことはよく分からないけど、いわゆる日本女性だったら「あなたをいつまでもお待ちします」みたいな奥ゆかしさを持っていることが多いよね。
そして待ち続けたまま死んでしまっても、美談とされるような風潮あるよね。
騙すような女のほうが世間的には悪女的なイイ女なのかもしれないし、騙されるほうも悪いとも言えるけど?
まんまとエル・トポは女の言いなりになっちゃったわけね。(笑)

映画「エル・トポ」の中でSNAKEPIEPが大好きなのが、途中から一緒に行動することになる女ガンマン。
女性の場合でもガンマンになるのかね?(笑)
この女性もエル・トポ同様、黒ずくめレザーファッション、目の周りの化粧も黒々としていてとてもカッコ良いの!
エル・トポの女に心を奪われてしまう同性愛者という役どころ。
ホドロフスキーは、本業が役者ではない素人を多様しているようなので、きっとこの女性もこの映画以外には出てないんだろうなあ。
そして女を連れ去ったところで前半が終わり。
もうこの女ガンマンの出番もないのよ。

では続きの後半ね。
ズタズタ、ボロボロになったエル・トポは永い眠りについている。
いつの間にかフリークス達が住む洞窟の救世主として崇められ、髪は金色になり、まるで別人の形相。
目覚めたエル・トポは蘇ったキリストさながらの再生を果たすのである。
今までの行いの懺悔の意味もあるのだろう、助けてくれたフリークス達へのお礼のために洞窟に閉じ込められているフリークス達を開放しようとトンネルを掘ることを約束するのである。
トンネルができれば町への行き来ができるようになる。
エル・トポはこれが良い行いだと信じていたんだろうね。

ところが町は奴隷売買が行われ差別や残虐行為が当たり前、インチキ宗教がはびこる、とても良い雰囲気の町とはいえない環境であった。
「洞窟を出て町に来ることに何の価値があるかしら?」
と永い眠りについていた時からエル・トポの世話をしてきた小人の女が言う。
それでもトンネルを掘り進めようというエル・トポ。
この時やめておけば良かったのに、と多くの人が思うよね。
SNAKEPIPEもそう思った。
どう転んでも、この町の人たちが洞窟のフリークス達を快く受け入れるとは考え難いもんね?
大道芸でお金を稼いでいるうちに、秘密のクラブに呼ばれたエル・トポと小人の女は皆に笑いものにされながら結ばれる。
「結婚しよう」
出向いた教会で、7歳の時に置き去りにしたエル・トポの息子と再会する。

ここでやっと前半の話とつながるのである。
エル・トポは再生したけれど、かつての記憶を失っているわけではないので、すぐに息子と気付く。
息子は置き去りにされた時から父親であるエル・トポを憎み、父親を殺すために生きてきた。
ここで会ったが百年目、とエル・トポに襲いかかる息子。
ところが「今トンネル掘ってるから完成まで待って」と常識外れのお願いをするエル・トポ。
「じゃあ、仕方ない」
と簡単に折れてくれる息子も息子だけど!
更に図々しいことに「早く殺したいなら手伝ってくれ」とまで言い出す始末。
この提案にもオッケーを出す息子は、なんて寛大なんだろうね!(笑)

ついにトンネルが完成する。
息子にとっては待ちに待った父親を殺す日だったはずだけれど
「師は殺せない」
と銃を投げ捨ててしまう。
そんなヒューマン・ドラマが行われている側から、開通したトンネルを使ってフリークス達がワラワラと洞窟から町へとなだれ込んで行く。
自分たちは特権階級だと思っている町の傲慢な住人達が異物の侵入を許すはずがない。
銃を構え、やってくるフリークス達を惨殺するのである。
絶望したエル・トポは住人達を虐殺、そして焼身自殺するのである。

主人公エル・トポは、本来宗教的な人だったんだろうと想像する。
だから写真やおもちゃの埋葬にも笛を吹き弔う。
苦い水を甘くもできるし、砂漠で水を出すことなどの神秘現象を引き起こすことができる。
ところがグル(導師)達を罠にかけて殺害することで、卑怯な殺し屋に成り下がる。
虚栄を張り、女にねだられた虚像を演じてしまったエル・トポには虚無感しか残らなかった。
虚は「うつろ」で「からっぽ」で「むなしい」。
再生してからは心機一転、フリークス達の開放により今までの自分の過ちを清算できると信じていたように思う。
ホドロフスキー得意のパントマイムを混ぜながらの大道芸は、本当に楽しそうだった。
お金を稼いでトンネルを掘る、額に汗し地道な毎日を送る、なんて前半のウエスタンスタイルのエル・トポには全くなかった発想だろうね。
小人の女との愛に生き、フリークス達の開放が皆の幸せと信じて疑わない。
ところが開放は、異形からの、生命からの開放となってしまった…。
虚像からは見放され、信念からも裏切られたエル・トポは絶望し、自害する。
もしかしたら焼身自殺の意味は灰身滅智(けしんめっち)を体現したかったからかもしれないね。
灰身滅智とは身を灰にし、智を滅すること。
煩悩を断ち、身も心も無にして執着を捨てるという意味の仏教用語らしいんだけど、エル・トポの心情に近い感じがするね。

結局人間なんてこんなもんだよ、というような虚しさを感じてしまう。
メキシコは銃社会のためか、人の命が驚くほど軽い。
気に入らない、パンッ!暇つぶし、パンッ!で終わり。
「人の命は地球より重い」なんて言葉は存在しないんだよね。
この命の軽さに、強いショックを受けたSNAKEPIPE。
同時に、前半に出てきた達人たちの超然とした生き様にも衝撃を受けた。
ホドロフスキーは心理学の勉強や禅の修行をしていたことを知ったので、精神的な師匠と弟子という関係を描きたかったことが解る。
キリスト教だけじゃなくて、東洋思想や神秘主義などのミクスチャーが、より映画に深みを与え、荘厳で怪しげな雰囲気を醸しだしているんだよね。
映画後半の町の住人たちは達人たちとは正反対、キリスト教における7つの大罪を犯しているならず者ども。
両極端なタイプの人間を出演させたのは、「これがALL人間なんだ」と言いたかったのかもしれないね。

今まで何度も鑑賞しているし、改めてあらすじを書きながらストーリーを追っているけれど、何度も「なんで?」と感じてしまうことが多いのも事実。
子供と旅をしていたのは何故か、とか何故20年ちかくも目覚めなかったのかみたいなクエスチョンね。
突っ込んで考えてしまうと色々変な部分はあるんだけど、そういうことを気にするのはナンセンスざんす!(笑)
「エル・トポ」はホドロフスキー監督の美学の結晶。
どのシーンをストップさせても、それだけで写真集ができあがるほどの完成度の高い映像!
隙のないバッチリの構図は本当に見事なんだよね!

「暴力抜きに神秘は語れない。恐怖と美が一体になるのだ。」

ホドロフスキー監督が語っているように、残酷で美しく絵になる場面がたくさん登場する。
動物も人間もたくさん殺され、大量の血が流れるからね。
例えば動物愛護団体や人権保護団体の人からはクレームされまくりだろうと予想できるけれど、これがホドロフスキーの映像美なんだよね。
写真家ジョエル=ピーター・ウィトキンも同じタイプのアーティスト。
美学が挑発的で、一般的ではない点が酷似しているように思う。
ウィトキンも前述した団体関係者からは訴えられるタイプだろうなあ。
「おぞましさ」や「残酷さ」しか感じられない人も多いだろうからね。
ホドロフスキーもウィトキンも、自分のイマジネーションを追求するために作品を制作していると思うし、恐らく周りの反応を気にするアーティストじゃないだろうから、批判されてもお構いなしだろうけど?

Sons Of El Topo」が制作されている、というニュースを何年か前に知った。
監督はホドロフスキー、そしてプロデューサーにデヴィッド・リンチの名前があるのを見た時には小躍りしたSNAKEPIPE!(笑)
これが本当ならば、ものすごくHappy、Happier、Happiest! (意味不明)
最上級のHAPPYなんだけどなあ!
続報に期待したいね。