CULT映画ア・ラ・カルト!【12】El Topo

【El Topoのポスター。メキシコでは7歳は大人なのか?】

SNAKEPIPE WROTE:

何年も前から、そう、このブログの「CULT映画ア・ラ・カルト!」というカテゴリーを作るよりもずっと前から「いつか書きたい」と願っていた映画。
熟考して、じっくり時間をかけないと記事にはできないと思い、長い間温存してきた大事な題材。
SNAKEPIPEの人生を確実に変えている脳内永久保存版映画の中の一本!
それがアレハンドロ・ホドロフスキー監督の「エル・トポ」である。
満を持して、記事を書いてみたいと思う。

一番初めに「エル・トポ」を観たのはいつだったか。
恐らく80年代中旬の頃、そう今から25年以上前のこと。
吉祥寺バウスシアターでのオールナイトで鑑賞した記憶がある。
あの時は確か石井聰互監督「爆裂都市」との2本立てだったはず。
映画が終わったら始発電車、って時間だったからね。
うーん、あの頃はそんな無茶をやっても翌日も元気いっぱいだったSNAKEPIPE。
若いってすごいなあ。(笑)

一番最初に観た時にはほとんど内容を理解することができず、ただ圧倒的な映像の虜になった。
意味は解らなくても、まるでミュージックビデオを観ている感覚で、カッコ良いと思ったからね。
何年か経ってまた観たくなった。
特別有名なレンタルビデオ屋に行かなくても、近所でいつでも借りることができたので、それから何度も何度も繰り返し観た。
記憶の中に刻まれていておかしくないのに、いつ観ても新鮮な驚きを感じてしまうのが不思議だった。
また観たいという欲望が枯れることがないのである。
いつでもレンタルできると思っていたのに、いつの間にかビデオはDVDの時代になり、「エル・トポ」をDVDで発見することができなくなっていた。
残念に思いながらも、そのうちSNAKEPIPEは「エル・トポ」を探すことを忘れてしまったのである。

原点回帰とでもいうのだろうか。
前に観たあの映画をもう一度観たい!
前に読んだあの本を読み返したい!
こんな欲求が出てきたのは今から何年前のことだろう。
現在はネットがあるので、情報収集は家にいてもできる。
ここで思い出したのが「エル・トポ」だった。
2011年に割と安価なお値段でDVDボックスが販売されることを知ったのである。

それ以前にアレハンドロ・ホドロフスキー DVD デラックス BOX がものすごく高価な値段で販売されていたのは知っていたけれど、とても手が出せるお値段じゃなかった。
デラックスボックスには3部作と共にタロットカードまで特典として付いていたようだから、仕方ないのかもしれないけどね?

2011年に販売されたDVDボックスには残念ながら「サンタ・サングレ」は入っていないけれど、熱狂的なファンにとっては嬉しい情報だった。
今まで観たことがなかった「FAND Y LIS」「LA CRAVATE」に加え、サントラも入っていてこのお値段!
早速購入を決めたSNAKEPIPEである。

このDVDボックスは「エル・トポ」製作40周年デジタルリマスター版公開を記念しての販売とのこと。


2枚の画像は上が「エル・トポ」、レーザーディスク版。
下がデジタルリマスター版である。
影によって黒くなっていた部分が判りやすく、編集されている。
背景の空や砂漠の色もかなり違うことがわかるね。
フィルムに特有のホコリだったり白抜きのようなキズや黒いプチプチしたシミのような汚れは一掃され、シャープネスとコントラストを効かせた映像に生まれ変わっているのである。

これは個人の好みの問題だと思うけれど、SNAKAPIPEはデジタルリマスター版よりも、修正のない映像のほうがお気に入り。
舞台となっているメキシコの砂漠は、恐らく陽射しが強くて影が濃く出るだろうし、砂漠だったら砂が舞い、白茶けた色になるだろうと思うから。
ホドロフスキーの映像にはお馴染みの血の描写も、修正前のほうがどす黒い赤色になっていて、より生々しく感じられるのだ。
SNAKEPIPEは現在ではデジタルカメラを使用しているけれど、本当はフィルム愛好者。
フィルムとデジタルでは全く趣の違う写真ができるからね。
何度でも撮り直しがきくためバシャバシャ撮影し、その場で完成度合いを確認できるデジタルと、出来上がるまで正体が分からないフィルムとは重みが違う気がして、フィルムに軍配を上げちゃうんだよね。(笑)

そして最大の修正はボカシ。
神経症なんじゃないかと思ってしまうような倫理規定には首をかしげてしまう。
特典映像にあるホドロフスキー本人の言葉に関しても注意書きしてるんだよね。
「私は普通じゃないものを愛した。
想像力のあるものを。
異形は自然の想像力が生んだ遺伝子の想像力だ。」
この発言に関しての注意だと思うけれど、これって差別発言なのかしら?
SNAKEPIPEはホドロフスキーも写真家ダイアン・アーバスと同じような考えで発言しているように思うけれど。
この手の病的な線引き、どうにかならないものかね?

それでは「エル・トポ」のあらすじを感想を含めながら書いてみようか。

※ネタバレを含みますので、映画を観ていない方はご注意下さい。
1970年のメキシコ映画である「エル・トポ」は4つのチャプターで構成されている。
創世記(GENESIS)
預言者たち(PROFETAS)
詩編(SALMOS)
黙示録(APOCALIPSIS)

創世記~預言者たちまではウエスタン映画、詩編~黙示録は宗教映画とでもいったら良いのだろうか。
2つの別なお話がくっついちゃった感じね。
映画のタイトルであるエル・トポとは映画の主人公の名前。
スペイン語でモグラの意味だそうで、映画の暗喩となっている。
前半でのエル・トポはブラック・レザー上下着用に黒いハットで馬に跨る、ウエスタンスタイル。
この服装は本当にカッコ良いね!
後半では坊主頭に丸首ロングワンピースのような服を着ている。
実際服装だけじゃなくて、人格まで別になってるんだよね。

連れていた息子を置き去りにし、女と砂漠を旅していくうちに女の口車に乗せられて「砂漠にいる4人の銃の達人」を倒すことを決意する。
無の境地に達しているヨガの達人には落とし穴作戦。
自己喪失を極め、母親に全てを捧げた達人には最愛の母を傷つけることで動揺させ、後ろから襲う作戦。
正確な狙いを定めることができる達人には、心臓部分に鉄板を当てることで弾丸弾き飛ばし作戦を決行。
とても達人には敵わないので、姑息な手段を使うことで達人を殺していく。
4人目の達人に「生命を奪うことに何の意味があるか?」と問われ、
「おまえに殺されたんじゃない。おまえの負けだ」
と目の前で自殺されてしまう。
4人の達人を殺し、自分がNo.1になりたかったエル・トポの目標を達成させず、更に自らの命によってエル・トポの目標がいかに無意味であるかを教えたのである。

これらの達人たちの描写がとても興味深い。
欲や自我を捨て去り、死を生前から受け入れているかのような静謐さ。
精神世界関連の本の中に出てくる、悟りや涅槃の域に到達している達人たちだ。 皆一様に穏やかで、殺しにきたエル・トポと自然に話をする。
「私はこんな人間だが、それでも決闘したいかね?」
のように問いかけ、エル・トポのズルによって命を落とす。
その死も無念とか無残という感じがまるでない。
できた人というのはこういうものなのか。
SNAKEPIPEも見習いたい!(←無理?)

女の言いなりに達人を殺してきたけれど、一体殺人に何の意味があったのだろう?
ウエスタン映画での悪いヤツを懲らしめるための決闘とは訳が違う。
本来であれば師と仰ぎ、エル・トポを導いてくれる人達だったのではないか?
取り返しのつかないことをしてしまった、後悔してもしきれないほどの後悔をしてエル・トポは銃を捨てる。
達人を殺すように「たぶらかして」いた女もエル・トポを見捨てる。
エル・トポの内部では記憶も価値観も今まで信じてきたことやら、何もかも全てがガラガラと崩れ落ちてしまう。

「負け犬は嫌いよ」
と言い放つ「たぶらかし」女は、いつでも自分にとって有利な男(もしくは女)に付いて行く。
エル・トポがダメになった、と思うとハイ、サヨナラ。
心変わりの速さや身の軽さが生きていくために必要な力なのかしら。
最近の若いもんのことはよく分からないけど、いわゆる日本女性だったら「あなたをいつまでもお待ちします」みたいな奥ゆかしさを持っていることが多いよね。
そして待ち続けたまま死んでしまっても、美談とされるような風潮あるよね。
騙すような女のほうが世間的には悪女的なイイ女なのかもしれないし、騙されるほうも悪いとも言えるけど?
まんまとエル・トポは女の言いなりになっちゃったわけね。(笑)

映画「エル・トポ」の中でSNAKEPIEPが大好きなのが、途中から一緒に行動することになる女ガンマン。
女性の場合でもガンマンになるのかね?(笑)
この女性もエル・トポ同様、黒ずくめレザーファッション、目の周りの化粧も黒々としていてとてもカッコ良いの!
エル・トポの女に心を奪われてしまう同性愛者という役どころ。
ホドロフスキーは、本業が役者ではない素人を多様しているようなので、きっとこの女性もこの映画以外には出てないんだろうなあ。
そして女を連れ去ったところで前半が終わり。
もうこの女ガンマンの出番もないのよ。

では続きの後半ね。
ズタズタ、ボロボロになったエル・トポは永い眠りについている。
いつの間にかフリークス達が住む洞窟の救世主として崇められ、髪は金色になり、まるで別人の形相。
目覚めたエル・トポは蘇ったキリストさながらの再生を果たすのである。
今までの行いの懺悔の意味もあるのだろう、助けてくれたフリークス達へのお礼のために洞窟に閉じ込められているフリークス達を開放しようとトンネルを掘ることを約束するのである。
トンネルができれば町への行き来ができるようになる。
エル・トポはこれが良い行いだと信じていたんだろうね。

ところが町は奴隷売買が行われ差別や残虐行為が当たり前、インチキ宗教がはびこる、とても良い雰囲気の町とはいえない環境であった。
「洞窟を出て町に来ることに何の価値があるかしら?」
と永い眠りについていた時からエル・トポの世話をしてきた小人の女が言う。
それでもトンネルを掘り進めようというエル・トポ。
この時やめておけば良かったのに、と多くの人が思うよね。
SNAKEPIPEもそう思った。
どう転んでも、この町の人たちが洞窟のフリークス達を快く受け入れるとは考え難いもんね?
大道芸でお金を稼いでいるうちに、秘密のクラブに呼ばれたエル・トポと小人の女は皆に笑いものにされながら結ばれる。
「結婚しよう」
出向いた教会で、7歳の時に置き去りにしたエル・トポの息子と再会する。

ここでやっと前半の話とつながるのである。
エル・トポは再生したけれど、かつての記憶を失っているわけではないので、すぐに息子と気付く。
息子は置き去りにされた時から父親であるエル・トポを憎み、父親を殺すために生きてきた。
ここで会ったが百年目、とエル・トポに襲いかかる息子。
ところが「今トンネル掘ってるから完成まで待って」と常識外れのお願いをするエル・トポ。
「じゃあ、仕方ない」
と簡単に折れてくれる息子も息子だけど!
更に図々しいことに「早く殺したいなら手伝ってくれ」とまで言い出す始末。
この提案にもオッケーを出す息子は、なんて寛大なんだろうね!(笑)

ついにトンネルが完成する。
息子にとっては待ちに待った父親を殺す日だったはずだけれど
「師は殺せない」
と銃を投げ捨ててしまう。
そんなヒューマン・ドラマが行われている側から、開通したトンネルを使ってフリークス達がワラワラと洞窟から町へとなだれ込んで行く。
自分たちは特権階級だと思っている町の傲慢な住人達が異物の侵入を許すはずがない。
銃を構え、やってくるフリークス達を惨殺するのである。
絶望したエル・トポは住人達を虐殺、そして焼身自殺するのである。

主人公エル・トポは、本来宗教的な人だったんだろうと想像する。
だから写真やおもちゃの埋葬にも笛を吹き弔う。
苦い水を甘くもできるし、砂漠で水を出すことなどの神秘現象を引き起こすことができる。
ところがグル(導師)達を罠にかけて殺害することで、卑怯な殺し屋に成り下がる。
虚栄を張り、女にねだられた虚像を演じてしまったエル・トポには虚無感しか残らなかった。
虚は「うつろ」で「からっぽ」で「むなしい」。
再生してからは心機一転、フリークス達の開放により今までの自分の過ちを清算できると信じていたように思う。
ホドロフスキー得意のパントマイムを混ぜながらの大道芸は、本当に楽しそうだった。
お金を稼いでトンネルを掘る、額に汗し地道な毎日を送る、なんて前半のウエスタンスタイルのエル・トポには全くなかった発想だろうね。
小人の女との愛に生き、フリークス達の開放が皆の幸せと信じて疑わない。
ところが開放は、異形からの、生命からの開放となってしまった…。
虚像からは見放され、信念からも裏切られたエル・トポは絶望し、自害する。
もしかしたら焼身自殺の意味は灰身滅智(けしんめっち)を体現したかったからかもしれないね。
灰身滅智とは身を灰にし、智を滅すること。
煩悩を断ち、身も心も無にして執着を捨てるという意味の仏教用語らしいんだけど、エル・トポの心情に近い感じがするね。

結局人間なんてこんなもんだよ、というような虚しさを感じてしまう。
メキシコは銃社会のためか、人の命が驚くほど軽い。
気に入らない、パンッ!暇つぶし、パンッ!で終わり。
「人の命は地球より重い」なんて言葉は存在しないんだよね。
この命の軽さに、強いショックを受けたSNAKEPIPE。
同時に、前半に出てきた達人たちの超然とした生き様にも衝撃を受けた。
ホドロフスキーは心理学の勉強や禅の修行をしていたことを知ったので、精神的な師匠と弟子という関係を描きたかったことが解る。
キリスト教だけじゃなくて、東洋思想や神秘主義などのミクスチャーが、より映画に深みを与え、荘厳で怪しげな雰囲気を醸しだしているんだよね。
映画後半の町の住人たちは達人たちとは正反対、キリスト教における7つの大罪を犯しているならず者ども。
両極端なタイプの人間を出演させたのは、「これがALL人間なんだ」と言いたかったのかもしれないね。

今まで何度も鑑賞しているし、改めてあらすじを書きながらストーリーを追っているけれど、何度も「なんで?」と感じてしまうことが多いのも事実。
子供と旅をしていたのは何故か、とか何故20年ちかくも目覚めなかったのかみたいなクエスチョンね。
突っ込んで考えてしまうと色々変な部分はあるんだけど、そういうことを気にするのはナンセンスざんす!(笑)
「エル・トポ」はホドロフスキー監督の美学の結晶。
どのシーンをストップさせても、それだけで写真集ができあがるほどの完成度の高い映像!
隙のないバッチリの構図は本当に見事なんだよね!

「暴力抜きに神秘は語れない。恐怖と美が一体になるのだ。」

ホドロフスキー監督が語っているように、残酷で美しく絵になる場面がたくさん登場する。
動物も人間もたくさん殺され、大量の血が流れるからね。
例えば動物愛護団体や人権保護団体の人からはクレームされまくりだろうと予想できるけれど、これがホドロフスキーの映像美なんだよね。
写真家ジョエル=ピーター・ウィトキンも同じタイプのアーティスト。
美学が挑発的で、一般的ではない点が酷似しているように思う。
ウィトキンも前述した団体関係者からは訴えられるタイプだろうなあ。
「おぞましさ」や「残酷さ」しか感じられない人も多いだろうからね。
ホドロフスキーもウィトキンも、自分のイマジネーションを追求するために作品を制作していると思うし、恐らく周りの反応を気にするアーティストじゃないだろうから、批判されてもお構いなしだろうけど?

Sons Of El Topo」が制作されている、というニュースを何年か前に知った。
監督はホドロフスキー、そしてプロデューサーにデヴィッド・リンチの名前があるのを見た時には小躍りしたSNAKEPIPE!(笑)
これが本当ならば、ものすごくHappy、Happier、Happiest! (意味不明)
最上級のHAPPYなんだけどなあ!
続報に期待したいね。

劇的ビフォ→アフターpart4

【セーラーパンツのビフォ→アフター写真。バックはもちろん海軍マークね!】

SNAKEPIPE WROTE:

調べてみてびっくり。
「劇的ビフォ→アフター」を最後に書いたのがなんと2009年の2月だったとは!
そして更に「劇的ビフォ→アフター」はムートンをリフォームした記事しか書いていなかったことも判明。
自分で書いておきながらすっかり忘れてるなんてオメデタイSNAKEPIPEだね。
今回はなんと約4年ぶりにリフォーム記事を書いてみたいと思う。

かつての服飾関連の制作意欲が少し薄れているのだろうか。
大好きだったバンド・ROBINが解散してしまい、ライブに行く機会を失ってしまったのも原因だろう。
「ライブに行くために作る」というような目的と期限の目標を立て易かったのは事実だからね。
最近はパンク系というよりはミリタリー系の服装に偏向しているせいもある。
ミリタリー系服飾は、こちらが手を加える必要のない、完成された状態でデザインされていることがほとんどだからね。
SNAKEPIPEがいじることがあるとすれば、例えばサイズを小さくすることやボタンの位置を変えるなどの修理程度かな。
大幅なデザイン変更を加えたことは今までなかったのである。

先日古着屋で見かけたのは海軍で使用されたデッドストック品。
セーラーカラーの水兵さんルックの時に穿くセーラーパンツである。
このパンツの特徴は腹部に並んだ14個のボタン!
なんだかオムツをする時みたいな、右から左から、そして最後に真ん中をボタンで留め付けて穿くんだよね。
14個もボタンをかけるのは非常に面倒だし、効率悪い気がするけど?
ただ、そのデザインがとってもカワイイ!と思って購入したのである。

ボンタンよりも太く、丈も長いのでサイドを細くして、丈を詰めてみようか。
鏡でシルエットを確認してみると…ただのフェルト素材の紺色のパンツにしか見えない!
せっかくのボタンが生かされてなくて、全然オシャレに見えない。
丈だけ詰めるのはどうか、と再び鏡で確認する。
なんだか短足でどうにもバランスが悪い。
これは困った、と頭を抱えていると
「スカートにしてみれば?」
とROCKHURRAHが提案してくれる。
そうか!その手があったか!
目の前が急にパッと明るくなり、作業にとりかかることにする。

長かった丈をロングスカート丈に切った余りを継ぎ足し、スカートにする。
かつて、ジーンズを壊してスカートを作ったことがあるけれど、その時は真ん中にレザーを付け足しアクセントにしていた。
今回は全てがフェルトで制作しているため、見方によっては非常に地味。
何かアクセントを、ということでSNAKEPIPEは考えた。
完成写真(右)に斜めに走っている直線はジッパーなのである。
なかなか良い飾りになったわい。(笑)
穿いてみると、なんだか初めからこんなデザインだったような仕上がり!
なかなかやるなあSNAKEPIPE!と自画自賛。(笑)

ミリタリー系素材を使って、大胆なデザイン変更をしたのはこれが初めて。
ちょっといい気になって、次も制作してみたのである。


「劇的ビフォ→アフター」第2弾はベレー帽。
ミリタリー・ベレー帽に何か飾りを付けてみよう、と思ったのである。
早速ミリタリー・ベレーを購入。
ここは以前も同じ帽子を買ったことがあり、そのベレーをとても気に入っているため同じタイプを…のはずがっ!
いつの間にか同じメーカーの商品が変更になっているのね。
毎年デザインを少しずつ変える場合があるから、定番商品でも別物になることってあるからね。
今回SNAKEPIPEはまんまと引っかかってしまった。
前回とは似ても似つかない帽子。
素材はもちろんのこと、パターンも違う!
サイズを調整できるように付いていたリボンもなくなってるし!
うーん、これは困った。
てっぺん辺りに装飾を加えるだけの予定だったのに、とてもそれだけでは済まないなあ。

ここでふと思い出したのが、昨年9月に訪れた福岡のSWATで購入を迷ったベレー帽!
通常ミリタリー・ベレーの素材はフェルトがほとんどだと思うけれど、SWATで見たのはタイガー・ストライプを使用したコットン素材のベレーだったんだよね。
そのたタイプはほとんど見たことがないので、すっかり気に入り試着してみたSNAKEPIPE。
かぶって正解。全然似合わなかったの。(笑)
ベレーがとても浅くて、頭の上にチョコンと乗せてるようにしかならなかったんだよね。
きっとベトナムが暑いから、フェルトをやめてコットンにしたんだろうなあ。
確かあの時「いつかコットン素材でベレー作ってみよう」と思っていなかったか?

そして今回の制作が始まったのである。
元になる素材としてフェルトのベレーを使用。
そして以前購入していたタイガー・ストライプのBDUジャケットを使い、上からかぶせることにする。
コットンだけでも良かったかもしれないけれど、フエルトをかぶり慣れているSNAKEPIPEには少しだけ心もとない感じがしたからね。
フェルトの上にコットンだからちょっと厚手になったけれど、保温性がアップして良いか?

せっかく自分で作るんだから「Binary Army」的要素を入れたいな、とてっぺん部分にはアナーキーなAをレザーで表現!
いやあ、レザーを丸く縫い付けるの、苦労したよ。(笑)
久しぶりの帽子制作は難しかったけれど、思った通りの逸品に仕上がって大満足である。

今回の「劇的ビフォ→アフター」はフェルト編になったね。(笑)
やっぱりミシンを踏むのは楽しいな。
またリフォームも、制作も続けていこうと思う。

会田誠展~天才でごめんなさい~

【会田誠展:天才でごめんなさい トレイラー映像】

SNAKEPIPE WROTE:

どんな展覧会があるのかを検索している時に、森美術館にて会田誠展が開催されていることは知っていた。
だけどSNAKPIPEがモグリ(古い)だったため、実は会田誠というアーティストについては何も知らなかったんだよね。
美術館HPにある会田誠展の詳細を見ようとする前に出てくるのは、冒頭にも載せた水着姿の少女達の絵。
「スクール水着?ロリコン系?」
と思ってあまり興味を示さなかったのである。

「会田誠、観に行こうよ」
と長年来の友人Mから誘いがあったのは、それからしばらくしてからのことである。
「えっ、あのロリコンの?ちょっと好みと違うんじゃない?」
と誘いを断ろうとしていたSNAKEPIPEだったけれど、
「実際に観てから物を言おう」
とMの誘いに応じることを決断!
行って、観てから初めて感想が言えることになると思ってね。
ここらへんが最近少し変化してきたところ。
SNAKEPIPEも成長しているのだ。(笑)
そして年末に近い、夕方からは雨になる予報の寒い空を見ながら六本木に出かけたのである。

開催から少し時間が経過しているためか、普段ならもっと混雑している森美術館の客数はそれほど多くなかった。
できればじっくり時間をかけて作品と向き合って鑑賞したいと望んでいるSNAKEPIPEとMには好都合!
客が少なめ、というだけでは好都合とは言い切れないかな。
最近は作品解説をする音声ガイドサービスを利用する人が増えていて、通常の3倍近い時間を費やして鑑賞する人もいっぱいいる。
そういう観客をうまく避けながら鑑賞していく技は、いつの間にか身につけた。
誰だって自分の好きなように作品と対峙したいもんね?
あとは子連れの客も避けたいね。
本当に子供に観せて良い作品なのか、親が理解して連れてきてるのかなあ。
今回の会田誠展にも何組か子供連れを発見したけど、大丈夫なのかしらん?
それぞれのご家庭によって事情が違うだろうから、SNAKEPIPEがあれこれ言う問題じゃないけどね。(笑)

会場に入って一番初めに展示されていたのが「切腹女子高生」(2002年)である。
まさにタイトル通りに、切腹する女子高生を描いているもの。
内臓出てるわ、首はチョンパされてるわで「一番初めからこれか!」とちょっと驚いてしまう。
制服姿に日本刀と言うとタランティーノ監督の「キル・ビル」はもちろんのこと、タランティーノに影響を与えた「BLOOD THE LAST VAMPIRE」を思い浮かべるよね。
ちなみに「キル・ビル」は2003年公開、「BLOOD THE LAST VAMPIRE」は2000年とのこと。
もしかしたら会田誠氏もプロダクションIGのファンなのかも?(笑)
まるでビックリマンチョコのシールのようにキラキラした仕上がりは、日本古来からの責任の取り方=切腹という重さや覚悟を全く感じさせない。
このままステッカーにでもなりそうな明るい雰囲気こそが作品の狙いなんだろうね。
他にも風俗店のピンクチラシを一面に貼り付けた上に桜を描いた作品や、畑で育ったルイ・ヴィトンのバッグを「今年も豊作じゃー!」と農夫が掘り起こしてるような油絵などがあり、「パロディの人?」と思いながら歩を進める。

会田誠という美術家を評する場合に「現代美術界の奇才」や 「奇想天外」と共に「タブー」という単語も加わることが多いようだ。
作品を途中まで鑑賞していくうちに
「斜めから物を見る人」
「シニカルでブラックな笑い」
という感想を持ち始め、どんどん興味が湧いてくる。
こんなこと言ってもいいの?こんなことやっていいの?というような禁忌に触れるような作品まで登場する。
「18禁部屋」まで用意されているとはびっくり!
DVDレンタルショップの「アダルトコーナー」みたいだね。
入り口がカーテンになってるところも似てるかも。(笑)

「18禁部屋」には更にキワドイ作品が展示されていた。
とてもキレイな仕上がりの日本画と思いきや、描かれているのは手足を切断され首輪をされた全裸少女達を描いた「犬シリーズ」である。
「家畜人ヤプー」「孤島の鬼」にも登場した奇形人間の製造や永井豪の「バイオレンスジャック」を彷彿とさせるモチーフ。
確かこの手の「人間犬」は石井聰互だったか三池崇史の映画にも出てきたのを思い出す。
美少女を手に入れたい、ペットみたいに飼ってみたいという密かな願望は、絶対に口にしてはいけないし、やってはいけないタブーだろう。
少女のヌードだけでも禁止事項だしね。
それを堂々と描き、展示してしまうとは!
「18禁部屋」には他にも少女を食材に見立てた「食用人造少女・美味ちゃん」シリーズや、 「美少女」とだけ書かれた壁に向かって、全裸でひたすら自慰行為を続ける作者を撮影したビデオなども作品として展示されていてエロとグロが盛りだくさん!
ジョン・ウォーターズの「モンドトラッショ」を彷彿とさせる写真もあったね。
ウォーターズは巨大ザリガニだったけどね!(笑)
一応カーテンで仕切りはされていたにしても、これらの作品を含めた展示にGOサインを出した森美術館の決断に拍手を贈ろう!(笑)

会田誠の作品には屏風絵が多いな、と思った。
もちろん「いわゆる日本の伝統的な屏風絵」とは全く違う。
本来なら鈴虫だったり、セミやカエルを描くところをゴキブリにする。
牡丹や菊を描くところを雑草にしてみる。
上の作品は「電信柱、カラス、その他」(2012年)で、タイトルそのままに電信柱とカラスを描いた作品である。
ブログ内では見えないけれど、左のカラスはセーラー服の一部を、真ん中のカラスは人間の指をくわえていて、不吉な予感を孕んでいる。
この屏風、欲しいなー!家に飾りたいなー!(笑)
SNAKEPIPEが今回の展覧会で一番気に入った作品である。

「自分のオリジナルタッチがない、一種のパロディ的な作家」と作者本人が語るように、作品のほとんどがパロディといって良いだろう。
前述したように伝統的な日本画は題材にしなかったであろうモチーフを描く。
巻物には2チャンネルからの転用文を、意味ありげな達筆で記す。(顔文字までご丁寧に縦書になっていた!)
現代アートにありがちな「ふざけて作ってない?」と聞きたくなるような意味不明の立体作品に似た作品を作る。
これもまた現代アートでお馴染みの「結局なにが言いたいの?」と訳が解らないまま、途中で鑑賞するのをやめるビデオ作品風の映像を撮る。
アートを知らない人が鑑賞しても面白いけれど、知っている人ならばその「ヒネり」に思わずニヤリとするだろうね。

「これはダメです」という社会的な規制やルールに対抗することで成り立っている作品が多い点が特徴でもあり、ちょっと弱い印象を受ける。
元となる常識や基準が作品着想の出発点だからだ。
それが作者の言う「オリジナルタッチがない」ということなんだろうけど。
時代と共に社会の基準やルールは変わることってあるよね。
10年後、20年後にも、これらの作品は「シニカルでブラックな笑い」を持って鑑賞することができるのだろうか?
益々規制が厳しくなって、作品展示そのものが不可能なんてこともあるかもしれないよね。
実際今は手に入らなくなってしまった本などもあるくらいだから。

森美術館のトレイラーの中にも出てくるビデオ作品「日本に潜伏中のビン・ラディンと名乗る男からのビデオ」(2005年)では会田誠自身がビン・ラディンに扮して片言の日本語を喋っている。
ビン・ラディンに似ていると言われたことから、おフザケで作ったビデオみたいだけど、本当に良く似ていて笑ってしまう。
東京藝術大学美術学部絵画油画専攻卒業、東京藝術大学大学院美術研究科修了という華々しい肩書きを持つ会田誠。
ビデオの中の偽ビン・ラディンではなく、美術界の過激派としてこれからもブラック・ジョークで笑わせて欲しいと思う。
そしてパロディだけではない、エリートならではの大真面目な作品も鑑賞してみたいとも思うのだ。
過激派でエリートな会田誠がパロディをパロディに仕上げたら巡り巡って真面目になってしまった、なんてパラドックスを観てみたいね!(笑)

2013年元旦

【2013年の年賀状】

SNAKEPIPE WROTE:

あけましておめでとうございます!
2012年最後のブログにも書いたように、あんまり正月気分になっていないけどね。(笑)
そして毎年恒例の年賀状も、またまた全然年賀状っぽくなく制作してみたよ!
画像の周りが白くなっているのは、ミスではなくてポストカード仕立てにしているため。
そしてカード内に買いてある文字はキリル文字ね。
2013~と続いている部分はROCKHURRAH RECORDSをキリル文字のアルファベットに当てはめて書いたものなので、ロシア人でも解らないかな。(笑)

今回は一応テーマのようなものは設定していたんだけど、その設定からは逸脱しているので当初の計画については内緒。
ウキウキとお散歩に出かけようとする、バタフライ・ヘッドの謎の生物ということだけで良いか?
ROCKHURRAHは「お蝶夫人」と勝手に命名していたらしいよ。(笑)

「ああ、あの二人は相変わらず生きてるのね」
と感じて頂ければ良いな、と思っている。
それがROCKHURRAHとSNAKEPIPEが年賀状を作って、お送りする理由だからね。

相変わらずに、健康で一年を過ごせますように!
欲を言えば、2012年よりも良い年にしたいな、とも願っている。

いつもROCKHURRAHブログを読んで下さっている皆様!
2013年もROCKHURRAHとSNAKEPIPEは、力を合わせてブログの更新を続けていくことをここに誓います!(大げさ)
どうぞ今年もよろしくお願い申し上げます!