時に忘れられた人々【13】パワーポップ編2

【私的パワーポップを表現して作ってみたが、意味不明】

ROCKHURRAH WROTE:

前回は特に詳細な解説を書いたわけでもないのに、たった4つのバンドしか紹介出来なかった。一体どんなところに無駄な文章を費やしているのか検証してみたが、自分の欠点は自分ではわからないもんだな。特に問題ないという事で今週も進めてみよう。

というわけでパワーポップ編の第2部だ。とは言ってもWikipediaの「パワーポップ」の項で述べるようなバンドはROCKHURRAHとしてはほとんど興味ないような部類が多いね。世間一般もROCKHURRAHもどっちも勘違いはしてないと思うけど、自分がそう思うようなバンドだけをピックアップしてゆきたい。

Skids / Charade

この「時に忘れられた人々」の第1回でも特集したスキッズ。前回の最後に書いたレジロスと同じくスコットランドのバンドだ。彼らがデビューしたのはロンドン・パンク第2世代くらいの77年なんだが、もう初期の頃からパワーポップと紙一重の音楽を完成させていた。だからパワーポップ編にエントリーしててもおかしくはないだろう。今回はスキッズだけを深く掘り下げて書くつもりではないから、どんなバンドか知らない人はこちらを読んでみてね。

スキッズの最大の武器で特徴はいかにもスコットランドのバグパイプ風曲調をギターで演奏する雄大なスケールの曲なんだが、こちらの方はパワーポップというニュアンスよりはもっと正統派のロックな感じがするので、今回は敢えてもっと80年代ポップ風の曲を選んでみた。スキッズのアルバムは3枚目までが大体同じ路線でこういうパワーポップ風の曲、ちょっと陰影のある壮大な曲、そして応援団風の元気ハツラツな曲がバランス良く収録されていて、どのアルバムを聴いてもハズレなしの完成度だ。4枚目だけが異質で通常のロック要素がない、トラッドに傾倒した円熟の世界が展開するもの。パンクとかパワーポップ目当ての人がいきなりこのラスト・アルバム「Joy」を買うと吃驚仰天なのは間違いない。

さて、この曲は個人的に最も好きな2ndアルバム「Days In Europe」に収録のヒット曲だ。最初はビー・バップ・デラックス、レッド・ノイズのビル・ネルソンがプロデュースしていて、シンセサイザーが入りすぎ=スキッズっぽくないとの事で後にミック・グロソップがプロデュースし直したのが一般的に普及している。けど、オリンピックなレトロ・ジャケットとビル・ネルソン色が濃いアレンジはやっぱり素晴らしい。 プロモもちゃんとあるんだけど、今回は「トップ・オブ・ザ・ポップス」出演時の映像。これがリチャード・ジョブソン自慢の黄色いジャンプスーツ(宇宙服?)だ。「宇宙家族ロビンソン」もビックリ。そして注目すべきは2ndアルバム時のドラマー、ラスティ・イーガンだろう。リッチ・キッズ、そして後のヴィサージでも活躍するニュー・ロマンティックの重要参考人なんだが、この時の髪型が「ヤンキー烈風隊」を彷彿とさせるもの。70年代後半の小倉(ROCKHURRAHの出身地)には服装だけパンクでこういう髪型のがいっぱいいたなあ。 この曲以外にも元気になれる名曲がたくさんあるバンドなので興味ある人は調べてみてね。

Fingerprintz / Tough Luck

スコットランドばかり続くけど、こちらのフィンガープリンツもまたまたスコティッシュ。 後の時代のネオアコ、ギターポップでもスコットランドは産地だったから、良質なポップが生まれやすいのかもね。 こちらは日本ではほとんど無名に近いバンドだけど、いつもビックリしたような顔をしているジミー・オニールによる70年代後期のバンド。後にサイレンサーズというバンドが少しヒットしたから、その関係で知られる程度。

前回XTCの項でも書いたけど、70年代後半、ニュー・ウェイブ初期の頃のヴァージン・レーベルは良質のバンドをたくさんリリースしていたものだ。その中でもROCKHURRAHが勝手に御三家だと思ってるのがXTC、マガジン、スキッズなんだが、このフィンガープリンツもヴァージン・レーベルで御三家の牙城を崩すべく頑張ってきた中堅バンドという印象がある。ただし知名度ないって事はそれら御三家には全然及ばなかったというわけだが。 聴いてわかる通りジミー・オニールの歌はヴォーカルに個性と魅力ある上記のバンドと比べるとはなはだ頼りなく、今の言葉で言うならヘタレという形容がピッタリのもの。以前に当ブログ「軟弱ロックにも栄光あれ」という記事で紹介した時に「曲はすごく良くてパンクというよりはパワー・ポップ系なのにパワーないぞ、というところが魅力」と書いたが、まさしく言い得て妙。うまいなあROCKHURRAH(自画自賛)。

この曲は彼らの1stアルバム「Very Dab」に収録された代表曲。世紀の名曲「Hey Mr.Smith」もこのアルバムに収録されているからどちらにしようか悩んだが、よりパワーポップっぽいこちらを選んでみた。何度聴いてもヘナチョコな声がたまらんなあ。

The Undertones / My Perfect Cousin

あれ、また「軟弱ロックにも栄光あれ」で書いたのと同じバンドが出てきてしまった。パワーポップと言いながらも違う路線に行ってるんじゃないか? アンダートーンズはアイルランド出身のパンク・バンドだが、見た目や声がパンクの典型的なものとはずいぶん違うから、パンクとして語るよりはパワーポップの方が違和感ないような気がする。 いつも中途半端な7:3の長髪と60〜70年代の大学生(もしくは予備校生)っぽいファッション・センス、そして甲高いヴォーカルが最大の特徴であるフィアガル・シャーキーを中心としてパンク第二世代で大ヒットしたから、知ってる人も多いだろう。 短くてキャッチーな名曲はどれもポップ・ソングの見本のようだし、後にソフトなサイケデリックっぽくなってゆく過程もファンが多い。

この曲は彼らの2ndアルバム「僕のいとこはパーフェクト」に収録されている。初期に代表曲が多いからこの2ndはそんなにシングル・ヒットはないんだが、後のギターポップのファンが聴いても納得出来る良質な曲がギッシリ詰まっている。しかし改めて見るとよくこの風貌でトップ・バンドになれたな。クラッシュやピストルズとかが持ってるオーラとは全く別次元でロック・スター要素は皆無、隣の普通のお兄さんが売り物だったのか?

The Neighborhoods / Prettiest Girl + No Place Like Home

よし、最後はこれ。今回の企画で初めて書くアメリカ、ボストンのバンドだが、この後にレモンヘッズやチューチュー・トレイン、ヴェルベット・クラッシュあたりに続いてゆくアメリカン・パワーポップについて書く気はまるでないから、これだけで許してね。

ネイバーフッズ、知ってる人は少ないと思えるが70年代後期にデビューしたバンドだ。ROCKHURRAHも大昔に偶然手に入れただけのただの通りすがり。このバンドについては初期の頃の印象しか知らないが、実は長く続けてるようでちゃんと公式サイトもあったから逆にビックリ。 ジェットコースターに乗ってバンザイしてる子供っぽいジャケットだったからなめてかかったが、音を聴いてガツンときた。初期のジャムを聴いた時のような勢いのあるタイトな演奏と曲。ジャムと同じく3人組なんだが、まさかアメリカのバンドとは思えなかった。

シングル1枚所持していただけで、その後自分の音楽志向も変化していったから追い求める事はなかったが「No Place Like Home」はよく人に作ってあげたベスト盤に入れてたもんだ。その時の映像がこれなんだが、当時は動いてる姿も知るはずもなく、数十年経って久々にこの曲に再会したわけだ。 まるでギター初心者用セットみたいな水色ストラトキャスター、ベースの軽薄なシマシマ、そして盛り上がった変な髪型。映像だけ見るとかなり素人っぽいが実は場馴れした演奏で、初期ジャムが好きな人なら感銘を受ける事間違いなし(特に2曲目)。最後のドラムを蹴倒すところもカッコイイね。髪型とベースのシマシマがなかったらもっと点数高かっただろうに。

今回もやっぱり4バンドか。一言コメントじゃないから一日にかけるのはこの程度が限度だね。書いてる本人が飽きてきたしパワーポップはここまで。多くの人々が語るパワーポップとは少し違っていただろうし、大半が単なるポップなパンク・バンドなんじゃなかろうか?とも思った。無理やり捏造したパワーポップという曖昧なジャンルだから記事も無理やりだけど、こういう路線が好きな人には少しはタメになったんではなかろうか。 ではまた、サバラ(古い)。

SNAKEPIPE MUSEUM #16 Dorothea Tanning

【まるで楳図かずおの世界!とROCKHURRAHが称したドロテア・タニングの作品】

SNAKEPIPE WROTE:

面白そうな企画展や展覧会情報を検索しているものの、これは!というものに巡りあうことは珍しい。
今年は当たりの年なのか、ロトチェンコマックス・エルンストの展覧会を鑑賞し、充足感を得ることができた。
それでもまだまだ冷めない鑑賞欲!(笑)
もっといろんな作品を知りたい、観たい、ドキドキしたい!
展覧会がないならネット上で探しちゃうもんね。
ということで、今回のSNAKEPIPE MUSEUMは先日鑑賞して大ファンになったマックス・エルンストの妻であるドロテア・タニングについて書いてみたいと思う。

Wikipedeaの記事に「日本では、サルバドール・ダリルネ・マグリットジョルジョ・デ・キリコらの人気の高さに比して、やや過小評価されている感があるマックス・エルンスト」と書かれているけれど、その妻であるドロテア・タニングなんて本当にほとんど紹介されてないんだよね。(笑)
いや、実はSNAKEPIPEもドロテア・タニングご本人はマン・レイの写真で知っていたけれど、作品についてはよく知らないというのが正直なところ。
検索してみるとなんとも幻想的な世界をお持ちのアーティストということが分かって、興味津々になってしまった!
自分のためにもドロテア・タニングについてまとめてみようか。

ドロテア・タニングは1910年アメリカのイリノイ州生まれ。
1935年にニューヨークに移り住み、MOMA(ニューヨーク近代美術館)でダダとシュールレアリズムに目覚めたらしい。
どうやらタニングはファッション広告の商業イラストレーターだったようで、シュール的要素を取り入れた作品を手がけていた模様。
それがメーシーズ(ニューヨークに本部がある百貨店)のアートディレクターの目に留まり、ニューヨークで個展を2回開催(1944年と1948年)。
そのアートディレクターからニューヨークで活躍するシュールレアリズムのグループを紹介してもらったらしい。
そのグループの中にいたのが、後に夫となるマックス・エルンストだった!
偶然は必然、という言葉がぴったりの運命的な出会いだったんだね。(笑)
マックス・エルンストと1946年に結婚。
この結婚式はマン・レイと妻ジュリエットとのダブル・ウェディングだったらしい。

マックス・エルンストとドロテア・タニングの年の差、19歳。(計算してしまった)
そして以前書いたようにマックス・エルンストはこれが4回目の結婚。(笑)
細かいことは抜きにして、上の写真からとても幸せそうな2組のカップルの様子が判るよね!
芸術的な会話をしながら食事したりして、生活そのものがアートだったんだろうなと想像する。
なんとも楽しそうで羨ましい関係だよね!

ドロテア・タニング自身の撮影をしていた人達っていうのも大物ばかりでびっくりしちゃうんだよね。
マン・レイ撮影というのは前から知ってたけど、それ以外にもアンリ・カルティエ=ブレッソンリー・ミラーアーヴィング・ペンなどなど写真界の大御所の名前がズラリ!
マックス・エルンストの交友関係は当然ながら、全て同じようにつながるもんね。
ドロテア・タニングも、まるで50年代のハリウッド女優のような風貌だから、モデル向きだったともいえるよね。
なんて、素敵な時代なんでしょ!(笑)
結婚生活30年の1976年にマックス・エルンストが85歳で死去。
この時、タニングは66歳くらいだったのかな。
それをきっかけにドロテア・タニングはフランスからアメリカに戻る。
なんとも驚くべきことに、それから先もずっと創作活動を続けたんだね。
2012年、今年の1月に101歳で死去。
芸術に一生を捧げた、情熱的な女性だったんだね!


ドロテア・タニングのHPにはタニング誕生の1910年から2011年に発行されたタニングの書籍の紹介までの全ての仕事が紹介されている。
年代ごとにスタイルを変化させたり、絵画だけではなく彫刻や版画を手がけたり、作家としても活躍していた様子。
上の写真は「Poppy Hotel, Room 202」(1970-1973年)という作品である。
織物、羊毛、合成毛皮、ボール紙とピンポン球を組み合わせて作られた現代アートになるのかな。
子供時代に聴いた1920年代のヒット曲からインスピレーションを得た作品みたい。
どうやらシカゴ・ギャングの妻が服毒自殺をしたホテル202号室について歌われた内容みたいなんだよね。
In room two hundred and two
The walls keep talkin’ to you
 I’ll never tell you what they said
 So turn out the light and come to bed.
これが歌詞みたいなんだけど、誰か上手に訳してくれるとありがたいな。(笑)
情念や怨念などの「念」が封じ込められたホテルの一室。
人なのか、椅子なのか形の定まらない不可思議な物体の存在感。
壁に掛かっている謎のピンク色は、まるで女体の半身トルソーのように見えるし。
この不気味な感覚はとても好きだな!

トップに載せた油絵も不穏な雰囲気の幻想絵画だよね。
これは「Eine Kleine Nachtmusik」(1943年)という、これもまたホテルが舞台になっている作品なんだよね。
夜のホテル。
いくつもの寝室が近くにあるのに、他の部屋については何も知らない。
同じ館にいるのに、都会と同じ疎外感を感じる。
暗い影が何かの形に見えてしまうことがある。
血の色のカーペット、残酷な黄色、逆立った黒髪。
向日葵は花の中で最も攻撃的だ。
悪い想像は悪夢になって襲ってくるかもしれない。

ドロテア・タニングの作品は、年代によって変化はあるけれど、全体的に観る者を不安な状態に陥らせる。
そこに魅力を感じるのはSNAKEPIPEだけではないだろう。
そして沸き立つ芸術欲が全く失われることなく、長い年月の間創作を続けていたところも尊敬しちゃうよね!

今年が亡くなった年、ということで回顧展は開かれないのかな。
もしどこかで開催されるようなら是非、全貌を鑑賞してみたいものだ。

時に忘れられた人々【13】パワーポップ編1

【ポップなパワーを表現してみたが、意味不明】

ROCKHURRAH WROTE:

最近は女ロック特集ばっかりやってるが、忘れちゃならないのがこの「時に忘れられた人々」シリーズ、要するに今の時代にあまり語られる事がなくなった人々に焦点を当てたROCKHURRAHの主力記事というわけだ。 今回はヒネリもなく直球で行こうと先ほど決心した次第で、ズバリ単純明快にパワーポップの事を語ってみよう。 パワーポップと言ってもかなり曖昧なジャンルで、色んなところから色んなものがパワーポップ扱いされてる昨今だが、ROCKHURRAHはやっぱり70〜80年代英国をメインで書きたい。通常パワーポップと呼ばれている音楽とはかけ離れているかも知れないけど、解釈は人それぞれという事で。 直球勝負だから今回は妙に長くて言い訳がましい前置きもなしでさっさと始める事にしよう。

と思ったがそもそもパワーポップについて何も語ってなかった事に今気付いた。パワーポップとはズバリ、パワーがあってポップなロックの事だ。改めて解説するまでもなかったか(笑)。起源はザ・フーとの事だがそんな昔からの事を連綿と書き綴ってパワーポップ史を完成させるつもりはないから、これは省略しよう。 70年代パンクの後でニュー・ウェイブが始まり、その辺に湧き出てきたバンドの中で近い傾向のものが一緒くたに紹介されてた時代。パワーポップもその中のひとつのジャンルには違いないが、実は「俺たちはパワーポップに属する」などと自称していたバンドはほとんどいないかも。その存在自体に「?」マークがつく勝手なネーミングだが、割と一般的に使われるジャンル名だし誰でもわかる音楽だからまあいいか。 いやはや、やっぱり前置き長かったですか?

Bram Tchaikovsky / Girl Of My Dreams

1stアルバムの邦題がズバリ「パワーポップの仕掛け人」だから、誰が何と言っても代表選手なのは間違いないね。ブラム・チャイコフスキーなどと大仰な名前が付いているが単なるイギリス人。元々はパンクの時代くらいに活躍していたモーターズというバンドの出身だ。パンク直前に流行ったパブ・ロックの分野で人気だったダックス・デラックス、ここのニック・ガーヴェイが作ったのがモーターズだった、などと話すと長くなってしまうのでこれまた省略。 ブラム・チャイコフスキーはモーターズではあまり目立たなかったが、1978年にここを離れて自分のバンドを結成。それがBram Tchaikovsky’s Battle Axeだ。 年号苦手な人は「ソロの道、行くなや(1978)ブラム・チャイコフスキー」と覚えておくと良い。 しかし戦斧かあ、重くて使いづらいからあまり好きじゃないんだよね。ん?モンハンじゃないのか? シングルのジャケットがバイクにまたがったイラストだったし、勝手にバイク好きだと断定してたので、自分の暴走族(?)の名前をそのままバンド名にしたものだと推測していたものよ。日本で紹介された時にはバトル・アックスは名乗ってなく、個人名だけで3人組のバンドだったが、元ヘヴィメタル・キッズ(というヘヴィメタルじゃないバンド)のメンバーなどが脇を固めていて渋さこの上もない。

そう、ブラム・チャイコフスキーの事を語る時にROCKHURRAHが最も言いたいのがこの「渋み」なのだ。パワーポップなどと呼ばれてはいても彼の声や風貌、そして曲調にはどこか陰り、錆びのようなものを感じてしまう。我がオンライン・ショップで彼の事を紹介した時「暴走族で言えばナンバー2という感じ」と書いたが、言い得て妙。 さて、この彼の大傑作アルバムが冒頭で書いた「パワーポップの仕掛け人」だ。この後も少しアルバムを出すけど、1stが完璧にベスト盤。いまではさっぱり行かなくなったけど、80年代の文化屋雑貨店や宇宙百貨を思い出すようなキッチュ(死語?)なレコード・ジャケットも魅力的。前に当ブログ「春色ジャケット大特集(なわけない)」でも紹介したな。ギターのジャカジャーンというかき鳴らし方が絶妙のタイミングで入ってきて、しかも極上のポップ・センス。個人的にROCKHURRAHはブラム・チャイコフスキー登場以前からギターはジャカジャーンというダイナミックな奏法を得意としていたので、まるで自分がデビューしたかのような喜びで友人たちに紹介しまくっていたのを思い出す。 その彼の代表作がこの「Girl Of My Dreams」だろう。ザ・フーの「The Kids Are Alright」とか好きな人だったら必ず昇天間違い無しの名曲。赤白ボーダーのTシャツと言えばラフィン・ノーズのチャーミーか楳図かずおだろうが、これがノースリーブとなるとブラムのトレードマークとなる。しかしなんでこの人は歌う時に切ない、と言うよりは情けない苦しげな顔立ちになるんだろうね。もしかしてパワーポップのくせに体力ないのか?見た目はアレだけど、曲は最高なのでこれこそパワーポップと胸を張って言い切れる。

XTC / Radios In Motion

元々はプログレなどのレーベルだったがパンク直後の時代に元気なアーティストをたくさん抱えて、大躍進したのがヴァージン・レコードだろう。XTCはそのヴァージンの中でも筆頭という扱いでデビューしたバンドだ。オンライン・ショップやブログでも何度か書いたから、個人的にはいまさらなんだけど、初期のXTCの持つ圧倒的な勢いと演奏力は誰もが認めるものだった。アンディ・パートリッジの引っ掻くようなギターと素晴らしい声量のヴォーカル、時にはいびつでネジレまくったかのような曲調になるアヴァンギャルドな部分もあるけど、それでも余りある素晴らしいポップなセンス。そしてコリン・ムールディングの方はもっと正統派の曲を作る。XTCはこの2人によるバランス感覚が優れていて、新しい世代の大衆音楽として大活躍していた。ビートルズや10ccなどと同じようにポップと実験性が同居していたんだよね。 4作目の「Black Sea」くらいまでは素晴らしい勢いだったけど、残念な事にXTCはその後、ライブをやらない宣言をしてしまった。スタジオで音をコネコネするのは製作者にとっては楽しい出来事だろうけど、まとまりが良すぎて次第につまらない世界になってしまう(個人的感想。この後のXTCがいいという人も多数)。 「Radios In Motion」はそんなROCKHURRAHが一番好きなXTCの曲。デビュー曲じゃないしシングル曲でもないけど、1stアルバム「White Music」の1曲目。輸入盤を買い漁っていてデビュー当時から知ってるよ、というファン以外は普通この曲が最初に聴く曲となるだろう。性急なドラム、単調なベース、そしてウィルコ・ジョンソン直系かと思われるギターのストロークがかぶさったところで歓声をあげた人は多かろう。時代的にはまだパンクのヴァリエーションのひとつ、荒々しくパワーがあるのは当たり前とも言えるけど、このものすごい勢いとポップなセンスはまさしくニュー・ウェイブそのもの。パワーポップの殿堂入りは間違いなしの名曲だ。ちなみに輸入盤で買って歌詞カードもなかったバカ少年ROCKHURRAH(英語力皆無)は、この曲のカタカナ歌詞を「オゼザメッセンジャバチャイドー、アタタガリニチベイ・・・」などと勝手に作って友人と合唱していたものだ。今でも知力アップはしてないけど、ああ、バカな少年時代。

Buzzcocks – I Can’t Control Myself

バズコックスは誰もが知ってる通り初期パンクの重要なバンドだが、パワーポップの直接の元祖としても語られる事が多い。ポップでパワーのあるパンクはパワーポップでもあるというような曖昧だけど当たり前な境界線でいいわけだ。どんなにポップでもモヒカンだったらパワーポップとは言わないとか、アグレッシブな音楽や歌詞だったらパンクとか、その辺も聴く人次第で曖昧。 まあともかくバズコックス、マンチェスターを代表するパンク・バンドだったわけで、一番初期にはマガジンのハワード・デヴォートがヴォーカルだったというのも有名な話。1stアルバムの時にはもう脱退してたんだけど、デヴォート在籍時の珍しい映像がこの曲だ。聴いてわかる人はわかる「Wild Thing」で有名な60年代バンド、トロッグスのカヴァー曲をやっておる。デヴォートのグニュグニャなヴォーカル・スタイルは素晴らしいが、実は原曲の方が遥かにパワフル。こりゃいきなりパワーポップ失格か? デヴォートが抜けた後はギタリストのピート・シェリーが不束ながらもヴォーカルに昇格したわけだが、この腑抜けたヴォーカル・スタイルと艶もスター性も皆無なルックスでもなぜかバッチリとファンの心を鷲掴みにした。そういう点では奇跡のパンク・バンドだと言える。つまりそういう地味なルックスを抜きにして、純粋に歌の良さだけでバズコックスはヒットしたわけだ。確かに誰の耳にも残る素晴らしい名曲をいくつも残してるからね。ROCKHURRAHも貶してはいるがバズコックスの大ファンだ。ボックス・セットまで持ってるよ。

その作曲センスの良さを世間に知らしめたのが1st収録、4枚目のシングルだったこの曲「I Don’t Mind」だ。3rdシングル「What Do I Get?」と共に代表曲と言っても良い。安定感がなくて問題アリアリの演奏と素っ頓狂なシェリーのヴォーカル、この紙一重の危うさと絶妙な曲の良さがたまらない魅力だよ。

The Rezillos / Destination Venus

初期パワーポップの中でROCKHURRAHが即座に思い出すバンドばかりを書いてきたけど、このレジロスもパンク/パワーポップの狭間にあるバンドでパワーポップ好きの誰もが納得出来る名曲をたくさん残しているな。大好きで来日公演まで行ったのはウチのブログでも前に書いた通り(参照記事)。 スコットランド、エジンバラのバンドだと聞いても全然ピンとこないくらいに派手でギンギンに楽しいステージ、そしてグリッター的な衣装。まあ同時代のスコティッシュとして黄色原色のジャンプスーツとか平気で着てたスキッズがいるから、スコットランド=地味で田舎っぽいとは思ってないけど、アメリカのバンドだよと言われても普通に信じるくらいレジロスはスコティッシュっぽくない。レーベルもイギリスっぽくなくてサイアーだったしね。

このバンドの最大の魅力は縦横の縮尺が少し変なサングラス男ユージンと元気いっぱいで明るいフェイの男女ヴォーカルによる楽しげな掛け合いのステージだろう。特に短髪美女ヴォーカルの草分け、フェイは数年前に観たライブでもまだミニスカート着用で78年当時と比べても衰えた感じはしなかった。まさに女は不老不死。てなわけで初期XTCと同じく、勢いのある演奏に2人の声が絡むとレジロスのポップ・ワールドが炸裂する。 50〜60年代のポップ・カルチャーとレトロSF(と言うかSFコミック)などの要素がパンクのフィルターを通して見事に融合した世界。アメリカのB-52’sと似たような感じでさらにお手軽、わかりやすいのがレジロスの音楽だ。 レヴィロスと名前を変えて活動している時もあるけど、どちらもパンク、ロックンロール、ロカビリー、ガレージ、50’s、60’sという要素がごった煮で、もちろん今回書いたようにパワーポップのファンも大絶賛出来る内容、素晴らしい世界だ。

まあ今回のブログ全体に言える事だけど、拙いコメントなど不要だね。これらのバンドを知らない人はビデオを見れば単純明快にパワーポップを知る事になるだろう。音楽の好みは人によって違うだろうけど、こういうものを求めてる人にはドンピシャな内容なのは間違いない。

一回で終わるつもりで書きだしたけど案外長く書いた割にはまだ4バンド。ROCKHURRAHの一日の活動量を超えてしまったから(人としてどうか?と思えるほど低い活動量だな)、続きはまた近日に書く事にしよう。

ビザール・ピロー選手権!5回戦

【問:どの枕が一番安眠できるかを答えよ。(笑)】

SNAKEPIPE WROTE:

みなさん、最近良く眠れてますかー?
SNAKEPIPEは夜になると湿度が高くて寝苦しい気がするんだけど、いかがかな?
良い睡眠のためには温度や湿度も問題だけど、寝具の関係もあるよね。
ベッドか布団か、そしてマットは低反発、高反発、ウォータータイプか、など人それぞれ好みが分かれるし。
枕もきっとかなり好みがハッキリするアイテムではないかと思う。
昔ながらの蕎麦がらや籾殻・小豆派の方もいるだろうし、フカフカの羽毛タイプを好む人も多いだろう。
いつだったかハッキリしないけれど、一世を風靡したテンピュール以来低反発枕が知られるようになって、亜流品がたくさん作られ安価な値段で売られるようになったよね。
その頃からだんだん枕の重要性が注目され始めたように記憶している。
肩こりや腰痛と枕が関係ありと言われ始め、今まで適当に決めていた枕選びに慎重になる人が増えたように思う。
実はSNAKEPIPEもROCKHURRAHもちゃんとピロー・フィッターさんにチョイスしてもらった枕を使ってるんだよね。
これは健康のため、というよりは肩こりと腰痛対策。(笑)
目覚めた瞬間から体の不調を感じることが続いたため、意を決して相談に行ったわけ。(大げさ)
ただ枕だけ合わせてもマットとの相性もあるから、なかなかピッタリのタイプを選ぶのは難しいね。
そんなことも含めて寝苦しいのかもしれないな、と考えるSNAKEPIPE。
と、前置きが長くなったけれど、今回の特集はビザールシリーズ第5弾!
奇妙キテレツな枕を探してみたよ!

奇妙、と書いてはみたけれど最初にご紹介するのはとてもお洒落な枕。
なんと光る枕だよ!
シリコン製で中にはLED電球が入っている。
この電球は充電池式で4時間連続で使用可能、だんだんと暗くなる仕組みらしい。
間接照明としての機能もあって、インテリアとしても最高と説明がされているよ。
違う写真では女性がこの枕を抱き締めて、会話を楽しんでいたよ。
柔らかい光が顔を照らしていて、くつろぎの時間を演出してくれるかも?
お腹も温まりそうだしね。(笑)
Diana Lin design LLCで販売していて、気になるお値段は180ドル。
現在のレートで14000円くらいなので、かなりお手頃だよね。
ただし、この枕にしたら眩しくて眠れなくなること間違いなし!
安眠とは程遠い逸品かな?(笑)

では良い夢を見るような枕にしてみようか。
どお、この「朝ごはんセット」枕!(笑)
さすがに外国だから朝ごはんといえばトーストにパンケーキなんだね。
目玉焼きとトーストは枕として成り立ちそうだけど、パンケーキはちょっと厚めじゃない?
これだと頭が高くなりそうだけど大丈夫か心配になるけど、なんともHAPPYな気分になれそうな枕だよね。(笑)
販売しているところがはっきりしなくて、値段も未確認なんだけど恐らく40ドルくらいらしい。
日本円にして3000円くらいかな?
こんな枕にするとお腹空いちゃて眠れなくなるかな?(笑)

食べ物つながりで見つけたのがこちら。
Japanese Sushi枕だ!(笑)
枕というよりはクッションなのかもしれないけど、いやあすごいインパクトだよね!
そしてやっぱり上の朝ごはん枕と同じように、太巻き寿司の中身がアボカド入りのカリフォルニアロールになってるところが外国っぽい。(笑)
いきなりソファやベッドにこんなSushi枕がボコッと置いてあるだけで、部屋の印象がガラリとか変わりそうだよね。
これらはthe original sushi pillowで販売されているよ。
CFを自主制作していて、なんだかノリノリの人達だよ。(笑)
ちなみにカリフォルニアロールのお値段は40ドルだって。
上の朝ごはん枕と同じで3000円くらいだね。
太巻きを枕にして眠ってみたい気がするSNAKEPIPE。
これもまたお腹空きそうだけどね!
ん?今気付いたけど、こういう面白グッズってもしかしたらドン・キホーテでも売ってたりして?(笑)
わざわざ紹介するまでもない商品だったらごめんなさい!

最後はこちら。
テトリス枕だっ!(笑)
ゲームについてほとんど知らないSNAKEPIPEだけど、時間を忘れる程熱中したゲームといえばテトリスなんだよね。
たまたま携帯に入っていて、始めてみたら楽しくて楽しくてハマッてしまった。
携帯の機種変更をしたくなかったのは、テトリスのせいだったと言っても過言ではないね。(笑)
今でもきっと始めたら我を忘れること間違いなし、のゲームだろうなあ。
こんな形の枕があったらきっと組み合わせを考えそうだよね?
それでまた眠れなくなったりして。(笑)
テトリス枕のお値段は19.99ポンド、日本円にして約2500円くらい。
現在販売されているのか不明だったので、知ってる方がいたら教えてね!

どんな枕で眠ると良いのかは本人次第だよね。
またこれからも安眠できる枕探しと実験をしていこうと思う。
ビザール・グッズ探しはまだまだ続くよ!
お楽しみに!(笑)