Naonシャッフル 第2夜

【ROCKHURRAH作の大失敗動画。左右別音声で何だかわけわからんぞ】

ROCKHURRAH WROTE:

大げさに封印する理由なんて何もなかったんだが、何となく難しそうと思って書く事をためらっていた「ロックする女性」特集。
しかし前回このシリーズ企画を書き始めてしまったわけで、企画倒れにならないように少しは続きを書かなければ。
焦点を当てるのは毎回何となくROCKHURRAHが選んだ70〜80年代のロッキン女性たちで、選ぶ基準も対バン相手も好き勝手にしてみたい。
テーマ決めすぎて縛られてしまうパターンが最近多いから、そうなるとたかがブログでも疲れてしまうんだよね。だから少しでも書きにくいと思ったミュージシャンは好きでも書かないつもり。誰でも知ってるメジャー系は難しいかな。 という前置き(言い訳)で第2夜に突入してみよう。

Bette Bright & Jayne Casey

さて、今回はかつて大得意だった80年代リヴァプールの話にしてみよう。
リヴァプールと言ってもビートルズとかじゃないから、勘違いしないようにね。今は大得意とは言えないくらい忘れてるから、記事の内容も鵜呑みにしない方が良かろう(←偉そう)。

1980年代半ばくらいまでに有名バンドを数多く輩出したリヴァプールだが、その元祖的存在が70年代後半のデフ・スクールとビッグ・イン・ジャパンの二つのバンドだ。ベット・ブライトもジェーン・ケーシーもそこの歌姫だったわけだが、一般的にはあまり知られてないに違いない。だからそれを敢えてROCKHURRAHが書いてみましょうというのが今回の趣向。

デフ・スクールは英国のアマチュア・バンド・コンテストみたいなもので優勝してプロになったという経歴を持つリヴァプールのバンドだ。
日本で言えばイカ天出身バンドみたいなものか?
1976年から78年までに3枚のアルバムをリリースしたけど、日本では同時代にはほとんど知名度はなかったかな。

ちょうど英国ではパンク、ニュー・ウェイブが始まった時代なんだが、デフ・スクールはそういう音楽とは少し違う方向性にあったから、時代の波に埋もれてしまった感がある。
その音楽は10CCやロキシー・ミュージック、あるいはキンクスっぽい部分もあるしグラム・ロックのようでもあり、後のニュー・ウェイブにつながる部分もある。ステージやメンバーのイメージを見る限りは「架空のB級ハリウッド・スターによるゴージャスなミュージカル・ショー」といった風情で大人のエンターティンメント満載、まさに極上のモダーン・ミュージックだ。
ただし当時不況の国イギリス、アメリカのショウビズ世界のほど豪華絢爛というわけではなく、どちらかというとキャバレーのドサ回りバンドっぽいという説もあるが。
主要メンバーが8人もいる大所帯バンドであり、後にメンバーもそこそこ成功している。海外ではよくこのバンドの事をRock Legendなどと評しているが、そこまで大げさではないにしろ、マニアを唸らせるだけの人材がよく一堂に会したなあ、と思う。
後に最も出世したのは80年代を代表する有名プロデューサーになったクライブ・ランガーだが、他にもオリジナル・ミラーズのスティーブ・アレン(エンリコ・キャデラックJr.としてデフ・スクールのメイン・ヴォーカリストだった)、プラネッツのスティーブ・リンゼイなど、優れたミュージシャンがこのデフ・スクール出身だ。

そしてやっと核心にたどり着いたよ。今回取り上げたいベット・ブライトはデフ・スクールの紅一点、3人のヴォーカリストのうちの1人だったわけだ。
わざわざくどい説明しなくても話の流れで誰でもわかるか。
50〜60年代の映画を気取った楽曲が多く、彼らの1stアルバム・ジャケットもまるでラブ・ロマンス映画の1シーンのようだった。
エンリコ・キャデラックJr.が主役だとしたらベット・ブライトはヒロイン役といったところか。
絶世の美女というわけではなく、デフ・スクールの画像を調べてみても単なるケバいお姉さん、ヘタしたらおばちゃんっぽくもあるけど、見るたびに違った雰囲気の化粧と衣装で同一人物には見えないかも。
自分の創りあげたイメージをたびたび覆す、と言えば70年代のデヴィッド・ボウイがまさにそうだったわけで、このブライト嬢もそういう路線を目指していたのだろうか?考えてみれば女優も毎回違う役だもんな。

そんなデフ・スクールの70年代当時の動いてる貴重な映像がこれだ。
他の映像は1988年に再結成、同窓会ライブをした時のものか、ごく最近のものばかり。おっさんとおばちゃんになってしまった彼らをあまり見たくないからね。ヒット曲「Taxi」と1stの1曲目であり、個人的に大好きな「What A Way To End It All」の映像はまさに彼らの全盛期のもので、ファンならば大満足間違いなし。
ただしクラーク・ゲーブルみたいなエンリコ・キャデラックがメインでベット・ブライトはこの曲ではコーラス程度であまり写ってないのが残念。しかし塩沢ときのようなド派手なサングラスでインパクトは強いな。
ちなみにデフ・スクールのもう一人の主人公、クライブ・ランガー(ギタリスト)はほとんど写ってないというありさま。ファンならばガッカリ間違いなし。

こちらはベット・ブライトがメイン・ヴォーカルを務める「All Queued Up」、3rdアルバム「English Boys / Working Girls」に収録されている曲だ。
このラスト・アルバムは1stで顕著だった10cc風のヴァラエティ豊かな曲よりはストレートなロックの曲が多く、この曲もその路線。
この後のニュー・ウェイブ時代の女性ロッカーに多大な影響を与えたひとつのスタイルだね。

デフ・スクール解散後、彼女はソロとなり、ベット・ブライト&イルミネーションズを名乗るが、60年代ガールズ・ポップ路線に磨きをかけて、これまた好きな人にはたまらない魅力だろう。
クライブ・ランガー&ボクシズ、ビッグ・イン・ジャパンのイアン・ブロウディ、同郷のヨッツのヘンリー・プリーストマン、元セックス・ピストルズのグレン・マトロック、リッチ・キッズやスキッズ、ヴィサージのラスティ・イーガンなどバック・メンバーも超豪華。
マッドネスのリー・トンプソンもゲストで参加していたな。
マッドネスの「ワン・ステップ・ビヨンド」をプロデュースして大ヒットさせたのもクライブ・ランガーだったから、この関係で知り合ったのかどうかわからないが、私生活でもマッドネスのサッグスと結婚している。
ブライト嬢はピストルズの有名映画「グレイト・ロックンロール・スウィンドル」にも出演しているな。

イルミネーションズの動いてる映像が意外となかったのでこれで我慢するか。
この曲は60年代にReparata And The Delrons(読めん)がヒットさせた曲のカヴァーでエキゾチックな名曲。
バングルスの「エジプシャン」とか思い出すよね。ベット・ブライトはこの他にも数多くカヴァー・ヴァージョンの傑作を残していて、プリンスの「When You Were Mine」やパースエイダーズの「Some Guys Have All The Luck」なども素晴らしい。
後にシンディ・ローパーやロッド・スチュアートがこれらの曲をカヴァーしたが、その元祖と言っても良いくらい。
関係ないがジャケットの衣装もすごいな。ボディコン(死語)の元祖でもあるのか。

デフ・スクール関係は詳しく書けばそれだけでブログ数回分になってしまうのでハードだけど、かなり端折ってしまったな。ディープなファンから怒られるだろうけど、まあこれで許して。

その伝説的なバンド、デフ・スクールよりも少し遅れた1977年にリヴァプールではもう一つの伝説が生まれた。
知ってる人は少ないけど、その筋では超有名バンドと言えるビッグ・イン・ジャパンだ。
日本でビッグ=本国では無名という皮肉な表現だけど、世の中に溢れてる黄色猿は大嫌いだから腹も立たない。
今は便利な時代になってYou Tubeとかでもほぼ全曲彼らの曲を知る事が出来るけど、ニュー・ウェイブ系の入手困難レコードとしても有名な伝説のバンドだ。

このバンドはデフ・スクールよりももっと有名人を輩出していて、ライトニング・シーズを大ヒットさせたイアン・ブロウディ(プロデュース業でもヒット作多い)をはじめ、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドで一世を風靡したホリー・ジョンソンなどもここの出身だ。
その辺の事は大して詳しく載ってないけどウチの販売ページも見てつかあさい。

ビートルズを有名にしたキャバーン・クラブの隣に位置していたというライブ・ハウス、エリックス。
ここを拠点として80’sリヴァプールのバンドがメジャーになっていったんだが、ビッグ・イン・ジャパンもエリックスの名物バンドだった。
デフ・スクールがメジャー・レーベルで3枚もアルバムを残してるのとは逆で、ビッグ・イン・ジャパンはわずかにインディーズから2枚のシングルしか出してなく、知る人ぞ知るバンドという状態だったな。
後に有名になった人が多数在籍していたから伝説と言われてるけど、単に曲だけ聴いたら500円くらいで売っててもおかしくないレコードだろう。
ROCKHURRAHは渋谷のZESTで清水の舞台から飛び降りる思いで6000円くらいしたシングルを買ったものだが、それも今は昔の話。

ジャンルとしてはパンクなんだが、有名ミュージシャン多数・・・の割には非常にチープな演奏でそのB級感覚が魅力と言えるのか。
スージー&バンシーズの曲調とRAWレーベルの絶叫女性ヴォーカル・バンド、シック・シングスあたりを思わせるジェーン・ケーシーの歌声、そして当時のパンク界でもかなりの美女だと思えるのにスキンヘッズ(していた時期もある)で異常なメイク、という派手なスタイルが素晴らしい。
ぶっちゃけた話、同じような感じだったらエラ顔のスージーよりは美人のジェーンの方がいいという男性ファンも多かった事だろう。
このバンドでは優れたミュージシャンであるイアン・ブロウディもビル・ドラモンドもホリー・ジョンソンもたぶん主役ではなく、ジェーン・ケーシーのインパクトあるスタイルに対する評価がほとんどだったという気がする。

ほぼ唯一と言える超貴重映像がこれだ。

この曲は4曲入り2ndシングル「From Y To Z And Never Again」に収録されているが、映像はライブ風景(あるいはプロモ)でも音はかぶせているだけだろう。バンシーズとかシック・シングスとかに似てると書いててこの曲だと全然イメージが違ってくるけど、唯一の動く映像だから仕方ない。
ちなみにこの曲の甲高い声はジェーンではなく(聴けばわかるか、当たり前)、楽器担当の3人がお遊びで作った宅録の模様。
まあしかし映像があっただけでも奇跡的にすごいね。
世はまさにパンク時代真っ只中、という事を全然感じさせないヘナチョコ・メガネ・ギタリストのイアン・ブロウディと生きたバービー(というかマネキン人形みたい)のようなジェーン、そしてこれだけのメンツが同一画面で動いてるのはリヴァプール・マニアとしては感慨深い。
右側二人は何もせず遊んでるだけにしか見えないがギャラ貰えるのか?

ビッグ・イン・ジャパンは短命に終わったバンドだったがその後、ジェーンはピンク・ミリタリーというバンドを始める。
この時はもうパンクではなく、スージー・スーが目指した方向と同じダークな路線となっている。
ダーク・サイケ、ゴシックなどと呼ばれた音楽と似たようなもの。ビッグ・イン・ジャパンの「Taxi」や「Nothing Special」の延長線上なんだけどね。
あのメイクと声だからこれは非常に良く似合っていて、囁くような歌の「I Cry」などは大好きだった。ただし見た目の割には地味な音楽だったから人気なかったのかね、ここでも動く映像は残っておりません。

そしてエレクトロニクスを中心とした音楽に転身していったため、バンド名もピンク・ミリタリーからピンク・インダストリーに改名。
軍隊から工業かあ。どちらも好きな分野だから安易でも許そう。
リヴァプール・シーンで昔からいくつかのバンドで活動していた(ピート・バーンズやホリー・ジョンソンとも旧知の仲)アンブローズ・レイノルズがジェーンのバックを務めている。

ピンク・インダストリーは動いてるプロモもあるんだけど、この曲が好きなので動いてないこちらの方を選んでみた。
エレクトロニクスによる演奏の男女ユニットと言うとユーリズミックスあたりを連想するが、ジェーンの歌声はもっと気怠くて、まるで女版ルー・リードといったゆるさ加減が、好きな人にはたまらない魅力だろう。

+ + + + + + + + + 

以上、80年代リヴァプールを牽引してきたシンボル的女性二人に焦点を当ててみたけど、どうだったかな。
牽引というほど大活躍してないけど、そこはご愛嬌。

何とデフ・スクールは2011年に来日しているそうだし、ピンク・ミリタリーも今年になって活動再開していたらしい。あの時代だからこそ輝いていたんじゃないかと個人的には思うし、やっぱりROCKHURRAH RECORDSとしては80年代をそのまんま現在進行形で切り取ってゆくような姿勢でいたい。

尚、今回は扉の動画が直前まで出来上がらなくて苦戦して、時間切れとなったので「失敗作」のままアップしたけど、許してね。ちゃんと時間ある時にリベンジしてみます。

マックス・エルンスト-フィギィア×スケープ

松井冬子展の時と全く同じ構図!ワンパターン!(笑)】

SNAKEPIPE WROTE:

去年の3月に鑑賞した「シュルレアリスム展~ポンピドゥセンター所蔵作品」紹介のブログの一番最初に記事にしていたマックス・エルンスト。
その中で「エルンスト展があったら観に行きたいな」と語っていたSNAKEPIPE。
なんとその夢が実現することが判明したのが、前回の松井冬子展で出かけた横浜美術館だった。
次回の特集がマックス・エルンストと知って狂喜するSNAKEPIPE。
うわー、これは楽しみだ!(笑)

以前よりシュルレアリスムに興味を持ち、様々な展覧会に行ったり画集や写真集を鑑賞したり購入するのが大好きである。
マックス・エルンストについても当然のように名前と顔が一致するアーティストだけれど…それはマン・レイの撮影したポートレイトを知っていたからなんだよね。
マックス・エルンストの代表作は何?と問われてもハッキリ答えられないことが判明。
シュルレアリストのうちの一人と認識しているし、実際に今まで何点かの作品は鑑賞しているけれど、あまり詳しくないアーティストになってしまいそう。
益々マックス・エルンスト展鑑賞の必要性を感じたのである。(大げさ)

今年のゴールデンウィークは5月1日、2日を加えれば最長で9連休。
なんとSNAKEPIPEも今年はその恩恵を授かり、9日連続のお休み中なのである!
だけどね、別に特別どこかにお出かけするわけでもなく、何か用事があるわけでもないんだよね。(笑)
普段のお休みがちょっと長引いてるかな、くらいのゆったりした時間を過ごしている。
「絶対に観に行きたい展覧会」
とROCKHURRAHが珍しく鼻息を荒くしていたのがマックス・エルンスト展だった。
かなり琴線に触れたアーティストらしい。
長いお休み期間中、丁度良い機会だから行こう!とROCKHURRAHと一緒に横浜に向かったのである。

ここでマックス・エルンストについて簡単に紹介してみようか。
1891年ドイツのケルン生まれ。
1910年ボン大学文学部哲学科に入学。
1913年「ライン表現主義者展」に出品。
1914年~1918年第一次世界大戦に砲兵隊員として従軍。
1921年パリでコラージュ展開催。
1925年「第一回シュルレアリスム絵画展」に出品
1946年55歳で画家のドロテア・タニングと4度目の結婚
1976年パリで死去。

1912年に現代美術の展覧会を鑑賞して画家になる決意を固め、その翌年には作品を出品しているなんてすごい!
幻覚を見たり、飼っていたインコの死を妹の誕生を結びつけたりするようなスピリチュアルな一面もアーティストになるべくしてなったような話だよね。
そして驚くのは4回の結婚歴!
1:元大学の同級生(お金持ちの子?)→2:映画監督の妹→3:美術コレクター→4:画家という女性達を次々と虜にしたマックス・エルンスト。
これらのエピソードだけでも充分小説とか映画になりそうだけど、更に作品についての話題もあるから興味が沸くよね。(笑)

ROCKHURRAHは初めての横浜美術館である。
前回SNAKEPIPEが「松井冬子展」に行った時も雨の横浜だったなあ。
今回も雨降りだから、ジンクスになってしまいそう。(笑)
またもや周囲を散歩する試みはくじかれてしまったけれど、周りのゆったりした空間は気持ちが良いね。
展覧会場に入ってすぐに
「この展覧会ではシュルレアリストとしての枠を外し、『フィギュア』と『風景』というモチーフからマックス・エルンストを検証し直しました」
と書かれている。
うわ、なんと!
ROCKHURRAHとSNAKEPIPEが求めていたシュルレアリスム作品とは違う角度からマックス・エルンストを論じようとしているとは…。
本当は本来のマックス・エルンスト展を期待していたのにちょっと残念。
では一体どんなマックス・エルンストなんだろう?
足を進めてみることにする。

会場は3つの章から構成されていて、時代を追う順番で作品が展示されていた。
ここでやはりROCKHURRAHとSNAKEPIPEが目をキラキラさせたのが第1章。
1909年から1927年までの作品が展示されていたためである。
「流行は栄えよ、芸術は滅びるとも」と題された版画集は、当時はケルン・ダダ(反芸術運動)のリーダーとして活躍していたエルンストがデ・キリコの作風に影響を受けて1919年に制作。
この時代はダダイストとしてエルンストの名前が挙がるんだよね。
ダダイストからシュルレアリストになった人って結構多いみたいなんだけど、これって1924年にアンドレ・ブルトンが「シュルレアリスム宣言」をした前と後のように、年代によって使い分けるということで良いのかしら?
あまりハッキリ言い切れないので、詳細は専門家にお任せかな。(笑)
そして確かに解説にあるように、キリコの顔なし人物と酷似してるよね!
石版に直接描いたリトグラフとのことだけれど、構成主義を思わせる直線が見事。
ダダイズムについてあまり詳しくないSNAKEPIPEだけれど、この版画集のタイトルと版画の内容からなんとなく言いたいことは解る気がする。
ただ思想がどうのなど関係なく、とてもカッコ良い構図の版画集だよね。
ポスターがあったら並べて飾りたいな!(笑)

続いて気になった作品はこちら。
「聖対話」と題された1921年制作のコラージュ作品である。
ううっ、1921年にこんなコラージュが完成していたとは!
やっぱり1920年代恐るべし!(笑)
左下に「ガラへ」と書かれていて、どうやら左側の女性の顔もガラという女性みたい。
このガラという女性は詩人ポール・エリュアールの奥様で、後にサルバドール・ダリと結婚する女性なんだよね。
2人のアーティストに愛されたガラ夫人というのが非常に気になるSNAKEPIPE。
昔からファム・ファタール(魔性の女)系の女性には興味があるんだよ。(笑)
そんなブログの企画があっても面白いかもしれないね?
この作品は人体模型図の図版をベースに2羽の鳥や実験航空機の写真に加えて膝部分にボタンが配置されている。
羅列すると不思議な組み合わせなのに、作品として鑑賞するとキレイなバランスが保たれていてカッコ良い。
この作品もポスターあったら欲しいな!(笑)

次は1925年から1952年の作品を展示していた第2章で目を惹いた作品のご紹介ね。
1929年よりエルンストは再びコラージュ作品の制作に取り組み始める。
「コラージュ・ロマン」とエルンストが名付けたコラージュによる小説を発表するのである。
1929年「百頭女」、1930年「カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢」、1934年「慈善週間または七大元素」の3部作を刊行。
これらは19世紀の定期刊行物に掲載された版画を切り取り、継ぎ目が分からないように上手く貼り付けた作品とのことである。
タイトルとコラージュ作品だけが並んだ本で、内容については鑑賞者の自由な想像でオッケーみたい。
小説と言われるとページ毎のつながりを考えてしまうけれど、一枚一枚の作品として鑑賞するだけで充分物語を想像することができそうだよね!
左は「慈善週間または七大元素」の中の一枚で、鳥人間という架空の存在が裸女の足裏にナイフを突き刺している、なんとも幻想的な作品である。
3部作とも容易に入手できそうなので、是非揃えて鑑賞したいね!

今回のエルンスト展では森の絵画や民族的な彫刻、自身が発明したフロッタージュなど、他にも素晴らしい作品がたくさん展示されていた。
時代によっていくつもの顔を持つエルンストを体験することができて良かった。
次回はシュルレアリストとしてのエルンスト展を鑑賞したいね。(笑)

会場を出てから今度は横浜美術館コレクション展、愛称ヨココレ(笑)を鑑賞。
なんとここでは写真によるシュルレアリスム展を開催している!
最初にマン・レイ、次はハンス・ベルメール。
エルンスト観に来て、他のシュルレアリストの作品を鑑賞することができて幸せ!
オリジナルプリントではないにしても、マン・レイの作品は以前鑑賞した「マン・レイ展~知られざる創作の秘密」の時よりもサイズが大きくて鑑賞しやすい。
「シュルレアリスム展~ポンピドゥセンター所蔵作品」ではハンス・ベルメールの作品は1点だけだったのに、今回はズラリと並んでるし!
オマケで鑑賞、なんてとても言えないほど豪華版で良かったね、と言い合っていたところに飛び込んできたのがシュルレアリスム絵画の部屋。
うわー、ダリだ!マグリットだ!デルヴォーだ!ベーコンだ!と興奮しまくり。(笑)
特集展覧会だけじゃなくてヨココレも要チェックだね!

SNAKEPIPE MUSEUM #15 Albert Birkle

【Albert Birkle1926年の作品:The Last Cavalier】

SNAKEPIPE WROTE:

昨年鑑賞したモホリ=ナギ以来、1920年代に対する興味を持ち続けているROCKHURRAHとSNAKEPIPE。
その時代の今まで知らなかったアーティストを発見することに心血を注いでいるところである。(大げさ)
「これはいい!」と思った作品を発見すると、お互いに紹介し合うことにしている。
今回のSNAKEPIPE MUSEUMもたまたま発見した、1920年代の温故知新系アーティストAlbert Birkleについて書いてみたいと思う。

ROCKHURRAHは観てすぐに
ORCHESTRE ROUGEのジャケットを描いているRecardo Mosnerに似てる」
と言う。

このRecardo Mosnerはアルゼンチンのブエノスアイレス生まれの画家・彫刻家で、フランスで活躍中らしい。
左がAlbert Birkleで右がRecardo Mosnerなんだけど、構図とか雰囲気が確かに似てるよね!(笑)
そして2人の画家についての詳細がはっきりしないところも良く似てる。
どうやらAlbert Birkleはドイツ人のようで読み方すら分からない。
日本語ページでの紹介文も見当たらないほどマイナーな画家のようである。
当たってるのかどうか不明だけど、アルベルト・バークルと表記していこう。

アルベルト・バークルは1900年ベルリン生まれ。
第一次大戦で兵役に就く前に、すでにベルリンの芸術大学でアートについて学んでいたようである。
親戚の中にも裁判画家を生業としている人もいたようで、どうやら芸術に対して理解がある環境で育ったらしい。
1927年ベルリンで初の個展開催。
1941年から1943年まで戦争特派員としてフランスに滞在。
1944年にはザルツブルグで開催された「ドイツ人アーティストとSS」展に出品しているようなので、ナチスとの関係もあった模様。
1946年、戦争が終結した年にオーストリアの市民権獲得。
1958年には教授となる。
この頃にはステンドグラスの作家として有名で、ドイツ国内だけでなくワシントンでもバークルのステンドグラス作品を鑑賞することができるようである。
1986年にザルツブルグで死去。

ドイツ語で書かれた文章を英語に訳してから更に日本語訳にして作った文章が上述のもの。
だからもしかした誤訳があるかもしれないけど、許してね。(笑)
バークルが活躍していた時代が丁度世界大戦真っ只中だったということで、かなり戦争の記憶がトラウマとなっていたようである。
その傷が影響を及ぼし、影のあるなんとも印象的な作品に仕上がっているように思う。
バークルにとっては辛い傷だったと予想できるけれど、作品として鑑賞した場合には非常に魅力的だと感じるのはSNAKPIPEだけではないだろう。

「The Last Cavalier」(最後の騎士)と題された上の作品は、怯える老女と忍び寄る紳士的な(?)骸骨を描いた作品である。
「怖がらないで一緒に参りましょう」と笑いながら誘っているように見えるよね。
戸惑いながらも誘いに乗りそうな老女。
そのままの解釈だけじゃなくて、もしかしたら風刺画みたいに隠喩としての作品だったのかもしれないね?

アルベルト・バークルはフレスコ画を手がけていたり、教会の窓にステンドグラスを施したりするような宗教的な一面を持っている。
そして同時に「反乱と革命」というテーマにも取り組んでいたので、「磔」というのが重要な表現手段になっていたようである。
政治的な意味と宗教的な意味を掛け合わせると左のような作品が出来上がるんだね!
苦痛、という共通項から「磔」になったみたいなんだけど、宗教について詳しくないSNAKEPIPEには深い部分まで語ることはできないので、その点は専門家にお任せするとして。
テーマとか主題について理解できなかったとしても、インパクト大だよね。
構図の斬新さや色使いはもちろんだけど、なんといっても手前の人の顔がすごい。(笑)
「叫び」で有名なノルウェーの画家、ムンクに似た生と死、孤独や不安といった人間の心のダークサイドを表現した画家なんだろうね。
調べてみるとムンクは1890年代ベルリンに滞在していてドイツ表現主義に影響を与えた人物、とされているから関連があっても不思議じゃないかもね?

詳細が分からないまま特集にしてしまったアルベルト・バークルだけど、これからもこうした観た瞬間ファンになるアーティストに出会っていきたいと思う。

Naonシャッフル 第1夜

【スティッフ・レーベルの看板娘二人。絶対話が合わなさそう】

ROCKHURRAH WROTE:

あまりにも歴史が長く深遠な世界だったので今まで語る事をしなかったが、今回は女性のロック特集でもしてみようか。 地球上の人類の半分くらいを占めているはずの女性がロックをすなるのは当たり前の現象で、正統派もいれば変わり者もいるのはどこの世界とも共通している。

そういうわけで何回になるか見当もつかないが、女子ヴォーカルという大まかなテーマ以外は特に決めずに気ままに書きたい事だけ書いてゆこう。ROCKHURRAH RECORDSの一大理念(大げさ)というかお約束で、やはり70年代パンクから80年代ニュー・ウェイブの時代限定でね。

Lene Lovich & Rachel Sweet

おっと、いきなりこれ持ってくるか?パンク、ニュー・ウェイブで女性シンガーと言ったらまずはスージー&ザ・バンシーズあたりじゃないのか?という意見は多いはずで、確かにそれが第1回目に相応しいかも。がしかし、なぜか今回のROCKHURRAHのくくりは「強くて張りのある歌、そして時々ダミ声」というテーマに先程決定したんだよね。その辺の気まぐれ心情は本人以外誰にもわかるまいて。だから今日はこういう感じにさせてくんなまし。

70年代、パンクの時代にとても有名だったスティッフ・レーベルはラフ・トレードやチェリー・レッドなどと共にインディーズ・レーベルの先駆け的な存在だった。ここに書くだけで数十行にはなるだろう(だから敢えて書かないが)有名アーティストを数多く抱え、音楽ファンの熱い視線を受けていたのがスティッフだったのだ。 そのスティッフが同じ年、1978年に対照的な二人の女性シンガーを世に送り出した。 それがリーナ・ラヴィッチとレイチェル・スウィートだ。

リーナ・ラヴィッチは現在ウィキペディアで調べると生い立ちとかすぐにわかってしまうけど、彼女がデビューした78年には当然インターネットもなく、ほとんどの雑誌メディアとかではハッキリした事がわからないミステリアスな女性シンガーというような扱いだった。デビュー・アルバムも「Stateless(国籍ナシ)」だし。 美人と言えるのかどうかの判断は見た人の感想にお任せするとして、かなりハッキリした顔立ち、そして三つ編みがトレードマークだった。東欧系、あるいはジプシーの占いばあさんを思わせるようなルックスですな。というか東欧系は実際なんだけど。

パンク以降の女性アーティストの特色としてはまず、目立つ事とファッショナブルである事が話題になる条件だったと思う。ジャニス・ジョップリンの時代ならまだしも、いくら歌がすごくてもニュー・ウェイブ世代でジーンズにTシャツ一丁で熱唱するヴォーカリストはこの時代には皆無に近かったんじゃなかろうか? そういう時代も踏まえて、このリーナ・ラヴィッチの謎めいたスタイルはそこそこ成功したと思える。強烈にヘンな部分はないけど無理やりイメージ作りしましたという感じはしなかったからね。 ROCKHURRAHは歌ってる映像もリーナ・ラヴィッチのハッキリしたルックスも良く知らなかったけど彼女のアルバムを聴いて「これぞ確かにニュー・ウェイブ(それ以前のロックにはなかったもの、という意味で)」だと狂喜したものだ。何もかも終わってしまった時代の人にはかわいそうだが、何か新しいものが生まれる瞬間に居合わせた興奮や高揚感はこの時代の誰もが感じた事だろう。

リーナ・ラヴィッチを聴くと、当時のパンク、ニュー・ウェイブをアイワのカセットボーイ(ウォークマンの亜流みたいなもの)に入れて原付バイクに乗り、小倉の埋立地に一人で行ってはずっと聴いていた我が少年時代を思い出す。ターンテーブルでもなく自宅のステレオでもなく、アウトドアで聴く90分の音楽トリップ、これが生活の基本だったなあ。

話が逸れてしまったが、リーナ・ラヴィッチの歌い方には結構強烈なものがあって、ロカビリーでよく使われるヒーカップ唱法をうまく取り入れているのが特徴。声が途中で裏返ってしゃっくりみたいになる歌い方ね。この歌い方は可憐な声よりは野太いダミ声にやはりピッタンコなので、彼女は自分の声の特色を最大限に活かす事に成功したわけだ。演奏や曲にはロカビリー色はなく、シンセサイザーやサックスなどを導入してはいるが、いわゆるパワーポップ的なノリで小難しい部分はない。

「Lucky Number」は1stの一曲目で初期の代表曲と言える。この後、髪型や服装が多少変わったりするけど、彼女の歌い方や奇抜な表情とアクション、それらの全ての基本形は既に完成されている。数々のアート・スクールを渡り歩き、サルバドール・ダリの家にまで押しかけたという過去を持っているらしいが、確かにダリ直伝のビックリしたような表情の影響が感じられる(なわけないか)。

「Say When」も同じ1stアルバムに入っている大好きな曲。後の時代のカウパンクと呼ばれるような音楽の原型とも言えるべき見事なヒーカップ。この時代からROCKHURRAHはこういう傾向が好きだったんだな。途中にビートきよしの「やめなさい!」みたいなポーズが多用されていて一体何を表現したいのかわからないが、とにかくヘンなのは確か。しかも後にトイ・ドールズが確立した体操アクションまでやっているよ。

この手のキワモノ路線は最初のインパクトが強いけど飽きられるのも早いのが世の流れ。リーナ・ラヴィッチは後からどんどん出てきた女性シンガーの中であまり目立たなくなってしまったが、手を変え品を変え生き延びてメジャーにならなかったから、それがまた尊いんじゃなかろうかとROCKHURRAHは思うよ。

レイチェル・スウィートについては最初、リーナ・ラヴィッチほどにはインパクトを受けなかった、というのが正直なところで、彼女について思い出したのは他の事がきっかけとなった次第だ。

このブログでも前に書かれているが、SNAKEPIPEは悪趣味映画の帝王、ジョン・ウォーターズ監督の映画が大好きで、ほぼ全作品を観ている。ROCKHURRAHは「ピンク・フラミンゴ」とか「クライ・ベイビー」「シリアル・ママ」などは観ていたんだが、監督について何かを知って観ていたわけではなく、たまたまの偶然。で、SNAKEPIPEと知り合い一緒に何本か観たわけだが、その中の有名な一本が「ヘアスプレー」だった。数年前に別の監督がリメイクしているが、オリジナルはこのウォーターズ版というわけ。

ブロンディのデボラ・ハリーやカーズのリック・オケイセックが俳優で出てるし、音楽はウォーターズの趣味を全面的に反映した50’s〜60’s調。ミュージカルとしても大変面白い映画だったが、そのテーマ曲を歌っていたのがレイチェル・スウィートだったのだ。レイチェル・スウィートを知らなかったSNAKEPIPEと「ヘアスプレー」を知らなかったROCKHURRAHが一緒に観た事によって、数十年ぶりにこの名前が浮上したというだけの話なんだが、こんな事でここまで長く書けるのもなかなかすごいな。

さて、レイチェル・スウィートはオハイオ州アクロンの出身で顔立ちもアメリカのアイドル風、無国籍で怪しいリーナ・ラヴィッチとはとにかく対照的だった。1stアルバムのジャケットを見る限り、どう見てもニュー・ウェイブ系の女性シンガーとは思えなかったんだが、なぜかイギリスのスティッフ・レーベルから売りだしたのがミスマッチ。同郷の偉大なバンド、DEVOがヒットしたもんだから「何かわからんがアクロン、すげえ」などと思って一緒くたに輸出されたのか?えっ、違う? しかし歌を聴いてみると納得、かわいい顔立ちからは想像つかないような、結構コブシの効いた歌いっぷりは堂々としてるもんだ。 まあ、天才子役シンガーみたいなもんで子供の頃から既にカントリーの世界で歌っていたらしい。50年代に活躍したぶっ飛び姉弟ロカビリー・デュオ、コリンズ・キッズなどの前例もあるし、珍しい事ではなかろう。 それがティーンエイジャーになってスティッフから売りだされた時は、アメリカ伝統のガールズ・ポップ要素のある女性ロック・シンガーという路線だったんだろうけど、とにかく当時はニュー・ウェイブの新奇な部分を追い求めていたROCKHURRAHにはその路線があまり興味なかったわけだ。 2ndでは1stのかわい子ちゃん(死語?)っぽさをバッサリ切り捨てて突っ張った女を演出してみたが、これもまた何だか中途半端だと思えた。ダムド「New Rose」のカヴァーとかは良かったけどね。 結局、このレイチェル・スウィートはかなりパンチのある(またまた死語)歌声の持ち主だから、ロックでもR&Bでもカントリーでも何でもこなせただろうし、見た目と声のギャップで損してるタイプなのかもね。

そんな伸び悩みタイプのレイチェル嬢が一番自然に見えたのがこの「ヘアスプレー」だ。映画本編には出てなかった(と思う)んだが、このプロモ映像を見る限りでは出演者でも充分いけたんじゃなかろうか。ニュー・ウェイブ世代でもトレイシー・ウルマンやマリ・ウィルソンなど60年代っぽさを取り入れたシンガーはいるから、その路線に徹底すればあるいはビッグになれたかもね。しかし88年の映像(この時、たぶん26歳くらいだと思うけど)なのに、ティーン時代よりもさらに子供っぽい顔立ちになってるよ。まさに女は深遠。

というわけで今回はスティッフ・レーベル初期の女性シンガーに焦点を当ててみた。 やってる事や展開は「時に忘れられた人々」シリーズと全く同じという気がしないでもないが、たぶん気のせいでしょう。ではまた来週。