時に忘れられた人々【08】80’s ネオサイケ part2

【私的ネオ・サイケ名盤コレクション】

ROCKHURRAH WROTE:

色々と今、語らなければならない事はあるに違いないが、ROCKHURRAH RECORDSの方針として、今回からはいつも通りのブログに戻る事にする。

さて、今回は予告通りに80年代前半のネオ・サイケと呼ばれた音楽特集、そのパート2といこう。
読んでないけど何だか気になる人はパート1から先に読んでね。

前回の最後で地に潜むネオ・サイケ残党を募ったが全く反響はなかったので、いよいよこのジャンルは本当に廃れてしまったのかも知れないね。というわけで一人で時代錯誤に挑む事にしよう。
今回はいよいよマイナーなもの中心に、とも思ったがそもそもこういうジャンルで世界的に大ヒットしたバンドはないと思える。メジャーとかマイナーとかは抜きにして思いつくままに書いてみよう。
では始めますか。

80年代ニュー・ウェイブの初期に活躍したバンドを数多く抱える、インディーズの中でも名の通ったレコード・レーベルと言えばラフ・トレード、そしてチェリー・レッドあたりが最大のものだった。
チェリー・レッドはそれまでのパンク、ハードコア・パンクの集大成とも言える歴史的コンピレーション・アルバムをリリースしたり、パンク方面でも有名なレーベルなんだが、もう一つ、ネオ・アコースティックというパンクとは正反対の運動も推進していて、ちょっと変わった方針の会社だったな。
フェルトはそんな中に出てきたバンドだった。
ローレンスという美形ヴォーカリストが中心で人気者になれるルックスを持っていたのに、レコード・ジャケットも曲も地味の極み(初期)。インストの曲も多くて、はかなく繊細なギターによる工芸品のような音楽が特色だった。
陳腐な表現ですまん。
本来はネオ・アコの分野で語られるバンドなんだろうけど、哀愁の名曲というと必ずこの曲が頭に浮かんで来る。ROCKHURRAHが前回から書いているネオ・サイケの代表的な曲調ともそんなに変わらない世界なのでここに紹介した次第。
ちなみにこのローレンスはフェルトの後でデニムというバンドを始めたんだが、これが上記の繊細で叙情的な旋律とは正反対のもの。グラム・ロックにパブ・ロック、80年代のニュー・ウェイブなどがごっちゃまぜになったインチキっぽいB級ポップスをやっていて、紛い物大好きなROCKHURRAHの路線とかなり一致している。
興味ある人は是非聴いてみて欲しい。

ネオ・サイケの世界では有名な英国ミッドナイト・レーベルの中心的存在がこのサッド・ラヴァーズ&ジャイアンツだ。
叙情派ネオ・サイケの中でも群を抜いて正統派だと思えるし哀愁度の高さもかなりのレベル、しかしヴォーカルも演奏も致命的に特徴がなく、生真面目に面白くない側面を持ったバンドだったなあ。
そんな感想を持っているROCKHURRAHも実は初期シングルやアルバムも持ってたし、好きで集めてた時代もあった。
あまりの地味さにこのバンドを飛び出した(?)トリスタンが結成したスネーク・コープスはなかなかドラマティックな曲調だったが、本家サッド・ラヴァーズの方はあくまでも中庸路線。ビデオの映像はたぶんバンドとは何の関係もなさそう。
これだけ特徴のないのもある意味個性なのかも。

80年代初期は世界各国でニュー・ウェイブが盛んだった時期だが、あまりロックの世界で語られる事がなかったオランダでも頑張っているバンドがあった。
ディック・ポラックの率いるメカノがネオ・サイケの世界では有名なものだった。
前に商品ページでも書いたが、メカノとは穴の開いた平べったい棒のようなパーツで、これを自由にネジ留めして飛行機とか機関車とかさまざまなものを作るという欧州の知育玩具の事だ。まあレゴ・ブロックみたいなもんか?
それをバンド名にしてレコード・ジャケットもメカノをモチーフにしたシュルレアリスム絵画風の素敵なもの、というバンドだったが、音の方も英国製軟弱ネオ・サイケと比べて図太くシンプルで、ある意味豪快さも漂わせていた。
全部が全部そんな感じではないけど、数あるジョイ・ディヴィジョンもどきの中では個人的に高得点なバンド。
ちなみに別の国にも同名バンドが存在しているから非常にわかりにくい。
今回紹介するフリューはそのメカノのトルソー・レーベルからリリースされたバンドで、メカノとはメンバーもかぶっている兄弟バンドみたいな感じ。
兄貴よりは少し繊細とかアラビアン風要素があるとか細かい特徴は違うが、素人目にはほとんど同じようなものだ。
あまり多くの人が語るようなバンドではないので紹介してみた。
トルソー・レーベルには他にもジョイ・ディヴィジョンを彷彿とさせるミック・ネスという暗黒なバンドもいて、人とは違うネオ・サイケを探してる人には強力にオススメ出来る。

詳細はよくわからないが前回に書いたオーケストラ・ルージュなどと同じくフランスのネオ・サイケ・バンド。
フランス=ナポレオンという事で非常にわかりやすいな。ネオ・サイケでどんなバンドがあったっけな?と思い探してる時に、ふとこのバンドを思い出したというわけ。
バンド名以外に特にフランスっぽい要素もなくてここで取り上げる事もなかったかな。

ネオ・サイケというよりはポジティブ・パンク、ゴシック系のバンドとして語られる事が多いが、明確なジャンルの判別はあまり意味が無いので、ROCKHURRAHとしてはネオ・サイケとして扱う事にしよう。
ちょいとぽっちゃり少年顔のヴォーカルが「美形」と「かわいい」の狭間で揺らぐ(大げさな表現)、主に叙情派好きの女子に大人気だったバンドだ。
ただしその音楽は見た目よりは遥かに本格派で、ファンになるにはそれなりのネオ・サイケ通である事が望ましい。
まあそんな事は全然気にしなくて見た目から入るのも構わないけどね。何だこのどうでもいいような言い方は?
この曲は知ってる人は誰でも知ってる、ローリング・ストーンズのカヴァー。
原曲はサイケデリックな名曲だが、このダンス・ソサエティの方はいかにも80年代ネオ・サイケ風に仕上がっている。

これまたメカノと同じく同名バンドがいるために誤解を受けやすいが、80年代初期のネオ・サイケ・バンド。
確かロンドンの下町イーストエンドあたりのバンドだったように記憶する。
ブリッジハウスというレーベルからリリースされていたが、オンリー・ワンズのピーター・ペレットのお気に入りバンドとして一部では有名だった。
歌も演奏もルックスも良く、ポップな曲もあればヘヴィなのもあり、その辺のネオ・サイケ・バンドよりは通ウケする内容だったな。
80年代のヴェルベット・アンダーグラウンドという位置に近かったと個人的には思うが日本ではほとんど無名のまま終わってしまった。
ギタリストのロッコー・ベイカーはいち早くフレッシュ・フォー・ルルに参加してそちらの方が多少知られている程度。
ウェステッド・ユースは個人的に好きな雰囲気の曲が多く、輸入盤屋で結構探して少しずつ手に入れた思い出がある。
今ではネオ・サイケ要素は全くないROCKHURRAHだが、どんな音楽でも一番輝いていた時代があって、その最盛期に熱中して聴けた事は幸せだったんだと思う。だから聴かなくなってもこういうジャンルの音楽があった、そして自分が好きだったという事を忘れたくないから、ROCKHURRAH RECORDSを続けてるんだろうな。

「ネオ・サイケとは」と語る時に必ず出てくるようなバンド達を見事にすっ飛ばして書いてるような気もするが、そのイビツなバランスもROCKHURRAHの特色と言えるのかもね。
最後は何とスイスのネオ・サイケ、ブルー・チャイナを紹介しよう。ルドルフ・ディートリッヒなどという大仰な名前の人物が中心となっていたようだが、さすがにスイスの音楽事情となると調べるのも困難。
同じくスイスの初期ガールズ・バンドだったクリネックス(リリパット)の初期メンバーだったとの事だが詳細は不明。
男なのでガールズ・バンドにいられなくなったんじゃなかろうかと推測する(笑)。
何だかよくわからんコメントばかりで、こんなんでいいのか?とも思うが仕方ない、つまりよく知らないバンドという事。
かつてスイスのバンドでガールズ・フロム・タヒチというのを持っていたが、そこでこのルドルフ・ディートリッヒがプロデュースしていたような記憶がある程度。
今回は敢えて違う曲を紹介したが、ビートルズのサイケデリック名曲「Tomorrow Never Knows」をカヴァーしていたな。CDが出てるとかそういう情報はとんと知らないが、レコードの方はかなり希少で値段も高かったはず。
そのB面に収録されているこの曲も大好きな哀愁の名曲。

さて、ネオ・サイケなどという地味で生真面目な音楽を2回に分けて書いてきたが、あまり面白くも深くもない内容になってしまったな。
まあ完全に廃れてしまったような音楽について語るのは個人的には楽しい行為なので、今後も需要などに関わらず不定期に「忘れられた人々」について書いてゆこう。

3.11

【ありきたりだが今日はこれが限界】

ROCKHURRAH WROTE:

体験した人々にとって、一生忘れる事のない日になったのは間違いない。いつかはこういう日が来るのを誰もが予感してたに違いないが、鳥や動物のように危険を察知したからと言ってすぐに逃げる事が出来ない。自由のない生き物だな、と誰もがつくづく思うだろう。

ROCKHURRAHが働いている場所は自宅からわずか2駅という近場。しかし駅間が長いのと、直線を歩いてゆける道路がない事、そして日常的に車も歩きもそんなに使わないので、いざ歩くとなった時にどこを通れば知った道に出られるかよくわからない。おまけに津波警報も出されてたので海際を歩くわけにもいかない。そんなわけで自宅に帰り着くのに4時間もかかってしまった。これはまだ統計的には幸せな部類だろう。
SNAKEPIPEとはいつまでも電話もメールも繋がらない状態。ただ地震発生直後にメールをもらっていたので、取りあえずの無事だけはわかっていた。

SNAKEPIPEは全く逆方向の都内で働いているし、ROCKHURRAHよりはずっと遠い場所なので、歩いて帰るのは困難と思える距離だ。しかもよりによって前日から足を負傷していて、長時間の歩きは不可能と思える。こういう時に頼りにならない筆頭のJR、最初から「終日運休」と高らかに宣言してしまった。そのJRでしか自宅に辿り着けないSNAKEPIPEは上に書いた理由もあって、ずっと職場待機。ついにそのまま夜を明かす事になってしまった。いつまでも余震が続いていて、揺れてない時間の方が短く感じるほどだったので、こんなペシャンコになりそうな我が家よりはちゃんとしたビルにいた方が安全だという好判断だ。

自宅の一駅前くらいでようやくSNAKEPIPEとメールが復旧して、お互いの無事も確認出来た。しかしここまでの長かった事。
先に自宅に辿り着いたROCKHURRAHだったが冷蔵庫の中身は床に散乱してベトベト、現在使ってない古いiMacは下に落下、いきなり何もやる気が起きない状態。歩き疲れてヘトヘトだったし、地震情報もあまり繋がらない携帯も気になりっぱなし。こんな時に落ち着いて部屋の片付けをする気分にもなれなかった。服を着たままただ地震情報を眺めるだけで夜を過ごした。JRは相変わらずダメだったが、地下鉄は復旧も早くて、違う路線を使えば何とかSNAKEPIPEも近場まで帰って来れる事を知って少しホッとする。

そして翌日の朝、やっと近場の駅に着いたSNAKEPIPEを迎えに行って再会する事が出来た。

まとめも何もあったもんじゃないし、こんな日に予定通り「ネオサイケ編2(前回のブログ記事の続き)」など書く気にもなれないから、通常のブログも一休み。来週にはちゃんとしたものを書けると思うので、今回はこういう簡単な報告だけで許してもらおう。
ではまた来週。

時に忘れられた人々【08】80’s ネオサイケ

【伝説のネオ・サイケ・バンド、幻の1stシングル(ウソ)】

ROCKHURRAH WROTE:

こないだ「【07】グラム・ロック編」をやったのが書いてる本人の記憶にも新しいというのに、またまた懲りずにこの企画をやってしまう。しかも音楽ジャンルが違うだけでパターンはまるで同じだよ。ROCKHURRAHのネタもあらゆる意味で枯渇しまくってるな、大丈夫なのか?

さて、今回取り上げるのは80年代初頭に一部で流行ったジャンル、ネオ・サイケについて。
それより一昔前に流行ったフラワー・ムーブメントやサイケデリックは知っていても、ネオ・サイケについては知らない人も多かろう(特に若い人)。

音楽はファッションの流行と同じで適度な周期で回っているもんだが、この80年代初期のネオ・サイケだけは再び流行ったという記憶がない。
ROCKHURRAHはそういう音楽情勢についてハナから詳しくもないし、もし知らないところで流行った事があったとしてもムーブメントという程の大きさではなかったんだろう、きっと。
というわけで「ウチの親が若い頃聴いてたよ」というような家庭でもない限り、今の若者にはとても馴染みの薄い音楽だろうと推測する。ROCKHURRAH RECORDSでも最も売れないジャンルだし。

ネオ・サイケの定義とかは案外説明するのが難しいんだが、本家アメリカのサイケデリックとは聴いた感じからして違うようなものが多い。ごく簡単に言えばシリアスで内気っぽく、根暗で(完璧な死語)センチメンタルな音楽という雰囲気か?
そういう音楽を志した若者たちだから、見た目も地味なバンドが多く、暗い色合いの服装でうつむき加減に演奏して歌うというスタイルが主流。だからライブとか見てもそんなにテンション上がらないだろうし、80年代以降に再流行しない最大の原因がやっぱり「面白みのない音楽」という事かね。

その辺のニュアンスを伝える能力がないので、下にROCKHURRAHが選んだのを見て、聴いて、あとは若いもん同士で勝手に納得して欲しい。何じゃこの投げやりな前説は?
では映像とコメント入ります。

バズコックスの初代ヴォーカリストだったハワード・デヴォートによるニュー・ウェイブ初期のバンド。
ネオ・サイケが本格的に起こったのは1980年前後だろうが、このマガジンあたりが直接の元祖と言えるのではなかろうか。
粘着質のいやらしい声とちょびファンキー(ROCKHURRAHが今テキトウに命名)なゆったりしたベースライン、そしてキーボードによる妖しい曲調を得意にしていた。
割と大作志向で曲もイントロも長いんだが、その辺の冗長さを我慢出来れば彼らのまとわりつくような曲の虜になる人もいるだろう。
ハワード・デヴォートの気怠い声と大儀そうなヴォーカル・スタイルは「そんなに疲れたんならバンドやらなきゃいいじゃん」とさえ思えるほど。通勤電車の中で聴いたもんならあんた、朝からやる気はなくなって休みたくなる事必至という危険な音楽でもある。ああかったるい。
ネオ・サイケとして紹介されるケースはほとんどないバンドだが、この倦怠感に影響を受けたバンドも多いはず。バウハウスのピーター・マーフィもソロでマガジンの曲をカヴァーしていたな。

初期は誰もが知ってる通り、紅一点ヴォーカリストのいるパンク・バンドの元祖だったわけだが、スージー・スーはポップな曲を歌っていてもいつも直線的でモノトーンな印象がする。
というわけで上のマガジンなどと同じくネオ・サイケの始祖だと言える。
この当時はキュアーのロバート・スミスとつるんでいたようで、映像でも右側にちょこんとギター弾いてる目立たない男がそうだと思うが、まさに借りてきたネコ状態。
後にヒットを連発して人気バンドになるキュアー(註:デビュー時期は70年代後半だが、ワールドワイドな活躍をするより前の時代)だが、この頃はまだ大舞台に慣れてなかったのかな。

いわゆる正統派叙情派ネオ・サイケの代表選手、エコー&ザ・バニーメンの初期の曲。
彼らの出身地リヴァプールの音楽(80年代当時)が叙情派ネオ・サイケの宝庫だったわけで、その数多いバンドたちの頂点にあったのがこのバニーズ(当時風の略称)なわけだ。
こういう髪型で線の細そうなルックス、古着のコートとか合わせれば誰でもバニーズ風になれるという模倣しやすさもあったから、当時の少女漫画とかでも大人気のファッションだったね。
ネオ・サイケは暗くてあまりキャッチーな音楽ではなかったが、彼らは見た目とは大違いの骨太な力強さを持っていたと思う。
ネオ・サイケを志す者たちの目標だったかどうかはわからないが「80年代のドアーズ」という位置に最も近かったのがこのバンドなんじゃなかろうか。

当ブログ「リヴァプール御三家編」でも取り上げたティアドロップ・エクスプローズや上のエコー&ザ・バニーメンだが、シリアスな印象のバニーズに対して、ジュリアン・コープ率いるこのバンドは正体の掴めない変化球が多いという印象がある。
正統派のネオ・サイケ、アラブ風の曲調、ファンク風、テクノ風まであって良く言えばヴァラエティ豊かなんだが、散漫な印象を受ける人の方が多いだろうね。
何回も同じような事書いたが、天真爛漫でワガママな個性をそのまんま発散させたのがジュリアン・コープの魅力だと言える。
そんなティアドロップ・エクスプローズの中で最も好きな曲がこれ。明るくてポップで子供っぽい、まさにドリーミーな曲調。こちらは80年代のシド・バレットという位置に最も近かったのではなかろうか。

初期はエコー&ザ・バニーメンと同じ牛乳石鹸、じゃなかったコロヴァ・レーベル(牛のマークでリヴァプール・マニアにはお馴染み)よりレコードを出していたサウンド。
ヴォーカルのエイドリアン・ボーランドはその前にアウトサイダーズというバンドもやっていたな。
この曲を聴いてわかるように文学青年ネオ・サイケのようなひ弱さはなく、日本ではほとんど無名ながらも、割とエモーショナルな名曲を残したいいバンドだった。
残念な事にこのエイドリアン・ボーランド、99年に自殺しているが、大メジャーなネオ・サイケだけを聴いてるような人(現代では稀だとは思うが)も是非この機会に再評価して欲しいバンドだ。

デビュー当時はバウハウスの後継者というような扱いで、確かにピーター・マーフィの歌い方を彷彿とさせる点はあったけど、見た目も曲もよくある感じで期待の程には活躍しなかったバンドだと思える。
ヒットした「Away」とか聴く限りでは確実にアメリカ寄りの音で失望したものだ。
ただしなかなか良いメロディのセンスもあって、この曲や初期の「Boxes」などは正統派ネオ・サイケを目指す者たち(しつこいが今の時代にいるのか?)にも響く何かがある。大好きなバンドじゃない時は紋切り型のコメントだな。

さて、この辺で比較的名の通ったバンドはおしまいにして、私的マイナー80年代タイムといきましょうか。ではミュージック、スタート。

ネオ・サイケにどっぷりというマニアでも意外と知らないこのバンド。
デビューした時は「フランスのジョイ・ディヴィジョン」などと一部で熱狂的に騒がれたものだ。
アメリカ生まれのテオ・ハコラは世界各地を放浪して、たどり着いたパリでバンドをはじめた。それがこのオルケストル・ルージュ(ROCKHURRAHは80年代風にオーケストラ・ルージュと呼びたい)だ。
1stアルバムはジョイ・ディヴィジョンと同じくファクトリー・レーベルのマーティン・ハネットがプロデュースした事、そしてライブ・アルバムではジョイ・ディヴィジョンのカヴァー曲を演奏した事から「フランスのジョイ・ディヴィジョン」と称されるようになったというわけ。
がしかし、直接的にそっくりな部分はそんなにない。
このバンドの特徴としては哀愁のあるヴァイオリン、そしてロカビリーやカントリーの世界でお馴染みのヒーカップ唱法(しゃっくりのような歌い方)、この2つが最大の個性となっている。
マイナーなバンドゆえにYouTubeがほとんどなかったのでこのビデオとなった(VHSから変換した動画らしく、音がトラッキングで乱れてる)が、本当は2ndアルバムの最初の3曲、これがROCKHURRAHのフェイバリット・ソング(ネオ・サイケ部門)だ。
特にハコラの同郷の大偉人、ジョセフ酋長を歌った「Chief Joseph」は今でも愛聴しているスーパー名曲なので、まだ聴いた事ないネオ・サイケ野郎は草の根を分けてでも探し出し、入手するべし。ROCKHURRAH、全部持ってる、ウソつかない、売る気ない。あ、CD出てたのか?
ちなみにこの曲はデビュー・シングルで1stアルバムにも収録されているが、全裸でヴァイオリンというインパクトある内容。

うーむ、ここまで書いたところでもはやかなりの長さになってしまったし、疲労困憊という状態。2回に分ける予定はなかったし、いくら書いても喜んで読んでくれる人もほとんどいなさそう。がしかし、どうしても続きが書きたいので、また後日に仕上げるとしよう。
景気よく「ミュージック、スタート」などと書いた後で情けないが、この続きを書き終えるまでに、地に潜む現代のネオ・サイケ諸君(そんなのいないか?)は仲間を集めてROCKHURRAHの元へ急ぐのじゃ。何だかわからんが「三国志」みたいでちょっと君主っぽいぞ。今の時代に大真面目で絶滅音楽とも言えるネオ・サイケについて熱く語るのも楽しくなって来た。この高揚感が次まで続けば良いけどなあ。

またまた続く

時に忘れられた人々【07】グラム・ロック編 side B

【グラム集大成、とも言いがたい。さて、この曲をやってるのは誰でしょう?】

ROCKHURRAH WROTE:

二週連続で書くだけの気力がなかったので間があいてしまったが、予告通り今回はグラム・ロック編サイドBを書いてみよう。読んでない人はA面から読んでね。
グラム・ロックが流行したほんの短い間だけに音楽活動を集約させたバンドはありそうで実はあまりない。だからグラム・ロックのみで語られるバンドというのも非常に少ないわけで、この記事で取り上げたバンド達も「昔ちょっとグラムやってまして」程度のものばっかりだが、まあそれは仕方ないと思って許して。

男が女っぽい格好したり過剰なまでの化粧したり、代表的なグラム・ロックにはそういう部分が多いが、このスレイドはヴォーカルがモミアゲにヒゲ男で普通の意味でのグラムっぽさはない。がしかし、イギリス伝統のタータン・チェックを多用した衣装や派手で陽気なステージなど、グラムを感じさせる部分も多く持っていて人気があったな。
この曲はクワイエット・ライオットがカヴァーした事でハードロック&ヘヴィメタル界では有名。You Tubeとかで気軽にいつでも映像が見れるようになる前の時代では、むしろスレイドの原曲の方に馴染みがないという人が多かったのじゃなかろうか。その後はオアシスとかもカヴァーしていたな。
個人的にはスレイドはグラム・ロックの時期よりも80年代のヒット曲、スキッズやビッグ・カントリーの推進したスコットランド民謡+応援歌風の「Run Runaway」が好きだ。かくいうROCKHURRAHも応援団出身という意外な過去があるし(笑)。これは関係ないか。

70〜80年代に大活躍したロック界一のダンディ男(?)、ブライアン・フェリー率いるロキシー・ミュージックもグラム・ロック出身の大物バンドだ。後期エルヴィス・プレスリー、シャナナ、そしてゲイリー・グリッターなどに共通するキンキラのスーツに「浮浪雲(ジョージ秋山)」のような長髪リーゼント(笑)、そして非常に好き嫌いの分かれる粘着質のいやらしい声を武器に登場したのが71年。後の「大人のダンディズム」というバンドのイメージとは大違い・・・ああいやらしい。
当時のロキシー・ミュージックは見た目のインパクトも音楽も革新的。その主人公ブライアン・フェリー以上に派手だったのが後にアンビエント・ミュージックの創始者となるブライアン・イーノだ。ウィンドウズ95の起動音作曲者としても有名だが、この時代はまだグラム真っ只中。この人の異色なきらびやかさとクジャクのような衣装には誰もが圧倒される事間違いなし。
この初期ロキシー・ミュージックの名曲「Re-Make/Re-Model」は一般的なロックの世界でシンセサイザーやサックスなどのノイズ的演奏を楽曲に取り入れてヒットしたという、当時としてはかなり先駆的な作品。やっぱりイーノはいいのう。
ロキシー・ミュージックはROCKHURRAHごときが語るまでもなく、後の時代にもスタイリッシュなヒット曲を数々と出して有名になってゆくバンドなんだけど、やっぱり初期のイーノがいた頃の音楽的まとまりのなさ、キワモノっぽさが一番だと思う。
何か「初期」「当時」という表現が多いな。

グラム時代にはちょっと遅れすぎの1974年にデビューしたビー・バップ・デラックスは元々ソロ・シンガー&ギタリストだったビル・ネルソンによるバンド。デヴィッド・ボウイやクイーンといった大物がやっているような音楽的世界をよりB級に展開しただけという見方もあるけど、好きな人にとってはこのB級加減がたまらない魅力でもある。ROCKHURRAHも若年の頃、最初に自分で気に入って全部買い揃えたバンドがこのビー・バップ・デラックスなので、後の自分の音楽的人生に方向性を与えてくれた師匠のような存在だ。個人的にコックニー・レベルと共に最も思い出深い。
さて、このバンドはセミアコ・ギターの形をしたドクロというインパクトのあるジャケット「Axe Victim」でデビューしたが、初期は濃い目の化粧でグラム度も高かった。デヴィッド・ボウイやT-Rexなどと比べるとかなりマイナーな存在なのでこの初期の映像はほとんどないのが残念。ビル・ネルソンの美学に溢れた流麗なギターとメロディアスで未来的な音楽、売れる要素はたっぷりだったのに日本ではさっぱり人気なかった。しかし映像(初期とはメンバー総入れ替えとなった75年の2nd時期)を見ればわかるように70年代ヤクザが好んで着ていたような幅広襟の白いスーツにパンタロン。そしてビル・ネルソンは後のウルトラヴォックスのジョン・フォックスとも相通じるようなおばちゃん顔、ギター持ってなかったら良く見ても演歌歌手、とてもロック・ミュージシャンには見えないよ(笑)。ルックス面でかなり損をしてたバンドだなあ。これで何故にグラム特集で取り上げたの?と突っ込まれる事必至だな。単に書きたかったから。わかってくれる人もいるじゃろうて。
しかし彼らの事を書いてたらキリがないので短いコメントになってしまったが、きっと何かの形でまとめて書きたいとは思っている。

それまでロックをあまり聴いた事がない婦女子や子供でもファッションや見た目の面白さから音楽を聴くようになる。そういう通俗的な部分でグラム・ロックや後のパンクが果たした役割は大きいはず。そのグラム・ロックの中でもピカイチに金ピカだったのがこのゲイリー・グリッターだ。過剰なまでの光具合とステージ・アクション、後のロックに与えた影響云々、というよりは、にしきのあきらや西条秀樹が目指したものと見事に呼応する世界だろう。しかしゲイリー・グリッターのキワモノさもこの時代には充分カッコイイものだったのは確かで、グリッター・サウンドの継承者もいる。80年代初頭に大流行したアダム&ジ・アンツ(アダム・アント)は間違いなくニュー・ウェイブ世代のグリッターだったし、サイコビリー界の大御所クリューメンはこの曲を見事にサイコビリー風にカヴァーしている。サイコビリーがサイコビリー風にカヴァーしてるのは当たり前だが・・・。2行程度に5回もサイコビリーと書いてしまったROCKHURRAHは尋常じゃないが・・・。この映像のギンギラ衣装もすごいが、ゲイリー・グリッターはグラムが廃れた後でもずっとグラムな事やってて、「北斗の拳」もしくは「マッドマックス」の悪役みたいな衣装だったり、継続は力なりという言葉を見事に体現した類まれなロック・スターだったと言える。

有名な音楽プロデューサー、ミッキー・モストが設立したRAKレコードで、スージー・クアトロなどと共に人気だったのがこのバンド。前にA面でも書いたマイク・チャップマン&ニッキー・チン(Sweetの項)が手がけた大ヒットが「Tiger Feet」だ。見るからに軽薄そうなメンバーの振り付けはともかく、この曲の光り輝くポップさ(何じゃこの頭悪そうな表現?)は素晴らしい。圧倒される。A面B面通して今回のROCKHURRAHは圧倒されまくっているな(笑)。この曲はまたしてもサイコビリー・バンドのグリスワルズがサイコビリー風にカヴァーしている事で一部のサイコビリー界では有名。しつこい?なんかグラムのカヴァーしてるのはサイコビリーばかりのような書き方だなあ。
しかしそもそもMud、この見た目で本当にグラムなのかという疑問が生じるな。まるで池沢さとしの漫画に出てきた、スーパー・カー乗り回してるプレイボーイの御曹司みたいなヴォーカルの風貌を見てふと思った次第だ。
つまりグラムというのは音楽でもきらびやかな見た目でもなくて、我々の心の中にある固定観念なのかも知れないね。というのは大ウソだから信じないように。

2回で書き終わる予定だったグラム・ロック特集だが、まだ少し書き足りないところがあるなあ。「シルバーヘッド忘れてねー?」とか「アメリカのアリス・クーパーやニューヨーク・ドールズは?」などと不満もいっぱいだろうね。しかしこのブログの続きを熱望する人もいないだろうし書いてる本人もさすがに飽きてきた。
次をやるかどうかは未定だけど、気が向いたらまたまとめてみたいと思う。