時に忘れられた人々【19】70’s & 80’s愛護週間編1

【おっちゃん、おばちゃんになってしまったデフ・スクールの週末感あふれる名曲】

ROCKHURRAH WROTE:

このシリーズ記事も遂に20回目前まで書いたな。
実際は同じテーマの記事をパート1、パート2みたいに書いてるから20以上は書いてるんだけど、ブログを始めて8年間もよく頑張ったよ。

何の制約もなしに書きたい事を日記のように書く、というスタイルではなくて毎週必ず日曜日に何かのテーマに沿った内容の記事を書く、というのがウチのやり方なので、割と考えたり下調べが必要になってくるからね。毎回、けっこう手間はかかってると思う。
ROCKHURRAHはあまり書いてないけど、自分が書く時以外の週は全てSNAKEPIPEが一人で書いてくれてる。本当に感謝してるよ。

さて、今回思いついたのが一週間の曜日がタイトルについた歌特集というもの。言うまでもなく2014年にROCKHURRAHが鳴り物入りで始めた新企画のくせに、まだたった4回しか書いてない「ロックンロール世界紀行」と着眼点はほぼ同じ。世界の国名や地名がついた曲の代わりに曜日がついた曲についていいかげんなコメントをつけるだけという安易な発想で書いてみようと思う。ん?もういいかげん飽きた?

このブログでは相変わらずだが、70年代80年代のパンクとかニュー・ウェイブ限定でずっとやってきたので今回も古いものを思い出してみよう。

70〜80年代のパンク、ニュー・ウェイブ限定だから案外範囲は狭いぞ。決して誰でも思いつくような「Sunday Morning」とか「ビューティフル・サンデー( 田中星児)」などはここでは取り上げない方針。

そんな頑固一徹なROCKHURRAHが選んだのがこれ、シャム69の1978年に発表された代表曲シングル「If The Kids Are United」のB面である「Sunday Morning Nightmare」だ。

シャム69はピストルズやクラッシュよりも少しだけデビューが遅れたが、熱血漢ジミー・パーシィの男気のある力強い歌で多くのパンクスに愛された素晴らしいバンドだ。特に80年代に盛んだったOi!、スキンズと呼ばれたようなバンド達の元祖的な存在として有名。

この曲は2ndアルバム「That’s Life」にも収録されているが、曲と曲の間に全て日常の会話や雑音のようなものが入っている一種のコンセプト・アルバムだったな。今は波形編集ソフトで簡単にフェイド・インなど出来るが、まだカセットテープの時代だと全部の曲の切れ間がないタイプのレコードは一曲だけ録音するのが大変だったという思い出がある。頭出し出来るのが当たり前の現代とは大違いだったな。
そんな個人的な話はどうでも良かったか。
この曲もシャム69らしいエネルギッシュで粗野な魅力にあふれているが、日曜の朝に悪夢を見るとは、彼らに安息はあるのか?

月曜日を歌った曲の80年代三大ヒットと言えば「哀愁のマンデイ(ブームタウン・ラッツ)」「マニック・マンデー(バングルス)」とニュー・オーダーのこの曲がすぐに思い浮かぶ。なぜか月曜日は邦題でもマンデー、何でだろうか?

イアン・カーティスが自殺して途方に暮れたジョイ・ディヴィジョンの残りのメンバーだったが、ニュー・オーダーとして再起、見事に方向転換して立ち直った。そのきっかけとなる大ヒット曲が「ブルー・マンデー」だった。これはイアンの死について歌ったシリアスな内容の曲だったが・・・などと見てきたように書いてみたがROCKHURRAHは実は彼らのレコードを一枚も持ってなくて、知ってる曲も数曲のみ。
ジョイ・ディヴィジョンは今でも愛聴しているのに。

何で聴かなかったのか答えは明確で、そこにイアン・カーティスのヴォーカルがなかったからだ。
結局、ROCKHURRAHは曲も歌もヴィジュアル(レコードジャケット)も全て含めての総合的なバンドとしてジョイ・ディヴィジョンを評価していて、イアン・カーティス抜きでは満足出来ないという「ないものねだり」なんだろうな。

この曲は1983年に大ヒットしたが88年にもリミックス盤が出ていて、かなりの長期間に渡ってリスナーの支持を集めた名曲。
しかしニュー・オーダーをぜーんぜん知らない会社員のおっさんでもブルーマンデー症候群などという言葉を使ったりする。この言葉のネーミングの由来がどこからなのか知らないが、自分の後ろでそんな会話が聞こえたら少しビックリしてしまうよ。

火曜日から木曜日まではあまり歌にするような題材がないためかそのタイトルがついた曲が少ない。

ROCKHURRAH自身も火曜日火曜日などと心の中で唱えてみても、「イオンの火曜市」くらいしか思い浮かばない始末。しかもちょっと安いだけでわんさか人が押しかけるからウチは嫌いなんだよね。
うーん、見事にロック的詩情からかけ離れたコメントで申し訳ない。

そんなネタのない曜日である火曜日、パンクやニュー・ウェイブ限定ではやや苦しいが、何とか見つけたのがこの曲。
看板ヴォーカリストだったシェインがアル中ひどすぎてクビになった後のポーグスの曲だね。彼らが全盛期の頃にはシェインの横で笛吹いてるくらいで割と暇そうだったスパイダー・ステイシーがメイン・ヴォーカルとなった後の作品。ポーグスの中で一番チャラチャラしてた奴と勝手に思い込んでるんだが、うーむ、歌は全然良くないなあ。

ニップル・エレクターズもポーグスも大好きなバンドだったが、シェイン抜きだと全然物足りない。あの歌声と投げやりなパフォーマンスでへべれけなダメ男、シェインだからこそのポーグスだったんだね。
上に書いたイアン・カーティスがいないジョイ・ディヴィジョン=ニュー・オーダーと一緒の感想だな。

今ここではじめて気付いたが、今回のシャム69、ニュー・オーダー、ポーグスの3つとも人気キャラクターだったヴォーカリストがいなくなった状態でしばらくはバンドが存続していた、という偶然が重なったね。
ニュー・オーダーの場合はジョイ・ディヴィジョン時代よりも遥かにヒットしたわけだから、過去にしがみついてたわけじゃないけど。
シャム69なんかはジミー・パーシィが出戻ったとたんに代理のヴォーカリストが追い出され(?)、そちらの方もシャム69を主張しているという、いわゆるまんじゅう屋の「本家・元祖」みたいな争いをしていて、両方ともシャム69を名乗っているらしい。

水曜日も少ないな。ウチはテレビも見ないので特定の曜日に関する習慣みたいなものがほとんどないしな。

我が家で水曜日と言えば週の後半の買い物をする日と決めていて、最近ではイオンではなく西友によく行っている・・・うむむ、ますますロック的詩情とかけ離れてしまったな。
そんな何事もない水曜日を果敢にタイトルにつけて歌ったのがアンダートーンズのこの曲。

アンダートーンズについてはウチのブログでも何回かは登場した事があるが、北アイルランドの出身。
この地は宗教や独立を巡っての紛争が絶えなかった政情不安定なところで、U2の一番の名曲だと個人的には思っている「Sunday Bloody Sunday」でも歌われた血の日曜日事件というのが起こった事などでも有名。

がしかし、そういうシリアスな要素がこのバンドには全然見当たらないところが逆にすごい。ビデオ見てもこれが60年代ではなくパンクの時代のバンドだとは思えないルックス。後の時代のギター・ポップなどに通じる曲調だな。

当初の予定では一週間まるまるひとつの記事にまとめるつもりだったが、案外長くなったので一旦中断としよう。 木曜以降はまた今度ね。
See You Next Week !

時に忘れられた人々【18】小栗虫太郎 第1篇

【黒死館ってこんな感じ?不吉さを強調し過ぎて詳細不明なこの暗さ】

ROCKHURRAH WROTE:

この「時に忘れられた人々」という企画は2008年の12月に初めて書いたところから始まっている。我がROCKHURRAH WEBLOGの中でも歴史の長いシリーズなんだが、これを始めた時にいくつか書きたいものがあって、ずっと前に下書きに着手。しかし長い間書けずにいた未完の記事の続きを何年ぶりかで今回書いてみようと思う。

タイトル見ればわかるように今回の題材は小栗虫太郎。
これは難題なのは間違いない。書き始めてわずか数行で後悔し始めているのが情けないが、まあ難しい小説家の難しい評論は無理なのでごく簡単にさらりと書き流すことにする。
このブログがROCKHURRAH RECORDS運営者二人の趣味や興味ある事を書き綴ったもので、専門的な事柄を深く掘り下げた内容のものではないから、などと書くと言い訳っぽいな。

小栗虫太郎の作品を熟読して完全に理解しているマニアやファンは少数でも存在しているだろうし、読み始めて途中で挫折してしまった人々も上記のマニアよりも遥かに多く存在しているはず。万人にオススメ出来る作家とは絶対に言えないしROCKHURRAH自身もこの人の事を全般に語れるはずもない。だから何か鋭い切り口の感想などを期待した人は読まない方がいいかもね。

小栗虫太郎は昭和初期に活躍した小説家で、おおまかに言えば戦前の探偵小説と呼ばれる分野で著書を残している。
しかし色々な点でこの時代のどの作家とも違った方法論を貫いて小説を書いた、「異端の作家」と評されるのももっともな作風が特徴的だ。

説明するのも難しいが、何か殺人事件が起こって探偵らしき人物が出てきて解決したようなしてないような、という展開までは大雑把に探偵小説と言える。が、小栗虫太郎の最大の特徴はこのプロットに実に難解な文章や引用や会話、大げさとも言える大道具小道具が無数に出てきて物語の進行を妨げる点にある。とにかく平凡を嫌う作者らしく、異常な舞台設定で異常な物語が進行してゆくのが虫太郎作品の黄金のパターンだと思える。その特異性の集大成が代表作「黒死館殺人事件」という事になる。
1ページを埋める文章の多くは読むのが難しい漢字や当て字、その大半にルビが打たれていて現代人にとっては読みにくい事極まりない。しかも異常とも思えるほどセンテンスが長かったり、これを読み解くのはかなり大変、というのが虫太郎の文章の特徴となっている。

難しい事を誰にでもわかるように書く、という文章作法とは真逆の方針で全編貫かれていて、故にどの時代でも虫太郎は「悪文家」というレッテルを貼られてきた。しかしこういう文章にまたとない魅力を感じる者も世の中にはいて、熱烈なマニアも数多く存在するのは確か。

ROCKHURRAHが少年時代から最も興味を持って読んでいたのが主に戦前の探偵小説と呼ばれる分野だ。ミステリーや推理小説のルーツと言えるものだが、それだけではなく、例えば冒険小説とかSFみたいなものまで含まれる幅広い娯楽小説をひっくるめてなぜか「探偵小説」というくくりにしていた大らかな(いいかげんな)時代だったらしい。あ、断っておくが探偵小説をリアルタイムで読んだ世代じゃないからね。そんな人間だったらゆうに100歳は超えてるもんな。

詳しく書いてたら夜が明けてしまうから省略するが「新青年」という雑誌のプロモーションがうまくて、探偵小説はこの時代の一大ブームとなって栄えてゆく。その頂点にあったのが誰でも知っている江戸川乱歩なんだが、作品の質と量で乱歩に匹敵する作家は当時いなくてそれよりも小粒の作家が周りにうようよいた、という印象。
横溝正史はデビューは乱歩と大体同じ頃だが、金田一耕助を主人公に大ヒットした大作は全て戦後の作品であり、この当時は乱歩ほどには大活躍はしていなかった。
その周辺の小粒作家たちにも魅力はあってROCKHURRAH好みのマイナーな活躍はしているんだが、それはまた別の機会に語ってみよう。
また出たよ、ROCKHURRAH得意の「別の機会に」 。一体いつ語る気なんだろうね?
そんな中、個人的に大好きだったのが本格探偵小説ではなくて、同時代に活躍した奇妙な作風の作家たちだった。ROCKHURRAHにとって愛すべき御三家は夢野久作、久生十蘭、そして今回書こうとしている小栗虫太郎という事になる。乱歩も横溝正史も大好きな作家で大変な影響を受けた。でも彼らにはない他の魅力を持ったのがこの三人というわけだ。特に小栗虫太郎の特異性は好き嫌いは抜きにして、誰もが認めざるをえない唯一無二の作風だと言えるだろう。

ROCKHURRAHは中学、高校時代に虫太郎が大好きで教養文庫版のシリーズをバイブルとしていたのを思い出す。拙い国語力で毎晩のようにベッドの中で読んで、理解したのかしてないのか不明だが、自分では人と違う難解な本を読んだ、などといきがっていたものだ。
その後、何度も引っ越しをしてなくなった事に気づいてまた買い直し、後でどこからか出てきて・・・というような繰り返しでいつの間にかこれらの本を何セットも持っていたりする。「黒死館殺人事件」に限らず「ドグラ・マグラ」も「神州纐纈城」も乱歩作品も何度も買い直したものだ。特に意味は無いしその時どうしても読みたいから買ってるんだろうが、この辺のROCKHURRAHの偏愛ぶりもまた怪奇。

小栗虫太郎が世に出た出世作は昭和8年の「完全犯罪」。
かの横溝正史が病気で倒れた代役として「新青年」誌上でメジャー・デビュー(実際には別名でこの前から活動はしていたが)したのがこの作品だ。
1930年代、舞台は中国奥地。苗族(びょうぞく)共産軍なる革命軍の指揮官がその宿舎となった西洋館で殺人事件を解決するというのが大筋だが、これはその後の虫太郎作品と比べるとわかりやすく破綻してない、独特の雰囲気もあるので好きな人も多い作品なのではなかろうか?

さっきも書いたが小酒井不木や江戸川乱歩が火付け役となって大正末期から昭和初期に大流行した探偵小説というジャンル。虫太郎がデビューした頃にはその主要作家たちは出揃っていたにも関わらず、その筆力や題材の特異性、スケールの大きさから超大物新人というような扱いを受けたのも当然だろう。簡単に言えば「何だかわからんがとにかくすごい!」と多くの人々が興奮したというわけ。
前置き長かった割には紹介が簡単すぎ?

そしてそのわずか一年後にこの「黒死館殺人事件」の連載が始まる。小栗虫太郎の代表的作品とは言っても作者の経歴の初期に作られたものなのだ。
先の「完全犯罪」と比べると格段に難解な作品であり、これを一般的にわかりやすく解説出来るような人も少ないに違いないなあ。これは困った。
表面だけをかいつまんで話すとするか。

「ボスフォラス(ヨーロッパとアジアを分け隔てる海峡)以東にただ一つしかないというケルト・ルネサンス式の城館」それが通称黒死館でありこの物語の舞台となる建物だ。
黒死病というのはペストの事で中世ヨーロッパでは最も恐れられた伝染病だ。その黒死病患者を詰め込んだプロヴィンシア繞壁を模して作られた城館だから黒死館、という説明なんだが「ふーん」としか言いようがない。
そもそも建築様式についての知識が皆無なROCKHURRAHにはそれがどのようなモノかもさっぱり判らないんだが、とにかくこの当時の神奈川県にはあり得ないような重厚で豪壮、そして陰気(ここが一番大事)な建造物だったのだろう、というくらいの推測はつく。
そんなものすごい館に住むのが「臼杵耶蘇会神学林(うすきジェスイットセミナリオ)以来の神聖家族という降矢木(ふりやぎ)一族」。
とは言っても物語に登場する降矢木姓の人間はわずか2人のみ。
あまり詳しく書くようなものでもないが天正遣欧使節をルーツとする家系らしく、その末裔がこの黒死館の当主、降矢木算哲というわけだ。しかしこの小説が始まった時にはすでに算哲は死亡していたし、そもそも当主算哲は一日も黒死館には住んでない。などと軽くあしらう作者。
何じゃそりゃ?
過去に黒死館では何度か変死、殺人事件などがあり、もうとにかく不吉で近所の人誰もが忌み嫌うようなお城だったんだろうね。
降矢木算哲は明治時代にドイツで医学を学んで帰国した医学博士なんだが、同時になぜか魔術、古代呪法を極めて日本に持ち帰ったという謎の人物だ。しかも医学界で大した働きもしてない様子なのになぜかこんなとてつもない城館を建てるほどの超大金持ち。この辺から最後まで突っ込みどころが数百はあるくらいの作品だから、いちいちあげつらうのは無粋、素直に虫太郎ワールドを楽しもう。

その算哲は既に不可解な自殺を遂げていて、黒死館に住むのは若き当主、降矢木旗太郎。一応血縁者と呼べるのは彼ともう一人、大正時代の大女優、押鐘津多子のみ。しかしこの女優は現在は結婚していて黒死館の住人ではない。血縁者ではないが父親の算哲がヨーロッパから連れてきた異人カルテットなども住んでいる(養子扱いになってて遺産の相続権あるらしい)。しかも4人とも40年間に一度も黒死館を出た事がない箱入り中年というからこれは驚き。執事や図書係、給仕長、算哲の秘書、そして召使なども数人いるくせにこの館には人が動いて生活している様子をほとんど感じない。

見た事ある人はわかるだろうが「黒死館殺人事件」は大長編小説で分厚い本だ。中で登場人物は確かに動いて会話もしてはいるんだが、その辺のリアルな日常はもはや虫太郎にとっては無意味なものだったに違いない。そういう描写はごく簡単に書かれているのだ。では一体何がこの本を大長編にしているのか?

物語の主人公は探偵である法水(のりみず)麟太郎、日本で最も不可解な探偵であり、物語の大半は彼のわけのわからない引用、論法による脱線しまくりの饒舌により構成されている。
饒舌をするためには相方が必要だから、狂言回しとして検事の支倉(はぜくら)、捜査局長の熊城というトリオが常に一緒に行動する。
法水の饒舌はペダントリー(衒学)と呼ばれるもので、通常の一般人が知らない分野の知識を何の説明もないままにひけらかし、人々を煙に巻いてしまうというようなずるい手法で、これがこの探偵の得意技。
これは法水が世界初のわけではなくて、小栗虫太郎が参考にした探偵小説、ヴァン・ダインの作品に登場するファイロ・ヴァンスという探偵がおそらく元祖なんだろう。ROCKHURRAHも「グリーン家殺人事件」は愛読したものだよ。
しかし法水一人ならばまだしも単なるうんちく野郎で済む話だが、この物語の登場人物は大半が法水の言ったペダントリーを理解して、それに返す気の利いた言葉もちゃんとあるというのが驚き。
世の中は広いし大正や昭和初期の知識層が今よりもずっと高踏的だったのは確かだよ。 しかしこの全てを理解出来る登場人物だらけというのはちょっと無理があるのでは?という展開。絶対にポピュラーではないと思われる書物まで誰もが知っているのが驚き。
しかし「黒死館殺人事件」だけではなく虫太郎の作品に出てくる登場人物は小娘だろうが荷物運びの人夫(「人外魔境シリーズ」)だろうが、みんな驚くほど博学。これこそが虫太郎の特異性のひとつなのだ。

金田一耕助のようにたまたま逗留していた館で事件が起こるわけではなくて、法水は既に殺人事件が起こった黒死館に検事支倉の要請によって赴くんだが、その死体というのが光に包まれた状態で発見されるという異常なもの。しかもそのこめかみには謎の紋章みたいなものが刻まれているらしい。
そこに至るまでの描写で個人的に好きだったのが黒死館の階段両脇にある甲冑。西洋の城館には必ずあるものだが、富貴を表す「Acre」、信仰を表す「Mass」という鎧が持っている旗にまず法水が注目するシーンだ。この旗が左右逆に入れ替えられていて、続けて読むと虐殺を意味する「Massacre」という言葉になる=これが犯人の殺戮宣言だと言うのだ。
このくだりを読んで「うーむ、フレッド・フリス」などと唸ったのはROCKHURRAHと鳥飼否宇先生くらいのものだろう(笑)。
<註:元ヘンリー・カウのギタリスト、フレッド・フリスとビル・ラズウェルらによるこういうバンドがあった>
簡単なアナグラムみたいなものだが、こういうセンスを持った当時の日本人作家は他にいないんじゃなかろうか?うーん、しびれる。

基本的に法水、支倉、熊城という警察チームのトリオは事件解決とか人道的見地とかそういうものはどうでもいいんじゃないか?と思えるほど事件を放ったらかしてあらゆるところで脱線しまくっているアナーキーな奴らだ。被害者ダンネベルグ夫人の発光がどこから来てるものか探るために検死なんて待ってない。自分で死体をグサリと刺して流れでた血を見て「血液には光はない」だってよ。こんな探偵、人としてどうなの?

この小説には至る所におどろおどろしい小道具大道具がたくさん登場していて、そこがまた怪奇ファンの心をくすぐる。
算哲博士の亡き妻テレーズを模して作られた等身大の自動人形、これはかつてROCKHURRAHとSNAKEPIPEが伊豆の博物館で見たオートマタみたいなもので、この館の不吉の象徴とされている。
そして物語の冒頭から会話の中でたびたび登場する古代の魔導書「ウイチグス呪法典」。
死刑囚の手首を切り落として屍蝋化させ、死刑囚の脂身で作ったロウソクを灯す燭台とした「栄光の手(ハンド・オブ・グローリー)」。
そしてそのロウソクを使って大の大人たちが集まった「神意審問会(いわゆる降霊会、こっくりさんみたいなもんか)」。
どこかに隠された秘密の部屋と秘密の迷路。
こんなにわくわくするような非日常的なものが散りばめられてるのが黒死館という建物なのだ。普通に考えても図書係がいる図書室、礼拝堂、殯室(霊安室みたいなもの)、古代時計室まで完備してる民家なんてありえない。その不可能を可能にしてるのが虫太郎の狂的な情熱なのだ。

その不吉なワンダーランドとも言える黒死館で、その後も次々と連続殺人事件が起こってゆく。これが算哲博士自身が描いたという黙示図を元に起きてゆく異常な状態の殺人ばかり。
栄光に包まれて殺されたダンネベルグ夫人はその序章だったわけだ。
この辺は横溝正史あたりと似たパターンだが先にも書いた通り、「黒死館殺人事件」の方がずっと時代が早い。

現在、この作品を読んでいるSNAKEPIPEが途中だから、これ以降は詳しく書かないけれど、法水の得意技である不可解な推理も警察トリオの行動もことごとく的外れだがなぜか犯人を追い詰めてゆく、通常の意味での犯人探し、謎解き要素はほとんどないと思われる筋立てだ。
推理のトリックなどもほぼ全て実現不可能、しかも被害者の身体的な特異体質を利用したような奇抜なもの。法水の解説を読んだところで検事や捜査局長が感心するほどの衝撃は読者にはないだろうと断言出来る。
そして探偵小説史上に残るであろうあっけない幕切れ。

魅惑的な背徳の素材を「これでもか」と言わんばかりに詰め込んで、あとは読者の想像に任せるような不完全な書き方をして終わらせた作者の意図は計算ずくの「確信犯」などではない。本当に興味が表向きの物語ではなく、法水が示したようなこじつけの不可解な論理の方にあったのではなかろうか?と思える。出てくる登場人物がみんな大まじめにこの超現実的な推理に付き合ってるところがバカミスの元祖と言えなくもない。
作品のバランスそのものが異形であり、ギリギリの部分が多いのは確かだろう。しかしそれでもROCKHURRAHはこの不完全な黒死館に魅力を感じて、ずっと好きのままに違いない。こんなに素晴らしいカルトな小説に少年時代に出会えて本当に良かったよ。

やはり想像していた通り「黒死館殺人事件」について軽く書くだけでこれほどの文章量。最初に難題に違いないと書いた通りになってしまったよ。本当はもっと掘り下げて色々書きたかったが時間的にこれくらい書くのが精一杯だった。
「黒死館殺人事件」だけが虫太郎の魅力の全てではないし、他にも個人的に大好きな作品はあるんだが、それはまた別の機会に・・・。
「また言ってるよ、こいつ」などと思わないでね。

時に忘れられた人々【17】ギター・ポップ編2

【SNAKEPIPE作、ギター・ポップのポップアート。使ったギターは大好きなダンエレ】

ROCKHURRAH WROTE:

最近、週末に色んな予定が立て込んでいる事もあって、ブログを書くのも本当にギリギリの状態。今週もまた土曜日にいやな予定で半日が潰れてしまった。あーあ、やりたい事はちゃんと出来てなおかつ、ゆったりしたいよ。

さて「続きはありそうだね」などと前回の最後に書いたから今回もギター・ポップ編のパート2を書いてみよう。
ちなみにROCKHURRAHの言うギター・ポップと世間一般で言われているこのジャンルがちょっと違うかも知れないが、そもそも定義もないアバウトな音楽の世界、誰が書いても偏るのは当たり前だと思ってね。

Steaming Train / Talulah Gosh

ギター・ポップやネオアコは他のロックと比べると女性の比率が高い音楽だと思うが、そういうキュートなガール・ポップの中でも知名度が高いのが1980年代後半に活躍したタルラー・ゴシュだろう。たったの2、3年くらいしか活動してないにも関わらずインディーズ界での人気も高く、彼女たちから影響を受けたバンドも数多く出現している。
知名度が高いとは書いたものの、これはあくまでギター・ポップなどに興味を持った人の間でのみの知名度。一般的なロックの世界ではほとんど知られてないに違いない。

中心となるのは短髪でボーイッシュな美少女のアメリア・フレッチャー(マリーゴールド)とフランス映画に出てきそうなキューティ美少女のエリザベス・プライス(ペブルス)。この二人の女性ヴォーカルを中心にオタクっぽいメガネ男たちが脇を固めたのがタルラー・ゴシュだ。

見たわけじゃないのではっきりした事は全然わからんが、この2人は前回の記事で登場したパステルズのバッジをお互いつけてたので知り合ったというような結成のなれそめらしい。
うん、よくあるよな。ROCKHURRAHはそんなにライブハウス通いをしてたような人間じゃないけど、富士急ハイランドで大昔に買ったドクロのピンバッジを同じ日につけてたから初対面の人と「あー!同じバッジ」などと盛り上がった経験もある。友達にはならなかったけどね。

パステルズ・バッジはギター・ポップの世界にとって象徴的アイテムらしく、タルラー・ゴシュもフリッパーズ・ギターもこのバッジに関する歌を歌っている。
そのパステルズのステファン・パステルによる53rd&3rdというレーベル(カート・コバーンが大好きだったバンド、ヴァセリンズもこのレーベル)がリリースした事もあって、タルラー・ゴシュはまたたく間にインディー・ポップの注目バンドとなったらしい。

女の子のファッションやスタイルが1980年代後半と今では随分違っているのは当たり前だが、この時代のギター・ポップやアノラックをやってたバンド女子(略してバンジョでいいのか?え、略さなくていい?)の好むスタイルが集約されたバンドがタルラー・ゴシュだった。アメリアやエリザベスのファッションや髪型はこの時代の「Cutie」などに載っててもおかしくないガーリーな(う、書いてて恥ずかしい)ものだった。
ちょっとパンキッシュで勢い余ったポップな名曲や本当にワン・アイデアのみで作ったようなシンプルな曲、演奏はどちらかと言うと下手だと思えるバンドなんだが、どれもこれも魅力的で素晴らしい。メロディ・センスはアノラック界でもトップレベルだと個人的には思うよ。

エリザベスは途中で抜けてしまって、タルラー・ゴシュも短い期間しか活動してないが、その後ヘヴンリー、マリーン・リサーチ、テンダー・トラップとアメリアは違うバンドを続けてゆく。どのバンドも共通してるメンバーは大体一緒だが、もう一人女性ヴォーカルを加えたという男女混成が好きみたいだ。残念ながら個人的にタルラー・ゴシュよりも好みのバンドではなかったからROCKHURRAHは継続してファンではなかったが。

しかし今回のギター・ポップ編を書こうと思って調べていてはじめて知ったのだが、その元タルラー・ゴシュのエリザベス・プライスが近年はアーティストとして活躍していて2012年度、英国の権威あるターナー賞に輝いたとの事。これはすごい。今気づいたみたいに書いてるがファンの間ではすでに去年くらいに盛り上がってた話題なんだろうね。さすが音楽情報に疎いレコード屋、ROCKHURRAHだな。
アメリアの方も負けてなくてオックスフォード大学の経済学博士号まで持っているらしい。経済にも疎いからよくはわからんが公正取引委員会の局長とかやってるそうで、これまたすごい。
日本ではレコードもCDも同時代には出てなかったように感じるし情報も少なかったし、タルラー・ゴシュやってる時はそんな大物になるとは夢にも思ってなかったけど二人の才女を擁するまさにレジェンドなバンドだったんだね。

Our love is heavenly /  Heavenly

ここまで書いたからついでにヘヴンリー。上に書いたようにタルラー・ゴシュ解散後にアメリアがほとんど同じようなメンバー構成でやっていたのがこのバンドだ。心機一転というには程遠いけど、タルラー・ゴシュのようにちょっとパンク風な部分は少なくなって、純粋にギター・ポップの路線を継承してその方面の人には絶大な人気があった。そういう意味でのバンド名変更だったのかね?
音楽的に成長して練れた、という部分よりパンクやアノラックの初期衝動のままDIY精神でやってた方がROCKHURRAHの好みだったので、このヘヴンリーはそんなに熱心には聴かなかったけど、親しみやすく優しいポップスが好きなタイプだったらこれこそ最高という人も多いことだろう。
残念ながらタルラー・ゴシュ時代から一緒にやってた弟、マシュー・フレッチャーの自殺によりヘヴンリーの活動はここまでとなる。
その後、マリーン・リサーチ、テンダー・トラップとコンスタントに活動を続けて基本的な音楽性も前髪パッツンのスタイルもあまり変わってない。同じように短髪美女だったシニード・オコナー(短髪というより坊主頭)のすごいおばちゃんへの変貌と比べても(年齢もほとんど一緒)アメリアの方がずっといい歳の取り方をしているように感じる。ん?顔で判断するなって?

Teenage / The Brilliant Corners

セロニアス・モンクの曲名からつけたバンド名だが特にジャズっぽいわけではない。英国ブリストル出身で1983年から10年間活躍したバンドだ。
どうやら随分音楽が盛んな土地らしく、ブリストル出身の有名バンドも数多い。カオスUKにカオティック・ディスコード、ディスオーダー・・・むむ、ハードコア系ばかり挙げてしまった。80年代的に言うならポップ・グループという偉大なバンドから派生したピッグバッグ、リップ・リグ+パニック、マキシマム・ジョイ、マーク・スチュアート&マフィアなども全部ブリストル出身。同じバンドにいたわけだからそりゃ当然同じ出身地だな(笑)。3行に渡って書くまでもなかった。
他にもものすごくたくさんの著名ミュージシャンの故郷だが、書いてるだけで日が暮れてしまうから先に進む事にする。

さて、ギター・ポップの中でも特にヘタれたアノラック系を前回から延々と書いていたが、このブリリアント・コーナーズはそういう素朴な路線とは違っていて、「パッパラ系」とでも言うような音楽で燦然と輝く活躍をしたバンドだ。メンバーの中にパッパラパーがいたわけではなく、曲の合間に「パッパラ ラ パッパッパラ」みたいな合いの手が入るというオシャレな楽曲を残したから勝手に誰かがそう言ってるだけ。
彼らの代表曲「Delilah Sands」がそのパターンで、ネオアコやギター・ポップの世界では永遠の定番曲だと言える。

これがその名曲なんだがイントロからそのもの。パッパラ系と書いた意味が一目瞭然でわかるな。メンバーの見た目も青春ギター・ポップのような素行良さそうな感じはしないし、ヴォーカルはモロに80年代の青春映画に出てくるワルっぽい感じ。本当のワルから見たら青臭い事間違いなしの半端な雰囲気がたまらないね。見た目と曲のギャップがすごいな。ちょっと強そうな黒人の兄ちゃんも従えて、歩き方までチンピラっぽい。

順番が逆になったが上の方の曲「Teenage」はその「Delilah Sands」の一年後、1988年の作。こちらもまた大好きな曲で今でも聴いている。PVはこちらの方がいかにもカラフルでポップな印象。 同じバンドのプロモとは思えないね。

パッパラ系の代表選手みたいな書き方をしてしまったがデビューした頃はなぜかサイコビリー系のコンピレーションに入ってたりしたし、スミスみたいな曲調の時もあったし、最後の方はちょうどその頃流行っていたマンチェスター勢とも呼応したようなダンサブルな音楽もしていたな。先に書いたヘヴンリーのアメリアが参加した曲などもある。

ブリリアント・コーナーズの解散後、ヴォーカルとベーシストは短い期間エクスペリメンタル・ポップ・バンドというのをやっていたが、これは90年代頃に流行ってた渋谷系の親戚みたいな音楽だった。ここもベーシストが途中で他界してしまい、ヘヴンリーと似たような運命で活動を停止したらしい。

今回はたった3つのバンドのみだったが、意外と長く書いてしまったのでここらで一旦終わる事にしよう。
ROCKHURRAHがギター・ポップばかりをメインで聴いてた時期はなく、自分の音楽履歴の中でも例えばパンクや初期ニュー・ウェイブ、ポジパンなどを熱心に聴いてたのに比べれば随分扱いも軽い。80年代にはもっとエキサイティングな事がたくさんあったしね。
一言コメントみたいな感じで本当はもっと多くのバンドを紹介してゆくつもりだったけど、なぜか意図してた構成と違うものになってしまったよ。

最後に、ROCKHURRAH RECORDSはゴールデンウィークを利用してサーバーの移転という面倒な事をしてしまって、意外と色々な問題が起きて解決出来てないままという状態。ブログだけは何とか続けているけど、オンライン・ショップやオフィシャル・サイト(大げさ)の方はまだまだ実用に耐えうるまで復活してないんだよね。これから少し時間をかけて、工事中の閉店をしないまま改造してゆくので「何じゃこのサイト?」などと思わないでね。

時に忘れられた人々【17】ギター・ポップ編1

【クラスの中でも目立たないような子が今回の主人公】

ROCKHURRAH WROTE:

今年になって新しい企画を始めた関係なのか、過去のシリーズ記事が全然更新されてないという現状になっている。単に飽きっぽいだけなのか、本当に考える力が衰えてしまったのか?自分では後者だと思ってるんだけど、自覚症状まであるとは恐ろしい。

これじゃいかんと思って急遽書く事にしたのが元祖ROCKHURRAHのシリーズ記事「時に忘れられた人々」の新ヴァージョンだ。
うひょー、最後に書いたのが2012の12月だってよ。サボり過ぎ。

この企画は文字通り、時代に埋もれてしまったかに見える人々に焦点を当てた記事。温故知新と勘違いされやすいが本人には全然そんな気なくて、今でも覚えてる昔を昔のまま書いてゆこうという、ただそれだけ。
何度かこのシリーズ読めばわかるだろうが、過去にあった音楽(主に70年代パンクから80年代ニュー・ウェイブ) についていいかげんにコメントするだけという安易なものだ。

さて、その手の記事に出来そうな音楽ジャンルもそろそろ見当たらなくなったから、あまり面白いものじゃないけど今日はギター・ポップについてでも語ってみようか。

そんな音楽ジャンルが正式にあるのかどうかさえ疑わしいが、80年代ニュー・ウェイブの中でギターを主体としたシンプルなポップの事をそういう風に言い表すのだとROCKHURRAHならずとも想像出来るだろう。
そういう音楽はパンクやニュー・ウェイブ登場以前からもずっとあったんだろうが、人々がギター・ポップやネオアコなどと言い出した時代は1980年代初頭の頃。たぶんオレンジ・ジュースやジョセフK、アズテック・カメラなどのスコティッシュ系バンドがデビューしたあたりが起源とされている。何か「そんな」とか「そういう」という表現がやたら多いな。
パンクの時代のバズコックスやサブウェイ・セクトとかもギター・ポップの元祖的な音は出していたな。
実際のジャンルなんてどうだっていいんだが、いつもは脅迫的ノイズを出してるようなバンドがたまたまやったポップな名曲とかも広義のギター・ポップと言えなくはない。しかし今回はなるべく発表した曲の多くがギター・ポップに属すると思われるようなバンドばかりをピックアップしてみたよ。

Espresso / The Monochrome Set

70年代パンク・バンドが続々と2ndアルバムを出してた頃の78年には既に存在していたというモノクローム・セット、この手のギター・ポップの直接の元祖的存在はやはり彼らで決まりだろう。ここのヴォーカルはなぜだかインド系混血のBidという男。確かにエキゾティックな顔立ちだしインド人風にターバンをしている写真も見かけた事あったな。

彼らの1stアルバム「Strange Boutique」は渋い銀色に包まれたジャケットで海に向かってダイブしているモノクロ写真が印象的だった。ROCKHURRAHもどんな音楽か全然知らずにジャケット買いをしたんだが、それまで聴いてきたパンクや初期のニュー・ウェイブとは明らかに違ったキレの良いギター・サウンドが心地良い名盤。
いかにもニュー・ウェイブ初期のアートっぽいジャケットと音楽とのギャップが随分あり、「こんな音楽もニュー・ウェイブの一種なんだ?」と驚いた事を思い出す。どこかラテン風の音楽にあまり抑揚のないBidの声が妙にマッチしていて明るいのか暗いのかよくわからない。
確かにストレンジな音世界だな。

映像もあったんだけどひたすらに動かず表情もほとんど変えない淡々としたライブ、これでいいのか?と思えるほどサービス精神のないステージに唖然としたよ。今回選んだ曲は映像動いてないけど動いてるのと比べても大差ないからこっちにした。1st収録の名曲ですな。後のギター・ポップに影響を与えたかどうかは不明だけど、その先駆けとなった事は確か。

Never Understand / The Jesus And Mary Chain

80年代半ばのニュー・ウェイブ好き人間に大人気だったバンドがこのジーザス&メリーチェインだ。
全体的に黒っぽいスリムな服装(時々チェック・シャツ)にふわふわの前髪、この時代の少女マンガから出てきたような理想の少年っぽいルックスは特に女の子に大人気だったな。中心の2人はジムとウィリアムのリード兄弟だが、後にプライマル・スクリームで大成するボビー君もここの出身。

そういうチャラチャラした見た目とは裏腹に彼らは音楽界にちょっとした発明をもたらした。
ギターをアンプに近づけた時に発するフィードバック奏法というのがある。70年代のロックではジミ・ヘンドリックスなどによって広く知られていたが、これはあくまでステージ上でノッた時のノイズによるトランスというような意味合いで、このフィードバックが延々と続いた後ではもはやギターを壊すか燃やすというのが黄金パターン。
そうでもしない事にはそのカオスを収束出来ないという状態かも知れない。ロックの世界では効果音の域を出なかったものだ。

しかしこのバンドはそのフィードバックを多用してノイズではなくポップな音楽にこれを応用した。この曲「Never Understand」もギターは延々とフィードバック状態なのに曲は甘くてポップという珍しい世界。
発明というほどの大した事じゃないと考える人も多かろうが、これを聴いて「やられた、この手があったか」と思ったギタリストも数多くいたはず。
客席に背を向けて短時間で終わってしまうというライブ・パフォーマンスもつっけんどんだし、怒った観客の暴動の様子を録音して、レコードにしてしまうというのもちょっと現代アートとかでありそうな行為。

ギター・ポップという言葉から感じる「爽やかで等身大のポップ」というイメージとはちょっと違うが、これ以外の曲はとにかく甘いシンプルな曲が多く、やはりひとつの代表的な存在だとは思う。
その辺を強調し過ぎてどれも似たり寄ったりのワンパターン化して飽きられたが、手法としてはなかなか興味深いバンドだったな。

Crawl Babies / The Pastels

ネオアコ、ギター・ポップの初期はロンドンではなくてスコットランドのポストカード・レコード(レーベル)がシーンを盛り上げたのは誰もが言うところ。御三家は先にも書いたオレンジ・ジュース、ジョセフK、アズテック・カメラなんだが、彼らのヒットによってパンクやニュー・ウェイブの暗くて退廃的なイメージからもっと日の当たる健康志向の音楽にも人々が目を向けるようになったわけだ。

そんなスコットランドのエジンバラやグラスゴーでは80年代半ばからギター・ポップの中心となるようなバンドたちが続々と登場した。
80年代初期のネオ・サイケが流行った頃にマンチェスターやリヴァプールが音楽の産地となった時と似ているね。
どんなバンドたちがグラスゴーから登場したかを書いてると長くなるから省略するが、このパステルズなどはその代表的なもの。とは書いたものの1982年にデビューして以来、通常の音楽ビジネスでは考えられないくらいのスローペースで活動した零細バンド、とても代表的な行動などはしてないはず。1stアルバムを出すまでに何と5年もかかってるよ。それでも見放されない、いいなあ。

実際のところは全然知らないが、レコード屋勤務の若者が多少しっかりしたガールフレンドなどに支えられて何とか音楽を作ってる、というような印象をどうしても持ってしまう。それでもこのバンドのリーダー、スティーブン・パステルはある意味でのカリスマと言える存在らしい。

演奏もヴォーカルもよぼよぼで脱力感満載の代物。パステルズが始めたのかは知らないがこういう音楽を好む者達が着用してたのがアノラックというプルオーバー型のマウンテンパーカーみたいな代物。それでこういう傾向の音楽をアノラック系と言うようになったらしい。
こんなによぼよぼで下手でも音楽を作ってリリース出来るという事実が下手の横好き達に衝撃を与えたのか、その後パステルズに影響を受けたバンドが続々と登場して、そのおかげで「代表的」になってしまったわけだ。

とにかく脱力したゆるい音楽によって癒やされたいという人にとってはピッタリの音楽かも知れないね。しかし下手なだけでセンスもなければ良い音楽は作れないという事もわからなかった勘違いアノラック・バンドも多かったに違いない。こういう系列が一同に集まった音楽イベントとかあったら苦痛だろうな。

Every Conversation / The June Brides

あまり知られてないが、こちらもまた脱力系ギター・ポップの重鎮、ジューン・ブライズだ。1983年から86年くらいのごく短い期間に活動してリリースした音源も少ないし、ベスト盤とかも出てなくはないがどこの店でも置いてるという代物ではなさそう。要するに今回紹介した中では最もマイナーなバンドということね。

80年代初期のジョセフKについてはこちらの記事でも書いてるが、ジューン・ブライズほど彼らの影響を受けたバンドは他にいないだろう。
しかもその本家のファンが「ジョセフKにはもっとこうあって欲しい」と願った理想型のような音楽をジューン・ブライズは展開していた。個人的にはこっちの方が完成度は高いよ、と思えるほど。

メンバーもバンドっぽいところがあまり感じられない地味な見た目、ライブも内輪のノリといった学生バンド風の等身大なもの。要するに軽音サークルっぽい感じなんだろうな。
ポーグスのメンバーがいた事で知られる70年代パンク・バンド、ラジエーターズの「Enemies」とかもカヴァーでやってるけど、トランペットの素人っぽい響きが心地良いこの「Every Conversation」が一番名曲だと思う。途中の「ナナナ ナナナ ナ~ナ」という意味不明のコーラスも良いねえ。

このバンド、勘違いじゃなければ確か所属していたレーベルが2度も倒産して次の所属先を見つけられないまま解散したように記憶してる。やってる音楽もそんなにヒットを狙える類いでもないし、かなり不運のバンドだと言えるな。ROCKHURRAHも過去に所属していた店が3度も倒産しているが、それでも身を持ち崩さずに生きているから良かった良かった。

というわけで今回もたった4つしか書けなかったけど、まだ続きはありそうだね?次はいつになるかわからない脱力系のROCKHURRAHだが、またいつか会いましょう。