大人社会科見学—日光—

【青い空、白い雲、緑の山、群青色の湖!ここは本当に日本だろうか?(笑)】

SNAKEPIPE WROTE:

「今年の誕生日プレゼントは何が良い?」
毎年ROCKHURRAHの誕生日前には聞く質問である。
大抵は迷い、少し時間を置いてから返事が返ってきたのに、今年は即答されたので驚いた。
「旅行に行きたい!」
日時はやっぱりROCKHURRAHの誕生日に合わせた日に決定。
残るは場所だけだ。
結婚前に行った思い出の場所も候補に入っていたけれど、今回は今まで行ったことがないところにしようということになった。
長い休みは取れないので、1泊2日。
飛行機を使えば北海道や沖縄も行かれるだろうけど、1泊ではもったいないよね。(笑)
それでは近隣の温泉地にしようということで、かなり具体的な土地の名前を挙げて検索を開始。
ただ温泉に浸かるだけではROCKHURRAH RECORDS流ではないので、散策できるプラスアルファがある温泉地を探すことにする。

そこで日光に決定した。
日光には温泉宿があり、滝や湖、建造物など訪ねてみたい場所がいくつもあるからね!
ちょっと変わった、ニューウェーブな温泉宿を発見したので、すぐに予約。(笑)
2011年に富士山が見える客室露天風呂付き温泉に泊まって以来、できるだけ同じような条件の宿を検索するようになっている。
今回も客室露天風呂付きを予約することができて良かった!
平日に休みを一日取って、浅草へ向かったのである。

浅草から出発するスペーシアは東武鉄道が運行している特急電車で、約2時間で東武日光駅に到着する。
東武鉄道のHPから特急券の予約ができるんだけど、非常に分かり辛いシステムになっていて、浅草駅で駅員に説明を聞きに行ってしまった。
予約できるのは特急券だけで、それは指定席券としても有効だけれど、乗車券は当日ICカード(suicaなど)で支払うんだよね。
予約した特急券は、特急に乗る前にスマートフォンなどで予約完了した画面を見せればOK。
あまり旅慣れていないROCKHURRAHとSNAKEPIPEには難しかったけど、最近の旅慣れたアクティブシニアには簡単だったのかも?(笑)
まごまごしながらも、ちゃんと指定した座席に乗り込み一安心。
下今市駅で途中下車して、各駅停車に乗って2つ目が東武日光駅だ。
途中で乗り換えなきゃいけないのでイマイチ!(ぷっ)

あっという間に2時間が経過し、お昼前には東武日光駅に到着。
着いてみてびっくりしたのは、外国人観光客の多さだった。
様々な国からのツーリストが日光を訪れているとは!
ROCKHURRAHやSNAKEPIPEは日本人のくせに、ほとんど馴染みのない場所なのにね。(笑)

まずは腹ごしらえ、と適当な店を探すことにする。
ステーキが有名な店に入ろうとした途端、車で来ていた団体客10人程が先にドアを開けて入っていくじゃないの!
人気店だから入ろうと思う人もいるだろうし、 騒がしそうだからやめておこうと考える人もいるよね。
当然のように(?)ROCKHURRAHとSNAKEPIPEは後者で、もっとこじんまりした店を改めて探すことにした。
見つけたのは蕎麦屋さん。
米に新米があるように、蕎麦にも新蕎麦粉というのがあるのは知らなかった。
一日限定20食、新蕎麦粉で打った蕎麦が食べられるという。
店内は一人の客もいない貸し切り状態。(笑)
新蕎麦はうっすら緑がかった色合いで、香りも良くて美味しかった。
確かに蕎麦では外国人観光客も入ってこないのかもしれないよね?

少しお腹に入れたところで、日光東照宮を目指して歩くことにする。
駅から東照宮行きのバスもあったけれど、旅になると意外と歩いてしまうROCKHURRAHとSNAKEPIPE。
小雨降る中、上り坂をえっちらおっちら頑張ったのである。
ROCKHURRAHとSNAKEPIPEのように車を使わず、ガイドブックも持たなかった観光客には、日光東照宮への道のりは不親切だったかな。
恐らくこのタイプは少数派だろうね。
マイカー族か、ツアーのような団体で来るか、駅からのバスを使うのが一般的みたい。
ほとんどの場合マイナー路線を好む傾向にある我らROCKHURRAH RECORDS、不屈の精神で歩き抜いたのである。(大げさ)

緩やかな上り坂を登って行くと、左手に真っ赤な橋が見えてくる。 橋の下には透明度の高い川が流れていた。
とても美しい風景にうっとり!
写真撮影をして楽しんでいると、横を大型トラックが走り抜けようとしていた。
地震か、と思うほど揺れる橋。
ROCKHURRAHは大丈夫か?と言いながら腰が引けている。
SNAKEPIPEよりも怖がっているのはROCKHURRAHのほうだったよ!

日光東照宮へは、そこから更に坂を上り、人に道を聞きながら歩き続けると、やっと正門に向かう砂利道になった。
最初に遭遇したのは遠足で来ている小学生が記念撮影している場面。
ここでやっと、SNAKEPIPEも小学生の時に来たかもしれないと思い出す。
そういえば、あの有名な「見ざる、聞かざる、言わざる」の小さな木彫りをお土産にしたような?
あまりに遠い記憶なので、はっきりとは覚えていない。
今回が2回目かもしれない日光東照宮は、子供が鑑賞して面白い場所ではないと解る。
贅という贅を凝らし、寸分の隙もないほどの装飾は、観れば観るほど新しい発見ができるような細かい細工が施されている。
豪華絢爛の一言に尽きるね!(笑)
意匠を凝らした、こんなに素晴らしい建造物が観られるなんて本当に来て良かった!

思った以上に長い時間を日光東照宮で過ごしてしまったため、宿のチェックインの時間が迫ってきていた。
このままでは予定時間より、少しだけ遅くなりそう。
日光駅より徒歩15分という案内を知っていたので、一度宿に連絡を入れる。
すると宿の人は、徒歩では歩きにくい箇所があるので、今から車で迎えに行きます、と言う。
実は日光東照宮への往復で、足がパンパンになっていたSNAKEPIPE。
有難く申し出を受けることにしたのである。
宿までは車ではあっという間の時間だったけれど、徒歩では15分で着かなかっただろう。
送迎してもらって良かったなー!(笑)

その後は美味しい夕食を頂戴し、宿でゆっくり過ごしたのである。
宿のHPに、PS3が完備されているので、ゲームソフトやDVDをお持ち下さい、と書いてあった。
確かに温泉宿に泊まる時って、仕方なく地元のテレビを見て、どうでも良い時間を過ごす経験を何度もしてるからね。
映画鑑賞大好きな我らROCKHURRAH RECORDSには、もってこいのサービス!
せっかくの誕生日だから、ROCKHURRAHのリクエストにお応えしよう!
そして持参したのが、「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」!(笑)
ゾンビ映画の金字塔的傑作である。
SNAKEPIPEは以前にも1度(ROCKHURRAHは数え切れない程)鑑賞しているけれど、今回改めて誕生日記念企画として大上映会を開催することにした。
宿のテレビはかなりの大型サイズだからね!
ところが、昔の映画にはよくある、画面サイズ比の変更ができないタイプのテレビだったようで、通常サイズよりも、やや横長の画面で鑑賞しなくてはいけなかったのが残念。

翌日は、華厳の滝行きを計画していた。
華厳の滝へは、東武日光駅前よりバスが出ていることは確認済みである。
時刻表も調べておいたので、準備万端!
きちんと早起きして、バスの時間に間に合うように送迎してもらい、無事にバスに乗車した。
このバスに約50分乗り、華厳の滝入り口まで行くのである。
バスに乗ってから気付いたのが、いろは坂を上っていくという事実。
SNAKEPIPEが説明するまでもないけれど、いろは坂とは、48の急カーブがクネクネと続く有名な坂道だよね!
ここでまた小学生だった時の記憶が蘇る。
体が左右に振り回される程の急カーブに、キャーキャー言っていたような?
実は乗り物酔いし易いSNAKEPIPEだけれど、あまりの揺れに興奮したのか、あの時は酔わなかったような?
さて、今回は大丈夫だろうか?

この日は止む予報だった雨が降り続き、山頂に向かうまでにも濃霧で、先が見えない悪天候だった。
濃い霧の中で急カーブを上るという、度胸試しのような状態になっていた。
上るにつれ、益々濃くなっていく霧。
うっすらと下方の風景がフェイドアウトしているように見える。
随分高いところに来たなあ!
カーブに激突とか、カーブを突き抜け転落、の心配をしていたおかげで乗り物酔いはしなかったよ。(笑)

華厳の滝には、バスを降りてから徒歩5分とのこと。
そんなに近くまで交通手段が発達してるとは、至れり尽くせり!(笑)
マイカー族じゃない観光客にも親切だよね!
ゴーッと音が聞こえる方向に歩いてみたけれど、濃い霧に包まれて何も見えない!
えーっ、せっかく来たのに!
ROCKHURRAHはそれでも動画撮影をしている。
音しか拾えない、霧しか映っていない動画のためか
「全く見えませんが、どうやらこの辺りに滝があるようです」
などとコメントまで吹き込んでいるではないか。
いくら何も見えないからって、ROCKHURRAHやり過ぎ!(笑)

華厳の滝には滝が良く観られるように、エレベーターが設営されている。
エレベーター前にあるモニター画面で確認すると、ちゃんと滝が映っているじゃないの!
係りの人に聞いてみると、エレベーターを使い、滝の真正面からだと滝が観られるとのこと。
そこで早速エレベーターで100m降りて、滝の正面へと向かう。
この滝へと続くトンネルの中が非常に寒い!
なんと12℃だというから、半袖の人は震えるだろうね。
防備していた我らROCKHURRAH RECORDSですら、ひんやりしたくらいだからね。

やっと滝の正面へ。
おおっ!なんという迫力!
圧倒的な存在を目の当たりにすると、表現する言葉が見つからない。
ただただ呆けたように傍観するだけである。

ROCKHURRAHが再び動画撮影を始めた。
あの壮大な水の落下、辺り一面に鳴り響く轟音、細かい水飛沫を表現するには動画が向いてるよね。
霧で見えない様子(左)と、少し見えた様子(右)をROCKHURRAHが2画面にしてくれた。
例えば華厳の滝と検索した場合、青空と白い滝の対比をくっきり見せる写真や動画がほとんどだと思う。
こんなに濃い霧の滝は、観光写真としては失敗作になるだろうね。
ところがSNAKEPIPEは、そんな失敗作が観られたことが嬉しかったんだよね。(笑)
悪天候に感謝だね!

せっかくだから、と今度は中禅寺湖へと向かう。
小雨が降っているけれど、遊覧船に乗り中禅寺湖を一周することにしたのである。
約1時間程度の湖の散歩、楽しそうだよね!
濃い霧による幻想的な風景を眺めたり、晴れ間が見えてくっきりとしたコントラストの、まるで外国の山のような色合いを見ることができたのは非常に貴重な体験だった。
その時撮影したのが一番上の画像である。
船の上もかなり寒くて、とても7月とは思えない気温だったよ!

日光付近の気温が7月なのに、低めで過ごし易かったのも気に入った。
問題提起をさせて頂くならば
・コンビニが少ない
・小学生向け、もしくはシニア向けのお土産しか見当たらない
・「ゆば」の看板を掲げた食事処ばかりが目についた
という点かな。
日光を歩いて気付いたのは、学校単位で来ている小学生か30代以降の大人のカップルが多いなということ。
そしてもちろん60代以上のシニアの方もたくさんみかけた。
30、40、50代の観光客は何をお昼に食べて、お土産を買うんだろう?
この年代向けのサービスがもう少し充実していると良いのにな。

1泊2日でも、普段とは違う場所に身を置くことでリフレッシュできた良い旅だったと思う。
またどこか、知らない場所に出かけてみたい。
滝のある場所に行ってマイナスイオンを浴びたいな!(笑)

SNAKEPIPE SHOWROOM 物件7 アラスカ編

【アラスカと聞くと真っ先に思い浮かぶのはエスキモーだよね!】

SNAKEPIPE WROTE:

毎年気温と湿度が上昇するこの時期になると、日本を離れて寒い国に移住したいね、と言い合うROCKHURRAHとSNAKEPIPE。
2人共夏が大の苦手!
気温が高いだけなら良いけれど、日本の夏は湿度が高いから余計に不快なんだよね。
1年を通して寒い国だったらどんなに快適だろう、と想像するのである。

「SNAKEPIPE SHOWROOM」は、SNAKEPIPEの好みの物件をご紹介するコーナーである。
売られているか、レンタルできる物件であればOK!
物件の情報を見るだけでもワクワクしたいのだろう、物件探しはやはり去年の同じ時期に行っていたんだね。(笑)
今回は「寒い場所」をキーワードにして、パッと思いついたアラスカにある物件を紹介してみたいと思う。

ここで簡単にアラスカについての説明ね。

アラスカ州は、アリューシャン列島を含むアメリカ合衆国最北端にある州である。
北アメリカ大陸北西の端にあり、合衆国本土とはカナダを挟んで飛地になっている。
2010年国勢調査による人口は710,231人であり、その約半分はアンカレッジ都市圏に住んでいる。
アメリカ合衆国の州の中では人口密度最小の州でもある。
州都はジュノー市で、最大都市はアンカレッジ市である。

アメリカの中での一番広い州なのに、人口密度は最小!
北緯51°20′ – 71°50’という情報を聞いても、あまりに北方過ぎて全くピンとこないよね。(笑)
寒くて人が少ない、という条件だけを頼りにアラスカの物件を探してみようか!

 最初にご紹介するのは、地下1階地上2階建ての物件ね!
素朴なロッジ風で赤レンガを思わせる色合いは雪の白に映えるよね!
少し右隣りの家が近い感じがするのは気のせいかな?(写真①)

どうやら今すぐに入居可能なようで、室内はガランとしているね。
この部屋は第1ベッドルームとのことだけど、ここまで広さがあるとベッドを置く場所も迷いそうだよね?(写真②)

キッチンも充実。(写真③)
広くて使い勝手が良さそう!
憧れのオーブンも完備されてるし!(外国では当たり前かな?)
いいなあ、こんなキッチンだったらキッチンと料理できそう!(ぷっ)

これも憧れの地下室!
冬の寒い時期には家の中で運動したり、作業したりできるようにという配慮から作られてるのかな?
それにしても色が赤というのが非常に気になる!(写真④)
地下室にも数部屋あるみたいだから、用途で分けられるよね。

4つのベッドルーム、2つのバスルームがある0.14 エーカー、日本式に言うと171.691 坪のこちらのお宅!
$210,000、日本円にして約2,130万円!
えーーーっ!びっくりするほどお買い得じゃない?
食料品が買えるお店が近くにあれば、言うことないよね!(笑)


次はこちらの物件。
海が近くに見える、これまたとても広いお屋敷だよね!
7つのベッドルーム、バスルームは5つもあるんだって。
母屋の他にも倉庫みたいな建物もあるみたい。(写真①)
広いウッドデッキは日当り良好!
テーブルと椅子を置いても十分な面積だよね。(写真②)
恐らくここからは左のような、山と海の両方が一望できる風景を堪能できるんだろうね。
写真には白鷲も写ってるよ!
キッチンも明るくてゆったりしてるよね。(写真③)
なんとこの家にはビリヤード室まで完備されてるから驚いちゃうね。
寒い冬に室内でできること、と考えたんだろうか。
ビリヤードできるなら卓球も良いかも?(写真④)
 上空写真で見ると、隣家が見当たらないんだよね。
ポツンと建っている物件!
ご近所付き合いとは無縁な様子が好ましい!
自力でなんでもできる自信があったら、孤立したまま生活するのは憧れるなあ!(笑)
1.17 エーカーもある敷地って 1434.8455 坪になるらしい。
とても想像できないけど、ものすごく広いに違いない。(笑)
$795,000、日本円で約8,055万円!
1000坪を超える敷地面積を手に入れると考えたら、お買い得なのかも。
あの雄大な風景を毎日鑑賞できると思ったら、この値段も納得ね!
最後はこちらの物件。
どうやら工場に住居がプラスされているようで、主体は工場のほうなんだよね。
初めに グッと来たのが左の写真を観たからなんだけど、窓が少ない倉庫みたいで、SNAKEPIPEが最も憧れる建物様式なんだよね。
壁に描かれているイーグルなのかホークなのか判らない絵もグッド!だよね。(笑)
生活するという当たり前の目的から考えると、きっと不都合を感じる事が多いだろうという予想はできるけれど、それでもあえて住居として候補に入れたいな!
2階部分が住居になっていて、白い階段を登って行く。(写真①)
室内の様子は、居心地が良さそうなリビング、バスルームやベッドルームがあるようで、少なくても3部屋は使えるみたい。(写真②)
あまり写真がなくて分からなかったんだよね。
この物件の主体は1階部分の工場で、コンクリートがむき出しの、ガランとした殺風景な空間だからね。(写真③)
特に何をやりたいということもないけれど、そんな広い空間を所有してみたいんだよね。(笑)
ガレージ付きの家って言葉にしただけでもワクワクしちゃうよ!
敷地内にはトランクルームみたいな建物もあって、きっと工場として機能させている時には、材料をしまっておくストックルームなのかな。
SNAKEPIPEはどんな用途で使おうか思案中。(写真④)

この物件の面積は1.58 エーカーというから換算するとおよそ1938坪!
約2000坪ってどんな広さなんだろうね?
想像もつかない広さにびっくり!
気になるお値段は、$134,000、日本円で約1,370万円也!
これだけの広さと何にでも使えそうなガレージが付いてこの金額!
なんて魅力的なんでしょ!(笑)

アメリカの永住権や食料品店は近いのか、など具体的なことは全く気にせずに物件だけで選んでいるのであしからず!
寒い、広い、人が少ないの条件にピッタリのアラスカ、良いね。
しばらくはSNAKEPIPEの脳内で擬似アラスカ体験しようかな。(笑)
世界の素晴らしい物件紹介はまだまだ続くよ!

 

ロックンロール世界紀行 Transit03

【独自の視点で世界を旅する、観光的要素はほとんどないけどね〜】

ROCKHURRAH WROTE:

3回目ともなるとさすがにくどい前置きなど要らないと思えるが、単に国名や地名のついた曲名(バンド名になる予定もあり)を挙げて、それにまつわるちょっとしたコメントをするだけというのがこの企画だ。

こういう趣旨のブログ記事が他にあるのかどうかさえ調べてないが、曲名の条件さえクリアすれば何でもいいというわけではなくて「70〜80年代のパンクやニュー・ウェイブが話題のメインで」というかなり限定的な内容となっている。当然だが、曲名としてよく使われるメジャーな国や都市は何回も紹介するだろうし、逆立ちしても一曲も出てこない不人気国なんてのも数多く存在してるに違いない。
あと、一番上の世界地図にバンド写真を分布させるという手法を取っている関係上、あまり同じ地域に固まるのは避けているのも当たり前。マンチェスターとシェフィールドとリヴァプールがそれぞれ曲名に付いたのを偶然発見したとしても同じ日のブログに載る可能性はないということだね。

やっぱりくどくて言い訳がましい前置きだな。

Mexico / The Waltons

自分でそういうジャンルの服装にトータルで挑戦した事はなかったけどROCKHURRAHの今の風貌で最も似合うのはウェスタンな服装だと言われる。いや、みんなに言われてるわけじゃなくてSNAKEPIPE一人に言われてるだけなんだけどね。
確かに怪しいガンマンのような格好させたら「そのもの」になってしまう。何十年もこういう格好してるに違いない、と思うような爺さんとかたまに見かけたりするけど、たぶんROCKHURRAHも一式揃えたら即日で年季が入ってそうなウェスタン野郎になってしまうに違いない。だから敢えてそういう方向性を避けてるんだけどね。
正統派ではなくてマカロニ・ウェスタンと呼ばれるような映画も色々見てきたし、子供の頃はクリント・イーストウッドではなくてリー・ヴァン・クリーフ(主に悪役)に憧れていた。ああいうオッサンにだったらなってみたい気はするな。
そのマカロニ・ウェスタンに登場するメキシコ人は絵に描いたような卑劣漢で裏切らない筈がない、という印象を叩きこまれて育ったものだ。
でも陽気で死をも笑い飛ばしてしまえるようなタフな国、実は大好きだよ。ロバート・ロドリゲスは大好きだしトルティーヤは好物だし。あまり説得力ないか。
この国も間違いなく危険そうな印象はあるけど、個人的に一度は行ってみたい国の候補だね。

そんなメキシコの魅力を存分に伝えてくれるのがウォルトンズのこの曲、そのものずばり「Mexico」だ。カウパンクやラスティックの年季が入ったファンならばこのバンドの事ももちろん知ってるだろうけど、一般的にはほとんど知名度のないドイツのバンドだ。
本人たちは出てきた当初は自分たちの音楽性をウェスタン・ロカビリーというような言い方していたが、カウパンクとかラスティックという一言でどんな音楽かピンと来ない名称よりも非常にわかりやすくていいな。
ドイツという、どうあがいてもウェスタン気取りにはなれないような環境で1985年にデビューして以来、延々と同じ路線を貫いている筋金入りのカウパンク・トリオがこのウォルトンズだ。ベースはロカビリーのウッドベースではないんだが、キレのあるギターと軟弱そうなヴォーカルが魅力、曲も典型的カウパンクで作曲センスもROCKHURRAHの大好きなパターン。とにかく軽快で時には軽薄、典型的なんだけどインチキ感満載でペラペラなのかそれとも懐が深いのかよくわからない紙一重の世界。
しかし見た目がネルシャツのみでウェスタンを表現するという貧弱さ、ルックス的にはどうでもいいタイプ。この音楽でせめてアラームやイップ・イップ・コヨーテ(どちらもウェスタン系ファッションが似合ってた80年代のバンド)くらいに決めてくれれば良かったのに。人に勧めるのを躊躇してしまうタイプのバンドだよ。
曲はちょっと聴いただけで典型的メキシカンな雰囲気バツグン、哀愁のある名曲だな。今まで3回もこの「ロックンロール世界紀行」をやってきて、これだけ地名と音楽が一致したのもはじめてかも。

La Düsseldorf / La Düsseldorf

特にどこの都市が、と指定があるわけではないが、ROCKHURRAHにとってはドイツは行ってみたかった国の上位に必ず入るところだ。ニュー・ウェイブの時代にドイツ音楽に傾倒していた時期があって、DAF、デイ・クルップス、デア・プラン、フェールファーベンなどなど、愛聴していたものだ。これらのノイエ・ドイッチェ・ヴェレ(このブログでは何度も登場しておなじみの言葉。ドイツのニュー・ウェイブの事)のバンドの多くは首都ベルリンではなくデュッセルドルフ出身であり、だから短絡的によく知りもしないデュッセルドルフに憧れていただけの話。
ドイツの都市の中でも特に発達した大都会で音楽や芸術も盛んな場所という印象だけで、ここはどうしても行きたい、見ておきたいというような具体的な願望はないんだよね。
ROCKHURRAHとSNAKEPIPEは元からそういう欲求が薄くて、旅に行ったらぜひここに行かないと、という目的がそもそも通常の観光とはかけ離れていたりもする。ただそこに居て風景が違うだけ。日常と同じ行動してるだけでも満足なんだよね。
まあそんな風に書くと高尚ぶったヤツなどと思われかねないが、欲まみれの旅行だけはしたくないな。
とにかく整然とした街並みや建造物に自然、もし行けたとしたらドイツのどこを見ても感動する事は間違いないだろうね。

そんなデュッセルドルフの魅力を余すところ無く伝えてくるのがラ・デュッセルドルフのこの曲、そのものズバリ「ラ・デュッセルドルフ」だ。さっきからひねりが全然ないぞ。
元々クラフトワークのメンバーだったミヒャエル・ローターとクラウス・ディンガーの二人が1970年代半ばに結成したのがノイ!というジャーマン・ロックの伝説的なバンド。その二人が決別した後にクラウス・ディンガーの方が弟のトマス・ディンガーなどと共に作ったのがこのデュッセルドルフなるバンドだ。
ノイ!はひたすら単調に反復するハンマービートというドラムのスタイルを創りあげて、後の時代のパンクや80年代以降のリズム・マシーン(を使ったテクノやエレクトロニクス・ポップといった音楽そのもの)に多大な影響を与えたバンドとして著名だが、そのハンマービートの創始者がクラウス・ディンガーという事になる。その人がやってるわけだからラ・デュッセルドルフの方もやはりはじめにハンマービートありき、というスタイルを踏襲している。
このバンド自体はパンクでもニュー・ウェイブでもなくジャーマン・ロックやプログレッシブ・ロックの範疇で語られる事が多いが、ほとんどニュー・ウェイブっぽいような曲もあり、ちょうど境界線上にある音楽だと言える。
この曲は1976年の1stアルバムに収録のものだが、反復するハンマービートに投げやりなヴォーカル、途中でちょっと巻き舌。まさにパンクやニュー・ウェイブの登場を予見するような名曲だ。
ちなみにこの1stアルバムは1曲目が「Düsseldorf」2曲目が「La Düsseldorf」という掟破りな曲目となっていて、13分以上ある最初の曲も静と動のメリハリがあって素晴らしい。彼らのアルバムが割とどうでもいいような、アートなのか何なのかよくわからないジャケットなので素通りされがちだが、音楽は本当にいいので聴かず嫌いだった人はぜひ体験してみて欲しい。

Hiroshima Mon Amour / Ultravox!

海外のバンドが日本を曲名にする時、東京以外の場合はかなり少ないがその珍しい例がこれ。とは言ってもこれはマルグリット・デュラスが脚本を手がけたアラン・レネ監督の映画「二十四時間の情事」なる作品の原題らしいので外国人が知ってても全然おかしくはないタイトル。
スキッズのリチャード・ジョブソンもデュラス大好きで詩の朗読をしたソロ・アルバムを二枚も出してるね。
海外における広島のイメージはたぶん=原爆でしかないんだろうな。決して「仁義なき戦い」とか「もみじまんじゅう」とかは連想しないわけだ。
ROCKHURRAHはなぜか大昔に受験でこの地を訪れたのが唯一の広島体験だ。全然旅行気分じゃないシチュエーションだったから普通の観光も皆無だったにも関わらず、どういうわけだか真っ赤なサテンのジャンパー(スカジャンとかではなく本当のサテン・ジャンパー)を買ったのだけは覚えている。受験だからおそらく真冬、その時に何でサテンのジャンパーを買うか?しかも大学が僻地だったから電車やバスではなく、リッチにタクシーで向かい、その車中でなぜか運転手とヒバゴンの話題をしたのを思い出す。広島の比婆山で目撃されたという未確認生物ね。
何だか若い頃のROCKHURRAHは理解に苦しむところの多い人物だな。

そんな広島の魅力を充分にうまく伝えてくれるのがウルトラヴォックスのこの曲「ヒロシマ・モナムール」だ。
1980年代初期、男が化粧してモード系に着飾ったニュー・ロマンティックなる音楽が大流行した。その頃に注目されたバンドのひとつがウルトラヴォックスなんだが、実はロンドン・パンク発生よりさらに前から活動していたベテラン・バンドだった。
初期の3枚のアルバムはジョン・フォックスがヴォーカル、その後は元スリック、PVC2、リッチ・キッズのミッジ・ユーロがヴォーカルとなっていて「ニュー・ロマンティックがなんとかかんとか」などと評されるウルトラヴォックスはミッジ・ユーロ在籍時のもの。
彼が入る前が個人的に最も好きな時代だな。
「Young Savage」や「RockWrok」などの曲は早口でアグレッシブな歌と演奏でパンクの理想型そのもの、今でも色褪せない素晴らしい名曲だ。シンセサイザーなどの電子楽器をいち早く取り入れた曲作りでテクノやエレポップの元祖的存在と言われる先進的なバンドだったが、それは後の時代の評価。やってた当時はパンクっぽい曲しか評価されなかったらしい。あと2年ほど遅ければドンピシャだったのにね。

ジョン・フォックス在籍時のウルトラヴォックスはバンド名の最後に!がついていて、上に書いたデュッセルドルフの前身バンド、ノイ!の影響が感じられると色々なところで書かれていているがROCKHURRAHはそんなに感じなかった。もしかして鈍感?
シンセサイザーもプログレ風というよりは同じ未来派バンドであるビー・バップ・デラックスあたりとも通じると個人的には思ったよ。

1stアルバムはネオン管の下でメンバー全員がマネキン人形のようにつっ立っているSFっぽいもの。2ndはアンディ・ウォーホルのポップアート風(+イーノの「Taking Tiger Mountain」ぽくもある)。
このようにアルバムアートのデザインもなかなか凝っていたがPV見てわかる通りジョン・フォックスはエラが張った怖い目つき、ややおばちゃん顔の男だし、他のメンバーも見た目がちょっと気色悪かったり、スタイリッシュなアートワークとのギャップが残念なバンドだったな。

脱退後ソロになったジョン・フォックスはこの鋭い目つきでホンダ・タクトというスクーターのCMに出演したりもしたが、ROCKHURRAHはホンダではなくヤマハを愛車としてたので彼とは縁が薄い。
やっぱりソロよりもウルトラヴォックス時代の方が数段いいなあ。

世界紀行などと言っておきながら相変わらずまるっきり旅情をかき立てないこの文章。パンクやニュー・ウェイブの曲の題材がそもそも「こんな感動的な景色の国に行って来ました。ショッピングもグルメも満喫」というような趣旨とは違う場合が多いから仕方ないよね。そんな内容の歌だったらたぶん聴いてないだろうし。
TVと違って誰も読んでくれなくても書き続けるし不人気だから打ち切りにもならないけど、ここまで読んでくれた方には「ありがとう」と言いたい。
まだネタとしては色々あるから次回もよろしくね。

「ホドロフスキーのDUNE」鑑賞

【映画「DUNE」の分厚いストーリーボード集】

SNAKEPIPE WROTE:

ドキュメンタリー映画というジャンルについてはあまり詳しくない。
例えば70年代オリジナル・パンクについて、数十年経った後で、その時代活躍した人が「あの時は…」という感じで語るような記録としての映像は何度か鑑賞したことがある程度である。
大抵の場合は、名前も顔も知らない人ばかり出演して語っているばかりになってしまい、途中で眠くなるのがオチである。
SNAKEPIPEやROCKHURRAHが選んで観ているのが、たまたまそういうタイプの映画だっただけで、世界にはもっと感動的だったり手に汗握るようなドキュメンタリーは存在しているんだろうね。(笑)

敬愛する映画監督アレハンドロ・ホドロフスキーについては、今までに何度も当ブログに登場しているし、2014年4月22日に来日した監督の講演を聞くことができて感激した話も書いているよね。
この監督の来日は、7月12日公開予定の自伝的作品「リアリティのダンス」と、未完に終わった映画「DUNE」についてのドキュメンタリー映画「ホドロフスキーのDUNE」の宣伝のためだったんだよね。
「リアリティのダンス」はその講演会の時に鑑賞したけれど、「ホドロフスキーのDUNE」は6月14日から公開のため、その日をじっと待っていたSNAKEPIPE。
ついに6月に入り、お待ちかねの映画公開の日になったのである!

ホドロフスキー監督についての説明があった場合、必ず紹介されるのが「未完に終わったDUNE」について。
そうそうたるメンバーが集結し、実現していたらどんなに壮大なSF映画になったことだったろうと結ばれていることが多い。
確かにもしその映画が完成していたら、と想像すると興奮するんだよね!
サルバドール・ダリとミック・ジャガーが俳優として、ピンク・フロイドが音楽を、ギーガーが美術を担当する、なんて聞いただけでワクワクしちゃうよ。(笑)


SNAKEPIPEと同じように話だけでも興奮した人が、今回の「ホドロフスキーのDUNE」の監督、クロアチア系アメリカ人、フランク・パヴィッチである。
お蔵入りとなった「DUNE」のことを知り驚き、ドキュメンタリーを作らなきゃと思ったそうだ。(笑)
早速ホドロフスキーのエージェントにメールをすると、ホドロフスキー本人から
「パリにおいで。話をしよう」
と返信があったというからホドロフスキーも乗り気だったんだね。
ホドロフスキーと話をしたことがある人は皆「ホドロフスキーは、とてもオープンに話してくれた」と語る。
先日の講演会で、ホドロフスキーご本人を目の前にすることができたSNAKEPIPEには、それはよく解るなあ。
ホドロフスキーは相手に対峙する時、1対1で真剣に向き合っていると思うから。
もちろん話をするのに値する人物だった場合、だけどね!(笑)

「ホドロフスキーのDUNE」は都内でも、ほんの数カ所しか上映されていない。
新宿か渋谷か有楽町。
今回は初めてヒューマントラストシネマ有楽町に行ってみることにした。
有楽町駅から徒歩1分の好立地!
方向音痴のSNAKEPIPEでも迷わない、安全な場所だね。(笑)
映画上映開始から1週間が過ぎた梅雨の晴れ間を利用して、ROCKHURRAHと共に出かけたのである。

座席を予約した段階で埋まっていたのは、ほんの5、6席程度。
実際行ってみると、もう少し入って30名〜40名くらいだろうか。
およそ3/4は空席でガラガラ状態。
空いている映画館は好きだけど、このままではいつ打ち切りになってもおかしくない状況だよね。
鑑賞できて良かった〜!(笑)

予約当日の朝、何気なくヒューマントラストシネマのHPを見ていると、ラジオ番組で「ホドロフスキーのDUNE」が紹介されることになった記念に、その日の初回鑑賞をするお客さんに非売品プレスをプレゼントしてくれるという。

当日、対象回のチケットをお求めの際に劇場窓口にて
「タマフルの予習にきた」と伝えて頂ければ、
その場でプレスをプレゼント致します。

非売品のプレスが何なのか「タマフル」の意味も分からないけど、とりあえず対象回に当っているので言ってみた。
「タマフルの予約に来ました」
「予習の間違いだよ」
ROCKHURRAHに指摘されるまで気付いてなかったけど、言い間違えてたみたいね。
窓口の女性がプッと吹いていたのは、間違いを笑っていたのか!
一応キーワードらしい言葉は言ったと理解してもらえたらしく、すぐに小冊子を袋に入れて渡してくれた。
それが写真左の白いほう。
そのまま中身を確認せずバッグにしまい、鑑賞後に購入したのが右のパンフレット。
「表紙が違うだけで中身が同じ!」
気付いたのは帰宅後よ!
非売品プレス2冊にパンフレット1冊、合計3冊同じ物を所持するとは!
1冊は長年来の友人Mにプレゼントしよう。(笑)

映画はほとんどホドロフスキー監督自身が語り、その合間に当時の関係者が補足説明をする、というスタイルだった。
途中でホドロフスキー監督の愛猫が登場して、猫を抱きながら喋ってたよ。
猫好きで、いつも猫と一緒というのは以前どこかで読んだことがあるけど、それを知った時には親近感がわいたものだ。
SNAKEPIPEもROCKHURRAHも猫が大好きだからね!(笑)

バンド・デシネ作家のメビウス、画家のサルバドール・ダリ、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーとの出会いは、偶然にしては出来過ぎていて、フィクションみたいな逸話だった。
ホドロフスキーは精神修行や精神の拡張について真面目に取り組んでいるから、きっと偶然を呼びこむ力があるんだろう、ホドロフスキーには必然的なできごとだったんだろうなと思ってしまう。
ダリとの会話が面白かった。
ホドロフスキーをテストするかのようにクエスチョンを投げかけるダリ。
「私は砂浜でいつも時計を拾うんだけど、君はどう?」
「私は時計を拾いませんが、いつも時計を失くしています」
ほおっーーっ。
なんでしょうか、このシュールな会話はっ!
このテストでホドロフスキーは合格点をもらったようで、ダリが出演を承諾したとのこと。
ポール・エリュアールから奪ったガラ・エリュアールはのちにダリの奥方になる女性だけど、そのガラ夫人公認の愛人がいたというから驚きね。

右の写真の女性がそのダリの愛人だったアマンダ・レアね。
ブライアン・ジョーンズ、デヴィッド・ボウイ、ブライアン・フェリーなど数々のロック・スターと恋仲になったファム・ファタール的女性なんだって!
ダリとも愛人関係にあり、「DUNE」ではイルーラン姫としてキャスティングされていたらしい。
最もこれはダリが出演の条件として、アマンダを姫にするように申し入れたみたいだけどね。(笑)
アマンダも映画の中でインタビューに応えてるんだけど、その顔を見た時に
「似てる!」と思ってしまったのが Dead or Aliveのピート・バーンズ!(写真左)
活躍していた80年代とは違った顔になってるんだよね。
現在は同性婚もしているようで、かつての眼帯姿とは全然違うんだけど、昔の整形前のほうが綺麗だったように感じるのはSNAKEPIPEだけかしら?
そしてその整形後の顔がアマンダ・レアに似てるというのは、失礼にあたるのかしら?
えっ、どっちに対して?(笑)

最高のキャスト、スタッフを集めたホドロフスキーは、映画の製作のために「こんな感じの映画ですよ」というストーリーボードを製作する。
それが冒頭画像の分厚い本なんだけど、中にはメビウスが描いたスケッチやギーガーによるセットのイメージ画などが収められている。
スケッチもイメージ画像も本当に素晴らしくて、すぐに撮影開始できる状態だったことが良く解るんだよね。
映画は12時間の大作になる予定だったという。
企画は素晴らしいし、キャストやスタッフも良いんだけど、監督がホドロフスキーなのが問題だと映画会社が口を揃えたという事実を知る。
一部の人からは絶大な支持を集めたホドロフスキーだけど、やっぱり大衆には受け入れられなかったみたいだね。
当然といえばそうなんだけど、「DUNE」を完成させるには、その点がネックになったみたい。
未完に終わってしまった原因の一番は、監督がホドロフスキーだったことだったなんて、かなりショックだな…。
いやいやSNAKEPIPEよりもホドロフスキー自身が一番ショックだったろうね。

その後これまた敬愛する映画監督デヴィッド・リンチが「DUNE」を監督する。
ホドロフスキーは息子から「観なきゃダメだ」と言われ、重たい体をひきずりながら映画館に向かい、悔し涙を流しながら映画を鑑賞。
ところが観ていくうちに
「これは駄作だ!全然ダメだ!」
と感じて元気になったと言う。
デヴィッド・リンチは良い監督だから、失敗はリンチのせいではなくて製作者側の問題だろう、とも語っていたので、ホッとしてしまった。(笑)
リンチもあまり思い出したくない経験の1つだろうからね。

ホドロフスキーは300歳まで生きたいと語っていた。
まだまだやりたいことがやりきれていないんだろう。
そりゃそうだよ!
「リアリティのダンス」はまだ少年時代しか撮ってないし。
青年時代がもっと面白くなるんだもん。
是非またプロデューサーのミシェル・セドゥーと組んで「リアリティのダンス〜青年編」を作ってもらいたいからね!

「ホドロフスキーのDUNE」ではエネルギッシュなホドロフスキーを観られて良かった。
ドキュメンタリー映画、面白いな!(笑)