【今回のテーマを何となく三流映画ポスター風にしてみた】

ROCKHURRAH WROTE:

書いた本人もここまで続くとは夢にも思ってなかった「情熱パフォーマンス」その第四弾を今日は認めてみようか。 認めて、じゃわかりにくいがこれは「したためて」と読む。

タイトルの意味を考えなくてもわかるが、この特集では「何だかよくわからんが情熱的に見えるかも知れない」映像を選んで紹介している。
ただ、ROCKHURRAHが今までにピックアップしたのは大半が70〜80年代のもので、中には誰も知らんようなインディーズのビデオも多数。
みんなが知っている、金をかけて丁寧に作られたプロモーション・ビデオとは随分違ったB級映像が多いので、テレビでやってるような面白映像特集とは違うとあらかじめ断っておくよ。
たぶんもっと探せばエモーショナルなものはたくさんあるだろうけど、たまたま元から知ってたり見つけたりしたものだけしか書いてないというわけね。
個人でやってる事だから調べにも限界があるし、情熱ベストテンみたいな感じにはならないし、オチもないが、そこは許してね。
どんどん言い訳長くなるなあ。

【殴る 蹴る!】
Howard Devoto〜Luxuria

おっと、いきなり威勢のよい情熱パフォーマンスが期待出来そうなテーマだね。
殴るとか蹴るとかは物騒で嫌いな人は多いだろうが、太古の昔から人間が自然にやってきたアクションのひとつだからなあ。そういう原初的アクションで一番多いのはたぶん「逃げる」じゃなかろうかと思うが、専門家でもないからハッキリはわからないよ。

ROCKHURRAHは子供の時に「空手バカ一代」などの格闘漫画が意外と好きで全巻集めてたもんだ。しかもなぜか父親の部屋に大山倍達の自伝のような本があり、それを読んで変な感銘を受けた記憶がある。片方の眉毛を剃って山ごもり修行(生えるまで出てこれない)とかね。

今とは違ってなのか今でもなのかは不明だが、空手と聞くと偏見を示す親が多いし、実際に通った学校でも柔道部はあっても空手部はなかった。やっぱり危険があるからというPTAの圧力なのかね?
そう言えば家の近場に空手道場があって、友達と見に行った事もあったな。
影響は受けたものの別に空手がやりたいと願ったわけでなく、ただ空手家というのを見てみたかっただけ。
想像したのは窓の木枠から覗くと気合の入った掛け声がしてて、活気のある組手とかしてるという典型的な絵柄だったんだけど・・・実際は全く人の気配もなくてがっかりしたもんだ。二度と行かなかったけどちゃんと門下生がいて稽古とかやってたんだろうか?

ブルース・リーの影響で誰でもクンフーの真似事をして10人にひとりは通販で買ったヌンチャクやトンファー持ってたような時代もあったな。ROCKHURRAHもその一人でヌンチャク持ってたが、真ん中の鎖が肉に食い込む気がして使いづらかった記憶だけ残ってる。ブルース・リーのマネだから無論上半身ハダカでやってたんだろうが、別にそこまでマネしなくても服着てやれば良かったな。バカな子供時代だったよ。
毎回全然関係ない回想になってしまうのが情けない・・・。

さて、そんなエピソードとはまるで関係なかった殴る蹴るだが、この暴力的表現のプロモに果敢に挑戦したのが、そういうのがとても似合いそうにないこの人、ハワード・ディヴォートだ。

ROCKHURRAHのブログにも何回も登場してるけど、パンク史上に燦然と輝くバズコックスの初代ヴォーカリストだったのがこの人だった。
この頃の「Boredom」や「Breakdown」などは今でも愛聴しているパンクの大傑作。
このシングル一枚だけでバズコックスを早々に脱退してしまったから、1stアルバムから聴いてるよというファンでも、入手困難だった「Spiral Scratch(1stシングル)」を買わない限りハワード・ディヴォートのヴォーカルは知らなかったりする。
今の時代じゃなくてリアルタイムでの話ね。

で、やめた後は(バズコックス全盛期と同じ時代に)マガジンというバンドを始めて、パンクとはまた違うアプローチで独自の音楽世界を作ってゆく。
聴いた人だったらわかる通り、かなり粘着質のいやらしいヴォーカル・スタイルで頭が禿げ上がった顔つきも不気味だし、特に女性受けはしなさそうな雰囲気が満々のバンドだったね。
この怪しい、妖しい屈折した世界こそが最大の魅力で、ROCKHURRAHも大好きだったバンドだ。
パンクではなくてニュー・ウェイブという音楽を最も感じたのがROCKHURRAHにとってはこの時代のマガジンであり、XTCやワイアーなどだった。
そのマガジンも1981年には解散してしまい、ファンは彼がこの後どうなるのか再起を願って待っていた。

そしてやっとこの話に辿り着いたよ。
満を持してソロとして1983年に出たのが上の曲「Rainy Season」というわけだ。マガジンの最後の方も割と明るく健康的なイメージになってしまい、古くからのファンはちょっと物足りなかったと個人的な感想を持ってたが、これまた従来のハワード・ディヴォートの退廃的で気怠いイメージとは違った清々しい曲調。
大半の人がこの人に求めてた音楽とは違うような気がするけど、その辺は関係者じゃないからよくはわからん。83年というとまだまだネオ・サイケとかのダークな音楽がもてはやされた時期なんだけど、敢えてそういう音楽とは一線を画したんだろうかね?

問題のビデオの方は暴力的表現とはまるで無縁だからショッキングな描写苦手な人も安心して下さい。ハッキリは不明だけど、どうやら別れた彼女が出ていこうとしてるところをこっそり覗きに来た男の話なのかな?ストーカー?暴力よりももっと卑劣な気がするが、このストーカー行為が妙に似合ってしまう男、ハワード・ディヴォートもいかがなものか。しかも未練たらたらという設定の相手の女の方も、割とどうでもいいタイプ。
後半に苛立ち、ヤケになって、出た!飛び蹴り!(笑)
マガジンの頃は極めて気怠い歌声で、こういうアクティブな事をしそうにないと勝手に思ってただけにこの情けない飛び蹴りには唖然としたよ。マガジンではステージの映像以外はほとんどなかったけどこのソロへの意欲の表れなのか、ヤブの中を進んだり燃えたり埋まったり、結構体張った演技してるな。

このソロ以降、ハワード・ディヴォートの中で何か吹っ切れたものがあったのか、ただ面白くなさげに歌うだけではなく、パフォーマーとしての素質が開花してゆく。
1986年には元キュアーやピート・シェリー(ディヴォートが脱退した後のバズコックス)のバンドにいたというNokoなる人物とラグジュリアというユニットを結成する。
名前から勝手に判断して女性とのデュエットか何かだと思ってたけど全然違ってた。
うーん、ノコ?知らんなあ。
このユニットやってた当時はMTV系の番組を全然観てなかったしレコード・ジャケットはダンボールみたいだったし、買うまでに至らなかったのだ。
マガジンやソロの時は中途半端に横や後ろの髪を伸ばしてて、余計に禿げた額が強調されて不気味だったけど、こんな風にすっきり刈ってしまえば良かったんだね、デビュー10年目にして今頃やっと気付いたかディヴォート(笑)。うん、この髪型だったらとても似合うよ。

88年くらいに出たのがこの1stシングル「Redneck」だ。
こちらでは緊縛される、その後激しく殴る、回る、などなど意味不明のハンドパワーが炸裂する情熱パフォーマンスを惜しげもなく披露してくれる。マジシャンかよ、と思ってしまうくらい。
マガジンのライブを現地で観たわけじゃないから昔からこういうステージ・アクションのあった人なのかどうかは不明だけど、こんなに動く人だったんだね。
ラグジュリアの曲もノコのギタープレイも明らかにメジャー志向でいつヒットしてもおかしくない音楽性だったのに、たぶんあまり売れなかったんだろうな。
むしろせっかくのキャラクターなんだから、不気味で粘着質を極めた方が良かったんじゃないかと個人的には思ってしまうけどね。

【白ける!】
Sort Sol(with Lydia Lunch) / Boy-Girl

「白ける」という言葉自体が情熱的とは言い難いし「!」マークも似合わない気がするが、気のせいか?あらら、この記事から流用したフレーズだな。セルフ盗作。

近年では日常会話で白けるなんてあまり言わないような気がするが、どんな時代にでも同じような意味の若者言葉は出て来るんだろうね。新しい言葉が出てくるだけ老人よりまだマシか。

1970〜80年代には珍しかったデンマーク出身のバンドがこのソート・ソルだった。僧と剃るではない。
このバンドの前身がパンク時代に活躍したかどうか不明だが、とにかく知名度はおそろしく低かったバンド、Sodsという。後の時代の発掘者によって多少は知られる存在になったと思うけど、これを偶然持ってた奇特な一人がROCKHURRAHだったのだ。
自分で作ったベスト盤のカセット・テープ(時代ですな)に彼らの「Television Sect」とか録音してかけまくってたから、ROCKHURRAHが働いてた店の客は知らず知らず聴いてるはず。え?知らん?
いかにもパンクなジャケットで音も期待通りのラウドなものだったから嬉しくなって吹聴していたけど、覚えてる人も皆無だろうな。

このソッズ、カタカナで書くと情けないが、実はそれを入手するより前に出会ったのが80年代初期に一世を風靡した、ベガーズ・バンケット傘下の4ADというレコード・レーベルにて。
このレーベル所属アーティストたちによるコンピレーション・アルバム「暗闇の舞踏会」というのが出て、ROCKHURRAHも飛びついて買ったんだけど、バウハウスやバースデイ・パーティ、リマ・リマなど伝説のバンドに混じって妙に耳に残る曲が収録されていた。それがソート・ソルの「Marble Station」だったのだ。ソート・ソル=ソッズというわけで探したわけでなくて、後になってソッズが同一のバンドだと気付いたというわけ。

その後、1983年に出た1stアルバムでどういう縁があったのか知らないが、アメリカの裏女王といつもROCKHURRAHが評しているリディア・ランチと共演している。これはその貴重なビデオなのだ。

ちょっと前にも書いたが、ヒステリックで落ち着きのない、70年代ニューヨークの前衛的音楽として話題になったのがノー・ウェイブと呼ばれるムーブメント(?)。
リディア・ランチはその一派で活躍した、ティーンエイジ・ジーザス&ザ・ジャークスの金切り声ヴォーカルとして伝説的に有名な女性だ。
その後の絶叫金切り声ヴォーカリスト達に多大な影響を与えた偉大なパイオニアですな。
本当にこの当時のリディア・ランチはアングラ・パワー満開のものすごいインパクト。

その後はソロになってアンニュイにジャズっぽくなってみたり、バースデイ・パーティの美形ギタリスト、ローランド・ハワードやニック・ケイヴ、当時の恋人だったジム・フィータスと共演したり、どちらかというと人の作品のゲストとしてよく知られている。
自分自身の作品よりもよそのビデオに出演してる方がよく見かけるもんね。

さて、そのソート・ソル、長く続いてるしデンマークではそこそこの人気はあるんだと推測するが(デンマーク映画のサントラとかも手がけてる)、日本ではほとんど無名に近い存在。
ここのヴォーカリストSteen Jørgensen(読めん)も眉毛がなくて後ろ髪だけ長い、昔の暴走族みたいな凶相だな。
「撮影中にガム噛むのやめなさい」とか言ってもヤンキーだから聞く耳持たないんだろうな、ざけんなよ。
曲はラウドなカウパンク調のリズムで好みな感じなんだが、この男が実につまらなさそうな表情で歌い上げる。TV画面の中のリディアはそれに対して、実に嫌そうにふてくされて白けた顔つきで二番を歌い、最後にキレておしまい。何じゃこりゃ「そのココロは?」と聞きたくなってしまうくらい、愛想も尽きた心の通じ合わない映像だな。
何しろアングラの女王なもんで、知名度の割には動いた鮮明な映像が驚くほど残ってないのがリディア・ランチなのだ。おばちゃんになる前の、全盛期に割と近い(1984年)姿で動いてる貴重な映像だと思う。情熱パフォーマンスとしてはかなり苦しいが、この見事な白けっぷりが見てもらいたかっただけ。

【吹っ飛ぶ!】
Kate Bush / Army Dreamers

「吹っ飛ぶ」は自発的なパフォーマンスとは言い難い気がするが、派手さという点では申し分ないので被害者には申し訳ないがまあいいか。自分が吹っ飛んじまうのはごめんだが。
さて、タイトルがアーミーときて吹っ飛ぶ、とくれば見なくても大体内容はわかるというものだ。予想を覆すようなのは用意出来なかったよ。

ROCKHURRAHはまだ故郷の小倉にいた頃、スクーターの事故で中央分離帯に突っ込んでえらく危ない目に遭った事がある。つつじの枝がちょっと腹に刺さったけど死んだりしなくて良かった。これが唯一の吹っ飛び体験。あん?関係ないよね。

誰もが認めるウィスパー・ヴォイスの第一人者、ケイト・ブッシュはROCKHURRAHが好んで取り上げるニュー・ウェイブ系のアーティストではないけど、時代的にはピッタリ一致しているので珍しくもここで取り上げる事にしよう。何だか偉そうな書き方だな。

ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアとアラン・パーソンズ・プロジェクトのオーケストラ・アレンジを手がけてたアンドリュー・パウエル(個人的にはコックニー・レベルが印象的)によってプロデュースされた曲が大ヒットしたのが1978年。
デビュー前の諸事情があったのは確かだけどその辺を知らないこちらとしては「彗星のように登場した」美人女性シンガーと言う事で、日本でも大々的に売れたのを覚えてるよ。
まるでアイドルのようなルックスだけど歌は本物だし、流れとしてはアイドルのポップスというよりはプログレの系譜だし、ヴィジュアル的にロクなのがいなかった当時のロックの世界に久々に登場したスター性のある女性シンガーだったわけだな。
ウィスパー・ヴォイスとは書いたものの、いわゆるロリータっぽさはなくてデビュー時から魔女とか妖精とかそんな感じ。
がしかし、残念ながらその活動が認められてコンスタントに売れたのはイギリス本国だけで、他の国ではそこまで人気が浸透しないうちに飽きられてしまったという気がする。

この曲は1980年に出た7枚目のシングル曲。その直前の「バブーシュカ」がヒットしたのでこちらは全然印象にないな。
デビュー曲から全曲ちゃんとしたプロモーション・ビデオを作っていたのはこの時代ではまだ珍しいけど、ケイト・ブッシュは自信のあるパントマイムや露出度の高い(がさほどセクシーではない)、体を張った映像を作り続けていたのが偉いね。こういうのが普及する時代を予見してたわけだからね。いわゆるMTVがまだなかった頃だから、日本では同時代には知られてない映像だったんじゃなかろうか。
戦場でお目々バッチリの化粧などけしからん、などと怒られそうだがそのうち吹っ飛ぶわけだから大目に見てやってよ。

【ぶった斬る!】
The Plasmatics / Butcher Baby

最後はこれ、ぶった斬る。日常生活でこのアクションをしてるのは辻斬りか木こりくらいのものだろうか?まあ表現としてはポピュラーだけど自分自身では滅多にやらない行為だと思うよ。

剣や刀を使ったゲームは多いから、そういうのでぶった斬る疑似体験は出来るだろう。
最近は全然ゲームをしなくなったROCKHURRAHだけど、一時期はかなりの時間をゲームに費やしていた。元々は「ゼルダの伝説」が大好きでゲームキューブ版の「風のタクト」などはSNAKEPIPEと二人で熱狂して攻略していった思い出がある。SNAKEPIPEはあの2頭身の子供リンクがお気に入りだったんだよ。巷で話題のNintendo Switchの新しいゼルダもいつかはやりたいけど、今はまだ予定なしだな。
「モンスターハンター」もネットワークなしで最も長い時間プレイしたゲームかも知れない。武器や防具を作るために死ぬほど駆けずり回ったからね。あれで作った片手剣や大剣などは「ぶった斬る」のニュアンスに最も近いものじゃなかろうか。

さてそのぶった斬るという派手な情熱パフォーマンスに挑戦して、のみならずライブでは日常的に斬りまくってたのがアメリカのパンク・バンド、プラズマティックスだ。
「1977年にニューヨークで結成」などと紹介されているが、いわゆるニューヨーク・パンクとして取り上げられる事はあまりないから、きっと仲間はずれだったんだろう(テキトーに書いただけで詳細は不明)。キワモノだしね。
ウェンディ・O・ウィリアムスという裸にビニールテープ貼っただけの女性ヴォーカルによる過激パフォーマンスで有名で、確か最初の頃はベーシストが日本人だった。メンバー全員「マッドマックス」シリーズのどれかに悪役としてそのまんま登場しても全然違和感ないルックスだね。
大昔、パンクが日本で最初に紹介された頃、NHKでパンクとは?みたいなドキュメンタリーがあって、そこにプラズマティックスが出てるのを見た覚えがある。ROCKHURRAHはこの頃はロンドン・パンクにしか興味なかったのでこれを見てカッコイイとは思わなかったよ。

プラズマティックスは今回の「ぶった斬る」以外にも数々の情熱パフォーマンスをやってるはずだけど。
爆走するトレーラーに乗って何百台も積み上げたTVに衝突、その後走る車の屋根の上に立ち最後は車が爆発、というような引田天功並みのパフォーマンスをスタントなしでやったのが自慢でしょうがなくて、何度も何度もその場面がフラッシュバックするビデオも残っている。うわ、一文のセンテンス長すぎたな。

この「Butcher Baby」は彼らのデビュー曲でこのライブ・ビデオも有名なもの。後の時代のセクシー系女性パフォーマーがやったような全てをすでにこの時代にやり尽くしてるな。
有名なのがこのチェーンソーによるギター解体ショーなんだが、この時はやっぱりギブソンではなくてフェルナンデスとかグレコとかにするのかね?え?そんなセコいこと考えるなって?

過激さを極めまくって、世間からはすぐに忘れ去られてしまって、最後(1998年)には自分まで拳銃自殺という幕引きでウェンディはいなくなってしまったが、もういくら過激とか言われる女性シンガーが出てきてもこれほどのセンセーショナルな人を見た後じゃ小粒にしか思わないだろうね。

それにしても毎回毎回飽きもせず、タイトルがちょっと違うだけで同じような内容の記事をよく書けるな、と自分でもマンネリ化を危惧してるよ。
そろそろ何か新しい事を考えないとな。
ROCKHURRAHも眉毛剃って山にこもって企画考えてくるか。

それではまた、خداحافظホダーハーフェズ(ペルシャ語で「さようなら」)。

20170312 top【水玉衣装の木と看板を撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

最近には珍しく2週連続で美術展を鑑賞してしまったSNAKEPIPE。
「行ぐぜ!Exhiibition」が続く時もあるんだよね。
「国立系か…」と二の足を踏んでいたのが新国立美術館 で開催されている「草間彌生 わが永遠の魂」展。
同美術館で開催されていたダリ展も行かなかったなあ。(笑)
「やっぱり今回は観に行こうよ」と長年来の友人Mからの誘いもあり、久しぶりに新国立美術館に向かう。

前回この美術館に来たのは2013年9月の「アメリカン・ポップ・アート展鑑賞」だったので、およそ3年半ぶり!
SNAKEPIPEが命名した「国立系(中高年の「にわか」アート好き集団)」に遭遇する率が非常に高いため、不快に感じることが多いことから敬遠してしまう美術館の一つなんだよね。
今回の草間彌生もきっと「国立系」多いだろうなあ。
覚悟を決めて行くしかないか!(大袈裟)

草間彌生についてブログに書くのは初めてだと思うけど、実は以前から展覧会には行ってるんだよね。
集大成のような素晴らしい展覧会だったのが2004年森美術館で開催された「クサマトリックス」 。
この展覧会に一緒に行ったのも友人Mだったな。
今回の展覧会との比較を話すことができて良かったよ!
そしてブログの記事にはしていなかったけれど、2013年森美術館で開催された「LOVE展」にも、草間彌生の作品が展示されていたんだよね。
その時撮影した写真がこれ!
発光した突起物に水玉模様、会場内には草間彌生本人の、抑揚のない朴訥とした朗読が聞こえるインスタレーション「愛が呼んでいる」。
誰もが一瞬で「草間彌生だ!」と分かる作品だよね。
2004年の「クサマトリックス」で鑑賞した「 水上の蛍」の時にも鏡が使用されていたけれど、この時も鏡張りの部屋でとてもキレイだったんだよね!
過去の展覧会について調べていて驚いたのが、森美術館は過去の展覧会情報をちゃんと残しておいてくれてる、ということ。
例えば映画などは配給会社が宣伝用にHPを作るんだけど、数年後に見ようとするとページ自体が削除されてるケースが多いんだよね。
過去についても知りたい場合もあるので、このような森美術館の姿勢は素晴らしいと思う。
やっぱり森美術館良いなあ!(笑)

いよいよ新国立美術館へ。
前売りチケットは購入していなかったので、まずはチケット買わないとね!
敷地内に入ってみてびっくり!
なんと美術館の敷地にある木が、すべて赤白の水玉でラッピングされてるじゃないの!
彌生カラーを全面に打ち出した演出、なかなかやるなあ。(笑)
チケット売り場は既に行列していて、彌生人気がよく分かるよね。
想像していた通り、高齢の女性が多い感じ。
今回は「国立系」と同じくらい、「本当にアート好き」な感じのオシャレな女性も目にしたので、少し安心する。

ここで今更?かもしれないけれど、草間彌生のプロフィールを簡単に紹介しておこうか。

1929年 3月22日、長野県松本市に種苗問屋の末娘として生まれる。10歳の頃より水玉と網目模様をモティーフに絵を描き始める。
1957年 渡米、シアトルでアメリカでの初個展開催。翌年ニューヨークに移る。
1959年 ニューヨークのブラタ画廊で初個展、5点のネット・ペインティングを発表。
1966年 個展「草間のピープ・ショー」で電飾と鏡を使ったインスタレーションを発表。
第33回ヴェネツィア・ビエンナーレで《ナルシスの庭》を展示。
1968年 自作自演の映画「草間の自己消滅」が第4回ベルギー国際短編映画祭に入賞、 そのほかの映画祭でも受賞。
1973年 帰国。活動拠点を東京に移す。
1983年 小説『クリストファー男娼窟』、第10回野性時代新人文学賞を受賞。
1993年 第45回ヴェネツィア・ビエンナーレで日本代表として日本館初の個展を開催。
2016年 『タイム』誌「世界で最も影響力のある100人」に選出。

「わが永遠の魂」HPから一部転用させて頂いたよ。
今回の展覧会では1968年の映画「草間の自己消滅」も観ることができたんだよね。
SNAKEPIPE個人的には、草間彌生が乗るのは馬より牛のほうが良かったように感じたけど?
そのほうが東洋っぽいんじゃないか、と思ったので。(笑)
1950年代にアメリカに渡って活動していた日本女性は、そんなに多くなかったよね。
個展を開いて評価もされて、未だに現役で活動しているとは驚きだよね!
そういえば新人文学賞を受賞した「クリストファー男娼窟」は昔読んだっけ。
あまり内容は覚えてないなあ。(笑)

HPに草間彌生からのメッセージがあったので、載せてみよう。

今ではそんなに驚かなくなったけど、髪の色がすごいよね。
現在87歳、それでも「まだまだ努力が足りない」って言ってる草間彌生。
随分昔に何かで読んだ発言では「創作意欲が湧いて湧いて困っているので、早く死にたい」 だったんだけどね。(笑)
根っからのアーティストなんだろうね。

今回の展覧会の最初の部屋が新作「わが永遠の魂」の展示だった。
2009年から描いているというシリーズ作品は、圧巻の一言!
そしてこの部屋は撮影がオッケーだったよ。
広い会場の3方の壁一面にスクエアの絵がみっしりと展示されているんだよね。
まるで南米の古代文明みたいな原始的な雰囲気もあるし、幻覚剤を使用したサイケデリック・アートのようにも見えるし。
もしくは邪心のない子供の落書きのようにも見えてしまう原色の世界に、思わず笑いがこぼれてしまう。
ファブリック・デザインにしても最高だよね、と友人Mと言いながら鑑賞。
こんな作品制作を続けている草間彌生のエネルギーとパワーに脱帽だね!

巨大な立体作品もあったね。
花と眼と水玉はインパクトあるね。
これも最初の部屋にあったので、撮影可能。
野外には巨大カボチャもあった。
ここも撮影オッケーだったんだけど、先日アメリカ、ワシントンの美術館で自撮りしようとした人がバランスを崩し、約9000万円のかぼちゃオブジェを破損した、というニュースがあったばかり。
撮影する際には気を付けないとね!(笑)

幼少時代からの作品の展示や、前述したように1960年代の映像作品も鑑賞することができた。
2017年の作品として、赤い水玉が描かれている(もしくは赤いシール?)数体のマネキンが展示されていた。
これって作品なの?と大笑いしてしまった。
水玉であればなんでも良いみたいだもんね。(笑)

物販コーナーはいつも楽しみにしているんだけど、毎度裏切られてしまう。
「わが永遠の魂」がせっかくスクエアのフォーマットなんだから、ハンカチにするとかスカーフとか。
そんな商品があったら嬉しかったのになあ。
ポストカードは販売されていたけど、クリアファイルや「ふせん」など、いつでも見かける商品ばかり。
あの手の企画する人、センスないよね。
美術館側とアーティスト側との意向もあるんだろうけど、全く購買意欲を促進しない商品作り。
困ったもんですなあ!

総合的にみると、2004年の「クサマトリックス」のほうが見応えがあったけど、「わが永遠の魂」では最新作が鑑賞できたのは良かったね。

90歳ともなると奥義を極め、100歳に至っては正に神妙の域に達するであろうか

画狂老人、葛飾北斎の言葉である。
「まだまだ努力が足りない」と話していた草間彌生にも重なる感じがするんだよね。
ここまでアートへの情熱にあふれて創作を続けているのなら、きっとこれからも新作を発表してくれるに違いないね!

【カッサンドル展のポスターを撮影。快晴ですな!】

SNAKEPIPE WROTE:

「この展覧会を観に行きたい」
とROCKHURRAHが言う。
なんて展覧会?
CASSANDRE?
カッサンドル、で良いのかな?
SNAKEPIPEは初耳だったけれど、ROCKHURRAHは以前より1920年代のアートに関心があったため、アーティスト名は知らなくて(読めなくて?)も作品は知っていたというのである。

カッサンドルの紹介文によると、どうやら沢木耕太郎の「深夜特急」のカバーにも、カッサンドルの代表作が使用されてるとのことだけど?
あっ、確かにこんな表紙だったよね!
知らないと言いながらも実は作品は目にしていたんだね。
トリミングされてるけど、確かにカッサンドルだ!(笑)
因みに「深夜特急」は友人の強い勧めで読んだことがあるんだけど、それより前に藤原新也を知っていたSNAKEPIPEには物足りなかったんだよね。
沢木耕太郎の著作も藤原新也にしても、ジャーナリズムを目指す人にとってはバイブルみたいな本になるんじゃないかな?
今は状況が変わってるのかもしれないけど。

ちょっと会場が遠いんだけど、と教えてもらったのが埼玉県立近代美術館
埼玉は全然知らないし、行ったことないよ。
と答えていたSNAKEPIPEだったけれど、なんと2012年12月「ベン・シャーン展 —線の魔術師—」を鑑賞した場所だったことを思い出した!
4年以上前だから忘れていても仕方あるまい。(笑)
そうだった、あの時は寒かったよねと話しながら、 北浦和に向かう。
この日は快晴、春の暖かさが感じられるでしょうという天気予報通りの気温の高さ。
少し風が強かったけれど、それでも前回の震える寒さとはまるで違っていたよ。

少し早めのランチを食べてから美術館に向かうことにする。
前回の北浦和と同じでまたもやイタリアンになってしまった。
お昼にするには早い時間なのに、いくつもの女性のグループが席を埋め尽くしているよ。
4年前のレストランでは女性の一人客が多かった、と記事にしていたんだよね。
もしかして北浦和って女性の割合が多いのかしら?(笑)

埼玉県立近代美術館は北浦和駅から徒歩3分程、しかも北浦和公園の中にあるという素晴らしい環境である。
もう少し風が穏やかだったら、お弁当を公園で食べてから鑑賞することもできたかもしれないね。
前回の北浦和は寒くて余裕がなかったけれど、今回は少し公園内を散策してみた。
3月に桜が咲いていてびっくり!
落ちている花びら見ても、桜に間違いないと思う。
とてもきれいだったね。(笑)
公園内には滝や池まであって、とても良い雰囲気。
近かったら、散歩に来たいなあ!

いよいよ「カッサンドル・ポスター展 グラフィズムの革命」に向かう。
以前も書いたけど、埼玉県立近代美術館の通称はMOMASなんだよね。
最後のSは埼玉のS!
うーん、やっぱりダサい。(笑)
今回は常設展の鑑賞は後回しにして、元気があったら観ることにした。
現在観られる作品、というポスターにグッとこなかったからね。

展覧会の感想の前に、まずはカッサンドルについて簡単に書いてみようか。
アドルフ・ムーロン・カッサンドル(Adolphe Mouron Cassandre)は1901年ウクライナ生まれ。
本名はアドルフ・ジャン=マリー・ムーロン(Adolphe Jean-Marie Mouron)。
1915年にパリに移住し、美術を学ぶ。
バウハウスへの興味はその時に生まれたようだね。
最初はお金を稼ぐために始めたポスター制作が大評判となって、1920年代にはパリの街中にカッサンドルのポスターが貼られていた写真も展示されていたよ。
その写真を撮影していたのが、なんとアンドレ・ケルテス
その時代のパリには後に名を成す大勢のアーティストがいたからね。
さすがは憧れの1920年代だよね〜!(笑)
1925年にはポスター「Le Bucheron」が現代装飾美術産業美術国際博覧会でグランプリを獲得する。
1936年、ニューヨーク近代美術館(MOMA)にて回顧展が開催される。
1936年〜1937年ファッション誌「ハーパース・バザー」の表紙デザインを担当する。
1968年、パリのアパルトマンで拳銃自殺する。

ペンネームとして使用していたカッサンドルは、ギリシャ神話に登場する悲劇の預言者とされるカッサンドラから来ているという。
イタリアではカッサンドラを「不吉、破局」として日常的に使用している、とWikipediaに書いてあったよ。
1920年代には一世を風靡したカッサンドルが、自らの命を絶つという最期だったというのは象徴的だね。
「名は体を表す」という言葉通りになってしまったみたいだもんね。
その事実を知って非常に驚いてしまったSNAKEPIPE。
67歳になっても苦悩していたなんてね!

それでは早速カッサンドルの作品を紹介してみよう。
今回の展覧会は撮影が禁止されていたので、使用している画像は自分で撮影したものじゃないんだよね。
最近は撮影オッケーな場合が多かったので、非常に残念だったよ。

今回の展覧会は「ファッションブランド『BA-TSU』の創業者兼デザイナーである故・松本瑠樹氏が築いたコレクションを通してご紹介します」と美術館のHPに書いてあるんだよね。
BA-TSUとは、懐かしい名前だ!(笑)
70年代から始まるDCブランド・ブームの人気ブランドのうちのひとつだったよね。
SNAKEPIPEもROCKHURRAHもBA-TSUの商品は持っていなかったけれど、当然のようにブランド名は知っていたよ。
そのデザイナーだった松本瑠樹氏というのは、ロシア構成主義やバウハウスに興味を持っていたようでコレクションを多数所持しているみたいだね。
カッコ良いと思う基準がROCKHURRAH RECORDSと同じ。(笑)
そう聞くとブランドとしてのBA-TSUはどんなファッションだったのか、今更ながら興味が湧いてくるよね。
もう遅いけど!
一番最初の画像は「L.M.S.The Best Way」1928年の作品。
鉄道会社用のポスターだと一目で分かるモチーフの選び方、その構図!
インダストリアル好きのSNAKEPIPEを刺激するね!(笑)

1920年代というのは様々な設備が整っていこうとしている段階だったんだろうね。
鉄道の歴史について詳しく調べたわけじゃないけど、恐らく大陸を横断する鉄道が庶民レベルになったからこそポスターになってるんじゃないかな?
左はパリ〜ブリュッセル〜アムステルダムを結ぶ鉄道である「Étoile du Nord」1927年の作品ね。

北に向かって走る、ということを示すために北極星を描いているんだね。
そして色彩の素晴らしさ!
線路を画面いっぱいに描く大胆な構図!
なんともスタイリッシュだよね。
部屋に飾りたくなっちゃうよ!
このポスターの場合はどうなのか不明だけど、カッサンドルのポスターには「1:1.618」の黄金比が使われているという記述があったんだよね。
黄金比ってなんだろう?

黄金比、と検索するとあっさり出てきたよ。

線分を a, b の長さで2つに分割するときに、
a : b = b : (a + b) が成り立つように分割したときの比a : b のことであり、
最も美しい比とされる。
近似値は1:1.618、約5:8

結局縦横比の話で、例えばパソコンのディスプレイでの解像度1920×1200などが黄金比に近くなるようだよ。
誰が最初に気付いたのか諸説あるみたいだから、ここでの言及はしないけれど、数学や幾何学とアートを融合させるというところがポイントだよね。
きっとこれはバウハウスやロシア構成主義でも行っていたんだろうな。
直感で己の感じたままに情熱で創造するアートとはまるで違うもんね。

右の画像はポーランドとアメリカの輸送船のポスター「Statendam」1928年の作品ね。
船のパーツをクローズアップで見せる手法とは、憎い演出ですな!(笑)
この色も素敵なんだよね。

インダストリアル好きのSNAKEPIPEが選ぶと、どうしても金属っぽいモチーフになってしまうよね。
今度はもう少し柔らかい雰囲気にしてみよう。
とはいっても、これもまた空輸便のポスターだね。(笑)
イタリア〜ギリシャ〜イラクから中国など世界各国に郵便が届けられることを一瞬にして分からせているんだよね。
「Air-Orient」は1921年の作品ね。
飛行機と鳩をダブらせて見せ、フォトモンタージュでエッフェル塔や南国っぽい景色で世界を表現している。
実際の手紙や品物だけじゃなくて、夢までも運んでくれそうな印象だよね。ポスターを「画家の個性を表現するためではない大衆のための芸術」と位置付けていたカッサンドル。
人が求めている物を熟知していて、それをポスターに取り入れる天才だったんだね。

カッサンドルの特徴の一つにタイポグラフィがあるんだよね。
ここまで5枚のポスターを載せてみたんだけど、それぞれ使っている書体が違うことに気付いただろうか。
カッサンドルは自ら書体を考案しているんだよね。
・ビフュール体(Bifur 1929年)
・アシエ・ノワール体(Acier Noir 1935年)
・ペニョー体(Peignot 1937年)
など、恐らく最も美しく見せるための書体を研究していたんだろうね。
右の画像「SAGA」は1927年の作品で、またもやインダストリアルになってしまったけれど、この書体と色のバランスも素晴らしいよね。
大きな木箱があることから、恐らくこれも輸送船と思われる。
カッサンドルはポスターにする前には一度油絵やグワッシュで描いてるんだよね。
その時にサインをしているみたいで、そのサインがそのままポスターになっても残っているみたい。
どのポスターにもサインがついてて、この時代の人が全員同じようにサインしていたのか、カッサンドルだけの特徴なのか不明だけど、商用のポスターとしては珍しい感じがするよね?
有名になる前からずっとサインしてるからね。(笑)

カッサンドルはファッション・ブランドとのコラボ作品も残しているんだよね。
左のトランプは、なんとエルメスとのコラボとのこと。
商品として販売していたのか、ノベルティのようなものだったのかは不明だよ。
恐らくエースや数字の書体は、自ら考案した書体なんだろうね。
そしてクラブのデザインが特徴的だよね。
カードの裏やカードのケースはどんなデザインだったんだろう?
エルメスではスカーフのデザインも行っていたようだね。

えっ!
このマークもカッサンドルだったの?
ファッション・ブランドであるイブ・サンローランのロゴ・マークのデザインなんだよね。
今でもこのマークは採用されているというから、カッサンドルの偉大な功績が分かるね。
化粧品のパッケージにも使われているというので、目にしている人は多いはず。
意外と身近なところにカッサンドルがいたんだね。(笑)

なんだか今回は画像の使用が多くなってしまったね。
最後は「ハーパース・バザー」で表紙を担当していた作品を紹介してみよう。
今回の展覧会にも作品が展示されていたんだよね。
ポスターの時と同じように、歩いている人を止めさせる効果が考えられていることが分かるね。
「あれ、なに?」と目を引くインパクトがある。
当時はどれくらいの雑誌が刊行されていたのか分からないけど、多くの雑誌の中から確実に手にとってもらうためには、目立つことだからね。
カッサンドルは広告の効果、宣伝の意味について熟知していたんだね。
その才能は生まれつきだったのかなあ。
非常に羨ましいと思うよ。(笑)

1910年代から始まるダダイズムやシュルレアリスムなどの芸術運動に興味を持つと、今から100年以上も前とは思えないような斬新でカッコ良い作品が数多く存在することを知る。
昔のほうが進んでたのかも、と思うこともしばしばあるし。
今回のカッサンドル展を鑑賞して、益々その思いが強くなったよ。
北浦和まで出かけて良かったな。(笑)

あー!タイムスリップできたら1920年代のパリに行ってみたいなあ!
アートの温故知新はこれからも続けていきたいと思う。

【珍しくタイムリーにちょっとだけ来日記念特集】

ROCKHURRAH WROTE:

ROCKHURRAH RECORDSが使っているサーバーでPHPのヴァージョン7.1が使えるようになったので早速試してみようと思った・・・などと書いてみても興味ない人の方が圧倒的に多いに違いない。
そういうのに興味ある人はウチのブログなんか読まないだろうからね。

PHP: Hypertext Preprocessor(ピー・エイチ・ピー ハイパーテキスト プリプロセッサー)とは、動的にHTMLデータを生成することによって、動的なウェブページを実現することを主な目的としたプログラミング言語、およびその言語処理系である。

うん、ROCKHURRAHも特に興味はないんだけど、これを新しくすることによって処理速度が速くなるなんて言われるとどうしても弱いんだよね。
がしかし、確かな知識を持ってなくて過去に致命的なエラーを起こした事もあり、この手の更新は慎重になってしまう。
手始めに仮想環境で同じことしてみたらやっぱり画面が真っ白けになってしまったので、もう少し調べるまで本番ではやめておこう。
何だ、やってないならこんな事わざわざ書くまでもなかったな。
というわけで今回のテーマは「真っ白」・・・というのは真っ赤なウソ。

さて、全然関係ない前フリだったが、今回は久しぶりの更新となるこのシリーズを書いてみようか。
最後に書いたのが何と2015年8月。書いてる本人にも忘れ去られてるシリーズだな。

世界の国名、都市名がついた歌をどこかから見つけてきて、それについてどうでもいいコメントをしてゆくだけというトホホなこの企画。
語呂がいいからつけただけで、内容は別にロックンロールでも世界紀行でもないよ、という詐欺めいたタイトルなんだけど、ほとんどが70年代パンクと80年代ニュー・ウェイブに関する曲ばかりを選んで聴かせるという姿勢だけが今の時代には珍しいかも。

マリブ・ビーチは米国カリフォルニアにあるビーチでサンタモニカとも割と近場、なんて事をわざわざ海辺が似合わないROCKHURRAHが言わなくても誰でも知ってるに違いない。

確かにもし、有り余るだけの財力があり、近隣のセレブ達と会釈するほどになったとしても、個人的にはこの辺に住みたいとは全然思わないだろうな。

好みと趣味の問題で合わない人とは永遠に合わないのは仕方ないが、旅番組とか見てても海辺のリゾートはイマイチと思ってしまう。
たぶん海が嫌いなワケじゃなくて、こういう番組で「今流行りの」とか言って紹介されるマリンスポーツにあまり興味ないからなんだろう、と自分を分析するよ。
そういう遊びやスポーツが流行る前(つまり子供時代)の海水浴は好きだったから。
その点、SNAKEPIPEとは好き嫌いが(たぶん)合ってて良かったよ。

大昔、社員旅行でマリンリゾートを満喫出来る島に行った時も、場違い甚だしいパンクな服装で通して海辺にも行ってない。傍から見たらおかしい人みたいに思われたかも知れない。日焼けも嫌いだし夏の服、本当に持ってないからなあ。

まあそんな好みは抜きにして、海辺でキャッキャするのが大好きな人にとっては憧れのいい場所なんだろうね。
一番最初の「猿の惑星」のロケで使われたなどと書いてあったが、あれはマリブ自体じゃなくてニューヨークの未来の景色として使われただけじゃないかな。マリブ要素は全然ないぞ。

そんなマリブビーチの魅力(?)をふんだんに伝えるのはこの曲しかない。
ハノイ・ロックスは1981年にデビューした北欧フィンランドのバンドで、ベトナムともカリフォルニアとも関係ないと思われるが、フィンランドっぽさも特にないと思えるので、まあ無国籍なロックンロール・バンドという位置でいいのかな?
ニューヨーク・ドールズやグラム・ロック、ハードロック、パンクを適度にミックスして80年代風にしたようなルックスと音楽で、80年代初期には大人気だったバンドだ。
マイケル・モンローやアンディ・マッコイのキャラクターはジャンルの垣根を超えて幅広く支持されていたな。

モトリー・クルーのメンバーが飲酒運転する車に同乗していたハノイ・ロックスのドラマーが事故死(事故を起こしたヴィンス・ニールは生き残る)という悲惨な出来事により解散してしまう不遇なバンドだったが、この手のバンドをあまり良く言わないROCKHURRAHでさえ知ってる曲を何曲も残している。
中でも一番好きでノリノリになれるのが「Motorvatin’(炎のドライビン)」とこの曲「Malibu Beach Nightmare(マリブ・ビーチの誘惑)」 だ。

まあ誰が聴いても単純明快にポップでキャッチーな曲。若くて突っ走った感じはパンクにも通じるものがあるようにも、決定的に違うようでもある。何じゃそりゃ?説明になってないぞ。
同じ曲をラモーンズやハートブレイカーズがやったとしてもこうはならなかっただろう。何と言うか、小気味いいけど混沌が足りないんだよね。
しかし久々にシリーズのタイトル「 ロックンロール」要素はあるから、まあいいか。
もうとっくの昔に解散してしまったけど、大好きでライブにも通った日本のサイコビリー・バンド、ROBINもこの曲をカヴァーしていたね。このカヴァーの方が原曲よりずっと好きだったよ。
ROBIN、再結成したら真っ先に駆けつけるのになあ。

コンスタンティノープルは今の地図にはない都市名だが、15世紀にオスマン帝国の攻撃によって陥落した東ローマ帝国の首都だったそうな。
うーん、社会と言えば日本史専攻で世界史は苦手だった覚え(地名・人名が覚えられない)があるが、その日本史も別に得意だったわけでもなく漢字が多少読めたから選んだだけ、我が家はSNAKEPIPEと共に歴史オンチだと断言されても仕方ない。
こないだの「読めん!」といい、書けば書くほど頭悪そうになってしまう窮地。
都市名はなくなっても場所としては今のイスタンブールの事だね。

「飛んでイスタンブール(庄野真代、1978年)」や「異邦人(久保田早紀、1979年)」「イスラエル(スージー&ザ・バンシーズ、1980年)」を例に出すまでもなく、1970年代の終わり頃の日本はなぜだか知らないが中東あたりがブームだったような気がする。
その時代の写真雑誌とかではシルクロードや中東、アフリカなど当時の一般的な日本人があまり行けないようなところを見聞してきたような紀行文が多かったもんね。この頃はまだ中近東と言ってたな。イスタンブールは中東なのかヨーロッパなのかイマイチわかってないんだが、まあ雰囲気的にね。

誰が写真撮って書いたのかは全然覚えてないが、ROCKHURRAHもそういう雑誌などで異国への闇雲な憧憬を持っていた。
今みたいにネットのない時代、調べてもよくわからないものは大概、想像で補ってたもんな。何事もロクに調べなかったROCKHURRAHはなおさら断片的で歪んだ海外のイメージ持ってたに違いない。当時は「普段はあまり知らない国の情報」への興味があったというわけだろうね。

ちなみに「異邦人」はタイトルと曲調がそれ風だっただけで、実は国立駅前の風景より作られた曲だったとの事だが(笑)、イメージ戦略により「何か中東っぽい」と思ってしまうね。

そんなコンスタンティノープルの魅力を余すところなく伝えてくれるのが今年、何と32年ぶりの来日をするレジデンツだ。しかも何でブルーノート?
特集企画でもないこんな場(今回の記事)で語るのも難しいくらいのキャリアを持つアメリカのバンドだが、60年代後半には既に実験音楽を作り始めてて、1972年にレコード・デビュー。以後、実験的でヘンテコ(たまにはちょっとポップ)な音楽を作り続けている謎の音楽集団なのだ。
目玉おやじがタキシード着たようなヴィジュアルだったり素顔を晒さない、メンバーも不明という匿名方針を長らく貫いてて、見てきた人でも「よくわからん」存在なのは間違いない。
現在までにどれだけ謎と呼ばれたバンドがいたのかは知らないが、音楽性のルーツも含めて謎が多い、その草分け的な存在がレジデンツなのだ。

ROCKHURRAHは昔々、雑誌「ロックマガジン」の記事でペル・ユビュとレジデンツを知り、その後着々とレコードを集めてきた。
どちらもジャケットから音楽性が想像出来ない雰囲気のバンドだったので、出会う前は色々な想像をしていた事を思い出す。
レジデンツの場合はジャケットが割と不気味カラフルだったからジャケ買いだったね。出してるRalph Recordsのイラストを多用したアートワークやレーベル・マークもハイセンスでそそられたもんだ。
「The Third Reich ‘n Roll 」や「Duck Stab! / Buster & Glen」などなど、まだ少年だった頃に聴いてた音楽は今でも鮮明に覚えてるよ。
前衛的で不安感に満ち溢れてて不協和音だらけではあるが、全編ノイズだらけのバンドや静けさが大半のレコードよりは個人的には聴きやすくて好きなバンドだったよ。

既存のパンクやニュー・ウェイブに飽き足らなくなって、オルタナティブとかアヴァンギャルドとかの方面を模索していた時期にちょうど重なったわけだから、この手の音楽は個人的な需要にぴったんこだったんだろうな。

引っ越しが多かったROCKHURRAHだが、レジデンツのレコードの中に入ってたファンクラブの入会申込書をどの家でもずっとピンナップのように壁に貼っていた。今は見つからないが、たぶん今住んでる家にも捨てずに持ち込んでるはず。
「Join or Die」というベンジャミン・フランクリンの有名な言葉が引用されてて、クー・クラックス・クラン(白人至上主義の秘密結社)の頭巾を被った四人が並ぶという不吉なシロモノ。
アメリカの私書箱に送金してファンクラブ会員になる、などという事はなかったけど、もし会員になってたら一体どのようなものが送られてきたんだろうか?それが知りたい・・・。

ん?曲について何も書いてなかったな。この曲はレジデンツの中で最も好きだった78年のアルバム「Duck Stab / Buster & Glen」に収録。
この時期までのレジデンツの中では最もニュー・ウェイブっぽい曲調でヴォーカルもノイズなバンドに通じるような歪み具合でカッコイイね。
コンスタンティノープル要素はたぶん特になし・・・。

ROCKHURRAHには珍しい来日記念特集第二弾でこれも書いてみるか。

京都は日本に来るような外国人だったら誰でも知ってる土地なのは間違いない。同じ古都でも奈良よりはメジャーな名前なんだろうか?統計取ったわけじゃないからその辺は不明だが、古くは「京都の恋(ベンチャーズ&渚ゆう子)」など京都にちなんだ曲もパッと思い出すもんね。

ROCKHURRAHはSNAKEPIPEと知り合う前に四年間くらいだが京都市民だった事があって、その時は右京区あたりを住処としていた。
特に何もないところだったけど、自然も近くにあって京都を満喫するにはいい場所だったかな。

坂がなくて道もわかりやすかったから自転車で割と広い行動範囲だったのを思い出す。
同僚が住んでた遥か北の船岡山(大徳寺近く)まで夜に自転車で出かけたり、今だったら絶対に出来ないくらいの行動量だったよな。調べてみたら7キロもあったよ。
太秦くらいは近場、軽く自転車で出かけてたからね。

京都時代は街が、と言うより個人的な趣味で仏像に興味あって、そのために色々出かけてたのだ。見た目や雰囲気からは全然そんな趣味は垣間見えて来ないけどね。
太秦は弥勒菩薩で有名な広隆寺があったので、そこを目指して出かけてたわけだ。
SNAKEPIPEと知り合った頃、禁じられてる自転車二人乗りで東寺まで行ったのもいい思い出。
ものすごく暑い時で大変だったし、途中でパンクしてしまったっけ?

旅行に行くたびに、とてもいいところだけど実際に住んでみたらどうなんだろう?といつも思ってしまう。
世間で観光地と呼ばれるところ(の近場)に初めて住んだのがこの京都時代だったけど、文化も歴史も自然もちゃんとあって生活にも不便はない。それがただの観光地と観光都市の違いってヤツかな。これから先、観光地に引っ越す予定はないが、住む基準はやっぱり生活と文化のバランスだろうな。当たり前の事言ってるなあ。

人にとってはどうでもいい回想になってしまったが、そんな京都の魅力を隅から隅まで伝える曲がこれ(?)、スラップ・ハッピーの「Heading For Kyoto」だ。
京都に向かう食堂車の中でどうのこうの・・・というような歌詞はたぶん何てことなさそうだが、1972年の1stアルバムに収録の曲。
上のレジデンツは32年ぶりって事だが、このスラップ・ハッピーも16年ぶりの来日だという。
このブログを投稿した日にはすでに過去の出来事になってるんだけど、書いてる時はまさに来日真っ盛り。日本では特に盛り上がりそうだね。

英国ケント州カンタベリー周辺で起こったカンタベリー・ミュージックと呼ばれる音楽の一派がかつてあった。後に名を成すプログレッシブ・ロックの数多くのバンドがこの地の出身で、メンバー間の交流が盛んだったので何となく(たぶん)ひと括りにしたもの。
ここの出身者ではないけどスラップ・ハッピーはヘンリー・カウ(靴下ジャケットで有名)と一時期一緒にやってた事によって、カンタベリー・ミュージックの一派として取り上げられる事が多いかな。

ピーター・ブレグヴァド、アンソニー・ムーアというボヘミアンな男二人とダグマー・クラウゼという歌姫がドイツで結成したのがこのトリオだ。米英独の友好同盟ね。
クラウト・ロックの先鋭的音楽集団ファウストやRock in Oppositionという主義の反体制バンド、ヘンリー・カウとの共作で知られるが、スラップ・ハッピー自体は聴きやすくて好きなバンドだった。その後、ヘンリー・カウに吸収合併されてしまうのが残念。最終的にダグマー・クラウゼを略奪されたような感じがしてイヤん(イオンとマイカルの関係みたいなものか?)なんだよね。
その後のアート・ベアーズやソロ作品で歌唱スタイルを確立(?)したという点では評価する人も多いだろうけど心情的にね。

まあ説明下手のROCKHURRAHなんかがいちいち言わなくても、熱烈なファンが多いバンドなのであまり書くような事がないんだけど、時代を先取りした音楽だったのは確か。
アヴァンギャルドな部分とか見え隠れはしても、時にノスタルジックでポップ、和める曲も残したバンドだったな。
今回の主旨とは違うから語らないけどROCKHURRAHは「I Got Evil 」や「The Drum」「Everybody’s Slimmin’ 」などが好き。

で、この曲のビデオは2016年にケルンで行われたライブより。
「うーん、当然ながら老けたなあ」と思って見たが、デビュー時から親交のあったファウストのメンバーと一緒にやってて、ファンならば感涙間違いなし。ダンボールとボンベみたいなのを叩いてパーカッションにするというのは「これぞ即興」という感じで昔からある手法だが、地面にそのまま置いててひざまずいて叩く姿勢が辛そう。もう少し叩きやすい、いい場所なかったのかな?

京都と言えばこちらも忘れちゃならない、キュアーのそのものズバリ「Kyoto Song」。
その後もやってはいるものの、やっぱり80年代のイメージが一番強く、ある種の人によっては80年代を象徴するバンドかも知れないね。

キュアーは元々オリジナル・パンクの時代に出てきたバンド。
1977年にデビューしたイージー・キュアは80年代初頭の暗くて内向的なイメージはなくてパンクっぽい、かなりの個性とクオリティを持っていた。などと見てきたように書いたけど、もちろんこの頃は無名でレコード契約もまだしてないようなバンドだったと思う。イージー・キュア名義の音源がレコードになったのはずっと後になってからだろう。
キュアー博士じゃないからハッキリは知らないが。

で、キュアーとバンド名を短縮した後の79年に本格デビューするんだけど、個人的にROCKHURRAHにとっては第一印象があまり良くなくて82年くらいまで敬遠していたバンドなんだよね。
ファンならば知ってるだろうが1stの一曲目が時計の針カチカチでなかなか演奏に入らない。たかが20秒程度なんだけど気が短い若者だったのでそれがかったるかったんだろう←バカ。
ロバート・スミスの特徴的な歌い方もこの時代にはまだ理解出来なかった。
まだまだROCKHURRAHも青かったんじゃろうて。
まあ誰にでもある完全な「聴かず嫌い」だと言えるが、タダでどんな曲でも試聴出来る時代とは違ったから、好みのバンド以外を買ってまで聴かなかったというだけ。
この頃の明るい名曲「Boys Don’t Cry」などは今聴いてもノリノリになれるんだけどね。

その後、キュアーは暗黒度合いを増していって「首吊りの庭」「血塗られた百年」「幻影地獄(乱歩かよ)」などと不吉なタイトルの曲(邦題が勝手放題なだけだが)や白塗り顔にドギツイ化粧、髪はボサボサというロバート・スミスの方向性によって、その手のバンドのイメージを決定付ける。暗黒仲間のスージー&ザ・バンシーズのギタリストとしても活躍したね。
同時代のネオ・サイケ、ダークサイケ、ポジパンと呼ばれる音楽はキャッチーな要素があまりないにも関わらず、英国では結構もてはやされたブームだったからね。

しかしロバート・スミスの不気味な見た目、ちょっとぽっちゃりした体型などからシリアスというよりは逆に笑える存在としても名高く、漫画にも登場するくらい。 どこが発信源なのかは知らないが日本ではロバオなどとあだ名が付けられていたなあ。
ショーン・ペン主演の「きっと ここが帰る場所」もロバスミをイメージしたんじゃないかな?

80年代初頭はそんなだったキュアーも80年代半ばくらいからは何かの呪縛から脱出したようで、明るくポップな曲調や奇妙なテイストを持った曲をモノにして、メジャーなヒットを連発してゆく。
確かにいつどこで聴いても即座にわかる声の持ち主で、好きとか嫌いとか抜きにして言えば、曲も演奏もビデオも他にはない個性を持ってたバンドだと思えるよ。

おっとまた曲について何も書いてなかったな。「Kyoto Song」は彼らの6枚目のアルバム「The Head on the Door 」に収録されていた。 琴の音みたいなのがそれっぽくはあるけど歌詞はやはりとっても暗く死に彩られたようなもので、京都要素は特になし。
どこで思いついた曲か知らないが、旅行中にこんな事考えてたら(歌詞もよくわかってはいないんだが)救いようがないぞよ。

あーあ、今回もまた世界紀行とは程遠い内容になってしまったな。ROCKHURRAHが好きで聴いてるような音楽と旅情が全然一致してないって事なんだな。
それでもやめずに続けてゆこう。

ではまた、ホシュ チャカルン(トルコ語で「さようなら」)。