マルワランド・ドライブ

                   


【今回の話を元にSNAKEPIPEが制作、廃墟遊園地写真】

ROCKHURRAH WROTE:

暑い夏もようやく終わり過ごしやすい季節に、と思った八月後半だったが、やっぱり今年もしぶとく蒸し暑さが残ってるね。

夏生まれのROCKHURRAHだが、暑さには滅法弱く、一番辛い季節が真夏なのだ。
とは言っても単純に暑さだけの問題じゃなく、今までの夏を回想すると何だかひどい事ばかりがすぐに思い出される=夏嫌いという回路になってるのかも知れない。
今回はそういう過去について書いてみよう。
年代は敢えて明らかにしないがちょっと前から昔々のお話。

福岡に住んでいたある夏の事、ROCKHURRAHは「縁日などで屋台を運営する事を生業にしている一家」に連れられて九州の夏祭り巡業ツアーに参加した事がある。
委細面談、即決、高時給という言葉に惹かれ面接場所のドアを開けたとたんに見えてしまったトラの毛皮の敷物。まあ上記のような稼業をしている事務所ではありがちだな・・・と思って初日は福岡の東の方にある神社の夏祭りでデビューした次第。
ここでは最初ビールなど冷やしドリンク担当となった。これは簡単で氷水の中から取り出して売る程度だったからちょろいもんだ。

ところが翌日からの巡業について全く説明がなかったため、また同じ場所でやるのかと勘違いしてとてつもない軽装で気軽に出かけたのが運の尽き。
トラックの助手席から見る風景が違う、などと思っていたらいつの間にか車は高速に入って、着いた先は名も知れぬ山の中のとある村。ここで今夜の村祭りの屋台設営をするのじゃ、という指令とともに初めて今回のツアーの日程が明らかになった。何と福岡から山間部を巡業しながら最終的には大分県の夏祭りまで、約一週間もの間をこの一家と共に過ごすというプランだった。
ちょっと待ってよ、まさか出張とは思ってもいなかったROCKHURRAH。着替えもなく汚れてもいいどうでもいい格好のまま、ロクに金も持たずに完全な手ぶらでこの巡業に参加してしまったのだ。金を持たずに、というのはここから逃げ出してバスや電車に乗って家に帰る事も出来ないという事だ。これじゃどうしようもない、もう一週間この一団のメンバーとして過ごすしかない運命。

こういう職種の経験がある人はそんなに多くはないだろうし、ROCKHURRAHが経験した例が一般的かどうかは全然わからないのだが、主に下っ端は食べ物関係で偉くなるとくじやお面といった設営や下準備があまりいらない商材を扱う事が出来るようだ。当然ながらROCKHURRAHも主にたこ焼きやソフトクリームなどの食べ物屋台で雑用をやらされた。水がない場所という現場もあって、その時は70リットルのポリバケツ一杯の水を台車もない状態で屋台まで何とか持って帰るというとんでもない苦行も経験した。出来るわけないでしょうという状況。たまたまこの時のバイトは一人のみで(他のバイトは全て逃走)、同じ境遇の仲間もまるっきりいないから余計に辛かったんだろう。
食事は車でファミレスとか弁当とか、最低限の保障はしてくれたし、別府のスーパー温泉みたいなところにも連れて行ってくれた。宿はビジネスホテルのツインの部屋で数人雑魚寝という高待遇(笑)。んがしかし、着替え持ってないんだよね。一週間同じパンツだよ。

たこ焼きは多少のコツ覚えて焼けるようになったが少し客が混んでくると売り子と作り手を同時に出来る程の技能がないもんだから、すぐに焦がしてしまうありさま。ソフトクリームに至ってはどうしてもうまくクルクル巻きに出来ず、曲がったままの不安定極まりない作品を平気で売るような低レベル。
これじゃいかんと思ったのかリーダー格の夫婦が最終日近くには自分の屋台のアシスタントとして抜擢してくれて、少しは気楽な仕事が出来るようになった。
やったのはいわゆるベビーカステラというような代物でその屋台では「東京ケーキ」などという名前がついていた。ボロは着ててもサングラスにサイコ刈りという(この時代のこの地方では)特異な風貌は逆に受け、リーダーの読みは当たったらしい。
「東京から来たの?」などと純朴な質問をするお客さん。この時実際に東京からの出戻りだったROCKHURRAH、まさか大分県の山奥で東京ケーキの呼び込みをやるとは。

予想してたような怖い出来事もなく、無事に一週間の仕事を終えて真夜中、帰りの夜道で交通事故直後の車に出くわしたり、かなりインパクトの強い体験ではあった。二度とやりたくはないけど。

別のある年の夏。またしても実家のある北九州で帰省中の出来事も書いておこう。
他の地域の人にはあまり馴染みがないかも知れないがここには平尾台というカルスト台地があり、山口県の秋吉台に秋芳洞があるように鍾乳洞がある。日本三大カルストのひとつらしいが、鍾乳洞の方は三大の中に入ってないからそこまでの規模ではないのかも知れない。
北九州からだと秋芳洞もそんなに遠くないという事もあって、幼少の頃より、他の地域の人よりは鍾乳洞に慣れ親しんでいたものだ。
ほとんどは遠足とかそういう行事で訪れていたんだが、たぶんこの時は久生十蘭の「地底獣国」とか小栗虫太郎の「人外魔境」とかそういう小説の影響か何かで洞窟探検大好き、という心情だったのだろう。

秋芳洞は規模も大きいためにエレベーターなどの施設もあり観光客も多く、スケールの大きな鍾乳洞が満喫出来るのは去年の「SNAKEPIPEの九州旅行記」にも書いてある通り。それに比べ平尾台の鍾乳洞はまだ、というか整備する気も費用もないのか入るには多少の覚悟がいる鍾乳洞だ。入洞する時は靴を脱いでサンダル、というかぞうりに履き替えないとならない。これは地下を流れる川の中に入っていかないと先に進めないためだ。まだ未開の立ち入り禁止部分や照明ないような場所もあり、道に迷ったらかなりデンジャラス。

しかし今回書きたいのはその洞窟の中での出来事ではなくて帰りの恐怖体験なのだ。
福岡の山奥で生まれ北九州で育ったROCKHURRAHもすっかり東京の時間感覚に慣れてしまって、洞窟を出たのは17時を少し過ぎたくらいの、夏場ではまだ明るい時間。今はどうか知らないが、この時点ですでに最終バスは出た後という事態に気付いて慌ててしまった。田舎で本数も少ないし最終も驚くほど早いんだよね。

そしてどう判断を間違ったものか、この平尾台を歩いてふもとまで(少なくともバスの通ってる場所まで)降りるという、あってはならない決断をしてしまう。行きに車で送ってもらった時にはそんな距離に感じなかった、という乗らない人特有の錯覚なんだろう。
まあほんの気軽な散歩という気持ちで歩き始めた。まだ携帯電話のない時代でこんな道路には店もコンビニも公衆電話もなかった。タクシーなんかもまるっきり通らない。だから歩く以外に帰る手段はなかった。
そのうち、今までの人生で一度も出会った事がないような濃霧がいつのまにか発生していて、2メートル先は全く見えないくらいの薄暮時の山道で歩道もないというところを歩く羽目に。これはヘタしたら遭難deathという大変危険な状況で一時間以上は歩いただろうか。

この時の状況を思い返すならば、異界と世界をつなぐ道からの帰還、というようなもので、もし冷静に周りを見渡す事が出来ていたら、絵的にはかなり素晴らしかったのではなかろうか(大げさ)。

ちなみにタイトルにあるマルワランドというのは平尾台に実在した遊園地で、すでに大昔からかなり寂れていたか潰れて廃墟化していたような記憶がある。北九州付近には丸和というスーパーのチェーン店があるから、もしかしたらそのスーパーの経営だったのかも知れない。
マルワランドは今ではすっかりなくなったらしいが、今回の話をSNAKEPIPEにしたら想像の中での風景を写真で作ってくれた。

この話のオチは大した事ないが本人にとっては劇的で、帰りの遅いROCKHURRAHを案じた兄が濃霧の中、車で探しに来てくれて無事に帰還する事が出来た、というもの。この時そのマルワランドがまだ存在していたのか見えたのかは全く記憶に無いが、まさにタイトルそのまんま。

デヴィッド・リンチ・ファンならばニヤリとしてくれるだろうか?

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