俺たちハッピー隊

【何だかわからんけどハッピーそうなビデオを作ってみた】

ROCKHURRAH WROTE:

今年の元旦ブログはROCKHURRAHが書いたけど、本当はその次の記事も担当するつもりでいた。
が、色々と個人的にやりたい事があったので、先週はSNAKEPIPEに代わってもらって一週間遅れになってしまったよ。

2018年の1月も半ばになってまだまだ正月気分真っ只中の人はそんなにいないとは思うけど、一応年始を祝うつもりで選んだのがこの「ハッピー」というテーマだ。
うーん、見た目といい性格といいハッピー向けじゃないと自覚しているROCKHURRAHだから、あまりメデタイ事は書けないとは思うが他に目ぼしいテーマもないし、何とか書いてみよう。

最近では年賀状さえ書かない人が増えてるに違いないのは世間の事情に疎いROCKHURRAHでもわかるが、子供の頃は最もポピュラーな「A Happy New Year」を迷いもなく書いてたに違いない。
近年は正月らしい事もほとんどしないし「正月、何がめでたい」と佐藤愛子風に思ってしまう我が家なのだった。
SNAKEPIPEと二人では人並みに祝うけどね。

ウチのブログの「ROCKHURRAH POSTCARD」というシリーズ記事は過去にROCKHURRAH RECORDSが作った年賀状や暑中見舞いがアーカイブされてるんだが、2010年からは年賀状らしいHappy New Yearの文言も一切なくなり、2011年からは英語でさえなくなったという経緯がある。一体何考えて何が言いたいのかさっぱりわからん年賀状だろうな。
SNAKEPIPEが書いてる「ビザール・ポストカード選手権」というシリーズ記事に「貰った人が困惑するようなポストカード」という記述があるけど、ウチの年賀状こそまさにそれだね。

さて、相変わらずどうでもいい前置きだったけどいきなり本題に入れないタイプだから仕方ない。
では今回のお題、ハッピー隊に出てきてもらいましょう。
あ、ちなみに初めて当ブログの記事を読む人には到底わかってもらえないから説明するけど、このシリーズ記事は単に同じキーワードが曲名についたものを選んで、無理やりひとまとめの仲間にしてしまった記事を書こうという主旨のお手軽企画。 他の企画と違い広範囲から選べるというROCKHURRAH側のメリットがあるだけなんだけど。

1980年代前半のハッピー隊で筆頭に出てくる曲は個人的にこれかな。
70年代パンクの雄、ダムドのデタラメ男、キャプテン・センシブルが80年代にソロとして発表した奇跡の大ヒット曲がこの「Happy Talk」だ。
パンク・ファンなら知っての通りダムドはセックス・ピストルズ、クラッシュと並び有名過ぎるパンク・バンドだが、全英チャートに入るようなヒット曲は「エロイーズ(全英3位)」くらいのもので、有名なあの曲やこの曲も通常のメジャー・チャートとは無縁の世界。
キャプテン・センシブルはドラキュラ・メイクのヴォーカリスト、デイヴ・ヴァニアンと対比を成すコミカルで陽気そうなキャラクターが際立った名物男で最初はベーシスト、それからギタリストになった。丸いサングラスとベレー帽をトレードマークにしていて、モヘア(パンク初期の重要アイテムとしてモヘアのセーターというのが流行っていた)を通り越した着ぐるみのようなモコモコのステージ衣装でギター弾いたり、派手さという点ではパンク界随一の目立ちぶりだったな。そのキャプテンがソロとなり、いきなり全英No.1に輝いたのがこの曲だったのでファンはみんなビックリというのが1982年の話。
「パンクもやり尽くしたしそろそろ大ヒットでも出してみっか」と軽い冗談のノリで作ったようにファンには見えるこの曲、元々はブロードウェイ・ミュージカル、後に映画にもなった「南太平洋」の有名な挿入曲だった。
過去にも色んなカヴァー曲が存在しているが、それをなぜパンク界のやんちゃ男がカヴァー?というインパクトでミスマッチ感はすごいけどね。
メチャメチャでもなくパンク風でもなく、ちゃんとしたゴージャス(?)なアレンジになっているのはさすが。マリ・ウィルソンなどを手掛けたNew Musikのトニー・マンスフィールドの手腕も光る名作ですな。

キャプテンがオウムに歌いかけるばっかりのプロモーション・ビデオもあったけど今回はTV出演の模様を選んでみた。横でギター持ってコーラスしてるのが往年のギター・ポップ・ファンならば唸るガールズ・トリオ、ドリー・ミクスチャーの勇姿だ。キャプテン・センシブルが見初めて(?)コーラス隊に抜擢、その中の一人が後に嫁さんだか恋人だかになったという話だね。ドリー・ミクスチャー単体としては80年代にちょっとだけレコード出してはいたものの、 こういうヒット番組の出演は不可能なくらいのマイナーな存在。キャプテン・センシブルと一緒に活動したからこその晴れ姿だと考えると複雑な気持ちだろうね。家族や親戚、友達はちゃんと録画してくれたかな?

まあとにかく曲調といい楽しげな様子といい、ハッピー度満点の出来。

続いてのハッピー隊もパンクから選んでみた。
これまた有名なバズコックスの「Everybody’s Happy Nowadays」だ。
セックス・ピストルズがマンチェスターで初めてライブを行った時に観客はわずか数十人だったという話だが、そこに集まった人間が後のマンチェスターの音楽シーンを引っ張ってゆき、パンクからニュー・ウェイブの時期にマンチェスターは音楽の産地に発展してゆく。
ジョイ・ディヴィジョンで有名なファクトリー・レーベルを設立したトニー・ウィルソンなどもその数十人の一人だったとの事だが、バズコックスのメンバーもセックス・ピストルズやパンクの衝撃によってバンド結成したというような話を聞いた事がある。まあ自分で観てきたわけじゃないから全ては人の話、誰と誰がその場にいたかなんてはっきりわかったもんじゃないが。
そういうわけでマンチェスターのパンク・ロックの中で最も著名だったのがバズコックス。
田舎町ではないと思うがまだパンクが生まれてなかったマンチェスターにパンク啓蒙運動を起こした功績は大きい。
最初はジョニー・ロットンの歌い方をいやらしく粘着質にしたようなトカゲ目のハワード・ディヴォートがヴォーカリストで、パンク界では有名過ぎる4曲入りシングル「Spiral Scratch」を発表。
ピストルズやクラッシュなどバズコックス以前のパンク・バンドはみんなメジャー・レーベルと契約してレコードを出してるが、バズコックスは自身のニュー・ホルモンズという英国初のインディーズ・レーベルからシングルを出した事でも有名。これこそインディーズの元祖だね。
個人的にはこの時代のバズコックスが最良でROCKHURRAHも苦労してオリジナル盤の「Spiral Scratch」を所有していた大ファンだったが、ハワード・ディヴォートは早々にこのバンドを脱退して次のマガジンを結成。これまたパンクからニュー・ウェイブに移り変わる時代の最も重要なバンドだと思ってるけど、その重要なヴォーカリストが抜けた後にはギタリストだったピート・シェリーがヴォーカル兼任でバズコックスは続いてゆく。

世間的にはむしろここからが快進撃で1979年くらいまでに立て続けにシングルをリリース。
もちろんアルバムもリリースしてるんだがバズコックスの場合は「パンク・ロック=シングルの時代」という認識を裏付けるようにシングル曲がとにかくどれも有名だね。パンク/ニュー・ウェイブ中心で聴いてきた人の多くがバズコックスの曲を聴いて即座にわかるくらいに知名度抜群。
ハワード・ディヴォートのいた頃こそが本当のパンクだったとは思いつつも、その後のバズコックスはポップで親しみのある楽曲をパンク的疾走感で包み込む、そのバランス感覚とセンスで突出していたバンドとして確固たる地位を築いた。彼らに影響を受けたバンドも実に数多く存在しているだろう。

で、この「Everybody’s Happy Nowadays」は彼らのキャリアではもう中盤以降の79年に発表されたシングル。10枚目くらいか?
個人的な思い出を語るならばこのシングルはROCKHURRAHが北九州から東京に出てきた一番最初に買ったレコードだった。まだ住むところもなく友人の家に居候してた頃(この記事参照)、当時は恵比寿にあったパテ書房という古本屋&レコード屋を探して歩いて、そこで購入したもの。何もそこに行かなくても当時は輸入盤屋とかでも入手出来たはずだけど、行った記念みたいなものでね。
帰って友人U尾と彼女のY里ちゃんと三人で聴いたのを思い出す。バズコックスをたぶん知らないはずのY里ちゃんがサビを真似して歌ったのに驚いたもんだ。要するに初めて聴いても一緒に歌えるキャッチーなメロディという実証ね。

ハワード・ディヴォートの歌い方を踏襲したピート・シェリーだったがヴォーカリストとしての力量はとても覚束なく、いつ破綻するかのスレスレの線で歌っていて聴衆の方がヒヤヒヤしてしまうくらいの素っ頓狂な歌。
レコードはまあその中の一番いいテイクを使ったんだろうが、これがライブともなるとスリリングさ満点のものになる。
今回のライブ映像もあまりのヘタレ声、ちょっと頭おかしいんじゃないの?と思えるくらいの歌いっぷり思わずに笑ってしまうような出来で、初めて見た人はビックリするんじゃなかろうか?もはやヤケクソとしか思えないヴォーカルがすごい。
これはまた別の意味で「もしかして街中で見かけるハッピーな人なんじゃないか?」という恐るべき映像だな。

前も「俺たち○○シリーズ」なのに女性ヴォーカルの曲を選んでしまった事があったけど、男のバンドばっかりだと制約になってしまうから、もはや「俺たち」にこだわる必要はないとの結論に達したよ。いいかげんだな。

というわけで80年代前半のハッピー隊としてはこれを出さないわけにはいかない、オルタード・イメージズ1981年のヒット曲「Happy Birthday」だ。ニュー・ウェイブ界の本格的アイドルとして好き嫌いは抜きにして知名度は高いバンドだろう。

この当時のイギリスの主流だったニュー・ウェイブの世界で女性ヴォーカルは色々存在していたけど、どちらかというと男勝り、または奇抜すぎなのが多かったなという印象。
ROCKHURRAHの記憶を呼び覚ましてみてもリディア・ランチ(イギリスではないが)とかビッグ・イン・ジャパンのジェーン・ケーシーとかが自分の中のアイドル的存在ではあったけど、一般で言うところのアイドルとはかけ離れてるし、そもそもこの時代に彼女たちの動いてる姿さえ観ていない。わずかの写真やインタビュー記事、そしてレコードだけで勝手にファンになってしまっただけだ。

オルタード・イメージズの紅一点、クレアちゃん(SNAKEPIPEがいつもクレアちゃんと言うのでROCKHURRAHもなぜかちゃん付け)はそういう風潮の中、アイドル的だけどちゃんとニュー・ウェイブという括りで語れるところが新鮮だったのかもね。
スコットランドのグラスゴーで結成された5人組でクレアちゃん以外のメンバーはあまり存在感なく、メンバーが変わっても気付かないだろうな。女性ヴォーカルのバックバンドというのは大体がそういう傾向にあるのかな?とも思ったが単にROCKHURRAHが人の顔を覚えられないだけかも。
元々はスージー&ザ・バンシーズの追っかけから始まって、本当にツアーの前座に抜擢されたというラッキー過ぎる経歴を持つバンドだが、そのバンシーズのベーシスト、スティーヴ・セヴェリンがプロデュースしたアルバムも売れたはず。なぜかヒットした「Happy Birthday」だけはバズコックスとかをプロデュースしていたマーティン・ラシェントのプロデュースというところが気になるな。
デビュー曲とかは割と暗くてスージー&ザ・バンシーズの影響を感じるけど、この曲は元気ハツラツでバンシーズっぽさはないもんなあ。バンドのやりたかった方向性とレコード会社の売りたかった路線の違いに「修正感」を感じるのは気のせいかな? 
確かに1981年当時の女性シンガーの中ではクレアちゃんはキュートな部類に入るけど、やっぱりアイドルっぽく売りたかったんだろうなと勝手に想像するよ。 

代表曲は何度も書いたから誰でもわかる通り上の「Happy Birthday」。
全英2位に輝いて一躍オルタード・イメージズの名を全国に広めたが、当時よくあった一発屋ではないんだよね。
このバンドはさらなるハッピー隊向けの楽曲を作ってクレア、じゃなかったくれた。

「I Could Be Happy」は「Happy Birthday」に続く曲なんだが既に飽きられたのか、前曲ほどにはヒットしなかった。この辺からゆるやかな下降が始まっていて83年にはもう解散してしまった。結構短命なバンドだったな。
ウェディングドレスみたいな衣装で大きなリボンをつけた姿は良かったが、この踊りや振り付けのせいで垂れ下がって、日本で言うところの幽霊みたいになってしまったのが惜しまれる。いい娘だったのにね。

さて、お次のハッピー隊はこれ、ボルショイが1985年にリリースした「Happy Boy」だ。
ボルショイと聞くと即座にサーカスと連想してしまうが、ボルショイもボリショイも綴りは同じなんだね。
このバンドもボリショイと呼んだ方が耳馴染みはいいと思うんだがなぜかボルショイ。どうでもいい数行だったな。

今どきは隣町にサーカス団がやってくる、なんてシチュエーションは滅多にないと思えるが、ROCKHURRAHが子供の頃はまだまだサーカスの巡業も盛んだったな。懐かしき昭和の風物詩だよ。
少年時代に好きだった漫画「夕焼け番長」にもサーカスの少年とのエピソードがあったのを今でも覚えてる。
空中ブランコの姉弟が巡業先で一時的に転校生となって学校にやってくる。プロだから鉄棒の大車輪以上の大技も軽くこなせるけど弟は暴力的でイヤなヤツ。
その前のエピソードで主人公、赤城忠治が死力を尽くして倒した少年院帰りのワルのパンチを軽く受け止め、握力で逆に拳を締め付けるところには「なるほど」と感心したものだ。空中ブランコで姉の体重を受け止めるからものすごい握力になってるわけ。こんな強敵と戦う羽目になってしまうというストーリーだが、70年代の梶原一騎原作の典型的パターンだったな。
ボリショイから連想して全然違う話になってしまったよ。

そのバンド名の割には特にロシアとは関係ないイギリスのバンドがこのボルショイだ。ロシア語で大きいという意味らしいよ。そのバンドが日本で初めてお目見えしたのがミニ・アルバムの「Giant」、英語で巨人、巨大なものを表すのはみなさんご存知だが、よほどの大物好きだったのかね?
カラフルだけどあまり見かけないような独特の色調のジャケットも気にっていた。フレッシュ・フォー・ルルのアルバムもそういう雰囲気で好きだったから、ROCKHURRAHはもしかしたら色調に反応するタイプなのかも。

彼らがデビューした時期はもうネオ・サイケもポジティブ・パンクも下火になった頃だったが、後期バウハウスの雰囲気を残したような曲調でこの手のが好きな人間にとってはなかなか理想的なバンドだった。この「Giant」の中の「Boxes」とかは愛聴したもんだ。ところが一年後の「Away」でU2とかのメジャー受けしそうな路線になってしまい個人的には「どうでもいいバンド」に成り下がってしまった。あくまで個人の感想なので人によってはこっちの方が断然いいと思えるかも知れないけどね。

Happy Boy」はそのミニ・アルバム「Giant」にも収録されているしシングルにもなった曲。この頃はまだメジャー受けしそうな曲調ではないし、途中が実写に着色したアニメ調になってるビデオもなかなか雰囲気あるね。
ただしこのヴォーカルがすごく信用出来ない顔立ちで絶対に金を貸したくないタイプ。割と美形で人気もあったとは思うけど、女性ファンは騙されないように気をつけた方がいいよ。などと今この時代に言ってももう遅いか。

本当はもうちょっとハッピー隊があったんだけど、今日はあまり時間がなくなってしまったのでここでおさらばするよ。相変わらず時間の使い方がヘタなので、これを改善するのが今年の抱負かな。

ではまたドヴィヂェーニャ(クロアチア語で「さようなら」)。 

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