映画の殿 第29号 パラダイス3部作

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【左からパラダイス「愛」「神」「希望」の主演女優の3ショット】

SNAKEPIPE WROTE:

2週前に「マイク・ケリー展 デイ・イズ・ダーン 鑑賞」について書いた後、思い出した映画がある。
それはウルリヒ・ザイドル監督の「パラダイス3部作」だった。
先日鑑賞したマイク・ケリーの展覧会は、トラウマをテーマにしたビデオ作品だったことはブログ内で記載済だね。
「パラダイス3部作」は心の問題をテーマにしているので、雰囲気が近いと言えるのかもしれない。
それが「パラダイス」を連想した原因かな?
「パラダイス3部作」を鑑賞したのは随分前のことだ。
かなりインパクトが強かったので、今回まとめてみようと思う。
本当は鑑賞した時すぐに書いておくべきだったんだろうね。(笑)

「パラダイス」を観るきっかけはレンタルDVDに入っていた予告映像だった。
「ジョン・ウォーターズが絶賛」のような文言に惹かれたように記憶している。
ただしジョン・ウォーターズが選ぶ今年のベストとされる映画は、その基準がよく理解できないことが多いんだよね。
それでも観てみたいと思ったのは、ヨーロッパの映画に興味があったから。
例えば「映画の殿 第21号 さよなら、人類」で特集したのはスウェーデンの監督ロイ・アンダーソンだったし、「リザとキツネと恋する死者たち」はハンガリーのウッイ・メーサーローシュ・カーロイが監督していたね。
「籠の中の乙女」や「ロブスター」はギリシャのヨルゴス・ランティモス。
ブログに何度も登場しているようにスペイン映画も大のお気に入りだし。
ROCKHURRAH RECORDSの好みに合った映画はヨーロッパに多いんだよね。
そこで「パラダイス」にも期待したってわけ。(笑)
3部作なので、まずは1作目を鑑賞して、それから次を観るかどうか決めようと思ったのである。

まずは監督のウルリヒ・ザイドルについて簡単に書いておこうね。
1952年オーストリアのウィーン生まれ。現在65歳。
ウィーン大学でジャーナリズムとドラマを学び、ウィーン・フィルム・アカデミーで映画製作を学ぶ。
卒業から2年後最初の作品「The Ball」を制作。
初期は主にドキュメンタリー映画を制作。
2007年「インポート/エクスポート」がカンヌ国際映画祭のパルム・ドールにノミネートされる。
2012年には「パラダイス」がカンヌ、ヴェネチア、ベルリンの世界三大国際映画祭で上映される。

オーストリアの監督のためなのか、あまり詳しい情報が載っていないんだよね。
ドキュメンタリー映画は新聞配達員、2流のモデル、地下室でフェティシズム行為をする人、アフリカの動物のツノや毛皮を集めるハンターである老夫婦などを追った作品だという。
SNAKEPIPEはほとんどドキュメンタリー映画って観たことないんだけど、ウルリヒ・ザイドル監督の作品はちょっと気になるね。(笑)

まずは「パラダイス」のトレイラーを載せてみよう。

トレイラーは3つまとめてあるけれど、「愛」「神」「 希望」という3つの映画なんだよね。 
※ネタバレしていますので、未見の方はご注意ください。
まずは3部作の1つ目「パラダイス:愛」から書いていこうか。 
あらすじはこんな感じね。 

テレサはヴァカンスで楽園のようなケニアのビーチリゾートにやってくる。
そこでは現地の黒人青年が、白人女性観光客に「愛」を売っていた。
テレサもまた、甘い言葉を囁くビーチボーイたちとの「愛」にのめり込んでゆく……。

「パラダイス:愛」の主人公はテレサという50歳のシングルマザー。
映画の冒頭で姉であるアンナ・マリアの家を娘のメラニーと共に訪れるシーンがある。
その時の様子がブログの最初の画像で、3ショット写真を撮影している場面ね。
娘を姉宅に残し、テレサはバケーションへと旅立つ。
自閉症施設で働くテレサにとっては、日常を忘れて開放感を味わうことができる素敵な旅に違いない。

テレサと同じようにバケーションを楽しむ同世代の女性達と意気投合。
彼女達はあっけらかんとケニアの若者とのアヴァンチュールを楽しんでいる。
それは完全にお金を介した関係だけれど、「今が良ければそれで良い」と割り切っているから成立している。
昔言われた言葉だと「リゾラバ」になるのかな?(古い!)
「あなたも楽しみなさいよ」
なんて言われちゃったものだから、テレサもナンパされて付いて行っちゃうんだよね。 
恋愛ごっこなんて何年ぶり? 
私もまだまだイケるかも?なんて少し乙女心が芽生えてきちゃって。
テレサは最初のうちは戸惑い、男性とホテルに入っても羞恥心から関係を拒んでいる。

テレサの水着姿を後ろから写したところ。
色んな好みの方がいらっしゃるので一概には言えないけれど、この画像を観て「声をかけたい」と思う男性は少ないのでは?
ところがケニアではモテモテになってしまう白人女性達。
それはもちろん商売相手として「モテ」てるわけだけど、テレサはだんだん勘違いしちゃうんだよね。
「私やっぱりイケるんだわ、捨てたもんじゃないわよ」
と次からは積極的にリゾラバと関係を持とうとする。

お金でつながった関係に本物の愛を求めてしまうテレサ。
傍からは、見え見えだと分かるくらい下手な嘘にも完全に騙されてしまう。
そしてストーカーばりに相手を追いかける。
財布が底を付けば終わる関係なのに、気づかないんだよね。
仲間の白人女性みたいに「じゃ次いきましょ」くらいドライになれたら良かったのに。
失意のテレサが、単なる失恋した女性にはなっていなかったところも悲劇。
テレサは珍しくモテたためなのか、心の奥底に人種差別的な気持ちがあったのかは不明だけど、ケニアでは白人優位がまかり通ると思ってしまうんだよね。

あまり楽しみのない日常から離れた途端、自分をハリウッドの大スターのように大歓迎してくれる男性に囲まれる。
その差が激しければ激しい程、テレサのような勘違いも起きやすくなりそうだよね。
この映画を観て、「私はテレサみたいにはならない」と言い切れる女性は少ないかもしれない。
特にある程度年齢を重ねた女性は、テレサに共感するんじゃないかな。
ドキュメンタリー映画を得意としているウルリヒ・ザイドル監督だけあって、「パラダイス:愛」はまるでドキュメンタリーを観ているようだった。

「パラダイス3部作」の1作目に興味を持ったので、早速2作目も鑑賞することにした。

「パラダイス3部作」2作目の副題は「神」! 
こちらも簡単にあらすじから書いてみよう。 

敬虔で頑固なクリスチャンのアンナ・マリアの「パラダイス」はイエスと共にある生活そのもの。
毎日の讃美歌、過酷な奉仕、布教活動、それだけで休暇を過ごすには充分だ。
だが、車椅子でイスラム教徒の夫が2年ぶりに家に戻ったことで、彼女の「パラダイス」は夫婦の争いの場と化してしまう。

「神」の主人公は「愛」で主役だったテレサの姉、アンナ・マリアである。
長期休暇を海外で過ごす妹テレサとは違い、アンナ・マリアの休日は布教活動に充てられる。
マリア像を抱え電車に乗り、見知らぬ駅で降りる。
まるで訪問販売員のように、目についた家々のドアを叩く。
無償の布教活動は、同意してくれる人ばかりではない。
映画の中ではアンナ・マリアを罵倒するようなシーンが多く見られた。
その多くは移民だったようなので言葉の問題もあるし、元々信じている宗教が違うということもあるかもしれないね。
アンナ・マリアにしてみると、自分が心底信じているカトリック教が理解されないことが不思議でならないんだろうけど。

アンナ・マリアの信仰は異常に見えるほど。
祈りを捧げる、賛美歌を歌うだけなら想像するクリスチャンの姿だけどね。
アンナ・マリアは自ら体に鞭を打つ。
背中が真っ赤になるほどの回数をビシバシとね!
祈りを捧げながら膝のまま室内を歩き回るのもあったね。
狂信的という言葉以上にアンナ・マリアにとってキリストはアイドル的存在でもある。

SNAKEPIPEは宗教について詳しくないけれど、「神」の中に出てきたキリスト像を使用した自慰シーンは、かなり問題なんじゃないかな?
アンナ・マリアはキリストを思う余り「なんてハンサムなの」「胸がときめくわ」なんて言い始めるほどにキリスト・ラブなんだよね。
そして問題のシーンに続いていく。
信仰心が厚いどころか、その気持ちを性欲にまで発展させるとは本来の意味とは別物になっているように思うよ。

そして「神」の衝撃はこのシーンだけにとどまらず、実はアンナ・マリアには夫がいた、というところなんだよね。
それまで独身の一人暮らしだと思っていたのに。
なんとその夫はイスラム教徒!
キリスト教の狂信者とイスラム教徒という取り合わせだけでもブラック・ジョークなのに、アンナ・マリアは売りにしていた慈悲深さのかけらも夫に示さない。
何故、突然帰ってきたのかは映画で話していたと思うけど覚えてないよ。(笑)

そして夫の帰還から、生活のリズムが狂ったアンナ・マリアのバケの皮が剥がれていくシーンは圧巻だったね。
恋い焦がれるほどに慕っていたキリストを罵倒するんだよね。
こんなに私はあなたのために頑張ってるのに、あなたは私に何もしてくれないじゃないの!と叫ぶのだ。
見返りを求める信仰は本物じゃないよね?
「神」は恐らくキリスト教徒が多い国では、かなりの問題作だったんじゃないかな。
クリスチャンではないSNAKEPIPEにとっても衝撃が強かったからね!

ここまで観たら当然3部作のラストの作品も鑑賞するよね!
「パラダイス:希望」のあらすじはこちら。 

夏休みに青少年向けのダイエット合宿に参加した13歳の少女メラニー。
軍隊のような合宿は運動と栄養学のカウンセリングの繰り返し。
そのなかでメラニーは、仲間と枕投げをし、初めて煙草を吸い、そして父親ほど年の離れたキャンプの医師に初めての恋をする……。

3部作ラストの主人公は、「愛」の主人公テレサの娘メラニー。
確かテレサは50歳だったはずなので、37歳の時の子供???
テレサの結婚や旦那さんについては何も語られてないんだよね。 
テレサの水着姿から容易に想像できるけど、メラニーもかなりのおデブちゃん!
ダイエット目的で合宿に参加するんだけど、周りも負けず劣らずの立派な体型揃いだよね。
10代でこれでは、先が思いやられるなあ。
ちなみにここに出てる子供達、メラニーも含めて全員素人だって。
ここでもまたウルリヒ・ザイドル監督がドキュメンタリー出身という特性が生かされてるよね。

ダイエットという目的で集まった同世代とは、最初から意気投合したようで、相部屋も楽しく過ごしている。
おデブちゃん達でも、やっぱり10代の関心は恋愛なんだよね。
少しでも大人のフリをしたくてタバコを吸ったり、初体験の話を聞いたり。
どの国でも女の子って基本的には変わらないみたいだね。
それにしても目的のダイエットについては「おざなり」になっているようなので、親が無理矢理参加させた合宿なのかもしれないね?
合宿内で出る食事では足りないのか、夜中に食堂で食べ物をあさったり、化粧して合宿を抜け出してパブに出入りしたり。
全く合宿に来た意味がないことばかりしている姿は、「肥満の人は出世できない」とするアメリカ的な発想の裏付けになりそうだよね。
自己管理ができない証明になってるわけだからね。

そんなメラニーだけれど、合宿中に医者である中年男性に恋をしてしまうのだ。 
父親と娘くらいの年の差があるんだけど、これはもしかしたら父親不在の家庭に育ったことが原因なのかな?
恐らくメラニーの初恋だろうね。
どうしたら良いのか分からないけれど、少しでも近くにいたい思いから、診察室に通う。
そのうち男の後を追うようになっていく。
中年男性も実際には満更でもなかったようなので、もう少しで一線を超えてしまいそうになるんだよね。

おっと危ない!
もう少しで淫行条例に違反するところだった中年男性。 
すんでのところで理性が働いたようで良かったよ。(笑)
10代の少女に一途な目で見つめられて、言葉にしなくても「好きですビーム」を毎日浴びせられてたら、中年男性も少年時代にタイムスリップして恋愛に発展するのかもしれないね。
「愛」では「ある程度年齢を重ねた女性は共感するかも」と書いたけれど、「希望」でも同様に男性の共感を呼ぶかもしれないよね。
その中でもいわゆるデブ専の人なら、激しく同意するだろうね。(笑)
メラニーの初恋は成就しなかったけれど、この結末が最も現実的だよね。
もう少し年齢が上になって、犯罪とは無縁になってから年上に再チャレンジしましょう!
どうして副題が「希望」なのかは、この点なのかな。
若いメラニーにはまだチャンスがあるよって意味のね!
あら、そうすると50歳以上のテレサとアンナ・マリアには救いは訪れないとも言える。
人生長くなっているので、それは少し悲しいかな? 

「パラダイス3部作」は現実社会では手にできない理想的な愛に満ちた「パラダイス」を求め、セックス観光、過激な信仰、ロリコンと、危険な一線を越えてしまう3人の女たちを描いた3つの物語

なんて書いてある解説があったよ。 
確かに3人共それぞれの愛を求めていたけれど、それらは全て幻想に終わってしまったんだよね。
ハッピーエンドの映画ではなかったところにリアリティを感じるし、ヨーロッパ映画らしいなと思う。

SNAKEPIPEは仏教においての「煩悩」だったり、キリスト教においての「7つの大罪」をイメージした。
煩悩の根本にある三毒、貪(とん・必要以上に求める心)・瞋(じん・怒りの心)・癡(ち・真理に対する無知の心)は「パラダイス3部作」に当てはまりそうだよね。
三毒は人間の諸悪、苦しみの根源とされている概念だという。
「7つの大罪」は人間を罪に導く可能性があると見做されてきた欲望や感情のことを指すもので、暴食、色欲、強欲、憤怒、怠惰、傲慢、嫉妬のこと。
これもいくつも当てはまりそうじゃない?
こうして考えると、ウルリヒ・ザイドル監督は「してはいけない」とされてきた人間の愚かな行為をドラマ仕立てにして見せてくれているのかもしれないよね。

ウルリヒ・ザイドル監督の作品「インポート/エクスポート」は未見なので、鑑賞してみたいと思う。
ドキュメンタリー映画もチャンスがあったら是非観てみたいね。

SNAKEPIPE MUSEUM #46 Carlos Quintana

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【タイトルは「La verdad y ventira」。真実とVentira。Ventiraって何だろう?】

SNAKEPIPE WROTE:

当ブログでは珍しく、2週連続で鑑賞した展覧会について記事を書いていたね。
今週もまたアートに関して特集してみようか。
SNAKEPIPEが仮想美術館を想定して、自らがキュレーターとなり館内に展示するアート作品を集める趣旨の「SNAKEPIPE MUSEUM」。
SNAKEPIPEの好みで集めている作品群ばかりなので、コンセプトはなし。(笑)
「欲しい!飾りたい」
というシンプルな理由によって紹介していくコーナーである。

今回は(も?)たまたまネット検索していたら偶然目に止まったアーティストなんだよね。
トップ画像にした不思議な絵を描いているのはCarlos Alberto Quintana Ledesma。
カルロス・アルベルト・クインタナ・リーデスマで良いのかな?
近棚や金棚じゃなくて(笑)キンタナと書いてあることが多いみたいだけど、このブログの中ではカルロス・クインタナに統一しよう。
Quincy Jonesだってクインシー・ジョーンズだしね。(笑)

カルロス・クインタナについて調べてみよう。
1966年11月29日、ハバナのヴェダド地区に生まれる。
カルロスの祖父母は文盲で、母親は3年生まで、父親は5年生まで学校に通ったと書いてある。
ということは全く教育熱心なご家庭じゃなかったということだろうね。
学校に行かなかったけれど、カルロスの父は書店関係にお勤めだったみたいね。
クインタナ一族にはアーティストがいなかったという情報もある。
カルロスが16歳のとき、有名なサンアレハンドロ美術アカデミーに入学するも、わずか4ヶ月で退学したという。
勉強嫌いに加え、家族からの理解は望めなかったのかもしれないね。

1987年からはグループ展や個展で作品を発表しているようで。
ポルトガル、ニューヨーク、スペインなどで作品が購入されているみたい。
絵を販売しているサイトも発見したので、アーティストとして生計を立ててるってことだよね。

何故カルロス・クインタナがSNAKEPIPEの目に止まったのか。
気になった作品について感想と共に紹介してみよう。

最初に見つけたのがこの作品。 
人間の頭が地面にゴロゴロしている!
ヒモ状の線が描かれているのか、本当にヒモなのかは画像では判別できないけれど、首が繋がっているように見えるんだよね。
頭からは血が流れているような物もある。
カルト集団の儀式のようにも見えてくるよ。
もしくは心理学者ユングが提唱した集合的無意識の具現化とか。
あるいは輪廻転生した魂を表現しているのか。
この画像で一気に興味を持ってしまったんだよね。

絵画にも首がたくさん描かれていた。
植物と共に描かれているため、これは地中の様子かもしれないと思う。
骸骨もあるから余計にね。
カルロス・クインタナの作品からは、明るくて楽しくてHAPPYな雰囲気は感じられない。
梶井基次郎の「桜の樹の下には」のように人間を養分にしているからこそ、花が美しく咲き誇っているかのように思ってしまう。
タイトルなどの詳細が不明なので、勝手にストーリーを作っちゃうよね。(笑)

地中の次は水中だよ!
溺死して漂っているように見えてしまう。
とても楽しい水遊びじゃないよね?
完全に姿が確認できるのは2人だけど、青い人の周りにも何かあるのが非常に気になるよ。
魚なのか、それとも人の残骸なのか。
SNAKEPIPEがキューバのアートと聞いて連想するのは、明確なメッセージを持った作品なんだよね。
カルロス・クインタナの作品は心象風景のようなので、社会主義国のイメージとはかけ離れているよ。

カルロス・クインタナの作品には、何故かアジア人のような人物が多く登場するんだよね。 
右の画像で、赤い服を着て正座している人物はお坊さんに見える。
左奥にいる黒い着物の人物は仏像のようだし。
中央の首に注がれているのは、心臓からの血液か? 
皿の上に乗った頭蓋骨も謎だよね。
キューバに仏教徒は皆無ではないだろうけど、アジア圏からの移民でもない限り珍しいんじゃないかな。
どうしてアジア人を描くんだろうね。

これもまたお坊さんみたいに見える不思議な作品。
これは一体どんなシチュエーションなんだろうね?(笑)
なんでヨガみたいなポーズで積み重なるのか。
右にいる西洋人や皿に乗った首が至るところに登場しているのは?。
なんだか西洋人がアジア人をキロ単位で買ってるように見えてしまうよ。
あと2kg足りなかったら、首を1個増やすような感じね。
カルロス・クインタナは絵画の中にアジア人が登場することについて質問されると
「多分、星の影響じゃないかな」
と答えたという。
ちっとも回答になっていないんだけど、そんな答え方をするところからしても夢想家なのかもしれないね。

2015年にROCKHURRAHが書いた「映画の殿 第14号 映画の中のニュー・ウェイブ01」に出てきたキューバ映画「ゾンビ革命 フアン・オブ・ザ・デッド」や、テレビの旅番組などを見ると、キューバは想像している社会主義国とは違うことが分かる。
50年代のアメ車が走り、道端ではラテン音楽の演奏が聞こえてくる。
歩く人達はドギツい原色の服を着て、明るい笑顔を見せている。
全員が暗い色合いの同じ服を着て、貧しさに耐えながら生きているのが社会主義国だと思っていたSNAKEPIPEが古いのか。(笑)
キューバは自由な国に見えたんだよね。
だからこそカルロス・クインタナのようなアーティストも生まれるのかもしれないね。
右の作品は病院を描いているのかな。
足から想像すると産婦人科なのかもしれない。
いろんな霊がうようよしているように見える不思議な絵だよね。

キューバでは無信教者が55%いるというWikipediaの記述に驚いてしまった。
これは外国の中では多いほうじゃないかと思うけど、どうだろう?
宗教により死生観が変わってくると思うので、無神教者は自分の好みで死後の世界を想像することができるのかもしれない。
カルロス・クインタナの作品からは、死後の世界、もしくは見たことがない世界への強い憧れを感じる。
それはやはり仏教的な死生観なんだよね。
アレハンドロ・ホドロフスキーも、南米チリ出身だけれど東洋思想や禅に影響を受けていたっけ。
そう考えるとカリブ海の島国であるキューバにも、アジアの思想に興味を持つアーティストがいても決して不思議ではないかもしれない。

自らの唾や牛乳で絵の具を薄め、素手で絵を描くこともあるというカルロス・クインタナ。
絵を描くという行為は瞑想に近い儀式なのかもしれない。
カルロス・クインタナの絵で思い出したのが、2012年に鑑賞した「ジェームス・アンソール」。
骸骨や仮面をモチーフにしていて、少し残酷な絵を描いていたんだよね。
人の顔がみっちりと大量に描かれていて雰囲気が近いように感じる。
メキシコの画家フリーダ・カーロの絵も連想したSNAKEPIPEだよ。

キューバのアートやアーティストに触れる機会がなかったので、今回知ることができて良かったと思う。
カリブ海に浮かぶ他の島のアートも調べてみようかな! 

マイク・ケリー展 デイ・イズ・ダーン 鑑賞

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【マイク・ケリー展のフライヤー】

SNAKEPIPE WROTE:

意外に感じる方が多いと思うけど、ROCKHURRAH RECORDSでは毎年花見を実行してるんだよね。
今年はどこの桜を観に行こうか、とROCKHURRAHが言う。
なるべく人が少ない場所を選び、桜を眺めながらお弁当が食べたいと思っているSNAKEPIPE。
ところが今回は全く別の提案をしたのである。
「代々木公園はどうかな?」
これには理由があった。
ROCKHURRAHが調べてくれた、面白そうな展覧会が原宿近辺で開催されていたからなのである。
3月31日が展覧会の最終日なので、花見と展覧会を同時に楽しんでみてはどうだろう。
前述したように、なるべく人が少ない花見を心がけているROCKHURRAH RECORDSにとっては、都内での花見のメッカともいえる代々木公園は初めてのこと。
混雑は覚悟の上、出かけることにしたのである。

2日前の夏日から通常の気温に戻った3月の終わりは、これが最後の花見とチャンスと考える人が多かっただろうね。
元々原宿駅は人で溢れかえっているけれど、この日は花見見物らしき人を多く見かける。
代々木公園までの道も歩く人で渋滞している。
予想以上の人出に少しうんざりしたけれど、代々木公園って広いんだよね。
桜のメインストリート(?)を過ぎると、少しずつ人が減り、ストレスなく桜を鑑賞できる場所を確保することができた。
ここ数年の花見の中ではベストポジションだったんじゃないかな?
代々木公園と聞いて難色を示していたROCKHURRAHも満足したようだ。
今年もキレイな桜を満喫したよ!(笑)

花見を終えてから、会場まで歩くことにする。
今回はワタリウム美術館で開催されている「マイク・ケリー展」が目的なんだよね!
ワタリウムって聞いてピンと来ない人でも「オン・サンデーズ」なら分かるんじゃないかな。
実際ROCKHURRAHも「オン・サンデーズ」時代には通っていたらしい。
一体今から何年(何十年?)前のことだろうね?(笑)
代々木公園から歩くと結構距離あるよ。
良いウォーキングになったね。

さて、今回の「マイク・ケリー展」だけど、実はSNAKEPIPEもROCKHURRAHもその人、初めて知るアーティストなんだよね。
ワタリウム美術館が載せているマイク・ケリーの年表を一部流用させて頂き、どんな人物なのか紹介してみよう。

1954年 デトロイト生まれ。
デトロイト郊外のミシガン州ウェイン郡で、労働者階級の家庭に生まれる。
1970年代 地元のデトロイト音楽に熱中し、バンド「デストロイ・オール・モンスターズ」のメンバーとしても活動。
1976年 ミシガン大学を卒業し、ロサンゼルスへ移住。
1978年 カリフォルニア芸術大学で美術学修士号を取得。
在学中からさまざまなメディアを用いた詩的な作品を制作。
1980年代からは、使い古しのぬいぐるみやおもちゃを用いた作品を発表。
1987年 代表作「返済できない程の愛の時間と罪の重荷(More Love Hours Than Can Never Be Repaid and The Wages of Sin)」の制作が完成。
1988年 第43回ベニス・ビエンナーレに出展。
1992年 交流のあったロックバンド、ソニック・ユースのアルバム「ダーティ」のジャケットを手掛け、一躍世界に。
2005年 ロンドンのガゴシアン・ギャラリーで「デイ・イズ・ダーン」を発表。
2012年 ロサンゼルス近郊の自宅で死亡。享年57才。

この年表の中でROCKHURRAHが一番反応したのは「デストロイ・オール・モンスターズ」の部分。
このバンドのアルバムを所持していたらしいけど、マイク・ケリーがメンバーだったことは知らなかったそうで。
右の画像が「デストロイ・オール・モンスターズ」で、マイク・ケリーは一番左に映っているね。
もう一点、 「ソニック・ユース」のアルバム・ジャケットについても語ってくれたよ。
さすがにレコード屋だね。(笑)
ソニック・ユースと聞いてSNAKEPIPEの遠い記憶が蘇ってきた。
新宿ロフトのライブに行ったことあるんだよね。
村上隆のスーパーフラット・コレクション鑑賞」にも書いていたことすら忘れていたとは。(笑)

それでは会場の様子と感想をまとめていこうか。
ワタリウム美術館で展覧会を観るのは初めてなので、システムもよく分かってなかったよ。
ポストカードやグッズの物販がある1Fのチケット売り場に向かう。
大人2人ならペアチケットとして割引してくれるとは、ありがたい。(笑)
エレベーターで2Fに上がると、すでに目の前が人の山だった。
あやうく「つんのめり」そうになったSNAKEPIPEだよ。
そこで展開されていたのは映像作品だったんだよね。

さっぱり意味は解らないんだけど、この3人娘のインパクトはすごかった。(笑)
モノマネしてトレイン・ダンス踊りたくなるくらいにね!
2Fには他にも映像作品がそこかしこに流れていて、全部観るには相当時間がかかりそう。
少しずつ観て回ると、プッと吹き出してしまうような内容に遭遇することもある。
映像はどれも複数のシチュエーションが編集されていて、それぞれの設定につながりがあるのかどうかも分からない。
映像は唐突に切り替わるので、それぞれのストーリーを追うことが難しいんだよね。

会場にはその映像のカラー写真と、もう一枚そっくりなモノクローム写真が並べて展示されている。
これは一体どういうことだろう?
「デイ・イズ・ダーン」についての説明もワタリウム美術館から引用させて頂こう。

「デイ・イズ・ダーン」は「課外活動再構成#2−#32」の総称です。
ケリーは、もともと1日1つの映像で1年間に365になるマルチメディア大作として構想し、生涯この作品を作り続けましたが、計画全体が完了することはなく、今回ここに展示した31作品が全てとなりました。

31の映像作品が並んでいたってことなんだね?
ではあのカラー写真とモノクロ写真の意味はなんだろう。
ワタリウム美術館の説明を読むと、どうやら高校の卒業アルバムや地域の新聞からとった放課後の「課外活動」のモノクロ写真の中から、あえて意味がないように思えるものをチョイスして、それを基に物語を作っているのだという。
ダンスの原案や音楽、シナリオテキストなどすべてがマイク・ケリーによるものとのこと。
一枚の写真からインスピレーションを受けて、映像を作っていたということなんだね。
それにしてもまあ、よくもここまでそっくりに再現するよね。(笑)

マイク・ケリーは「トラウマ」をテーマに作品制作したという。
階級やジェンダーなどのマイノリティに対する差別、トラウマや暴力、性などを題材に痛烈な皮肉やユーモアを交え作品として発表しているという説明を聞いて納得する。
SNAKEPIPEが吹き出してしまったのは、「痛烈な皮肉やユーモア」だったからね!

全部を観たわけではないけれど、登場人物がヴァンパイヤやグール、悪魔などのホラー系が多いんだよね。
目の周りを黒くしているようなゴシックっぽい化粧もよく見かけたよ。
元の写真は例えばハロウィーンや何かしらのイベントなどで撮られたものなんだろうね?
これだけ集まると、まるで黒魔術や悪魔崇拝者の集いのように見えてしまうよ。(笑)
アメリカの典型的な儀式をベースにして「偽りの記憶」を捏造した作品が「デイ・イズ・ダーン」ということになるみたい。
SNAKEPIPEはドギツい「お下品」な表現は好きなので、もっと観たいと思ったよ。
って下品好きを告白しなくても良いか。(笑)

会場2Fの天井から吊るされていたシルクスクリーンの作品は、色がとてもキレイだったね。
今回の展覧会は、残念ながら撮影が禁止されていたんだよね。
そのため左の画像は今回とは違う展示方法になっているものを採用させて頂いたよ。
マイク・ケリーがアイルランド系なのでシャムロック(クローバー)が使用されている、と書かれていたよ。
シャムロックとは葉が3枚に分かれている草の総称とのこと。
とすると、四葉のクローバーはシャムロックじゃないんだね?
アイルランドでは聖パトリックの祝日ではシャムロックや緑色の物を身に着ける習慣があると書かれている。
そのシャムロックをモチーフにしているけれど、愛国主義っぽくは見えないところがポイントかな。

ポップアートの表の顔がアンディ・ウォーホールならば裏の顔はマイク・ケリー、とワタリウム美術館に書いてある。
映画「ピンク・フラミンゴ」監督ジョン・ウォーターズがマイク・ケリーの親友だったと聞いて、更に「裏の顔」という表現に納得してしまう。
マイク・ケリーはドローイング、コラージュ、パフォーマンス、テキスタイルやビデオなど多岐に渡る作品を残しているという。

ニューヨーク・タイムズ紙によると、2012年にオランダ・コッターは、この芸術家を「過去四半世紀の最も影響力のあるアメリカ人のアーティストの1人であり、アメリカの階級、人気のある文化、そして若々しい反乱についての刺激的な解説者」と述べている。

Wikipediaに載っていた文章を引用してみたよ。
こんな賛辞が送られているアーティストを今まで知らなかったとは!
今回は映像作品が中心だったけれど、ワタリウム美術館はこじんまりした美術館なので狭苦しく感じた。
キャパシティの問題もあり、作品の全てを落ち着いて鑑賞することができなかったのが残念。

マイク・ケリーの展覧会は複数回予定されているという。
次はどんなマイク・ケリー作品を観ることができるだろうか。
今後の展覧会が楽しみだね!

レアンドロ・エルリッヒ展:見ることのリアル鑑賞

【レアンドロ・エルリッヒ展のトレイラー】

SNAKEPIPE WROTE:

展覧会情報をチェックする際に、必ず確認する美術館がある。
例えば現在リニューアル中の東京都現代美術館や森美術館である。
ん?「必ず確認」と書いておきながら、森美術館で何の展覧会が開催されているのか覚えていない!
調べてみると「レアンドロ・エルリッヒ展」とのこと。
いやあ、失態だなあ。
昨年の11月から開催されていたというのに、全く確認していなかったようだ。
会期は終了間際なので、遅ればせながら春分の日に出かけることにしたのである。

春分の日は32年ぶりの大雪の予報だった。
それならば逆に外出を控える人が増えて、美術館が空くかも!と期待してROCKHURRAHと六本木に向かう。
10時の開館に間に合うように到着すると、森美術館入り口付近に人だかりがある。
同時開催されている「ジャンプ展」目当ての観客だろう、と列に近付いてみると、、、。
「レアンドロ・エルリッヒ展チケットお求めの方はこちらにお並びください」
係員が叫んでいる。
なんと!
行列を作っているのは「エルリッヒ展」で、「ジャンプ展」のチケット購入は待つ必要がない!
「エルリッヒ展」のチケットを買うための行列ができていたんだよね。
これには非常に驚いてしまった。

もしかしたらSNAKEPIPEの「雪で空いてるかも」という考えと、同じような思考パターンの人が多かったのか?
並んで待っている間に周りの会話が聞こえてきて、少しずつ状況が分かってくる。
春分の日が水曜日だったため、月火を連休にして東京観光に来ている人がいた模様。
そのスケジュールの1つが「エルリッヒ展」だったみたいだね。
学生が春休みに入っていたのも混雑の原因になっているようだった。
更に「エルリッヒ展」は2月末に観客動員数が40万人を超える大人気展覧会だった、ということ。
撮影が可能で、いわゆる「インスタ映え」する写真が撮れるというのが人気の秘密のようで。
これは益々、昨年中に鑑賞しておくべき展覧会だったなあ、と後悔するSNAKEPIPE。
本来ならば大人気企画には、できるだけ近寄らないことにしているけれど、今回は鑑賞することに決定。
ROCKHURRAHも快く付き合ってくれたよ!

結局チケットを購入するまで35分経過。
入場できるまでに2時間半待った2016年の「若冲展」に比べればカワイイものか?(笑)
あれだけ多くの人がチケット購入に並んでいたので、会場は押し合い圧し合いの大混雑だろうな、と覚悟する。
ところが、会場の内部はそこまで混雑していなかったんだよね。
これは嬉しい誤算だけど、あの人達は一体どこに行ったんだろうか。

展覧会の感想を書く前に、まずは簡単なレアンドロ・エルリッヒのプロフィールを紹介しよう。
1973年アルゼンチンのブエノスアイレス生まれで、現在45歳。
公用語はスペイン語だね。
南米のアート・シーンには驚かされることが多いので、今回も期待が高まるね。
1998年から1999年までテキサス州ヒューストンのアーティスト・イン・レジデンス・プログラムであるコア・プログラムに参加。
その後ニューヨークに移りニューヨークの商業ギャラリーで初めての展覧会を開催。
2000年にホイットニー・ビエンナーレに参加。
2001年には第49回ヴェネチア・ビエンナーレにアルゼンチン代表として参加。
それからも世界各国で2年に一度開催される美術展覧会である、ビエンナーレにはコンスタントに参加しているようだね。
20年以上に渡って世界的に活躍しているアーティストだけど、作品観たことあるかな?
2014年の「驚くべきリアル展鑑賞」は東京都現代美術館で開催されたスペインや中南米のアーティストの展覧会だったね。
今回のレアンドロ・エルリッヒ展の副題「見ることのリアル」と非常に似ているタイトルだけど、エルリッヒの作品も展示されていたのかな?
あまり記憶に残っていないんだよね。(笑)

エルリッヒの最も有名な作品は、金沢21世紀美術館にある「スイミング・プール」だって。
それはテレビで観たことある!(笑)
作品が大型のインスタレーションが多いためか、なかなか現物を鑑賞するのは難しいのかも?
今回はどんな展示になっているのかな?
作品は全て撮影オッケー!
森美術館のHPに記載されている「クリエイティブ・コモンズ・ライセンス」の記載を忘れず、早速感想を書いてみようか。

「足元が暗いのでお気を付けください」と注意書きがされた会場は、本当にかなりの暗さだった。
中央には波止場(?)のような空間が広がり、何艘もの船が浮かんでいる。
浮かんでる?
暗さに目が慣れてきて、じっくり船を観察する。
これはどうやら水面に写った船影の部分まで作り込んでいる作品なんだね。
まるで水面を漂っている船のように見える錯覚を起こさせている。

撮影を続けるSNAKEPIPEに、
「真っ暗で何も映らない」
と嘆くROCKHURRAH。
何か設定がおかしいのか、せっかく撮影オッケーなのに残念なことになっている。
もう少し明るいところで設定を確認してみよう。 

レアンドロ・エルリッヒの作品はトリックアートなんだね!
次の作品からは「どんなトリックが仕掛けられているか」心して鑑賞することに決める。

10枚程度のアクリル板を重ねて、雲の形を国に見せる作品。
一枚一枚のアクリルはどんな状態だったんだろう?
重ねて正面から見ると立体的な雲に見えるから、あら不思議!(笑)
やっぱりこれもトリックアートなんだよね。
日本人には一番馴染みがある日本の雲を載せてみたけど、国は他にフランスやイギリスもあったよ。
ネットで検索すると、室内にぽっかり浮かんだ雲、という作品を発見した。
画像だけなので詳しくは分からないけど、同じ仕掛けなんだろうか。
アクリル板が見えないと、奇妙な印象が強くなるよね。
この雲に動きが出たら、もっと楽しいかも?
技術的には不可能ではない気がするよ。

ここでROCKHURRAHは設定ミスに気付いたようだ。
なんと「自撮りモード」にしてたらしい!
それでは作品を撮影できるはずないよね。(笑)

SNAKEPIPEが一番最初に海外旅行に行ったのは、かなり昔のことだ。
場所はニューヨーク!
長年来の友人Mと一緒に行き、ニューヨーカー気分を味わえるように、コンドミニアムを選択したのだった。
キッチンがついていたけれど、実際には食材を買って調理することはできなかった。
オーブンとか使い方が分からなかったからね。(笑)
寒い時期に旅したので散歩や買い物に出る以外は、窓辺に座って町並みを見ていることが多かった。
そこで気付いたのは、海外の人ってカーテンやブラインドを閉めないってこと。
室内が丸見えなのに、無頓着なんだよね。
エルリッヒの「眺め」という作品は、丁度そのニューヨークで見た景色とダブって見え感慨深かった。
あの時感じた疎外感や世界的に有名な都会で暮らす人々への羨望、どんな暮らしぶりなのか知りたい欲望などが蘇ってくる。
ニューヨークでは考えもしなかったけど、こちらから見えるってことは、あっちからも見えてるんだよね。(笑)
作品には、あっちから覗く人はいなかったのかな?
「見る/見られる」を考えさせられる作品だったね。 

この作品は、どうしても他のお客さんが映り込んでしまうため森美術館のHPからの画像を載せさせて頂くことにした。
SNAKEPIPEは撮影しなかったからね。
手前の教室にはリアルな存在が、そして奥にはまるで亡霊になったような薄い自分を発見する。
たまに電車やビルのガラスに、薄ぼんやりとした人影を見つけてギョッとすることがあるけれど、似た感覚だよね。
行ったことないけど、もしかしたら「おばけ屋敷」にも同じようなアトラクションありそうな気がするよ。

この作品も上述の「教室」と同じ理由で、SNAKEPIPEは撮影しなかった。
あり得ない場所に複数の自分を見る。
例えば左の画像では右側と左前方に同じ男性が見えるよね。
簡単な鏡のトリックなんだけど、驚きと共にゾッとする感覚がある。
鏡を使ったアート作品で思い出すのは、2017年正月に鑑賞した柳幸典の「ワンダリング・ポジション展鑑賞」での「Icarus Cell」だね。
同じように鏡の角度を変化させることにより、自分の姿を確認できなかったり、思わぬ場所に自分が映っていた。
「Icarus Cell」は薄暗い照明の中が迷路になっていたので、より一層不安な気分になったっけ。
「異次元に迷い込んだよう」と表現していたSNAKEPIPEだよ。

柳幸典の「Icarus Cell」の迷路に似ていたのが、「試着室」だったよ。
いくつもの同じ仕様の試着室が並ぶ中を、自由に行き来することができる。
どれが鏡で、どこまでが空間なのか判断が怪しくなってくる。
手をかざして空間の広がりがあるのかどうか、目の前に自分の姿が映っているのかを確認しないと前に進むことができない。
ここから本当に抜け出せるのか?と不安になってしまうのである。
最終的には出口にたどり着けるけれど、方向音痴のSNAKEPIPEにとっては恐怖体験だったよ。(笑)

ブラックユーモアの作品もあるんだよね。
これは根っこが生えた実物大の家をクレーンで吊った作品の模型ということになるのかな。
実物の作品はさすがにここにはなくて写真展示のみだったので、模型を撮影したよ。
「家シリーズ」は他にも「溶ける家」や「ファニチャーリフト」という空に向かう長い階段がある家など「んなバカな!」と笑ってしまうような作品があった。
鏡を利用して覗いている人が映る仕掛けの建造物も面白かったね。
実際に体験しないと、写真や模型では面白さは半減だろうな。

以前より、現代アートに言葉は要らないと思っているSNAKEPIPEなので、観て解る作品は大賛成だね。
この作品の実物大を観てみたいよね。 

今回の展覧会で一番人気だった作品「建物」の模型ね。
レアンドロ・エルリッヒ展のポスターになっている作品は、仕掛けを知らないで見ると重力に逆らっている瞬間を撮影したものかと勘違いしてしまう。
SNAKEPIPEはポスターだけでは意味が分からなかった。
その全貌を知ることができるのは、床と斜めに掲げられた鏡を見てから!
寝転んでいる人を鏡に写すと、まるで窓に張り付いているように見えてしまう。
この視覚効果が展覧会入場者数を増やした原因で、自分が寝転び作品の中に入り込んだ写真を撮り、SNSにアップするのが目的だったみたいで。
これは森美術館の作戦勝ちかな。(笑)
それにしても、肖像権がどうのとうるさいことを言う人が多い昨今なのに、こういう時に他人の写真に映り込むのはオッケーなんだ?と少し冷めて見ていたSNAKEPIPEだよ。

「覗き」や「鏡」というと連想するのは江戸川乱歩!
延々と連なる鏡の中の鏡の世界は正に無限の鏡地獄。
覗く、という行為からは「押絵と旅する男」を思い出す。
双眼鏡で覗き見るシーンがあるからね。(笑)
SNAKEPIPEが独自のエルリッヒと乱歩の共通項などを喋りながら美術館を出ると、外は吹雪になっていた!
横殴りの雪が体にまとわりつく。
東京タワーの先端が霞んで見えなくなっているのが印象的だった。
こんな悪天候の日だったけど、鑑賞して良かったね。
南米のアートは、期待通り面白かったよ!(笑)

森美術館キュレーターが「レアンドロ・エルリッヒの現代アートとトリックアートの違い」について語っているインタビュー記事を読んだ。
「仕掛けを全部見せるかどうか」
が決めてで、その違いによりエルリッヒの作品は現代アートなんだって。
SNAKEPIPEはトリックアートを集めた美術館に行ったことがないので、どこまで仕掛けが見えているのかどうかを知らない。
そのためそのキュレーターの言葉がいまいちピンとこないんだけどね?
エッシャーやアルチンボルドのだまし絵はアートで、トリックアート美術館は不思議体験ができるアトラクションとして扱われているのかな。
その違いについてはよく分からないなあ。

自分が作品に入り込み、それを撮影することができる参加型・体験型の展覧会だったエルリッヒ展。
SNAKEPIPEやROCKHURRAHは、自分が写った写真をアップすることに興味がないし、今回のブログにもその手の写真は載せていない。
そもそも撮ってないからね。(笑)
自分が写りこんだ写真を撮ることに熱心な人がいかに多いことか。
これは世界的に同じ傾向なんだろうね。
自己愛の強さなのかな?

大勢の人がアートに関心を寄せて鑑賞するのは良いことだと思う。
ただ、鑑賞にはルールがあることを知らない人も多かったように感じた。
模型を触ろうとする何人もの人が、係員に注意されていたのを目撃したからね。
寝転び撮影する「建物」では「譲り合ってください」と何度もアナウンスが聞こえてきた。
自分が納得する写真を撮ることに夢中になり、他の人が順番を待っていることにはお構いなしなんだろうね。 
最低限のルールやマナーを守れない人は、本来は入場してはいけないように思うけど、どうだろうか。

2時間半並んだ「若冲展」について書いたブログの最後に載せていた文章がこれ。
「展覧会は早めに行くこと!」
ああっ、この教訓胸に刻むべし!(笑)