誰がCOVERやねん4

【今回はひねりのない直球。扉絵もシンプルに手抜き】

ROCKHURRAH WROTE:

ROCKHURRAHが勝手に「過去の企画、再発掘」というような感じで、ピッタリと途絶えてしまったシリーズ記事を再び書こうとしているのは本人以外誰も気にも留めてない事と思う。

この「誰がCOVERやねん」のシリーズも1年くらいは書いてないなあ。
ブログ自体をそんなに書いてないから時の経つのもあっという間だよ。
最近はなぜかとても忙しくて、週末に頭を使う気力さえ出てこない始末。
もっとゆったり出来る時間があれば少しは何か出てくるのかも知れないが、本人の気質とは裏腹にあくせく毎日駆けずり回ってる。

さて、今回のテーマは特に決めてないけど、それでよろしいか?
この企画の当初は単に目に止まったカヴァー・ヴァージョンの曲を羅列して簡単なコメントを書くだけというシンプルなものだった。
しかし3回目くらいから飽きてきて少し趣向を凝らすようになったのが敗因。
色んな括りに自分でがんじがらめになってしまい、書くのが非常に難しくなってしまったのだ。
週末に頭を使う気力さえ出てこないのに難しいのは困る。
元来、ひねりすぎの傾向にあるROCKHURRAH、今日は久々に直球で行かせてもらおう。
曲も割とシンプルなのを選んだよ。
ちなみに今はじめて当ブログを読み始めた人にはわからないだろうが、ずっといつまでも70〜80年代のパンク、ニュー・ウェイブがメインの記事を書いてるから選曲見て「いつの時代?」とか思わないように。

Ca Plane Pour Moi / Sonic Youth

この曲は色んなところで使われているから知ってる人も多かろうが、ベルギーの70年代パンク・バンド、プラスティック・ベルトランがオリジナルだ。
元々はハブル・バブルというポップなパンク・バンドだったがプラスティック・ベルトラン名義のこの曲が奇跡の大ヒット。
ROCKHURRAHのブログでも何回も書き続けているね。

例えばパンクの代名詞、セックス・ピストルズやクラッシュやダムドなんかが、遊んでても超自然的な力で勝手にメジャーになったとは誰も思わない。目に見えないところで作曲者も演奏者も歌い手も何らかの努力はしてるのが当たり前だろう。
このプラスティック・ベルトランももちろん、どこか陰で努力してるのには違いなかろうが、そんな片鱗もぜーんぜん見せないところが素晴らしい。
ソロ・アーティストなのかバンドなのかもよくわからないが、全盛期にはバンド・メンバーもいないステージに一人で、軽薄そうな男が口パクのような歌を歌い飛び跳ねて踊ってるだけの能天気さ。
もちろん歌ってる姿を見たのはネット映像が普及したここ10年くらいの話で、それ以前の時代にはプラスティック・ベルトランがどういうライブを行うのか、そういう情報はなかった。
だから動いてる姿は近年になって知ったんだが、昔の映像とかいくつ見てもちゃんとしたライブっぽい姿は皆無なんだよね。 他に何か芸があるわけでもないだろうに、軽薄なぴょんぴょんダンスだけでメガヒットとは恐れいった。

曲調も簡単な3コードのロックンロールをひたすら単調なビートに乗せて歌うだけ、ただこの当時はロック的な歌には向かないと思われていたフランス語で見事にパンクをやっていたのが革新的と言えるのかな?
フランスではパンク初期の時代にメタル・アーバンやスティンキー・トイズなどのパンク・バンドがいたが、これらはいわゆるフレンチ風味はあまり感じられないものだった。
しかしベルギー=同じフランス語圏で生まれたこの曲はミッシェル・ポルナレフのようなフレンチ・ポップをパンクで再現したような軽薄・・じゃなかった軽快なエスプリの効いたもの。

日本盤が出た時は「恋のウー・イー・ウー」または「恋のパトカー」などという邦題がつけられていたな。
誰でもノリノリになれるハッピーさを持っていて、時代を超えて愛され続けるのもわかるよ。
有名無名に関わらずカヴァー曲の多さでもトップクラスだな。

その数あるカヴァーの中からROCKHURRAHがチョイスしたのがソニック・ユースによるもの。
プラスティック・ベルトランよりは遥かに知名度も高いと思われるが、1980年代初期から活動を続けているアメリカのバンドだ。
アメリカン・ロックなどと書くとROCKHURRAH世代ではどうでもいいバンドばかり思い浮かべてしまうが、実はノイズやアヴァンギャルド、オルタナティブなどのバンドの発生率も高い国なんだよね。
個人的にも大昔にはリディア・ランチやコントーションズ、ペル・ユビュとか聴き狂っていたもんな。
そういうノイジーなアプローチをしたロックの中で最も大成したのがソニック・ユースかも知れない。
個人的にはそこまでノイズという気はしないが。

ROCKHURRAHは彼らの全てを語れるほどにファンであった事はないけど、暴力的な混沌(ああ陳腐な言い方)を表現させたらピカイチのバンドだったね。
特にどんな曲をやっても見事にソニック・ユースっぽくなってしまう独特のギター奏法は数多くのギタリストに影響を与えたはず。
この「 Ca Plane Pour Moi」もまさにソニック・ユース調そのもので逆に何の飛躍もないけど、飛躍し過ぎて、このポップな原曲が途中で2回ほど眠くなってしまう16分もの壮大なノイズ組曲とかにならなくて良かった。

Teenage Kicks / Thee Headcoatees  

2曲目も軽快なので行ってみよう。元歌はアイルランドの70年代パンク・バンドだったアンダートーンズのヒット曲だ。
ウチのブログでもちょくちょく名前が出てくるけど、大体いつも同じような事書いてるな。
反体制とかアナーキーとか過激とかのいわゆるパンクのステレオタイプなイメージとはかけ離れた、7:3分け長髪の70年代予備校生みたいなルックスの好青年がこのバンドの主役、フィアガル・シャーキーだ。
何だこの長いセンテンスとひどい文章?大丈夫か?ROCKHURRAH。
メンバーも普通にセーターとか着てて、ステージ映えがしないことこの上ないというバンドなんだが、一応ロールアップしたジーンズからDr.マーチンのチラ見せ、ダブルのライダースがパンク要素というわけか?

初期パンクの中にはこういう風采の上がらないタイプのバンドも多く含まれていて、バズコックスとかサブウェイ・セクトとか。
あまり「華」がなくても、ちゃんと名曲を仕上げれば世界的に著名になれるというところがパンクの魅力でもあったな。

アンダートーンズもモロにそのパターンで、50〜60年代ポップスなどの要素をうまく取り入れた軽快な曲を数多く残したバンドだった。
「Teenage Kicks」はその中でも最大のヒット曲で、多くの人に愛され続けた時代を超えた名曲のひとつだと言える。
初めて聴いた人は必ずその甲高い歌声にビックリするけど、このファルセット・ヴォイスも彼らの魅力。

この曲も色んなバンドがカヴァーしているけどグリーンデイだのアッシュだの、ワン・ダイレクションまでやってるのか?
どちらかと言うとヤンチャな若造バンド(最後のはバンドとは言えないな)がそれぞれの世代で何となくカヴァーしたものばかり。いくつ聴いても全然面白くもない駄作カヴァーだと思える。全く意外性がないんだよね。
しかも全然ウチのブログ向けじゃない。
上に書いたバンド達も本家アンダートーンズよりもずっと世界的にヒットした奴らなのに、この安易さ、このリスペクト感のなさは一体何?と嘆かわしくなってしまうよ。

そんな中でROCKHURRAHが許せる数少ないものがこのヘッドコーティスによるもの。
1970年代から90年代にミルクシェイクス、マイティ・シーザーズ、ヘッドコーツなどなど数多くのガレージ系、ブリティッシュ・ビート系のバンドで活躍したビリー・チャイルディッシュが仕掛け人となって手がけたガールズ・グループがヘッドコーティスだ。
彼女たちは演奏が出来るわけではなくて音楽の方はビリー・チャイルディッシュ達が担当、この4人は歌って踊るだけの添え物みたいなもんだが、ジャケット写真とかではちゃんと楽器持ってていかにもバンド風。
この辺の捏造もまた60年代っぽいのかもな。
とにかく「Teenage」というには無理がありそうな迫力のアネゴが投げやりに歌い、そして演奏はラウドなガレージ・ロックンロール。
好きな人にはたまりませんな、の世界だな。
ん、何とここまで長文書いて気付いたがこのヘッドコーティスは同じシリーズ「誰がCOVERやねん3+」でも書いてて、しかも前回もほとんど同じようなコメント書いてるな(笑)。
しかも元歌のアンダートーンズもこっちの記事で同じような書き方してるよ。アメージング。
自分の過去に書いた記事さえ覚えてないとは呆れるばかりだが、自分の書いた事が一応いつでも主義一貫しててメデタシ。

Isolation / Die Krupps

80年代初期のニュー・ウェイブが好きな人ならば誰でも、とは言わないがかなりの人が知ってるに違いない伝説的なバンドがジョイ・ディヴィジョンだろう。
ロンドン・パンクが誕生して間もない頃のマンチェスターでセックス・ピストルズが観客わずか数十人というライブを行った際に居合わせて、衝撃を受けた人物が何人もいたらしい。
後のバズコックス、マガジンのハワード・ディヴォートや後のスミスのモリッシー、そして後のジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスなどがこの聴衆だったわけだが、彼らを中心にマンチェスターのニュー・ウェイブは花を開いてゆく。
パンクやニュー・ウェイブ初期の最重要レーベルのひとつ、ファクトリー・レーベルもここから生まれ、そしてジョイ・ディヴィジョンはそこの看板アーティストだった。
見たように書けばこういう感じでマンチェスター・ムーブメントは始まったんだろうけど、見てないROCKHURRAHはそこまで書けないのが悔しい。
とにかくジョイ・ディヴィジョンは音楽の流れがパンクからニュー・ウェイブに変換していった頃にファクトリー・レーベルから2枚の傑作アルバムを出し、インディーズ界のスーパースターとなってゆく。
が、度重なる癲癇の発作、鬱病、妻と愛人との三角関係などからイアン・カーティスは1980年に首吊り自殺をしてしまう。
自殺→レジェンドというのは個人的に好きじゃないからROCKHURRAHは今まであまりジョイ・ディヴィジョンの事を書いて来なかったが、彼らの作った音楽を愛しているのは今も変わらない。

彼らの最大のヒット曲は数多くのバンドがカヴァーしている「Love Will Tear Us Apart」だが、個人的に一番好きな彼らの曲は1stの1曲目「Disorder」、2番目に好きな曲が2ndの2曲目「Isolation」だ。
どちらもジョイ・ディヴィジョンの音楽を表すのにぴったりな単語をタイトルに用いているな。

その名曲「 Isolation」をカヴァーしたバンドは意外と少ないので少しビックリんこ。
有名どころではスマッシング・パンプキンズとこのデイ・クルップスくらいなのか?
スマパン、名前は知ってるけど特に興味ないからやはりROCKHURRAH的にはクルップスをチョイスするのが妥当だろう。
もう10年以上も延々とROCKHURRAH RECORDSでは語り続けていて、書いてる本人までもが「またか!」と思ってしまうが、ノイエ・ドイッチェ・ヴェレ(ドイツのニュー・ウェイブ)の中心バンドのひとつがデュッセルドルフ出身のデイ・クルップスなのだ。

D.A.F.によってノイエ・ドイッチェ・ヴェレの洗礼を受けた者が次に辿り着くのがデア・プランかこのバンド、というくらいに大御所なんだが、シュタロフォンという鉄パイプで自作した鉄琴のようなパーカッションを叩きまくって演奏するインダストリアル系バンドの真骨頂のようなのがクルップスだ。
エレクトロニクスを多用した音作りなんだが繊細でもクールでもなくて肉体派、工場労働系なのがまず良い。
自分が育った北九州も西の方は製鉄工場が盛んだったし、環境的には似てるからよりシンパシーを感じてるのかも知れないね。
ROCKHURRAHは福岡の80’sファクトリーというライブハウスで彼らの演奏している映像を見て以来、感銘を受けた人間なのだが、途中からなぜかメタル系の要素が見え隠れするようなバンドに変貌してしまい、ずっとファンで追い続けたというには程遠い関係。
最初の頃はとても良かったけどなあ。

最大のヒット曲「Wahre Arbeit Wahrer Lohn」を何度も何度もしつこいくらいに手直した音源を発表し続けたユーゲン・エングラーの愛すべき偏執狂ぶり、そういう愚かな部分を含めての魅力がこのバンドにはあった。

彼の押し殺したヴォーカルのスタイルとイアン・カーティスの歌声には一見共通するものがあるけど、エネルギーを放出し続けるようなクルップスと心の暗黒を内側に貯めこんでしまったイアン・カーティスは正反対、という気もするな。

もっと書くつもりでいたけど、意外と長くなってしまったので今日はこの辺でやめておこう。
まずは週末に頭を使う気力が起きるくらいまでは回復したいもんだ。
ではまた来週。Hasta luego(スペイン語で「またね」).

誰がCOVER・・やないねん2

【本文中に出てきたバンドをCOVER ART化してみたよ】

ROCKHURRAH WROTE:

いいかげん恥ずかしくなってきたこのタイトルだが、すでにシリーズ化してしまったから急にタイトルだけ変えるわけにもいかなくなってしまった。
現存するロック青少年のほとんどには意味不明だろうが、70年代にこのシリーズ・タイトル(誰がCOVERやねん)と似た名前のバンドがいて、このタイトル自身がパクリなわけなんだが、特に好きだったバンドのわけでもないし、まあどーでもいい話だな。

そういうわけで去年11月に書いたこの記事の第二弾を今回は書いてみよう。何と一年ぶり、間が開きすぎ。

カヴァー・ヴァージョンの一種ではあるけど、どちらのバンドにも著作権というか所有権がある曲を集めてみました、というパターンね。ネタ的には結構苦しいんだが、何とかまとめてみましょう。
ROCKHURRAH RECORDSのいつものお約束、70〜80年代の音楽限定でね。

Fehlfarben vs D.A.F.
1970年代のパンク誕生からニュー・ウェイブの時代、ドイツでも次々と新しい世代の音楽が生まれていた。
それらは英米の音楽からの影響も大きかったがドイツ独自のロック文化も取り入れたものが多く、だからというわけじゃないだろうがノイエ・ドイッチェ・ヴェレというドイツ語の一括りになって海外で紹介されていった。
わかりやすく言えばジャーマン・ニュー・ウェイブという事だが、ノイエ・ドイッチェ・ヴェレと言った方がしっくり来るのは確か。ヌーベルバーグとかと同じパターンで語感の問題ね。

ノイエ・ドイッチェ・ヴェレについて語るのが今回の目的ではないから、その辺の話はまた別の機会にしておこう。書き始めたらすごく長くなりそうだからね。

そういうドイツのニュー・ウェイブ・シーンで登場したバンドの中で早くから知られたのが通称ダフ(D.A.F)と呼ばれるDeutsch-Amerikanische Freundschaftだろう。
日本でも80年代はじめに数枚はレコードが出ていたはず。
このブログでも過去に何回かは書いた事があるかな?
初期はヒステリックなギターと重苦しいリズムによるインストの曲ばかりで聴く人をかなり限定するノイズ、アヴァンギャルドな要素満載の音楽だったが、2ndアルバムではちゃんと歌も入っていて、この時期は随分多くの人に理解されて、ドイツ出身ではかなり有名なバンドとなった。
その後は単調に反復するエレクトロニクスなビートと超大型マユ毛のいやらしい顔立ちの男、ガビ・デルガド=ロペスの執拗ないやらしいヴォーカル・スタイルを武器に知名度を上げていった。
まあマニアックな層には受け入れられるけど、一般的な音楽の世界では知らない人も多いでしょう、というくらいの知名度なんだけど。

そのDAFの代表曲とも言えるのがこの「Kebab Träume」だろう。
ああ、このタイトルならば語学力皆無のROCKHURRAHでも少しはわかるよ。
ケバブと言えば 中東圏の串焼きだな。今では日本でもメジャーな食べ物だと思うが、DAFが活躍してた頃はまだそんなにポピュラーではなかったかも知れない。トラウムはドイツ語で夢の事らしいが、いわゆるトラウマとは違うのか?
それで直訳すれば「ケバブの夢」というようなタイトルになるんだが、「少しはわかるよ」などと書いたけど、やっぱり何の歌だかさっぱりわからん。
歌詞をエキサイト翻訳したら最後に「私たちは明日のトルコ人です!」などと連呼してるようだが、ドイツ語わからんから余計に意味不明。一体何が言いたいのか?ガビ・デルガド=ロペス。
この曲はシングル・ヴァージョンの方が有名だが、こちらの「ドイッチェランド、ドイッチェランド」と合唱が入る方のヴァージョンが個人的に気分が高揚して好き。

ガビ・デルガドはDAFをやる前にMittagspauseというバンドに在籍していたが、そこでやっていたメンバーが中心になって結成したのがフェールファーベンだ。
1979年から現在でまでやってるというからかなりの長寿バンド。
前にROCKHURRAHが書いた記事「映画の殿 創刊号」でも少し取り上げたな。
日本では知名度はほとんどないが、ドイツでは国民的ロック・バンドだと思われる。
最初は結構ダークなパンクだったが途中でファンカ・ラティーナみたいになったり、ニュー・ウェイブのバンドとして進化していったらしい。
ROCKHURRAHはこのバンドのごく初期の頃しか知らないから、あまり詳しくは書けないのだ。
聴いてた頃はややファンキーな曲調とサックスとか絡む演奏でドイツ版のマガジン(元バズコックスのハワード・ディヴォートがやってたバンド)というような印象だったが。

ここでやっとDAFとフェールファーベンが繋がったわけだが、一応同じバンドの出身で共有してるのがこの曲「Militürk」だ。
タイトル後ろの方のtürkはトルコの事だからやっぱり「私たちは明日のトルコ人です!」という内容の歌なのか?
聴けばわかる通り、DAFの「Kebab Träume」と同じ曲なんだよね。
こちらの方はピーター・ヘインという一見マジメそうだが実はべらんめえ口調の豪快な巻き舌ヴォーカルが心地良いヴァージョン。

Bruce Wooley And The Camera Club vs The Buggles
80年代を生きてて洋楽好きでこの曲を知らない人は珍しいでしょうというくらいの超有名曲「ラジオスターの悲劇」、これも元ネタが一緒で別れた2人により個別に別ヴァージョンがリリースされたという例。

もちろん有名なのはニュー・ウェイブ界随一の超大型メガネ男、トレヴァー・ホーンによるバグルスのヴァージョン。
特に音楽好きじゃなくても聴いた事ある人は多いはず。

この曲はMTVの一番最初に流れた曲としても知られているな。
前にも書いたが70年代はビデオというものがなかった為、TVの音楽番組にでも出ない限り動いているミュージシャンを見れなかった時代。
それが80年代になってMTVとかの普及でその場にいないミュージシャンの動いている姿も全国で見れるようになって、プロモーション・ビデオがものすごく発達した、いわばその象徴がバグルスのこの曲というわけ。
ってほど大げさではないけど、レコード製作よりも遥かに金をかけて大掛かりなPVをしきりに作っていた時代だったよね。
しかしそういうビッグ・ビジネスと歌っている内容はおそらく裏腹で、テクノロジーの進歩で失われてゆく昔ながらの稼業の悲哀、といった感じなのだろうか。
かつてはみんなが集っていたレコード屋、CD屋も廃れゆくようなイヤな時代になってるな。
科学が発達するならもっと違うところで能力使えよ、と言いたくなる。

そのバグルスと共にこの名曲を作り上げた片割れがブルース・ウーリーだった。
キャッチフレーズは「三人目のバグルス」。
元々は3人で一緒にやってたんだが、バグルスの2人と別行動になってしまい(この辺の経緯は熱烈なファンじゃないから知らないが)自身のバンド、カメラ・クラブを立ち上げてみたものの、バグルス、イエス、アート・オブ・ノイズとヒット連発のトレヴァー・ホーンに比べると悲しいくらいに地味な存在だったな。
「ラジオスターの悲劇」はヴァージョンとしてはこっちの方が先だったような記憶があるが、世間ではすっかりバグルス版の方が定着してしまったからね。メガネのデカさでは互角と思えるが。

どちらのヴァージョンもそこまでニュー・ウェイブという感じはしないけど、バグルスの方がエフェクト使ったりでやや派手な印象。もしかしてじゃんけんで言うところの「あと出し」効果か?

ちなみにこのカメラ・クラブにはまだ駆け出しだった頃のトーマス・ドルビーも在籍していたな。
そのちょっと前のガールズ・アット・アワ・ベストというバンドにもいたし、彼が有名になる直前にはこういう地道な活動していたんだね。

The Teardrop Explodes vs Echo And The Bunnymen
1980年代はリヴァプール出身のバンド達が大躍進した時代で、デッド・オア・アライブやフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドなど誰でも知ってるメジャーなバンドを数多く輩出した土地だった。
リヴァプール勢が躍進するルーツになったのが70年代のデフ・スクールやビッグ・イン・ジャパンだったが、その辺についてもこの記事 やあの記事などで紹介したな。
この2つのバンドから多くの新たなバンドやプロデューサー、レーベルなどが生まれ、リヴァプールの音楽の中心になってゆくんだが、ちょうどその頃にデビューしたのがリヴァプール御三家と勝手にROCKHURRAHが吹聴している3つのバンドだ。

イアン・マカラック、ジュリアン・コープ、ピート・ワイリーの3人が元々同じバンドの出身で音楽活動を始めたのは上にリンク貼った「あの記事」で明らかな通り。
3人は分裂してそれぞれのバンドを始めるが、日本で知名度が高かったのは世界最大級のタラコくちびる男、イアン・マカラック率いるエコー&ザ・バニーメンだけだった。
ちょうどネオ・サイケと呼ばれる音楽がニュー・ウェイブの世界で脚光を浴びていた時期とバニーズ(当時はエコバニもしくはバニーズと略していた)が目指した音楽がドンピシャに合致していたため、彼らはまたたく間に人気バンドとなった。
このバンド名の由来はほとんど覚えてないんだが、使っていたドラムマシーンの名前がエコーというところからふざけてバンマスにした、という想像でよろしいか?ジャッキー吉川みたいなもんか?
彼らは1stアルバムの頃はすでにドラマーがいてエコーはバンマスの座を退いていたはずだが、その前のシングル曲では確かに活躍していた事が伺える。

デビュー・シングルの曲はアルバムとは全然違うヴァージョンでこのエコーの単調なビートにイアンの鼻にかかった歌声が展開するというシンプルながらも衝撃的だった名曲。
好き嫌いは抜きにして、この声を聴けばすぐにイアン・マカラックだとわかる、その個性が彼らの最大の武器だったなあ。

そのエコー&ザ・バニーメンがデビューする直前には御三家のもう一人、ジュリアン・コープとシャロウ・マッドネスなるバンドをやっていたんだが、この時に共作したのが上の曲「Read It In Books」だ。
結局、シャロウ・マッドネスは世に出る事はなかったバンドで、地元で同時代に関わりがあった人しかその存在を知らないという点で伝説のバンドみたいなものだが、2人が本当に一緒にやっていたという証がこの曲だと言える。

このバンドのドラムだった人のテープレコーダーに残っていたという伝説のデモ・ヴァージョンが流出していたので載っけてみたよ。
ヴォーカルはイアン・マカラックでやっぱりバニーズ版の方に近い出来なのがわかる。後にワイルド・スワンズをちょこっとだけヒットさせるポール・シンプソンもこのバンド出身らしい。ティアドロップ・エクスプローズにも少し在籍していたな。彼のオルガンのおかげでティアドロップ・エクスプローズの要素も充分に感じる事が出来る。
ジュリアン・コープは単なるベーシストに徹していて「らしく」はないけど、世に出なかったバンドのデモテープとしてはかなりドラマティックな部類で、マニアックなファンならば「さすが」と感心するに違いない。

ジュリアン・コープがバニーズと同じ頃に始めた自身のバンドがティアドロップ・エクスプローズだが、これも同時期のネオ・サイケに属する中では重要なバンドだと言える。
日本ではほとんど紹介されなかったのでそんなに有名にはならなかったけど、本国ではバニーズにもひけを取らないスター性のあるバンドだった。
バニーズがギター中心のシンプルな楽曲なのに対して、このバンドではオルガンやシンセサイザー、トランペットなども入り、より複雑な構成が特色となっている。
この時代にはまだイギリスのアーティストがあまりやってなかった中東風のエキゾチックなネオ・サイケにもアプローチしていたかと思うと、ものすごくポップな普通のヒット曲もやるという具合に正体がつかみにくい奥深さを持っていたな。
正体がつかめないという点で、ジュリアン・コープ自身の自由奔放なわけのわからなさも相当なもんだった。
バニーズの個性とはまた別の方向性を持った不思議な魅力に溢れていて、好き嫌いがかなり分かれてしまうジュリアン・コープのこもった歌い方も気に入っていた。

彼らもタイトルを「Books」とだけ縮めて同じ曲を録音している。
キーボードとベースラインのあたりが上に書いたシャロウ・マッドネスと同じようにドラマティックで壮大、曲としての完成度はこちらの方が高いと個人的には思うが、みなさんの感想はどうだろうか?

このティアドロップ・エクスプローズ版をプロデュースしたのが同郷リヴァプールのデフ・スクール出身の著名プロデューサー、クライブ・ランガー。 バニーズの方は確か初期は同じくリヴァプールのビッグ・イン・ジャパン出身のイアン・ブロウディ(キングバード)がプロデュースだったので、こちらのプロデューサー同士の同郷対決(?)も興味深い。
二人とも80年代ニュー・ウェイブ界屈指のヒットメーカーだからね。

今回は同じ楽曲を別れてしまった2人が別のバンドでそれぞれ録音というパターンだったが、偶然にも眉毛、メガネ、唇という部分で世界最大級を誇る人物が関わっていたな。いや、単なる偶然でオチは何もないんだけど。まあこんな感じで、これからも80年代をいつまでも引きずったままやってゆくのでよろしく。

誰がCOVER・・やないねん

【今回の登場人物は偶然にも変な歌い方の人ばっかり】

ROCKHURRAH WROTE:

軽く書いてるように見えても毎回結構苦心している当ブログ。
そもそも日記でも時事ネタでもなくて投稿する曜日を決めてるもんだからそこまで湯水のように書きたい事は湧いてこない。 ところがROCKHURRAHが担当する「誰がCOVERやねん」シリーズだけは別で、何もテーマとか決めなかったら毎週でも書けるくらいなのだ。
要するにカヴァー・ヴァージョンが世の中にいくらでもあるからそれについて軽くコメントしてるだけという他力本願のネタね。ただし現在進行形の音楽については全く取り上げず、70年代から80年代のパンクやニュー・ウェイブという狭いジャンルのみがウチの記事のメインなので、いつかは枯渇するだろうけどな。

さて、今回取り上げるのはカヴァーのようでカヴァーでない、2つのバンドをまたがってリサイクルされた楽曲について。何だそりゃ?まあ読み進めればわかるじゃろうて。

Buzzcocks VS Magazine
イギリスでパンク・ロックが始まったのが1976年頃の話。
ダムド、セックス・ピストルズ、クラッシュにストラングラーズあたりが初期の有名どころだが、それらに続くバンドが続々と登場したのはパンク好きならば誰でも知るところ。
だから初期パンクの御三家を挙げろ、と言われれば割と簡単だとは思うが、ベスト5を選べとなると、人によってかなり意見が分かれるんじゃなかろうか?好きと人気度は一致しないしね。
そんな中で比較的メジャーな候補のひとつがこのバズコックスである事は間違いないだろう。
「あの素っ頓狂なヘナチョコ声が嫌い」と断言出来る人も数多くいるだろうし、ストロング・スタイル至上主義のパンクスに受け入れられる要素はないけどな。
しかし王道のポップ・ミュージックを勢いのあるビートや乱雑な歌い方で展開して、その後のニュー・ウェイブ誕生のヒントを作ったという功績は多大だと個人的には思う。
バズコックスがいなければ誰かが同じ路線を作ったという意見もあるだろうけど、それはどんな音楽でも同じこと。
何もやらないヤツはいつもそう言う。

バズコックスの大半の曲で裏返るような不安定なヴォーカルをとっているのはピート・シェリーだが、初代ヴォーカリストであるハワード・デヴォートこそがこの歌い方の元祖だと言えよう。
発掘音源などなかった時代に彼の歌声が聴けたのはマンチェスターの歌声喫茶、ではなくニュー・ホルモンズという自主制作レーベルから出た「Spiral Scratch」と題された4曲入りのデビュー・シングルのみだった。
ここに収録されている「Boredom」や「Breakdown」はパンクの伝説的名曲として名高い。

「退屈」というタイトルをここまで音で一目瞭然に体現出来たバンドは他にない、と言えるほどの完成度。
デヴォート、本当に気怠いよ。
クラッシュ、ピストルズ、ダムドといったパンク・バンドは音楽だけでなく、ヴィジュアル面でも若者の心を掴んでいたが 、このバズコックスはそういう面には無頓着。
ただハワード・デヴォートのおそろしく広い額はまるでパンク世代のブライアン・イーノのような風貌で、この妖しい歌い方や声質と気持ち悪い顔は良く合っていたな。
「爬虫類のような目つき」とはまさに彼のためにあるような表現。
前に何回もバズコックスやマガジンについて書いてきたから特別新しいコメントもないが、歌い方の個性という点ではハワード・デヴォートは多くのヴォーカリストに影響を与えたのじゃなかろうか。

彼はこのシングル1枚のみでバズコックスを去り、次にマガジンというバンドを結成する。
デビュー当時は無名だったが後にニック・ケイブ&バッド・シーズやソロとして活躍する黒人腕利きベーシスト、バリー・アダムソン 。そしてスージー&ザ・バンシーズやアーモリー・ショウなどで活躍するギタリスト、ジョン・マクガフといった有能なミュージシャンと共に作り上げた音楽世界はパンクからニュー・ウェイブへの変換期にちょうどピッタリ当てはまったものだった。
単なるパンクから一歩踏み出した新しい音楽、それがニュー・ウェイブだとしたら、このマガジンもワイアーなどと共に先駆者として語られる存在に違いない。
彼がやりたかった事はバズコックスの演奏力では表現出来なかった、それがマガジンを聴くと良く理解出来るだろう。
そのマガジンがジョン・ピール(英国BBCラジオのディスクジョッキー)・セッションでバズコックス時代の「Boredom」をマガジン流でやっていて、これが興味深い。
バズコックスのカヴァーは数多くのバンドがやっているだろうが、オリジナル著作権者同士のテイストの違いを堪能出来てこれはまさにファン冥利に尽きるな。

デヴォートとシェリーの共作と思えるので、デヴォート抜きのバズコックスでもこの曲をやってるし、どちらのバンドも演奏する権利はあるのだろうか。その辺はよくわからんが、どちらも甲乙つけがたい素晴らしい出来だね。

Josef K VS Orange Juice
パンクの後にニュー・ウェイブの時代が来たのは前の項にも書いた通りだが、 これ以降はエレポップだのネオ・サイケだのオルタナティブだの実に細かく枝分かれしてゆき、それらが乱立した時代がしばらく続く。
どのジャンルにも後に語り継がれるようなバンドが出現して、ちょっと天下を取っては廃れてゆくという戦国時代みたいなものか。
そういう世間の流行りとは少し違ってるかも知れないが、ネオ・アコースティックとかギター・ポップという音楽もこの時代に生まれたものだ。
普通の青年達が背伸びせずに学生バンドの延長みたいに始めた音楽、そういう印象があるジャンルだが、ポストカード・レーベルやチェリーレッド・レーベルなどは比較的メジャーなバンドを擁していて、密かにファンを増やしていった。
ジョセフ・Kもオレンジ・ジュースもスコットランドのポストカード・レーベルから同時期にデビューしたが、日本で知られるようになったのはラフ・トレードが出したコンピレーション「クリアカット」に仲良く収録されていたからだろう。
余談だがこのアルバムにはディス・ヒートやレッド・クレイオラなども収録されていて、さりげなく幅広いすごい顔ぶれだったな。
このアルバムに啓蒙されて音楽を志した若者(今はたぶんオッサン)も多かろうと思える。
なぜかROCKHURRAH所有のこのアルバムはディス・ヒートの「Health & Efficiency」だけ針飛びするという泣きたくなるような不良盤だったのを今でも苦々しく思い出す。
話が逸れてしまったがオレンジ・ジュース、ジョセフ・K、この2つのバンドを渡り歩いたギタリストがマルコム・ロスだった。

ジョセフ・Kはポール・ヘイグという角刈りリーゼントのようなサングラス男がフロントで、そのマルコム・ロスの絶妙なカッティングのギターがちょっと陰りのあるヘイグのヴォーカルに絡むというスタイル。
ほぼ同時期にデビューしたモノクローム・セットとも似たような世界。
しかし彼らほどヴァラエティ豊かな音楽ではなく、やや単調な点が災いしたのか、ニュー・ウェイブ好きの人以外からはさほど注目もされなかったバンドだと言える。ジョセフ・Kの再来とも言えるほど似てたジューン・ブライズはよく聴いてたのに、本家の方はそこまで大好きではなかったなあ。

彼らの中で一番好きなのがこの「Heaven Sent」だ。
バンドとしての活動期間が短かったから同時代に彼らの音楽はあまり世に出ていないが、ずっと後に再発されたりで何とか全盛期の曲を聴く事が出来る。これは81年のピール・セッションのものらしい。
マルコム・ロスがオレンジ・ジュースに加入する前というわけかな?
ガチャガチャなギターの音と投げやりなヴォーカルが心地良い名曲。

オレンジ・ジュースはエドウィン・コリンズというぽっちゃりヒラメ顔のサングラス男がフロントでジョセフ・Kよりもやや音楽活動歴は長いが、オレンジ・ジュース名義になってからは同じポストカード・レーベルで同じ頃にデビューしている。
ちなみにアズテック・カメラもこのレーベル出身で、ネオアコやギターポップ好きの人にとっては聖地みたいなところがスコットランドなのかね。
オレンジ・ジュースはそういう路線からデビューしたんだが、一般的に有名になったのは2ndアルバム「Rip It Up」だろう。
このアルバムではジョセフ・Kから前述のマルコム・ロス、そして黒人ドラマーが加入したりで当時華やかに流行していたファンカ・ラティーナなる音楽を取り入れた事により予想外のヒットを放つ。
ファンクとラテン・テイストをごっちゃに融合したニュー・ウェイブの1ジャンルの事ね。

聴いた事ある人はわかるだろうが、エドウィン・コリンズのヴォーカルは思いっ切り白人なのにR&Bとかのヴォーカル・スタイルでかなり独特のこもった歌声。
パッと見にはサングラスでカッコ良さそうだが、よく見ると江口寿史の漫画に出てくる本人に似た感じで(今時知ってる人も少ないか)このくぐもったいやらしい声。思わず笑ってしまう部分があるんだよな。
本当によくこれでヒットしたものだと感心してしまう。
エドウィン・コリンズは後にソロとなって活躍したり、ヴィック・ゴダード復活の際に多大な貢献をしたり、やってる事自体はナイスなのになあ。
で、この2ndアルバム右下の男が問題のマルコム・ロスだ。
彼が作った曲がタイトル変えてこのアルバムに収録されているが、当然ながらジョセフ・Kとは大幅に違った路線。
あっちよりはコクがあるけどキレはイマイチといった具合かな。
やたらとマルコム・ロスの名前を連発しているが、まがりなりにもレコード屋稼業の端くれにいるROCKHURRAHが勝手に持ち上げただけで、本来ならば話題に上る事も稀な地味ギタリストに過ぎない(たぶん)。
これが元で空前のマルコム・ロス・ブームになったらどうしよう。

Red Crayola VS Pere Ubu
パンクからニュー・ウェイブの時代になって様々な音楽が誕生したが、上の項でも書いた通り、当時最強のインディーズ・レーベルがラフ・トレードだったと個人的には思っている。
それよりも小さくて売る力がないけど斬新なレーベルに目をつけて、これを次々とディストリビュートしていった功績は大きい。
元々がレコード屋だけに口コミで評判になったり、大きな会社の大金かけたプロモーション戦略とは逆の路線で成り上がったのがラフ・トレードなんだろうね。
まさに音楽のCGCグループ(全国の加盟スーパーによって構成された一大チェーン)みたいなものか。
このラフ・トレードが徳間ジャパンから続々リリースされた事によって、輸入盤漁りが難しいような土地でも当時の先端音楽を知る事が出来た。
ROCKHURRAHは音楽が盛んで良い輸入盤屋もあった福岡県出身なのでそこまで飢えて困ってはいなかったが、その辺で好きなレコードが買えるメリットは地方の人にとっては計り知れないものがあった。
前置きが長くなったが70年代後半からそのラフ・トレード系列は個人的な好みにピッタンコの音楽をどんどんリリースしてくれた。

<註:本来ならレッド・クレイオラを先にすべきだが、ペル・ユビュを先に聴いていたので時代と順序が逆になってしまう>

ペル・ユビュはアメリカ、クリーブランドのバンドで1975年頃より活動していた。
パンクの世界で大成するデッド・ボーイズの母体でもあるRocket From The Tombsというバンド、ここの主要人物だったピーター・ラフナーとデヴィッド・トーマスがペル・ユビュを始めたというわけ。
「悪趣味で不条理」 などと評されるフランスの作家、アルフレッド・ジャリの戯曲「ユビュ王」に由来するバンド名というだけでもこのバンドの目指した方向性がわかるというものだ。ん?わからない?
難しい事はわからなくてもユビュ王もデヴィッド・トーマスもデブつながりという程度の認識でもよろしいか。

ペル・ユビュはデヴィッド・トーマスの演劇的(?)な奇抜で素っ頓狂な歌唱とピーター・ラフナーのグチャドロのギター・プレイという二段構えで今まで聴いたことないようなユニークなバンドになる予定だったが、1977年にラフナーがお決まりのドラッグ&アルコールで死亡してしまった。
しかし別のグチャドロなギタリストが加入して初期とあまり変わらぬ状態で継続していったのはさすが。
グチャドロは不滅だね。

デビュー・アルバム「The Modern Dance」は工場地帯をバックに労働者がバレエを踊っているような奇抜なジャケットだったし、ジャケット見て音楽性に見当がつかない典型。
なぜか初期のアルバムは大手フォノグラム、マーキュリー系列から出ていたのでメジャーな音かと思いきや・・・。
ROCKHURRAHもほとんどジャケット買いだったが聴いてビックリ。
変なのにカッコイイ、前衛的なのに爽快感がある奇妙な感覚。
思えばこれがオルタナティブとかアヴァンギャルドと呼ばれた音楽とのファースト・コンタクトだったのかも。
色んな音楽を聴く前、まだ少年だった時代の出来事だから、 我ながら早熟な音楽体験だったと思うよ。

ペル・ユビュはこの後もだんだんと難解な方向に進んでゆきカッコイイと思える曲も少なくなって、遂にメジャーでやってゆくにはあまりにもワケわからなすぎ、という段階に達した。
そこに手を差し伸べたのが前述のラフ・トレードだったというわけだ。
ようやくこれで話がつながったな。
そこから出された4thアルバム「The Art Of Walking」はラフ・トレードの宣伝上手でそこそこ売れたんじゃなかろうかと推測する。中古盤屋でもよく見かけたしな。ROCKHUURAHは輸入盤で買ったんだが、後に日本盤も出た模様。
ペル・ユビュの缶バッジ付いてたのを思い出す。

このアルバムも最初の「Go」から不条理なギターが耳障りな名曲で、一般的にポップなロックとはかけ離れた内容。
ただし前のようにギターそのものがヒステリックではなくなった印象。
ピーター・ラフナーの路線を引き継いだトム・ハーマンに代わって、レッド・クレイオラのメイヨ・トンプソンが加入したらしいと知る。
そして彼のソロ・アルバムに収録されていた「Horses」をペル・ユビュ・ヴァージョンで先に聴くことになってしまった。
これはフランス映画のサントラとかで使われてもおかしくないような哀愁の名曲で、口笛がとても効果的。
「うーん、ジャン・ギャバン」などと意味不明に呟きたくなるよね。
しかしペル・ユビュの従来の路線とは随分印象が違う。この曲だけを聴いてペル・ユビュがこういう音のバンドだと勘違いしないようにね。

レッド・クレイオラについては音楽雑誌などで知ってたし、先に書いたラフ・トレードからも何枚かリリースされていた。
これがニュー・ウェイブ世代のバンドではなくて60年代からサイケデリックとかアヴァンギャルドやってるバンド、いわゆるオルタナティブの偉大な先駆者というような予備知識は持っていたのだ。
ただしラフ・トレードから出るまではなかなか入手困難だったのは間違いなく、彼らの曲をまとめて聴いたのは随分後の話になる。
だからずっと追いかけてきた最初からのファンなんて少なくともROCKHURRAHの世代には滅多にいなかったに違いない。とても見てきたようには書けまっせん。

これがその1970年のソロ・アルバム。
全体的にレッド・クレイオラよりもアコースティックでピンク・フロイドとシド・バレット(ソロ)のテイストの違いに近い、と言えばわかりやすいか。
こちらの「Horses」はボサノヴァ調とかルンバな感じでペル・ユビュよりも簡素。
「うーん、イパネマ」などと意味不明に呟きたくなるよね。
実に不思議な味わいがある曲だな。素材の旨味を最大限に引き出した至高のメニューみたいなものか。

さてさて、今回は連休ということもあって久々にじっくり書いたロング・ヴァージョンという事になる。
一人の人間が別の場所に行って、別の環境で同じテーマの事をするというのが今回の主旨なんだが、ROCKHURRAHが漂ってきた世界もそれと一緒かな。
趣味も嗜好も子供の時から変わってないし、今時のこんな時代にいつまでも70〜80年代やってるんだもんな。
これからもずーっっとこの調子だろうし、人間国宝狙いの境地でやってゆく事にしよう。

誰がCOVERやねん3+

20120826_top【SNAKEPIPEが捏造してくれた文字通りのカヴァー・ガールズ】

ROCKHURRAH WROTE:

今回はROCKHURRAHのブログでは初となるコラボ企画を急に思いついたので、それについて書いてみよう。
世の中にいくらでも存在するので苦しい時のネタとしては便利なカヴァー・ヴァージョン企画である「誰がCOVERやねん」と、女性ミュージシャンばかりを執拗につけ狙った「Naonシャッフル」との豪華コラボレーションだ。
つまり、女性ミュージシャンの歌うカヴァー・ヴァージョン特集というわけ。
「思いついた」とか言う割には陳腐。 どこにでもありそう?
まあ取り上げるミュージシャンがひと味違うから、誰もが想像するような記事にはならないはず。

検索とかでこのページに辿り着いて、そもそもROCKHURRAHが何なのかもわからない方々にとっては意味不明だろうが、そんな企画も過去に何度かやっておったとです。
いつまでも暑いし頭もボケてるし、有無を言わさず始めようか。

Family Fodder / Sunday Girl

ファミリー・フォーダーは1979年にデビューした英国のバンドなんだが、音楽雑誌などであまり取り上げられる事がなかったので、実は書いてるROCKHURRAHもよくわからん謎のバンドだ。
大体Fodderをフォーダーと発音するらしいって事も今、調べて初めて知ったよ(←バカ)。
ROCKHURRAHは81年に出た彼らの「Greatest Hits(というほどヒットしていたとは思えないが)」を持っていた。
アクサク・マブールで有名なベルギーのクラムド・ディスクから出ていたなあ。
このレーベルはきれいでそそられるジャケットが多かった割には個人的に素通りしてきたバンドが多く、どちらかというとROCKHURRAHとは疎遠なレーベルだった。同じベルギーのクレプスキュールとかもやや苦手だったもんな。
このアルバムも割とカラフルなジャケットで目立っていた事と、ミュージシャンのクレジットにディス・ヒートやスリッツのメンバーなどが混じっていたから、予備知識もなく興味本位で買ったに過ぎない。しかしジャケット買いが好みにピッタンコの音楽で大当たりだったのは嬉しかった。

曲によって全然構成が違うので傾向も読めないんだが、かつてのプログレッシブ・ロックの一流派、カンタベリー・ミュージックを思わせるような部分もあり、時にちょっとアヴァンギャルド、時にメロディアスでポップな部分もある。
どちらかというとロックを解体してチープに再構成したような曲が多く、確かに初期ニュー・ウェイブはこういう路線が多かったなあ。女性ヴォーカルの素人っぽい歌い方も時代に合ってていい感じ。
おっと、話が逸れてしまったがファミリー・フォーダーはこのクラムド・ディスクからはたまたま出しただけのようで、英国のフレッシュ・レーベルを中心に活動していた模様。

さて、そんな彼らがカヴァーしたのがブロンディの1979年の大ヒット曲「Sunday Girl」だ。
ある程度の年齢の人ならば説明するまでもないね。
ブロンディも知らないっていう若い世代でもわかるように(そういう世代の人が読んで興味深いブログとも思えんが)一応書いておくが、ニュー・ウェイブ初期に圧倒的人気があった女性ヴォーカルのバンドだ。「ハート・オブ・グラス」や「コール・ミー」などの代表曲は世代を超えて色々なBGMとしても使われる事が多い。
ヴォーカルのデボラ(デビー)・ハリーはデヴィッド・クローネンバーグやジョン・ウォーターズ映画に俳優としても出演しているね。
ファミリー・フォーダーはそのものズバリ「Debbie Harry」などという名曲を残しているが、よほど好きだったのかね?
しかし数十行も書いた後でふと思ったんだが、このカヴァーは果たして女性ヴォーカルなのか?全体的に演奏も声も歪ませているから実は不明なんだよね。女性ヴォーカルがいるバンドだからてっきりそうだという先入観があったので、違ってたらバカなヤツだとROCKHURRAHを笑うが良い(←偉そう)。

Screamin’ Sirens / Your Good Girl’s Gonna Go Bad

ウェスタンな格好したモヒカン女がいるガールズ・バンドだったから、てっきりイギリスだろうと思ってたがアメリカだったんだね。
このバンドも同時代にはあまり情報もなかったのでずっと不明のままだが、写真を見る限りではかなり派手で威勢のいい、強そうな雰囲気。

70年代に生まれたパンクがカントリー&ウェスタンやロカビリー、ブルーグラスなどと結びついてカウパンクと呼ばれるようになった。
同じような結びつきのミクスチャー・ミュージックとしてサイコビリー(の一部分)やラスティック・ストンプがあるが、両者の厳密な違いはよくわからん。
本職カントリーやブルーグラスに匹敵する演奏力を持ったバンドもいれば、カントリー・テイストを借用しただけのインチキ音楽もあるが、どちらかと言うと自分では本格派じゃない方をカウパンクと呼んでいた。
個人的にはイカサマっぽい紛い物の方が好きなROCKHURRAHはこの手の音楽が大好きで、当ブログ「荒野の7ビリー」という記事でも特集してるほど。

スクリーミン・サイレンズもそういったカウパンクの部類に入るが、全部がそういう曲調ではないようだ。
後に本格派のカントリー世界で大成するロージー・フローレスやバングルス、ブラッド・オン・ザ・サドルで活躍したアネット Zilinskas(読めん)なども在籍していた模様で、このジャンルとしてはたぶん実力派揃い。
Miiko Watanabeなる日本人らしきベーシストもいたようだ。
このバンドを知ったのはサイコビリー系のオムニバス・アルバム「Revenge Of The Killer Pussies」だったかな?
メテオス、グアナバッツ、キング・カート、Blubbery Hellbelliesといった定番バンドに混じってエイリアン・セックス・フィーンド、ジャズ・ブッチャー、ブリリアント・コーナーズといった別ジャンルのバンドまで入っていて支離滅裂、良き時代だったなあ。

この曲はアメリカの有名なカントリー・シンガーであるタミー・ウィネットのヒット曲が元ネタなんだけど、それを感じさせないくらいにピッタリとスクリーミン・サイレンズ調にアレンジされている。
威勢がよくてやや下品、女数人集まればかしましいの公式通り、にぎやかで元気な音楽性は本当に素晴らしくて気に入っていたもんだ。
マイナーなバンドでYouTubeは一応あったものの、映像がなくて残念。

Dolly Mixture / My Rainbow Valley

ドリー・ミクスチャーは80年代初期にデビューした女性だけの3人組バンドだが、タルラー・ゴシュ(80年代半ば)、へヴンリー(80年代後半)などに受け継がれてゆく「初々しく下手っぴいガールズ・ギター・ポップ」という路線の元祖的存在だと思える。
70年代の女性ロックシンガーではあまり見かけなかった普通のかわいらしいワンピースによる楽器演奏というスタイルの元祖的存在でもあるな。
今では考えられないだろうが、この時代くらいまでは不良娘でないロック少女はかなりの少数派だったんだろうな。

彼女たちのデビューはダムドのキャプテン・センシブルがソロとして奇跡の大ヒットを飛ばしていた時代のバック・コーラス隊としてだった。
メンバーの一人はそのままキャプテンの奥さんになってしまうんだが、そのコネなのか何なのかはわからないが、まんまとレコードを出して後世に名を残す事になった。
「名を残す」などと書いてみたものの、実は同時代にはほとんど無名であり、ヒット曲も特にない状態。
後の時代になって彼女たちよりずっと有名になったミュージシャンの中に「ドリー・ミクスチャーの大ファン」と公言する人が続出、そういう人たちの働きにより再発されたり編集盤が出たりしたわけだ。
セイント・エティエンヌ、小山田圭吾、カジヒデキ、カヒミカリィなどなど、その名前を見ればどういう傾向の人に好かれていたかわかるはずだ。

さて、そのドリー・ミクスチャーがカヴァーしたのが60年代後期イギリスのバンド、ラブ・アフェアーのこの曲。
ラブ・アフェアーは後にモット・ザ・フープルに加入するモーガン・フィッシャーのルーツでもあるバンドだね。
関係ないがROCKHURRAHは大昔に下北沢で働いていた時にモーガン・フィッシャーの接客をした事があり・・・、あ、この話は前にも書いた事があったか。
とにかくモータウンあたりにも通じるような黄金のメロディ・ラインが美しい曲だから、ガールズ・グループがかわいくカヴァーしても全然違和感はないね。

Thee Headcoatees / My Boyfriend’s Learning Karate

1960年代に流行ったガレージ・ビートにパンクのフィルターを通して、よりワイルドに復活させた立役者がビリー・チャイルディッシュだ。
ミルクシェイクス、マイティ・シーザーズ、ヘッドコーツなどなど彼が関わったバンドは実に数多く存在していて、それぞれ少しずつ音楽性は違うんだけど、一貫してるのはラウドで破壊的な部分かな。
時代の流れでそういうガレージ・リヴァイバルというような動きがあったというよりは、色々な名義でレコードをリリースしまくる事によって無理やりブームのような現象に見えてしまうという力技の偉業を成し遂げたようにROCKHURRAHには思える。
パンクもそうだったが、何かが生まれる時にはそういう扇動者が必要って事だね。

そのビリー・チャイルディッシュが90年代に仕掛けたのが女性だけのガールズ・ガレージ・バンドであるヘッドコーティスだ。
その前の時代に三人組のデルモナスというガールズ・バンドがあったのだけど、それの延長線になるのがこのバンド。
バンド風にしてるけど演奏は全てビリー・チャイルディッシュのバンドの方で彼女たちはフロントで歌うだけに過ぎないというようなよくある話。
美女揃いというには語弊があるかも知れないが、とにかくムサい男がやるよりは華があるし、ガレージ・ロックンロールの中では確かに女性の進出率が高いのも事実。
プロデュースを数多くやってるチャイルディッシュだから、自分の手がけた人気ガールズ・バンドというのを捏造してみたくなっても当然だろう。
そんな彼のイメージにピッタリのヘッドコーティスはやる気なさそうな蓮っ葉なヴォーカルとガチャガチャの演奏が見事にマッチしていて、なかなか素晴らしい世界。
ROCKHURRAHの勝手な思い込みではこの手のガールズ・ガレージ・バンドは演奏も大事だが豹柄の水着着用とか、そういう見た目のインパクト勝負のバンドが多いように感じるが、彼女たちはそういう色気とは無縁のクラシカルなルックス、この辺もチャイルディッシュのこだわりなのかもね。

さて、この曲はどうやらオリジナルと言えるのかどうか不明だが、カナダ(?)のチャーリー&チャンという何だかわからんのがもっと前の時代にやってる模様。
タイトルを忘れたが西新宿のVINYLとかで売ってるガレージ系のオムニバス元ネタ集レコードのシリーズがあって、その辺に収録されていたように記憶する。音楽性もよくわからなかったROCKHURRAHたちはよく「エグエグ」と表現していたな。元ネタもYouTubeにあるので聴き比べてもらえればわかるが、これは結構忠実にカヴァーしてる模様。
イントロでは空手チョップでかわらとか木の板を割ってる音のSEが入るし「アチョー」とか「キュー・サカモト」などと意味不明のオリエンタル・ムードが大変にバカっぽいスーパー名曲。むしろヘッドコーティスの方が普通に思えてしまうのが残念。

彼女たちのレパートリーはこの手のジャンルとしては当然だがカヴァー曲が大変に多く、ROCKHURRAHが大好きなベルギーのプラスティック・ベルトランのカヴァーとかもやっている。昔のガレージとかだけのカヴァーじゃないところがいいね。

以上、今日はひとつのバンドが意外と長くなってしまったからたった4つだけなんだが、どの曲も愛聴していたので書く事が出来て嬉しいよ。
・・・の割には「よくわからん」とか「不明」とかの表現が多く、大して詳しくもないバンドを語ってしまったのがバレバレだけどな。知らなくても好きにはなれる、これでいいのだ。
企画倒れの気がしなくもないが、涼しくなればもう少し気力も充実してくると思うので、今後に期待してて下さい。

ではまた来週。