時に忘れられた人々【03】リヴァプール御三家

【最近話題にもならない御三家モーフィング、ROCKHURRAH制作】

ROCKHURRAH WROTE:

今回書こうとしているあまり旬じゃない人はズバリ、リヴァプール御三家の事だ。とは言ってもこれは誰でも「ああ、あの三人ね」と知ってるようなもんでもなく、リヴァプール地方のニュー・ウェイブを多少かじった事があるような人にしか通用しない御三家だと言える。

あの世界一有名なバンドを例に出すまでもなくマージービートなどという言葉があるくらいだから、リヴァプールが世界的に誇れる音楽の産地なのは音楽に疎いおやっさんでも小娘でも、何となく想像は出来るだろう。
この地は70年代以降も良質のポップ・ミュージックを生み出してきた。特に盛んだったのは70年代半ばに登場した大所帯バンド、デフ・スクール以降、俗に言う「リヴァプール・コネクション」とか「リヴァプール・ファミリー・ツリー」と呼ばれた時代・・・ん?わかりにくいかな?単純に言うなら「80年代リヴァプール」の時代だと個人的には思える。

ROCKHURRAH RECORDSのオンライン・ショップでもリヴァプール物は有名無名に関わらず色々扱ってるが、このブログでデフ・スクールやビッグ・イン・ジャパンといったバンドについて説明してると長くなり過ぎて御三家が書けなくなってしまうので残念ながら省略させて頂く。後のパンク、ニュー・ウェイブの時代に活躍した人々が多数在籍していたのが上記2つのバンドで、80年代に大活躍したプロデューサー、クライブ・ランガーやイアン・ブロウディ(キングバード)もこれらの出身。この辺が80年代リヴァプールのルーツとされる。

さて、ようやく御三家だ。その三人とはイアン・マカラック、ピート・ワイリー、ジュリアン・コープの事だ。三人が1977年にクルーシャル・スリーなるバンドを始めてすぐにやめてしまった事は割とどこにでも見てきたように書かれている。が、これは伝説的なバンドでも何でもなく、単に勢いで始めたけど、あまりウマが合わなかったから続かなかった学生バンドみたいなもんだろうと推測出来る。というわけで御三家とは言っても三人は全然別々の活動をしてゆく。

イアン・マカラックはその後のエコー&ザ・バニーメンを率いる英国一のタラコくちびるの持ち主。イアン・マッカロクと表記するのが正しいようで最近はこの呼び方になってるみたいだがROCKHURRAHは80年代通りにマカラックと呼ぶことにする。
この三人が別れても独自の道として選んだのはネオ・サイケと呼ばれるような音楽の範疇になる。
アメリカのサイケデリックとは少しニュアンスも違うんだが、簡単に言えばヴェルベット・アンダーグラウンド、ドアーズあたりから影響を受けた80年代初頭の英国を象徴するような音楽だ。どちらかと言うと暗くて内省的、生真面目な音楽が多い分野だから普通のヒットチャートではあまり受けないタイプの音楽だと言える。
その中でもエコー&ザ・バニーメンは頑張って音楽雑誌の表紙にもよく登場、ネオ・サイケの中ではかなり有名なバンドへと成長してゆく。御三家の中では日本での知名度も最も高い。

彼らの魅力はもちろんバンドとしての完成度の高さ、曲の良さもあったが、やっぱり何と言ってもイアン・マカラックのヴォーカリストとしての声の通りの良さにあったんじゃなかろうか。ものすごく特徴的なわけでもないのに彼の声はどこで聴いてもすぐにわかってしまう。まるで雛鳥みたいなツンツンの頭に古着コート、あるいは迷彩服といったスタイルで唇を除けば少女漫画に出てきそうなか細い少年っぽい風貌のイアンくんなんだが、これがソリッドで力強いエコバニの演奏に乗って歌えば天下無敵というのが80年代初頭のネオ・サイケの代表的なもの。
80年1st「クロコダイルズ」から84年4th「オーシャン・レイン」くらいまでが全盛期だったけど、似たようなもどきバンドが大量に現れ、このくらいからネオ・サイケは質も低下して面白みがないものとなってしまった。先駆者であった彼らも一緒に失速してしまい、ドラマーの事故死などもあり、エコー&ザ・バニーメンはいつの間にか消えてしまったとさ。90年代後半に復活したけどその後はどうなんだろう?ROCKHURRAHもサイケからサイコに変わってしまったので消息はよくわからない。同じような起点から始まったU2とかがより大げさなロック・バンドに変貌して面白くなくなったのと違い、彼らはいつまでも80年代ニュー・ウェイブ、80年代リヴァプールを感じさせていて欲しいもんだ。

ジュリアン・コープはこの三人の中では最年長にも関わらず、自由奔放な変人というイメージが強く、個性という点では際立っていた。彼がクルーシャル・スリーの後、いくつかのバンドを経て始めたのがティアドロップ・エクスプローズだ。
エコー&ザ・バニーメンを正統派とするならこのバンドは既成の枠に入らない変格派とも言えるネオ・サイケを持ち味にしていた。何だかニュー・ウェイブには見えないヒゲオヤジや海兵隊みたいなのがメンバーにいるしトランペットやキーボードが活躍する音楽も曲によって随分印象が違っているし、声はこもっているし、マジメなのかふざけてるのかよくわからん。極端に変というわけじゃなくて総合的にちょっと歪んでいる独特の世界が魅力だった。例えて言うなら80年代のシド・バレットというような役柄なのかね。

ティアドロップ・エクスプローズは素晴らしく良い曲も残してはいるんだがシングルで選んだ曲がよりによってこんな単調な曲か、という不可解な傾向もあり、日本での知名度はイマイチ、ジュリアン・コープの個性が完全に活かし切れてない部分も目立つバンドだった。
そんな彼が84年あたりからはソロ活動となり、本当にやりたい事を自由気儘にやった世界が素晴らしい。前述のイアン・マカラックよりもさらに80年代少女漫画に出てきそうなルックスは申し分なかったんだが、そういうカッコいい部分を敢えて売り物にせずに作った2ndアルバム「Fried」では、何と裸に亀の甲羅を背負った奇妙なジャケット。ジュリアン・コープの奇妙な個性を最も端的に表した写真かも知れない。

しかしこの亀人間の後に聖なるロックスターに鮮やかに転身して、ファンとしてはそっちの方が仰天したもんだ。亀でもロックスターになれるのか?この後のコープの活動はあまりよく知らないんだが、なぜか古墳の研究をしたり日本のロックについての本を書いたり、やっぱり興味の方向性もちょっと変。

ピート・ワイリーはジュリアン・コープの変な部分とは少し違っているが、これもやはり変人の部類に入るのは間違いない。
コープ同様にいくつかのバンドを経てたどり着いたのがWah!というバンドなんだが、Wah! Heat、 Shambeko Say Wah!、 J.F.Wah! 、Mighty Wah! などとレコード出すたびに出世魚並みに名前を変えてゆく。そしてネオ・サイケからブラック・ミュージック、果てはアフリカン指向というあまり結びつかない音楽へ傾倒していったり、初期と後期ではまるで違う事をやっている。
何やらよくわからないのだが、強い熱いメッセージがあるのは確かなようで三人の中では最も理解するのが厄介な人だ。
音楽が難解というわけではないんだがどこを弾いてるのかよくわからない抽象的とも言えるギター・プレイも少し不可解で、三人の中では日本での知名度も一番低いというのもうなずける。少しロッカー風な見た目でマカラックやコープのように女性ファンがつきそうな部分はあまりないね。

初期はカッコいい曲よりも地味な曲が目立っていたが82年くらいからいわゆるバラード的な大作名曲指向になって一気にヒットチャートを賑わせる・・・というわけでもなく、やはり不人気のまんま(日本での話)だった。名曲を作る才能は素晴らしく、ひいき目に見ればスタイル・カウンシルあたりの線で受けたかも知れないのに、やはり妙な改名マニア、ややわかりにくいメッセージゆえか。

数多くのバンドが過去の栄光よ再び、というような再結成をしている。この三人が過去のいきさつは水に流して手を取り合い、世に出る事がなかった幻のバンド、クルーシャル・スリーとして再結成してくれれば・・・うーん、今でもまだ追いかけて熱狂してくれるファンもいるのかな?

これらの文章とは全然関係ないがとりあえずROCKHURRAH一味はゴールデン・ウィークの楽しみ、REZILLOS初来日公演(ROBINが共演)に行ってきます。詳しいレポートはまたSNAKEPIPEが書いてくれるだろう。
ではまたsee you next week!

ビハインド・ザ・マスク

【蟹江敬三が天知茂に早変わり!んなバカな!】

ROCKHURRAH WROTE:

あまり旬な話題もなく単に自分たちの中の好みだけをさまざまな切り口で紹介しているこのROCKHURRAH WEBLOGだが、今回書きたいのはたぶん誰でも知ってる有名な作家、江戸川乱歩について。
と思ったがこの偉大な作家をたかがブログ程度の文章量で語るのは大変すぎる。そこで乱歩の作品についてはまた別の機会という事にして今回は70〜80年代に人気だった「江戸川乱歩の美女シリーズ」という一連のTVドラマについて書いてみよう。

そもそも江戸川乱歩は探偵小説の世界で日本を代表するメジャーな作家である事は誰にも異存はないはず。そして乱歩が創り上げた明智小五郎は金田一耕助と並んで誰でも知ってる名探偵なのも確かだろう。
大正13年「D坂の殺人事件」で登場して以来、現代でもこの名前を知らない大人は限りなく少ないと思える。ただし作者や探偵の知名度の高さとは裏腹に、熱心に乱歩作品を読み漁っている現代人は案外少ないのかも知れない。少年探偵団世代は遠い昔の話、映像化された乱歩の映画も一部を除いてロクなものがないしなあ。
そう言って嘆く人にオススメ出来るかどうかは抜きにしてROCKHURRAHとSNAKEPIPEが週末の楽しみにしていたのがこのTV版乱歩シリーズ。いや、単にDVDレンタル屋のサービス・デーに一気に借りてきて休みの間に観てただけなんだけどね。
大昔には確かに人気作家で大衆に読まれていたに違いないが、実際に読まずに知ったつもりになってる世代にも広く乱歩とは明智小五郎とは、という事を知らしめたのが70年代のこのシリーズだろう。

知ってる人はとうに知ってるだろうがこれは77年からテレビ朝日系列「土曜ワイド劇場」でやってた天知茂主演のTVドラマだ。天知茂が主演を務めた8年間で何と25作も作られていて乱歩の主要長編のうち映像化可能な作品はほとんど網羅されてる。
ウチの場合は正月くらいから週末限定で18作目くらいまでまとめて観たけどリアルタイムのファンにとっては「次はいつ?」と待ち焦がれる作品だったろうな。この辺は京極堂シリーズのファンも同じようなもんだろうか。

さて、このシリーズをそれぞれ少年少女時代に観ていたROCKHURRAHとSNAKEPIPEは近所のレンタル屋で見つけ大喜び、あやふやな記憶をもとに順序もメチャクチャにこれを観始める。 昔は原題ではなく「○○の美女」などというタイトルがついたこれらのドラマ、単に入浴シーンとか子供っぽい荒唐無稽な部分ばかり記憶に残っていて「バカらしいけど観るか」程度で借りてみたんだが、改めて得た感想は「やっぱりすんごく面白い」と一致したわけだ。
子供っぽい荒唐無稽な部分は乱歩の作品ではむしろ作者が好んで仕掛けるエッセンスで読者もそれを楽しむわけだから、全然マイナス要素じゃなかったという事だね。

このシリーズは大まかに言えば「黄金仮面」「黒蜥蜴」「地獄の道化師」「魔術師」「緑衣の鬼」など原作でもお馴染みの派手な怪人物が明智小五郎に挑戦して戦ってゆくというもの、あまりこけおどしの部分がなく一般的な殺人事件とその解決というもの、そういうふたつのパターンがあってそのどちらにも違った面白さがある。この辺はいわゆる通俗物と呼ばれた大人向け明智シリーズの原作と同じだね。

この手のTVドラマとしては意外なことに原作に割と忠実に作ってる部分も多く、どちらかと言うと原作至上主義のROCKHURRAHでも納得出来る範囲の脚色、割愛がされていて非常に高得点。たまに原作とはまるで違うものもあるけど乱歩の個性や作風をヘタに曲解してなくて、その辺に好感が持てる。
原作では明智小五郎が出てこない作品もTVシリーズでは無理やり明智の事件として扱われているというような強引な力技もなぜか許せてしまう。
そういう良い脚本もあるけど、このドラマに関しては明智小五郎役をやっている天知茂の素晴らしさに尽きる。

原作としては明智小五郎が活躍したのは大正末期から昭和30年までなんだが、この「美女シリーズ」は放映していたのと同時期、つまり昭和50年代という舞台設定に置き換えている。その現代(昭和50年代当時の)に活躍する明智小五郎=天知茂とは・・・。
眉毛の間の深いシワに代表されるニヒルさと当時のダンディな中年を誇張し過ぎたキザな部分だけを見れば、この名優に馴染みのない世代の人は「何じゃこのオッサンは?」と思えるかも知れないが、これが一般的に考えられる名探偵の理路整然とした推理、というイメージを軽く超越してしまってるところがすごい。
たまに007並のアクションもこなして我々もビックリの大活躍をする。事件を解決するためには常識人が恥ずかしいと思えるような事も平気でする。要するにかなり常識外れな部分も併せ持った超探偵なのだ。
極め付けは毎回恒例となっているラスト近くの明智による変装。真犯人が明智を陥れ勝利の凱歌をあげているような時に最も効果的に犯人を告発するため?なのかどうかはわからないが、ここ一番で明智は巧妙な変装を解き、真犯人だけが「あっと驚く」という仕掛け。
ほとんどの場合、見ている人には明智が誰に化けているかは事前にわかってるのにね。

ちなみに変装以外でも天知茂版明智は住み込みの庭師とか工事人夫とか、天知茂本来のイメージからはかけ離れた人物になりすまして犯人を探るといったような傾向にある。このあたりの部分は明智役の天知茂自身が楽しんでやってるとしか思えないバカばかしさに溢れていて大笑い出来る。
文章でこの面白さを伝えるのは難しいのでまだこのシリーズを観た事ない人は是非ご覧になって頂きたい。

あと、天知茂の70年代ファッションも毎回凄過ぎる。派手な水玉のスーツに水玉のネクタイなどが代表的明智スタイル、襟はきわめて大きく裾はナチュラルに広がっている。正式名称はよくわからないが関西とかで70年代のヤンキーたちに人気だったニュートラ(本来のニュートラとは別もの)と呼ばれていたものと酷似している。オフの時はこういったスーツにキャプテン帽(それじゃ横山やすしでしょう)を合わせたり、もう毎回目が釘付けとなる事まちがいなし。
もしかしたら和製アラン・ドロンといった線を狙ってたつもりなのかも知れないが、このシリーズの天知茂も作者の江戸川乱歩同様に暴走しまくってるよ。

こういうわけで天知茂はウチのアイドルとなったわけだが共演もなかなか味があってよろしい。

まずは明智の相棒役、波越警部を演じる荒井注の独特なとぼけた味。原作ではあんまり出て来なかったような気がしたが石坂浩二版金田一耕助シリーズにおける間抜けな警部役、加藤武みたいなもんだろう。

そして原作では明智夫人となる文代。本当は「魔術師」の娘として登場するんだがこのシリーズでは最初から明智探偵事務所の助手として登場する。この役を「ムー」や「さかなちゃん」で人気あった五十嵐めぐみがやっている。
明智に憧れ、美女になぜかいつもモテてしまう明智に焼きもち、という役柄。この五十嵐めぐみと天知茂のやり取りも毎回の楽しみのひとつだ。

明智小五郎と言えば忘れちゃならないのが少年探偵団という別シリーズでも活躍する小林少年。何とこの役を第一回「吸血鬼」では大和田獏、それ以降はよく知らないんだが柏原貴なる人がやってる。原作ではよく「りんごのようなほっぺ」の少年として出てくるが、このTV版の配役はどう見ても少年じゃないだろ、とツッ込んだ人も多いだろう。

明智を含めたこの4人が犯人に対するのが黄金パターンなんだが「○○の美女」とタイトルにあるように毎回必ず美女役が出てきてこれもなかなか豪華。
※ここまで律義にリンク付けてたがもう面倒なので以後省略。
由美かおる、小川真由美、ジュディ・オング、古手川祐子、岡田奈々に片平なぎさなどなど、思いっきり70年代を満喫出来る。
ほとんどの作品では入浴シーンがあるんだが、ほぼ全て吹き替え。わざわざ体だけ別の人間が吹き替えして多くの人にスタイルが良くないとか誤解されるくらいなら本人がそのままやった方がいいんじゃないの?とも思ってしまうが。

ある意味かなりカルトな作品もあるしウソっぽいけど猟奇的描写もお色気もある。幅広い層が楽しめるエンタティンメント要素を凝縮したシリーズで人気があったのも頷ける。
何しろ25作もあるから全部の感想を書いていたらキリがないし、まとめの要約と言っても「みんな大体似たようなパターンで面白い」としか書きようがなくて結構難しいんだけど、食わず嫌いでこのシリーズを素通りしていた乱歩ファンも観たら目からウロコが堕ちる事間違いなし。

実は近所のレンタル屋ではなぜかシリーズのうち最後の数本だけ置いてなくてこの「美女シリーズ」を二人ともコンプリート出来てない状況で、それが残念。いつごろDVD化されたのかは全然知らないけど、あと少しなんだから何とか入荷してもらえないものかね。

Macで●REC

【ちょっと苦しいけどBill Nelson's Red Noise風にROCKHURRAHが制作】

ROCKHURRAH WROTE:

ROCKHURRAH家7つの自慢のうち、真っ先に思いつくものと言えば(「世界☆ぐるぐるジーン」的に言ってみた)ウェブ・ブラウザを不必要なほど豊富に取り揃えている事と、音楽を録音する環境がやたら充実している事だ。
そういうわけで今回はパソコンを使った録音に焦点を当ててみよう。

ちなみにROCKHURRAHはWindowsの世界は詳しくないので、自分が普段使ってるMacでの環境のみ書く事にする。

最初に断っておくがROCKHURRAHはデジタル・オーディオ・レコーディングのプロでも何でもないし特に詳しくもない、ミュージシャンのように楽曲を作って活動してるわけでもない。いや、楽曲を作っていた時期もあり、なかなかクオリティは高かったと自分でも言えるんだが、それは良く出来た趣味のひとつ。今は単にひたすらレコードをラインから録音してるだけの素人だ。それがこんな記事を書くというだけで無謀な話なんだが、他に目ぼしいネタもないので仕方ない。何か専門的な内容を期待した人はごめんなさい。

思えばROCKHURRAHは昔から録音の好きな少年だった。音楽を聴くという事と録音するという事が同じくらい好きで録音ばかりしてた。誰でもやってた事なのかどうかは知らないがレコードの中からピックアップしたお気に入りの曲を全体の構成を考えてカセット・テープ(時代だね)に録音して自分だけのベスト盤といったものを山のように作ってきた。時代は変わってカセットがMDになったり自家製CD-Rになったりしたが、やってる事はずっと同じだ。これをウォークマンで聴いたり、(人の)車の中でかけたり、友達に作ってやったり、もうそんな事ばっかやってたのが我が青春時代だと思える。

普通とちょっとだけ違うとすれば、こういったベスト盤に「マイ・ミュージック」などと情けないタイトル(笑)ではなく、何となくそのベスト盤自体を確かに感じさせる深遠なタイトルを付けて、ちゃんとした自分なりの解説を冊子にして人に贈ったものだ。これは大変に評判良くて、時代ははっきり言えないが当時のシモキタ界隈でパンク、ニュー・ウェイブと言えばROCKHURRAHと胸を張って言えるくらいのマニアっぷりだったものよ。ちょっと大げさ過ぎた?

今ではそういうのもiPodだったり携帯だったりパソコンだったり趣味のDJだったり、自家製コンピレーション好きというのは時代が変わっても廃れたとは思えないけど、世の中の全部の楽曲がCDやデジタルになってるわけじゃない。
そこで登場するのがレコードなどのアナログ音源をパソコンに録音するという行為だ。
今回は技術的な事は抜きにしてMacで録音するためのアプリケーション(単に使った感想程度なんだが)について語ってみよう。相変わらず前置き長いな。

こういう録音ソフト、いわゆる波形編集ソフトはWindowsでもMacでも無料のものから高級なものまで出回っていて、今回はたまたま持っていたものだけしか書けなかった。素人だから持ってないものは触れない、当たり前の法則。
一応知らない人のために書いておくが、波形編集ソフトとはパソコンに録音した音声を視覚的に「波のような形」に表示して、不必要な部分をカットしたり音をより良くするための特殊効果とかを加えたりして再度パソコンなどで扱えるファイル形式に保存出来るというものだ。説明するまでもないがiTunesとかそういうのとは少し違う。さらに最初に書いたように楽曲を作ってミキシングしたりマスタリングしたりするDAW(デジタル・オーディオ・ワークステーション)といったものとも少し違う。


では安い順から。

まずは無料波形編集では定番、Audacity
WindowsでもMacでもLinuxでも、もっとマイナーOSでも動くという汎用性の高さ、そしてタダという魅力から数多くの人がこれを使った録音の経験があると思われる。
日本語の解説のようなものを何とリザードのモモヨが書いているというのも東京ロッカーズ世代ならずともポイントは高いだろう。
そのアプリケーションの性能とか出来る機能とか言われても興味ない人にはどうでも良いだろうから、今回は録音や保存のしやすさとか見た目とか、そういうとっつきやすい部分にのみ焦点を当ててゆく。
写真を見ての通り、ひとつのウィンドウの中に全部のパーツがスッキリ収まっていて見た目はわかりやすい。もっと新しいヴァージョンのはちょっと見た目が違ってるがウチはなぜかこの古いヴァージョンの方を使っていた。こっちの方が特にイイという事もなかった。
この手のソフトは日本語のサイトはあっても半分以上は英語の解説だったりソフト自体の日本語化も手動だったり、日本語化しても言葉がヘンだったり、オープンソース系の海外無料ソフトにはありがちな話。要するにあまり親切ではないんだな。
初期状態でMP3への変換は出来ないのだが、音が良いのとエンコード速度が遅い事で有名なLAME(無料のMP3変換ツール)をダウンロードしてきてAudacityとの関連付けをする事で録音→MP3変換が直で行なえるようになる。起動する時だったかMP3保存する時だったか忘れたがLAMEのある場所聞いてくるので、そこを指定してやれば大丈夫。
こういうのを全くやった事ない人には設定とか、ややわかりにくい部分もあるけど、普及してるソフトだから解説サイトを見れば大体出来るでしょう。無料なんだけど結構高機能でクセがない使い心地。単に録音して前後の不要な部分をカットしたりフェードイン、フェードアウトしたり、ノーマライズ(音量を最適化)したりといった基本的用途ならばこのソフトで充分だろう。


はい、では次。

あまり有名じゃないがHairer Softなるところが出してるAmadeusという波形編集ソフト。
Amadeus 2とProという2つのヴァージョン展開しているが今回試してみたのは2の方。Pro版でも40ドルだが、この2は既に開発終了している模様。
実は結構昔にMac用の波形編集ソフトを探していた時に知り、シンプル極まりない&簡単な操作性、きびきびした動作に惚れ込んだもの。シェアウェアだけどKagiという支払いシステムがよくわからず買わなかったという過去がある。海外製だけどちゃんと日本語で動いてるし読み込みやエンコードも速くて機能的には好きな感じ。設定とかあまりしなくても当たり前のようにクイクイ動いてくれる(何じゃその表現?)。
MP3やAAC(iTunesとかで標準の音声ファイル)で保存する時にその場で音の品質とか設定出来るところが良いね。録音した曲の音程を変えずに速くしたり遅くしたり、ピッチ変更とか出来るところが気に入った。あっ、Audacityにも付いてる機能か?というか今回書いたソフトには全体的に付いてる機能だった。
見た目が95%モノクロで、清潔感溢れる画面があまり好きではないROCKHURRAHにはこの白さが眩しい(笑)。どちらかというと殺風景であまりMacっぽくはないなあ。軽快な動作こそが命でモノトーン好きの人には間違いなくオススメ出来る。


前置き長かったからさっさと行こうか。

お次はFreeverseなるところが出してるSoundStudio3だ。
79.99ドルという半端な価格はどうなのかね?これも海外版だったんだが問題なく日本語表示されてる。ちなみに日本版はアクト・ツーが出しててなぜかオリジナルより安い4980円。見た目はいかにもMacっぽいし波形やバックグラウンドもお好きな色に変えられる。そういう意味のカスタマイズが好きなら迷わずオススメ。ウチの環境では読み込みやMP3への変換という動作も最速だった。
どのソフト使ってもやってる事は大差ないROCKHURRAHとしては、迅速に働いてくれて何となく楽しげな色で録音出来るこのソフトが目下のところ一番気に入ってる。使いこなすのはたぶん最も簡単だ。宣伝してもROCKHURRAHには得にならないがこりゃいいよ。
しかし「楽しげな色」を意識して画面キャプチャしたんだが、こりゃ派手すぎたか(笑)。普段はもっと渋い色でやってます。


さて、最後に紹介するのはMacの世界では有名過ぎるこの一本、Bias謹製のPeak Proだ。

バリューパックで348ドル、日本では54800円ほどもする。何か計算合わなくないか?
本気で本格的にやる人以外は気軽にゃ買えない、名前の通りプロ向けの一本だ。
もうすでにヴァージョン6まで出てるんだがROCKHURRAH所有のはひとつ前のヴァージョン。さすがに54800円あったらもっと違う事に使うって。
画面見てわかる通り多機能ぶりを示すアイコンがうるさ過ぎるくらいにたぶん何でも出来るし、音もピカイチだろう。ただしプロだったら出来て当然、と言わんばかりの高踏的な設定の難しさ。音楽を録音した時も一旦無圧縮の状態で保存した後、MP3とかに変換しなきゃならないからあまりお手軽な感じはしない。金額もこれだしはじめての録音とかでは使えないだろうね。金が有り余ったゴージャスな人か、これで食ってゆこうとしてる人だけに(これを使った職業もあまりなさそうだが)オススメ。
上のSoundStudio3よりもさらに派手な画面にしてしまい目が痛いよ。

今回はこの4つのソフトを検証(と言うほど大げさなもんじゃないが)してみて、実に久しぶりに触ったものもあるけど操作さえも忘れてしまった、というものはなくて良かった。ここに挙げた4つの波形編集ソフトが代表的なものではないし、他にもアドビが出してるSound Boothとかアップルが出してるビデオ編集ソフトFinal Cutに付属のSound Track Proとか色々選択肢はある。波形編集だけに特化してなければ最初から大体のMacの付属してるGarageBandとかアップルのLogicとかでも録音自体は出来る。
全体的に高くて多機能過ぎか安くてシンプル無能過ぎという両極端な傾向にあるなあ。Windowsではフリーや廉価なものでも山のようにそういうソフトはたぶん出てるはずだけどMac用ではちょうどいいものが少ないという気がする。やりやすさとか見た目とか欲しい機能とかは人によってさまざまだろうが、取り合えずROCKHURRAHのオススメはSound Studioかな。

肝心の音の方は全てのソフトが変換の拠り所としているLAMEが同じものだと思えるので、ROCKHURRAHにはその詳細な違いがあまりわからなかった。「だったら別にフリーのAudacityで充分じゃん」と思えるけど、せっかくMacを使うんなら少しでもMacならではのソフトを使いたいというような部分もある。たったそんだけの事でやる気も随分変わってくるしね。皆さんもそういうちょっとしたこだわりを大事にしてみてはどうだろうか?

時に忘れられた人々【02】国枝史郎

【国枝史郎伝奇文庫風にROCKHURRAHが勝手に制作】

ROCKHURRAH WROTE:

少年時代から現在まで趣味嗜好の根本がほとんど変わってないROCKHURRAHだが、今でも大事に持っているものは意外なことに、かつてコレクションしていたアナログ・レコードとかではなくて子供の頃に買った本だったりする。

レコードの方はパソコンで録音してCDにするというデジタル化での保存が比較的簡単に出来る(敢えてそういう事をしないのが真のコレクターなんだろうが、それは置いといて)から、よほどの宝物以外は手放して「あぁ惜しかった」という程にはならない。
ところが本の方は今まで何度もしてきた引越しの際に手放してしまったものが多く、その後新たに入手出来ずに困ったという経験も多いのだ。最近の古本屋事情もないものは徹底的にない、あるものはどこにでもある、という寒い状況。掘り出し物も滅多に見つからないときてる。自力でデジタル化も難しいしね。

そういう自分の書棚を改めて眺めると圧倒的に戦前戦後の古い探偵小説ばかり。ミステリーと言うより推理小説と言うより探偵小説と呼ぶ方がしっくりくるような作家群だ。それだけなら主義の一貫した奴でいいんだが、パンクでサイコビリーでホラー映画好きで探偵小説好きで裁縫や料理もちょっぴりこなす奴となると随分同志の人口は減ってくるだろうか?完全に同じ嗜好の人もまだまだいるかな。

前置きがとても長かったが、今回はその書棚の中から選んだ2冊の古びた本から話を進めようか。

「国枝史郎伝奇文庫 神州纐纈城」上下2巻だ。
数々の引越しでも絶対に手放さなかった少年時代からの宝物だ、って程にはそこまで貴重なものでもないが。
これは講談社が昭和50年代に出してた文庫で全28巻より成る国枝史郎の集大成、横尾忠則による装幀も素晴らしい。

多少はマニアックでも入門者にやさしい内容を心がけるrockhurrah.comであるから「国枝史郎って誰?」という現代っ子(この言葉がすでに死語か?)でもわかるように簡単な説明をしておくか。
国枝史郎は大正から昭和初期にかけて活躍した作家で主に伝奇小説と呼ばれるジャンルで類を見ない独創性を誇り、人気があった。ごく簡単に言えば日本独自の怪異とかファンタジーっぽいものを主題にした時代小説で燦然と輝く作品を描いたのがこの作家なのだ。決してエジソンとか二宮金次郎とか偉人を描いた伝記小説ではないので間違えないように。
この人が書いた小説の中で最も有名なのが「蔦葛木曽棧(つたかずらきそのかけはし)」「八ケ嶽の魔神」そして前述の「神州纐纈城(しんしゅうこうけつじょう)」の三大傑作だ。中でも「神州纐纈城」の素晴らしさは現代でも色褪せる事はない。

武田信玄の家臣、土屋庄三郎が出会った一枚の深紅の布「纐纈布」。
人間の生き血を絞り染めたという禍々しい布に誘われて庄三郎は武田家をドロップアウトしてしまう。要するに不思議な力で勝手に宙を舞う布を追っかけているうちにこの人は行方不明になってしまうのだ。現代社会で言えば無断欠勤で馘首といったところだろうが、戦国時代であるからして勝手にふらふら他国に行かれてしまっては困る。そこで信玄が庄三郎探索に差し向けた刺客が高坂弾正の庶子、高坂甚太郎なる凄腕の少年武士。鳥もちの竿を自在に操る武器とするやたら強い悪ガキだ。
富士山の麓を舞台にこの二人の追いつ追われつの物語になるのかと思いきや、予想は見事に覆されてどんどん場面は変わって、さらに出てくる登場人物のアクの強さ、奇っ怪さは増してゆく。「富士に巣くう魑魅魍魎」などと謳い文句に書いてある通り、妖怪などは出ないが人間こそが一番恐ろしい魑魅魍魎として描かれている。
富士山の麓に住む三合目陶物師(すえものし)と呼ばれる男。人を襲って陶器を焼く竃で処分してしまうという恐ろしい腕前の残忍な美形盗賊だ。
富士の洞窟の中で奇怪な造顔術(今で言う整形手術)を行う謎の美女、月子。罪業を背負った人々を整形し別人に生まれ変わらせるという闇商売をしている。
そしてタイトルにある通り登場する纐纈城と仮面の城主。富士の麓に住む人間をさらって来て冒頭に出てきた纐纈布を作るために生き血を絞り、染色する工場を持つという邪悪の総本山で、人工の水蒸気に隠され本栖湖の真ん中にある。城主は触れる者全てを一瞬で崩れた病人にしてしまうという「奔馬性癩患(ほんばせいらいかん)」なる恐ろしい病気の持ち主。醜い病気を隠すために能面を付けているのだ。
一方その纐纈城と対峙する富士教団神秘境。慈悲の心を持った救世主、光明優娑塞(こうみょううばそく)を勝手に教祖と仰ぐ狂信者の巣窟だ。

これらの主要登場人物が入り乱れてさらにその他大勢(剣聖塚原卜伝までも)登場するのだが、高坂甚太郎はこの纐纈城に導かれて囚われ、土屋庄三郎は富士教団神秘境へと彷徨い込んで、この二人は出会う事がない。
後半はなぜか激しい郷愁を感じた纐纈城主が遂に城を出て、人々を「祝福」しながら甲府に向かうという掟破りの展開。

素早い場面転換と複雑で奔放なストーリー、話はどんどん膨れ上がり脱線してしまい、この伝奇小説の裏バイブルのような作品は残念ながら未完のまま終わってしまう。
にも関わらず「神州纐纈城」は国枝史郎の最高傑作と呼ばれ、三島由紀夫をはじめ、後の時代の数多くの人たちにリスペクトされた。

ストーリー紹介になってなかったが読んでない人で興味を持ってくれる人も多いはず。何と大正14年の作品だよ、これ。
活劇映画もTVも漫画もアニメもTVゲームもなかった時代にこれを読んだ人が受けた衝撃は凄かったんじゃなかろうかと思える。ちょっと読んだだけでも誰でも映像が浮かんでくる程の妖しい魅力を持った小説だ。もともと大衆演劇畑出身の作家であるから映像的な描写やスピーディな場面展開はお手の物なんだろうが、今の人が想像するよりもずっと進んでた大正時代なんだね。

ROCKHURRAHの説明がヘタなので今時のアニメとかではありがちの舞台設定に感じてしまうだろうが、独特のリズム感溢れる名文とほぼ全ての登場人物に見え隠れするダークサイドな部分、読者の想像力をかきたてるような中途半端な終わり方が素晴らしく、不思議と子供っぽい部分はない。

話が大きくなりすぎて収拾がつかなくなり未完、と言えば昔の永井豪の漫画を思い浮かべてしまうが、まさに国枝史郎の小説は漫画向け(実際に永井豪と縁の深い石川賢が漫画にしている)と言える。がしかし、頭の中の映像化は簡単だがこの小説は数々のタブーなものがひしめいているので、実際の一般向け映画なりゲームなりには難しいかも知れない。タブーの部分を抜きにしたらこの作品の魅力は半減してしまうだろうから。でも、個人的にはぜひ誰か映像化に挑戦して欲しい(原作に忠実に)作品だ。

ちなみにSNAKEPIPEの昔の知り合いに纐纈さんという人がいたらしいが、本当にそんな名字あるんだね。纐纈城主の名字は纐纈ではないと思うけど羨ましい。画数が多くて難しいから何度も名前を書かなきゃならない場合は大変らしい。

代表作の中でちゃんと完結していて最もまとまりが良い「八ケ嶽の魔神」になるとさらに登場人物の暴走が激しく、読んでいて笑ってしまう部分もあるほど。
親の因果が子に報い、というこの手の小説にはお決まりの数奇な運命にある呪われた主人公、鏡葉之助(幼名猪太郎)の大活躍、というよりは暴れっぷりを描いた小説で「神州纐纈城」のような大傑作と比べるとかなり粗削りではあるんだが、これはこれで「凄い」と思える、ある意味アナーキーな作品。これまた大正時代に書かれたとは思えないような文体。筒井康隆がかつて「時代小説」という短編で国枝史郎をパロディにしていて、原典を知っていたら大笑い出来る内容だったのを思い出す。

さてさて、これからもう一つの長編「蔦葛木曽棧」についても書こうと思ったのだが、ここまで書いていて正直疲れてしまったので今日はここまでという事にしておこう。
それではごきげんよう。

(未完)