収集狂時代 第4巻 高額ベッド編#01

【どんなお方がこのベッドでお休みに?Glenn Furnitureの作品ね!】

SNAKEPIPE WROTE:

珍しくテレビをつけたら、たまたまショッピングチャンネルで布団乾燥機の販売をしていた。
宣伝を担当している男性が声を裏返しながら「すっごいですよねー!」と、かなり大袈裟に商品の素晴らしさをアピール。
その様子が面白くて、つい見入ってしまった。(笑)
ジャパネットたかた以来、あの手の宣伝や広告がたかた社長風になってるんだろうね。
あまり関係のない前振りだったけど、今日の特集は「収集狂時代」として世界の高額ベッドTOP5を紹介したいと思う。
これは「ビザール・グッズ」とは違うからね!(笑)
あくまでも高額商品なので、よろしく。

では5位からスタート!

Quantum SleeperのThe Anti-Apocalypse Bedがランクイン!
訳すと「反黙示録ベッド」?
一体どういうことなんだろうね。
上の画像の中に書いてある宣伝文句にヒントがありそう。
・化学兵器を使ったテロ対策
・子供の誘拐やストーカー被害対策
・防弾性の安全な部屋
ベッドの宣伝としては聞き慣れないよね?

調べてみるとその宣伝文句通りの機能が付いたベッドのようで。
ポリカーボネイト防弾メッキに化学兵器に対応したベンチレーションシステムによって空気を清浄する外壁だという。
これで弾丸や化学兵器からの攻撃をブロックできるんだね。
更に侵入者に対応したりロックしたりするコントロールパネルを搭載。
センサーや煙などに対応した安全機能も付いている。
緊急事態通信システムとして携帯電話やラジオがあり、数日間を過ごす可能性も視野に入れているためなのか、テレビや電子レンジ、冷蔵庫にDVDプレイヤーまでついている。
もちろんバッテリーパックもあるから安心だね!(笑)
それではいよいよ注目のお値段にいってみよう。
$160,000、日本円で約1800万円也!
第5位で既に2000万円近いお値段だよ。
それにしても…こんなに防犯機能に優れてるけど、ベッドごと運ばれてしまったらどうするんだろうね?
まだ他にも隠された攻撃設備があるんだろうか?(笑)


続いて第4位!
まるで後光がさしているかのような印象的な丸いデザイン。
東洋的な雰囲気を感じてしまうんだけど、会社はアメリカ合衆国アリゾナ州スコッツデールにあるという。
スコッツデール!(笑)
これはつい先日PGAツアー、フェニックスオープンゴルフが開催されて、日本から出場した松山英樹が、リッキー・ファウラーとのプレーオフで優勝したところじゃないの! (説明長い)
今回のベッドとは全く関係ないことだったね。(笑)
そのスコッツデールで1977年から家具を作っている、Parnian FurnitureのPDM Sunset Bedである。
エボニー、サペーレ、および巻き毛カエデによって作られた丸い後光部分はラッカー仕上げで更に光沢を増す。
iPadホルダーや充電設備、テレビやコンピュータモニタも装備されているという。
ベッドの横にある2つにLEDライトに加え、バックライトも点灯するんだって。
ますます後光になるよね!(笑)
さて気になるお値段は…手作りのため素材によって変わるらしいけど、最高値で$210,000、日本円で約2360万円也!
素晴らしい出来栄えだけに、お値段もさすがだよね。(笑)
ちなみにこの丸いデザインは他にもあって。


全部そろえたらすてきだろうね!
総額でいくらになるんだろう?


さていよいよベスト3に突入してきたよ!
第3位はこちら。
邪道、じゃなくて、JadoのSteel Style Gold Bedだよ!
このメーカーのHPを探してたんだけど、見つからなくて。
詳細は不明のまま続けていきましょう。
24金のコーティングとスワロフスキー、というのが高価な理由みたいね。
他にはインターネットができて、playstationで遊べたり、DVDが観られたりする、というのが特徴とのこと。
いやあ、それくらいの装置なら第5位でも整っていましたから!(笑)
それにこんなにキラキラした環境でゲームってどうなのかね?
お値段が$676,550、日本円で約7620万円!
やっぱり大部分が金の値段だろうね?
サラウンドシステムもついているそうなので、この曲を聴きながらより気分を盛り上げてみては?(笑)

第2位はこちら!

これは一体どうなっているんだろうね?
調べてみると、これはオランダにあるUniverse Architectureというデザイン事務所に所属しているJanjaap Ruijssenaarsというデザイナーの作品のようだね。
約680キロの磁石を使ってベッドを浮かせ、更に四隅をワイヤーで固定することで安定性を持たせている。
いくら動かないとはいっても、寝心地はどうなんだろうね?
磁石の効果で肩こりがなくなる、とか??(笑)
寝相が悪い人には向かないだろうけど、心地良いと感じる人も多いはず。
気になるお値段は$1,600,000、日本円にして約1億8000万円!
おーっついに億超え!(笑)
スタイリッシュだし、発想が面白いし、寝心地良いし?
ちょっとコロンとしてみたいよね。(笑)

ついに1位の発表ね!


おやおや、バロック調デザインが高額ランキング1位とは!
イギリスはリヴァプールのStuart HughesがデザインしたBaldacchino Supreme Bed(天蓋付きの最高位ベッド)である。
この方、どうやらラグジュアリー専門みたいで、HPにはたくさんのゴージャスなデザインが載っているんだよね。
ラグジュアリーなiphoneとかラグジュアリーなwiiとか。(笑)
この天蓋付きベッドはそんなラグジュアリー大好きなStuart HughesとイタリアのHEBANONというデザイン事務所との共同制作だという。
ほとんど手作業で仕上げられたというから、すごい仕事してるよね。
高額ランキング1位の理由は、人件費以外に100kgを超える24金を使用したこと、だろうね。
現在のレートで金1kgが4,825,000円、それを107kg使用したということだと516,275,000円。
この時点で5億超えてるよね?間違ってないよね?(笑)
それではいよいよ天蓋付きベッドのお値段ね。
$6,300,000、日本円にして7億1000万円!
もう金の値段の段階で5億を超えることは分かっていたから、そんなに驚かないね。(笑)
この1位を超えるベッドはそうそう出てこないかもね?

今回のベッドの世界高額ランキング、面白かったね!
「ビザール・グッズ選手権」じゃないのに、ちょっと似た雰囲気になるところがポイントだよね。(笑)
また高額ランキングの順位が変わったら、別途紹介しよう!
ベッドだけに!(ROCKHURRAHより習ったギャグ)

昔の名前で出ています、か?(其の四)

【今回出てくるキーワードを散りばめた画像をSNAKEPIPEが制作。何だこりゃ?

ROCKHURRAH WROTE:

何と最後に書いたのが2010年、6年も経って書いてる本人にもまさかの更新となるシリーズ記事がこの「昔の名前で出ています、か?」だ。

本来は、かつてレコード好きでかなり収集していたROCKHURRAHが懐かしのレコード屋を回想するという企画だった。
そういう事をやってた現役の頃からかなり時が流れているから、もしかしたら足繁く通った店はあとかたもなく潰れてるかも知れない。
移転、または店名自体が変わってるという可能性もある。
しかしそんなことをいちいち調べて書くとものすごく大変だから、本当に単なる記憶だけで書いたのがこのシリーズ記事だった。
6年経った今もまるで進歩してないどころか、記憶力が退化してSNAKEPIPEと二人で「あー。あれ何だっけ?」「誰だったっけ?」とか言いながら忘れてたことを思い出す毎日(笑)。
これじゃいかんと思い、記憶がまだ多少あるうちに(大げさ)過去のことを記録しておかねば・・・なんて大層な理由じゃないんだけど、久しぶりにこういう「昔」ネタを書いてみよう。

今回はレコード屋とか音楽に限らず、ROCKHURRAHの故郷とも言える小倉にあった店についてテキトウに思い出してみるよ。本当にテキトウなので呆れないでね。
この際、重要度は抜きにして思い出したかどうかだけがポイント。

日本の地名でどれくらいメジャーなのかわからんけど、福岡県北九州市にあるのが小倉という地区で小倉北区、小倉南区の二つに分かれている。
ROCKHURRAHの生まれは福岡県のもっと南西の山の中なんだけど、そこから西鉄大牟田線にあった基地の町を経て、小学生の時に北九州に引っ越してきた。ROCKHURRAHが生まれる前から親は割と転々としたらしく、意外と風来坊な気質だったのかな?
ROCKHURRAHも東京、福岡、京都、千葉、まあまあ転居が多いけど東京に出るまでの間はずっと小倉の住民だったわけで、当然何かの思い出やエピソードもあるのは間違いない。とは言っても別に劇的に生きてきたわけじゃないから他愛もない平凡な思い出ばっかりだったなあ。

先日、何年ぶりかで小倉に帰る用事があったんだが、何と小倉に滞在していたのはたった三時間だけという、芸能人並みのスケジュールで行動した一日があった。
急用じゃなければもっとゆっくりしていたかったんだけどね。

さて、そんな小倉の、人にとってはどうでもいいと思える場所を思い出すので少しの間、過去に遡ってみよう。
偶然この記事を読んで同時代を体験し、今でも覚えている人はどれくらいいるのかわからないが一人でも「ああ、あったねえ」と思い出してくれればそれでいいよ。
あらかじめ断っておくがROCKHURRAHが過ごしたその時代の小倉に限定してるので、その後でも前でもない。一応、当時の記憶でマップを作ってみたが、もちろん今の小倉っ子が読んでもよくわからないだろうな、と想像する。

ROCKHURRAHはこの街でパンク・ロックに目覚めレコードを買い始めた。
がしかし、そういう眼で見ると小倉の街はとても遅れてて、ちゃんとした輸入盤のレコードが買える店も当時はほとんどなく、仕方ないから小倉よりは都会だった博多、天神に買い物に出かけていた。
この辺はまあこのシリーズ記事の最初でも書いたな。

ROCKHURRAHはただレコード集めだけを趣味にしていたわけじゃないからパンクでニュー・ウェイブな服装とかにも興味があった。
まだ学生で金もなかったからバイトをして、その金でレコードや服を買っていたものだ。東京のように安く古着とか買える店もなく、そういう物価は逆に小倉の方が高かったのは確かだった。
その頃、よく通っていたのが「びんろう樹(MAP①)」という洋服屋。今では滅多に使わないけどブティックという言葉に当てはまる店(笑)。
魚町銀天街(小倉の中心地を貫くアーケード街)のどこかのビルの二階にあったな。ちょっとゲイっぽいと勝手に思ってたお兄さんがいて、少しニュー・ウェイブの話をしてた覚えがある。今では知ってる人も稀だと思えるがCOZO COMPANYというメーカーの出していたラバーソールの靴がロボットやジョージ・コックスなどの本家とは違った感じで、これが気に入ってボロボロになるまで愛用していた。

あと、小倉の中心街から離れた片野という何もないような場所になぜか当時の東京の古着屋にも負けない意気込みの古着屋があったな。
確か「ダイヤモンド・ガーデン(MAP外の場所なので番号なし)」というような店名だったが覚えてる人はいるだろうか?
ただ古着だったら何でも置く店と違い、ここは明確にフィフティーズ、ロカビリー専門の店だった。外観や内装も50年代っぽくしてて地方ではなかなか誇れるくらいの店構えだった。
暴走族、ヤンキー、そしてそのOB達が多く住む暴力都市だった小倉だから、リーゼントの延長としてロカビリーが人気だったのか?あまり関係ないような気もするが、確か高校の先輩の友達が店員だったかな。本当の古着に混じってジョンソンズやクリームソーダなども置いてあったな。
ジョンソンズのズートパンツを買った覚えがあるが、ポケットに変なくせがついてて、すぐに逆向きになってしまうからほとんど穿いた記憶がないよ(笑)。
同じ頃に買ったレーヨンのシャツは確かとても珍しいもので、これは後に東京で古着屋通いをしてた頃、色んな店で「すごく良い」と評価されたなあ。モデルが良かったか?
この店は意気込みは良かったに違いないが、たぶん場所も悪かったからすごく短い期間で閉店したような気がする。

その頃よく行ってたのが小倉駅前の「UCC(MAP③)」の喫茶店。別に何てことない普通のサラリーマンや学生が集うような店だった。パチンコ屋が並ぶ近くだったからスポーツ新聞広げて開店を待つような客も多く、ガラも悪かった。ああ、当時の小倉は本当にデンジャラスだったよな。ROCKHURRAHのようにパンクでニュー・ウェイブだった人間がわざわざ行かなくても、というような店構え。ここでよく食べてたのが何だかよくわからない鉄板焼きのようなナポリタンだった。目玉焼きが上に乗ってて食べてる間に下のほうが焦げてしまうという貧相な料理だが、このパリパリの焦げが気に入ってたのかな?最後に小さなグラスでコーヒーフロートがついて来て、かなりお得感があるメニューだったな。

魚町銀天街から横にそれた通りの小洒落たビルの二階にあったのが「コーヒー オオニシ(MAP④)」。一階がマックアビーという洋服屋、隣が本間ゴルフの店だったかな?またしてもビル名思い出せないよ。記憶が確かじゃないとムズムズするね。
これまたパンクやニュー・ウェイブゆかりの店とはまるで違ってたけど、当時仲良くしてた四人組のたまり場だった。音楽仲間、ただしやってる方じゃなくてリスナーの方ね。
毎日のように通ってるうちにここのバイトになってしまった。
下のマックアビーには小学校の時の同級生が働いてたな。小学校の時はほとんど話した事なかったし、再会しても「あー、六年の時の」程度の顔見知りだけど、狭い世界だったな。
店主は天才肌だがものすごく偏屈な人で、店舗経営には間違いなく向いてなかったタイプ。いい店だったんだがその店主が突然店に来なくなってあえなく廃業。
しかし潰れる前には結構、ROCKHURRAH一人で店を開けて一人でウェイター&厨房やって、ランチタイムとかまで切り盛りしてたもんだ。今よりもずっと有能だったらしい。

魚町銀天街が終わった先には旦過市場という古い食品街があった。他に例える市場を知らないから言うが、京都の錦市場みたいな感じで、あれよりももっと「戦後感」に溢れるゴミゴミした通りだった。入り口には「丸和」というスーパーがあって、当時の地方都市には珍しい24時間営業だった。
この店については特に書いてないが当ブログで「マルワランド・ドライブ」というデヴィッド・リンチのパクリみたいなタイトルで傑作記事を書いていたな。

その旦過市場入り口の横の方の角に全日空ビルというのがあって、そこの地下には「シェリーズ・バーMAP⑤」という巨大なカフェバー(たぶん死語)があった。
それより前から小倉の鳥町食堂街にあった「はんぷてぃ・だんぷてぃ」というパブのメンバーが独立して店舗を構えたように記憶する。何とROCKHURRAHの兄も創業時のメンバーの一人で、数年後にROCKHURRAH自身も少し働いたことがあった。
当時の小倉ではカッコイイ店のつもりだったんだろうが、なぜか一番盛り上がる時間帯にマイケル・センベロとか流すような店だった。スタッフはみんないい人だったけどね。
数年後、ROCKHURRAHがすっかり東京の住人になっていた頃、潰れたと風の便りに聞いたな。

ROCKHURRAHはバイクや車にはそこまで興味がなかったが、移動手段としてスクーターを愛用していた。東京に出た後は一切乗ってないから、この時代限定なんだけど、これによって一気に機動力が増して行動範囲も広くなった。機種名は敢えて書かないがヤマハの割とパワフルなのに乗ってたよ。
小倉や福岡の市街を網羅している交通手段はバスが主流だった。独占企業と言っても良いシェアを誇ってるのが西日本鉄道、通称西鉄バス。これが狂気のように北九州に網の目状のバス路線を開拓したから、北九州のどこへでもバスに乗りさえすれば行けるくらいに発達していた。小倉駅前から実家に帰るのにいくつもの路線が存在するほど。まあ便利と言えば便利なんだけど、行きたい方向の路線が複雑すぎて慣れないと大変でしかも運賃がバカ高い。
だからスクーターは自由に動きまわりたいROCKHURRAHにとっては大切な相棒だった。これに乗って大好きだった苅田の埋立地に出かけたりしたもんだ。こんなところにトラックでもなくて来るのは釣り師かROCKHURRAHくらいのもんだったなあ。
あと、気に入って行ってたのが南小倉にあった「満遊書店(MAP外の場所なので番号なし)」という巨大古本屋。ブックオフとかの大チェーン店でもなく、九州にしかなかったように記憶するが圧倒的な量の古本在庫があって、初めて入った時にはカルチャー・ショックを受けたものだ。他の店舗は知らないが福岡空港の近くにも最大規模の店があり、あまりにも巨大過ぎて本を探してる途中で疲れたり力尽きたりしたが、これは東京あたりの小型古本屋しか知らないような人が見たら卒倒するくらいの質量(大げさ)。

あくまでも個人的な思い出の小倉ばかりを思い出してみたけど、久しぶりに原点を思い出すのは楽しかったよ。また今度、気が向いたら色んな事を回想してみよう。

ではまた、さらばっちゃ(←小倉の人は絶対言わない)。

ふたりのイエスタデイ chapter08 / Art Of Noise

【今見ても意味不明のレコードジャケット。その謎に惹かれるんだよね】

SNAKEPIPE WROTE:

SNAKEPIPEとROCKHURRAHがこれまでの人生において好きだったことを語っていく「ふたりのイエスタデイ」。
過去恥部的な企画のせいか、なかなか書き辛いのが実情なんだよね。
なるべく恥ずかしくないように努力すれば大丈夫かな?(笑)

天気予報と時刻を知る目的のため、朝だけはテレビをつけるけれど、それ以外の時間はつけるとしたらラジオである。
以前何かの記事にも書いたけれど、最近はインターネットラジオでパンクか80年代ニューウェイブのチャンネルを聴くことが多い。
かつて大好きだったあの曲、あのバンド。
最近は人の名前や映画のタイトルをすぐに思い出せなくなっているのに、どうして80年代のバンドと曲名はあっさり口をついて出てくるんだろう。
若いうちに勉強しておいたほうが良い、というのがよく解るね。(笑)
今日はそんな大好きだったバンドの中からThe Art Of Noiseについて書いてみよう。

ここからはカタカナ表記でアート・オブ・ノイズと書いていくのでよろしく!
アート・オブ・ノイズって何?という人のために、少し説明をしてみようか。
などと大それた書き方をしてしまったけれど、当時はほとんど情報がなくて「トレヴァー・ホーンのZTTレーベルからデビューした謎のバンド」というような紹介しかされていなかった。
トレヴァー・ホーンって大ヒット曲「ラジオスターの悲劇」で有名なバグルスのリーダーね。
最初は覆面バンドで、誰がバンドのメンバーなのか全く知られていなかったんだよね。
現在では、例えばWikipediaにもメンバーについての情報があるので、SNAKEPIPEも今回調べて初めて知ったことばかり。(笑)
特にメンバーや使用していた機材についての知識がなくても、その革新的な音楽には聴いた瞬間から魅了されてしまったのである。

トレヴァー・ホーン発明と言われる
「オーケストラヒット」や、
当時1000万円以上したサンプラー「フェアライトCMI」によって作り出されたサウンド・コラージュと、
当時最新鋭の技術であった「サンプリング」を駆使して、車のエンジン音や物を叩く音など
身のまわりのノイズを再構築することで
音楽に仕立て上げた「騒音の芸術」

いやはや、文章で表現するとこんな感じになるんだね。(笑)
「におい」や味と同様に、音楽についても実際に聴いてみないとわからないと思うけど、実験的なエレクトリック・ミュージックだということは分かるよね。
アート・オブ・ノイズの場合は、そんな機械的なイメージに文学的要素をプラスしたため、知的な音楽集団というイメージになったんだよね。
「afraid」「close」「fear」などのネガティブな単語を使ったタイトルにも興味を持ったことを覚えている。

Wikipediaからの受け売りだけど、グループ名は、イタリア未来派の画家・作曲家・楽器発明家 ルイージ・ルッソロの論文「騒音芸術(Art Of Noises)」から採用されているという。
ちなみにレーベル名である「ZTT」もイタリア未来派の詩人フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティのサウンド・ポエム・タイトル「Zang Tumb Tumb」や「Tuuuum」という単語から影響を受けているとのこと。
サウンド・ポエムってなんだろう?
調べてみると「意味を拒絶した音の響きだけで成り立たせようと試みる詩」で、ダダイストのH.バルやシュルレアリストのA.アルトーは純粋な音響詩を試みているらしい。
これってもしかしたら先週の「映画の殿」で書いた
Digue dondaine,digue dondaine,
Digue dondaine, digue dondon!
みたいな感じなのかも?
意味を拒絶、という定義に当てはまるのかどうか分からないけどね。

最初に聴いて衝撃を受けたSNAKEPIPEは、すぐにLPを購入する。
「Who’s Afraid of the Art of Noise?」、邦題は「誰がアート・オブ・ノイズを…」だった。
どうしてこの邦題になったのか不明だけど、このタイトルにも文学的な匂いを感じていたSNAKEPIPE。
当時は文学少女だったから反応したんだろうね。(笑)

文学的と書いたけれど、実はほとんど歌詞はなく、インストゥルメンタルな曲ばかり。
実験音楽に触れたのは初体験だったけれど、すんなり馴染んだのはリズムとメロディラインがはっきりしたポップなチューンが多かったからだろうね。(この表現は古めかしい!)

当時はミュージック・ビデオを見る機会は限られていたので、上のビデオも初めて見たよ。
どこで撮影したんだろうか。
まるで「映画の殿 16号」 で特集したタルコフスキーの「ストーカー」の中に出てくるような場所だよね。
やりたいことはよーく分かるんだけど、撮影技術がついていっていない感じの、少し残念なビデオ。
もうちょっとアートにできたと思うけどなあ。


実はアート・オブ・ノイズが来日した時、長年来の友人Mと一緒にライブに行ってるんだよね。(笑)
Wikipediaによると1986年日本青年館で東京公演とあるので、多分それを観たんじゃないかな?
あまりはっきり覚えていないけれど、上の画像にある仮面が舞台の上部に飾られた真っ暗な中でのライブだったような?
そのため本当に今、ここで演奏しているのか不明で、もしかしたらレコードをかけていても分からないような状態だった感じ。
なんだかせっかく出かけて行ったのに、肩透かしを食らった気分だったっけ。 (笑)

数年してからテレビから聴いたことがある音楽が流れてくる。
そう、日本ではもうすっかりお馴染み、Mr.マリックのテーマとして認知されてしまった「Legs」である。
あの知的な文学性を持ったアート・オブ・ノイズが、ハンドパワーのマジシャンに採用されるとは意外だったよ。(笑)
手品師の音楽といえばポール・モーリアの「オリーブの首飾り」を思い出すけれど、同じようなイメージがつくのはちょっと残念!

トレヴァー・ホーンは2010年に大英帝国勲章を授与されているという。
現在はThe Producersというバンドで、かつて自分が関わった曲のカヴァーを演奏しているみたい。
もう一度何か世間をあっと言わせるようなことを仕掛けてくれないかな?

映画の殿 第18号 小さな悪の華+乙女の祈り

【4人の美少女(?)達!】

SNAKEPIPE WROTE:

映画のタイトルバックが終わった後、本編が始まる直前に、「Based on a true story」(この話は真実に基づく) という文言を見かけることが多い今日この頃。
例えばキャスリン・ビグロー監督の「ゼロ・ダーク・サーティ」や昨年日本で公開された「フォックスキャッチャー」なども、実話に元に制作された映画である。
「事実は小説よりも奇なり」ということなのか、映画関係者のネタ切れなのかは不明だけれど、よく見かけるフレーズなんだよね。
70年代には、どれくらいの作品が事実を元に制作されていたんだろう?
今日ご紹介する「小さな悪の華」(原題:Mais ne nous délivrez pas du mal )は1954年に実際にあった事件を16年後である1970年に映画化した作品なんだよね。

黒髪のアンヌとブロンドのロールは15歳。
寄宿学校に通う2人はバカンスを利用し、盗みや放火、また牧童を誘惑したり庭番の小鳥を殺害したり、悪魔崇拝儀式を取り行うなどの残酷な行為を繰り返していた。
やがて2人の行為はエスカレートし、死の危険を孕んだ破滅的な終局へ向かっていく。

反宗教的で淫靡な内容のため、製作国であるフランスではもちろんのこと、世界中で上映禁止になり、アメリカと日本でのみ上映されたという「いわくつき」の作品なんだよね。
そのため本国フランスでのトレイラーは存在せず、日本版のトレイラーをみつけたよ。(笑)
元になった事件というのがニュージーランドで起こった15歳の少女2人による母親殺害なので、「小さな悪の華」は15歳の少女2人が悪事に手を染める設定だけ類似させているんだね。
事件そのものとの接点はほとんどないと言って良いみたい。

1970年の作品のためなのか、少し画面が暗い。
2人の少女、と聞くと明るく清潔で希望に満ちた未来に心をときめかせている、バラ色の頬に屈託のない笑顔というイメージを持つけれど(えっ、持たない?)アンヌとロールにその少女像は通用しないようだ。
あらすじにもあるように盗み、放火、動物虐待と殺害、大人の男を誘っては逃げるなどのハレンチな行為(!)を繰り返す。
当時はキリスト教を冒涜し、悪魔崇拝の儀式を行うところが一番の問題だったのかもしれないけれど、現在ならば児童ポルノと言われてしまうようなシーンのほうに眉をひそめ、倫理がどうのと言う人が多いかもしれないね?

大人の男を誘っては、相手がその気になった途端に「これはお遊びよ!」とからかって逃げる2人。
「私の魅力に屈しないはずはない」という充分な自信を持っていたからこそできた「遊び」だと思うんだけど、SNAKEPIPEには彼女達の魅力が伝わってこなかったんだよね。(笑)
予告のトレイラーにも「黒髪とブロンドの美しい少女」って書いてあるんだけど、残念ながら賛成することができないんだな。
こんな単純な誘いに乗る大人の男もなあ、という感想を持ったけど、実際にロリコンはいっぱいいるからね。
SNAKEPIPEには理解し辛い部分だったね!

「小さな悪の華」の中でSNAKEPIPEが一番印象的だと感じたのは、2人の少女が並んで詩の朗読をするシーンかな。

若者は家に帰ると頭を抱えた
学問の詰まった豊かな脳みそ
狂気が流れる
防壁が必要
穴を掘れ
防壁が必要
穴を掘れ

全く意味不明の、さすがフランス、とも言えるようなポエム!
どうやらジュール・ラフォルグの詩やボードレールの詩を混ぜたものみたい。
「小さな悪の華」というタイトルもボードレールの「悪の華」から引用されていることはすぐに分かるもんね。
Digue dondaine,digue dondaine,
Digue dondaine, digue dondon!
フランス語を知らないので「ディガディガディン、ディガディガドン」と聞こえてしまう、この音の響きが特に耳に残り、時々真似をしてしまうSNAKEPIPE。(笑)
ここが「穴を掘れ」になってたんだけど、原語と訳では意味合い違うんだろうね?

少女2人が笑いながら悪事を行うところがポイントかな。
罪の意識を持って敢えて悪いことをする、という点が怖いんだよね。
悪いことと知らなかったから笑って悪事をしていた、のほうが一般的な気がするからね。(この表現は変だけど)
国によって残酷の基準や倫理、マナーや宗教が違うけれど、もう今は「小さな悪の華」を上映禁止にする国はほとんどないんじゃないかな?
様々なジャンルの映画が公開されている昨今ならば、もうフランスでも上映解禁されているかもしれないね。

続いて紹介するのも、同じ事件を題材にした「乙女の祈り」(原題:Heavenly Creatures 1994年)である。

クライストチャーチの女子高に通う内気な少女ポーリンと、イギリスからの転校生ジュリエット。
2人は親友同士になり、秘密の世界を作り上げる。
少女たちの絆があまりに強いため、周囲の大人は同性愛と見なし引き離そうとする。
2人は一緒にいるために作戦を考えるのだが…。

「乙女の祈り」は1954年に起きた事件をそのまま忠実に再現したストーリー展開をしている作品のようである。
監督は「ロード・オブ・ザ・リング」で有名なピーター・ジャクソン
ニュージーランドで起きた事件だから、同じ出身の監督が起用されたのかな?
ファンタジー色が強い人、と思っているとROCKHURRAHからは「バッド・テイスト」の監督というイメージだと言われる。
スプラッター・ホラーだって!
それが初監督作品だというから、ファンタジーとはかけ離れてるよね?
ただし「乙女の祈り」にもクリーチャーを使用しているので、そこがピーター・ジャクソンらしさになるんだろうね。
主人公であるポーリンとジュリエットが創作した小説世界を映像化した場面は、粘土細工の人型が動くという不思議な世界。
このシーンはなかなか面白かったね!

主人公ジュリエットを演じたのが、これがデビュー作となるケイト・ウィンスレット
「乙女の祈り」の時に18歳か19歳だと思うんだけど、非常に醜悪で驚いてしまう。
はっきり言って全く「乙女」に見えないんだよね。(笑)
もしこれが役作りだとしたら、大成功かも!
ジェームズ・キャメロン監督の「タイタニック」でヒロインを演じて、世界的に有名な俳優になるとは思えないくらいの酷さ!
そう書いてはみたものの、SNAKEPIPEの「一生観ない映画」リストに「タイタニック」が入っているので、実際にヒロインだったかどうかは知らないんだけど!(笑)

もう一人の主人公であるポーリンを演じたのがメラニー・リンスキー
ぽっちゃりした体型に加えて、 何事も思い通りにならない青春時代の鬱屈した状態が表情に出ているので、こちらもかなりの醜悪ぶり!
2人の美少女が、とはキャッチフレーズできないなー! (笑)

現代では同性の恋愛について寛容になっているし、実際に結婚を認めている国もあるよね。
1954年のニュージーランドでは、まるで精神的に異常で、病気であるかのような扱いを受けてしまう2人。
時代が違っていたら、事件を起こすこともなく、ずっと2人で仲良く生きていかれたのにね。

「小さな悪の華」も「乙女の祈り」も同じ事件を題材にしているとのことだけど、印象はまるで違う。
前述したように事件そのものを再現しているのは「乙女の祈り」なので、事件について知りたい人にはお勧めかも。
SNAKEPIPEは事件そのものよりも、映画としての完成度としてみるならば「小さな悪の華」に軍配を上げる。
少女2人の秘密めいた雰囲気と残酷さがよく出ていると思うからね!

1954年の事件の犯人であるジュリエットはアン・ペリーと改名し、 ベストセラーの推理小説家になっているというオチがつく。
実際に事件の当事者が作家になるというケースは、そう多くないよね。
ましてや世間を騒がせた殺人犯人がベストセラー作家になるとは!
ジャン・ジュネや安部譲二を思い出すけれど、殺人犯人ではないからね。

同じ事件を題材に2つも映画が制作されるというのも稀だよね。
事件にも人を惹きつける魅力があったということなのか。
アン・ペリーの作品も読んでみようかな。