時に忘れられた人々【07】グラム・ロック編 side A

【グラマラスな野郎ども】

ROCKHURRAH WROTE:

時代の徒花と書くと大げさ過ぎるが、今の現役とは言えないような人々に焦点を当てた、割とどこにでもある企画「時に忘れられた人々」も随分久しぶりの更新となる。最後に書いた(【06 ヴィンテージ漫画篇】)のは2010年の正月くらいかな?

今回はこれまた割とどこにでもある特集だが70年代グラム・ロックに焦点を当ててみよう。このジャンル出身の人気スターも数多く生まれたし、音楽やファッションとしても後の時代に与えた影響が大きかった。そういう意味ではパンクと並んで1970年代に最もインパクトのあった音楽がグラム・ロックだったと言っても差し支えないだろう。

発生についてはROCKHURRAHがとやかく語るようなものではないので、もし知らない人がいて興味あるようだったら各自ネットとかで調べて欲しいが、グラマラスなロックだからグラム・ロック、と実にわかりやすいジャンルである事は間違いない。

簡単に言えば1970年代初頭にケバケバしい化粧をした男達が女装、またはラメのような派手っちい格好してやってたロックの事だ。少し他の音楽ジャンルと違うところは、グラム・ロックが特定の音楽的特徴を持ったロックではなく、その見た目に対して付けられたものだという事。派手でギンギンの(死語)ロックンロールだろうが地味で眠くなるような音楽だろうが、化粧さえしてればこの時代はみんなグラム扱いされてたというような風潮があったらしい。おおらかな良き時代かな。

これから書くコメントと映像を見てもらえば、たとえグラム・ロックなど全く知らなかったような人々でも何となく「こういうのか」とわかるに違いない。

ROCKHURRAHがまだ洋楽ロックを聴き始めたくらいの頃。 たまたま好きだったバンドがどうやら初期にはグラム・ロックの仲間だったと判明したから、何となくグラム寄りのバンドに好きな傾向が含まれているのを悟り、テキトウに聴いてただけで、この手の音楽が何でも好きなわけではない。ついでに女装趣味なども全くない。そんな人間だからグラム・ロックにどっぷり浸かってるような人みたいにディープに紹介など出来っこないのは承知だが、まあ書き始めたわけだから無理やり進めてみよう。

しかしざっと思い出しただけでも意外と層が厚いぞ、このジャンル。とても一回では書ききれそうにないなあ。というわけで今回はそのA面と題して半数くらいを書き綴ってみよう。

言わずと知れたグラム・ロックの代表みたいな超有名曲。80年代くらいまでは常に時代の寵児であり続けたデヴィッド・ボウイだが、何と1964年のデビューというからその活動歴の長さにも驚きだね。確か最初の頃はモッズ風の髪型と服装だったように記憶する。 ボウイがグラム・ロックの中心だったのかどうかはよくわからんが、この人がやり始めたからグラム・ロックは栄え、この人がやめたからグラム・ロックが衰退して行ったという部分があるのは間違いない(と思う)。1972年に出たアルバム内容は「ジギー・スターダストという宇宙からやって来たロック・スターの栄光と衰退」をデヴィッド・ボウイが演じるという、その当時では珍しいコンセプトのものだ。この映像でもわかる通りの派手なメイクにモンチッチ風(古い)の髪型はハード・ロックだのプログレだの、当時の地味な見栄えのロックを聴いていた者たちには衝撃的だったのではなかろうか?違う?

デヴィッド・ボウイの場合はグラム時期以外の活動の方が長いわけだし、そもそも今回のタイトルに反して全然「時に忘れられ」てないわけだが、このジャンルでボウイをすっ飛ばすわけにもいかないからなあ。

まあ何はともあれグラム・ロックで本当に今見ても通用するヴィジュアルのミュージシャンはデヴィッド・ボウイだけ・・・と思ったが、誰がどう見てもミニスカートのワンピースで太もも丸出し、ニーハイ・ブーツ履いた中性的な男じゃ、いくら美しくても気色悪さ半々か(笑)。

これまた王道過ぎる選曲で申し訳ないが、やっぱりこの曲が一番好きだから仕方ない。彼らも60年代から活動していたけど、T-Rex名義になってからはグラム・ロックの代名詞として君臨する。最初に王道と書いたものの、音楽的には結構特殊な部類に入ると思う。笠置シヅ子やダウンタウン・ブギウギバンドでもおなじみ(?)のブギーを好んで取り入れたり、パーカッションを非常に効果的に使ったり、それ以前のロックバンドにはあまり見られなかったようなスタイルのバンドだった。そしてマーク・ボランのフニャッとした歌声とルックス、惚れる要素はかなり多いね。どんどん新しい試みを始めてその都度スタイルがガラリと変わってしまうデヴィッド・ボウイとは違って、グラム・ロック最盛期の短い期間に活躍したわけだから、より「グラム・ロックの帝王」度は高い。亡くなった後で神格化もされたしね。

そのグラム・ロックは74年くらいにはもう下火になってしまったのだが、それを聴いて育ったパンク、ニュー・ウェイブのアーティストが後の時代にT- Rexから影響を受けたような音楽をやって、それを聴いた世代がまた新しい世代のグラムを始める。というように音楽はずっと輪廻転生を続けている。しかしこれから行き着く先にオリジナル以上のものはないだろうな。

ボウイやT-Rexよりは少し遅れて登場したのがスティーブ・ハーリィ率いるコックニー・レベルだ。デビューは73年で74年の「Psychomodo(さかしま)」くらいまでがいわゆるグラム・ロック期にあたる。それ以降はメンバー・チェンジをして普通にポップなロック・バンドに転身してしまったのでグラムっぽさは全然なくなってしまう。その辺も好きではあるんだが今回のテーマとは違ってくるので、今はこの初期コックニー・レベルについてだけ書くことにしよう。

彼らの音楽は典型的なグラム・ロックとは異なり、キーボードやヴァイオリンを多様したクラシカルで耽美的なもの。ケバさも控え目。70年代初期に蔓延っていたプログレッシブ・ロックと、スティーブ・ハーリィが個人的にやっていたボブ・ディラン風の字余りソングが無理やり合体して出来上がった、ややイビツな音楽。ただしそれはある種の人間にとっては魅力的で心地良いものだった。ロンドン下町の労働者に由来するコックニー訛りの歌い方(sayをセイではなくサイと発音するような感じ)も充分に個性的。このいやらしい&圧倒的にエモーショナルな歌い方を武器にコックニー・レベルは独自路線を突き進めてゆくが、日本ではあまり人気なかったなあ。やっぱり見た目のせい?

75年に「Make Me Smile」で大ヒットして華麗なポップ・スターになる以前のコックニー・レベルの映像が少ないから見てきたようには書けないが、初期は目の下だけ隈取りみたいなペインティングをしたりピエロ風の格好をしたり、あとは牧師風とかヒラヒラの純白衣装とか・・・グラム・ロックの見た目としては割と健全で地味目(笑)。しかしこの映像見ても超バギー・パンツみたいな極太のものを平気で穿いていて侮れない。こういう時代だったんだね。

この曲は2nd「Psychomodo」に収録、サーカスとか大道芸とか、そういうノスタルジックなものを思わせる名曲だね。

ここでは紹介しきれなかったがその2ndタイトル曲の「Psychomodo」もギターじゃなくてヴァイオリンによるロックンロールという、意表をついた展開のカッコ良い曲で大好き。

本来はローリング・ストーンズのようなバンドでグラム・ロックの範疇には入らないのかも知れないが、デヴィッド・ボウイやミック・ロンソンなど当時グラム・ロック有名人とも関わっていたので、まあここで書いてもおかしくはないだろう。

今の時代に「誰でも知ってる名曲」とは言い切れないかも知れないが、デヴィッド・ボウイが提供した彼らの最大のヒット曲「All The Young Dudes(すべての若き野郎ども)」は70年代においてはロック史に燦然と輝いていた。こんな名曲をあっさり人のために書き上げるボウイもすごい太っ腹だとは思うが、それだけ惚れ込んでいたという事だろうね。

このバンドの主役イアン・ハンターはマーク・ボランのような(あるいはクリスタル・キングのような)ちりちりのカーリー・ヘアと大きなサングラスがトレード・マークなんだが、サングラスを外したところをあまり見た事がない。絶対に弾きにくいに違いないHの形(ハンターの頭文字)をした特注ギターも有名。しかしこのイアン・ハンター以外のメンバーが似たような見た目ばかりで、人の顔がなかなか覚えられないROCKHURRAHにとってはどれがベースでどれがギターだかよくわからん。せめて色くらい変えてよ。

このバンドには後にバッド・カンパニーに加入するミック・ラルフスなども在籍していたんだが、個人的に思い出深いのはかつて2回ほど目撃、遭遇したキーボード奏者モーガン・フィッシャーだ。レコードでしか知らない海外有名バンドのメンバー相手に普通に接客してたROCKHURRAHもなかなかのものだ(笑)。

スウィートもかなり派手な衣装と70年代アイドル的髪型(全員麻丘めぐみ風)で大人気だったバンドだ。

70年代イギリスの音楽界で屈指のヒットメイカーだったコンビ、マイク・チャップマン&ニッキー・チンの力で大ヒットした曲はどれもポップで馴染みやすいものだが、この曲もグラム・ロックの代表的な名曲で、今でも色褪せる事なくノリノリになれる事間違いなし。

パンクやネオ・ロカビリー、サイコビリーのバンドでも流行りのようにこの「Ballroom Blitz」はしつこいほどカヴァーされた事で有名。ダムドやミスフィッツ、ロング・トール・テキサンズ、オランダのバットモービルにスイスのピーコックス、フランスのワンパスなどなど・・・。おっと忘れちゃいけない。我が日本の誇る美形ギタリスト、エディ・レジェンド(MAD3、ヘルレイサー、エディ・レジェンド・ストーリー)もカヴァーしておりやした(変な日本語)。リズムがノリやすいとか派手で盛り上がりやすいとか、カヴァーしやすいとか色々理由はあるだろうけど、ここまでビリー系の心を鷲掴みにした名曲は他にないとまで言える。

余談ばかりになってしまったが、このオリジナルのグラマラス具合に肉薄するカヴァーはさすがにないなあ。メインのヴォーカルよりも途中からイナセなシャウトで割り込んで来るベーシストの絡みは本当にゾクゾクするよ。

さて、A面最後を飾るのはジョブライアス。これまでイギリス発祥のグラム・ロックばかりを書いて来たが、これはアメリカ産のグラム・ロックだ。何だかよくわからん活動をしてあっという間に消えて、ロック界で最も早い時期(83年)にエイズで死んでしまった謎の男、タイトルも「謎のジョブライアス」。オリジナル盤はかなり入手困難でしたな。

さて、問題の映像だがこれがなかなかすごい。頭からでっかいシャボン玉みたいなものをかぶって登場、それを手動ではじけさせるチープ&陳腐な演出。そして歌い、踊る仕草は「カッコイイ」を完全に通り越してるよ。踊りはまるでボン・クレーの実写みたいだし、笑われたいのか、それとももしかして本気でバカなんじゃないの?というステージングに圧倒されっぱなしだ。

しかしここまで見て、読んで、ほとんどの人はわかったはずだ。グラム・ロックは知的で芸術的な音楽発表の場ではなく、いかがわしくて紛い物プンプン、バカバカしくもビザールなロックンロール・ショーという側面も併せ持つという事を。わざわざ倒置法で書くまでもなかったか。まあ、そういう意味ではジョブライアスなんかはかなり本格的にグラム・ロックを体現したアブノーマル・アクティビティだと言える。 さてさて、次回もこのグラム・ロック編のB面を書きますので、乞うご期待を。

(つづく)

2011年元旦

【ROCKHURRAH RECORDS製作の2011年賀状。ド派手!】

ROCKHURRAH WROTE:

新年明けましておめでとうございます。

ROCKHURRAH RECORDSが毎年恒例にしていて12月になると頭を悩ませているのが年賀状作成。

平日にはあまり時間がないので週末にブログ書いたりしてるんだけど、去年の12月はその少ない週末に行事が集中してしまった。

いつもは月半ばくらいには印刷まで済んでるこの年賀状作成もタイムリミットである12月25日直前までデザインさえ出来てない状態で、SNAKEPIPEと二人で焦りまくって作ったのが上のもの。

一昨年はタイムトンネルみたいなバックをバイクが疾走するような年賀状、

昨年が50年代〜60年代風のレトロSF映画(というより怪獣映画)のポスター風、

というように毎年何となくテーマを決めて作るようにしているんだけど、今年はサイケデリックな感じにしようよ、とSNAKEPIPEから「お題」を出されてしまった。

うーん、サイコ(ビリー)やネオ・サイケだったら得意技のROCKHURRAHだがいわゆる60年代風のサイケデリックの洗礼は全然受けた事がなくて最も苦労したのが今回の年賀状かも。

色々と試行錯誤してサイケというよりはお色気スパイ・アクション映画のポスター風、ちょっとだけ和風テイストも盛り込んだド派手なものが何とか出来上がったよ。これで食ってるわけじゃないのでありきたりなのはご勘弁を。

さて、デザインも出来上がって印刷もきれいに出来た。あとは宛名を印刷するだけ、という時になって問題勃発!

SNAKEPIPEが購入した高級写真用紙は「はがきサイズ」と明記してあったが単にはがきと同じ大きさの写真用紙で、裏側は印画紙の裏と同じような仕様、はがきではなかったのだ。だから宛名面を印刷してもインクが全然のらないという事が投函直前に判明したというわけ。これじゃ実際のポストカードにはならないので、仕方なく宛名シールを作って貼るという情けない状態になってしまった。

裏表両面をキチンとキレイに仕上げるはずだったのに非常に残念!来年はちゃんとしたはがき用紙にします。

しかし、毎年どんどん派手さに磨きがかかってゆくROCKHURRAH RECORDSの年賀状、ここまでカラフルだともうエスカレートする先がないなあ(笑)。

まあそんな課題を抱えつつもROCKHURRAH RECORDSは淡々と営業中なので、今年もよろしくお願い致します。

がっちりBUYましょう!vol.2 雨の日対策アイテム編

【防水の似た者同士(ポンチョ、ステルス戦闘機、マンタ、ゲイラカイト?)】

ROCKHURRAH WROTE:

「さすがいいの持ってるね」などと褒められた事もないし、人様に自慢出来るような買い物もしてないROCKHURRAHなんだが、こんな企画の第2弾で登場してしまった。
時代に真っ向から逆行したこのタイトル(元ネタ知ってる人も少ないはず)を考えたのもROCKHURRAHだったしな。

というわけで誇れるモノは全然ないんだが、自分で気に入ってる服装の中から少しだけ書いてみよう。強いてテーマを考えるなら雨の日に持ってて良かったアイテムか?
以前のブログ「豪雨の古着屋倉庫編」の時にびしょ濡れになった経験から、ここ最近のROCKHURRAHのテーマが「雨に負けない服装」というわけだ。合羽よりは多少おしゃれというのが当面の目標。

まずは上半身、これはECWCS(Extended Cold Weather Clothing System)と呼ばれる米軍のパーカーだ。拡張式寒冷地被服システムとはレベル1から7まで、つまり下着から上着までを7種類の中から選んで重ね着してゆこうという、壮大かつ大げさな思想から生まれた(笑)。米軍兵士の経験はないから詳細はわからないが、今日はちょっと寒いからレベル1、3、5、6でいきましょう、ってな具合なのかね?まるで明星ラーメン「ちびろく」の「僕はちび1、パパはちび3」みたいなものか?またまた古い例えで申し訳ない。
しかし7枚全部いっぺんに着てたら世の中にあるレイヤードスタイルの中でも類いまれなる着ぶくれ男になってしまう事は間違いないね。
で、話がそれたがこのパーカーはその中のレベル6に当たり、通常はこれ単体を指してECWCSパーカーと呼ぶらしい。米軍で80年代半ばくらいまで主力だったM-65フィールド・ジャケットやN-3Bなど、長めの防寒ジャケットに取って代わる存在として登場した。
この服は登場した頃はまだ珍しかった新素材、ゴアテックスを使って作られたもの。簡単に言えば風や水の侵入を許さず、自分の体から出た汗の水蒸気は外に逃がすというシロモノだ。そういう性質だから今ではウィンタースポーツや登山、釣り、現場関係者などのアウトドア業界では珍しくもないハイテク素材なんだけど、それらの原型になったのがこの米軍ECWCSとされている。パタゴニアやノースフェイスとかの主力アウターのデザインとほとんど変わらないしね。
では軽くこのパーカーの特徴を記しておこうか。
ちなみにECWCSは現在第3世代まで作られていて時代によってデザインが違う。着用しているのは1stモデル。斜めのフラップが付いたポケットと畳んで収納出来ないフードが目印ね。
米軍の旧世代ジャケットとして大活躍したM-65と同じように、ジッパーで止めた後にスナップボタンで留めるように出来てる。しかしこのボタンがかなり留めにくいので片手では難しい。これは防寒フライト・ジャケットの大先輩N-3Bのようにジッパー閉めた後でヒモをボタンに引っ掛けるスタイルの方が断然スピーディと個人的には思うが、それだとボタンがすぐに取れたりしてまずいのかな?
前身頃のジッパー脇には両側にベルクロで留めるかなり大きな隠しポケットが付いていて、この収納力は素晴らしい。手ぶら大好きのROCKHURRAHが気に入っている最大のポイントがこの隠しポケットなのだ。上から2個目のボタンさえ外しておけば前を開けなくても両ポケットにアクセス出来る、これは大変に便利だ。
逆に外側についてるフラップ・ポケットは浅くて小さい、手を突っ込んでも半分くらいはみ出してしまうよ、という気休め程度のポケットだ。縫いつけてあるからN-3Bみたいにフラップをポケットの中に入れてしまう事も出来ない。
2ndジェネレーション型からはフードを畳んで首の後ろに収納出来るようになっているが、この1stは畳む事が出来ない。しかもヘルメットの上からかぶれるようにかなり大型フードだから雨の日に満員電車に乗ったら後ろの人が大変に鬱陶しいのは間違いない。フードの先には鋲打ちされたかのようなスナップボタンが付いていて、専用のファーを取り付ける事も出来る。
脇の下はジッパーで開けるようになったベンチレーション機能が付いている。暑くなったらこの脇下だけ開ければ風が入ってくるという仕組み。全開で電車の吊革掴むと下に着てるものが丸見えになって、やや変態っぽいな。
まあこういう特徴を持った上着で雨具としては最適。本体はペランペランのものでこれ単体では防寒の役には立たないんだが、下にフリースとかそういうものを着て冬の雨や雪の日に外に出るのが楽しみな逸品だ。
ROCKHURRAH着用のものは少しデカイのが悔やまれる。N-3Bもそうだが丈が短めの方がカッコ良いからね。

さて、下半身は米国タクティカル系アパレルでは超有名ブランドである5.11のタックライト・プロ・パンツを合わせてみた。元々はロイヤル・ロビンスというアウトドア・ブランドだったがクライミング・パンツとカーゴ・パンツのデザインや機能性を融合させたタクティカル・パンツと呼ばれるものを開発した。FBIやCIA、SWATといった特殊任務の人々に愛用されてこの世界では非常に有名なのが5.11というわけだ。とは言えこういう職業の人に対する憧れなどは毛頭持ちあわせてないROCKHURRAH。
アルファとかアビレックスとか一般的なカーゴ・パンツよりは何だかマニアックで強そうに見える黒いカーゴ・パンツだったから購入しただけに過ぎない。
ミリタリー系カーゴ・パンツは大好きなアイテムなんだが、どこの軍隊でも大差ないし色もその国が採用している迷彩柄とミリタリー・カラーとして定番のオリーブ、カーキくらいしか選択肢がないから、黒だけど本物というのはやはり魅力だ。
このタックライト・プロ・パンツは両腿のカーゴ・ポケットの上に携帯電話用の小さいポケットとライトなどを入れる小さいポケットが付いていてパッと見はかなり安っぽい。その辺に売ってるルーツのないカーゴ・パンツと変わらないが、違うとすれば後ろのポケット部分かな。
両方のポケットが鋭角な斜めに切れこんでいて(八の字)フラップとかは付いてないという特殊なデザイン。要するにケツポケットのものが実に素早く出し入れ出来るという機能だ。しかしそれがそこまで重要な事なのかは普段着でしか着用してないROCKHURRAHには不明。手を洗う時に横の人の2倍のスピードでハンカチを取り出せるとか?まあ特殊任務の人にとってはありがたい機能なんだろうかね。
実はこのパンツを購入前にほんの少しの金をケチったために別のメーカーの黒タクティカル・パンツを買った。しかし、これがブカブカで単なるボンタンの学生ズボンにしか見えないシロモノ・・・どうしても似合わない。で、これはSNAKEPIPEにあげて自分用に5.11のを買い直したというわけ。女の子だったらブカブカでも逆に違和感がないしね。
店舗で試着出来るところが近くになかったから通販で買ったが、届いたものはやっぱりかなり大きめ。布や縫製はさすがだがやっぱり少し高そうなボンタンの学生ズボンにしか見えない(笑)。
しかしどうしても穿きたいから久々にミシンを使って大改造。
スリムとまではいかないけど通常の5.11よりはかなり細身のテーパードに変身させる事に大成功したのが着用写真のもの。
本来は股の部分にダイアモンド・カットという余分な布がプラスされていて、しゃがんだ時などに動きやすいという仕組みになっているこの手のパンツなんだが、そんな事は全て無視してダイナミックに削って仕上げてみたよ。それでも抜群に穿きやすいし激しい動きも問題ない。こりゃプロの方々が愛用するのも頷ける機能性だ。さらにこのパンツはフライパンでおなじみテフロン加工が施されていて多少の雨なら弾くし汚れもすぐに落ちるという優れもの。
正直言ってデザイン的に「さすが」という点もないし、特に女性ウケは悪いパンツだが、穿いてみてその良さがわかる逸品だと思える。

最後、足元部分はこれまた米軍ゴアテックス・ブーツだ。これについては上記の2つほどに書ける事はないけど、先週のブログでSNAKEPIPEが書いた九州旅行記の最後に福岡で買った思い出の品、自分用のおみやげだ。外側は全部本革で靴のライナー部分にゴアテックスが貼りつけてあるという無骨で重いブーツ。最近はゴアテックスとかの防水ブーツも随分細身でスタイリッシュになっていてBELLEVILLEやダナーのものなどは高級でカッコ良いんだが、これはそういう型になる前の旧型デザイン。
実は店で現物を試着する前にオンライン・ショップで写真は見ていた。その時は足首がキュッと締まらなくて全体的にもっさりした田舎くさいデザイン(インナー部分に厚みがあるために仕方ないデザインだけど)だと思ってたんだが、安価なものの割には質感もあり、予想したよりはずっとクッションも良くて履きやすい。完全な防水かどうかは試してないので機能性は不明だが、取りあえずの雨では全く問題ない程度に安心感があるし、コストパフォーマンスは高い逸品だと思う。
これしかないとの事で10.5インチの大足サイズだったが、履いた印象はそこまでブカブカじゃなかったので思い切って購入。1週間ほど毎日履いて慣らしたがドクター・マーチンやゲッタグリップを新品で買った時よりはずっと早く足に馴染んでくれた。雨の日が楽しみになる素晴らしい買い物だったと自己満足している。そのうちもっと高級なゴアテックスブーツが欲しくなってくるね。
しかし片足2キロはあろうかというほどの重量ブーツ、毎日履いた後でBATESのタクティカル・ブーツに履き替えたら、まるで裸足のように感じてしまうほど。こりゃ知らず知らずのうちに鉄ゲタ効果で筋力もついて一石二鳥かな。しかし体重も体脂肪もまるで減ってないのでややガッカリ。

さて、この3つを合わせてみたが、冷静に見ると何だか全てジャスト・サイズじゃないなあ。前にSNAKEPIPEもブログ記事で書いたがROCKHURRAHが買う服は必ず大きすぎか小さすぎというオチになってしまったよ。宝物、と呼べるほどの高級服はまるで持ってないけど数だけはやたら所有しているROCKHURRAHとSNAKEPIPEの二人。またこういう内容で持ち物を紹介する機会はあるだろうか?第3弾に乞うご期待!

Funnyちゃんミュージック

【ファーにいちゃんミュージック】

ROCKHURRAH WROTE:

今回取り上げるのはROCKHURRAHが好きな子供っぽい音楽の数々だ。
子供っぽいの解釈も定義も人によってマチマチだから読んでくれたみなさんと全てを共感出来るとは思わないが、ROCKHURRAHが考えるのはごく普通に稚気を感じるようなファニーな歌、というニュアンスでいいだろう。
子供の歌だからって決してアンパンマンやドラえもんの歌をパンク風にカヴァーしたもの、とかは選ばないつもりなので安心して。ちなみに電車や街中で見かける本物の子供はちっともかわいくないし大嫌いなんだが、これから取り上げるような音楽を好んで育ったような子供がいたら少しは考え直してもいいかな(ウソ)。

もう一つちなみにタイトルはビル・ネルソンズ・レッド・ノイズの名曲「Furniture Music」からのパクリだ。ビル・ネルソンのタイトルの元ネタが現代音楽家エリック・サティにあるから、かなり由緒正しいパクリであることは確か(自慢)。
さて、前置きはこれくらいにして始めるか。

Faust / I’ve Got My Car & My TV

まずはファウストのこの曲から。
ジャーマン・ロックの中でも前衛的でロック以外の要素を取り入れたフリー・スタイルの音楽は70年代にはクラウト(酢漬けキャベツ)・ロックと呼ばれた。
プログレッシブ・ロックやサイケデリック、さらにはフリー・ジャズや民族音楽の影響も感じられたり、つまりは70年代に考えられるミクスチャー・ミュージック的実験の結果がこれらクラウト・ロックと呼ばれる音楽には詰まっていたという事だね。
後のニュー・ウェイブの時代に花開く事になるごった煮音楽のひとつのルーツがここにある、とも言えるが、最悪の結果となってしまうようなものも見受けられる。
ファウストの場合はその辺のバランス感覚、センスが抜群で、今聴いても古臭くない革新的な部分を数多く持っていたと思える。この辺については当ブログの鳥飼否宇先生について書いた記事にも少し書いているから、興味ある人は左上の検索窓で参照してみて。
この曲は中でも大好きなものでメロディもアレンジも斬新の極み。ピンク・フロイド初期の大名曲「Bike」を初めて聴いた時と同じくらい感動した。

Young Marble Giants / Colossal Youth

パンクがニュー・ウェイブに代わった時代、全く新しいような音楽も生まれたが、過去からある音楽に何でも「ニュー」とか「ネオ」などと付けてしまった慣わしがあって、ネオ・アコースティックと呼ばれる音楽もこの辺りに登場した。
スコットランドの3人組ヤング・マーブル・ジャイアンツはその元祖的存在とも言われていたが、実は雰囲気の割にはアコースティック楽器を全然使ってないぞ、という点が秀逸だったね。
ウチの商品ページのコメントにも書いているが、兄+弟+清楚な三つ編み女子という、永遠の三角関係を予感出来るような組み合わせによる素朴過ぎる音楽。
簡単なギター・リフ、それに少しだけファンキーなチョッパー風ベース、その2つがメインの楽器でリズム代わりにもなり、あとは拙い歌だけという簡素さはこの時代にはかなり目新しいものだった。
スタジオでもライブでもほとんど変わらない模様で、ギタリスト(兄)がキーボード弾いてる間はギターはお休み状態。かなり素人っぽいね。今の時代の人が理解するのは難しいかも知れないが、うるさいパンクの後にこんなのが登場したらかなり目立つのは間違いない。
60〜70年代にスティールアイ・スパンやフェアポート・コンベンションが一部の曲でやっていたトラッド+清純女性ヴォーカルというスタイルを踏襲しつつも、こちらの方が童謡に近いからより子供の歌っぽいのかもね。

Mano Negra / Noche De Accion

80年代後半から90年代初頭にかけてフランスで大活躍した大所帯バンドがマノ・ネグラだ。
ROCKHURRAHもこのバンドが大好きでほとんどのアルバムを所持している。
ヴォーカル、マヌー・チャオというスパニッシュ系フランス移民がメインとなっていて、兄弟や従兄弟など大勢が参加してマノ・ネグラとなったのだが、それ以前にホット・パンツというミルクシェイクス(ビリー・チャイルディッシュ)っぽいビート・バンド、Los Carayosというラスティック風のバンドをやっていたのも一部では有名?
マノ・ネグラとなってフランスで大ヒット、日本でも人気あって、伝説となった原宿ホコ天のライブや川崎クラブチッタでの圧倒的なライブ・パフォーマンス(このライブは「パチンコ地獄」というライブ・アルバムになっている)など、今でも語り継がれているほど。
彼らの音楽はパンク、レゲエ、スカ、ロカビリー、ラップ、アラブにキューバなどなど、短い曲の中にものすごく濃いものが凝縮されているのが特徴で、生命力に溢れた素晴らしい音楽だ。
フェルナンド・メイレレス監督の傑作映画「シティ・オブ・ゴッド」の中のブラジル人悪ガキ軍団とも共通する、したたかな強さがこのバンドの最大の魅力だと思う。
しかしホット・パンツ時代は随分キメキメのリーゼントだったのがマノ・ネグラになるとだらけたルーズなファッションとなって、上半身裸に七分丈パンツというどうでもいい格好がお気に入りの様子(笑)。
同時代にフランスでヒットしたレ・ネグレス・ヴェルトの伊達っぷりと比べると見た目的にはちょっと・・・なのが難点だな。
この曲は大傑作アルバム「Pachanka」に入っている景気の良い楽しい曲で、作業用のBGMとしても最適。

XTC / Do What You Do

パンク・ロックのちょっと後、英国ヴァージン・レーベルからデビューしたのが若くて威勢の良いこのバンド、XTCだった。
とにかく勢いがあって斬新でパワーに溢れたバンドだったので、初期ニュー・ウェイブを語る時には欠かせない名前だったと言える。
最初はアンディ・パートリッジのひっかくようなギターのカッティングが特に印象的で、素晴らしい名曲を量産していた。
しかし80年代初頭の「Black Sea」をピークとしてだんだん職人芸のデコレーション・ポップの世界に入ってゆき、遂には得意だったライブもやらなくなって、完成度だけが生き甲斐の若年寄のようになってしまう。
それ以降を評価する人も多数なんだが、ROCKHURRAHはやはり初期の元気いっぱいなXTCだけが好きだった。
この曲は1stアルバムに収録、軽く作ったような短いものでXTCにとってはさほど重要な曲じゃないのかも知れないが、こういう路線をもっと続けていて欲しかったな。

Plastic Bertrand / Le Petit Tortillard

ROCKHURRAH大好きバンドとして過去のブログでも何度か書いたベルギーのパンク貴公子(?)プラスティック・ベルトラン。
彼の曲はどれもこれも子供のまんまで夢いっぱいハッピーな気分になれるところが素晴らしい。
元々はベルギーでハブル・バブルというバンドをやっていてドラム担当だったらしいんだが、なぜかフランスでインチキ・パンク男として空前の大ヒット、それがプラスティック・ベルトランの代表曲「恋のウー・イー・ウー」だったというわけ。ROCKHURRAHは1stアルバムのアメリカ盤と日本盤、それに日本盤のシングル(「恋のパトカー」と改題)を所有して、いつも身近にベルトランがあったわけだが、オリジナルはフランス盤なので入手困難だった時代もありましたなあ。
この曲はダムドの「Jet Boy, Jet Girl」をはじめ、ソニック・ユースなど軽く10以上のバンドがカヴァーしているという被カヴァー率がおそろしく高い曲であまりにも有名。
当のベルトランもアイドル的大スターだから映像もたくさん残ってはいるが、演奏も演奏してるメンバーも映ってなくて一人で飛んで跳ねて回って歌ってるだけ、しかも歌は口パクらしく一体どこがパンクなの?と数多くの人に突っ込まれることは必至のいいかげんさ。というかその部分、その姿勢がパンクだったのでしょう、たぶん。
選んだ曲はその「恋のウー・イー・ウー」ではなくてアルバム1曲目の大好きな曲。邦題は確か「おとぎの列車」だったかな(笑)。

Klingonz / Pick Pick Yum Yum

結構長くなってしまったのでこれが最後、クリンゴンズ初期の名曲がこれだ。
ストレイ・キャッツなどが80年代に流行らせたネオ・ロカビリーに独自の病的なネジレ具合をミックスしたのがサイコビリーという音楽。
サイコ刈りと呼ばれるモヒカン・リーゼントのような奇抜な髪型と刺青というスタイルが主流で、80年代前半に流行したポジティブ・パンクのようなゾンビ風メイクのバンドまで現れ、特異な個性を持った変な奴らがゴロゴロしていたという時代だ。
ディメンテッド・アー・ゴーなどがその代表格だが、このクリンゴンズも一歩突き抜けたバカさ加減が人気のバンドだった。
サイコビリーはどうしてもかわいくはならない音楽だから上記のバンドらとは「ファニー」のニュアンスが違っているんだが、調子っぱずれで奇妙という部分では充分子供っぽいと思って選んでみた。

大昔のテレビ・アニメなどと違って今はアニメ・ソングにも子供っぽい部分がなくなってきてる傾向にある。
子供だから子供っぽい歌が好きなどという道理もないしね。
そんな時代に少しでも人と違う子供に育てたい元ロック少年少女だった親がいたら、自分の子供と一緒に歌うのもいいかもね(全然本心じゃないが)。