ふたりのイエスタデイ chapter01 / Steve Harley & Cockney Rebel

                   

【この水玉娘について書くのかと思いきや?

ROCKHURRAH WROTE:

新春だから新しい企画でも始めてみようということでSNAKEPIPEと考えをまとめていたのが昨年暮れの話。
こんな感じのシリーズ記事があったら書きやすいんじゃないか? などとテーマだけは決まったけど、シリーズのタイトルがなかなか思いつかなかったから苦労したよ。それでようやく考えたのがひねりも何もないパクリのタイトル。ああ恥ずかしい。

この新シリーズ記事のコンセプトはシンプルで明解だ。
ROCKHURRAHとSNAKEPIPEが一枚のレコード、または一枚の写真とかを選び、それについての思い出を語ってゆくという郷愁に満ち溢れた記事になる予定の企画。この二人の事だから当然、最も愛している輝いた時代、1980年代のものを中心にそういうものが発掘されるとは思うけど、どんな展開になるのかはまだ未定だな。
で、そういう内容の記事だからタイトルが「ふたりのイエスタデイ」というわけだ。「80年代はイエスタデイじゃないよ」などという声がどこからか聞こえてきたけど、たぶん気のせいだろう。

さて、このタイトル「ふたりのイエスタデイ」の一曲だけが有名な大ヒットとなったのがスコットランド(グラスゴー)出身の女性二人デュオ、ストロベリー・スウィッチブレイドだ。
80年代のニュー・ウェイブをリアルタイムで聴いてた人だったら水玉模様の衣装に派手な濃いメイクの二人の姿が瞬時に思い出されるはず。色んな音楽雑誌の表紙を飾ったりもしたし、原宿や下北あたりでそういうファッションの真似っ子女子を目撃したって人も多かろう。Wikipedeiaなどで読むとゴスロリとかのファッションの元祖みたいに書かれているが、彼女たちの音楽の方は全然違っていてゴシック要素はない。
個人的にはこの時代にあまりメジャーなニュー・ウェイブを聴いてなかったROCKHURRAHでさえ一応曲は知ってるくらいだけど、音楽的には特にピンと来るものがなかったから一枚も持ってなかったな。日本にも水玉消防団なんてのがいたけど、これまたピンと来ない。考えてみたら水玉の服を一枚も持ってないし、もしかして水玉嫌い疑惑?

メンバーの片割れが後にコイルのメンバーと結婚したようで、サイキックTVとかその周辺のインダストリアル・ミュージック系統でも知名度は高いらしい。
なぜかインダストリアル界(そんな言葉あるのか?)は理解するのが難しい音楽性とは裏腹に美女の取り巻きが多いと勝手な印象を持ってるんだが、今日話す内容とは全く関係ないので、その辺は省略。

ここまで読んでこのままストロベリー・スウィッチブレイドの話が続くと思ったら大間違いで、何と驚いた事にこれはただの前フリに過ぎないのだ。このタイトルでストロベリー・スウィッチブレイドの事書いたら当たり前すぎるからね。ひと捻りくらいはさせてよ。

この企画の一回目で書きたいのは何か?と考えてる時にふと思い出したのが上のレコードについて。スティーブ・ハーリィ&コックニー・レベルの4枚目のアルバム「Timeless Flight / 時間を超えた男」だ。
もちろん前フリで書いたストロベリー・スウィッチブレイドとはなーんも関係ない、もっと大昔のバンド。

過去にこのブログでも何回かは(ちょこっと)書いた事はあったけど、グラム・ロックが大流行していたのが1970年代初頭のイギリス。
T-REXやデヴィッド・ボウイ、ロキシー・ミュージックにゲイリー・グリッターなどなど、きらびやかな男たちがヒット・チャートに極彩色の音楽を送り込んでいた(我ながら陳腐な表現で申し訳ない)。

このコックニー・レベルもそういうグラム・ロックの範疇で語られる事が多いバンドなんだが、デビューした時期が少し遅く、2ndアルバム「Psychomodo / さかしま」の頃がグラム・ロック終焉の頃と一致してるんだよね。
最終的には6枚のアルバムを出して解散するバンドだが、グラム・ロックで語られるのは最初の2枚だけ。だからコックニー・レベル=グラム・ロックのバンドではなくて、それ以外の時期の方が長いというわけ。
音楽的にも見た目もギンギラのグラム・ロック的な要素はなく、初期はヴァイオリンとキーボードが目立つポップなプログレッシブ・ロックといった雰囲気で、そこになぜかスティーブ・ハーリィのフォークっぽい字余りソングが無理やりミックスされた、そして全体の空気はやっぱりグラム・ロックという風変わりな音楽だった。詩の世界も独特のヒネクレ度合いで素晴らしい。訳詞でしかわからないけどね。
普通の意味でのグラム・ロック好きが聴くとかなり物足りないかも知れないな。しかしこの当時の音楽シーンで言えばミクスチャー・ロックなどなかった時代。そんな時代に独自の個性で自分だけにしか出来ない音楽を作り上げたスティーブ・ハーリィは偉大なソングライターだと思うし、英国を代表するエモーショナルなヴォーカリストだと思う。

個人的には今でも愛聴している「Psychomodo / さかしま」はギターではなくヴァイオリンによるロックンロールという斬新な音楽だったし、ヒットした「Sebastian / 悲しみのセバスチャン」や「Mr.Soft / ミスター・ソフト」などは大道芸やサーカスの要素が盛り込まれたノスタルジックな曲調、この辺をROCKHURRAHは高く評価している。

「さかしま」の途中で「デストロイ」とスティーブ・ハーリィが歌っているのがセックス・ピストルズの「アナーキー・イン・ザ・U.K.」の元ネタになったとかそういう逸話もずっと後に知った話だが、ハーリィのコックニー訛りの乱暴な歌い方もパンク・ロックの元祖と言えなくはないな。

スティーブ・ハーリィはいくつかのヒットを飛ばしアルバムも絶賛されるが、早くからワンマン気質の男だったようで、初期コックニー・レベルのメンバーとは折り合いが悪かった。2ndアルバム「さかしま」の成功の後でメンバーはほとんど入れ替えとなって、それから後は音楽性をガラリと変えてしまう。妖しく退廃的なグラム・ロック、様式美にこだわったプログレッシブ・ロックの要素を排して彼が次にやったのは、意外な事に普通のポップなブリティッシュ・ロックだった。

3rdアルバム「The Best Years Of Our Life / 悦楽の日々」に収録された「Make Me Smile / やさしくスマイル」は全英1位を獲得した彼らの最大のヒット曲だが、何てことない明るいポップスの歌詞が過去に自分を裏切ったコックニー・レベルの元メンバーたちへの痛烈な皮肉と呪詛、というから敵に回すと恐ろしい。

そしてようやくこのアルバム「Timeless Flight / 時間を超えた男」に辿り着いた。1976年のこの作品は「やさしくスマイル」 が大ヒットした後としては全体に地味な印象があるし、ジャケットも目立たず当り障りのない女の下着色。あ、ベージュ色と言うのか?
実はこのアルバムこそROCKHURRAHが聴いたコックニー・レベルの最初の一枚という思い出がある。
このアルバムからのキャッチーなヒット曲はないんだが、大好きな曲「Red Is A Mean, Mean Color / 紅は残酷」「Everything Changes / 全てのものは神聖なりき」「Black Or White」などは聴きまくったもんだ。

ROCKHURRAHは福岡県の出身なんだが小学校から20代前半までは北九州の小倉に住んでいた。高校の時はバスの始発から終点近くという遠い場所にある戸畑まで通っていたが、ここは特に全国的に知られてるものはないし、読んでくれてる大半の人は「知らん」というくらいの土地だったな。ROCKHURRAHでさえ高校になってから初めて戸畑区に足を踏み入れたほど。
音楽が盛んだった博多と比べると小倉も戸畑もずいぶんと遅れてて、パンクもニュー・ウェイブも語れる音楽友達はいなかった。だから高校3年間でROCKHURRAHがそういう音楽を好きだと見抜いた人間もほとんどいなかったなあ。皆無ではなくて一人だけ音楽をわかる奴はいたけど、全然友達でもなくて会話もほとんどなかった。
高校は一応男女共学だったがROCKHURRAHが共学だったのは2年の時だけ。それ以外は男子クラスだったから何か殺伐とした毎日だった。
その男、I倉(略称)は3年の時だけ同じクラスだったが、バンドをやってるとか言うくせに小汚くて冴えないずんぐりむっくり。言うことが変わってるくせに面白くはない奴で、どちらかというと孤立したタイプだった。遠足のバスで「君が代」を歌ったりして変人扱いされてたな。
どういったきっかけでかは覚えてないが体育の授業で走ってる時にそのI倉と隣同士になって、急に音楽の話になった。
当時、ROCKHURRAHが聴いてたのがビーバップ・デラックスというバンドで、このバンドの解説(山田道成)に名前が出てきてたのがコックニー・レベルだった。
確かにビーバップ・デラックスもコックニー・レベルも同じ東芝EMIだったしグラム出身で典型的なグラムとは違う雰囲気、そして日本ではそこまで有名ではないという共通点があったから引き合いに出したんだろうが、情報がほとんどない時代に得たほんの少しの情報で、コックニー・レベルという聴いたことないバンドの名前が呪文のように頭の中を駆け巡っていたものだ。
大好きなバンドの解説に名前が登場したから、きっとそのバンドも好みに違いない、というような短絡思考ね。
当時の小倉には小さなレコード店しかなくて、当然ながら洋楽ロックもメジャーなものばかりしか置いてなかった。さんざん探したが見当たらなかったので、コックニー・レベルという好みそうなバンドに対する熱望がより一層高まっていた。
で、体育の時間の話に戻るんだが、I倉がどうやらプログレっぽいバンドでフルートやってるから聞いてみたのか、それとも向こうがたまたまその名前を出したのか、そこまでは覚えてない。
でもI倉から後日借りたレコードがコックニー・レベルのこのアルバムだった。なぜかおまけでヒカシューの「二十世紀の終わりに」なども付いてたのを思い出す。

彼との付き合いはこの時限りでその後、共通の音楽をきっかけに友人関係になるという事もなく、I倉が高校卒業後にどんな進路を取ったのかさえも覚えてないありさま。I倉に限らず高校時代の友達ともその後はバラバラになってしまい、その後会う事もほとんどなかったし同窓会も行った事がない。
この頃のROCKHURRAHはずいぶん希薄な人間関係だったなあ。

前述したようにこのアルバムは彼らの中でも最も落ち着いた作品、高校生のガキにはすぐに理解出来るようなものじゃない。しかし中学生の頃にはすでにELPやリック・ウェイクマン(イエスのキーボード)、キング・クリムゾンなどなど、コックニー・レベルよりは難解だと思える音楽を聴いてたので退屈とは思わなかった。何回か聴くうちにじっくり良さがわかってきたのだ。この時の縁がなかったら彼らに出会ってなかったかも知れないな。

数年経ってROCKHURRAHは単身上京して東北沢のアパート暮らしから東京での生活を始めた。 最初は貧乏だったがそのうち再びレコードを買い漁るようになり見る見る増えてゆくレコード棚。
コックニー・レベルのほとんどのアルバムも買い揃えたんだが、ずっと後になったある時ふと気づいた。
「しまった、I倉にこのアルバム返してない!」
彼らのアルバムはボロボロになった今でも後生大事に持ってるんだが、この「時間を超えた男」もI倉から借りたままのを持っている。
こんなエピソードは誰にでもあるんだろうし特別面白い話でもないな。
今ではたぶん普通のお父さんになってしまったに違いないI倉、君との付き合いはほとんどないに等しいけど、ROCKHURRAHは今でも君の顔も声も覚えているし、まだあの頃の音楽に関わって生きてるよ。
こんな自分こそ時間を超えた男なんじゃないだろうか?
何じゃこの三流ラジオ番組のナレーションのようなまとめは?

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