ニッチ用美術館 第3回

【80年代真っ只中の展覧会、開催中(音が出ます)】

ROCKHURRAH WROTE:

1970〜80年代のパンクやニュー・ウェイブのレコード・ジャケット・アートワークに注目して、美術的な観点(ウソ)からこの時代を紐解いてみようというのがシリーズ記事「ニッチ用美術館」なのだ。
それが何でこのタイトル?と思った人は毎回説明するのも鬱陶しいので第1回第2回をご覧あれ。
ちなみに第3回目である今回からタイトルにテーマ曲がついたよ。
何とROCKHURRAHが19年前、1998年に作った楽曲の一部を使ってみた。本邦初公開。
どんな時代でも相変わらず80年代真っ盛りの曲調だな。

今回は珍しく前置きが短いが、では順路沿いに展示作品を鑑賞してゆこうか。

ROOM 1 阿拉伯の美学
前回に引き続き、読めん漢字特集にしたわけじゃないけど、予備知識がないとさっぱりわからんなあ。
このジャケット見れば想像出来るかも知れないが、これはアラブの当て字だとの事。沙特阿拉伯(サウジアラビア)とか阿拉伯首長国連邦とか、現代では滅多に漢字にする必要性がないと思える。だからあんまり見た覚えがないというわけ。

見ての通りただアラビア語の手書き文字を少しデザイン調にしてるだけで、このジャケットをアートと言って良いのかどうか微妙なところだが、固定概念にとらわれず気になるジャケットを集めて展示するのがこの企画展のテーマなので、ROCKHURRAHの好みだけでやってみよう。
国を特定する事は出来ない(要するに知らない)が、イスラム芸術の持つ美的センスには驚かされるし、曲線だらけのアラビア文字の美しさも素晴らしい文化だと思うよ。残念な事に読めん・・・けどね。
しかもアラビア語だと勝手に思っただけで、もし微妙に違ってたら赤っ恥だが。

こういう文字にも上手い下手はあるんだろうが、パッと見にはまっすぐ書く事さえ難しいように感じる。曲線的な文字だからまっすぐ書く必要はないけど、字面が上がったり下がったりしないという意味のまっすぐね。
小池百合子都知事は昔はアラビア語通訳をしていたそうだけど、こんなに違いのわからない文字をスラスラと流麗に書くんだろうかね。
文化もルーツも違うから当たり前なんだろうけど、向こうの人からすれば漢字やひらがなこそ難しいって事になるんだろうな。

さて、そのアラビア文字をジャケットに堂々と使った西洋人バンドと言えばこれ、ジュリアン・コープ率いるティアドロップ・エクスプローズだ。こちらは1980年に出た、確か4枚目のシングル。
今まで何度もこのブログに書いてるが、アラブ諸国とあまり関係なさそうなリヴァプールで1970年代末に結成されたバンドだ。
エコー&ザ・バニーメンやワー!(Wah! Heat、Mighty Wah!など)と元は一緒のバンドでやってたというのは有名な話。
しかしティアドロップ・エクスプローズで活動中のリアルタイムでは国内盤でレコードが出なかった(マーキュリー、フォノグラム系)ので、輸入盤が手に入らない地域では「聴けない有名バンド」として悔しい思いをした人も多かったろう。
初期LPがちゃんと国内盤で出ていたエコー&ザ・バニーメン(ワーナー)とは大違いの扱い。レコード会社の洋楽担当がダメダメだなあ。

彼らの音楽はいわゆるネオ・サイケと呼ばれた範疇にあるが、もう少しポップでもあり、もう少しひねくれたものでもあった。だから誰もがうなる正統派ネオ・サイケの名曲もあり、トランペットが入ったファンカ・ラティーナみたいなのもあり、中東風のメロディが飛び交う奇妙なテイストの曲あり、単なるポップだけのものもあり、実にバラエティに富んだ曲作りが特徴だった。
ジュリアン・コープのいいかげんそうな言動やその音楽の整合性のなさが自由気ままな魅力でもあったけど、当時のネオ・サイケ好きな若者なんて生真面目で深刻そうな人が多数だった。そういう人種にはあまり受けなかったろうなと想像するよ。

このバンドのメンバー全員の生まれや宗教などについて知ってるわけじゃないが、今回のジャケットをはじめ、「Seven Views Of Jerusalem」「Thief Of Baghdad」などの曲のタイトル、パレスチナ解放運動の活動家で世界初の女性ハイジャッカーでもあるライラ・カリドについて歌った曲「Like Leila Khaled Said」など、白人バンドとしては珍しいほどに中東へ目を向けていたようだ。別に踏み込んだ内容ではなかったとは思うが。
そう言えば関係ないけど、同時代に近場のマンチェスターではムスリムガーゼという筋金入りの中東寄りアーティストがいたなあ。

「Ha Ha I’m Drowning」は1stアルバム「Kilimanjaro 」の一曲目だしシングルにもなっているけど、この前後に出した「Treason」「When I Dream」という二つの代表曲に挟まれて、かわいそうなくらい印象が薄い曲だなあ。アルバムのオープニング曲としては期待感が高まるけどね。

ドラムは坊主頭でアメリカの軍人(このビデオの時はリーゼント)みたいだし、ギターは頭にシュマーグ(アラブ・スカーフ)巻いたサンタナみたいな人だし、ジュリアン・コープは何にでもこの革のジョッパーズ・パンツ合わせてしまうし(このビデオは違う姿だが、上は英国空軍のアーヴィン・ジャケットというムートンの時が多い。暑そう)、後ろのラッパ隊はどこのか知らない軍服姿だし、こんな感じでバンドの統一感のなさも半端じゃない。唯一のキーワードがミリタリーっぽいという事だけなんだろうかね。

直訳すれば「ハハ、俺は溺死してる」というようなすごいタイトルだけど、特に水死の瞬間を歌った歌詞ではなく、愛に溺れてるみたいな意味らしい。なーんだ、色んなすごい情景を想像してたのにありきたりだな。

ROOM 2 假面の美学
「第2回」のチャプター・タイトルは一般的でない漢字ばかりになってしまったんだが、今回もずっとその路線にしてゆきたいのがミエミエのタイトルだな。
んが、そこまで難しい表現ばかり出来るほどROCKHURRAHが知識豊かではないので、たぶんすぐに破綻すると思うよ。
日本語で書けば簡単に仮面なんだが単に中国語で表記しただけ。

これまたひとつ目のティアドロップ・エクスプローズと同様、美術館の展示としてはどうなの?という、真っ当に評価するのが難しいジャケットだな。
見ての通り、仮面なのかマスクなのか不明だが、そこから光みたいなものが出てるというようなイラスト。仮面から光が出てるわけでなく、もしかしたらドアを細目に開けた瞬間、向こうの部屋からの光が仮面を照らし出したという場面なのか?判別は難しいがどっちがどっちでも絵画的には大差ないし、そもそもあまり評価もされなさそうな困ったジャケットだよ、一般的にはね。
ただしROCKHURRAHはこのジャケットに対して特別な思い入れがあり、初めてこれをレコード屋で見かけた時の興奮は数十年経った今でも鮮明に覚えているくらい。

この不可解なジャケットのレコードはビル・ネルソンのソロ第一作「Quit Dreaming And Get On The Beam」 だ。タイトル長いな。
ROCKHURRAHのビル・ネルソン好きは高校生や若い頃の一部の友人(無論音楽のわかる人)ならば、もしかしたら思い出してくれるかも知れないが、それくらい熱烈に聴き込んでいたアーティストだった。
グラム・ロック周辺のバンドとしてデビューし、ハードロック、プログレ的な要素も取り入れて、最終的には(その頃ちょうど始まった)ニュー・ウェイブとも呼応するような音楽を作り上げたのが70年代のビーバップ・デラックス、そのギタリスト&シンガーでワンマン的なリーダーがビル・ネルソンだったのだ。
その後はビル・ネルソンズ・レッド・ノイズというデジタル・パンクっぽいバンドを経てソロとなったわけだが、特にエレクトロニクス・ポップ(日本ではテクノポップ)、シンセ・ポップというジャンルにおいて活躍したミュージシャンだった。
今回はこの人について詳しく書く企画ではないから、知らない人はこっちの記事で少し書いてあるので読んでみてね。

ROCKHURRAHはビーバップ・デラックス解散後、レッド・ノイズの音楽に衝撃を受けた一人なんだが、この後はどうなるのかと、およそ二年間くらいは新作のリリースを待ち望んでいたかな。
この頃はそこまで新作リリース情報がなかったからマメに輸入盤屋に通って探すという行き当たりばったりな事をやっていた。そして情報もないまま、唐突にこのレコードが出ているのを知ったのだ。
レッド・ノイズの2ndを期待してたがソロ名義だったのでビックリしたよ。
レッド・ノイズがデビューした頃、まだパンクとデジタルは結びついてないような時代だったから、この奇妙で衝撃的な音楽を続けていれば、必ず新しい潮流が来るとROCKHURRAHは信じていたわけだ。
それなのに「大して売れなかったから」あっさりこの武器を捨てて、よりポップで売れ線の音楽に歩み寄ってしまった事について、たぶんビル・ネルソン本人よりも後悔しているよ。

この曲は上の1stアルバム収録の曲でちゃんとオリジナルのビデオもある貴重なもの。
売れ線の音楽に歩み寄った割にはヒットに恵まれず、ゆえにプロモまで撮ったシングル曲がほんの少ししか残ってないのだ。
しかし、このビデオは1920年代の表現主義映画っぽく撮られていてかなり素晴らしい世界。こういうのは無条件に好きだよ。
ビル・ネルソンは確かな才能もセンスもあった人だが、何だかいつもやりたい事のタイミングがズレてて、世の中の需要がある時には違うことしてたりする。だから大御所と言われてもいいキャリアの割には活動があまり知られてない一人だと思うよ。この辺の「商才」のなさがまたファンにはたまらないんだけどね。

ROOM3 顛落の美学
いやいや、普通はこの漢字では使わんだろうと思えるが、これは転落と同じ意味だそうだ。顛という漢字で「この話の顛末」みたいな使い方はあるだろうけど、転落を顛落と書いた事は一度もないよ。
しかもこの言葉を日常的に使っているような職業にはなりたくないものだ。

第3回のテーマは「アート作品としてはやや微妙」というものに今、突然思いついて決定したわけだが、このジャケットもたぶんアートとは無縁の分野からのもの。本来はこういう場で語るようなものではないんだろうけど。
作ってる側から言うなら、名画だろうが記念写真だろうが全部が一筆書きのイラストだろうがインスタ映えのする写真だろうが、許可さえあれば何でもジャケット・アートとして成り立つものなんだろうな。

見てわかる通りベランダだか階段だかわからないが、鉢植えと共に落下している、まさにその決定的瞬間を捉えた写真だな。
これはスタンリー・フォーマンというアメリカのフォト・ジャーナリストが撮った「Fire Escape Collapse」という有名な報道写真らしい。火事になった建物から飛び落ちたのか、避難してる非常階段か柵が壊れて落ちたのか、詳しい状況は不明だが、緊迫した瞬間なのは確か。ジャケットでは一人だけ写ってるがこの画面の上にも子供が落下してるんだよ。この写真かどうかよく知らないが、スタンリー・フォーマンはピューリッツァー賞も受賞しているらしい。
などと書いてはみたものの元から知ってたわけではなく、必死でこのジャケットを調べて知っただけの付け焼き刃。

この社会派のレコード・ジャケットはドイツのアプヴェルツ(Abwärts)というバンドが1980年に出した1stアルバム「Amok Koma」だ。これと同じ写真を使ったリチュアル(80年代のポジパン・バンド)なんてのもいたっけ。
同じ系統と言えるのかどうかは不明だがエディ・アダムスの有名な写真(ベトナムの警察長官を米兵が射殺する瞬間)をジャケットに使った、B-Z Party(ニッツァー・エブが軟弱になったような超マイナー・バンド)などというのもいたなあ。アプヴェルツとは関係ないけど報道写真つながりで思い出してしまった。

以下、ドイツの人名やバンド名を少し語るけど、ドイツ語をカタカナで書くと人によって読み方が違ったりする。ROCKHURRAHはネットで出回ってる読み方を無視して(ついでに正確な発音も無視して)自分が80年代に覚えた読み方で書く事が多いので、その辺の違いは気にしないでね。

アプヴェルツはROCKHURRAHがしつこいほど何度も書いているノイエ・ドイッチェ・ヴェレ(ドイツのニュー・ウェイブ) の中では今まであまり焦点を当てた事がなかったバンドだが、後にアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンのメンバーとなるF.M.アインハイトとマーク・チャンがいた事で知られている。
ドイツのパンクと言えばデイ・クルップスのユーゲン(ユルゲンとみんな書いてるが80年代はユーゲンと言ってた)・エングラーがいたMaleとか初期フェールファーベンとか、トミー・シュタンフのいたDer KFCとか即座に思い浮かべるけど、みんな英米のパンク・バンドにはない迫力があって大好きだったんだよ。このアプヴェルツも素晴らしい。
硬質な感じとナチュラル巻き舌の発音が多いから、パンクという音楽にも相性抜群だったのがドイツ語だったと思うよ。
アプヴェルツはちょっと暗くて突っ慳貪な音楽と釘を叩き込むようなビートが心地良いバンドだった。
ドイツ語なので目的や思想はわからなかったがアートワークとかで戦争モチーフのものが多かったという印象。

「Computerstaat 」と題されたこの曲は上のジャケットの1stアルバムには未収録だが、同じ頃のシングル曲だ。
いかにもドイツのパンクっぽい曲なんだがイントロが1分以上あって長い・・・。
また知恵の足りない話で恐縮だが、ドイツ語辞書を調べもせずに勝手に「コンピューター・スタート」だと思っていた。
この時代のコンピューターだったら起動するまでにそれくらいの時間がかかるので、それを表現してるのかと思ったわけだが解釈はまるっきり違っていて、staatは英語で言うとstate、国家とかそういう意味らしい。

画面左側がノイバウテンの名物男、F.M.アインハイトなんだが、どう見てもヴォーカルっぽい位置でスタンバってるくせに何か叩いたり跳ねたりしてるだけ、本当のヴォーカルは一番右側のギター兼任で驚かされる。中央の人物の暗黒舞踏みたいな踊りも不気味。最後だけちょっと歌ってるけどこんなんでもちゃんとギャラ貰ってるのかね?

ROOM4 芥場の美学
これはたぶん読めるし何となく意味がわかる人も多いだろうと推測する。
だんだんチャプター・タイトルが一般的でない言葉や漢字になってしまったんだが、書いてる本人がそんな言葉を日常的に使うはずもない。
そう、つまりは難しい言葉シリーズを探すのが億劫になってしまったというわけだ。第1回目は確か普通の言い回しだったけど、何の因果でこうなってしまったのか?
次回からはまた普通に戻そうかな。

芥場は「あくたば」と読んで字のごとく、ゴミ捨て場とか掃き溜めというような意味になる。
「塵やあくたのように捨てられた」みたいな古典的表現は最近では滅多に聞かないし自分でも言った事ないけどね。
大規模なゴミ捨て場というと即座に「夢の島」を連想してしまうが、これがゴミ施設だったのは大昔の話。ROCKHURRAHが東京に住んでいた頃にはたぶんもう、そんなものなかったと思うよ。
立ち入り出来たのかは不明だが仮にそういう場所を間近に見たら、ありとあらゆるものがランダムに捨てられてて、そこにはもしかしたら人知を超えた芸術的な風景も広がっていたのかも知れないね。

それでこのジャケットだが、今回もまたアートとしてはどうかな?という傾向。
マネキンや車などがコラージュされた架空の風景。これを見て何となく芥場というチャプター・タイトルを思い浮かべたわけだが、そこまで乱雑なわけではなく控え目な印象だね。
夢の島で偶然マネキンを見つけた方がよほど絵になる写真を撮れるとは思うし、世界にはもっと大掛かりなゴミ捨て場があるんだろうけど、コラージュを作ったアーティストにそんなつもりは毛頭ないのかも。
左側の字体といい女の子といい、全体としては80年代のオシャレ系を目指したデザインなんだろうね。

90年代に渋谷系なる音楽が流行ったが、その源流のひとつだったのが80年代のギター・ポップやネオ・アコースティックと呼ばれたような音楽だった。
1980年に23歳の若さで首吊り自殺したイアン・カーティス(ジョイ・ディヴィジョン)の不倫相手と噂されていたのがベルギーのジャーナリスト、アニーク・オノレだったが、彼女が設立したのがレ・ディスク・デュ・クレプスキュールというレーベル。
80年代前半にラフ・トレードやチェリー・レッドなどのインディーズ・レーベルからネオ・アコースティック系の簡素な音楽を志すバンドが色々登場したけど、クレプスキュールもネオアコや後のラウンジ・ミュージックにつながるようなアーティストを矢継ぎ早にリリースしていた。
日本でも新星堂がいち早くクレプスキュールのレコードをジャンジャン出してたから、アンテナとかアンナ・ドミノとか、輸入盤屋のないような土地でもこの手の音楽は普及していたはずだよ。
ここまで懇切丁寧に説明しなくても良かったような気がするが、そのクレプスキュールから出ていた一枚がこのジャケットの主人公、ポール・ヘイグだったのだ。

知ってる人にはすぐにわかると思うが、ソロになる以前はポストカード・レーベルからレコードを出してたジョセフ・Kというバンドのヴォーカリストだ。
カフカ(「審判」)的に言えばヨーゼフ・Kなんだろうが、この時代にはみんなジョセフ・Kと呼んでた。
ちなみにPaul Haigで検索すると右上に「ポール・ハイ」などと書かれていてゲッソリしてしまったワン。誰が書いたか知らないが、しかも本当はこの読み方の方が正しいのかも知れないが、80年代には誰も「ポール・ハイの新譜聴いた?」なんて言ってなかったぞ(笑)。

ポストカードもスコットランドのネオアコ、ギター・ポップの伝説的レーベルで、オレンジ・ジュースやアズテック・カメラなどもここの出身。
ジョセフ・Kはすぐにメジャーになってしまったオレンジ・ジュースやアズテック・カメラに比べるとちょっとマイナーな存在だったが、音楽性を変えることなくパンクや初期ニュー・ウェイブの香りがするギター・ポップのまんまで終わったのが逆に良かったのかも知れないね。
特にポール・ヘイグの歌声は実にフラットで、たとえ明るい曲を歌っても決して抑揚が変わることないという特性を持っていて、ありそうでないタイプのヴォーカリストだった。
関係ないけどそのジョセフ・Kの影響をモロに受けたジューン・ブライズもいいバンドだったなあ。

1982年にジョセフ・Kが解散してソロとなったポール・ヘイグは上に書いたクレプスキュールよりレコードを出していたが、上のジャケットは1985年に出した2ndアルバムになる。
脇を固めるミュージシャンも豪華で、アソシエイツのアラン・ランキンやジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダーのバーナード・サムナーなど。
ポール・ヘイグはアソシエイツのビリー・マッケンジーとも一緒にやってたので、ケンカ別れした両方と仲良かったわけだな。お互いの悪口を聞いたりしなかったのかな?

いやあ「すぐにメジャーになってしまったオレンジ・ジュースやアズテック・カメラに比べるとちょっとマイナーな存在だった」などと何行か前に書いたのを覆すかのような、思いっきりメジャー志向の曲で売れ線オーラの漂う名曲。服装も髪型も栄光の80年代、工場バックのビデオもいいね。もう全然ギター・ポップでもないけど。
この映像の時はそんなでもないが、当時はモミアゲをばっさり刈ってネオ・ロカビリーやサイコビリーのフラットトップみたいな髪型をしていた。頭頂部の平坦度は英国一だったのではなかろうか?

ROOM5 縹渺の美学
ラストには今回最も難しい漢字を使ってみた。これは無学なROCKHURRAHならずとも読める人はそうそういないだろう。縹渺と書いて「ひょうびょう」と読むらしいね。意味は「かすかではっきりしない様子」「広く果てしないさま」だとの事。今知って勉強にはなったけど明日にはもう読めない、書けないに違いない。

さて、今回の「アートとしてはどうなのか?」というテーマ自体が美術館企画としては破綻してるような気がするが、こういう事をやるならせめて10回くらいまともな展示をして、その後で変わり種企画としてするべきだったか?
最後の展示も意味不明のシロモノ。仮に美術館でこれを展示してても立ち止まって覗き込まないくらいに何も感じないジャケットだと思うよ。
うーん、写真だとは思うけど何を撮りたかったのかさっぱりわからん。
これぞまさに「縹渺たるありさま」。無理してじっくり見たら、雪解けの地面を上から撮影したみたいに見えなくはないけど、当たってても外れててもこれをジャケットに使った真意は不明だな。

そんなコメントしにくい代表のようなジャケットで世間を驚愕させたバンドがサバーバン・ローンズ、これは1980年作の2ndシングル「Janitor」だ。別にジャケットで驚愕させたわけではなくその歌でね。

米国カリフォルニア芸術大学の学生が1978年に作ったバンドで音楽的にはパンクから初期ニュー・ウェイブのあたり。ストレートなパンクよりも幾分オルタナティブな曲調を得意とするバンドだった。
デビュー曲「Gidget Goes to Hell」のビデオを後に「羊たちの沈黙」で有名になるジョナサン・デミ監督が撮っているけど、まだそんな片鱗さえ感じさせないB級テイストのもので、さすがロジャー・コーマンの門下生。
昔のB級SF、B級ホラー大好きなレジロスのビデオと共通するようなものと言えばわかるか?

で、これが問題作、2ndの「Janitor」ね。
いかにも学生って感じの男メンバーに似つかわしくない紅一点ヴォーカルのスー・ティッシュ。
彼女が唯一のヴォーカルではなく男ヴォーカルもいるんだけど、どうしてもスー・ティッシュの方が強烈な印象があるね。
横分けロングヘアーのお嬢様タイプ、遠くから見れば国民的美少女コンテストに出てもおかしくないような少女に思われるが、「何で私がこんなとこに出なきゃいけないのよ」というような不機嫌そうな素振りで歌い出す。
演奏も歌もたどたどしくて声も出てない、素人っぽいなあと眺めていると突然の変貌に誰もが驚くという寸法。そう、見ればわかる通り表情も変えずにまるで演歌のこぶしの効いた歌のようになってしまうのでみんなビックリして腰を抜かす(大げさ)。もしくはモンゴルのホーミー(二つの声を同時に出す唱法)みたいな感じ。
どこでどうやったらこの曲のこの部分がこの歌唱になったのか教えて貰いたいもんだよ。
美術館でこのジャケットが展示されてても誰も立ち止まらないだろうが、この歌が同時に流れたらみんな集まってくるに違いないくらいのインパクト。

こういうエキセントリックに豹変する女性ヴォーカルと言えば70年代末から80年代にはニナ・ハーゲンやリーナ・ラヴィッチ、戸川純などが出てきたが、これらは最初からいかにも何かしそうな変人の風貌だ。このスー嬢は見た目が清楚だけに余計驚かされるね。
他の曲ではここまで珍妙な歌声ではなかったのが残念。本人もそこまで色物路線にはしたくなかったんだろうか?

以上、どれだけの人が興味を持って読んでくれてるかは全く不明だけど、これからも世間の美術的視点とはちょっとズレたROCKHURRAHなりの展示を続けてゆきたいと思うよ。
それではまた、ハゴーネー(ナバホ語で「さようなら」)。

好き好きアーツ!#41 鳥飼否宇 part15–昆虫探偵–

【アンドレ・マッソン、1942年のリトグラフ。】

SNAKEPIPE WROTE:

小学生だった頃、木登りが大好きだった。
木の表面を這う虫や、葉から葉へ飛ぶ虫なんてへっちゃら。
どちらかと言えば、同じ木に集う仲間のような感覚を持っていた。
お気に入りの木を秘密基地にして、放課後を過ごすことが多かった。
ある時、作文に秘密基地について書き、クラス全員の前で発表することがあった。
文章が上手かったせいか(?)、SNAKEPIPEの秘密基地はクラスの男子の好奇心を煽ってしまったようだ。

「秘密基地の場所、分かったから!」

数日後、男子から突然言われる。
放課後になり、気もそぞろに基地に向かう。
木の上に隠していた小さいノートが地面に落ちている。
男子の言葉は嘘じゃなかったようだ。
秘密基地が発見され、荒らされたのだ。
怒り?
悲しみ?
敗北感?
なんとも表現できないような複雑な感情。
頭が真っ白になっていた。
目の前のノートから視線を外せないまま、立ち尽くすしかなかった。

その日以来木登りをやめてしまったのである。
あれほど仲間意識を持っていた昆虫のことも嫌いになってしまったのは、その経験からではないか、と分析しているSNAKEPIPE。
ううっ、今思い出しても苦い味が広がるなあ…。

今回の「トリカイズム宣言」は大ファンである本格ミステリ大賞受賞作家・鳥飼否宇先生2002年の作品、「昆虫探偵―シロコパκ氏の華麗なる推理」についての特集!
長過ぎる前振りでお分かり頂いたように(笑)、現在では昆虫が苦手になってしまったSNAKEPIPE。
そんな人でも、鳥飼先生の「昆虫探偵」を読めるのだろうか?
答えはイエス!
「昆虫探偵」では昆虫が擬人化されて登場するので、あんまり虫々した虫(変な表現だけど)になってないんだよね。(笑)
「昆虫探偵」は前口上、後口上、そして7つの話で構成される連作短編で、それぞれの短編のタイトルがミステリー小説のパロディになっている点も注目。
今回は元ネタ小説のカバーを使って、短編ごとに書いていこうかな!

2008年の記事「不条理でシュールな夏」でも少し触れたことがあるカフカの「変身」。
SNAKEPIPEの人格形成に必要だった小説、と書いているね。
ちなみに昔、家に住み着いていたクモに「ザムザ」と命名していたこともあったっけ。(笑)

「昆虫探偵」は、パッとしない人間だった葉古小吉が「変身」してヤマトゴキブリになったところから話が始まるんだよね。
ぎゃー!Gはちょっと…。
できるだけ遭遇したくない相手!
現実ではそうだけど、「昆虫探偵」の中ではユーモラスな存在なんだよね!
葉古小吉は昆虫界ではペリプラ葉古という名前になっていた。
どうやら学術名から取られたようだけど、検索するのが怖いのでやめておこう。
画像も一緒に出てくるからね。(笑)
ペリプラ葉古は人間だった頃、昆虫とミステリー小説が大好きだった、という設定から熊ん蜂探偵事務所の助手になるのである。
事務所の所長はクマバチのシロコパκ(カッパ)という名探偵!
この2匹(ふたり)に加え、口の悪い雌刑事(おんなでか)・クロオオアリのカンポノタスが難事件に挑む物語なのである。

第一話 蝶々殺蛾事件

横溝正史先生の「蝶々殺人事件」をもじったタイトルが付いているけれど、「人」の部分が「蛾」になっているところがポイント!
「昆虫探偵」の中では「匹」や「虫」などを「人」や「者」としてルビがふられている。
この細かい部分のこだわりに気付くと、より一層楽しめるんだよね!
単なる設定としてのみ、擬人化されているわけではないことが分かるし。

実はSNAKEPIPE、「蝶々殺人事件」未読なんだよね。
「えっ、読んでなかった?」
とROCKHURRAHにも言われてしまった。
読まないとね!(笑)

文中に出てくる「羊たちの沈黙」は「あの手の映画」の先駆け的存在であり、SNAKEPIPEの映画ベスト10には絶対入るフェイバリット!
ドクロメンガタスズメについての解釈は、なるほどねえと感心して読む。
SNAKEPIPEは、髑髏柄が絵になるから採用したんだろう、と単純に考えていたからね。(笑)

第一話である「蝶々殺蛾事件」はムクゲコノハという蛾がオオムラサキという蝶によって殺されたのでは?という事件を解決する話である。
美しい蝶であるオオムラサキの名前がササキアokm(オカマ)というオスだったり、ムクゲコノハはL・ジュノbgn(ビジン)だったり、ネーミングセンスも抜群!(笑)
これらも学術名を元に考えられてるみたいだけど、なかなか気が利いてるよね。

事件はその生物の特徴を知っていないと解けないんだよね。
そういう意味では恐らく生物学者や昆虫に詳しい人じゃない限り、謎解きできないんじゃないかな?
前代未聞のミステリー小説だよね。(笑)

第二話 哲学虫の密室

笠井潔氏の「哲学者の密室」のタイトルをもじっているとのこと。
この小説も非常に面白そう!
そして気になるのが、カバーに使用されている絵。
ヒエロニムス・ボッシュみたいだけど、ちゃんと確認できなかったよ。(笑)
「者」が「虫」になった第二話に登場するのは、ダイコクコガネ。
地中に作った育児室から子供が失踪した、という事件である。
地中の、糞球の中から、母親を見張りをくぐり抜けるという3重の密室における失踪という難題!
これもまた生物ならではの特徴が生かされた謎の解明になっている。
第二話のネーミングも最高で、4578でロクデナシ、11041でイトオシイ、0931でオオクサイ!(笑)

謎解きもさることながら、SNAKEPIPEが一番気になったのは子育てする昆虫がいるという点。
羽化するまで見守るなんて!
自然界の生存競争って本当に過酷で、その中を生き抜いて種の保存を一番に考えていくってすごいことだよね。
3cm足らずの昆虫にも知恵があって、それがDNAで継承されているという事実には驚かされる。

第三話 昼のセミ

北村薫氏の「夜の」のパロディだという。
氏の作品は何冊か読んだことがあるけれど、この作品は未読!
読みたいリストがどんどん増えるね。(笑)

第三話では行き倒れの外国虫、ティティウスシロカブトが登場する。
昔大好きだったゲーム「どうぶつの森」で、夜中にしか現れないヘラクレスオオカブトを採るのに苦労したことを思い出すね。
2006年に「最近はまっていること2」として画像載せてたね。(笑)
ひゃー!10年前だよ、こわいこわい。

外国虫であるティティウスシロカブト、TIT(タイタン)からアメリカのジュウシチネンゼミが全く鳴かないという話を聞き、調査に出るにしたシロコパκとペリプラ葉古。
外国虫の会話の時にはちゃんと「オーイエース」などと英語交じりの日本語になっているところが面白い。(笑)

第三話の謎は、かなり深刻な問題提起だよね。
この小説が書かれた2002年は今から14年前だけど、その時点でこのような現象が報告されているとしたら、現在はもっと危ないかもしれないね?
鳥飼先生の小説には、警鐘を鳴らし危機感を持つことを教えてくれる話があるのも魅力の一つだと思う。

蝉は土の中での生活が長くて、地上に出てからは短命とは聞いていたけれど、ジュウシチネンゼミは16年もの間土の中にいるとは驚き!
そういう種類の蝉がいることすら知らなかったからね。
虫生(じんせい)いろいろだねえ。(笑)

第四話 吸血の池
二階堂黎人氏の「吸血の家」を一文字変えたパロディね。
吸血と聞いて一番最初に浮かぶのは蚊かな。
ぶうぅぅぅーんと耳元で聞いたあの独特の音だけど、最近あまり聞かないんだよね。
えっ、加齢で音が聞こえなくなる?
そのせいなのかなあ?(笑)

第四話はその蚊が主役ではない。
フチトリゲンゴロウが体液を吸われた状態で殺されているのが発見された、という事件を見ていたG・パル*(アスタ) というアメンボが話を進行させる。
聞いているのは、すでにお馴染みになった熊ん蜂探偵事務所の2匹である。

思いもよらない肉食の方法を持つ昆虫がいる、ということが書かれていて恐ろしくなってしまう。
オタマジャクシや小魚を昆虫が食べるとは!
水面に浮かんだ昆虫を魚が食べるのは知っていたけど、逆もあるんだね。
そういえば蟻の大群が牛を飲み込むように覆い尽くし、あっという間に骨にしてしまう映像観たことあったっけ。
昆虫も怖いなあ。
体外消化、なんて初めて聞く言葉だったよ。
なるほどそれで吸血の池、なのね。(笑)

第四話の中で面白かったのは「手のひらを太陽に」についての解釈。
アメンボだって生きているという歌詞は失礼だ、とG・パル*が怒るのである。
ケラに「お」が付いている点にも言及されていて、確かにそうだと納得する。
今まで(というか子供の頃)は、意味を考えずに歌わされていたので、全然気付いてなかったことなんだよね!
3文字にしたいなら「おケラ」じゃなくても、いるだろうに。(笑)
そして飴のように甘い匂いがするからアメンボだったことも知らなかったよ!

第五話 生けるアカハネの死

山口雅也氏の「生ける屍の死」の「屍」が「アカハネ」になっているね。(笑)

アカハネは地名の赤羽じゃなくて(笑)、アカハネムシで、有毒のベニボタルに擬態している甲虫だという。

そのアカハネムシ、名前をシュードピロ・2356(シガナイ)から依頼を受ける熊ん蜂探偵事務所。
依頼内容は擬態の効果なく、仲間が殺(や)られている、というものだった。

捕食者が行う擬態と被食者の擬態についての説明は非常に興味深かった。
狩る側と食われる側、それぞれ知恵比べしてるってことね。

環境に適したように進化させたり、例えば体毛の色を変化させたりして生存競争に勝っていこうとする生物を知ると、
「何故人間にはその能力がないのか?」
といつも考えてしまうSNAKEPIPE。
退化してしまったのか、元々持っていない能力なのか。
生き物としての弱さを痛感するなあ。

第六話 ジョロウグモの拘

京極夏彦氏の「絡新婦の理」からのパロディだね。
2008年に「鵼の碑も蜂の頭もないよ」という京極夏彦氏の「妖怪シリーズ」に関する覚書を書いているSNAKEPIPE。

「んな、ばかな!」というラスト近くは息をつかせぬ激しい展開。
最後まで読んだらまた最初に戻らないといけない小説その2。

と書いていたね。
ちなみに「最初に戻らなきゃいけない小説その1」は「鉄鼠の檻」としているね。
いつ出るか、と待っていた京極夏彦の新作予定の「鵼の碑」は、一体どうなってしまったのか。
待っていたことすら忘れていたよ。

自分で書いた覚書を読んで、今までの「妖怪シリーズ」を思い出したけど、かなり記憶が薄れてきてるなあ。(笑)
以前だったら「あの分厚い本」を持ち歩くのは大変だったけど、今なら電子書籍で読めるからね!
そういう意味では便利な世の中になったもんじゃわい。(笑)

子供の頃に祖母の住んでいた田舎で大きな蜘蛛を見た記憶がある。
子供の目には天井一面が蜘蛛の巣に見えるくらいの巨大さ。
あれは何という種類の蜘蛛だったんだろう。
祖母宅の縁側の下にあった蟻地獄で遊んだのは、楽しかったなあ!
昆虫嫌いになる前の話だね。(笑)

第六話で最初に登場するのはジョロウグモ。
張ったクモの糸が、いつの間にか切られる事件が発生したという。
ああ、蜘蛛の糸!
好き好きアーツ!#08 鳥飼否宇 part2–太陽と戦慄/爆発的–」でも少し触れたっけ。
芥川龍之介の小説「蜘蛛の糸」の中では、糸を切るのはお釈迦様だったけれど、第六話には別の犯虫(はんにん)がいるんだよね。

この話もその種ならではの理論(というのか)があるんだよね。
ジョロウグモの名前の由来も初めて知ったよ。
勉強になるよね!(笑)

第七話 ハチの悲劇

法月綸太郎氏の「一の悲劇」の「一」が「ハチ」になってるよ。(笑)

第七話の主人公は熊ん蜂探偵事務所の探偵であるシロコパκなんだよね。
「昆虫探偵」の最終章は、驚くような内容になっていた。
まさかそんなことになるとはね。(笑)

そして後口上で、更にびっくり仰天させられてしまうのだ!
たまに四足で駆けている夢を見るSNAKEPIPEにとっては他人事じゃない気がするね。
読み終わって、シロコパκやペリプラ葉古に会えないのを残念に思う。
いつの間にか親しみを感じていたみたいだね。

「昆虫探偵」は昆虫の世界における事件を、その昆虫の特徴に基づいて謎解きする非常に珍しいミステリー小説なんだな、と再認識する。
登場するのが全て昆虫だもんね!
その中に光るネーミングセンスやギャグ、それぞれの昆虫の生き生きとした存在感、そしてタイトルまでパロディにしているところも含め、鳥飼先生にしか書くことができない独創的な小説だと思う。
「昆虫探偵」の続編、読みたいなあ!
もっと昆虫のことを知りたいと思ってしまうね。
あれ?昆虫、苦手じゃなかったっけ?(笑)

映画の殿 第17号 映画の中のニュー・ウェイブ03

【表紙の写真の関連性が不可解な組み合わせだな

ROCKHURRAH WROTE:

ずっと前に、続きを書くのをすっかり忘れてた企画があったのを急に思い出してしまった。「映画に使われた70年代、80年代の曲特集」という内容。
もちろんROCKHURRAHが書く記事だからパンクやニュー・ウェイブの音楽だけに限って集めてみたよ。
SNAKEPIPEが書く「映画の殿」の記事とは少し趣向が違ってて、映画の内容にはあまり肉迫しないのが特徴。

さて、今回集めてみたのはこんな3本だよ。

まずはこれ、1991年の「羊たちの沈黙」。
近年の海外TVドラマ「ハンニバル」シリーズの元祖、そして今では巷に溢れているサイコ・サスペンスと呼ばれるジャンルの元祖的な映画がこれだから、時代は古くてもこの手の映画ファンならば誰でも知ってるような作品だ。
TVシリーズではマッツ・ミケルセンが演じたハンニバル・レクター博士だが、オリジナルの映画版の方ではアンソニー・ホプキンスが強烈な印象で演じ、ハンニバルの代名詞と言えばやっぱりこちらの方だと思う。
特に拘束衣、拘束マスク(?)をつけたあのヴィジュアルは大のお気に入りで、SNAKEPIPEが時折、物マネをするほど(笑)。
アンソニー・ホプキンスは調べてみたらハンニバル以外でもケロッグ博士、ニクソン大統領、ピカソ、ヒッチコック、ハイネケン(ビール会社の社長)、プトレマイオス1世など様々な偉人を演じてる模様。ピカソはかなり似てると思うが、映画は未見。

ハンニバル・レクターが登場する映画は何作かシリーズになっているが、ROCKHURRAHはリアルタイムでは全然観てなくて、後にSNAKEPIPEの勧めで全部観ただけ。原作まで全部読んでるSNAKEPIPEとは大違いだな。

この映画で使われたらしいのがコリン・ニューマンの1stアルバム「A-Z」に収録の「Alone」という曲なんだが・・・。実はどのシーンで使われてたのか全く記憶にないんだよね。
YouTubeで探してみたが、たぶんこんなシーンでは使われてなかったような気がする。しかも途中でぶち切れ、あまり良いクリップが見つからなかったので我慢してね。ジョディ・フォスターが若い!

コリン・ニューマンは1970年代パンクの時代に活躍したワイアーのヴォーカリストだった人。大多数の人がワイヤーと表記しててたぶんそっちの方が正しいんだろうけど、ROCKHURRAHはなぜかずっとワイアーと読んでたよ。今日から急に改める気もないからこのままワイアーと呼ばせて。

ワイアーはパンクっぽい曲もあるけど、より知的でアーティスティック、ポップな面と実験的な面を併せ持った音楽性で、一味違う新しいものを求めていた若者に支持された。
それより少し後の時代に誕生したニュー・ウェイブ、ポスト・パンクへの橋渡しをしたバンドとして評価が高いね。
基本的にはワン・アイデアだけで一曲を完成させる簡素なスタイルが多かったけれど、数多くの他のミュージシャンがその音楽の切れ端からヒントを得た。alternative( 別の可能性、取って代わるもの)な音楽が誕生して発展したきっかけになったようなバンドだと思う。

分裂した後で再結成したり、後の時代も活動を続けるワイアーだが、ウチらの世代で言うとやはり初期の3枚の傑作アルバムに集約されているな。時代が目の前で変わってゆく空気感がビリビリと伝わるような音楽。
ワイアーが分裂状態になった後、80年代初頭にソロ活動を始めたコリン・ニューマンはこれまた元ワイアーの名に恥じない名曲をいくつも書いて、個人的にはとても好きなアーティストだった。
格別に特徴のあるスタイルや個性ではないけど、いそうで滅多にいないタイプの声や歌い方、これが素晴らしい。
歌詞が出てこなかったのかどうか不明だが、単に「あーーー!」という叫び声だけがメインの名曲「B」や「あーあーあー」というハミングだけで一曲モノにした傑作「Fish 1」など、今聴いても色褪せないな。文章だけだと何だか「うめき声マニア」みたいだが(笑)。

さて、次は2001年の映画「ドニー・ダーコ」だ。
これは80年代ニュー・ウェイブが効果的に使われた映画の成功例だから知ってる人も多かろう。
タイトルはヘンな響きだがそれが主人公の名前だ。
高校生ドニーを演じるのは暗い目つきのジェイク・ギレンホール、あまりさわやかさとか可愛げのない役どころだったから意外とピッタリだったのかもね。実の姉、マギー・ギレンホールが映画でも姉役で出ているな。

ドニーはある日、可愛げのない不気味なウサギ、フランクのお告げにより「世界の終わりまでの時間」を知る。
翌日、変な場所で目覚めた彼が家に戻ると、不在の間に近所で飛行機が墜落、そのエンジンが自室の屋根を突き破るというありえないような大惨事が起こっていた。ウサギに誘われて家を出なければ間違いなく死んでただろうという事態。
その後はウサギの言うがままに様々な騒動を起こしたり、転校生と恋に落ちたり、普通じゃないけど一応青春と呼べなくはない展開が色々あって、物語は世界の終わりの時まで進んでゆく・・・。
「わかりにくい」「不可解」という前評判があったが、勝手に想像したような不条理映画ではなかったな。

この映画の冒頭、主人公ドニーが自転車で峠道みたいなところを走るシーンで使われているのがエコー&ザ・バニーメンの「The Killing Moon」だ。
今の時代、このバンドについて言ってる人はあまりいないとは思うが、当時はエコバニではなくてバニーズと「通」ぶった略し方をしていたな。
1980年代に湯水のように出てきたリヴァプール発のバンドの代表格が彼らだった。これまた今では死語に近い「ネオ・サイケデリア」と呼ばれた音楽の中で最も成功したバンドのひとつでもある。

ヒネクレ者で王道嫌いなROCKHURRAHは同じリヴァプールの中では日本での人気がイマイチなティアドロップ・エクスプローズやワー!などを好んで聴いているフリをしていたが、実はバニーズにもどっぷり漬かっていた。しかし人に聞かれたらやっぱり誰も知らないようなマニアックなバンドを挙げたりする。この辺の素直になれない心理もずっと成長してないなあ。

ちなみにこの映画はバニーズのこの曲以外にもジョイ・ディヴィジョンやオーストラリアのチャーチ(多作で有名)、ティアーズ・フォー・フィアーズなど80年代音楽が使われているが、使い方のポイントがイマイチだと個人的には思う。

最後はこれ、2006年の「マリー・アントワネット」。
父親が偉大な監督、娘は七光りのように言われるのは仕方ないがフランシス・コッポラの娘、ソフィア・コッポラが監督の作品だ。

世界史に明るくない人間でも名前くらいは知ってるであろう、政略結婚でオーストリアからフランスに嫁いだマリー・アントワネットをキルスティン・ダンストが演じる。 しかしこれは歴史映画などではなく、王女になってしまった気さくな女の子が宮廷を舞台に奔放な生き様を見せるような映画で、試みとしては異色なのかも。
この手の映画としては会話も少なく、当時の最先端の宮廷ファッションや乱痴気騒ぎのパーティ・シーン、部屋でスイーツ食べながらダラダラしてるようなシーンの連続で実にライトな出来となっている。

監督の好みなのか何なのかは分からないが、この映画もパンクやニュー・ウェイブがふんだんに使われていて、しかも割とハッキリとした音量で流れるので、ROCKHURRAHにとっては音楽の部分だけは高評価だった。
せっかくの名曲なのに数秒しか使われなかったり会話でぶち切れになったり、そういう使われ方の映画が多いからね。単なるBGMでも敬意を払ってない監督が多すぎ。
上の仮面舞踏会のシーンではスージー&ザ・バンシーズの「Hong Kong Garden」がストリングスのアレンジで使われているな。他にもバウ・ワウ・ワウやアダム&ジ・アンツ、ギャング・オブ・フォーなどもまあまあ効果的に使われていて、80年代ファンならば納得出来る。

以上、タイトル画像の表紙がよくわからなかった人でも、ここまで読めば関連性が理解出来ただろう。

今回の記事には関係ないけど。
一番最後になってしまったが先週、突然世界中が悲しみにつつまれたデヴィッド・ボウイの訃報。これだけ「70年代、80年代のパンクやニュー・ウェイブ」ばかりを扱ったサイトなのにボウイについて何も思い出がないはずがない。パンクやニュー・ウェイブの誕生に最も影響を与えた一人かも知れない。
しかし本人の言葉通り、彼の音楽はいつまでも輝き続けるだろうし、知り合いのような追悼の言葉は出て来ない。
これからもROCKHURRAH RECORDSはデヴィッド・ボウイの影響を受けた一人として活動してゆくつもりだ。まるで音楽をやってる者のような語り口で偉そうだが、これがウチなりの追悼。
ではまた来週。

ゼロ・ダーク・サーティ鑑賞

【ゼロ・ダーク・サーティのポスター】

SNAKEPIPE WROTE:

かなり前から「ハート・ロッカー」を監督した、キャスリン・ビグローの新作情報は知っていた。
2011年5月1日のウサーマ・ビン・ラーディン殺害に関する映画だという。
最近よく見かける「Based on a true story」(事実に基づいた話)とのこと。
ミリタリー系映画で、しかも事実に基づいているとは!(笑)
全面協力したCIAによる国家機密の漏洩が問題視される、なんて聞いただけでもワクワクしちゃうよ。
公開日を心待ちにしていたSNAKEPIPEである。

公開されてすぐに出かけたSNAKEPIPEとROCKFURRAHは、映画館の選択に失敗した。
この日は非常に風が強く、飛ばされそうになりながらやっとの思いで映画館に到着。
土曜日の初回だったため、それほどお客さんは入っていないのに…。
何故だかSNAKEPIPEとROCKHURRAHが予約した座席周辺だけ満員状態!
前日に座席予約状況を確認した時には、まばらだったはずなのに。
その周辺以外はガラ空きなのに、何故?
映画はゆっくり、広々した場所で鑑賞したかったなあ。
しかも初めて行ったその映画館は、通路が狭く出入り口は一箇所のみ。
万が一の災害や火災の時、退路が確保できるとは思えない構造だった。
どことは言わないけれど、2度と行かない映画館に決定!(笑)

※ネタバレしていますので、鑑賞前の方はご注意下さい。
長い長い新作映画の予告がやっと終わり、ようやく本編の上映が始まる。
映画の冒頭は9.11同時多発テロの音声を再現していた。
「ママ、助けて」や「怖い」といった生々しい声を暗闇の中で聞くのである。
SNAKEPIPEは幸いにも、9.11で友人や知人を失っていない。
ニュースでしか知らないのにも関わらず辛くなってしまうのだから、実際にテロを経験した人や大切な人を失った人はどう感じただろうか。
経験の有無や、国際情勢に明るいか、など人によって捉え方が違うと思うけれど、2011年にウサーマ・ビン・ラーディンが殺害されたニュースを聞いた時にも、 「ずっと捜索を続けていたんだ!」
という驚きがあったのは、SNAKEPIPEだけだろうか。
「ゼロ・ダーク・サーティ」は10年にも及ぶ、ウサーマ・ビン・ラーディン捜索、捕獲作戦と殺害を描いた作品である。

主人公は20代半ばのCIA女性分析官、マヤ。
アメリカ人女性の中では、かなり華奢な体格。
イメージするCIAとは、かけ離れた外見である。
「高校の時にリクルートで」と、何故CIAになったのかを問われたマヤが話していた言葉。
高校生?リクルート?
そもそもCIAって?(笑)
CIAとは、アメリカ中央情報局(Central Intelligence Agencyの略)で、対外諜報活動を行うアメリカ合衆国の情報機関とのこと。
活動内容は、情報収集、情報操作なんて書いてあるけど、難しいよね?
アメリカのCIAと並んでロシアのKGBなどは、国のために秘密裏に工作活動をしている機関という認識で良しとするか。(笑)
それにしてもCIAの「I」がインテリジェンスの略だとは知らなかったな。
当然だろうけど、優秀な人が就ける職業だよね!

どうやったらCIAの一員になれるんだろう?
検索して出てきた答えが本当のことなのか検証できないけれど、一応情報として載せてみようか。
運転免許証を持ち、視力、聴力、健康状態が良好で、世界中にあるCIA海外支局での勤務が可能な、23歳から35歳までの米国市民なら、誰でもCIAに応募できるとのこと。
ただし、やはりインテリジェンスな集団なだけあって、IQが通常の人間よりもかなり高い人が採用されるらしい。
応募資格だけならクリアできても、IQレベルのクリアに加えて採用試験の合格、そして厳しい訓練に参加して心身鍛錬をする。
身元を隠して任務を遂行することが多いため、外国に派遣された人が逮捕をされてもCIA本部が助けてくれるとは限らない、なんてこともあるみたいだよ。
かなり過酷な任務が待っているというのに、CIAには毎年多くの人が応募するとのこと。
採用されても、「CIAに合格したよ!」と自慢もできないのにね。(笑)
愛国主義者が多い国民性ということなのかな?
そしてきっと主人公マヤは、高校時代に実施されたIQテストで興味深い結果を出して、青田買いされたのではなかろうか?
これ、ただのSNAKEPIPEの予想だから当てにしないでね。(笑)

頼りなさそうに見える、今回の主人公マヤは、その優秀なCIAの中でも更に抜きん出た才能を持つ分析官。
何年経っても、ウサーマ・ビン・ラーディンの居場所どころか、情報すら掴みきれていないパキスタン・イスラマバードのCIA秘密基地にマヤが送り込まれるのである。
着任早々、ウサーマ・ビン・ラーディンを守る傭兵のフォーメーションについての指摘をしたり、アラブ系の名前についての知識の深さを知らしめる。
ははあ、これがマヤが抜擢された理由なんだな、と解り始めるのだ。
アメリカで議論がされたという、拷問のシーンでも最初は目をそむけていたのに、徐々に慣れたのか男性に拷問させながら、平然とした顔で質問を繰り返す。
華奢とか頼りないって言って、ごめんなさいっ!

ひたすら顔写真とにらめっこ、拷問シーン、拷問ビデオの検証などの地道な似たような時間の長いこと!
CIAによる捕えたイスラム教徒への拷問は、かなり強烈。
あれを見て、マネをする人がいないかとヒヤヒヤしちゃったSNAKEPIPE。
すごーく苦しそうだったからね。
拷問を行なっていたCIAの男性が
「もう嫌だ。アメリカに帰る。100人以上拷問してるよ。」
と言った時はホッとしてしまった。
拷問の最中は、ちっとも嫌そうな顔してなかったから。
ああ、この人も普通の良識を持った人なんだって思ったからね。
そして、それだけの人数を捕えて口を割らせようとしても、ウサーマ・ビン・ラーディンの居場所が分からないんだ、ということも同時に知ることになる。
これ、単なるイメージだけど、イスラム圏の方って結束が堅い感じするよね?
絶対裏切らない、それこそ死んでも喋らない。

やっと「第2の人生をやり直すことができる」程の金額と引き換えに、ビン・ラーディンの情報提供をしてくれる医師とコンタクトを取ることに成功する。
CIA基地内で医師を出迎えるCIA職員。
「ようこそいらっしゃいました」
歩み寄った矢先、爆発が起きる。
情報提供者である医師は情報ではなく、爆弾を運んできたのだった。
CIA職員も多数犠牲となり、情報も得られないという最悪の状態である。

外部と接触すればテロの可能性があり、捕虜の拷問による自白もままならない。
自ら外出しても襲撃されてしまう。
そんな八方塞がりの状況下で、マヤは今まで集めた写真や映像などの資料を再点検し、あることに気付く。
かつて死亡した、と伝えられていた重要人物が別人ではないか、と言い出すのだ。
これ、確かにものすごく重要なポイントね。
何故なら、アラブ系の方の顔を区別するのって難しいと思うから。
上の写真は「ゼロ・ダーク・サーティ」の中で使用されていた、壁に貼られたテロリストの顔写真一覧である。
ターバン巻いて口髭や顎髭はやして、全体に白っぽいユルユルの服装だと誰が誰だか判断し辛いよね?
アラブ系の事情に詳しいマヤは、顔の判別も得意だったのね。
再調査してみると、本物の(?)重要人物はまだ生きていて、その人物こそがビン・ラーディンの連絡係だ、と判明する。

ここから一気に話が進んで行く。
連絡係の足取りを追い、その棲家を特定。
衛星写真で家を撮影すると、女性3名と男性2名の存在が浮かぶ。
何かしらのセンサーにより、それらの人物が全て成人している男女であることが判明。
「女性が3名いるならば、3組の夫婦と思われるため、男性がもう1名いるはず」
とマヤが推測する。
男性もう1名は本当にいるのか?
男性がいると仮定した場合、それが標的であるビン・ラーディンなのか?
ビン・ラーディンが衛生写真で確認できたのならば、話は簡単だったけれど、その確認ができないまま月日だけが流れていく。

マヤは「なんで突入しないのよっ!」とイライラしていたけれど、確証もないのにアメリカ軍が突然民家に押し入るわけにはいかないもんね?
万が一ビン・ラーディンがいなかったら、と考えると及び腰になってしまうのもうなずける。
それなのに何故だかマヤは「100%この家にいる」と断言するのだ。
この自信、どこから来るんだろう?
もちろん状況から判断して、ということになるんだろうけど、SNAKEPIPEは「単なる勘」だと思った。
そしてその「マヤの勘」に賭けて、突入にGOサインを出したアメリカ政府はすごいな!

ついに捕獲作戦が幕を開ける。
舞台となるのは、アフガニスタンとの国境から100マイル離れた、パキスタンの郊外アポッターバードにあった、広さ38000平方フィート(3530m2)のビン・ラーディンの3階建ての隠れ家である。
公開されている情報と設計図を元に、ヨルダンにこの隠れ家を完全再現しちゃったというから驚きだね!
確かに写真などで確認できる建物と、区別ができない程の出来栄えだったよ。
そして作戦決行の日と同じような、月のない暗い夜を選んで撮影したとのこと。
実際の作戦を再現する映像だから、このあたりからの画面が暗いんだよね!
それでも暗闇の中で何が行われているのか、手に汗握るような緊張感を持って食い入るように画面を見つめてしまう。
上の写真は、シールズ隊員が装着している赤外線スコープから見た映像を再現した様子である。

ああ!赤外線スコープ!(笑)
SNAKEPIPEが一番初めにスコープから覗いた映像を観たのは恐らく「羊たちの沈黙」だろう。
バッファロー・ビルがFBI訓練生であるクラリス・スターリングを覗き見するシーンである。
見る/見られるという立場の違いは、見られる側に弱者であることを認識させ、見る側にはより強力な優位性を与えていた。
加えて「覗き」という行為の変態性も露呈してくれた、秀逸な演出だったよね!
何度観ても、あのシーンはドキドキするSNAKEPIPE。
そのため赤外線スコープとか暗視スコープという言葉を聞くだけで、ドキドキする、という条件反射が起きてしまうのだ。
どちらにしても赤外線スコープを使う時というのは、相手には知られないように秘密に行動する時。
「ゼロ・ダーク・サーティ」の突入シーンも当然ながら、気付かれないように侵入する状況である。

ゼロ・ダーク・サーティ(深夜0:30)、作戦決行の時間である。
「あのUBLの捕獲だって!?」
作戦内容を聞いた時に驚き、ウサーマ・ビン・ラーディンの頭文字からUBLと呼んでいたネイビーシールズ対テロ特殊部隊「DEVGRU」がステルス型UH-60ブラックホークヘリコプター2機に分乗する。
建物の敷地内にロープをつたって降下、建物を急襲する。
約40分後には邸宅を制圧してしまう。
そして屋内に隠れていたビン・ラーディンも殺害するのである。
とても意外だったのが、本当に本物のビン・ラーディンが潜んでいたのに、警護する人員が建物内に配属されていなかったこと。
SNAKEPIPEは、あれほどの重要人物だったら、24時間・360度をギッチリ重厚な隙のない警備体制を敷いているはずだと勝手に思い込んでいたよ。
映画の中では一人だけビン・ラーディン側の男性が発砲していたけれど、あっさりシールズにやられていて、その後応戦する気配すらなかった。
建物を制圧した後は証拠品として、殺害したビン・ラーディンの遺体やハードディスク関連を押収し、ヘリコプターで運び込み、作戦は終了するのである。

ここでSNAKEPIPEにはちょっと疑問が。
アメリカ側からすれば「9.11同時多発テロ首謀者であるビン・ラーディンを殺害するための作戦」ということだけど…。
パキスタンから見ると、領土内に不法侵入され、民家を襲撃、発砲、殺人、更には略奪行為をされたということになるのでは?
Wikipediaによれば、やっぱりパキスタン側から主権侵害であると非難があったとのこと。
世界的には歓迎の声が多かったようだけど、立場を変えてみると違う感想を持つこともあるよね。

「100%この家にいる」と断言したマヤの勘は大当たりだった。
ヘリコプターで運ばれたビン・ラーディンと思われる遺体と対面したマヤは無言でうなずく。
間違いない、ビン・ラーディンだ、と。
マヤの確認が決め手となり、ついにアメリカ大統領の、あの発言「Justice has been done」を聞くことになる。
こうして10年に及んだマヤの追跡は終わるのである。
全く表には出てこない、匿名のまま任務を終えるCIA職員の活動が良く解る映画だった。
今でも世界のどこかで、この映画のモデルとなった女性CIA分析官が活躍してるんだよねえ。




20XX年X月X日に何があった、また違う日にはこんなことがあった、というように実に淡々と映画が進んでいくため、ドキュメンタリー映画を観ている気分にさせられた。
前作のアカデミー賞を総なめにした「ハート・ロッカー」も戦争映画だったし、今回も「女流監督」というイメージとはかけ離れたクールな視線で撮られた作品である。
男女同権を謳っているアメリカ社会に属している主人公マヤが、性差別を感じさせる場面に直面したシーンを採り入れている辺りに、女性の目線を読み取ることができるかもしれない。
そしてこの感想は同性だから感じることなのかもしれないけどね?

この映画を監督したキャスリン・ビグローとはどんな女性なんだろう?
上の写真は演技指導中の(?)キャスリン・ビグロー監督である。
一番右に写ってる女性なんだけど、スラリとした長身で、監督ご本人がこの映画の主役でも良かったと思ってしまうほど決まってるよね?
サングラスを外したお姿がその次の写真。
OH~ッ!ビューチホーーーッ!(笑)
1951年生まれの61歳?見えない、見えないっ!
こんなに素敵な、美貌の女性が監督していたなんてビックリ!
「ターミネーター」や「エイリアン2」でお馴染みの、ジェームズ・キャメロン監督は5回結婚しているらしいんだけど、キャスリン・ビグローはその3回目の時のお相手なんだって。
第82回アカデミー賞を元夫婦で争い、主要部門は元妻が勝ち取ることになるとは。(笑)
SNAKEPIPEは「アバター」を観たことがないし、「タイタニック」もこれから先鑑賞することはない映画と断定できるので、キャメロン監督作品よりずっとキャスリン・ビグロー監督作品が好み。
キャスリン・ビグロー監督の次回作はどんな映画になるんだろう?
「ハート・ロッカー」の冒頭で
War is a drug(戦争は麻薬だ)
という言葉があったけれど、ビグロー監督自身が中毒になっていたとしたら、次もまた戦争を題材にした映画になるんだろうか?
楽しみに待ちたいと思う。